関町物語(12)
ということで「関町物語12」です。
1月に書いて「よぉし今年は1ヶ月に1回のペースで書くぞぉ」と心に誓ったワケですが、心に誓っただけで発表をしていないので、このざまです。
(関町物語バックナンバー)
竹の子族
1980年代の3月17日、原宿の歩行者天国でラジカセで音楽を流し踊る中高生の集団が朝日新聞に「面白い若者文化」として紹介された。(現象自体は1979年からあったらしい)
これがマスコミが「竹の子族」を取り上げた最初で、そこからテレビなどでも取り上げるようになり、あたかも社会現象化のように後に語られるようになり、夏に向けて爆発的に増えていった。
ちなみに「竹の子族」という名前はもともと原宿・竹下通りにあるブティック『竹の子』という店で売っていた、中近東風&和風を合わせたカラフルな服を着ていた事から名付けられたワケです。
で、なぜ中高生が歩行者天国などで踊っていたかというと、1978年にジョン・トラボルタ主演の「サタデーナイトフィーバー」が日本で公開されディスコブームが巻き起こっていたワケですが、中高生はそのブームを横目で見つつディスコに行けない事から路上で踊り始めたというワケでやんす。
ラジカセでかける曲は当時ディスコで流行っていた「ジンギスカン」「アラベスク」「ヴィレッジピープル」等々。シックなどのソティスケートされたディスコ曲や、アースウィンド&ファイヤーなどのようなファンキーな曲はどうも好まれなかったようで、次第に単純な4拍打ちの曲が主流となり、それが80年代中期にディスコを席巻するユーロビートへ繋がっていくのだ。
若者が集まる場所にはマスコミも集まり、そこからスターも生まれるワケで「竹の子族出身」という肩書きで沖田浩之がデビューし、さらに清水宏次朗などもデビューしていく。最末期の竹の子族で女優・深津絵里も踊った事があるらしい。
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