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2007年8月 6日 (月)

スパゲティ

本当に旨いスパゲティの堅さは中に1本芯が通っているような状態。これをアルデンテというのだ!
と、こんなことはすでに雑学でもなんでもない状態に一般的に浸透したお話になっています。


で、先日東京に行った時に駅前のスパゲティ専門店で昼食を食べたワケですが、そこのパスタがなんかやけに軟らかいのだ。
うぬぉぉぉぉ!俺が田舎者だと思ってバカにしとんのか?アルデンテで出すと「あのさぁこの麺、しっかり茹だってねえべ、なんかまだ中心が軟らかくなってねえべ、まだだべ」とクレーム付けるとでも思って、芯が残らないぐらいにグッツグツに茹で上げたのかぁぁぁぁあ!
とまでは思わずに、静かにスパゲティを食べた。

確かに、よく言う髪の毛ばかりの芯が残った状態という感じではないのだ。と考えていたら、その店は「自家製パスタで」などと書いてあるのを発見した。
なるほど、芯が残るってのは基本的に乾麺だからある話で、生のパスタではそんな事はないのだ。
と、実際にはどーか知らないが、机上雑学王の私は経験不足を勝手に「そうに違いない理論」でまとめて、静かに与えられたスパゲティを黙々と食べるのであった。

雑学ネタとしては、最初の単行本「知泉」に書いた物でこんな物がありました。
タバスコをピザやスパゲティにかけるのは日本人だけ!
この雑学を書いた時は、色々な資料を集め、最終的にはタバスコ社がアメリカで発行したパンフレットの記述を無理に英訳して確証を得たという物なのだ。
多分あの当時はあんまり知られていなかったハズなのだが、あの単行本が出てから半年間の間にTVでもそのネタをやっていたし、複数の雑学本で取り上げられるようになり、雑学では定番ネタになってしまった(別に俺が最初!って事を言いたいわけじゃなく、今あの本を読むと「これって誰でも知ってる常識」というネタになってしまっているという話)

しかし、それから数年経って事情が変わってきたのだ。
あの時点では海外で「日本人ってのはピザ・スパゲティにタバスコ掛けるっていうんだぜ、べいべ〜」となっていたのが、現時点では「観光マニアの日本人が日々訪れ、その都度に「タバスコないの?」と聞くので、ウンザリしつつタバスコも用意してんだぜ」という事になっているらしい(このらしいってのが机上雑学の私の逃げの手段なのだ)。そんでもって、その食べ方を日本以外の人も真似して「意外と旨いジャン」となって定着しつつあるらしいのだ。らしい。

ところがそれと逆行するかのように、日本では近年出来たようなオシャレさん御用達イタリアンレストランなんかじゃ「本格的イタリア料理にタバスコなんか使わないっすよ」という事で、タバスコ入店お断りの店が増えてきたというのです。
それが「なんかピシッと筋通っててカッチョいいじゃん」という事で、本格じゃない店でもタバスコ入店お断りになる店が増えているらしい。
う〜む、本場イタリアでは柔軟にタバスコを受け入れているのに・・・。

このスパゲティにタバスコという風習(というのか?)がいつ何処で発生したのか?という疑問がある。
タバスコの日本上陸に関してよく語られる雑学がある。
調味料のタバスコを日本に持ち込んだのはアントニオ猪木。
というもの。
実際の事を言えば、日本にタバスコが入ってきたのは(記録では)戦後すぐ、1945(昭和20)年に進駐軍が持ち込んだのが一番最初となっているので、1943年生まれのアントニオ猪木の幼児期に、すでに日本上陸しております。

ということで猪木氏の略歴を調べてみると、昭和18 (1943)年、横浜市鶴見区で生まれ、昭和32(1957)年、14歳の時に一家でブラジルに渡っている。
力道山が海外遠征でブラジルに立ち寄ったのが昭和35(1960)年、そこで猪木を見て天性の才能を見出し一緒に帰国、猪木少年16歳の時なのだ。
デビュー戦は1960年9月、相手は大木金太郎。同日ジャイアント馬場もデビュー。

猪木がブラジルから日本に戻って来たのは昭和35(1960)年の事で、その時16歳。もしその時にプロレスで一旗揚げてやろう!と思うのと同時に「タバスコで儲けるぞ!」と考えていたとしたら凄い商魂の持ち主なのだ。闘魂じゃなく。
しかし、この雑学で「ブラジルから帰国した猪木がタバスコを持ち込んだ」というのは「へぇ」と思う部分も多いワケですが、タバスコとブラジルかぁと納得する部分もあります。
でもね根本的な部分で多くの人が間違えているけれど「タバスコはアメリカ生まれの商品」なのだ。

19世紀アメリカの南北戦争終了後にルイジアナ州のエドムンド・マキレニー(Edmund McIlhenny)が作り出した激辛ペッパーソースで、タバスコというのもマキレニー社の登録商標でした。
で「タバスコ」ってのは辛い料理と言うイメージで勝手にメキシコにある州名をそのまま付けた物(この辺がメキシコやブラジルという連想になるのかも知れないけど)。
その為に「ただの地域の名前を付けた商品名は登録商標としてはふさわしくない」として登録を取り消された。
その後、マキレニー社はずっと商標論争を続け、1920年代にやっと「タバスコソース」というのは登録商標である」と言う結論を勝ち取っている。

話は元に戻りますが、昭和20年、アントニオ猪木は2歳だし、日本へ持ち込むにもまだブラジルに渡っていないし、そもそもアメリカの製品だし、と言うことなのだ。
それでもネット検索すると情報が混乱しているのか、とあるサイトには『昭和20年にアントニオ猪木が経営していたアントンフーズが輸入を開始する』とか書いてある。無理無理。

正しいタバスコ初上陸は進駐軍が持ち込んだ物というのは確実で、当時は軍料理の中でメキシコ料理が出される事があって、そこで使用されていたそうです。
で、とある貿易会社が大量輸入をしたのですが、それと前後して1952(昭和27)年進駐軍が日本から撤退する事が決定する。
「さて、この大量のタバスコ、どうしよう」という事で、頭を捻り「今、洋食って事でナポリタンが流行っているから、それに掛けるソースって事でどう?」となったらしいのです。
そこで東京中のスパゲティをメニューにしている食堂に「本場ではスパゲティにはタバスコを掛けて食べている」と、デマを流してタバスコを置くように仕掛けたのです。
さらに、サクラを有名食堂へし向け「なぜタバスコを置いてないんだ?この店は本格的だって聞いてきたのに」とクレームを入れ、タバスコを導入した店では他の客に聞こえよがしに「これこれ、これが無いと本場の感じが出ないんだよねえ」などと啓蒙活動をしたのです。
自分が物心付いた時にはすでにタバスコって物が存在していて、中学になった時におそるおそる掛けてみた・・・と言う記憶がある。
これがタバスコとスパゲティの出逢いと定着なのだ。

で、今回、東京で食べたスパゲティ屋にはタバスコは置いてあったが、さらにありゃりゃというのがスプーンがセットで出てきたという事なのだ。
回りを見渡すと、ちょっと小ぎれいなマダム(少し埼玉度数高し)がお上品にスプーンの上でフォークをくるくると回転させスパゲティを食べておりました。
このスプーンを使うってのも実際のイタリアでは「不器用な子供の食べ方」としてバカにされる食べ方なのだ。

もともと日本にスパゲティが入ってきた時ってのが、戦後のアメリカ軍の軍隊食だったと言われる。(それ以前の明治時代にもあったんだろうけど)
で、その軍隊の中には不器用な連中もいて、フォークだけでうまくスパゲティを丸め取る事ができなくて、幼児用の食べ方「スプーンを使って」をやっていたのだ。
それを見た料理人が「そうかスパゲティという料理の正式な食べ方はあれか!」と勘違いマナーが入ってきたのだ。

ついでにその時、アメリカ軍が作っていたスパゲティは大人数に一斉に作らなくてはいけないってことで、ミートソースを掛ける方式ではなくパスタにソースをあらかじめ混ぜ込んで出すという、下品な料理法だった。
が、そんな事を知らない日本人料理人は「パスタを茹でた物にトマトソース味を混ぜ合わせる」というスパゲティのレシピをありがたく日本上陸させたのだ。
それが日本にしかないスパゲティ料理「ナポリタン」なのだ。

ついでに、スパゲティに粉チーズをかけるという作法も日本で誕生した物。
だからといって本場イタリアが正解ってわけじゃないので、どーでもいいじゃん。日本人はアレンジ得意なんだよ!ビーフシチューを日本の材料だけで作って、気が付いたら肉じゃがが誕生していたように、美味しけりゃなんだっていいのだ。

と、その某駅前二階にあるスパゲティを食べながら、長く長く色々なことを考えたりするのであった。

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コメント

「俺が田舎者だと思ってバカにしとんのか」現象は、
上京したての頃、よくありました。

ある店でラーメンを注文したら、すり鉢に入れて出してきたんです。
「いくら器が足りないからって、すり鉢に入れて出すなんて!」
「俺が田舎者だと思って…」
なあんて、こっちの出身なんてわかるわけないのに、
怒りながらも黙々と食しましたよ。

「あたり鉢ラーメン」の存在、その時まで知らなかったっす。

投稿: えっち本 | 2007年8月 7日 (火) 08時24分

学生時代、学ラン姿で押忍オッスとやってた者です。
学校の近くにロイヤルホストなるでっかいレストランがあり、緊張しながら入りました。
「お前なに食う?」と先輩に言われ、文字だけのメニューから「ハンバーガーとライスごっつあんです。」と言ったらしばらくの間伝説になりました。(実際の話)
その後、友達とまたロイヤルホスト、「このウインナーコーヒーっての二つ。」商品が出てきて「ウインナーついてねぇじゃねーか!」と友達と二人で顔をみあわせました。(ほんとの話)
ほどなくして、学ランでの入店おことわり!のアナウンスがありました。
すべて事実にもとづいています。(その学校、世田谷区桜丘にあるんだよ。)

投稿: 黒服 | 2007年8月 7日 (火) 10時49分

>スパゲティに粉チーズをかけるという作法
昔の洋画でもウェイターに削って粉にしたパルミジャーノ・レッジャーノを山盛りに乗せさせる場面がありましたし、ミートソースに粉にしたパルミをのせて風味を増すのは、現地にも合って、それをクラフトフーズ社製パルメザンチーズ発明した米国人が広めたような気もしますが…

投稿: 一見さん | 2007年8月 9日 (木) 10時42分

粉チーズはヨーロッパのイタリア料理店では
どこでもかけてくれるのですが(本場はどうだったか失念)、
あれも日本が発祥?
ただし魚介類のパスタにはかけない、などの決まりはありますが。

> パスタにソースをあらかじめ混ぜ込んで
出すという、下品な料理法
イタリアでも混ぜて出す料理とかける料理と両方ありますよ。
イタリア人のお母さんが作ってくれた家庭料理も、
混ぜたものが多かった気がします。

投稿: モニカ | 2007年8月18日 (土) 18時22分

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