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2008年1月27日 (日)

蕎麦の雑学

王理恵が結婚を延期している問題(別に興味はないけど)の中で「結婚を考え直す事になった理由の一つに、ハワイでソバを食べた時、すする音がイヤだった」という物がある。らしい。
なんか王理恵自体はその話を否定しているので、よく解らないんだけど。


ちょいとネットを検索してみると、大量の「ソバを音を立ててすするのがどこが悪い!」みたいな論調を発見する事が出来る。
実際自分もそんな事で婚約破棄されてもなぁ と思いつつ「嫌いになると、何もかもが嫌いになる」という事例はあるので、それ以前に嫌いになっていたんじゃないかと思うわけです。

そのソバの喰い方でちょいと気になったのが、多くの人が憤慨していた「ソバは音を立ててすするのが日本的マナーだ」みたいな部分。
確かによくそう言われています。
実際に過去、一緒に食事をした人がこの話をいかにも「俺は蕎麦喰いの通だ」みたいな口調で論じ、その蕎麦を一気にすすり上げた。もちろん大音量と共に。
個人的には、食事中は出来る限り食べる音は立てずに願いたい(食事中の会話は好きなので大歓迎ですが)て感じ。

今回の「蕎麦をすする音がイヤなので結婚延期」という話の場合は、その王理恵さんがそこまで詳しい蕎麦通ではないとは思うんだけど、その話の中で「トロロと納豆をいれた蕎麦をすすった」みたいな話が出ていた。
そうかそうか。

しかし多くの人が勘違いしているのが「音をたててすする」のはツユにドップリ入り込んだ「かけソバ」ではなく、ざるソバや盛りソバのような「つけソバ」を食べる時のルールだと言うこと。
ソバというのは江戸っ子的に言えば「喉ごしと香りを味わう物」つまり、香りを味わうってのはつけソバの事で、暖かいツユなどでたべるかけソバなどは香りは二の次なのだ。

現在のようなかけソバが流行ったのが江戸時代の元禄時代(1688〜1704年)と言われていて、最初は冷たいツユにソバを放り込んだ物を食べていたのが、寒い時に暖かいツユを使い、しだいに現在のようになってきたのです。
もっとも江戸っ子の間ではかけソバは下品な食べ物と考えられていて、特に女性が食べるようなものでは無いとも言われていたそうです。

つけソバは濃いめのツユにちょこんとソバをつけ(江戸のツユはどうやら醤油のような濃さだったらしい)、ソバをすすり込む。
クチの中に、新鮮なソバ、濃いめのツユ、そして空気が入り、香りが鼻孔をくすぐるというのがソバ通にとっての最高の味わい方なのだそうです。

別の話では、このソバを一気にすすり込むというのは、歌舞伎の演目で実際にソバを食べるものがあり、そこで舞台という演出と、一気に飲み込むことで次のセリフを言いやすくするために、大きな音ですすり込み、それを見た人々が「これが格好いいんだぜ」と真似をして広めたという説もある。
江戸仕草という江戸時代のマナーみたいな物の中には「食事は音を立てずに」と言うことが言われており、ソバも例外では無かったそうな。

でもって、江戸時代の文献では「ソバを喰う時に粋がってことさら大きな音ですするヤツは田舎者」とバカにしていたらしい。
この辺の「ソバは音を立ててすする」というのは江戸時代から明治時代にかけては極一部の粋を気取った人々のお話だったのですが、大正時代にラジオ放送という物が始まってから、そこで落語家が「いかにもソバを食べている」というのを解らせるために、ことさら大きな音でソバを食べるシーンを演じて、世間一般に「ソバってぇのは大きな音を立ててすすり込む物よぇ」となってしまったらしい。もっと粋に言うと「たぐる」ですが。
かの柳家小さん師匠は「無理して音をたて一気にすすり込むより、普通に食ったほうが美味いに決まってる」「蕎麦はよく噛んで食ったほうがウマイ」などと言っていたそうで、ネタとして臨終の際に「一度でいいからたっぷりソバにツユをつけて喰ってみたかった」と言ったとなっている。

つまり、解りやすく言うと、
☆本来、音をたててすすっていいのは「つけソバ」(別にかけソバを音を立てずに食べろってワケじゃなく、ごく普通に食べる)
☆音を立てるといっても、ことさら大きな音を立てずに、ソバをすすり込むために出る音なので、しょうがないというレベルの音で。
と言う感じなんでしょうかね。

おそらく(と、逃げを打っておく)
こんな風にネット上で書いている人がいないので不安。(ソバとかにウルサイ人多そうだしなあ)

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コメント

同様な話、聞いたことあります。
・蕎麦は音をたててたぐるのが通、みたいなことを言われているが実際はカンチガイ
・付け蕎麦を味わうに当たって音が出てしまうのは不可抗力

後者は日本酒の利き酒などでズズズっと吸い込む(香りを見るため)のと似ていますね。
出典を出せなくてすみません。

自分自身はどうしているかというと、自分は音を立てないようにするけれど他人の音は黙認、です。

投稿: 西村 | 2008年1月28日 (月) 12時47分

検索してみると「音を立てるべし」が多いですね。同じくらい「そうは言っても不快」も多いようですが。

しょうがないレベル派
http://www.table-manners.net/3/7/
http://www.3daime.jp/back_diary42.htm
http://homepage2.nifty.com/zatsugaku/zatugaku/011209.html

投稿: 西村 | 2008年1月28日 (月) 13時04分

こんにちは。
私も食が好きなのでついつい持論をぶってしまいたくなってしまいました。
全面的に同感なんですけどね。
文化というものは合理性の上に成り立っていると思うんですよ。
食でいえばエネルギー摂取、生きることそのものが根底にあります。
薬味なども毒消しなどの意味を持っています。
作法も合理性から発生したものと思っています。
ですから蕎麦を上手においしく頂くために出る音は仕方ないが、音を立てることが目的ではないわけです。

粋に関して言えば、さりげないことが粋であって、粋を目指した時点で粋ではなくなります。
これは流行言葉が流行語大賞を取った時点で流行遅れになるのとちょっと似ていると思いませんか?

投稿: ぶく | 2008年2月 6日 (水) 16時15分

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