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2007年8月31日 (金)

モンゴル滞在記

別に言いたい事は無いッス

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モンゴルの雑学
モンゴル帝国が中国を占領したとき、農地をすべて潰して放牧地にしてしまおうという意見があった。モンゴル人は根っからの遊牧民族なのだ。
モンゴル帝国はモンゴル語にあわせてウイグル文字を改良した専用の文字を作ったが、1世紀後には誰もまともには読み書きできなくなり、その文字は伝説となってしまった。現在でもその文字で書かれた文章の多くが解読されていない。
15世紀、世界で最も優れた天文学の知識はモンゴルにあった。サマルカンドに天文台を作って正確な製図と惑星運行表を作成したもので、ヨーロッパに知られる事無く運用されていた。ヨーロッパで初めてモンゴル天文書が英語に翻訳されてその凄い技術が知られたのは1665年。しかし、その間にヨーロッパでは望遠鏡が発明されており、価値あるものでは無くなっていた。
もともと馬は、ロバなどと同じようなサイズで人間を長くは乗せられない小さな生き物だった。現在の乗馬用の馬はモンゴル地方の遊牧民により改良されたものと言われている。

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2007年8月23日 (木)

登る女

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2007年8月22日、世田谷区の住宅街にあった電力会社の鉄塔に登った若い女性が降りることが出来なくなって、レスキュー隊が出動する大騒ぎになった。


女性は約55メールの鉄塔の頂上部まで登っていたが、その服装はキャミソールとショートパンツ姿、オレンジ色のバッグを抱えており、裸足だった。
送電線には15万ボルトの電流が流れている事から一時期送電を止めるなどの騒ぎになったが、日付が変わり午前1時10分頃、地上10メートルまで女性が自力で降りてきた所で動けなくなり、そこで救出された。
鉄塔に登った理由は「男女間のトラブルが原因で、その勢いで登ってしまった」との事で「自殺も考えた」という。
レスキュー隊は、あの高さまで登るのはなんとか出来るが、自力でアソコまで降りてくるのは並大抵の能力ではないと感心している。

うーむ、極度の高所恐怖症の自分には考えられない話なのだ。
でも自閉症の症状の一つに「高さが自覚できなくなる」というものもあるらしい。すべての自閉症に現れる症状ではないですが、他者と離れたいという気持ちから高い場所に登ってしまうという症例があるという。

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2007年8月22日 (水)

風吹ジュン「愛がはじまる時」

000hubuki01ちょいと歌謡曲系の調べモノをしていて、全文検索でとある掲示板に迷いこんだ。
そこは歌謡曲について語っている掲示板だったんだけど、そこで語られている歌手の名前を見る限り自分より一回り年齢が上という感じの、ネットでは珍しい感じの場所だった(若いけれど60年代歌謡が異常に好きというジャンルの人々もいますが)。
でも、そこの掲示板を見ていて「う〜ん、なんか認識が違うなぁ」と思ってしまう事も多々。


000hubuki02話の中心として「昔はアイドル歌手と言えども下手な人はデビュー出来なかった」「今は見栄えさえよければ歌唱力なんてどうでもいいみたいだ」的な話題が中心になっていた。(同じ方向の人が集まっているので、議論にならずに「そうだそうだ」で終わっていた)
それは確かに世間の論調としてはよく耳にするモノですが、ハッキリ言ってそれは幻想というか、過ぎてしまえばすべて美化 みたいな感じですよ。
70年代のアイドル歌手と現在のアイドル歌手を比べるというのは簡単には出来ない部分がある。というのも70年代の歌謡曲って譜割りが単純で音程を追いやすいモノが多く、今みたいに細かく複雑なメロディはあんまり無かったという部分なんかもある。

000hubuki03で、歌手としての能力的に言うと、圧倒的に今の方が歌い慣れているという部分があるような気がする。それはあくまでもカラオケ歌唱レベルの話ではありますが。
で、70年代は下手な歌手がいなかったか?といえば、代表格に浅田美代子なんて人もいたし、今やアイドル歌手をやっていたイメージなんか無くなった風吹ジュンとか、他に栗田ひろみとか、ミミ(萩原)とか、松本ちえ子とか、大場久美子とか、能瀬慶子とか、ボロボロ出てきますがな。

000hubuki04この手の、世代間の相違ってのはどーしょーもない部分が大きくて、80年代に青春を過ごした人々が「最近のアイドルってなんかみんな同じに見えるよな」的な事を言っているのに対して、今の中高生が「80年代のアイドルってみんな同じ髪型してて(いわゆる聖子ちゃんカットを基準とした髪型)みんな同じに見える」と言っている。
つまり、自分の世代的認識以外は理解しがたいってのは当たり前の話なのだ。

90年代に小室系にハマっていた人にとっては、どれも同じと言われていた小室系の曲はどれもこれも独立した個性を持っている曲に聞こえるのだ。
自分なんかは物心付いた時から歌謡曲大好きで(というかオールジャンルの曲が好きなんですが)自分のリアルタイム以前の曲も中学高校時代から遡って聞いていて、今でも(流石に必死にリアルタイムにCDを買いあさる事はしてませんが)それなりに歌謡曲を聴いている。つまり、自分の親ぐらいの世代の歌手から自分の子供ぐらいの世代の歌謡曲までを延々と聴いているので、どれもこれも「時代的だよなぁ」と客観的に聞いているのかもしれない。
ヘタな歌手も「それはそれで個性」と思って聞いている(時には耐えきれないタイプのヘタな人もいるけど)。そして歌手的には音程怪しい・声量無しという歌手でも「表現力」のある人もいる。

でも最近は小手先が上手い人が(カラオケ慣れっすかね)多くて、圧倒的に全ての人に「ヘタだなぁ」と言われるアイドル歌手が少なくなったような気がして寂しいのだ。
吉川ひなの級の破壊力を持ったアイドル歌手って最近は聞かないなぁ。

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2007年8月21日 (火)

長寿記録

記録系雑学は一瞬先には塗り替えられている事がある。
と書いたけれど、この暑い夏、日本における長寿記録も色々変動がありました。


この2年ほどずっと「日本でもっとも長寿」という事で話題になっていたのは福岡県の皆川ヨ子(よね)さんだった。1893年1月4日生まれで、今年の1月に世界最長寿のエマさん(アメリカ)が亡くなった事から皆川ヨ子さんが世界一長寿という事になっていた。
が先日、2007年8月13日に老衰により114歳7ヶ月で死去した。
という事で同じく福岡県の中野シツさん(1894年1月1日生まれ)が長寿日本一になった。
が、わずか6日後の2007年8月19日に113歳7ヶ月で死去し、高知県の豊永常代さん(1894年5月21日生まれ)が日本でもっとも長寿となった。

現在、確実な記録として残されている長寿記録は1997年に亡くなったフランス人女性ジャンヌ・カルマンさんの122歳という物で、1986年に亡くなった日本人最長寿者・泉重千代さんは120歳で2位の長寿記録となっている。
泉重千代さんの話で有名なのは、世界一長寿になった115歳のとき、インタビューで「どんな女性が好きですか」と聞かれ「年上の女性」と答えた物。
他のエピソードでは、煙草は健康に悪いと言われているが、泉重千代さんは70歳からタバコを始めた。という物がある。

医学的な話で「まったくストレスも病気もない状態ならば、人間は120歳ぐらいまで生きる事が出来る」みたいな話を聞いたことあるけれど、歴代の日本長寿記録の多くが112〜114歳周辺でなくなっている事から、頑張って110歳って所なのかも知れない。
もっとも物心ついた時からジャンクフード大量摂取してきた自分みたいな世代は、この先いきなり「自然食が」とか、「スローフードが」とか、「ロハスが」とか、言いだしても長生きは出来ないかも知れないけれど。

そんな中、あと30年後が楽しみなのが現在79歳のドクター中松氏なのだ。
なんせ先日行われた都知事選挙の敗北後に「私は144歳まで生きることになっているから、まだ中年。都知事選にはあと16回挑戦できることになっている。その間にみんな死に絶えて、私が当選することになる」とインタビューに答えている。
その間に死に絶えてって、今回立候補した人はあと30年後には死に絶えているかもしれないけれど、110歳を越えた人に都知事をやって欲しいとは思わないよなぁ。

追加雑学的文章

長寿双子として人気者だったきんさんぎんさんは1892/08/01生まれ。
きんさん(成田きん)が2000/01/23に107歳で亡くなり、ぎんさん(蟹江ぎん)はその1年後2001/02/28に108歳で亡くなっています。

100歳を過ぎて人気者になった二人ですが、実はきんさんは少しボケ気味だったのですが、人気者になり忙しくなってからは、ボケ症状もなくなったそうです。

多くのTVやCMに出演してもさすがに達観していたので金に固執はせず、宮沢りえヌード写真集が発表された時にも「何億積まれてもわしゃ脱がん」と述べ「出演料は貯金して老後の蓄えにする」と答えていた。

ちなみに宮沢りえと貴花田が婚約した時は「そりゃよかった、お互い裸同士なのが良かったのではにゃあか」と答えていました。

きんさんの亡くなった2000/01/23には戦後日本を指導したマッカーサー元帥の奥さんジーン・マッカーサーさんも101歳で亡くなっています。

双子の世界最長寿記録はアメリカ・バージニア州のフィップス兄弟で、1803/02/14生まれで兄が1911/02/23に108歳9日で亡くなるまで二人健在でした。きんさんぎんさんより半年ほど長生きしたと言うことになります。

世界最長寿3ツ子記録はアメリカ・テキサス州のカードウェル家のフェイス・ホープ・チャリティの3人。
1899/05/18生まれでフェイスが1994/10/02に95歳で亡くなるまで3人健在でした。

かつて「100歳以上のお年寄りがたくさんいる村」ということで話題になった村がTVの取材を受けたりしていた。が、実際には戦時中に徴兵を逃れるために年齢をごまかし(20歳なのに40歳にしたり)たものが、そのまま継続されて年齢を重ねていただけという物が多数あった。

伝説的な長寿としては有名なのはウィスキー「オールド・パー」に名を残すイギリスの農夫トーマス・パーの152歳という物が有名。とりあえず、80歳の時に初めての結婚をして、102歳で婦女暴行で逮捕され、出所後に再婚し子供を設けたとされている。

さらに、トーマス・パーは150歳の時に国より長寿記念として終身年金を与えられそれでいい気になり毎日飲み歩き、それで胃潰瘍になって152歳で死去したというトンデモな伝説が残されている。

しかし実際には親子三代に渡り同じ名前を使っていた事から、後世に記録として152年も生きたようになっていたと言うのが最近の定説となっている。1483年〜1635年

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2007年8月20日 (月)

おーい、出てこい

原作は星新一ではありません。

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しかし朝青龍の引き籠もり事件の論調で「まだ若いのに相撲界全体を背負わなくなってしまったその重圧を考慮してあげなくてはいけません」みたいなのがあって、ちょっとおいおいと思ってしまった部分がある。
だって朝青龍はすでに26歳だよ。確かに重い物を背負っているかもしれないけれど、すでに成人しているんだからさ。
でも最初のサボってモンゴルに帰国してサッカーしていたのが発覚した段階で、記者会見開いて謝罪すれば終わっていた話なのに(その時にふてぶてしいとか書かれたとしても、強い悪役的横綱ってのはありだと思うので)、なんか出てくるタイミングを逃してしまったほど長引いている。


去年ボクシングのほうでも亀田長男の暴言とか立ち振る舞いが問題視された時も「まだ20歳前だから、ヤンチャなのはしょうがない」みたいな論調もあったけれど、社会人なんだし、プロの世界に入ったら上下関係は無いみたいな中で勝負しているワケで、そんな所だけ未成年を主張されてもなぁと思っていた。
成人式で暴れるアホな子と同レベルってのは自慢にはならないよなぁ。
朝青龍に関しては、なんか謝り処を見誤ってしまった感じが凄いする。

でもこれは20代の人に限った話じゃなくて、いい年をした大人なんかでもよく見受けられる。特に今は政治家のトップにいるハズの安倍晋三なんて人も色々なタイミングを見誤り続けている気がする。
ヨイショしてくれる仲間の間でぬくぬくして、周囲の声を聞かないってのは、ひきこもりと大差ないのではないか?
ゴメンと言えない往生際の悪さと、自分の足元が見えない大人ってのが最近のトレンドなんすかね?
そんな中、白い恋人の社長は発覚後の謝罪→辞任の決断が早すぎる気がして、逆に「おいおいもうちょと話を盛り上げてくれ」なんて、意地悪い事も考えてしまうのだ。
何はともあれ、朝青龍問題の決着の付け所はもう全然見えないなぁ

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2007年8月17日 (金)

色々炎上

00enjoふと、大昔に三遊亭円丈が大地真央と石野真子(たしかこの2人だったと思う)が怪獣になって闘うという趣旨の落語をやっていた事を思い出した。
もう話の細かいディテールは忘れてしまったけれど1980年前後だったか、そこまで新作落語って自由でいいのか?と思ったのだ。
というワケで、別に大地真央の話をしたいワケでもなく、石野真子の話をしたいワケでもなく、ましてや三遊亭円丈の話をしたいワケでもなく。
今日のテーマは「えんじょう」なのだ。


00daitima昨日書いた文章がひょんな事からひょんな事になり、いわゆる「Blog炎上」に近い事になってしまった。という事を話したいワケでもない。
昨日、とにかく暑いと思っていたんだけど、岐阜県多治見市と埼玉県熊谷市で観測史上最高の気温40.9度を記録したという、話なのだ。
それまでの記録は1933年7月25日に山形県山形市で記録された40.8度。
岐阜県の方は午後2時20分、埼玉県の方は午後2時42分に記録したということで、74年ぶりの新記録更新は岐阜県で、埼玉県は22分ぶりの記録同って事になるのだ。

00ishinoma雑学関係のネタで「山形県40.8度」というのは、大昔からどの本にも掲載されている物なので、昨日で一気に「古い記録」という事になってしまった。
記録物の雑学ってのは一瞬先には古くなるので常にチェックが必要なのだ。
前に書いたように「日本で一番長い駅名は『ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅』である」なんてのも今年の5月21日に色々な事情で古い雑学になってしまっている(5月18日の雑記

00enjo021933年山形県での40.8度はいわゆるフェーン現象によっておこった、内陸部でおこりやすい現象だったわけですが、実はかつて気象台では47.3度という温度が観測されている。
それは1923年9月2日の東京大手町にあった気象台での記録。
実はこの記録が観測されたのが、関東大震災の翌日。震災によって起こった火災で巻き起こった熱風によるもの。もっともこれは特殊な条件により記録されたものなので公式記録ではなく、参考記録となっています。

他の参考記録では
1923年8月6日、徳島県鳴門市区内観測所の42.5℃。
これは当時、気象庁が民間に委託して記録していた物で「観測所気象月報」に記載されている。
これに関してはその真偽が問われているために現在は参考記録扱いで、公式記録には出てきません。「気象庁監修 気象業務支援センター発行 気象年鑑参照」
2004年7月20日、東京都足立区東京都環境科学研究所の42.7℃
この時、千葉県牛久でも40.2度、東京都大手町でも39.5度という記録を観測しているが、この記録は色々な条件が重なったもので、公式記録としては認められていない。

そんなこんなで、あの有名になったアル・ゴア著の「不都合な真実」の中では、アメリカでも年々最高記録が更新され続けている事が書かれている。
ちなみにその中にあるものでは、2005年7月19日・ラスベガスでの47.2度とか。
自分が子供の頃は「将来地球は氷河期に向かっていくであろう」みたいな事が書かれていて、寒がりの自分は恐怖を感じた物だけど(本当に地球的スケジュールではこの先、氷河期に近づいていくハズらしい)、こうなってしまうとは・・・。
氷河期の時は、若干無責任な考えで「でも自分が生きている間は危機的状況にはならないもんね」と高をくくっていたワケですが、この急激な温暖化は激しく恐怖心を感じてしまうのだ。

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2007年8月16日 (木)

カレーのきしめんが エノキ冷麺

カレー味のきしめんを食べるような人はエノキが入った冷麺を食べる人とは、上手くつきあえないみたいですな。

朝5時台に蒸し暑くて目が覚める。
こうも蒸し暑いと思考が停止するどころか
結線エラーを起こすみたいで、
薄暗いカーテンの向こうを見て
「いつしか寝込んで、夕方になってしまった」
と勘違いし慌てて起きる。
時計を見ると5時、本当に夕方なのか朝なのか
解らなくなり、しばらく茫然自失。
早く起きてしまったので、
途中まで進んでいた来週分の原稿を書き進める。

一段落した所でシャワーを浴び、朝7時朝食。
ヨーグルト、ブドー一房、パン一枚。
お盆が終わるといつも朝食はブドーだ。


200708161午前中、来週分の原稿を仕上げ、送る。
色々あって午後2時に日課の電話でのラジオ出演。
事前に渡した原稿があまりにも単純な箇条書きだったので、ついつい追加の雑学を挟み込みすぎて逆に密度が濃すぎてしまう。
これは自分の悪いクセだと反省。
そこまでサービスしすぎるとネタが勿体ないよ。
と以前言われた事を思い出す。
しかし、貧乏性なのか、少しでも隙間があると何か詰め込まないといられないのだ。

200708162放送終了後、三島の夏祭りに友人一家と共に出かける。
今年のような蒸し暑い夏に
ワザワザ人混みの中に出かけると言うのは、
愚の骨頂だとは思うが、
とりあえず少しぐらいは夏を実感せにゃ、
と自分でムリヤリ背中を押して出かける。

200708163恒例の頼朝行列は俳優の沢村一樹が
頼朝に扮して馬に乗っていた。
隣にいた老夫婦
「あれは誰だ?」
「お笑いの人じゃないの?」
沢村、とりあえずめげずに頑張れ。

200708167そこで「ところで『シャギリ』って
どんな漢字を当てる?」という話題が出たが、
これといった漢字が思い浮かばない。
そもそも「シャギリ」って何ンだよ、という状態。
後ほど調べて書くかも知れない。

200708166結局、頼朝行列を見送った後、
三嶋大社の中をぐるっと回り
ダラダラと帰ってきた。実に非生産的な行動。
あの暑さの中で何をしたいってのも思い浮かばない
結局、早々に祭から抜け出し、ファミレスに移動

200708164そこで2種カレー盛り合わせみたいな物を食べる。
暑い時にはメチャ辛いカレーに限るのだ。
そんなこんなで、
久々に何も得ることが無い日記を書いた。
ついでに「TVブロス」のロマンポルシェの連載を読む。
チュラチュラチュラチュラチュララ〜♪

200708168オボンボ、ボンボンボン♪
墓参り行ったか?
オボンボ、ボンボンボン♪
迎え火焚いたか?
オボンボ、ボンボンボン♪
線香あげたか?
オボンボ、ボンボンボン♪
送り火焚いたか?
オボンボ、ボンボンボン♪
お盆終了、また来年!


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2007年8月15日 (水)

黒い「白い恋人」

Shiroikoubito1もー北海道みやげって言ったら何も考えず「白い恋人」というのは、定番中の定番なのだ。
自分も何度も何度も食べた。
もっとも会社でのお土産が基本なので、食べたとしてもせいぜい1枚2枚で、飽きるほどまで食べたことはないので、何度も貰ってもOKなのだ。
その白い恋人が、10年ほど前から社長陣頭指揮のもと賞味期限をウソ付いて発売していたというのがこのたび発覚しちゃったのだ。
どうやら発覚のキッカケは「白い恋人発売30周年キャンペーン限定品」ってヤツが、思ったほど売れなかったので、その売れ残りを新しい賞味期限に書き直して再発売しちゃったって事らしい。


Shiroikoubito2「30周年キャンペーン」ってのが2006年5月から2007年4月末まで続いていて、その後の返品が4328個、それを包装し直して再発売しちゃったワケで、それが発覚したのは6月下旬に社員と思われる人物によるメール告発。
今の時代、昔みたいに憤慨した社員の声なき声を上層部がもみ消すなんて事は出来ないワケで、どの企業も隠し事が出来なくなっちゃっているって事を頭に入れておかなくちゃいかんのだよ。
そんなタイミングで、7月28日に製造したバウムクーヘンの一部から黄色ブドウ球菌が検出される騒ぎが起こっている。
さらに6月30日にアイスクリーム商品の一部に大腸菌が発見され、自主回収をしていた事も発覚。

Shiroikoubito3なんつーか、この手の事件って1つ発覚すると連鎖的に発覚するワケで、もしかして最初の賞味期限改竄がバレていなかったら、そっちの方も有耶無耶で消費者に知られずに闇に葬られていたんでしょうかね?
しかし、今年の初めにあった不二家の事件がもう遙か彼方の事件かのような感じになってしまった。まだ半年前の事件なのに。
不二家事件の直後に「ミートホープ」のとんでもない事件があったんだけど、さらに中国のトンデモ食品事件、さらに段ボール肉まん事件(これも真偽が不明っぽいですが)と人間の想像を遙かに凌駕した事件が起こってしまったので、霞んでしまうのもしょうがないっす。

Shiroikoubito4おかげで「白い恋人が10年前から賞味期限をごまかしていた」という事件も「でも食べられるものを発売していたんでしょ?じゃ、さほど問題ないじゃん」レベルの感覚になってしまったんじゃないかと。
しかし「白い恋人」ってネーミングが良かっただけで、実際の事をいうとそんな特殊なお菓子じゃないっすよね? 
とりあえず困ってしまうのは「定番のお土産がなくなったので、お土産を買う時に悩まなくてはいけない」って事ぐらいっすよね。

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2007年8月14日 (火)

反「阿久悠」的

作詞家の阿久悠が8月1日に亡くなった。
色々書きたい事があったけれど、その思いは複雑すぎて、そして大量すぎて書き始めるのを躊躇して今に至ってしまった。


00aku00その突然の死を伝えるTVニュース、ワイドショーをいくつか見た。
その中では判を押したかのように「偉大なる作詞家」「昭和歌謡史を作り上げてきた巨人」みたいな扱いをしていて、その早すぎる死を残念がっていた。
きっと、自分もその現場にいたらそれに乗っかったように「えぇそうですね、自分なんか物心付いた時から阿久悠さんの詩があって、色々なキラキラ輝く万華鏡のような世界を楽しませてもらいました」なんて事を語り、それなりに残念がってみせたかも知れない。
確かに「色々な世界を疑似体験させてもらった」という感じはウソではない。

堺正章「街の灯り」
00aku02でも実際の事を言うと、阿久悠の生前、自分は歌謡曲の話題を友人と語る時、阿久悠という名前が出てくると決まって「なんか阿久悠の詩ってさ現実感がないんだよね、男とか女とか人生観を語ったりするんだけど、なんか紋切り型で生身って感じがしないので、どうも好きじゃない」みたいな事を語っていた。そう、自分は阿久悠という作詞家をあまり評価していなかったのだ。
と言いつつその凄さはもちろん知っている。

ピンクレディ「UFO」1977年
00aku01かのピンクレディなんてのは、自分が一番生意気な中学生時代にブームが始まっていて、初恋の相手だった女の子が放課後、教室の隅で友達と踊りをレッスンしていたのをジットリと横目で見ていた記憶もある。
その異空間ともいうべき歌詞の内容は、阿久悠でしか作り上げる事が出来ない世界だったのかも知れないと、実際には思っている。
以前、書いた「ピンクレディ・フォロワー」という話での「キャッツアイ」とか「キューピッド」なんかの歌詞があまりにも現実を引きずったドロドロした恋愛物だった事を考えてみると、あのカラッとした非現実的な阿久悠の凄さは実感できる。

岩崎宏美「ロマンス」
00aku06しかし、当時の自分はその阿久悠の「リアリティの無い世界観」というのが大嫌いだった。
多くの人が阿久悠の詩に「リアリティを感じない」と言わないと思うけれど、中学から高校時代ってのはちょうど自分で作詞作曲をはじめた時期だというのもあったり、作詞家で一番好きだったのは現実的な学生生活の描写などが得意だった松本隆だった事もあって、自分の中で阿久悠の詩はすごく人工的な気がしちゃったのだ。

石野真子「日曜日はストレンジャー」
00aku08世間の評価としての阿久悠は「心に染みる詩をたくさん書いてきた」という部分が多いような気がするけれど、自分の中では「リアリティの無い、紋切り型の詩を書く人」というマイナス評価が大きかった。
それはピンクレディだけじゃなく、沢田研二の一連のヒット曲「時のすぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「ダーリング」「カサブランカダンディ」などでも、ダイレクトに心に響く言葉が饒舌すぎるほど羅列されていて、作品としてあまりにも完成度が高いって事が嫌だったんだろうなと、今さら感じている。(あと「男は」とか「女は」という紋切り型の定義も嫌いだった)
そこで語られる話が出来すぎているのだ。

山本リンダ「狙いうち」
00aku07今考えてみると阿久悠の特徴は「わかりやすさ」と同時に「強引さ」だったのかも知れない。
70年代の歌謡曲はフルコーラス3分以内という物が多く、イントロも短く、歌もいきなり始まり、いきなりサビに入るという展開が多かった。そのために当然の事ながら瞬時にして聞いている人をその歌詞の世界に引きずり込まなくてはいかけないのだ。
岩崎宏美の「あなたお願いよ、席を立たないで」という出だしも、石野真子の「あなたも狼に変わりますか?」という出だしも、桜田淳子の「ようこそここへクッククック〜」という出だしも、実によく出来た歌い出し。
あまりにもキャッチーすぎる。実に考えられている。
この強引さが嫌いなのに引きつけられるという、二律背反的な部分が自分の中では必要以上に「阿久悠のヤツめぇ」と思った部分だったのかも知れない。

桜田淳子「十七の夏」
00aku09先日、浜松での公開生放送の時、本番直前の前フリみたいな状態で静岡限定アイドル「オレンチェ」という中高生アイドルグループがピンクレディなどの曲を歌い踊っていた。
「オットコは狼なのッよ〜気ぃをつけなさッい〜♪」と。
それをぼーっと聞いていて、あぁここが凄いのかぁと思ったのは、リアルではないってのは「時代を超える」って事なのだなぁという事なのだ。
改めて聞いてみると、ピンクレディの曲の中には、古くなった単語がほとんど見あたらないのだ。今、現役の中高生が歌詞を見ても「古い」と感じる要素があまりなんじゃないかと思う。
それに比べて、松本隆を始めとしたリアルを追求していた歌詞は、そこはかとなく言葉選びや小道具に時代性が出てきて、どう聞いても「70年代ぽい・80年代っぽい」という印象を受けてしまう。
そこが阿久悠に対して感じていた「嫌い」だったんだろうなぁと改めて感じる。
阿久悠が亡くなった後に「時代を切り取った」という表現をしていた文章もあったけれど、阿久悠は時代を切りとったのではなく、時代を制したんだと。

フィンガー5「恋のダイヤル6400」
00aku0580年代、ちょいとしたことで自分が書いた詩を当時ビクターのディレクターだった飯田久彦さんに見てもらった事があった。
この飯田さんは元ロカビリー歌手で70年代はピンクレディなどを担当していた人で、当時はサザンオールスターズとか小泉今日子とか松本伊代とかを担当しており、その後SMAPや河村隆一も担当し、その後テイチクの社長に就任し、そこでいきなりインディーズ演歌だった大泉逸郎に目をつけ「孫」をヒットさせ、現在はテイチクの会長にまでなっている。ちなみにサザンの「チャコの海岸物語」で歌われているチャコとは飯田久彦のニックネームなのだ。
そこで飯田さんに「全体の流れの中で詩を作るのではなく、その一瞬一瞬で耳に記録される言葉を書いてほしい」「全体構造は矛盾していても、キャッチーな言葉だけが残るような仕掛けが歌謡曲には必要だ」みたいな事を言われた。
もっとも自分はどっちかというと青臭い文学青年的部分もあったので「音楽の詩と言えどもそれは1編の短編小説のような物で、その構造の積み重ねですべての言葉に意味が生じてくるのだ!」と実際には言わなかったけれど、心の中で反発的に感じていた部分があった。
でも、歌謡曲ってのは結局そうなんだよなぁとも実際には思っていた。
その「キャッチーさ」を違和感なく前面に出せていたのが阿久悠なんだろうなぁ。そして、その阿久悠の「わかりやすさ」がどうも文系の自分には苦手だったのかも知れない。

クックニック&チャッキー「可愛いひとよ」
00aku10キャッチーさでいうと「意味がないが実はキャッチー」という手法も生み出していて、フィンガー5の時に「♪リンリンリリンリリリリリリン」というスキャット変形ワザを繰り出して当時の小学生をメロメロにしておりました。
同じような時期にピンポンパン体操で「ズズズズンズズズズン、ピンポンパポーン♪」とか、山本リンダで「ウララ、ウララ、ウラウラで♪」とか、郷ひろみ樹木希林で「フニフニフニフニフニフ〜ニ〜♪」という無意味な擬音のしつこいまでのリピートを多用し、単純な繰り返しが大好きな子供は洗脳されておりました。
もっとも、自分の場合はこまっしゃくれていたので、ピンクレディ「渚のシンドバッド」の出だしの「アアアアァ〜アアアアァ〜アアアアァ〜♪」というのを聞いて「これって郷ひろみの誘われてフラメンコだよな」などと言っておりましたが。(こっちの作詞は橋本淳)

郷ひろみ&樹木希林「林檎殺人事件」
00aku04阿久悠が嫌いだった。という前提で書いているわけですが、書けば書くほど自分がかなりドップリ阿久悠の世界に浸ってここまで来ていると言うを再確認してしまうのも事実。
もちろん、阿久悠という人物が書いてきた詩のバックボーンは、作詞家から作家へシフトした以降に著した「歌謡曲の時代」「愛すべき名歌たち」「なせか売れなかったが愛しい歌(これはWebで読むこと出来ます)」などに書かれていて、その作詞家としての才能の突出した部分だけじゃなく、内面的な部分も窺うことが出来、子供心に「嫌い」と思ったのはかなりお門違いな部分だというのも分かっている。
嫌いだと言っている阿久悠の本をそんだけ読んでいるんだから、嫌いなハズはないし、未だにi Podに入っている70年代歌謡に阿久悠作もかなり含まれているワケで、実際嫌いじゃないだろうと自分でも薄々思っている(薄々じゃないよなぁ)。

ザ・タイガース「色つきの女でいてくれよ」
00aku03それはきっと、ひねくれた性格の自分にとって「あまりにも直球で剛速球の阿久悠」は認めちゃいけないほど大きすぎる存在なんだと思う。
自分が書いていた詩はどちらかというと「文化系」で、阿久悠の詩は「体育会系」なんだよな。
なんだか書けば書くほどまとまりがない文章になってしまう。こんなにまとまりがない文章になってしまったのも久々という感じ。
それだけでっかすぎる存在なのだなぁ と亡くなってみて再確認。

あべ静江「コーヒーショップで」
00aku11阿久悠以降の「非阿久悠的作詞」の、最初の完成形は松本隆周辺だったと思う。
歌謡界に大きく君臨していた阿久悠的作詞世界に反旗を翻し、文学的な心象風景を描き出そうとしていた作詞世界って、もしかしたら西遊記の孫悟空のように「阿久悠の手のひらの中でもがいていただけ」なのではないか? と思ってしまうほど、阿久悠の世界は懐が深いのではないかと、今さら感じているのだ。

うーむ、書けば書くほどドつぼにはまってしまいます。

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2007年8月13日 (月)

戦争とのらくろ

戦争に関しての話題はラジオでは喋りにくいって事で、とりあえず原稿は書いてディレクターに送ったのだが「案の定」
紙媒体と違ってラジオはもっと公共性が高いし、難しい部分があるワケで。
もちろん、自分なんかの戦争とまったく関わりのない世代が、その辺の話題を面白可笑しく語るってのもどうなのよって部分があるのだ。


00で、戦争に関係した話題として漫画の「のらくろ」ってのがありますが、あれに関して以前TVアニメなんかになった事に関して「あのような戦時中に何も知らない子供達を洗脳するために、戦意高揚のために書かれた漫画を今このように再び…」と憤慨していた評論家の文章を読んだことがある。
自分は田河水泡が書いた原作「のらくろ」は小学校の図書館で少し読んだことがある程度で、シッカリ全編を読んだことはないけれど、内容は戦争が出てくるけれどほのぼのとしているモノのような気がするので、戦意高揚って言われてもなぁって状態なのだ。

でも実際には第二次世界大戦中には多いに利用されたんだろうなぁと思っていた。
アメリカなんかでも、第二次世界大戦中にはミッキーマウスやポパイなんかもアメリカ軍に従事して戦意高揚を必死にアピールしていたんだから、日本ではのらくろなんかも…と思っていた。

001しかし実際には軍部ではのらくろを批判する意見が多かったという。
田河水泡は戦況を鑑みて二等卒として軍に入ったのらくろが大活躍し、どんどん昇格する話を考えていたらしいのですが、大尉から少佐に昇格する予定で話を書いていた所、その内容が軍部に伝わり「あのようなものが少佐に昇格するとは!かの漫画は軍を愚弄する内容である」と激しく批判され、漫画の継続さえ危うくなったという。
そのために、田河水泡の意見なのか軍部の意見なのかは不明ですが、のらくろは大尉で除隊をする。その後は大陸へ冒険をする話になっている。

002その後、表向きには「戦況厳しい折、紙資源の不足」との理由で連載が中止に追い込まれている。
だから「のらくろは戦意高揚に荷担した!」というのはお門違いの話、そこを糾弾するのなら、まずディズニーランドに出かけて「友好的なフリをしているネズミやアヒルどもは第二次世界大戦の時に日本を攻撃する戦意高揚に荷担したって事を知っているのだぞ!終戦記念日ぐらいは無料開放しやがれ!」とでも訴える方が正しいのだ(正しいか?)

のらくろ

かつてタカラの大ヒット商品に、音に反応して動く「フラワーロック」があったが、実はあの「音に反応して動くオモチャ」の第1弾は「のらくろクン」
※まず、動くギミックが出来た時に「どんなキャラにする?」という会議で、なぜか「のらくろ」という案が大プッシュされ、商品化された。

00_2その時、オリジナルの「のらくろ」じゃ受けないだろうという事で、のらくろの孫「のらくろクン」というキャラを作り上げた。当時放送されたアニメ「のらくろクン」はこの商品の企画があってムリヤリ田河水泡に許可を得て、製作したモノ。

実は田河水泡はアニメ「のらくろクン」は大嫌いだった。

00_3本編でのらくろは戦争末期に大尉で除隊。大陸で金鉱探しを始める。戦後、帰国してから旅館の番頭をする。その後、一時期探偵をして、現在は喫茶店のマスター。

自分が知っているのらくろは1970年にフジで放送された(1970.10.5〜1971.3.29:26回)のアニメだったんですが、調べるともっと前に単発で3回ほどアニメになっている事が判明。
1956年11月27日「のらくろ二等兵」(10分ぐらいの短編)
1956年11月28日「のらくろ一等兵」
1959年05月13日「のらくろ一等兵」(30分アニメ)

1970年のアニメは戦後復刻版の函入り本との連動って感じですかね?
孫が活躍する「のらくろクン」は、1987年10月04日〜1988年10月02日の一年間放送されたみたいです。

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2007年8月 9日 (木)

北京オリンピックまであと1年!

という事で、中国では盛大に盛り上がっていたみたいですが、マジに1年後に正常なオリンピックが開催されるんですかね?


別に、ネット内で意味不明な程に熱くなる中国や韓国を批判する連中に迎合する気はないけど、不安材料山盛り。
といいつつ、根本的に「スポーツ全然興味ない」というスタンスは自分の中に太く存在しているので「さてはて、どんなトンチキな騒ぎになりますかね?」というのが実際の興味の部分なのだ。実に性格悪い。

食の安全という部分がガラガラと揺らいでおりまして、段ボール肉まんに関しては「あの事件は面白可笑しいニュースを発信したかったTV局の捏造」という形で話は落ち着いた事になっているんだけど、それすらどうか?という疑問視になっている。
あと、この10年ぐらいの急激な工業的な発達のために大気汚染や水質汚染が著しいということで、あの空気の中でマラソンなんかが本当に出来るのか?とか言われている。
現にヨーロッパの国は「通常、大会の1ヶ月前から現地に入って時差の調整などをするのだが、あの空気の中に1ヶ月も滞在する事はできないので、直前までもう少し南のマニラとかに滞在して調整をする」みたいな事を表明している。
まったく中国ってヤツは

という論調で終わりにする事も出来るんだけど、現在の中国は見事に日本の戦後復興期をトレスしているかのような状態なので、批判することや笑うことで終わることができないのだ。
日本でオリンピックが開催されたのは1964年。この時代、日本は経済成長期でとにかく工業的にガシガシ行こうぜ!安全より利率だ!人権より儲けだ!という感じで、工場廃液でさえ当たり前のように河川に垂れ流し、下流は灰色をした灰汁のような泡が悪臭を放ちながら漂っていた。そこに川魚が死んで浮かんでいるのも「日常の風景」のように記憶している。
家庭の台所からも合成洗剤を使った後の水が直接川に流し込まれていた。

公害としては1956年に熊本で発症が報告された世界最大級の水銀汚染・水俣病。1965年に新潟で起こった水銀汚染事件(水俣と同様の症状だった為に「第二水俣病」と呼ばれる)。大正時代から続き、1970年頃まで続いた岐阜県の鉱山で起こったカドミウムによるイタイイタイ病。
大気汚染も1960年に始まり、1970年代初頭まで続いた三重県の四日市ぜんそくの元になった大気汚染などが有名。

自分の子供時代は「光化学スモッグ」なんて言葉が時々ニュースを騒がせ、ヘドロなんて言葉も毎日のように聞いていた気がする。
その流れを受けて、1971年に始まった特撮怪獣物ドラマ「宇宙猿人ゴリ」(その後改名し「宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン」さらに改名し「スペクトルマン」となった)では、物語のテーマが公害だった。
遠い星からやってきた科学者のゴリは「美しい惑星」と思って来た地球が実際は汚染にまみれているのを見て憤慨し、その公害を利用して地球を征服し、その後公害の無い地球に作り替えることを考えるのだ。
って、悪役のゴリって実は地球に優しい猿人じゃん、あの時、ゴリに征服されていれば地球の環境は良くなっていたのに・・・・。

というぐらいに、東京オリンピックが開催された時代の日本は中国の事を批判できないぐらいに大気も水質も汚染されていたのだ。
もっとも中国の場合、その規模が日本の10倍でドーンッなので、手に負えない事になりそうなんですけどね。
光化学スモッグという言葉は80年代中期には聞かれなくなり、今世紀になって久々に聞くようになってきたんだけど、これは中国の汚染が日本に影響を与えているという事らしい。
今年の夏、やっと青空&入道雲になったんだけど、昔に比べて空の青色がシャキッとしていないのも同様の理由らしい。

その「人海戦術的公害」というのは実際には今に始まった事じゃない。
かの万里の長城なんてのは何百年もかけ作られたんだけど、そこで使う天文学的大量のレンガを作るために膨大な木を伐採して、延々と伐採して、とにかく木があったら伐採して、を太古より繰り返して万里の長城を作り上げて来た。
その結果が、中国の西側に広がる膨大な砂漠だと言われているのだ。
昔の雑学で
☆宇宙から見える唯一の人工的建造物は万里の長城である。
というのがあったけれど、実際には万里の長城は何キロにも渡る建造物だけれど、その幅は数10メートルなので宇宙からは見ることが出来ない。宇宙どころかジェット機からも見えない。という事がハッキリ表明され、中国側も2年ほど前にそれを認めた。
が、実際のことを言うと「万里の長城の場所は宇宙から確認できる」のだ。万里の長城の西側には砂漠が広がっているので大地の色が全然違うので、建物時代は確認できずとも明確にその境界線が分かるという。
ちなみに中国の子供が水の絵を描くと水を「水色」では塗らずに黄色く塗るらしい。

しかし、今さら中国が「オリンピックの為に!」と大あわてしている感じがあるんだけど、北京オリンピックなんて2001年に決まっているんだから(日本は大阪を候補地に推薦していた)、今さらって感じなんだけどね。
さてはて、一年後どんな大会になるのか?
そして雑学ネタをどんだけ提供してくれるのか、根性悪い私は興味津々なのだ。

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2007年8月 8日 (水)

除草趣味

お盆間近という事でお墓の掃除などに出かけて来た。


そう信心深くもなく、日頃はすっかり祖先がどうしたこうしたを忘れているワケですが、こうやって年に1度2度ぐらいは先祖孝行しなくちゃと思うのです。
てなわけで、伸び放題になっている夏草をワッセワッセと刈り取っていく。
基本的に墓の敷地内は玉砂利が引いてあって、細かい雑草チョビッとある程度なんですが、敷地外が伸び放題となっている。誰の敷地でもないって事でそのまんまになってしまうのだ。
もっとお盆が近づくと檀家が終結して一斉草刈り&掃除大会が開催されるワケですが、それ以前に少しでも自分家の墓周辺だけは…という感じで、草刈りを続けた。

しかし、草刈りみたいな作業は無心になれるので、時にはいいなぁなどと思ったりする。もう汗だらだらで、時間も忘れて作業を続ける。
そんな中で「でも雑草っていうけれど、それは人間の単純なるエゴなワケでして、人間様が勝手に邪魔な物は雑草と名付けているだけで、そこで雑草と呼ばれている奴等にも種族を保存させなくちゃいけないという切羽詰まった事情があって頑張っているのではないか?」などと考えてしまう。

基本的にすべての事が人間目線で動いているような気になっている。
たとえば食べ物で「発酵食品」という物があるんだけど、システム的に対して変わらない物に「腐敗」という物がある。これなんか、人間が食べて大丈夫な物は「発酵」、駄目な物は「腐敗」と勝手に線引きしているだけなのだ。
雑草だって必死に頑張っているんだぞ・・・・・と思いながら、ワッセワッセと雑草を引っこ抜いている私がいる。

時々、この手の物で不思議だな?と感じてしまうものに、「除草剤」という物がある。いわゆる雑草を全て殺してしまうという植物界のリーサルウェポンなのだ。
ただその地にぱぁぁぁと蒔くだけで、数日後にはそこにあった雑草が死滅していう恐ろしい物なのだ。

いわゆるベトナム戦争なんかでアメリカ軍が使った最悪な兵器に枯れ葉剤という物がありました。これは基本的には人間を攻撃する兵器ではなく、ジャングルに隠れているゲリラ兵を見つけ出すために、一気にジャングルの木を枯らす!というのが目的で使用された物です。
その結果、ベトナム戦争が終わった後に人体に多大な影響を与えてしまい、日本にも来たベトちゃんドクちゃんなどのような悲劇を沢山生み出しました。
そこで使用された除草剤はとにかく毒素が強い物で、現在は使用禁止になっています。

で、現在、稲や芝などに使われる除草剤はかなり意味が違う物になっています。
稲など人間が食べるものに対して使ってもまったく影響がでない、自然界にもともとあるモノを使って除草剤が作られている。
よく考えると「雑草が枯れるのに、なぜ稲とか芝は枯れない?」と考えてしまうんですが、実はそこで使われる2,4-Dというのは基本的には植物の成長ホルモンなのです。
植物は、その生育のなかで成長ホルモンを発生させ「このタイミングで上に伸びる」「このタイミングで成長を止めて実をつける」と変化していきます。そのタイミングというのが植物のタイプによって違うのです。

稲や芝というのは「単子葉植物」といって、1枚の葉から芽が出て、葉先はまっすぐになります。
それに対して雑草の多くは「双子葉植物」といって、双葉の葉から芽が出て、葉っぱは全体的に丸く広がります。
つまり、現在、稲や芝に使われる除草剤は「単子葉植物」にはまったく影響がない成長ホルモンで、逆に「双子葉植物」にとっては成長を邪魔してしまう成長ホルモンなのです。
だから、雑草の中でも芝のような種類の成長は邪魔されないので、伸びてしまうのです。

なんてことをぼーっと考えながら、ただただ草を刈っていく理科的な夏の日なのであった。

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2007年8月 7日 (火)

「野球」誕生の雑学

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオでしゃべっていないネタを漫画形式で…。といいつつ、いつかこの雑学をラジオで喋る時もあるかもしれませんが。


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正岡子規の本名は「正岡常規(つねのり)」なのですが、この時代はまだ江戸時代の流れを汲んで、幼名という生まれて成長するまで別の名前で呼ぶ風習が残されていました。
幼名「正岡升(のぼる)」として、友人からはのぼさんと呼ばれていたそうです。

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ペンネームマニアののぼさんですが、もっとも古いとされる筆名は10歳ぐらいに考えた「老桜」、その後「中水」という筆名を経て、15歳ぐらいの頃に「香雲」。それ以外に「一橋外史」「迂歌連達磨」「猿楽坊主」「於怒戯書生」「花風病夫」「蒲柳病夫」「緩寛人」「莞爾生」「莞爾先生」「虚無僧」「桜亭仙人」「四国猿」「四国仙人」「士清」「子升」「舎蚊無二仏」「秋風落日舎主人」「丈鬼」「常規凡夫・情鬼凡夫(蒸気ポンプのもじり)」「情魔癡仏」「色身情仏」「青孝亭丈其」「仙台萩之丞」「走兎」「竹乃里人」「都子規」「盗花」「能球」「馬骨生」「薄紫」「八釜四九」「被襟生」「病鶴痩士」「浮世夢之助」「蕪翠」「風廉」「放浪子」「無縁癡仏」「無何有洲主人」「無茶苦茶散人」「面読斎」「野球」「野暮流」「有耶無耶漫士」「裏棚舎夕顔」「僚凡狂士」「冷笑居士」「弄球」「沐猴冠者」「漱石」「獺祭漁夫」「獺祭書屋主人(だっさいしょおくしゅじん)」「癡肉団子」「癡夢情史」「眞棹家」「饕餐居士」などなど。

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ベースボールを日本語訳した物でもっとも古いのが明治4年発行「和訳英辞林」の中にある「玉遊ビ」というもの。
実は、この時点ではまだ日本でベースボール自体が行われた事がなかったので、訳するほうもよく分かっていなかった可能性があります。
次に訳されたのが明治18年で2年前にお雇い外国人教師ストレンジが書いたスポーツ指南書「アウトドアゲームズ」の訳本「西洋戸外遊戯法」で、そこでは「打球鬼ごっこ」と訳されています。
のぼさんが「弄球」と翻訳したのが明治19年です。

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2007年8月 6日 (月)

スパゲティ

本当に旨いスパゲティの堅さは中に1本芯が通っているような状態。これをアルデンテというのだ!
と、こんなことはすでに雑学でもなんでもない状態に一般的に浸透したお話になっています。


で、先日東京に行った時に駅前のスパゲティ専門店で昼食を食べたワケですが、そこのパスタがなんかやけに軟らかいのだ。
うぬぉぉぉぉ!俺が田舎者だと思ってバカにしとんのか?アルデンテで出すと「あのさぁこの麺、しっかり茹だってねえべ、なんかまだ中心が軟らかくなってねえべ、まだだべ」とクレーム付けるとでも思って、芯が残らないぐらいにグッツグツに茹で上げたのかぁぁぁぁあ!
とまでは思わずに、静かにスパゲティを食べた。

確かに、よく言う髪の毛ばかりの芯が残った状態という感じではないのだ。と考えていたら、その店は「自家製パスタで」などと書いてあるのを発見した。
なるほど、芯が残るってのは基本的に乾麺だからある話で、生のパスタではそんな事はないのだ。
と、実際にはどーか知らないが、机上雑学王の私は経験不足を勝手に「そうに違いない理論」でまとめて、静かに与えられたスパゲティを黙々と食べるのであった。

雑学ネタとしては、最初の単行本「知泉」に書いた物でこんな物がありました。
タバスコをピザやスパゲティにかけるのは日本人だけ!
この雑学を書いた時は、色々な資料を集め、最終的にはタバスコ社がアメリカで発行したパンフレットの記述を無理に英訳して確証を得たという物なのだ。
多分あの当時はあんまり知られていなかったハズなのだが、あの単行本が出てから半年間の間にTVでもそのネタをやっていたし、複数の雑学本で取り上げられるようになり、雑学では定番ネタになってしまった(別に俺が最初!って事を言いたいわけじゃなく、今あの本を読むと「これって誰でも知ってる常識」というネタになってしまっているという話)

しかし、それから数年経って事情が変わってきたのだ。
あの時点では海外で「日本人ってのはピザ・スパゲティにタバスコ掛けるっていうんだぜ、べいべ〜」となっていたのが、現時点では「観光マニアの日本人が日々訪れ、その都度に「タバスコないの?」と聞くので、ウンザリしつつタバスコも用意してんだぜ」という事になっているらしい(このらしいってのが机上雑学の私の逃げの手段なのだ)。そんでもって、その食べ方を日本以外の人も真似して「意外と旨いジャン」となって定着しつつあるらしいのだ。らしい。

ところがそれと逆行するかのように、日本では近年出来たようなオシャレさん御用達イタリアンレストランなんかじゃ「本格的イタリア料理にタバスコなんか使わないっすよ」という事で、タバスコ入店お断りの店が増えてきたというのです。
それが「なんかピシッと筋通っててカッチョいいじゃん」という事で、本格じゃない店でもタバスコ入店お断りになる店が増えているらしい。
う〜む、本場イタリアでは柔軟にタバスコを受け入れているのに・・・。

このスパゲティにタバスコという風習(というのか?)がいつ何処で発生したのか?という疑問がある。
タバスコの日本上陸に関してよく語られる雑学がある。
調味料のタバスコを日本に持ち込んだのはアントニオ猪木。
というもの。
実際の事を言えば、日本にタバスコが入ってきたのは(記録では)戦後すぐ、1945(昭和20)年に進駐軍が持ち込んだのが一番最初となっているので、1943年生まれのアントニオ猪木の幼児期に、すでに日本上陸しております。

ということで猪木氏の略歴を調べてみると、昭和18 (1943)年、横浜市鶴見区で生まれ、昭和32(1957)年、14歳の時に一家でブラジルに渡っている。
力道山が海外遠征でブラジルに立ち寄ったのが昭和35(1960)年、そこで猪木を見て天性の才能を見出し一緒に帰国、猪木少年16歳の時なのだ。
デビュー戦は1960年9月、相手は大木金太郎。同日ジャイアント馬場もデビュー。

猪木がブラジルから日本に戻って来たのは昭和35(1960)年の事で、その時16歳。もしその時にプロレスで一旗揚げてやろう!と思うのと同時に「タバスコで儲けるぞ!」と考えていたとしたら凄い商魂の持ち主なのだ。闘魂じゃなく。
しかし、この雑学で「ブラジルから帰国した猪木がタバスコを持ち込んだ」というのは「へぇ」と思う部分も多いワケですが、タバスコとブラジルかぁと納得する部分もあります。
でもね根本的な部分で多くの人が間違えているけれど「タバスコはアメリカ生まれの商品」なのだ。

19世紀アメリカの南北戦争終了後にルイジアナ州のエドムンド・マキレニー(Edmund McIlhenny)が作り出した激辛ペッパーソースで、タバスコというのもマキレニー社の登録商標でした。
で「タバスコ」ってのは辛い料理と言うイメージで勝手にメキシコにある州名をそのまま付けた物(この辺がメキシコやブラジルという連想になるのかも知れないけど)。
その為に「ただの地域の名前を付けた商品名は登録商標としてはふさわしくない」として登録を取り消された。
その後、マキレニー社はずっと商標論争を続け、1920年代にやっと「タバスコソース」というのは登録商標である」と言う結論を勝ち取っている。

話は元に戻りますが、昭和20年、アントニオ猪木は2歳だし、日本へ持ち込むにもまだブラジルに渡っていないし、そもそもアメリカの製品だし、と言うことなのだ。
それでもネット検索すると情報が混乱しているのか、とあるサイトには『昭和20年にアントニオ猪木が経営していたアントンフーズが輸入を開始する』とか書いてある。無理無理。

正しいタバスコ初上陸は進駐軍が持ち込んだ物というのは確実で、当時は軍料理の中でメキシコ料理が出される事があって、そこで使用されていたそうです。
で、とある貿易会社が大量輸入をしたのですが、それと前後して1952(昭和27)年進駐軍が日本から撤退する事が決定する。
「さて、この大量のタバスコ、どうしよう」という事で、頭を捻り「今、洋食って事でナポリタンが流行っているから、それに掛けるソースって事でどう?」となったらしいのです。
そこで東京中のスパゲティをメニューにしている食堂に「本場ではスパゲティにはタバスコを掛けて食べている」と、デマを流してタバスコを置くように仕掛けたのです。
さらに、サクラを有名食堂へし向け「なぜタバスコを置いてないんだ?この店は本格的だって聞いてきたのに」とクレームを入れ、タバスコを導入した店では他の客に聞こえよがしに「これこれ、これが無いと本場の感じが出ないんだよねえ」などと啓蒙活動をしたのです。
自分が物心付いた時にはすでにタバスコって物が存在していて、中学になった時におそるおそる掛けてみた・・・と言う記憶がある。
これがタバスコとスパゲティの出逢いと定着なのだ。

で、今回、東京で食べたスパゲティ屋にはタバスコは置いてあったが、さらにありゃりゃというのがスプーンがセットで出てきたという事なのだ。
回りを見渡すと、ちょっと小ぎれいなマダム(少し埼玉度数高し)がお上品にスプーンの上でフォークをくるくると回転させスパゲティを食べておりました。
このスプーンを使うってのも実際のイタリアでは「不器用な子供の食べ方」としてバカにされる食べ方なのだ。

もともと日本にスパゲティが入ってきた時ってのが、戦後のアメリカ軍の軍隊食だったと言われる。(それ以前の明治時代にもあったんだろうけど)
で、その軍隊の中には不器用な連中もいて、フォークだけでうまくスパゲティを丸め取る事ができなくて、幼児用の食べ方「スプーンを使って」をやっていたのだ。
それを見た料理人が「そうかスパゲティという料理の正式な食べ方はあれか!」と勘違いマナーが入ってきたのだ。

ついでにその時、アメリカ軍が作っていたスパゲティは大人数に一斉に作らなくてはいけないってことで、ミートソースを掛ける方式ではなくパスタにソースをあらかじめ混ぜ込んで出すという、下品な料理法だった。
が、そんな事を知らない日本人料理人は「パスタを茹でた物にトマトソース味を混ぜ合わせる」というスパゲティのレシピをありがたく日本上陸させたのだ。
それが日本にしかないスパゲティ料理「ナポリタン」なのだ。

ついでに、スパゲティに粉チーズをかけるという作法も日本で誕生した物。
だからといって本場イタリアが正解ってわけじゃないので、どーでもいいじゃん。日本人はアレンジ得意なんだよ!ビーフシチューを日本の材料だけで作って、気が付いたら肉じゃがが誕生していたように、美味しけりゃなんだっていいのだ。

と、その某駅前二階にあるスパゲティを食べながら、長く長く色々なことを考えたりするのであった。

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2007年8月 5日 (日)

灯台もと暗し

静岡県の雑学(静岡新聞社より絶賛発売中!)」は自分がいままで収集してきた雑学だけでは埋まらずに、関係雑学を必死に調べ上げ、ふんがふんが言いながら編集したワケですが、そんな時に見つけ出す事が出来ず、出版した後に「あぁこんな面白く広げる事が出来るネタがあった」と発見しちゃうネタが出てくる。
実は前回の本「知泉」でも1の時も、2の時もボロボロあった。
で、今回もあったのだ。


静岡県がらみの人物って事で、戦中から戦後にかけて日本が世界に誇っていた水泳選手古橋広之進の話を本の中に書いてあるのですが(同じ静岡県出身の水泳選手・岩崎恭子の話と絡めて)、その中で戦後初のオリンピック(1948年ロンドン大会)には日本は出場拒否されたため、古橋選手は最盛期を逃してしまい、その後のオリンピックでは金メダルを獲得できなかった。
という話を書いたのですが、そのロンドン五輪に絡んでこんな事実が。

ロンドン五輪の開催日と同日に日本では「日本選手権」という競技大会が開催されており、そこで水泳1500メートル自由形で、古橋広之進が世界新を記録している。
遠いロンドンでオリンピックが開催された日、日本で「同日開催」ってあたりに「ばろーオリンピックがなんぼのもんじゃい!」という意図が見て取れるし、そこで世界新を出したってあたりが地味にいい雑学って感じなのだ。
もっともここで記録された「世界新」ってのは、あくまでも日本国内で計測された物で有る意味の国威高揚運動的意味合いがあって「ホントはどうなのよ?」的な部分も感じないワケではないっすけどね。

このネタの出典なのだが、実は自分がずっと書き続けている「知泉の出来事DB」なのだ。
もともと自分がメモしていた雑学を出版後に気づくなんて!なんてこった。
灯台もと暗しとはこの事なり。

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2007年8月 3日 (金)

エロセレブ!

未だにスパムメールが日々送りつけられてくる。


こうやってブログを書いて、さらにサイトを開設して、ついでにネット上にアドレスを公開していると、わんさかとスパムメールが届けられる。
通常の友達や仕事メールとは明らかにタイトルが違っているので、すぐ分かるのだが「相変わらずバカだねぇ」と思うぐらいで、本当にこれらを必死に送っている(自動的に配信しているんだと思うけど)連中ってどのくらいの実績があるんだろうか?と、その実情を知りたくなってしまうのだ。

最近は少しはタイトルに凝っていて「久し振り!」とか「この間の続きだけど」みたいな、友達装い型が増えている。
でも開いて見ると、いきなり「そこんなエッチなサイト見つけちゃった!どうも無料で全部見ることが出来るらしいよ、今のチャンスを逃すって無いっしょ?」みたいな、バカ丸出しの文章が展開されている。
なんか、もっと頭ひねりなさいな。

中には、3月末に「4月からのチャンス!」というメールが送られてきて、それから延々と4ヶ月間、7月中旬まで「4月からのチャンス!」が送られてきた。流石に8月に入ってからは無くなったけれど、来年の4月まで続けるかと思った。

で、この手のスパムメールに使われている言葉大賞を決めるとなったら、別に統計は取っていないけれど「セレブ」って言葉ではないか?と思うのだ。
もーバカの一つ覚えのようにセレブセレブと書き連ねている。こちとら生活の中にセレブなんて物は一切無いので、そんな言葉使ったこと無いのに。

今日来たスパムメールにもいきなり「今流行のセレブ!」と書かれてあった。
今流行って・・・・・少なくともセレブという言葉が使われ始めたのが、1990年代末だったので、10年ぐらいセレブ熱にうなされていると言うことになりますな。

でもって文面はまだ続く「ただのセレブじゃない!お金を持てあましたエロい人妻、その名も・・・・」と、引っ張ってデカイ文字で「エロセレブ!!!!!」とビックリマークを5個も連発してしまうのだ。
あったま悪〜〜〜っ!
で、この手のメールでは常に勘違いしているのが(世間一般もそうかも知れないけれど)「セレブ」ってのが金持ちって意味としか捕らえられないような状態。
実際にはセレブというのは「セレブリティ(celebrity)」の略で「有名人」という意味なワケですが、現時点でセレブというのは「金を持てあましている成金趣味の人」という意味ですか?

エロセレブがアナタを待っている!と書かれているのを見て「そうかそうなのか!待っているのか!」と大あわてで、そこにあるアドレスをクリックする人は現在日本にはどれぐらいいるのだろうか?
でもって、クリックしたがために「当サイトご利用有難うございます。使用料5万円を口座に振り込んで下さいませ。もし期日までに振り込みがない場合は法的手段を…」などというメールが届けられ、大あわてでそこに振り込みをする人はいったい何人いるというのだろうか?

なんか夏の蒸し暑さの中で、馬鹿な広告主の微塵も前頭葉を使用していない文章に、不快指数がさらに少し上昇するのであった。

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