« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »

2008年2月29日 (金)

占い禁止

公共の電波を使って「あなた、アタシの言うこと聞かないと死ぬわよ」と恐喝・恫喝を繰り返す婆さんの番組がこの3月で2本終わるらしい。


嫌いなので番組を見ていないため、最近はどんな状態になっていたかは全然知らないのですが、よかったよかった。
その婆さんって、たかが占い師なのになぜあそこまで偉そうなのか不明だけど、もしかしたら他人の未来が見えて、それに対して進言することで自由に操れる事から、自分が万物の神だと勘違いしているのかなぁ。
もっとも「占い師」のハズなのに、ある時から「あなたの後には白いヘビが見える」などと霊能力者になっていたので、何をやりたいのかよく解らない人でもあるのだ。

以前、チラっと見た時には何故か複数の若い着物のお姉ちゃん達を集めて、和風の作法とかをレクチャーしていた。その婆さんは嫌いだが若いお姉ちゃんに引きつけられしばらく見てしまったワケですが。
そこであまりにも礼儀作法を知らない女子達に暴言を吐きながら「違うの!こうするの!」とヒステリックにドタドタとやっていた。
それを見た瞬間に「この人は占いという根拠の無い物を振りかざすだけじゃなく、基本的な礼儀作法も知らないのに礼儀作法について語るのか」と呆れてチャンネルを変えてしまった。
なんせ、彼女は並べてある座布団の上を平気でドタドタ踏み散らして歩いていたんですぜ。礼儀作法以前のやっちゃいけない事だよ、それは。

ブームになる直前はレギュラーではなく、単発で何度もスペシャル番組が作られていた。
今から4年ほど前でしょうか、その2時間スペシャル番組があって、当時「うんちく王」として売出し中だったくりーむしちゅーが出演していた。
自分はとある理由でくりーむしちゅー上田晋也に注目していたので、その婆さんではなく上田興味で番組を見た。
そこで婆さんに「あなたたちグループ名を『グリーン&ピンク』変えないとすぐに解散するよ」とか言われてましたが、海砂利水魚からくりーむしちゅーに改名したお陰で売れ始めたのでそれは拒否。

そこで当時くりーむ上田は出る番組出る番組、とにかく蘊蓄を求められていたので「占い」に関した雑学を披露した。
☆ルネッサンス期の教会はオカルトや占いを罪悪視していた。しかし実はローマ法王の戴冠式はこっそりと占星術で日取りを決めました!
と、言った所でいきなり婆さんが「占いを罪悪視した歴史なんて世界中探してもどこにもありません、あなた間違った事を平気で言って恥ずかしくないの?もっと勉強してきなさい!」と怒鳴りはじめたのだ。
そこで上田は「すっすいません」と平身低頭謝ってその場を切り抜けた。

でも実際に、歴史の中で占いなどが罪悪視され禁止されたってのは幾つもある。
ベトナムでは現在、原則として占いをはじめ、超能力、UFO、幽霊等、いわゆる非科学的な物は禁止されている。もっとも、実際には抑止力は働かず、人々は伝統的に占いなどを信じているらしいけど。
中国共産党は占いはギリギリセーフなのかもしれないけど、オカルトを始めとしてオバケなどの非現実的な事を信じる事を禁止している。そのため、中国人でも若い世代はキョンシーなどを知らないと言われている。
あくまでも「らしい」という人づての話ですが。

実は、日本でも「占い禁止」とされた時代があって、1938年生まれのその婆さんもリアルタイムで知っている戦時中に「占い禁止」は出ている。
1941年5月31日、内務省検閲課が出したおふれの中には「迷信暦発売禁止」という物がある。
いわゆる古くから慣習として伝わっている大安・仏滅・友引など六曜が書かれている「日の縁起」や、一白水星・二黒土星などの九星が書かれているカレンダーは発売しちゃいかん。そんな人々を惑わすような事が書かれているカレンダーはいかん!となったワケです。
これ以降は、神宮神部署が発行する「神宮暦」を標準としたカレンダーがすべての基準となって、運勢だとか相性だとかは一切許可せず!となってしまったワケです。
これは終戦の1945年8月まで続いているので、婆さんが7歳の時まで「日本で占いが禁止されていた」のだ。

何はともあれ、アノ手の番組が終わることでめでたいのだ。
(オカルトとか非科学的な物は別に否定しません。あくまでも娯楽、エンターテインメントとして楽しめるから。それに対して占いとかスピリチュアルとかを真剣にやっちゃう事に関しては怖いなぁと思っている)

| | コメント (3)

2008年2月28日 (木)

誤字ら 誤字ら 誤字ら が来るぞ♪

短期間に同様のネタで書きたいとは思わないけれど、あまりに目に余るので…。


相変わらずスパムメールが大量にやってくるんですが、今日来た物は開く前に「ダメだこりゃ」と思ってしまう物だった。
まず発信者名の所からメッセージになっていて、その名は「自身があります!」
さらに件名が「必ず!!保障します!」
この短い間に「!」を4つ使うって辺りがダメさ加減濃密なんですが、とりあえずタイトルぐらいは誤字のないようにしようよ。

「自身があります!」ではなく「自信があります!」
「必ず!!保障します!」ではなく「必ず!!保証します!」
なんか、小学生が書いているのかなぁ

そう言えば、4年ぐらい前にメルマガでも同じような誤字スパムについて書いた事がある。
そこでは「アイコラ見放題!」という事で色々な芸能人のアイコラがあります。としつつ、ズバリの名前を書くのは憚られるということで、伏せ字にしていたワケですが。
>今週のアイコラ人気ランキング
>1位  内山 ○奈
>2位  後藤 ○樹
>3位  安倍 な○み
>4位  加藤 ○い
>5位  加護 ○衣

3位と4位で伏せ文字になっている人は「ああ、あの人ね」と思うんですが、1位はおそらく「内山理名」なのでアウト、2位はおそらく「後藤真希」なのでアウト、5位はおそらく「加護亜依」なのでアウト。
なぜ伏せ文字にして、さらに字を間違えているのか?

やはり、こーゆーので引っかかると思っているような人はそーゆーレベルなのか。それに引っかかってしまう人は……。

| | コメント (1)

2008年2月27日 (水)

アイドルと在学中の芸能活動と退学

小泉麻耶というアイドルが高校在学中に芸能活動(2006年07月写真集発売)をしたことで、2006年10月に退学になり、それを訴えていたという事件が報道されていた。


2008022801kobayasi結果としては学校側の規則に「在学中の芸能活動は禁止」みたいなのがあった物を無視して活動を続けたので、退学処分は妥当なものという事で、訴えを棄却したとの事。
そりゃ、学校の方針がそうなっているんだからその学校にいる間はそれに従わなくちゃダメだろと思う。
2006年11月に「見た目で判断するな」という文章でも書いたんだけど、そういう規則の学校なんだからそれは従わなくちゃいけないと思うのだ。その学校を選んだ時点でそれに同意していると言う事なんだから。

で、その学校の名前を聞いてびっくりしてしまった。「桐朋学園」だそうで、自分はてっきりこの学校は芸能科みたいな物があるんだと思いこんでいた。
というのも、ずっと誕生日データベース「知誕-ちたん-」というのを構築していて(現在6万7154人登録)その中で「桐朋学園」という出身校を見かける。高校だけじゃなく大学なんかも出身者が多いのだが、現時点で桐朋学園がらみでは116人が卒業生という事になっているので、堀越学園や日の出女子に継いで「芸能コースに力でも入れているのか」と思っていた。
しかし「在学中の芸能活動は禁止」って事なんですが。ふ〜ん。

2008022802makiseこの手の芸能活動禁止って学校も時々あるみたいで、その関係もあって高校時代にデビューするアイドルなんかは「中退」だったり「編入」というのが多い。
かつて女優の牧瀬里穂がデビューした時「プロフィール欄には『本名も牧瀬里穂』って書いてあるけど、本当は青柳真理子が本名なんだぜ」「え〜なんかダサいな」という会話がごく一部で流れていた。
これも「在学中は芸能活動はダメ」というのが関係している。

牧瀬里穂は九州の名門「福岡女学院高校」に通っていた2年生の時に芸能事務所のオーディションを受けている。ところが高校が「芸能活動一切禁止」という事になっていたので、芸名として「青柳真理子」という名前でオーディションを受け合格している。
その後、活動を本格的にするために東京へ出て文化学院高等部英語科に編入したので本名での芸能活動に支障が亡くなったということで、晴れて牧瀬里穂という本名での活動となったのだ。

という所で「地元にいた時は青柳真理子だったのに、東京に出た途端に牧瀬里穂になったので、プロフィールに本名とか書いてるけど牧瀬里穂ってのは芸名だぜ」という噂が立ってしまったのだ。
たしかに「牧瀬里穂」ってのは出来すぎた名前だと思う。

ついでに数年前に、はなわが「佐賀県」という曲でブレイクした時、初期の歌詞には「牧瀬里穂も佐賀、公表してない」みたいな物があった。これも小中学時代に佐賀県の学校にいたための誤解で、生まれは福岡県、幼稚園は鹿児島県、小中が佐賀県、そして高校時代は福岡県なのではなわの間違いだったのだ(だから途中からこの歌詞は歌わなくなった)

2008022803mizutaという事で、最初の「在学中の芸能活動禁止」という話に戻りますが、その手の話は色々あって芸能活動を優先して中退というパターンか、編入というのが多くのパターン。
古い話では大正時代の新派女優・水谷八重子でも同じようなものがあった。

水谷八重子は父が亡くなった後、母と共に長姉の結婚相手・水谷竹紫の家に住んでいたワケですが、この竹紫というのが島村抱月と松井須磨子の設立した芸術座の理事をしていて、その関係で八重子も小学校の時から子役として舞台に立つようになったのです。
その後、舞台にポツポツと出ていたのですが、進学した女子校が規律のやかましいミッションスクールの雙葉高等女学校が「なるべく舞台などの活動は慎むように」と指導していたワケですが、時代は舞台から映画に移行しており、映画会社がキャリアのある若手女優・水谷八重子に目をつけ出演を決定したのです。

2008022804当然、学校の許可が出ないという事で水谷八重子という名前で出る事は難しいとなったのですが、普通だったそこでまったく別の芸名を考えればいいのに、なぜか「本当の名前は誰もしらない謎の女優」という事で『覆面令嬢』という名前で表記しての出演となった。
ということで逆に「あの映画に出ている若い女優はいったい誰だ?」と話題になってしまい、そのために雙葉高等女学校でも問題視して「退学だ!」と騒ぎ立てる事となってしまった。
その時は、義兄の水谷竹紫が必死に説得しなんとか退学を免れたという事件があった。
という事をぼけーっと思い出した。

2008022805ちなみに水谷竹紫が理事をしていた芸術座というと、創設者の島村抱月がスペイン風邪で1918年11月5日亡くなり、不倫愛を続けていた女優・松井須磨子がちょうど2ヶ月後の1月5日に後追い自殺をした。
という事になっていますが、実際にはもうちょっと複雑な話らしい。
松井須磨子が自殺した直後、島田抱月の正妻は「彼女からは芝居を見に来いと言われておりまして、自殺した前夜は娘二人がカルメンを見に行ってましたが別段変わった様子もなかったので、後追いではないでしょう」と述べている。

実は、抱月が死去した後の芸術座にはスポンサーとして松竹が入っていたのだが、舞台カルメンには抱月の残した演出ではなく松竹の意見が多く取り入れられたという。

2008022806matuiそのために、須磨子は松竹の社長に抱月の演出に戻して欲しいと懇願しているのだが「無理だ」と断られ、そこで「どうせ私の意見なんて通らないのね」と捨てぜりふを残した晩に自殺をしている。
単純に島田抱月が亡くなった事を悲観しての自殺ではなかったんじゃないかという事なのだ、そしてこの発作的自殺に関しては、自殺当日、須磨子は生理だったのでは? とも言われている。自殺に使った踏み台にその痕跡が残っていたらしい。

と、相変わらず最初の話とはまったく関係ない話で終わるのであった。

| | コメント (1)

2008年2月24日 (日)

小野満・ダン池田、二人のビッグバンドマスター死去

ダン池田氏(72)が昨年末、2007年12月25日に亡くなっていた事が報道された。
そういえば今年は新年早々、2008年1月2日に小野満氏(78)の訃報もあった。


ダン池田:今だ反省なし
2008022402この二人は自分の世代だと、物心付いた時からテレビの中で演奏をしていたビッグバンドの指揮者で、70年代の紅白歌合戦の演奏でも紅組「ダン池田とニューブリード」、白組「小野満とスィングビーバーズ」として記憶にある。
この二人が10日と開けずに亡くなったというのは、リアルタイムに音を聞いていた世代としては、あの時代もすでに歴史の話になっていくんだなぁという感じがしちゃうのだ。

ダン池田の方は他にも「夜のヒットスタジオ」、小野満の方はNHK系の音楽番組でスィングビーバーズ&NHK管弦楽団などで見かけていた。
ダン池田の方はビッグバンドのみだったので、音は派手だったので昔ながらの歌謡曲の演奏は良かったのだがちょっと繊細さに欠けていた。しかし小野満の方はスィングビーバーズに加えてNHK管弦楽団が一緒にやる事が多かったので、ちょいと繊細な感じで好きだった。

小野満:資料が少なくて似てるか不明
2008022401小野満は先日もブログで書いた三木鶏郎のバンド出身で、1953年にジョージ川口、中村八大、松本英彦でビッグフォーを結成している。ビッグフォーは音源をちょっと聞いた事がある程度で、リアルタイムじゃないけれど戦後日本のジャズブームを築いた1人という事で認識している。スィングビーバーズは1960年に結成したビッグバンド。

あと「美空ひばりの初恋の人」って事でも騒がれた事もあるんだけど、1989年に美空ひばりが亡くなった際に思い出話を語り「世間が許してくれなかったんですよ」と告白している。
そして美空ひばりの死後、理由は明かさないが音楽活動をほとんど辞め、それまで付き合いがあったビッグバンドやジャズ仲間とは一切交友まで断っていたとされている。
美空ひばりのCDで「Jazz And Standard Complete Collection 1955-1966」というコンピレーション物があるんですが、このアルバムを聴くと美空ひばりの才能の深さに改めて感服しちゃうワケです。
個人的には演歌っぽい曲を歌う美空ひばりが好きじゃないので、この時点で小野満と上手くいって「ジャズシンガー美空ひばり」という路線を邁進してくれていれば、どんな素晴らしい曲を作っていったか……と勝手に思ってしまうのだ。

ダン池田に関しては、自分が音楽にどっぷりハマり始めた1970年代にフジテレビの音楽がらみの番組には必ずといっていい程登場して、「夜のヒットスタジオ」「オールスター家族対抗歌合戦」さらに大磯ロングビーチでの「オールスター水泳大会」などでやたらと見かけるようになったけれど音楽的な印象はさほど残っていない。
楽器演奏の印象もないので「いったいこの人は音楽的な部分はどうだったんだろう?」という感じでもあるんだけど、ダン池田が表舞台から消えるキッカケになった暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』の印象しか残っていないや。

1990年代に「あの人は今!」という事で埼玉あたりでカラオケスナックを経営して、近所のおじちゃんおばちゃんを集めてカラオケ教室をやっているのが放送されていた。
本当にこの人に関しては「音楽家として何が出来た人なんだろ?」というのが当時も今も疑問としてついて回っている。

1980年代、YMOの成功以降、シンセサイザーの発達で歌謡曲の音がかなり変化していった。
夜のヒットスタジオを見ていても自前のバックバンドをもっている歌手などは音的に問題なかったけれど(アイドルもバンドを従えるのがブームだった)、ダン池田とニューブリードが演奏する場合、ちょっとアレンジも古めに感じる事が多くなっていった。
たとえば榊原郁恵のテクノ歌謡「ROBBOT」をビッグバンドが演奏した時に「それはテクノ歌謡じゃない!」と憤慨した事もある。この曲は筒美京平がテクノを意識したメロディを作り、それに合わせて船山基紀がアナログテクノな編曲をした、YMOが絡んでいない職業作家によるテクノ歌謡の名作なのだ。

1985年に夜のヒットスタジオが月曜の1時間番組から、水曜日の2時間番組に変わった時に、ニューブリードのマスターからダン池田が降りて、三原綱木(元ブルーコメッツ→つなき&みどりを経て)に変わった。その時に、大々的にバンド変成が変わり、シンセ系キーボードも大々的にフューチャーされたと記憶している。
そう言う意味では、アナログ時代の古いタイプの音楽家で、時代の変化について行けなかったのかなぁと思ってしまう(Wikipediaなどでは体調不良&金銭面を理由に降板したような事が書かれているが)

暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』をつい先日、死去したとは知らずに「何かの参考資料になるかな?」として古本で購入したけれど、パラパラ読むと暴露というより時代について行けなくなったオジサンが「最近の若い奴は」と愚痴っている部分が変に目立っているだけの本だった。
ある意味、無責任な戯れ言をまき散らすブログを書籍化しただけのような内容で、読後感は「この人、良くも悪くも自分が基準だと思っているんだろうなぁ」という感じだった。

ネット検索すると、ダン池田の死去が公表される2月21日直前まで暴露本『芸能界本日モ反省ノ色ナシ』は500円ぐらいが相場だったのが、22日ネットで最高値30万円を付けたらしい。
現在もヤフオクには4000円台で大量に出て、しかも入札も入ってます。最も高いのは2万2000円で入札22人。
自分は今年1月に1と2をBookoffで各105円で購入したんですが...。そんなに高い値段だして読む価値ないぞ。
ちなみに、この暴露本を出した「はまの出版」は凄いジャストなタイミングで今年1月25日に自己破産申告をして倒産している(ここにも出版不況が!)。

| | コメント (4)

2008年2月23日 (土)

いせこむ

以前なら、目を血走らせながらうがぁぁぁ!と怒濤のサラリーマン的作業をしていた時間帯、現在は気を抜こうと思えばいくらでも抜けてしまう朝のひととき、朝のニュース番組をチェックしてそのままテレビを付けっぱなしにして、気が付くと10時台のモーニングショーが終わる時間になっている事がある。


もっと規則的に、ビシッとしなくちゃいかん、ダレようと思えばいくらでも出来てしまうのだ。
と思う頃、変なCMがテレビから流れてくる。
野際陽子がやっている「セレア」という女性用カツラ(というかウィッグ)のCMなのだが、その中で「イセコミフィット」という言葉が使われてる。
何気に耳にしていただけで、ただの商品名だと思っていたんだけど、その中で野際陽子が「ほぉら、こんな簡単にいせこむ事が出来るのよ」などと言っていたのだ。
「いせこむ事?」
まったく説明もなく、当たり前の言葉のように「いせこむ事」と言っているのだが、自分の頭の中にこんな言葉は存在していなかった。普通にテレビを見ている(時間帯と番組内容から普通の主婦が見る時間帯かと)人々にはこのCMは効果的に、すべての文言が頭の中に入り込んでいるのだろうか?

とりあえず解らない言葉があったら広辞苑! ……無い。載っていない。(第二版&第四版)
が、どうやら最近の版では載っているらしい(って新しいの買いなさい→俺)
でもって「いせこむ」というのは「いせる」が元になって出来た言葉らしい事が判明。
そっちは第四版にも載っていた。
い-せる〔他下一〕(寄セルの転とも、イは接頭語でセルは「迫る」の意とも)
1.いせの方法で縫う。→いせ(縮縫)。
2.海波が激しく立つ。(和訓栞)

でもって「いせ」とは
いせ【縮縫】(動詞イセルの連用形から)
1.平面の布を立体的に仕立てるために、表面には見えないようにこまかく縫いちぢめる方法。袖山(そでやま)や、たびの爪先などに用いる。いせこみ。
2.網地を浮子網(うきづな)などにつけて漁具を作る際、網目をひろげるため網地より短い網やわくをつけるが、このときの網地の長さと綱の長さとの差をいう。いせが大きいほど網は横に大きくひろがる。よせ。いさり。かきこみ。

となっている。

どうやら「いせこむ」という言葉は、裁縫などの用語としてソッチ方面の人にはお馴染みなのではないか? という感じで、今回の「いせこみフィット」というのは頭の形に合わせた状態で立体的に仕上げた「縮緬仕立て」という感じなんでしょうかね。
なんとなく解ったわけでありますが、ここで使われた「いせこむ」という言葉が、何の説明もなく使われる一般的な言葉なのか、メーカーがターゲットにしている層の方々には解るような言葉なのか、不明なのだが意味は理解出来たのだ。

では、記念に一枚「せ.れ.あ!」


| | コメント (1)

2008年2月18日 (月)

ぶらり東海道の旅

ぶらり東海道の旅(1) スタート
だから自分がやりたいのは「文章を書く仕事だってば」とここで宣言しているワケですが、本日はとんでもない仕事を任されてしまった。
去年末&新年にラジオ「らぶらじ」で他県から通っている二人のパーソナリティに対して「どれだけ静岡を知っているか」という『第一回らぶらじ静岡検定』という物を行いまして、その結果、敗者となった杉原徹(てつさん)が静岡東の玄関口・熱海駅から東海道線各駅停車の旅に出る事になりました。しかもサイコロで出た目のまま進み、そこで指令をクリアするという物。
その実行日が2月18日。


2008021801
最初の話では静岡県の端っこの駅からスタートして、らぶらじの放送時間、約3時間の間にスタジオにたどり着くという話だったのですが、いつの間にか「端っこから端っこまで」という事で、浜名湖を越えた新所原駅まで行くことになっていたワケです。
とんでもないなぁ
と思っていたのですが、さらにとんでもない事になってしまった。
いきなりディレクターより指令が下され「てつさん1人では可哀想なので、杉村さんも同行するという事で」と。
えぇぇぇ!これって罰ゲームじゃなかったの? 問題を作った人までなぜ罰ゲーム参加なの?
と思ったワケですが、とりあえず「何でも首突っ込んでみるか」と、その話に乗ったワケです。

で、この罰ゲームなんですが、本来「らぶらじ」という午後1時〜3時50分までの番組内の企画だったのが時間内に収まらないという事から、午前中の「とれたてワイド」「ほのぼのワイド」という番組も巻き込み、さらに「らぶらじ」の後の「夕焼けワイド」まで巻き込んだ、約8時間に渡る壮大な罰ゲームになってしまったのです。
そんなワケでてつさんは朝8時前に熱海駅に到着し、そこから中継。
この中継というのも、スタッフは一切同行せず携帯電話からの中継という事なのだ、さすが機動力のラジオ。しかし、マジにスタッフは一切接触せず、スタートラインでの打合せとかもなく「何が何だか」状態でスタート。

実はこのスタート地点に杉村は登場せず、「杉村さんはらぶらじの始まる1時から合流という形で」と指令を受けていたワケです。
この合流もてつさんには知らされておらず、中継中にいきなり登場して驚かせるという企画だそうで…。ってこの合流場所にもスタッフは来ていなくて、電話で命令されるままに動かされる杉村だったのだ。
しかも、杉村が参加するって事で「サイコロの目で進んだ駅で、毎回ひとこと雑学を」という無茶な指令が下されていたのです。思いっきりこれって罰ゲームじゃないの?
大きな駅だったらそれなりの雑学はあるんですが、極々小さい駅や新設の駅なんてどう転がしても雑学が出てこない駅もあって…。
ハッキリ言って、すべての駅に関して一言づつ雑学を調べ上げるのは通常の雑学より時間が掛かって数日それでのたうち回っておりました。
あくまでも雑学を要求されているので「この駅舎は19XX年に完成して、現在一日の乗降客数は…」などというデータ的な事を言っても意味無いので、難しい。


ぶらり東海道の旅(2) 草薙駅編

という事でその雑学を抱え、12時30分の中継で「次の駅は草薙駅」という行き先が決定したので先回りして草薙駅のホームが見渡せる場所で待機。
1時5分に草薙駅に降り立ったてつさんを確認、改札を出る所をチェックするため、改札脇のキヨスクに潜みガラス越しにその姿を見守る。


改札を出てリスナーと記念撮影するてつさん
2008021802この草薙駅での指令は『考える犬と写真を撮り、らぶらじリスナーを探すべし』だったのですが、てつさんが改札を出た直後、ラジオを聞いて駅に駆けつけたリスナーさんと遭遇し、そこで記念撮影を始める。
その姿を、キヨスクの雑誌ラックの陰からこっそり写真に納め、さらにどう動くかを監視。もし「考える犬」の像を探すためにキヨスクに聞きにきたらアウトなのだ。
と、言う所で監視をしている自分がじっとりと視線を感じてふりむくと、そこにはキヨスクのおばちゃんが2人
「あ、今ですねSBSラジオの企画で「尾行をしよう」という物がありまして、それを…」とその場しのぎで適当な事を言って監視を続行。とりあえずカバンの中からラジオのアンテナが飛び出していたので、それらしく見えたのか納得をしてもらえたハズ(たぶん)。
てつさんは数人のリスナーと「考える犬」方面へ歩いていく。
その正面ではない場所へ大回りして移動。

1時17分、イヤホンで聴いているラジオの中では中継が繋がり、「考える犬」の像の前からてつさんが「はい、草薙駅につきまして、そこでリスナーに囲まれました」などと現状報告を始める。
それに気付かれないように、中継場所が見渡せるバス停脇の案内地図からこっそりと出る機会を窺う。
中継では、集まってくれたリスナーへのインタビューからその像の由来へと話題が移ってくる。その時、自分は右耳ではラジオの中継を聞きつつ、左耳は携帯電話でスタジオからの指令を待っていた。
「杉村さん、てつさんに気付かれないように近づいて」と指令がでるが、てつさんの後側に回り込むことが出来ないので、中継に必死になっているてつさんの前方を携帯電話で会話をしながら(顔をなるべく隠して)通り過ぎ、そこから近寄る。
とりあえず今までてつさんに逢った時と違うタイプの服をと考えて「受験生のようなイメージ」でダッフルコートとマフラー、そしていつもはかけていない黒フチのメガネでプチ変装だったためか気付かれずに近づく事に成功。

実はてつさんの肩を叩いた瞬間、滝口順平氏の声真似で「おやおや、誰かと思ったらてつさんじゃあ〜りませんか」とやったハズだったのだ、その段階では自分の携帯電話のボリュームが絞ってあったために放送にはその声が乗っていなかった。残念(オンエアを録音した物を聞き直すと、うっすらてつさんのマイクが拾っている)。
てつさんが「ああぁぁぁ!誰かと思えば」と驚いてくれたのですが、そこはプロ、一瞬にして持ち直して「え〜たった今、ここに番組のヘビーリスナーの方が来てくれました」と切り返し、それに答えて「はい、函南から来た杉村です」と答える。
でもっとお約束の「じゃ、何か草薙について蘊蓄ありますか?」と振られ、そこにある「考える犬」についての話をする。

これが「考える犬」だ!
2008021805この「考える犬」は渋谷のハチ公をライバル視しているので、ハチ公の半分と、考えるという意味でシコウ(思考)という名前なんですよ。
とりあえず、その時点でてつさんがその手の話を仕入れて語ってしまう可能性があったので、別の物も準備していたのですが。(結構、この臨機応変に応えるために予備まで仕込まなければいけないってのが大変だったワケっすよ。
ということで、そこから合流して東海道の旅を進むこととなった。
スタジオで振ったサイコロで5が出て、次は『焼津』、指令は「焼津駅周辺で足湯に入るべし」
慌てて13時28分の電車に乗り込み焼津に向かう。


ぶらり東海道の旅(3) 焼津駅編

電車の中で、ここに至るまでの経緯などを話し、もし1時17分の中継時間までに到着していなかった場合、スポンサーの関係で中継を入れなくてはいけないので、代理として杉村がそこから「え〜ここ草薙駅前には考える犬という像がありまして、あ、お母さんどこからいらっしゃいました?」などと中継をしなくてはいけなかったという事などを話した。
本当に「文章を書く」という仕事からどんどん遠ざかっているような気がする。


そして電車が焼津駅に到着し、ホームに降り立ったのとジャストのタイミング、どこからか監視しているかのようなタイミングで携帯電話が鳴り、それがいきなり「てつさん、焼津に着きました?」という中継、てつさんも慌てて「はい、今焼津です、あっすでに駅の外で手を振ってくれてる人が何人かいます!」とコメントをする。
高架にある改札を抜け階段を下り、トイレに急ぐてつさんと別れ、リスナーがまっている足湯の場所へまで走る。
が、そこでとんでもない物を見てしまったのだ。
「本日、足湯の源泉を止めて大掃除中」

お湯がない足湯で記念撮影をするてつさん
2008021806通常は軽く毎朝清掃をするらしいのですが、この日に限って源泉を止めて大々的に掃除をしているそうで、集まってくれたリスナーさんの話でも「毎日のようにこの駅使っているけれど足湯が抜かれているなんて初めて見た」との事。
実はてつさんは、草薙の前に「由比駅」に降りて、そこでの指令『とれたてのサクラエビを食べる』を決行しようとしていたのですが(かきあげ・お好み焼きなどに入れるサクラエビは100%駿河湾で捕れる)、なんと「月曜日の朝はサクラエビ漁は休みなんだよねえ」というオイオイ、企画を上げる時にそこも調べておけよ、という事があったのです。
そこに続いて「今日に限って」の本当にめったにない完全に湯を抜いて掃除をする日に当たってしまうとは、てつさんには笑いの神が舞い降りていますな。

ということで、ここで2時まで待ち、通常コーナー「うんちく劇場」in 焼津の始まり、本日のテーマは「東海道」。
しかし足湯は残念でしたが、焼津駅前には大量のリスナーが集合して大盛上がり。罰ゲームって事でしたが、リスナーとのふれあい旅という感じで「えぇ旅やなぁ」です。
サイコロは5が出て、次は『金谷』、指令は「金谷の特長を入れ込んだご当地ソングを歌え」
集まってくれたリスナーに感謝しつつ、14時18分発の電車に乗り込み金谷に向かう。
リスナーしなのあずささんも一緒に乗り込み、金谷についての色々な話題をしながら旅は進む。
島田駅近くの線路近くでしなのあずささんの旦那さんが「てつさん」と大きく書いた紙を持って立っているのを走っている電車の中から確認。なんかドラマみたいで凄いっす。


ぶらり東海道の旅(4) 金谷編

この金谷駅は、今でも蒸気機関車が走っているという事で有名な大井川鉄道に繋がっているという事で、鉄道ファンにはお馴染みの駅ですが、山間部の駅ということで空気が美味しい。
14時36分、金谷駅に降り立つ。


静かな金谷駅
2008021808到着直後から中継が始まり、いきなり「杉村さん、金谷のうんちくを」と話を振られるが山に挟まれた駅なのでモニターとして持っているラジオが聞き取りにくくスタジオの声が全然聞こない中、てつさんのフォローでなんとか話をする。
☆金谷駅から出ている大井川鉄道は色々な映画のロケ地になっている。先日公開された吉永小百合さんの「母べえ」の中で戦時中の品川駅としてそこの千頭駅がそのまま使われている。
☆平成9年9月9日に大井川鉄道で「銀河鉄道999」のミステリートレインが走っている。


駅にポツンとてつさん
2008021807そして、てつさんがブルースハープを吹きつつアカペラで金谷をテーマにした曲を歌い始める。
♪レィルロード、レィルロード、大井川♪金谷から千頭まで、そこで線詰まり♪金谷の坂の石畳、どうかどうか滑らず地蔵♪いつか君と冬のスマタ(寸又)♪
ええ曲や。
ということで、サイコロでまた5が出る。次は『磐田』指令は「3人以上と名刺交換」
この金谷には、仕事を抜け出してやってきた某氏と、匿名捜査線さんが駆けつけて下さいました。
実は匿名捜査線さんはこの後、浜松方面まで一緒に行こうと考えていたのですが、3時からの「ズバッとテレフォン」出演が決定してしまい「このまま電車に乗ったら出演できないので、金谷で電話出演しその後、磐田まで追いかける」という事になる。
という事で、てつさんと二人で14時56分の電車に乗り込み磐田へ向かう。


ぶらり東海道の旅(5) 磐田編

15時31分、磐田到着。
しかし、いきなり見ず知らずの人間に「名刺交換して」と話かけても無理だろ…と二人で不安になりうろつく。
しかしこの時間帯に名刺を持っているサラリーマンが歩いているワケもなく、「そういえば一時期女子高生なんかの間でプリクラみたいな名刺を作るのって流行らなかった?」と言うことから、その場にいる女子高生に話しかける。
てつ「すいません、怪しい物ですが名刺交換してもらえませんか?」
当然、激しく警戒する女子高生達は「な、無いです」と。もし持っていたとしても普通、見ず知らずの人と名刺交換しないよなぁ。
という事で、駅を出るが、人がほとんど歩いていない。


そこで客待ちをしていたタクシーの運転手さんに話しかけるが「普通、運転手は名刺なんてもっていないよ」とつれないお言葉。
と、そこにリスナーの方が登場し「名刺交換できますよ」と。あぁ何度もリスナーに助けられ続けて、感謝であります。
「でも匿名匿会社名でお願いします(ラジオネーム・ピンチョスさん)」との事。こっそり仕事を抜け出してきたとか色々事情があるわけです。その方は「以前、月火のパーソナリティ鉄崎さんと一緒にカラオケを歌ったことがある」そうです。
さらに鳥居ソースの営業・鈴木さんもトラックに乗って登場し、名刺交換をして去っていったり、ありがたいです。
と、そこでらぶらじのエンディングの中継が入る。
が、風が強いせいなのか携帯電話の電波がとぎれとぎれで話がほとんど聞こえない。てつさんは必死に走りながら喋り続け、駅から少し離れた場所でなんとか会話が出来る場所を発見!そこで中継スタート。
「今日は大変だったと思いますが、終わった後もゴクロウサマなどと言って、打ち上げとかそういうのはありません!」と投げ出された形で中継が終わる。

中継が終わった直後「ラジオを聞いていたら、まだ2枚しか交換できていないって聞いたから」と駆けつけてくれた方と名刺交換。
らぶらじはここで終了ですが次の「夕焼けワイド」でも中継が入るという事がいつの間にか決まっている。
そして、「夕焼けワイド」では中継の時間が決まっているのでサイコロを転がさずに舞坂へいくことが決定。
そして指令は「メガネかボールペンを貰ってくる」
この指令は現在らぶらじ内で「スリランカの子供達は栄養面衛生面で劣悪な環境に置かれており、まず紙の質が悪いために鉛筆などでは破れやすく書きにくいのでボールペンを欲しがっている。そして栄養の関係で視力が悪い子が多いのですが、メガネが高価すぎて購入できない。ということで家庭で不要になっているボールペン、それと不要になったメガネを集めてそれをスリランカに送るという企画を実行しているので、それの一環なのです。
メガネのほうはスリランカで度を調べ、それに合った視力の子に配布するそうです。
詳しくはらぶらじ スリランカ 係にて




ぶらり東海道の旅(6) 舞坂編

16時14分発の電車に乗って西に向かう予定だったが、実はてつさんは昼食をとる時間も無かったので「浜松辺りでそばでも」という事で、浜松止まりの少し早い16時5分の電車に乗り込み、てつさん&杉村と匿名捜査線さんの3人が浜松へ向かう。
が、浜松のホームにあったそばの店は昼食時と夕食時の間のために閉まっており「こうなったらそのまま行くしかないか」と食事をあきらめ、舞坂へ。


ボールペン沢山ありがとうでやんす
200802181016時38分に舞坂着。遠州のカラっ風という言葉を実感するほど、風が一段と冷たい。
ここでも沢山のリスナーがボールペンを持って待っていて「夕焼けワイド」の中継が入るまで話が盛り上がる。
16時40分過ぎから中継が始まり、大石さんとてつさんが「なぜスリランカの子供たちにボールペンやメガネが必要なのか?」という会話をし、集まってくれている人々にもインタビューをする。
ここでてつさんからマイクを向けられるが、実はモニターのラジオがよく聞こえずもしかしたらトンチンカンな話をしてしまったかもしれませんが、そこでうんちくを(舞坂のうんちくではなくさきほどの磐田に関係したうんちく)
☆磐田といえば「ジュビロ磐田」ですが、Jリーグに昇格に際に新ユニフォームのお披露目会見の際に、ゴン中山が胸の「Nestle」のロゴを指さし「胸が熱くネッスルプレーをします」、さらにKitkatのロゴを指し「キット勝ッつ!」と言った。これがキッカケでキットカットは受験のお守りになり、それに乗っかった形で毎年この時期にスペシャルバージョンのキットカットを販売するようになった。
ということで中継が終わり、リスナーの方々ともそこでお別れ。次、静岡最西端の新所原駅は中継も無いけれど指令が下されており「新所原の名物をお土産に買ってこい」と言う物。
うぬ〜と考え込んでいた所、先ほど一旦帰られた山本さんが息せき切って戻って来て「今、家に戻って要らないメガネを持ってきた」と。有り難いことです。感謝。


ぶらり東海道の旅(7) 新所原編

そして最後まで付き合いますという匿名捜査線さんと3人で新所原駅を目指すのですが、さきほど「ズバッとテレフォン」に電車に詳しいという事で出演しただけあって、何分で着くとか、あの駅のホームのどこにはとか、とにかく事細かなデータがギッシリ頭の中に入っており「役に立つ雑学とはこういう物なのだな」と役に立たない雑学派の自分は感心してしまったのだ。


もう日が暮れかけているのだ
2008021811日も傾き始め、さらに風が身に染みる新所原駅に到着。
しかし、ごく普通の住宅街・商店街で観光地ではないここに「名物」みたいな物はあるのか?としばらく駅前を歩く。もしかしたらラストのこの指令が一番難しいのではないか?という感じなのだ。
どうしようもなくなり駅前の交番で「何か名物ってありますか?」と尋ねるのだが、「いやぁ私も最近ここに来たばかりであまり知らないんですよ」とのこと。

交番で名物を聞くてつさん
2008021812空腹だった事から「とりあえずウナギでも」と、JR駅に隣接している天竜浜名湖鉄道・天竜浜名湖線の改札口にあるウナギ屋さんで夕飯。実はてつさんのおごりでした「ゴチになりやす!」
ここは駅改札にあるという珍しさもあって、よくグルメリポートで紹介され、先日もマナカナちゃんが来たそうです。
寒かった&空腹というのを差し引いても美味しいウナギを堪能した3人。
「とりあえず新所原という名前が付いていたらいいよね」と言うことで、駅前にあったケーキ&喫茶店「リスボン」さんでマドレーヌを購入。「次の電車まで時間があるよねえ」という事で時間までコーヒーを頂く(てつさんはホットミルク)。
すると店主が「ケーキをどうぞ」と…。さらにコーヒー代はいいですよなどと言い出すので「ちょっとそれは」と言いつつ、最終的には「じゃラジオで宣伝しますから!」と感謝しつつ体も心も暖かくなってリスボンを後にする。
あぁ旅の最後の最後になってこんな形で人の情に触れるとは、ありがとう新所原、ありがとうリスボン!

ここはすでに愛知県。風でてつさんの顔も固まる
2008021816ということで、新所原駅のホームのもっとも西側は愛知県だという事で、カラっ風というより突風が吹きすさぶ中、電灯もついていない駅の端っこまで行き、そこで最後の写真を撮り、19時「東海道線の旅」終了となったのです。

さすがに、らぶらじ内でしゃべっていた「帰りも各駅停車で帰るのがいいんじゃないか? とりあえず今日中には帰れるみたいだから」という提案は却下!となり、帰路についたのであります。

| | コメント (0)

2008年2月17日 (日)

干し柿が大好き美子さん

美子さんからメールが来ました。


という名前の段階で「はいはいSPAMですね」と解ってしまうのですが、タイトルが『あなたをフルーツに例えると、』。ほほう、フルーツ占いですか?と思いつつ、その文面をチェックするといきなり

干し柿ですね。
まさにあなた自身を具現化していると思いませんか?

と来ちゃうのだ。この意表を突く展開はなかなか近年稀にみるSPAMなのだ。
その後の展開は、隠喩が含まれているが上手に考えられていて、いわゆるSPAMメール対応のフィルターを上手く避ける事が出来るような文面が続いている。いわゆる直接的にエロ単語などが含まれていない。
(このあと、エロイ文面が続きますので、ご了承下さいませ)


あのしわしわした干し柿を口にふくみ、舌でひとしきり転がした後で
中に入っている種をちゅぱちゅぱと吸い出してしまいたくなるのですが、
特にあなたの干し柿には注目せざるを得ません!

「あなた自身」を干し柿としたのに、いつの間にか「あなたの干し柿」と部分的な物を差すかのような表現になっている。しかしある意味上手い暗喩だなぁと思いつつ、なんだかなぁ感が漂っていてほほえましいです。


これまで苦痛に満ちた人生という風にさらされ、
耐える美学を極めた日本人として、世界に恥じない風格を醸し出しています。
あなたもそれは感じている筈ですよね。

そもそも自分の事を「干し柿」とは思っていないワケですが、最初にあった「あなた自身をフルーツに例えると」という部分はすでに忘れちゃって、例えるではなく「あなたは干し柿そのもので、世間も認めていて、あなたもそう感じている」という話になっている。凄いな。この息をもつかせぬ展開により、はい!あなたは正真正銘の干し柿ですと認定されちゃうという、意志の弱い人ならばこの時点で「俺は干し柿だ」と思いこんでいるでしょう。
さらに話は続きます。


そこでご相談なのですが、
キング・オブ・ザ・ホシガキの異名を持つあなたの干し柿がお風呂に入った後で
だらしなく伸びきったところをわたしに賞味させて頂けないでしょうか?

もう「あなたは干し柿」を遙かに凌駕した「世間ではお前の事『干し柿の王様』って言ってるぞ!」という客観的評価まで与えられてしまいました。
しかし干し柿をお風呂には入れないだろう(そういう調理法もあるんでしょうか?)


もちろん、冷え切ってカチコチになっている干し柿でも大丈夫です。
わたしの頬に当てて、人肌に暖めてから味あわせていただきます。

至れり尽くせりですな。


もちろん無償で私があなたの大事な干し柿を食すわけにもいきませんので、
それなりのお礼も考えています。
一般的な高級干し柿が一房5〜8000円程度ですが、
あなたの干し柿はこの世にたった1つ。
種に至っては2粒しかございませんし、
その希少価値を考えると100倍以上の価格設定は間違いないと思います。
その価値は十分あると真剣に思っています。

で、棹の方はどうしましょうか? という問題ではなく、何を言っているんだろうなぁこの人ぁ。
このSPAMは本気でだませると思って送っているんだろうか?
とりあえず他のSPAMと違ったインパクトを与えることを念頭に置いて、とうかインパクト与えるだけしか考えていないんじゃないかと思うんだけど、もうハナッから「今更SPAMで入金してくる人なんてそういないよな」って感じなのかもしれない。


どうしてもあなたの干し柿を手に入れたいので、
http://XXXXXXXXX.net/
こちらにわたしの自宅の住所や電話番号などの連絡先を明記しておきます。
美子で探してもらえればすぐに分かるはずです。
それでは干し柿の件、よろしくお願いします。

なにが「干し柿の件」だよ。
なんだろうなぁ、このネタ部分に重きを置いているSPAMメールというのは。
初期のAVなんかでも、監督がアングラ系出身なのか異常に内証的な部分を挿入したがり、エッチのシーンの途中にいきなり恐山の巫女のような人がカットインしてきたり、読経が流れたり「あぁぁぁぁ!お前この作品の基本的趣旨解っているのか!!」と、その怒りを何処にぶつけたらいいのか解らない作品があった。
本当に初期のAVは「本当は映画撮りたいのに」という部分が先行している作品が時々あった。(最近のはよく知らないけど)


今回紹介したような「笑わせることが目的?」というSPAMは時々来る。それは捨てずに収集しているワケですが、いきなり

はじめまして。
あなたのご友人から「小学生時代に修学旅行でお風呂に入ったとき他の人より人並みはずれた短小だった」とお聞きしたのですが本当ですか?
今もその短小ぶりは発揮されてますでしょうか?

とりあえず、エロい内容の話なんですが、要約すると「自分のアソコが小さくて一般男性のモノでは痛くてしょうがない、だから極度に小さいアナタにメールをしました」という物。
なめとんのかワレッ!といきなり河内弁で怒り狂ってしまいますが、これはSPAMとしてどうなんでしょうか?
これを読んで「あ、なんで俺の小ささを知っているんだ?早速返信しなくちゃ」と思う殿方がどのくらい存在しているのかと考えると。
その後、こんな言葉が並ぶわけです。


そんな時あなたの短小のお噂を耳にし、いてもたってもいられない衝動に駆られ、

付け加えると、ご友人の方からは「恐ろしく先細りな形だった」ともお聞きしています。
まさに、それこそがあなたに私がメールする決定打となった言葉でした。

適材適所という言葉がありますが、あなたはまさに私にとって適材。私はあなたにとって適所。
刀とさやのような関係を結べるパートナーだと思ったのです。

う〜む。あんまり嬉しくないメールだなぁ。


そんな中、最近のヒットSPAMはこれです。24歳のフリーターはるなさんから来た物。
彼女は割り切った関係の男性と知り合おうと思い、出会い系サイトに登録した話が書かれており、そこで待ち合わせをしたのですが…

待ち合わせ場所にきたのが、アフリカ人でした。アフリカ人登場です。
はるなびっくりして恐くなって逃げちゃいました。
メールでは、源三郎って名乗っていたので日本人だと思ってたのに。
あとから知ったのですが、出会い系に登録してる男性の85%がアフリカ人だそうです。

おいおい、無茶な設定だなぁ。その出会い系サイトはいったいどこにあるんだ?逆に興味を持ってしまった。まさかコンゴとかにあるサイトなのではないかと。
でもって、話は急展開します。


出会い系はアフリカ人がいて恐いので、自分でホームページを作りました。
はるなのえっち友達になってください。
アフリカ人だったら、お返事はいらないです。

もう、シュールすぎて笑うしかありません。
なんか凄く笑いのセンスがあるんじゃなかと本当に感心してしまいますな。この設定でコントでも作れそうな勢い。


この手の「面白SPAM」は本当に荒涼としたネット砂漠の中に点在するオアシスのような存在(でも水は飲めない)、まだまだネットには無限の可能性があるのではないかと、思った初春の午後なのであります。

| | コメント (0)

2008年2月16日 (土)

「主婦の友」休刊

今年は念頭から出版業界にとって嫌な話が続いていましたが、今度は1917(大正6)年創刊の超老舗雑誌『主婦の友』が今年5月発売の6月号で休刊することが決定した。


200802160191年ってとんでもない話だよなぁ。
大正6年頃の主婦向けの雑誌ってのも興味あるけど、80年代まで『4大婦人雑誌』とよばれていた「婦人倶楽部」「婦人生活」「主婦と生活」そして「主婦の友」がこれで消滅する事となった。
これはインターネットの発達で…、という事以外にいわゆる主婦という物の変質がかなりあるんだろうなぁ

創刊した頃はまだ「女性は結婚して家に入る」というのが当然の時代だったと思うんだけど、女性の社会進出や参政権などの話題をとりあげていたらしい。
1923(大正12)年に市川房枝さんたちが婦人参政権獲得同盟を結成しているので、女性総合雑誌という感じだったのだろう。

20080216021980年代の中期、以前も松田聖子の話で書いたけれど、結婚しても仕事を続ける女性が増えたり、あるいは結婚年齢が高くなって来たとか、DINKSと言って子供のいない夫婦のライフスタイルが持てやされたり、読者傾向が分散していたなど色々な要素が絡み合って、4大婦人雑誌も方向が絞り込めなくなっていったんじゃないかと思うのだ。
「主婦の友」は最盛期には70万部ほど発行されていたけれど、ここ数年は低迷を続け、最近は16万部に落ち込んでいたらしい。

以前そっち方面の雑誌とかを続けて読むことがあったんだけど、どうしてもメインは料理レシピになってしまうワケですが、毎年同じ頃に同じような季節の料理が並ぶ。それ以外の記事も、掃除がどうしたとか、毎号買っていると何度も同じような記事を読まなくてはいけない状態になって、読者も大変だけど、編集で記事を企画する人も大変だろうなと思ってしまう。

2008021603我が家の親は「主婦の友」の定期購読者で、といっても毎号買うワケではなく、毎年1月号(新年特大号)だけを購入する人でして、付録に付いてくる家計簿とかカレンダーとかレシート保存袋だとか、そっちが目当てのよくない読者なのだ。
おかげで我が家には数年分の新年特大号のみが並んでいて、おせち料理と年賀状の書き方に関する資料だけは大量にある。

しかし、もうこの出版不況という物には歯止めをかける事は出来ないんだろうか?
「主婦の友」は近々誌名を代えて復活するという噂もあるけれど、リニューアル復活しても世の中の状況が変わらないかぎり難しいんじゃないかと思う。これまでリニューアル復活して良くなった雑誌はほとんどないと思う。「POP-EYE」なんかも、なに勘違いしてんの?という雑誌になっている。
雑誌大好きな人間としては何とも哀しい話なのだ。

| | コメント (1)

2008年2月15日 (金)

ほっかほっか亭→ほっともっと、ってちょっと…

お弁当チェーン「ほっかほっか亭」がフランチャイズ関連でもめて分裂するというニュースがあった。


ほっかほっか亭は「ほっかほっか亭総本部」と「プレナス」という会社が運営に関して揉めて(なんか面倒臭い話なので解ったような解らないような感じ)、プレナスが「解った、もういい、俺等は離脱して勝手にやる」ということで、プレナス直営の店と開拓してきた加盟店を別の名前の店として展開させるという事になったのだ。

で、新しい店の名前が「ほっともっと」。元々の「ほっかほっか亭」に語感をムチャ近づけて対抗しようって事なんだろうけど、どうなんでしょうかね?
というか「それって出光のキャッチコピーじゃなかったけ?」
「ほっと、もっと、きっと、出光!」ほっと安心、もっと活力、きっと満足を意味しているキャッチなんですが、なんかマズイよなぁ

しかし元々の「ほっかほっか亭」というネーミングの旨さというのが逆に光ってしまいます。
ほっかほっか亭が始まったのが1976年なんだけど、1980年頃に全国展開を始めた頃、街中にはかなり微妙な名前の「ほっかほか亭」とか「ほかほか亭」だとかが乱立していました。
実際自分も一時期は「どれが本家か解らない」というぐらいに混乱した事があるんですが、その後裁判とかあって本家の「ほっかほっか亭」だけが残ったというワケです。
個人的に言えば、二大フランチャイズ弁当屋が出来たほうが互いに競走しあうのでありがたいという感じ(現時点では地域ごとに棲み分けが出来ているみたいですが)

同じような名前をつけて対抗するってので思い出したのが、80年代に人気があったバンドの「レベッカ:REBECCA」絡みの話。
あのバンドは木暮武彦(通称シャケ)が結成したバンドで、当時つきあっていた女子NOKKOをメインボーカルとしてデビューしている。
当初、思ったほど売れなかったために、レコード会社がギター中心のロックバンドという路線から、当時ハワード・ジョーンズなどが売れていたのでキーボード中心のポップ系バンドにしてボーカルのイメージもマドンナみたいに派手な物にして売り出したいと言いだし、その結果ガリガリのギターサウンドを目指していた木暮武彦が脱退する事となった。
その後、キーボードの土橋安騎夫がメインになって大ヒットを飛ばすワケですが、脱退した木暮武彦はレベッカに敵対心を持ち「次に作るバンドはレベッカより凄いバンドにする!」と決意し、50音順に書いた時、レベッカ(REBECCA)よりちょっと前になる「レッドウォーリアーズ(RED WARRIORS)」を結成した。
結果はロック野郎にはそこそこ支持されたバンドになったけど、知名度や売上げではレベッカには遠く及ばなかった(自分的には好きなバンドでしたが)。

と、ほっかほっか亭とは関係ない話を思い出してしまうのだ。

| | コメント (0)

2008年2月14日 (木)

市川崑監督死去

市川崑監督が亡くなった。
92歳という事で、現在では極端に高齢というワケではないのかも知れませんが、大往生です。


自分の世代で市川崑監督というと、「犬神家の一族」に始まる金田一耕助シリーズですか。
ちょうど自分は中学校ぐらいで、それまで推理小説と言えば小学校の頃に図書館で読みふけったシャーロック・ホームズ、アルセーヌ・ルパンというポプラ社系の物や、子供向けに書かれた物。あるいは江戸川乱歩の作品をなんとか読んでいたぐらいだったので、「犬神家の一族」に始まるブームの最中に角川書店から出ていた横溝正史作品は衝撃的でした。
市川崑監督作品のわかりやすさと、観客を引き込む技術は、変なお芸術映画で気取っている連中とは違う「映画は庶民の娯楽なのだ」という感じで好きでした。

で、久々に思い出したのが「市川崑って名前、打ち間違いしやすよなぁ」という事で、さっとGoogle検索してみると
市川崑 233000件
市川昆 150000件
市川箟 419件
ネット検索の時に「市川昆」と入力すると、丁寧にも「もしかして: 市川崑」なんて事も聞かれちゃうワケですが。
とりあえず自分は「市川崑」という漢字表記を単語登録してあるので問題ないのですが、かつて使っていたワープロは変換してくれない文字で、それらを探すのは取説についてきた文字コード表で探すという時代だったのでとんでもなく苦労した憶えがあります。

DVD販売しているサイトでも「金田一耕助の事件匣 市川昆×石坂浩二 金田一耕助シリーズ 劇場版BOX <初回限定生産> 」なんて、もしかしたら自分が知っている監督とは別の人が監督した作品かもしれない、ドキドキ…。
さらに、紀伊国屋BookWebでも「・市川昆(監)・石原裕次郎(演) 」なんて表記があるわけでやんす。
上記の検索結果の中には、今回の文章のように「市川昆っていう間違い多いよな」とネタにしている処も多いので、実際にはもっと少ないと思うわけですが。

市川崑の雑学

市川崑といえば自分の中ではやはり「犬神家の一族」のイメージが強い。で、市川作品に多く出演している岸恵子は社交的な性格で、あちこちで今撮影している作品は…と宣伝活動をしてまわっていたが、「犬神家の一族」出演の際、あちこちでストーリーを事細かに喋り倒し「で、犯人役をやっている●●●さんが」と触れ回っており、スタッフからは嫌われていた。

と言いつつ、その「犬神家の一族」の公開時のパンフレットにの中には、ご丁寧なことに犯人の犯行場面の写真がそのまんま掲載されていた。映画館に入ってパンフレットを購入し、上演時間前にパンフレットを開いてしまった人は…。

市川崑監督の『東京オリンピック』は、世界中で話題になったが、日本の一部では「日本人選手の活躍が少なすぎるのに、黒人選手のシーンが多すぎる」と編集し直す事を訴える人々もいた。

東京オリンピックの担当大臣は河野一郎で「記録性に欠ける」と批判的だった。ちなみに河野一郎は戦前に予定されていた「東京オリンピック(1940)」を中止させた人物の1人でもある。

「東京オリンピック」はもともと黒澤明に依頼されていた仕事だったが、色々あって市川崑が代役として制作した物。

市川崑は2歳の赤ちゃんが主演の映画『私は二歳(1962)』を撮っている。2歳の赤ちゃんの視線から社会を見た作品で、アジア映画祭監督賞を受賞。
この映画のスポンサーは森永で、画面の目立つ場所に森永の粉ミルクの缶が写り込んだり、ベランダから落ちた子供を助ける森永牛乳配達員のお兄さんはヒーロー扱いだったりする。
主役の赤ちゃんは森永乳業のオーディションで3200人の中から選ばれた子(鈴木博雄ちゃん)で、映画の主役とテレビCM出演(CM出演の方は確認できていませんが)。
森永乳業というと1955年にヒ素ミルク事件を起こしており、イメージアップのために頑張っている感じしてしまう。原作は小児科医の松田道雄が書いた「私は赤ちゃん」と「私は二歳」で森永乳業は関係していない。

島崎藤村の没後19年、市川崑監督が『破戒』を映画化している。この時ヒロイン「おしほ」を演じた女優は、ヒロインの名前と島崎藤村の名前から「藤村志保」と言う芸名を付けている。

市川崑の『青春銭形平次(1953)』は、天晴れ一番手柄というサブタイトルでまだ新米時代の話。ガラッ八に「平次さん」と呼ばれ「親分と呼べ」と訂正している。後に夫婦になるお静は豆腐屋の娘で互いに気がありながら顔を合わせるとケンカばかりという間柄。笹野の旦那に「おい仕事だぜ」と呼び出され平次とガラッ八が大急ぎで駆けつけると畳替えだったり…。この設定で、連ドラとか作っても面白そうなのだ。
で、この話の中で投げ銭を考案しているのだが、勿体ないという事で銭にゴム紐をつけ、投げてももどってくる工夫をしている。江戸時代にゴム紐という事には誰も突っ込まず。

市川崑監督辺りになると、映画にそんなに詳しくない自分でも何作も見ている。そーゆー意味で凄く庶民向けの作品を(でも技術的にも凄い)作っていたって事なんだよなぁ。
ありがとうございました市川崑監督。
監督の作品は永遠に人々に愛され続けることでしょう。御苦労様でした。

| | コメント (3)

2008年2月13日 (水)

バレンタインデーではなく、煮干しの雑学

ラジオで喋る雑学は基本的にその日の出来事などに関係した話題からテーマを取っている。
とりあえず1周目の初年度はそれで行きましょうと考えている。(あと1ヶ月半ですが)


そんなこんなで、明日の2月14日は当然の事ながら「バレンタインデー」絡みかなぁと思いつつ、この手の派手なイベント絡みの雑学は、その数日前からテレビやラジオなどで語られる事が多く、これまでも何度かハラハラしたり、直前に原稿を差し替えたりしている。
他局とかだったらいいんですが、同じSBSラジオの午前中の番組でその話題が出た時は、完璧に差し替えなくちゃマズイでしょ。となった。

そんなワケで「バレンタインデー」は絶対、どこかで色々な雑学が語られるのでなるべくハズした方向で行きたいと考えていた。
とりあえず「チョコレート」という方向で逃げるのはどうっすかね?という状態になったのだが、その中でこんなネタもあった。
放送前にネタバレなんですが、2月14日はバレンタインデーと同時に「煮干しの日」でもある。
という事で、意表を突いて煮干し雑学を!と考えたのですが、それだけで幾つも面白いネタが出てこなかったので、即座に却下。

だから「今日、2月14日は何の日か知っていますか? そうです煮干しの日です」というのをチラっと語ろうと思っているのだが、そこでその「煮干しの日」を制定した団体は「全国煮干協会」となっている。
Wikipediaでも、ネット内の記念日羅列サイトでも、大昔に自分もメルマガにも書いているし、単行本「知泉」でもその話題と「全国煮干協会」という名前を出している。
手元の資料でもそんな事が書いてある。
しかし。ネットでその団体を検索してみると、その「煮干しの日を制定した」という事しか出てこない。うぬぬ。

とりあえず煮干しなどを扱う団体としては「社団法人・全国削節工業協会」てのがあるぐらい。
「全国煮干協会」という団体が実際にあるのか、あるいはすでに消滅したのか、あるいは「煮干しの日」というギャグ的記念日を制定するために作られたその場しのぎの団体なのか、謎なのだ。

ちなみに「社団法人・全国削節工業協会」が発行している雑誌は「月刊 削節・煮干情報」

| | コメント (0)

2008年2月 6日 (水)

漫画表現「シーン」の発案者は手塚治虫

3ヶ月に1回ラジオ番組「らぶらじ」で語った雑学をまとめた小冊子の3号「2時のうんちく劇場:2007年10〜12月」が出来た事もあり、久々に放送局へ出かける。


002008020601レギュラー放送を始めてすでに10ヶ月が経過し、毎日のように電話を通じて会話をしているワケですが、実際にメインパーソナリティと顔を合わせるというのは、今まで公開生放送で6回、それ以外の事でスタジオにお邪魔したのが4回って処なのだ。
自分が出るのは、1コーナーだけなのですが、打合せから参加して細かい話を入れる。

本日のテーマが「死語」という事で、打合せでは最初80年代以前の死語が中心に出ていたので「でも、一番恥ずかしい死語ってこの10年ぐらいの、今使うのちょっとためらうというヤツだよね」と話題にして、そこから90年代の10年ほどまえのコギャル系「MK5(マジ切れ5秒前)」「チョベリバ」など、さらにここ数年で流行ったお笑い系流行語も恥ずかしいよね、という事で「なんでだろう」とか「ゲッツ!」とかも出し、大ウケ。

00onomatopeあと、他のテーマでは「オノマトペ」いわゆる擬音に関しての話題も出ていたので、色々な話を提案する。
日本人の擬音に対しての鋭さに関して、マンガに出てくる多様な擬音に対して、それを英訳した時に差し替えられる擬音の少なさ、つまらなさなどの話から、まったく音がしない状態に「シーン」という擬音を考案する感覚の鋭さなども語った。

ふと思い出したのが、この「シーン」という存在しない音を表す音。
これを始めたのが手塚治虫なのだ。これに関して「いやいや、シーンの考案者は石森章太郎でしょ」という意見も多いのですが、これに関して手塚治虫は光文社から出した『マンガの描き方』の中で

00manganokakikata「音でない音」を描くこともある。音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。
このほか、ものが消えるとき「フッ」と書いたり、顔をあからめるとき「ポーッ」と書いたり、木の葉がおちるときに「ヒラヒラ」と書くなど、文章から転用された効果は多い。


そして自分の漫画を海外に輸出しようと思い、英訳をしてもらった時のエピソードとして、セリフはなんとか訳せるが擬音で頭を抱えてしまったと書いている。

たとえば発射音ドギューンは、ふつうに英訳した音「BANG」では困る。さりとて直訳のDOGYUUNでは、あちらはなんのことやらわからない。
とうとう、音ならぬ音「シーン」では、お手上げになってしまったそうである。
まさか、「SILENT」と訳すわけにもいかなかったろう。


と書いている。あくまでも自己申告なので「シーンは手塚治虫から」と信じるしかないのだ。しかし、自分がスタジオで語った話は手塚治虫「マンガの描き方」に書いてあるままだったのだなぁ。
で、石森章太郎も確かにシーンという擬音は大量に使っているので、「石森が最初」と言われても「そうかもしれない」と納得しちゃいそうになる部分がある。
もう随分昔だけど、この部分に興味を持って調べた事がある。

00ryujinnumaその時確認できた最も古い石森の「シーン」が掲載されている作品が1961(昭和36)年に発表された『龍神沼』。
そして、最も古い手塚の「シーン」は1956(昭和31)年に毎日小学生新聞に掲載された『ぐっちゃん』77話の3コマ目にある物なんじゃないかという事だった。
手塚作品はとにかく連載時からの書き換えが多いので、資料としては掲載された雑誌などに当たらなくてはダメと言われているワケですが、そうなると生前に出された『手塚治虫全集300巻』は資料としては信憑性が低い。
という事で、死後に「それまで連載で書かれたままになっていた原稿を寄せ集めてまとめた本」なら良いのではないか?ということで、死後の1991年に追悼というか、死んじゃったから作者も文句言わないので出しちゃおうみたいな勢いで出た『手塚治虫デビュー作品集』の中から、上記の1956年の「シーン」を発見したワケです。
とりあえず「当時の新聞掲載分などを無修正のまま復刻」という事らしい。

00tezukadeもっとも手塚治虫の発言はかなりいい加減な物もあるので、100%信じる事は出来ないけれど。
で、手塚は先ほど引用した文章の中でも「音ひとつしない場面に「シーン」と書くのは、じつはなにをかくそうぼくが始めたものだ。」と書いている。発明したとは書いていないのだ。
もともと日本には静かな状態を「しんとした」と表現した言葉があったワケで、それを漫画に引用しただけ、あるいはもっと昔の戦前の漫画にあったのかも知れないのだ。
とりあえず現時点では「シーンという無音の擬音を漫画に持ち込んだのは手塚治虫」って事でいいんですかね?

002008020602などと、ぼーっと考えつつ、スタジオでの生放送に参加し、その後もスタジオの中に常駐し、いきなり話を振られたら、即座に雑学的情報で答えるという事をし、なんとか乗り切ったのだ。

ちなみに、手塚治虫の『マンガの描き方』という本は、もしかしたら自分の人生の中で一番熟読した本かも知れない。本当にボロボロになっているんだけど、奥付を見ると「昭和52年5月30日 初版発行」となっている。おぉ初版だったか!

| | コメント (6)

2008年2月 5日 (火)

3年間で1億円分の万引き

静岡県富士市で3年間に渡り万引きを繰り返し、総額1億円ほどの商品を万引きしていた男が掴まった。


いやはや、3年間で1億円ですか。年間3000万って、もうちょっと頑張れば女医・西川史子の結婚相手にノミネートされちゃうぞ。
どうやら几帳面な人らしく、火・金曜日は釣具店で、月・水・木曜日はTSUTAYAなどで本やDVDを万引きして、土日は休んで、それをネットークションで売りさばいていたらしい。
でも、その3年間、該当する店はどんだけ被害総額あったんだろ。その間、防犯カメラを設置するとか、万引き防止タグを取り付けるとか、そういう措置をとれなかったのか。あるいは頻繁に大量の万引きがあるって事で特定出来ていなかったのか?

週5日で1年間とすると260日、つまり単純計算で毎日11万5000円ほどの万引きを繰り返していたワケっすか?
う〜む、そんなに1回で高額の万引きが出来るんだ(しかも3年続けて)と、よく解らない感心してしまうのだ。釣具店の場合は金額がよく解らないけど、本やDVDで11万円ってかなりの量になりそうな気もするんだけど。
万引きというと、なんとなく店の死角になっているような場所で、こっそりジャケットの内側に商品を隠し入れてってイメージなんだけど、どうも違うみたいっすね。

去年の11月に東京の江戸川区の、これまたTSUTAYAで起こった万引き事件では、一気に漫画本を101冊万引きしようとした男が掴まっている。
この男は古本屋の買い取り価格表を元に、高く買い取ってくれる漫画本を中心に万引きしているワケですが、ビニール製の縦約50センチ、横約40センチのバッグに店員の目を盗んでワッセワッセと本を詰め込み、店員が入口付近に居なくなった所でそのバッグを店外に持ち出している。
その段階で約50冊の本の万引きに成功している。

おいおい、そんな手口がまかり通ってしまうのか?と驚いてしまうんだけど、その男のアホさ加減爆発なのが(万引きするって段階でお馬鹿さんなのでありますが)、それで気をよくして、本を店の近くに隠して、再び店内に戻り店員の目を盗んでバッグに本を詰め、再度同じことを繰り返そうとした所で御用となり、計101冊、約6万円相当の本を万引きしたとして警察に引き渡されている。
いやはや、世の中には凄いヤツがいるもんだな。ちょっと前頭葉を働かせればバレないわけないし、掴まらないワケない。
でも世の中には、一般常識の通用しない人もいるのだ。

ちなみに3年間で1億円を万引きの話がネット内複数の場所で話題になっているが、定番として「それって万引きじゃなく、億引きだよな」と書かれている。
でも万引きの語源は「間引き」という意味で、江戸時代に使われ始め、しだいにリズミカルになり「まンびき」となって現在のように「万引き」という漢字が当てられるようになっている。

ちなみにかつて
☆書店は本を一冊万引きされると、約5冊を売らないと赤字になってしまう。
☆レコード店で最も万引き率が高いのは意外な事にクラシックのコーナー。
という雑学を書いた事があるんだけど、この辺はどうなっているだろう。なんか時代によって情報が変わってしまう雑学って怖いなぁと思う今日この頃。(なんせ「レコード」時代の統計だもんなぁ)

| | コメント (0)

2008年2月 3日 (日)

マイケル・ジャクソン「スリラー」

2008020301先日、偶然見た「スマステーション」で80年代の洋楽特集をしていた。
そこでカールスモーキー石井が当時の音楽の解説をしていたんだけど「何も解説になってないじゃん」と思ってしまった。
もっと面白いネタはあるだろう!!!!と、当時バリバリに音楽の人だった私は思ってしまったワケでやんす。


最終的にマイケル・ジャクソンの「スリラー」が80年代を代表する洋楽と言うことで終わった。
確かに売上げと、時代のキーワード「MTV」という事では、この曲が1位ってのは当然なんだろうなぁ。
この「スリラー」とにかくミュージックビデオが大ヒットした。
しかしビデオクリップは、曲が始まる前の映画館のシーン、帰り道のシーンまでが長く、そしてやっと曲が始まるのだ。
全部流すと14分とか結構長かったんだけど、当時の深夜番組では「今日はマイケルのスリラーを全部流しますよ!」とかオープニングから煽っていたように、全部かける!というのが番組の目玉になったりしてました。
レコードショップでもこのビデオを店頭で1日中流していて、多くの人が立ち止まって食い入るように見てました。

で、そのクリップを作ったのが映画監督ジョン・ランディス、特殊メイクがリック・ベイカー。
このミュージックビデオは「マイケル・ジャクソン」という天才的アーティストがいたから出来たワケですが、それ以前に監督のジョン・ランディスは「ブルース・ブラザース」という全編ミュージックビデオみたいな映画を作っているので面白くなるのは当たり前の話なのだ。
と言いつつ、マイケルがジョン・ランディスにビデオクリップ制作を依頼したのは「ブルースブラザース」を見たからではなく「狼男アメリカン(1982)」という映画を見たから。
その関係もあって「スリラー」の特殊メイクは「狼男アメリカン」で特殊メイクを担当しアカデミー賞を受賞したリック・ベイカーが担当している。(他にもムチャ凄い作品を担当してますが)
この作品が80年代のMTVを中心としたミュージックビデオのブームを作り上げたと言っても過言ないのですが、その始まりが頂点で、結局そこを超えるビデオは無かった。

当時「俺たちひょうきん族」の中でウガンダ・トラがマイケルをパロディにしてスリラーを踊っており、最後にオバケの総元締めとして西川のりおのオバQが登場するという物があったが、他には竹中直人が出した「レスラー」という曲もありました。(もちろんビデオクリップも実にほほえましい感じで制作されました)

で、当時ビデオクリップのパロディといえば、アル・ヤンコビック("Weird Al" Yankovic)という人がいて、「スリラー」は作らなかったが、マイケルの「ビートイット」のパロディ「イートイット」というヤツがありました。
元曲の「Beat It」は意味的には「逃げろ!」とか「失せろ!」とかの意味(直訳すると叩けみたいな感じですが、熟語的には「とっとと失せろ」みたいな命令的な言葉になる)ですが、アルの方は「Eat It」喰え!という事で、ビデオをそっくりなパロディ作品として仕上げている。

この時、マイケルはそのソックリ具合に拍手喝采だったワケですが、続編としてマイケルの「Bad」のパロディ作品で「Fat」を作った時、前作「Eat It」で食い続けた結果「Fat(デブ)」になったマイケルを演じたために激怒したと言われている。
で、その「Fat」を見た時に「これってマイケルのパロディというより、ウガンダのマイケルのパロディじゃん」と思ったワケでありますな。

その後もアル・ヤンコビックは大量のパロディソングとビデオクリップを制作しているワケですが、残念な事には日本では「そう言えば80年代初頭にそんな人いたねぇ」状態。
でも本国アメリカでは2006年にアルバムがビルボード10位を記録しているし、シングルも10位以内に入っているほどの大人気を維持し続けている。
しかも真似されるアーティストは大歓迎らしい。

でも今はYouTubeがあるので、それらを見ることが出来るのでしやわせなのでやんす。
(ってマイケルの話じゃなくなってしまったのだ)
ただ、字幕がないので本当の面白さは理解仕切れないけど、画像だけでも楽しいっす。
「UHF」とにかく色々なビデオクリップや映画のパロディ満載。Talking HeadsやZZ Topなんて懐かしい所もやっているけれど、個人的にはチラっと出てくる武闘派のガンジーが壷でした。
「UHF Rampo」ビデオクリップではなく映画ランボーのパロディ、くだらなさすぎ。
ザ・プレジデンツ・オブ・ザ・ユナイテッド・ステイツ・オブ・アメリカの「Lump」を「Gump」にしてフォレストガンプにしているのも良いッス。
「Saga Begins」ではスターウォーズのパロディ。
マドンナの「Like A Virgin」→「Like A Surgeon(外科医のように)」
ジェームス・ブラウンの「Living In America」→「Living With A Hernia(ヘルニアで暮らそう)」
とか… きりがない。

この文章を書き始めたついでに、アル・ヤンコビックのクリップを見始めて、延々と時間が経ってしまった。
※「Yankovic」で検索、「UHF」の場合は「Yankovic UHF」などで検索。

| | コメント (1)

2008年2月 1日 (金)

それでも餃子が好き

ダメと言われると逆についついそれに引かれてしまう事がある。


例えば、バレンタインデー直前の1週間ぐらいの時期、テレビを見ると盛んに「今年のバレンタインデーには!」とチョコレート特集が組まれている。
そんな番組を見ているとチョコレートが食べたくなってしまう。別段、日頃はそんなにチョコレートを食べたいとは思わないんだけど、ここまで見せつけられると食べたい欲求が大きくなってしまう。
しかしだ、このタイミングでチョコレートを買うってのは「バレンタインに貰えないから自分で買っておくんだね」などと誰が指摘するワケでもないし、そもそもバレンタインという風習を否定的な自分はどうでもいいハズなのだが…。
という事で、バレンタイン直前には平常心でやりすごしている。

そんな状態で現在テレビを付けると嫌になるほど「餃子」が話題として出てくる。
何度も何度もしつこく餃子の画像が出されると、激しく餃子欲求スイッチが刺激されてしまうのだ。
別に全ての餃子に毒が入っている恐れがあるワケでもないので、何を恐れる事があるか!と思うんだけど、世の中にはそんな風にテレビで餃子を見せつけられてスイッチが入った人がいるんだろうあぁと報道され始めた1月31日に思っていたのだ。
とかなんとか思っていると、案の定、その報道が始まった夜、食卓に餃子が登場していた。
実に解りやすく、メディアに乗っかってしまう平凡な家庭なのであった。

静岡で餃子というば家庭食で、近所に餃子の王将が出来た時は「ワザワザ餃子を喰いに専門店に行くのかぁ」と思った経験あり。
餃子というと宇都宮が「もっとも餃子を食べている街」と数年やっていたワケですが、実際の事を言えば静岡市・浜松市がもっと多く食されているという事で、その辺の話は自著「静岡県の雑学」に書いてあります(って久々に自分が去年本を出したのを思い出した)
しかし、中国の食問題はどこへ行こうとしているんだろうか?

という事で、餃子についての雑学を書き並べようと思っていたんだけど、そっちの基本的雑学は「静岡県の雑学」にどん!と書いてしまったので、めぼしいネタがないや。

しかし今回のニュースで「本場中国の餃子!」ということで、中国で作った冷凍餃子を大量輸入しているって話だったワケですが、本来中国で餃子と言えば「水餃子」か「蒸し餃子」で、焼き餃子は本来「残り物を暖め直す時の調理法」で、日本で進化して発展した調理法。中国の作業員はあの焼き餃子のパッケージ写真を見てどう思っていたんだろうか。

餃子は紀元前6世紀頃の中国春秋時代に原型が考案されていて、8世紀唐時代に埋葬された墓跡から壷に入った餃子のミイラが発掘されている。と言っても、餃子を埋葬したワケではなく、その亡くなった方が大好きだったんじゃないかと、いう感じなのだ。

で、日本で一番最初に餃子を食べたのは誰だ?という話題になると、おそらく九州とか沖縄地方ではないかと思うワケですが、歴史上の人物って事では毎度おなじみの水戸光圀さんが該当者です。
でもって、これも雑学での定番中の定番、中国から亡命してきた儒学者・朱舜水が作り方を伝え…という物。つまりラーメンと餃子の製法を日本に持ち込んで、珍し物好きの御老公水戸光圀に食べさせたって事なんすかね。

でも、朱舜水の本職は儒学者であって料理人ではないので、そこで食べたものが本当に本物なのかは不明の気がする。なんとなくこんな感じって作った料理って感じ。
たとえば自分がいきなり海外に行った時に「おまえ、日本の料理をなんか作ってみろ」と言われ、「どうせ本物は解らないだろ」と、適当に肉じゃがとか、テンプラ辺りを作って出すことは出来る。そんなレベルかも知れない。
とりあえず当時の文献として、朱舜水が水戸光圀に餃子を献上したという文献と、中国のしきたり通りに新春になると御老公は餃子を食べていたと言うことが残されている。

以前、テレビ番組の企画で当時のラーメンと餃子を再現するという物があったんだけど、当時手に入れることが出来たハズの食材を揃え、おそらくこんな味ではなかったか?という事で料理をしていた。
それからすると、当時のレシピなどはハッキリ残っていないのだ。ついでに調理法も残っていないんじゃないかと言うことなのだ。
なんせ、そこで再現して食べていた餃子が、中身は別として、調理法が「焼き餃子」だった。
「焼き餃子」というのは、水餃子や蒸し餃子を翌朝食べる時に暖め直すあまりお勧め出来ない食べ方なのだ。
朱舜水が焼き餃子を水戸光圀公には出さないだろ。

ついでに中国の餃子の中にはニンニクを入れないのが基本。
工場で日本向けに冷凍餃子を調理していた中国人はどう思って作っていたんだろう。
ちなみに日本で混雑した状態を表す「イモを洗う様な」という表現、中国では「餃子をゆでる様な」という。

| | コメント (0)

« 2008年1月 | トップページ | 2008年3月 »