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2008年1月27日 (日)

蕎麦の雑学

王理恵が結婚を延期している問題(別に興味はないけど)の中で「結婚を考え直す事になった理由の一つに、ハワイでソバを食べた時、すする音がイヤだった」という物がある。らしい。
なんか王理恵自体はその話を否定しているので、よく解らないんだけど。


ちょいとネットを検索してみると、大量の「ソバを音を立ててすするのがどこが悪い!」みたいな論調を発見する事が出来る。
実際自分もそんな事で婚約破棄されてもなぁ と思いつつ「嫌いになると、何もかもが嫌いになる」という事例はあるので、それ以前に嫌いになっていたんじゃないかと思うわけです。

そのソバの喰い方でちょいと気になったのが、多くの人が憤慨していた「ソバは音を立ててすするのが日本的マナーだ」みたいな部分。
確かによくそう言われています。
実際に過去、一緒に食事をした人がこの話をいかにも「俺は蕎麦喰いの通だ」みたいな口調で論じ、その蕎麦を一気にすすり上げた。もちろん大音量と共に。
個人的には、食事中は出来る限り食べる音は立てずに願いたい(食事中の会話は好きなので大歓迎ですが)て感じ。

今回の「蕎麦をすする音がイヤなので結婚延期」という話の場合は、その王理恵さんがそこまで詳しい蕎麦通ではないとは思うんだけど、その話の中で「トロロと納豆をいれた蕎麦をすすった」みたいな話が出ていた。
そうかそうか。

しかし多くの人が勘違いしているのが「音をたててすする」のはツユにドップリ入り込んだ「かけソバ」ではなく、ざるソバや盛りソバのような「つけソバ」を食べる時のルールだと言うこと。
ソバというのは江戸っ子的に言えば「喉ごしと香りを味わう物」つまり、香りを味わうってのはつけソバの事で、暖かいツユなどでたべるかけソバなどは香りは二の次なのだ。

現在のようなかけソバが流行ったのが江戸時代の元禄時代(1688〜1704年)と言われていて、最初は冷たいツユにソバを放り込んだ物を食べていたのが、寒い時に暖かいツユを使い、しだいに現在のようになってきたのです。
もっとも江戸っ子の間ではかけソバは下品な食べ物と考えられていて、特に女性が食べるようなものでは無いとも言われていたそうです。

つけソバは濃いめのツユにちょこんとソバをつけ(江戸のツユはどうやら醤油のような濃さだったらしい)、ソバをすすり込む。
クチの中に、新鮮なソバ、濃いめのツユ、そして空気が入り、香りが鼻孔をくすぐるというのがソバ通にとっての最高の味わい方なのだそうです。

別の話では、このソバを一気にすすり込むというのは、歌舞伎の演目で実際にソバを食べるものがあり、そこで舞台という演出と、一気に飲み込むことで次のセリフを言いやすくするために、大きな音ですすり込み、それを見た人々が「これが格好いいんだぜ」と真似をして広めたという説もある。
江戸仕草という江戸時代のマナーみたいな物の中には「食事は音を立てずに」と言うことが言われており、ソバも例外では無かったそうな。

でもって、江戸時代の文献では「ソバを喰う時に粋がってことさら大きな音ですするヤツは田舎者」とバカにしていたらしい。
この辺の「ソバは音を立ててすする」というのは江戸時代から明治時代にかけては極一部の粋を気取った人々のお話だったのですが、大正時代にラジオ放送という物が始まってから、そこで落語家が「いかにもソバを食べている」というのを解らせるために、ことさら大きな音でソバを食べるシーンを演じて、世間一般に「ソバってぇのは大きな音を立ててすすり込む物よぇ」となってしまったらしい。もっと粋に言うと「たぐる」ですが。
かの柳家小さん師匠は「無理して音をたて一気にすすり込むより、普通に食ったほうが美味いに決まってる」「蕎麦はよく噛んで食ったほうがウマイ」などと言っていたそうで、ネタとして臨終の際に「一度でいいからたっぷりソバにツユをつけて喰ってみたかった」と言ったとなっている。

つまり、解りやすく言うと、
☆本来、音をたててすすっていいのは「つけソバ」(別にかけソバを音を立てずに食べろってワケじゃなく、ごく普通に食べる)
☆音を立てるといっても、ことさら大きな音を立てずに、ソバをすすり込むために出る音なので、しょうがないというレベルの音で。
と言う感じなんでしょうかね。

おそらく(と、逃げを打っておく)
こんな風にネット上で書いている人がいないので不安。(ソバとかにウルサイ人多そうだしなあ)

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2008年1月25日 (金)

何でも知っていると思うなよ!

日々、文章を書いたり文献を整理したり、まったくもって地味な日々を送っている。
と言いつつ現在の仕事の中心はラジオで喋ることとなっている。
平日の2時には必ず電話でラジオ出演となっているので、1日のスケジュールがそれを中心に組み立てられているような状態なのだ。


と言いつつ「私、今日からライターです」と自己申告した時点からこんなレギュラー仕事を持てるというのは本当に恵まれているのだなぁ
で、そこで日々雑学を喋っているのですが、そこでしゃべる雑学をちゃんと文字にして雑誌あたりに掲載するとなると、1回で1ページ以上の分量になる。実に不経済な雑学野郎なのだ。もっと薄めて雑学周辺の適当な話題を付随させれば、2回分の放送が出来るってのに。
実際、リスナーの人から「1回にしゃべる雑学の本数が多すぎて、覚えきれない」という苦情も寄せられているらしい。
う〜む、覚えきれないって人はいつかこのラジオでしゃべった雑学をまとめた単行本が出た時にヨロシクね! という事なのだが、そのためにはまず、その単行本を出してくれる出版社を探さなくてはいけないのだ。出版関係各位様、すでに単行本2冊ぐらい出せるほど原稿が溜まっております、出版したいというお問い合わせ大歓迎です。

そんな感じで毎日生放送のラジオ出演をしているのですが、生という事で「いきなり」な事も多々ある。
コーナー開始の2分ほど前に電話が掛かってきて、ディレクターが「今日の○○という雑学ですが、最後の〆の部分は○○○は○○○だった〜に変わりましたので、その雑学を強調するようにお願いします」などと軽い打合せがあり、コーナーが始まる。

しかし時々、「リスナーの方からこんな質問が来ているのですが、解りますか?」みたいな事を言い出される事もある。
こっちの頭の中は今日しゃべる事でいっぱいいっぱいの段階だってのに。
先日は、ラジオの中でスリランカの小学生に家で不要になっているボールペンを送りませんか?というキャンペーンをやっていて、それに関して「ボールペンを送ろうと考えているんですが、未使用なのに古くなってしまいつかないんです。これ復活させる方法ありますか?」というお便りが来ているので、答えられますか?と、本当に2分ほど前に聞かれ「あ・・・たぶん」と曖昧に答えたまま本番がスタートした。

そこで必死に頭の中にあった記憶をたぐり寄せ
「ボールペンが付かなくなる理由はだいたい2種類あって、1つはインクが凝固してしまった物で、これは軽く湯煎したり暖めると復活することがあります。2つめはボールペンのペン先に空気が入り込んでインクが出なくなる場合です。ボールペンは毛細管現状でインクが出るようになってますので、空気が入ると出なくなってしまうんです。そんな場合はゴムなどを使ってボールペンをプロペラのように勢いよく廻してやると、インクがペン先に片寄りインクが出るようになる事もあります」と一気に喋り切った。
これなんかは、あくまでもその場の記憶だけで言っているので「・・・だと思う」という状態なのだが。

さらに別の日は、やはり直前に「リスナーの方のお父様が年末に亡くなられたのですが、雛祭りや端午の節句などのお祝い事をやってもいいのでしょうか?」という質問をされた。
う〜む、自分はあくまでも「雑学」の人で、その内容も「あまり人が知らない意外な事実を紹介する」という本筋の話は知らなくても「面白い事実ならいいのさ」という無責任な状態でやっているワケで、そのような生活に役立つ豆知識とはちょっと違うんだよなぁ、と思いつつ、番組は本番へ突入した。
どうやら、一通りその日の雑学を喋った後にその質問が出るような感じで、番組はいつも通りに始まった。

前週に書いた原稿を読みながら(実際にはアドリブを入れたり、その場で若干ニュアンスを替えて文章で読んだ時と、言葉で聞いた時の微調節をしている)、でも頭の中ではその質問の答えを整理するという同時進行で放送が進んでいくのだ。
で、ひとしきり雑学をしゃべり、その日のまとめ雑学(一番ポイントになるネタ)をスタジオのテツさんが叫んだ後、「で、杉村さん、リスナーの方からこんな質問が来ているのですけど」とさっき聞いた「喪中の雛祭り、端午の節句はどうしたらいいのでしょうか?」という質問が始まった。

頭の中がプスプス言っている状態だが、質問内容がお父さんが亡くなったという話なので、声のトーンを若干落として神妙に答えた。
「親族の方が亡くなって1年間は喪中という事で年賀などは避けるのは有名ですが、それ以外の神事も同様に避けるという事になっています。しかし近年、神社や仏具店では喪に服すのは基本的に五十日祭(ごじゅうにちさい)と呼ばれる亡くなってから50日間とするケースが多いです。特に雛祭りや端午の節句、七五三などのような行事は亡くなった方も楽しみにしていた物だと思いますので、喜ばせてあげるためにも行っても構わないとされています」
などと語った。やはり頭の中では「・・・と思います」という状態だったワケです。
で、その日のコーナーの〆は「さすが!ということで、もし解らない事がありましたらドシドシお便りをお送り下さい。なんでも杉村さんが答えちゃいますので!」などという、とんでもない事を言われたまま終了した。

おいおい、自分は実生活では「使えないヤツ」と言われるほど、一般常識が欠落している男だぞ!

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「2時のうんちく劇場」

現在SBSラジオ静岡放送で月〜木曜日の2時から、その日の出来事や季節の話題をテーマに雑学をしゃべっています。
現在、マジにこれを出版してもいいよ!という出版社を探しています。


「2時のうんちく劇場」小冊子
2008012501現時点で放送は166回あり、1回の放送で5本ぐらい関連雑学を語っていますので、単純計算で830本ほどの雑学を語り続けていることになります。
で、それを編集した小冊子を3ヶ月ごとに作って、リスナー数名にプレゼント。あとは出版社へのプレゼン用資料として使っています。
この小冊子の中には放送でも喋っていない雑学もかなり追加掲載しているので、1回のテーマに対して7本から9本ほどの雑学が乗っている計算になります。つまり、単純計算で1328本。

とりあえず3月末で放送1年経過で約200回放送になって、小冊子には1600本の雑学を掲載するという感じになりますが、まだまだネタは尽きませんぜ。
ディレクターから(お世辞半分で)正月に予定していたコーナーが潰れて、そこで準備していた正月用原稿が読めなかった時に「来年(2009年)の正月に使いましょう!」と、正月早々鬼が大爆笑しちゃうようなことを言ってくれたので、延々とネタが尽きるまで続きます。

小冊子の中はこんな感じ
2008012502ネタに関しては、1つの雑学を検証するために自宅の蔵書を読んだり、図書館に潜ったりしている時、別のネタを何本も発掘できるので、おそらくしばらくは枯渇する事はありません。
ついでに現在、水面下で別の単行本の執筆に入っているのですが、そっちの方でもネタの重複はほとんどないワケで、この10年以上に渡って、メルマガを発行するため、サイトを構築するために準備していた雑学は、自分でも把握できないほどとんでもない事になっております。

興味を持ってくれた出版社の方がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡下さいませ。(自費出版除く)
この「2時のうんちく劇場」という単行本以外に、色々な企画があります。

メールはこちらへ<tisen@tisen.jp>へ!
雑学系ライター(初心者)杉村喜光「知泉」

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2008年1月23日 (水)

消しゴムの雑学

水曜日は7時からフジテレビで「ヘキサンゴン」で脳みそをアホ方面に下げて、8時からテレ朝の「クイズ雑学王」で雑学方面に修正するという、なんだかよく解らない状態になっている。


ずっと雑学を扱ってきて、最近困っているのが「一般的な知識の水準が解らなくなっている」という事かもしれない。
この水準の見極め方が物を書く時に重要で、少し緩くすると「そんなの誰も知っている」と言われ、ちょっと難しめの物を出すと「何を言いたいのか全然解らない」などと、どっちにしてもクレームをされちゃうのだ。
だから最近は「雑学の人」とバレているので色々な場所で雑学を垂れ流し、そこでの反応で「これは常識に近い雑学」「これは結構驚いて貰える雑学」というのを探っている。ウザくてゴメンね。

という事で「クイズ雑学王」を見ていたのだが、その中で「消しゴムが登場する前に鉛筆の字を消していたものは?」という問題が出た。
この流れだと答えは「パン」だなぁと言う事は解ったけれど、その中で劇団ひとりが「パン」という解答をして、さらにうんちくを語り出した
「そもそも食パンをなぜ「食」パンと言うようになったかというと、もともとパンは(鉛筆を)消す物として日本に入ってきて…」
で、会場はおぉぉぉ!と盛り上がり、答えの解説が始まった。

「消しゴムが登場する前のイギリスで鉛筆で紙に書いた字を消す物に使われていた物とはパンです。」さらに「当時は売れ残ったパンの耳を取って鉛筆を消す事に使っていました。そこで消すための消しパン、食べるパンを食パンとして言われるようになったのです」
凄く解りやすい解説で、納得出来る物なんですが、実際には微妙な答え。
確かにデッサンなんかでパンを使うというのは昔からあるけれど、現在市販されているパンはバターなどが多く含まれているので消しゴムの代用にはならない。

そもそもゴムが鉛筆で書いた物を消す事が判明したのが1770年イギリス。それが市販されたのが1772年。それから100年後は消しゴムもかなり進化してデッサンなどでも多いに使われるようになっている。
日本に鉛筆デッサンなどの西洋画の勉強が正式に入って来たのは、明治時代以降なので1868年以降。この時に消しゴムも一緒に入ってきている。
で、問題なのは「食パン」という言葉は日本語でありまして、大昔のイギリスの話はまったく関係なく、「消しパン」との差別化ではないという事。

日本でパンが最初に焼かれたのは伊豆の代官だった江川太郎左右衛門によって「軍隊食」としての実験で焼かれた物が最初。この江川さんは、観光地となっているお台場の名前の由来になっている砲台を設置した人(これも今晩の「クイズ雑学王」で出ていましたが)。
でも日本人の中で定着したパンは「あんパン」を始めとした「饅頭の代用食」みたいな状態。
そこでそれら「菓子パン」との区別をする意味で「本食(主食)用のパン」ということで「食パン」という言葉が誕生している(明治時代末期とも、大正時代とも言われる)。
これに関して山崎製パンを始めとしてパン製造メーカーは「主食用パン」説を採用しており、消しパンとの差別化というものは俗説としている。
だから「鉛筆を消すための消しパン」と「食べるための食パン」みたいな説明は間違いなのだ。

確かにパンを使って鉛筆の線を消すというのは間違いではないけれど、食パンの語源となってしまうと正しくなくなっちゃうのだ。
あれを見て「そうかパンで鉛筆を消せるのか!」と実際にやってしまう人もいるかも知れませんが、実際にはパンに含まれるバターなどで真っ黒になったり紙がボロボロになってしまいます。古くなって油分がとんでしまった物なら少しは使えますが。

ちなみに現在は「消しゴム」は一般的にはほとんど使われずに、プラスティック製になっている。名称として「プラスティック消しゴム」と呼びがちですが、ゴムじゃないので正式には「プラスティック字消し」。
このプラスティック字消しを開発したのは1959年、日本の「シードゴム工業」。
人々の前に大々的に出てきたのが1967年にトンボ鉛筆が高級鉛筆として発売した『MONO』にオマケとして付けた物が最初とされている。これがよく消えると話題になったので、1969年に単独商品として発売を開始して大ヒット商品となった。


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2008年1月21日 (月)

未来少年コナン(アニメに詳しくない人のアニメの想い出)

いきなり思い出したが、今年、2008年は核兵器を遥かに上回る超磁力兵器が使用されて、地球に大変動が起こって、大部分の大陸が海中に没する年だったのだ。
危ない危ない。もうそんな時代になっていたのだなぁ


20080122aって、上記の話は1978年にNHKで放送されたアニメ「未来少年コナン」での設定なのだ。
あの時は「少し遠い近未来」という事で放送から30年後の2008年に時代設定していたんですが、ふがふがしている間に時間が過ぎ去り、そのコナンが大活躍する時代がやってきていた。(実際に少年コナンはそれから20年後の世界ですが)
自分はこの「未来少年コナン」が放送されていた当時、すでに高校生でアニメを見るのは完璧に卒業していた(中学時代もほとんど見た記憶がないので、小学校で卒業という感じかも知れない)。

20080122bが、その高校時代。たぶん1978年頃、友人のヤマダ君が「俺、コマ撮りが出来る8ミリカメラ(ビデオじゃなくフィルム)を持っている」と言いだした事がキッカケで何故か「アニメを作る」という話になり、同好会みたいな状態でアニメ制作をしていた。
自分の中では「どうせ作るのならディズニーのシリーシンフォニーみたいな感じで行きたい」と思っていたんだけど、集まってきたのが普通にアニメを見ている連中で話が全然合わなかったのだ。

20080122eとりあえず周囲は「ヤマトが凄いぜ!」という感じで盛り上がっていたので、ちらっと見たけれど、SF的にセンスもワンダーも感じられず、頭を抱えてしまったのだ。ただの軍記物を宇宙に置き換えただけのアニメに熱中するのが全然理解出来なかった。(とは当時言えなかった)
そんな時に「未来少年コナン」も放送されていたので、話のネタに数回チラっと見たことはあるのでなんとなく話は理解出来ているレベルに知っている。でも、そ〜んなに入り込まなかった。
漫画は好きだし、SF小説は好きだったけど、アニメを見ることにはのめり込めなかったのだ。なんか自分は根底からオタクになる資質がない人なのかもしれない。

20080122cアニメをまとめたムック「ロマンアルバム」とか、アニメ雑誌「アニメージュ」とか、あと「ふぁんろーど」とかも一通り友人が持っているのを読んだので「知識」として色々な事が頭に入っているけれど、これと言ってハマるって事はなかった。
その中で唯一「おぉ!」と思って読んでいたのが、鈴木伸一氏が雑誌「アニメージュ」に連載していた「アニメ塾」(連載タイトル忘れたけど)だった。かのオバQの「ラーメン大好き小池さん」のモデルのあの人。あの連載でアニメの製作法を色々勉強した。

自分の場合はあくまでも「絵が動く」という部分でアニメを面白がっていたので、その後はかなり実験的な作品へ進んでしまった。
最終的に高校の文化祭で発表した物とは別に、個人的に発表する予定もなく地味にアニメにするための絵を、その後数年に渡って描き続けていた。
その作品は一般的なセルに絵を描いて、ポスターカラーなどで色を付けて、という作品とはまったく違っていて、パンチ穴をあけた紙に延々と登場人物の絵を描き続け、ついでに背景も全部細かく書いて…という物。今も倉庫のなかに段ボール箱3つぐらいにその時の絵があるハズ。最終的に2000枚ぐらい書いたが、結局は未完になってしまったのだ。

20080122d実に無駄な作業で、どうも「物を書いている」という作業が好きだったからの制作だっただ。本当に発表する気も無かったのかもしれない。
そのアニメはディズニーのシリーシンフォニーよりもっと古い、マッケイが作った『恐竜ガーティ』に影響されて作り始めた物で、きっと見ている人にはつまらない作品だったかもしれない。
当時、いわゆる「第一次アニメブーム」という波が起こっており、それの関連でNHKあたりで「アニメーションの歴史」という事で、『恐竜ガーティ』など、超古い作品も紹介していたので、それを必死に記憶した(ビデオのない時代なのだ)。

今思うと「もっとストーリーを考えて作ればよかった」と思ってしまうんだけど、『恐竜ガーティ』もストーリーを考えて作ったとは思えない部分が多いので、それはそれでいいのかも知れない。
でも、今から考えるとあの時も今も自分がやっている事は、徹底して自分の好きな事を追及するばっかりで、それで有名になろうとか、人より上に立とうとか、そーゆの全然ダメだなぁ。気持ちはあるけどヘタなのだ。オタクにはなれないけれど、ダメ人間ではあるのかもしれない。
ギターを弾き始めたのも、好きだった女の子の前でカッコつけたかったハズだったのに、いつの間にか作詞作曲することにのめり込んで、モーション掛けてきた女子を「面倒くさい」という理由で無視してしまうようになっていたので、本末転倒も甚だしい。

しかし、世の中で「才能」と呼ばれる物は、自己プロデュース能力も含めての言葉なんだろうなぁと最近つとに思う。そんな中、どうも自分は世渡りがヘタなんじゃないか?と今更気が付いた自分はぼーっとしながら途方に暮れているのだ。
こんな事なら超磁力兵器が使用されてほとんどの人類が滅亡しちゃった方がどんなに楽だった事かと。


※1914年作なので版権は問題ないと思うのでYouTubeをリンク
「恐竜ガーティ」1914年:背景もすべて1枚1枚書いた物



「恐竜ガーティ」1915年にセルが発明された後の作品、背景が別になる




恐竜ガーティを含めたアニメの進化の話は竹熊健太郎氏の「たけくまメモ」に詳しい
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/01/w.html


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2008年1月20日 (日)

宇沙美ゆかり「風のプリマドンナ」Vマドンナ大作戦

20080120a「えっと、あれ何だっけ?」と、そんなに特殊な事でもないのに思い出せない事がある。
昔好きだった曲のタイトルとか、忘れようがないハズなのに思い出せない。
そんな時はなんかずーっと頭の中にそれが引っかかって、嫌な感じで生活する事になる。
好きだった物自体を忘れてしまうほど忘れっぽくなってしまっているのに、その「忘れて思い出せない」という事が忘れられずに、数日間グジグジと思い出せない事を頭の中で反芻する。


で、さっき普通に文章を入力していた時に、昨年末に「あ・・・あのアイドルなんて言ったっけ?」と思い出せずにグジグジしていた名前を思い出した。
何かキッカケというワケでもない。それに関連した物を読んでいたとか書いていたというワケでもない。なぜかいきなりポツンと思い出したのだ。

20080120bその思い出せなかったアイドルは「宇沙美ゆかり」。
ほぉら、誰も反応できないレベルに知られていないアイドルでしょ。世間一般では「忘れた」以前に「知らなかった」という感じかもしれない。
で、困った事に今度は「その宇沙美ゆかりの名前を思い出すキッカケになったのは何の話題だったんだ?」という事を思い出せないのだ。
う〜ぬ。

という事で連想ゲームをして「たぶんこんな事だよな」と記憶を引きずり出した。
たぶん西部劇「荒野の七人」の原作は黒澤明の「七人の侍」という話から、日本でも「七人の侍」をモチーフにした映画があるよ、という事で80年代のアイドル映画「Vマドンナ大戦争」の話題が出て、えっと主役だったのは… という感じだったんじゃないかと。
その宇沙美ゆかりという今ではすっかり忘れ去られたアイドルが主役を張った映画。
内容は不良の吹きだまりとなっている高校で、生徒会長に雇われた7人の女子高生が番長連合と闘うという話。安易と言えば安易。

20080120c実はこの映画、1985年の作品でして、ほぼ同時期に斉藤由貴版「スケバン刑事」(1985年04月11日〜1985年10月31日)が放送されているんですが、スケバン刑事の主役第一候補が宇沙美ゆかりだったという話もある。
その主役選考をしている時、ほぼ同時期に「Vマドンナ大作戦」の企画も上がっていて、事務所的にはどうなるか解らないTVドラマより映画を選んだらしい。
当時は角川映画の全盛期で、薬師丸ひろ子を始めとした原田知世・渡辺典子で角川三姉妹が歌でもヒットを飛ばしていて「映画からアイドルが出る」という流れもあり、TVサイズのアイドルよりスケール感があるという感じだったのかも知れない。
でも明らかに選択ミスだったのだ。

20080120dそして、何よりこの映画が素晴らしいのがラストが夢オチだという事。ふっと目が覚めるとそれまでの話は全部夢だった…。そして気が付くと、その夢の中でリーダーだった女子高生(これが宇沙美ゆかり)が転校してくる。という、古いタイプの同人誌漫画にありそうな話。
そしてこの映画の脚本は第9回城戸賞入選作品で野沢尚が書いているというのも素晴らしい。(夢オチというのは映画化の時に付け加えられた物という噂もある)

宇沙美ゆかりは、映画ではあだち充原作の「みゆき」で三田寛子と共演して妹のほうのみゆきを演じ(監督はなんと井筒和幸)、月曜ドラマランドで柳沢きみお原作の「あ、MYみかん」の主役などもしていたし、歌も普通レベルに上手だった(逆に言うとクセがない)し、デビュー曲「蒼い多感期」はカネボウのCM曲だったりと、事務所も結構プッシュしていたハズなのにあまり売れずに芸能界を引退。

20080120e沖縄に帰って、お姉さんたちと喫茶店を経営していたとか、その後「ぶすっこくらぶ」というキャバクラを経営していたとか、なかなか実業家的に展開していたそうです(バブルでキャバクラは潰れたらしいですが)。いまは普通に主婦でもやっているんですかね。

というワケで、宇沙美ゆかりの事をぼーっと思い出している内に、今日本来書こうと思っていた事が何なのか忘れてしまったのだ。

宇沙美ゆかり Single
1984年03月21日:蒼い多感期
1984年06月21日:SHOCK!
1984年09月05日:ツライ・キライ・クライMAX
1984年11月21日:アルカリ少年-boy-
1985年06月05日:風のプリマドンナ
1985年10月05日:恋はDancing

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2008年1月17日 (木)

阪神淡路大震災の雑学

1995年1月17日午前5時46分、兵庫県南部を中心に阪神淡路大震災が発生した。


この火曜日の朝、出かける直前に付けたワイドショーで「関西地域で大きな地震が発生してビルの倒壊など被害が起こっています」みたいな事を言っていた記憶はあるのだが、自分はその地震の大きさを把握せずに「ふぅん」と思った程度でテレビを切って会社に出かけた。
それが朝、6時45分頃で地震からちょうど1時間経過した所だったのだが、あまりにも大きな地震で情報が錯綜しておりテレビ局も混乱していたのかもしれない。

その当時、自分はとにかくヘビーなサラリーマンをしており、週に1回2回は当たり前のように徹夜をして、それ以外の日は連日真夜中まで仕事をしていて、ニュースすらちゃんと見ることが出来なかった時期。前年に総理大臣が替わった時も「なんとなく知っている」レベルしか情報をチェックすることが出来ず、1994年4月28日〜6月30日という戦後2番目の短命内閣「たった64日間の羽田孜内閣」を知らずに終わってしまう程のヘビーな日々だった。
そのために、仕事中も雑談することすら無く、黙々と仕事をしていたため、朝ちょいとテレビで見た地震が「未曾有の大地震」だという事すら知らずにいた。

そのため、11時過ぎに家に帰りテレビを付けた時、画面に映し出された崩壊したビルの画像を「またボスニア辺りで紛争が起こっているのか」と思ったぐらいなのだ。
それが日本の画像だと知った時は激しいショックを受けた。
自分は静岡の伊豆に住んでいるために、子供の頃から比較的大きい地震を何度か経験してきて、時々「天城トンネルが地震で崩れた」とか「○○に断層が出来た」とかの話題をよく聞いていたけれど、あそこまでの凄い地震が発生するとは… と呆然としてしまったのだ。

と言うこともあって、1月17日のらぶらじで語ったのが「阪神淡路大震災の雑学」
ディレクターと「この様に被害甚大な事件を雑学として扱うのはマズイっすかね?」とメール交換をして「扱い方次第で大丈夫だと思います」となったので、色々ある雑学の中から「地震による教訓」みたいなネタをチョイスした。
1月17日(木曜)に喋るという事で原稿は前週に出来ていた。

という所でその前日、ぼーっとテレビを見ていたのだが、以前深夜番組だった爆笑問題が司会をする『クイズ雑学王』がゴールデンレギュラーになった2時間スペシャルが放送されていて…。
いきなり「水道でレバーの上下で水を出したり止めたりする物がありますが、過去はメーカーによって統一されていなかった水の出方が、2001年にレバーを上げると水が出るように統一されました、さてその理由は?」という出題があった。
あぁぁぁぁぁ! この問題は!

実は答えは「阪神淡路大震災で棚から色々な物が落ちてきてレバーを押し、水が出しっぱなしになった件が多かったので」という物で、翌日しゃべるハズだった物なのだ。
実はこの雑学はずっと前に出した単行本にも書いた物だけど、事情を知らない人には「ははぁん、クイズ雑学王を見て今日の雑学を考えたな」などと思われてしまうかも知れない。(自意識過剰)
ラジオで語る雑学は基本的に記念日やその日に起こった事件をネタにする事が多いのでしょうがないって部分もある。以前も「おはぎの雑学」を語った時に、午前中の番組でまったく同じネタが出てしまい、ドタバタした事も書いた。(2007年9月30日の「雑学差し替え大作戦」に書いてあります)
でも事情を知らない人には「ははぁん」なのだ。

ふぬ〜ん!と悩みながら「誰もそれを指摘しませんように」と願いつつ番組に挑んだ。もしかしたら番組への投書で「あの雑学って昨日のクイズ番組でやっていたでしょ」みたいな物もあったのかも知れないけれど、今回は耳を塞いでやり過ごすしかないのだ。
実に気の小さいチキン野郎であります。

以下はそれ以外の雑学(ラジオで喋っていない物もあり)

阪神大震災ではライフライン復旧に伴い、通電したことによる漏電など多くの火災が被害を大きくした。原因の一つに熱帯魚用のヒーターがあると言われている。実は熱帯魚用のヒーターは水の外では異常過熱するため。

しかし熱帯魚専門店で取り扱われていた大型のサーモスタットが被災地で活躍をしていた。ガスがなく電気だけなので、それでお風呂を沸かすため。

ちなみに、その教訓から現在販売されている熱帯魚ヒーターは全て、水の外ではスイッチが切れるような仕様になっている。

バーの上げ下げで水が出るタイプの水道器具は、昔は下にすると水が出るものが多かったが、阪神大震災以前はバーを上に上げると水が出るタイプが主流になった。地震で棚などから物が落ちてバーを押さえ、水が出っ放しになったケースが多かった為の変更です。

阪神大震災で被災した人に聞いたアンケート結果によると、地震後の意外な役立ち品として『ラップ』が挙げられている。炊き出しの料理とかを貰うとき皿を汚さないで済むため、貴重な水が節約できるので。

帝国鉱泉株式会社の三ツ矢サイダーは元々、大阪平野に湧いていた自然炭酸水に砂糖を入れたのがルーツ。その帝国鉱泉の現在の社名がアサヒビール。近年までその水は湧いていたが、阪神大震災で涸れてしまった。

阪神大震災当時、関テレでドラマ「三都物語」をシリーズ放送しており、大阪・京都篇は放送済みだった。最終話『神戸篇』を制作予定だったが断念し、舞台を奈良県にして脚本を書き直し『奈良篇』を制作した。

しかし基本設定の変更は無かったのでヒロイン西田ひかるが「子どもの頃から奈良のおしゃれな教会で結婚式を挙げるのが夢だったの」という、変な設定になっていた。


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2008年1月15日 (火)

草思社と新風舎

出版不況という言葉が聞かれて久しいけれど、今年は年始草々
1月7日:自費出版大手の新風舎が民事再生法申請
1月9日:草思社が民事再生法申請
という嫌なニュースが飛び込んできた。


草思社といったらここ数年「世界一受けたい授業」なんかでも話題になった斎藤孝「声に出して読みたい日本語」なんかを出していて、このシリーズは書店の目立つ所にどどんと何冊も置かれていたけれど、思ったより売れてなかったんですかね?
もちろん、単純な理由で民事再生法申請ってことではないんだろうけれど「間違いだらけのクルマ選び」なんかもあったのにねえ。
最近はヒット作にも恵まれず負債総額22億4700万円という物だったらしい。

アマゾンで草思社が出している本をザッと調べたけれど、自分的には1冊も買っていない事が判明。でも知られた出版社がこうなってしまった事には激しく危機感を覚える。
その中で「あ、懐かしい」と思ってしまったのがM.Scott Peck著『平気でうそをつく人たち』。
ってこの本も読んだことないんだけど、訳者の名前が森英明さん。知泉の歴史を2001年頃から知っている人には、とある事件を起こした「森くん」と同じ名前という事でごくごく一部で話題になった事がある。そうか草思社だったのかぁ。平気でウソをつく森くんかぁ。

20080115aもう一つの新風舎は出版不況とは関係なく「なるべくしてなったのかな」という印象を受ける。
ここは自費出版の大手で「表現する人の出版社」ということで、素人で本を出したい人が契約して出版するという、簡単に言ってしまえば自費出版の会社。
自費出版というと、自分で原稿を仕上げ、「100冊●万円」とかで印刷して、コミケなどで販売するという印象かもしれませんが、この新風舎はちょっと違う印象がある。

新風舎はアマチュア向けの小説や絵本など、年間20種類ほどのコンテストを行い「本を出したくてしょうがない素人」を集めている。
そんでもって、通常の出版社の場合はグランプリになった人の本を普通に出版するのだろうけど、ほとんどの応募者が1次予選2次予選などを通過し最終的に落選となる。
そこで担当者から連絡が入り「落選してしまいましたがアナタには才能があるとおもいます」と持ち上げられ「協力出版という形で原稿を本にしませんか?」という話に持っていくと言われている。

20080115bこの場合はあくまでも自費出版の会社なので「協力出版」とは「500〜800冊単位の印刷で費用100〜500万円を出していただければ出版出来ますよ」という話にもっていくのだ。
しかも「我が社のルートで全国800以上の有名書店にあなたの本が並びます」といううたい文句を付けて。さらに「初版はお客様の負担ですが、増刷がかかればそれが印税となります」という話も出てくる。

もっとも実際に800もルート書店があるのか不明ですが、実際にはほんの数件の書店に約1ヶ月ほど委託販売のような形で並ぶだけで、当然のことながら増刷がかかる事もない。
2005年8月3日の読売新聞のWeb記事「新風舎」松崎義行さんに聞く 存在感増す「共同出版」で「全国4カ所に直営書店を持つ」として「その一つ、東京・青山の「熱風書房」を訪ねると」と書いてあるんだけど、その熱風書房って新風舎と同じビルの1階にある書店で、直営店というより「新風舎の直売所」という感じなのだ。

ついでに「新風舎の絵本が皇室で読まれている」と言うのも最近の売り文句になっているんでしょうかね?(ニュースで報じられた画面上、愛子ちゃんが読んでいた絵本がそうだったらしい)

20080115cしかも今回のニュースで報道され解ったのが、あくまでも出版したのは新風舎なので出版された本の所有権は新風舎。作者が「本屋に並ばないのなら全部引き揚げて返して欲しい」と請求しても「全部買い取ってくれるのなら」と新風舎はそれに応じないという。
つまり最初に支払ったお金は「本を作るお金」ではなく「編集&流通代金」という事。通常の自費出版は金払って手元に現物の本が100冊とか届いて終わりなのだが、そうでは無いのだ。
そうなると、実際に印刷したか?すら怪しくなってしまう。日本で2番目に出版点数が多い(1位は講談社)ってのも「本当か?」って感じ。

実は、自分も今から5年以上前にメールを貰ったことがある。メルマガを出して順調に読者数が伸びて、まぐまぐの教養部門だったかで10位ぐらいに入ったりして、そこそこ話題になりはじめた頃。
「メルマガを拝見しました。とても優れたコンテンツだと思います。これを書籍化しませんか?」みたいな内容で。
もっとも、自分も出版関連の仕事をしていた端くれで、その手の自費出版業界の噂を知っていたのと、自分がやりたいのは自費で本を出して自己満足している状態ではなかったので、無視してしまった。

20080115dでも世の中には「本を出す」という言葉についフラフラと誘われてしまう人も多い。ネット検索してみると「ついに自分の本が新風舎から出ることになりました。○月○日に書店に並ぶ予定です」みたいな事を書いている人も何人かいて、あぁそうなのねと思ってしまう部分もある。
自分の場合は、最初の本を出した時は、いきなり二見書房関係から「本を出しませんか?」というメールを貰って話がスタートしたんだけど、その時は「どうせまた詐欺みたいな話だろ」と話半分でいた。
その後、こっちが1円も出費しない状態の出版というのが判明し、例の『知泉』に繋がっていったのだ。(騙されようにも金が無かったというのが幸いしたワケですな)

自主出版という形態は別に悪くないけれど「書店に並ぶ」とか「増刷されれば印税が」とかって話で釣るのは悪どいなぁと思うし、このシステムだと出版社は本が全然売れなくても損はしない。当然営業に力を入れる必要はなく「本を出したい」と考えている人がいる限り儲かるという状態なのだ。

20080115e新風舎に関しては現在、民事再生法申請中で、さらに訴えている人もいるんだけど、まだ本を出したいと思っている人もいるんだろうなぁ
今回は新風舎がニュースで取り上げられた状態になった事からこんな文章を書いてみたけれど、似たような会社はいくつもある。
でも、あくまでも「自分が書いた文章を本として残す」という人のためになっている自費出版社もあるので、一概にその手の出版社が悪いというワケじゃない事も勘違いしないで欲しい。

近年は「本なんて文化もう終わりだよ」なんて言う人もいるけれど、子供の頃から今に至るまで本が好きな自分としては、色々考えてしまった話なのだ。

※今回の件で新風舎の事を取り上げている多くのblogを読み込み過ぎて、考え込んでしまった。

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2008年1月10日 (木)

ナショナルがパナソニックに

松下電器産業が社名を「パナソニック」に変更するというニュースが飛び込んできた。


といいつつ、もうパナソニックというブランド名に慣れてしまっているので「ところでパナソニックって本当の社名って何だっけ?」と言われても、思い出せない時もある。
「えっとね、ナショナル…じゃないよな」となってしまう可能性もあるんだけど、その松下電器のもうひとつのブランド「ナショナル」は消滅して、社名もブランド名も「パナソニック」に統一されてしまう。

う〜むと思ってしまうのは、自著『知泉1』で書いた、ナショナルとパナソニックに関しての雑学がもう過去の物になってしまうという事なのだ。
『知泉1』が文庫本化される事はおそらく無いけれど、この5年の間に時代は色々変化して使えなくなってしまった雑学が増えてしまった。あ〜ぁ。

社名変更の事をニュースでやっていたんだけど「という事はこの曲も消えてしまうんですよね」と言って、おなじみの『明るいナショナル♪』が流れた。
その時にコメンテーターが口々に「懐かしいねぇ」などと言うのだ。
おいおい、未だにTBS月曜19時からの「水戸黄門」の時間帯では現役で毎週流れているって(ナショナル劇場は1960年に松本清張シリーズを放送し、ちゃんとしたレギュラーでは1964年の「七人の孫」あたりから現在に至るまで続いてる凄いスポンサー枠なのだ/放送時間移動はあったけど)。

20080110aでも確かに「明るいナショナル♪」は自分が物心付いた時から流れているCMなので消えてしまうのは寂しい。かといって無理にパナソニックという歌詞を入れても厳しい。
なんせこの曲はCM界の立役者、三木鶏郎の作詞作曲なのだ。これをヘタにいじっちゃダメでしょ。

三木鶏郎は戦後、米軍キャンプで演奏していたという、日本の戦後芸能界の定番パターンでキャリアをスタートさせている。その時にバンド名を聞かれてアドリブで「ミッキーマウス&ヒズ・オーケストラ」と答えたが「お前は人間だろ?ミッキーマウスは変じゃないか?」と米軍兵からツッコミは入ったために、音楽用の「トリル・TRILLER」から「ミッキートリル」と言い換えたという。
その後、戦後焼け跡の日本を歌った「南の風が消えちゃった」を作って、1946年にNHKラジオの『歌の新聞』に出演した。その時に名前を漢字表記で「三木鶏郎」と変え「みきとりお」と読ませた。が、「みきとりろう」と読まれてしまったので、そのまま通してしまったというのが名前の始まり。

20080110b今回の「明るいナショナル」も戦後のCM大ヒット曲だけど、1951年に日本初の民放放送局が誕生した時に、コニカが三木鶏郎に日本初のコマーシャルソングを依頼して『僕はアマチュアカメラマン』という曲が誕生している。(歌.灰田勝彦)
この曲が凄いのはカメラメーカーのCMなのに歌詞は「あらピンボケだ、あらピンボケだ、みんなピンボケだ♪」という、今だったらメーカーが絶対許可しないような物。ある意味、おおらかな時代だったんだろうなぁ。

三木鶏郎といえば、以前雑学として書いた「鉄人28号」のテーマ曲の作詞作曲も三木鶏郎。
こっちは歌詞の中にあった「いいも悪いもリモコン次第 鉄人鉄人どこへ行く♪」という部分が、スポンサーのクレーム「主人公が悪になってしまうという歌詞は好ましくない」ということで、放送される歌詞は2番の「敵に渡すな大事なリモコン 鉄人鉄人早く行け♪」になった。

三木鶏郎の周辺からは色々な才人が誕生しているけど、音楽にあまり関係ない人も出ているってのは「どんなヤツも来い!」って事なんすかね。苗字をそのまま貰った人には桃屋のCMでお馴染みの三木のり平なんて人もいます。
意外な人物には一時期バンドの楽器持ちをしていた人物で、落語家の林家三平もいる。
息子の林家こぶ平(現.正蔵)が「他の世界も経験しろ」と言われて演出家の喰始の所に居候し、WAHAHA本舗の設立に立ち会ったなんて話と同じ流れなんでしょうかね?

でもって、三木鶏郎の凄い所は常に斬新な物を求めて新しい音楽をずっと模索していた所。
CM曲にも色々斬新なメロディラインやリズムを持ち込んでいるんだけど、最晩年ともいえる73才の時、1987年にコンピューターという物で編曲が出来ると聞いて、それでアレンジを初めているという事。
自分も1984年頃からYAMAHAのMSXを使って出来たばかりのMIDI規格で編曲をしていたんだけど、三木鶏郎は本格的にアメリカからMacとシーケンスソフトを取り寄せて、英語マニュアルを読みながら打ち込み編曲をしていたという。
その時に作った曲データが残されているんだけど、中には明らかにテクノを意識した曲もある。凄い73才なのだ。
さらに、戦前の学生時代に書いた「クラリネット五重奏曲」の続きを第2楽章として新たに作曲編曲した物もある。

自分的には最大限に尊敬する音楽家の1人なので、三木鶏郎の「明るいナショナル」が過去の物になってしまうことに一縷の寂しさを覚えてしまう。

って、松下電器が社名変更するのは別に興味無いけど...というお話でした。

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2008年1月 9日 (水)

第1回らぶらじ静岡検定:追試

昨年4月にはじまったSBS静岡放送の「らぶらじ
パーソナリティは月火曜日は名古屋から鉄崎幹人(てっちゃん)、水木曜日は東京から杉原徹(てつさん)なので、「この9ヶ月で静岡の事をどれだけ理解しているか?」という事で、昨年末に『第1回らぶらじ静岡検定』というクイズを実施した。
前回のブログ


月火曜のパーソナリティ:小沼みのりさん
20080109bその成績が悪い方が罰ゲームを受けるという事だったのですが、なんと共に40点。同点で決着が付かなかったワケで、それ以前に10問中4問しか答えられないってどーゆーワケよ? という事で、年越しで追試を行う事になった。
しかし、ディレクターは罰ゲームの事ばかり考えていて、勝者のほうに何もご褒美を考えていなかったという、真性サドっぷりが炸裂していて、可哀想に思ったリスナーから「勝者にこれを上げて下さい」とプレゼントが届けられるという事になった。

水木曜のパーソナリティ:橋本奈都江さん
20080109cてなワケで、追試の問題。
前回はリスナーからも「ちょっと難しい」という声もあったので、今回はかなりゆるめに問題を考えてみた。
基本的に自分は雑学マニア的な傾向で問題をつくりがちなので「これは誰もが知っている前提」という部分でちょいと問題を捻ってみたわけです。が、静岡以外の人からしたら「何それ?」状態の問題もあるかもしれない。

問題1
日本の電気周波数は東は50Hz、西は60Hzと分かれていますが、その境界線は静岡県内にあります。その境界線はどこ?

問題2
2007年4月に政令指定都市になった浜松市。その浜松市の「浜松市市長」になったのは、なんというマンガのなんというキャラクターでしょうか?

問題3
静岡県出身の有名人は多いのですが、長澤まさみさんも磐田市出身です。さて、長澤まさみさんのお父さんの職業はなに?

問題4
静岡東照宮にある徳川家康が使ったとされる文房具は?
1.鉛筆
2.消しゴム
3.クレヨン

問題5
東海道新幹線から最もよく見えるお城として有名な、山内一豊が城主だった事もあるお城は?

問題6
徳川家康が命名したとされる静岡県の銘菓(お菓子)は?

問題7
静岡県静岡市にある区は3つ。「駿河区」「葵区」ともう一つは?

問題8
静岡県のサッカーチーム、ジュビロ磐田のチームカラーはブサックスブルー、それでは清水エスパルスのチームカラーは何色?

問題9
蒸気機関車が走っている事で鉄道ファンには有名な大井川鉄道。この大井川鉄道はJRの何駅が始発駅になっている?
1.島田駅
2.金谷駅
3.菊川駅

問題10
「夜のお菓子」というキャッチコピーで有名なウナギパイ。実は朝のお菓子、昼のお菓子もあります。その3つが詰め合わせになっている商品名は?
1.フルタイム
2.四六時中
3.24(トゥエンティーフォー)

今回は雑学的ではなく、静岡県にとっては常識的な部分を責めたので、あんまりネタ的に面白いものではないっす。
そんなこんなで、鉄崎さんは80点、杉原さんが30点ということで、罰ゲームは杉原さんに決定! というか普通、優勝した方が大々的にフューチャリングされるんじゃないか?という疑問は残りますが。

20080109aで、罰ゲームは静岡県の端っこの東海道本線駅(杉原の場合、東京からなので熱海駅)に番組がスタートする1時にスタンバイし、スタジオでふるサイコロの目の分だけ駅を進んで、そこで指令をこなし..を繰り返して、番組の3時間の間に静岡市にあるSBS本社スタジオまでに到着するという物。
ちなみに出演料は無し。
どんどん番組が悪のりしていく...。

p.s.
そー言えば、正月の2日、3日の事をメルマガで「どこの地域でも聞けますよ!」と煽っておいて、実際には高校サッカーが勝ち抜いたためにコーナーが無くなってしまいました。
メルマガを読んで「よっしゃ聞いてやろう」と思っていた方、すいませんでした。
でもって、その高校サッカーなんですがなんと決勝戦まで勝ち進んでしまったので(しまったのでって言い方はないか)、またしても平日に聞けるチャンスの14日(月曜日/成人の日で祝日)が決勝戦なので番組はなし。
すいませんすいません。

雑学コーナーをポッドキャストで聞けるようにするとか、そんな方向も考えた方がいいのかなぁ
と思いつつ「俺が本当にやりたいのは文章を書く方だぞ!」と思ったりするのであった。

答え1:C.富士川
解説:明治時代に関東がドイツ製、関西がアメリカ製の発電機をそれぞれ導入した事がきっかけで東西で違う電圧になりました。今は、自動的に電圧を感知して切り替わる方式の電化製品が多くなってきたので、不便はあまりなくなってきました。

答え2:天才バカボンのウナギイヌ
解説:1972年8月「土用の丑の日」に漫画「天才バカボン」に初登場しています。が、その時はバカボン一家に食べられてしまいますが、人気が高かったのでレギュラー出演するようになっています。

答え3:サッカー指導者
解説:元ジュビロ磐田監督・現在は常葉学園橘高校のサッカー監督

答え4:鉛筆
解説:日本にある最も古い鉛筆です。スペインの皇帝から贈られた物で、芯はメキシコ産。レントゲンで調べた所、二ヶ所芯が折れていたそうです。

答え5:掛川城
解説:近年、天守閣が再建された時、設計図が残っていなかったので同じく山内一豊が創建した高知城をモデルに立て直した。

答え6:安倍川餅
解説:家康が安倍川にある金山を視察したときに、餅にきなこをまぶし「金色の餅」として出したのが最初だと言われています。

答え7:清水区

答え8:オレンジ
解説:エスパルスのオレンジ色はミカンがモチーフと言われています。ちなみにジュビロ磐田のブルーは天竜川をイメージしているそうです。

答え9:金谷駅

答え10:フルタイム
解説:朝のお菓子:すっぽんの郷・昼のお菓子:えび汐パイ、それと夜のお菓子・ウナギパイです。ちなみにブランデーを加えた「真夜中のお菓子・ウナギパイVSOP」も発売しています。

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2008年1月 8日 (火)

DVDが困った事に…

ここ数年、ずっと地道にやっている物に「ビデオをDVDに変換して保存」という物がある。以前から何度もそれをネタに文章を書いている。
かつて書いた雑記『ビデオ→DVDの日々


整理中のDVD
20080108自分がビデオ(βなのだ)を購入したのはすでに25年以上前の話で、1982年10月のちょい前なのだ。
当時まだ高価だったビデオを購入したのは、音楽番組を録画したくて購入を検討していた所、「笑っていいとも」が始まるということで、タモリマニアだった自分は「昼の番組を見るためには…」という事で決断したのだ。
そこから延々と今に至るまで延々と音楽番組を録画保存し続けている。気が付いたら四半世紀も経っているんだけど、今となっては激しくお宝映像満載なのかも知れない。

1984年ぐらいから徐々にビデオテープが安価になってきた(と言っても今から比べたら激しく高い)のと、仕事を始めて夜遅くなる事も多々あったので、留守録にするようになり未編集でCMなどがそのまま残っていたりする。
1984年の「いいとも」も断片的に残っていて「日本に来たばかりで、今日初めてテレビに出ます」なんていう13才のリサ・ステッグマイヤーの映像が残っていたりする。当時のデイブ・スペクターは「デイブ・雄三・スペクター」を名乗っている。
もーYouTubeを探しても見つからないようなお宝ザックザク(そんな価値がある物ではないと思うけど)なのだ。

最初に買ったPanasonic DMR-HS2
2008108aで、しばらく手を付けていなかったのですが、最近「DVDのほうもなんか未整理になりつつある」という事で作業を始めた。
という所で困った事になっているのに気が付いてしまった。
ビデオからDVDに変換し始めた当初の物をチェックしようとすると、再生できないのだ。
というのもDVDというヤツは、ビデオと違って録画した物を最終的に「ファイナライズ」という物をやって「このDVDは録画終了しました」という状態にしないと、違う機種などでは再生できないのだ。

現在メインのTOSHIBA RD-E160
2008108b実は、今から5年ほど前に作業を始めた時に使っていたDVDレコーダーが「Panasonic」で、現在使用している物が「TOSHIBA」で、その最初に録画した物がファイナライズされていない場合、現在の機械では見ることが出来ない。
そんでもって、その頃ダビングしたDVDを見ると…、ことごとくファイナライズしていない。

その時は「別の機種買い換える事もそうないだろう」という考えと、ファイナライズだけで4分とか時間が掛かるので、大量にダビングをしなければいけないという事から、「ま、あとでやればいいや」と高をくくっていたのだ。
とりあえず、家電処理法がどーこーあったので最初のDVDも処分せずしまい込んであったので、それを再配線して使えるようにする。
もともと機種を変更した理由が「内蔵HD容量」と「編集の利便性」だったために、壊れてはいないのでなんとか使えている。

ファイナライズ
2008108cという事で、ビデオをなんとかしなくちゃいけないという理由で始めた作業が、現在はその前にDVDを何とかしなくちゃいけない状態になっている。
特にこの数年は以前に増して夜、早い時間に家に帰る事が困難になってきたので録画録画の連続、それをDVDに落とすの連続、結果として「何か音楽番組が録画されているけれど、内容不明」のDVDが大量になってしまった。
ついでに音楽番組じゃない物まで録画するようになっていて、ニュースとか、お笑い番組とか、とにかく雑多に録画して、DVDに残している。
ビデオテープをDVDにダビングして保存するという作業もまだ大量に残っている上、DVDの整理もしなくちゃいけなくなってしまった。

何してるんだろ、俺。


DVDの豆知泉

DVDは一般的に「デジタル・ビデオ・ディスク」の略と思われているが、現時点では「デジタル・バーサタイル・ディスク」の略。ビデオ以外のソフトやファイルの保存に使うために多目的、多用途の意味の「Versatile」になっている。

直径12cmのCDを再生させたとき、1分間でおよそ200〜600回転する。ちなみに、DVDではさらに早く、1,000〜2,000回転する。数が一定でないのは、外側の方が円周が長く、情報量が多くなるため。

世界で一番最初に発売されたDVDソフトは1996年11月7日、谷村新司の音楽ソフト「SHINJI RA MUNITA」発売はフジテレビ。

日本最初のアニメDVDは1997年1月1日「Ninja者」と言う美少女忍者の活躍を描いたOVA作品。東芝ENIから税抜き8544円(2話57分収録)

テレビアニメで最初にDVDとして発売されたのは1997年3月15日「ビート・エックス B'tX 1」と言う作品。TBS系で1996年4月から半年放送されていたアニメで角川書店が発売、税抜き4800円。同時にBOXセットも発売された、28800円

ちなみにDVDの普及ですっかり見かけなくなったレーザーディスク。このレーザーディスクというのは元々商品名で正式名称は『レーザービジョン』


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2008年1月 5日 (土)

関町物語(11)

みんなすっかり忘れていると思いますが「関町物語」の第11話です。(関町物語バックナンバー


ずっと書かなくちゃいかん!と思いつつ、色々忙しくて後回しになっておりました。
いやはや、去年11月に東京へ出かけた際に、友人R氏と「続き書こうぜ!なんだたっら俺背景書いちゃうぜ、ベタでもいいぜ!」と言う話になっていたワケですが。

という事で、今回の話はまだ物語が始まって1ヶ月ぐらいの話です。本気で完結するのか?と言う方もいるかも知れませんが、ここ数年昭和30年代ブームなので、あと15年後ぐらいに1980年ブームが来ると思うので、それまでにはなんとか…


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※「松田聖子:裸足の季節」1980年4月1日リリースのデビュー曲
※「岩崎良美:赤と黒」1980年2月21日リリースのデビュー曲
※牛丼:この時代吉野家は「牛丼一筋80年、やったぜパパ!明日はホームランだ」というCMで有名だったが、当時の学生の間では「松屋の方が味噌汁タダで付いてくるから」と経済的な理由で人気があった。というワケでもないが、この年、吉野家は7月15日に会社更生法を申請し倒産している。
※ほっかほっか亭:1976年に埼玉県で母体となる弁当屋が誕生し、1980年代に全国展開となる。ちなみに舞台となる関町にほっかほっか亭が登場するのは1981年の夏の事。
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※日本全国ひる休み:1980年3月31日に始まったフジテレビ12時台の番組。総合司会は押坂忍だが、漫画の中で勘違いしているのは「押坂忍が昼の番組を引き継いで新番組している」のではないという事。押坂忍というと「ベルトクイズQ&Q」の司会で1969年から有名だったのだが、1980年2月29日に同番組が終了している。実は「Q&Q」はTBS、「日本全国ひる休み」はフジテレビなので、昼の帯番組を10年以上続けて来た人が、その番組を辞めて1ヶ月もしないうちに別の局の昼番組の司会になったという事で当時色々と話題になった。
が、話題になっただけで半年で番組は終了している。
しかし、この「日本全国ひる休み」は色々な物を残している番組で、いまも続いている「スタジオアルタ」からの昼の生放送を始めた番組。そして番組レギュラーにツービート、ザぼんち、紳助竜介、B&Bなどなどを起用している事。
ついでに押坂忍はこの番組のアシスタントだった栗原アヤ子と後に結婚している。

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関町物語バックナンバー

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2008年1月 3日 (木)

トリビアの泉における大山のぶ代

「トリビアの泉」の単行本1巻をBOOKOFFで105円で購入し、ぼーっと見ていた。あの異常な雑学ブームからすでに5年か…。
あれに関しては色々ありましたが、もうすでに想い出でやんす。


大山のぶ代
2008010301で、その中にあった雑学
『ドラえもん』の声でおなじみの大山のぶ代は『太陽にほえろ!』の脚本家だった
という物があるんですが、それに関しては何度も大山のぶ代さんがテレビなどで語っていたので知っていたのですが、その解説文にちょいと疑問を感じてしまった。

※俳優座の養成所時代に、脚本家に「自分も書かせてほしい」と頼み、実際に書いてみたところ、内容が面白かったので採用された。
となっている。そんでもって、大山のぶ代さんが担当した「太陽にほえろ!」の5本の脚本なのですが、単行本には放送日時がかかれていませんが、調べると
1975年01月03日:第129話「今日も街に陽が昇る」
1975年06月27日:第154話「自首」
1976年02月27日:第189話「人形の部屋」
1978年02月10日:第289話「殿下と少年」
1978年09月08日:第319話「年上の女」
ついでに大山さんは他に大野しげひさ(走れK100)司会の「推理クイズ マゴベエ探偵団」のドラマ部分の脚本も書いている。

で、問題なのが解説部分で「俳優座の養成所時代」に脚本を書いて、それが採用されたって事になっているんだけど、1975年〜1978年の段階で大山のぶ代さんは39歳〜42歳ってところで、1956年からテレビに出続けていたハズなのにその時に養成所時代だったってのは考えられないんだけどなぁ
単行本では大山のぶ代さんがインタビューを受けている写真も掲載されているので、大筋では間違いはないんだと思うけど「養成所時代」とかの下りは誤解で、そんなまとめになってしまったんじゃないかと。

野沢雅子
2008010303ちなみに、その単行本の解説部には
※大山のぶ代さんは「ドラえもん」の声優としては2代目である。ちなみに初代は野沢雅子だった。
という事も書いてあるけれど、実際には3代目。
最初のドラえもんのアニメは現在のテレ朝ではなく日本テレビで、1973年に放送開始された時、本当の初代声優は富田耕生さん。
第13話まで富田さんで、いきなり第14話から説明もなしに野沢雅子さんに変わっている。
これに関してはネット内で「富田さんが交通事故に遭って急遽」と書かれている物を読んだ事があるが、富田さん自身はインタビューで「そういう事にしておきましょう」と言葉を濁している。

富田耕生
2008010302実は本当の降板理由は『裏番組「マジンガーZ」の悪役、ドクターヘルを富田耕生がやっておりダブルブッキングとなっていたため』。最終的に裏番組「マジンガーZ」の視聴率が高くて「日テレドラえもん」は惨敗してしまった。

ちなみにドラえもん関係で「ドラえもんの声優は現在まで何人?」というクイズでの答えは、ごくごく世間一般的には「大山のぶ代と現在の水田わさびで2人」となってしまうが、ちょっと知っている人は日テレ版を持ち出し「富田耕生と野沢雅子を加えて4人」となる。実はもう1人「誕生秘話で生まれたばかりで声が潰れていない黄色いドラえもんの声で高橋和枝」で5人(もしかしたら新ドラえもんの声つぶれてないバージョンの声優もあるかも知れない)。
ちなみに高橋和枝さんは長らくサザエさんのカツオの声をやっていた人ですが、初代カツオが大山のぶ代。


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2008年1月 2日 (水)

仕事始めは休止

レギュラーで出ているラジオ「らぶらじ」は大晦日まであって、年始は元旦休みで(放送自体はあったけどコーナーが無かった)仕事始めは2日からという事になっていた。


20080102001
が、大晦日に高校サッカーで静岡県が勝ち進んだために2日放送が中継のために無くなってしまった。つまり仕事始めからお休みなのだ。
※さらに勝ち進んだので3日の放送も休止となってしまい、本当の仕事始めは1月7日になってしまった。

と言いつつ、あくまでもラジオでの仕事としての仕事始めでありまして、来週分のラジオ原稿を書いたり、単行本準備としての下調べなどもあって、実質的には元日夜から仕事らしきことをやっている。
つーか、自室にいるとついつい仕事をしてしまうのは、それまでの生活が本職の会社員生活から解放されて自室に戻るとネットに発表する文章を書いたり、調べ物をしたりという状態だったために「自由な時間=書き物時間」となっているのだ。

本当は仕事とそうじゃない時間をカッチリと区別しなくちゃいけないんだろうけど、基本的に雑学系仕事が好きなので仕事という意識が低いのかも知れない。
今年はもっと「仕事」という部分で意識した文章を書かなくてはいけないのかもしれないのだ。

20080102002
今年は雑誌などへの連載(まだ無記名単発が多くて…)というのを第一の目標に掲げて前進あるのみなのだ。まだライターになって1年目だから、でかい夢なのかも知れませんが。
出版社の方々「!」と来ましたらお気軽に連絡を下さいませ。迅速に濃密な雑学原稿を書きます!
お仕事の依頼は<tisen@tisen.jp>へ!

おまけ雑学
本を購入したままで読まないで貯めている事を「積ん読-つんどく-」と言うが、これは専修大学創立者の一人、法学・経済学者の田尻稲次郎氏の発明した言葉。

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2008年1月 1日 (火)

あけましておめでとうございます

20080101
昨年はとにかく自分にとってターニングポイントになった年でした。
ついに文章を書く事を生業にしたという事が一番大きいワケですが、その最初の仕事がラジオでのレギュラー、って事でなぜか文章を書く仕事じゃない部分でのスタートでした。
とにかく試行錯誤の連続でしたが、この先も試行錯誤し続けていくと思いますので、今年もよろしくお願いいたします。


ラジオ「らぶらじ」の出演は昨日の大晦日もあって、実は2日からあるハズだったのですが高校サッカーで静岡が勝ち進んだために2日の放送は無くなりました。ついでに2日も勝ち抜くと、3日の放送も無くなってしまうわけです。
たしか、夏の高校野球のシーズンも同じようなことがあり、こちとら日銭で勝負しているワケで商売上がったりだぜ!などとは表面的に言えず「いやぁ静岡のチームが勝ち進むって嬉しいですね」などと言ったりするのだ。

しかし正月に絡んだ雑学を色々書こうと考えたんですが、この手のシーズン物雑学ってのは毎年言ってしまうので、「またそれ?」みたいな感じで心苦しい。
ついでに今年はラジオで「あけましておめでとうございます、え〜正月一発目の放送という事で、正月についての雑学を…」などと言う予定だったので、それらについて書くことも出来ない。と言いつつ、その予定の2日が潰れたワケですが。

という事で、その中で言おうとしていた雑学で「あけおめ」ってのがあります。
実は最近になって初めて聞いたもので
☆「あけおめ」という略し方が広まったのは、Every Little Thingの持田香織がカウントダウンTVの正月特番で使った事がキッカケ。
みたいな物がある。
う〜むそうなのか。

Wikipedia:「持田香織
>「あけましておめでとう」を略した若者言葉「あけおめ」を使用し、流行らせた人物である。
確かにWikipediaにもそう書かれている。
が、実際の事を言うと「Wikipediaを信用すると恐いよ」という話は業界的にかなり広まっている話。Wikipediaに書かれている事にはけっこう嘘、というか思いこみだけで書かれた項目も少なくない。
放送局での打合せでも、某出版社での会議でもその話題は出てきていた。出版関係では単行本を書いた作家の人がWikipediaの記述を丸々コピペしていた事が発覚して騒ぎになった事があるという話も聞いた。自分も気を付けなくちゃいけないのであります。

「あけおめ」に関してHatenaのキーワードでは
Every Little Thingのボーカルの持田香織や鈴木亜美(鈴木あみ)が、CDTVの特番で新年の挨拶に「あけおめー!」と言った事で広まったと言われる。
とされているのだ。
持田香織に続いて鈴木亜美も登場してきました。

とりあえず、持田香織(ELT)が出演したCDTVのカウントダウンライブは1997.1998.1999年の3回。
そんでもって2ちゃんねるの過去ログで、2000年12月30日の書き込みで「持田香織が年越しライブで「あけおめ〜」って言ったらしいね。」という物が残されている。
ついでに鈴木亜美のデビューは1998年なので、カウントダウンライブに参加したというのは1999年以降という事になる。
つまり、これらの情報から出てくるのは「あけおめが持田香織、および鈴木亜美によって使われたのは1999年」という事になるのだ。

とかなんとか書いてますが、実はその持田香織が「あけおめ!」と発言したカウンダウンライブを自分は直接見ていて、さらに「音楽番組をとにかく録画しまくる」という趣味がある私はそれも録画してある。
その発言の時にはすでに「今更あけおめかぁ」と思った記憶がある。
なぜならば、自分の場合、1990年代の中期からこの言葉をパソコン通信内で知っていて「うわ〜バカっぽい」と思っていたという経緯があるので、すでに使い古されたゴク一部の流行語って感じだったのです。
同じようなパターンでは2006年に流行語とか言われた「萌え」なんかも同じく10年以上前のパソ通で知った言葉だったり、オタク用語の多くがすでに10年前に出ているモノだったりする。
さらに、当時パソ通では「あけおめ、ことよろ」をさらに略して「あけおめ」の後に「こ」だけをくっつけるという、関西では絶対に言えない言葉も存在していました。

「あけおめ」に関してもっと遡ると、小学生ぐらいの頃、正月に放送された落語番組の中で「あけおめ」と略する事をやっていた。
もっと遡ると、江戸時代にすでに使われていたって事が判明しており、実はそんなに新しい言葉ではないって事なのだ。
だから、この数年、若者言葉的に「あけおめ」という言葉が使われているのは、リバイバルって事なのかも知れない。

という前提があって、ラジオでは
☆最近、正月の挨拶で「あけおめことよろ」などと言う人が多いですが、実はこの言葉は江戸時代から使われていた。
という予定だったのです。1つの雑学を語る裏にこんな調べ物が潜んでいる場合もあるわけです。
 そんなこんなで、今年も誰も気にしない部分の雑学をグジグジ掘り返していきますので、よろしくお願いしますです。

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