作詞家の阿久悠が8月1日に亡くなった。
色々書きたい事があったけれど、その思いは複雑すぎて、そして大量すぎて書き始めるのを躊躇して今に至ってしまった。

その突然の死を伝えるTVニュース、ワイドショーをいくつか見た。
その中では判を押したかのように「偉大なる作詞家」「昭和歌謡史を作り上げてきた巨人」みたいな扱いをしていて、その早すぎる死を残念がっていた。
きっと、自分もその現場にいたらそれに乗っかったように「えぇそうですね、自分なんか物心付いた時から阿久悠さんの詩があって、色々なキラキラ輝く万華鏡のような世界を楽しませてもらいました」なんて事を語り、それなりに残念がってみせたかも知れない。
確かに「色々な世界を疑似体験させてもらった」という感じはウソではない。
堺正章「街の灯り」

でも実際の事を言うと、阿久悠の生前、自分は歌謡曲の話題を友人と語る時、阿久悠という名前が出てくると決まって「なんか阿久悠の詩ってさ現実感がないんだよね、男とか女とか人生観を語ったりするんだけど、なんか紋切り型で生身って感じがしないので、どうも好きじゃない」みたいな事を語っていた。そう、自分は阿久悠という作詞家をあまり評価していなかったのだ。
と言いつつその凄さはもちろん知っている。
ピンクレディ「UFO」1977年

かの
ピンクレディなんてのは、自分が一番生意気な中学生時代にブームが始まっていて、初恋の相手だった女の子が放課後、教室の隅で友達と踊りをレッスンしていたのをジットリと横目で見ていた記憶もある。
その異空間ともいうべき歌詞の内容は、阿久悠でしか作り上げる事が出来ない世界だったのかも知れないと、実際には思っている。
以前、書いた「ピンクレディ・フォロワー」という話での「キャッツアイ」とか「キューピッド」なんかの歌詞があまりにも現実を引きずったドロドロした恋愛物だった事を考えてみると、あのカラッとした非現実的な阿久悠の凄さは実感できる。
岩崎宏美「ロマンス」

しかし、当時の自分はその阿久悠の「リアリティの無い世界観」というのが大嫌いだった。
多くの人が阿久悠の詩に「リアリティを感じない」と言わないと思うけれど、中学から高校時代ってのはちょうど自分で作詞作曲をはじめた時期だというのもあったり、作詞家で一番好きだったのは現実的な学生生活の描写などが得意だった松本隆だった事もあって、自分の中で阿久悠の詩はすごく人工的な気がしちゃったのだ。
石野真子「日曜日はストレンジャー」

世間の評価としての阿久悠は「心に染みる詩をたくさん書いてきた」という部分が多いような気がするけれど、自分の中では「リアリティの無い、紋切り型の詩を書く人」というマイナス評価が大きかった。
それはピンクレディだけじゃなく、
沢田研二の一連のヒット曲「時のすぎゆくままに」「勝手にしやがれ」「ダーリング」「カサブランカダンディ」などでも、ダイレクトに心に響く言葉が饒舌すぎるほど羅列されていて、作品としてあまりにも完成度が高いって事が嫌だったんだろうなと、今さら感じている。(あと「男は」とか「女は」という紋切り型の定義も嫌いだった)
そこで語られる話が出来すぎているのだ。
山本リンダ「狙いうち」

今考えてみると阿久悠の特徴は「わかりやすさ」と同時に「強引さ」だったのかも知れない。
70年代の歌謡曲はフルコーラス3分以内という物が多く、イントロも短く、歌もいきなり始まり、いきなりサビに入るという展開が多かった。そのために当然の事ながら瞬時にして聞いている人をその歌詞の世界に引きずり込まなくてはいかけないのだ。
岩崎宏美の「あなたお願いよ、席を立たないで」という出だしも、
石野真子の「あなたも狼に変わりますか?」という出だしも、
桜田淳子の「ようこそここへクッククック〜」という出だしも、実によく出来た歌い出し。
あまりにもキャッチーすぎる。実に考えられている。
この強引さが嫌いなのに引きつけられるという、二律背反的な部分が自分の中では必要以上に「阿久悠のヤツめぇ」と思った部分だったのかも知れない。
桜田淳子「十七の夏」

先日、浜松での公開生放送の時、本番直前の前フリみたいな状態で静岡限定アイドル「
オレンチェ」という中高生アイドルグループがピンクレディなどの曲を歌い踊っていた。
「オットコは狼なのッよ〜気ぃをつけなさッい〜♪」と。
それをぼーっと聞いていて、あぁここが凄いのかぁと思ったのは、リアルではないってのは「時代を超える」って事なのだなぁという事なのだ。
改めて聞いてみると、ピンクレディの曲の中には、古くなった単語がほとんど見あたらないのだ。今、現役の中高生が歌詞を見ても「古い」と感じる要素があまりなんじゃないかと思う。
それに比べて、松本隆を始めとしたリアルを追求していた歌詞は、そこはかとなく言葉選びや小道具に時代性が出てきて、どう聞いても「70年代ぽい・80年代っぽい」という印象を受けてしまう。
そこが阿久悠に対して感じていた「嫌い」だったんだろうなぁと改めて感じる。
阿久悠が亡くなった後に「時代を切り取った」という表現をしていた文章もあったけれど、阿久悠は時代を切りとったのではなく、時代を制したんだと。
フィンガー5「恋のダイヤル6400」

80年代、ちょいとしたことで自分が書いた詩を当時ビクターのディレクターだった
飯田久彦さんに見てもらった事があった。
この飯田さんは元ロカビリー歌手で70年代はピンクレディなどを担当していた人で、当時は
サザンオールスターズとか
小泉今日子とか
松本伊代とかを担当しており、その後
SMAPや
河村隆一も担当し、その後テイチクの社長に就任し、そこでいきなりインディーズ演歌だった
大泉逸郎に目をつけ「孫」をヒットさせ、現在はテイチクの会長にまでなっている。ちなみにサザンの「チャコの海岸物語」で歌われているチャコとは飯田久彦のニックネームなのだ。
そこで飯田さんに「全体の流れの中で詩を作るのではなく、その一瞬一瞬で耳に記録される言葉を書いてほしい」「全体構造は矛盾していても、キャッチーな言葉だけが残るような仕掛けが歌謡曲には必要だ」みたいな事を言われた。
もっとも自分はどっちかというと青臭い文学青年的部分もあったので「音楽の詩と言えどもそれは1編の短編小説のような物で、その構造の積み重ねですべての言葉に意味が生じてくるのだ!」と実際には言わなかったけれど、心の中で反発的に感じていた部分があった。
でも、歌謡曲ってのは結局そうなんだよなぁとも実際には思っていた。
その「キャッチーさ」を違和感なく前面に出せていたのが阿久悠なんだろうなぁ。そして、その阿久悠の「わかりやすさ」がどうも文系の自分には苦手だったのかも知れない。
クックニック&チャッキー「可愛いひとよ」

キャッチーさでいうと「意味がないが実はキャッチー」という手法も生み出していて、
フィンガー5の時に「♪リンリンリリンリリリリリリン」というスキャット変形ワザを繰り出して当時の小学生をメロメロにしておりました。
同じような時期にピンポンパン体操で「ズズズズンズズズズン、ピンポンパポーン♪」とか、
山本リンダで「ウララ、ウララ、ウラウラで♪」とか、
郷ひろみ&
樹木希林で「フニフニフニフニフニフ〜ニ〜♪」という無意味な擬音のしつこいまでのリピートを多用し、単純な繰り返しが大好きな子供は洗脳されておりました。
もっとも、自分の場合はこまっしゃくれていたので、ピンクレディ「渚のシンドバッド」の出だしの「アアアアァ〜アアアアァ〜アアアアァ〜♪」というのを聞いて「これって郷ひろみの誘われてフラメンコだよな」などと言っておりましたが。(こっちの作詞は橋本淳)
郷ひろみ&樹木希林「林檎殺人事件」

阿久悠が嫌いだった。という前提で書いているわけですが、書けば書くほど自分がかなりドップリ阿久悠の世界に浸ってここまで来ていると言うを再確認してしまうのも事実。
もちろん、阿久悠という人物が書いてきた詩のバックボーンは、作詞家から作家へシフトした以降に著した「歌謡曲の時代」「愛すべき名歌たち」「なせか売れなかったが愛しい歌(
これはWebで読むこと出来ます)」などに書かれていて、その作詞家としての才能の突出した部分だけじゃなく、内面的な部分も窺うことが出来、子供心に「嫌い」と思ったのはかなりお門違いな部分だというのも分かっている。
嫌いだと言っている阿久悠の本をそんだけ読んでいるんだから、嫌いなハズはないし、未だにi Podに入っている70年代歌謡に阿久悠作もかなり含まれているワケで、実際嫌いじゃないだろうと自分でも薄々思っている(薄々じゃないよなぁ)。
ザ・タイガース「色つきの女でいてくれよ」

それはきっと、ひねくれた性格の自分にとって「あまりにも直球で剛速球の阿久悠」は認めちゃいけないほど大きすぎる存在なんだと思う。
自分が書いていた詩はどちらかというと「文化系」で、阿久悠の詩は「体育会系」なんだよな。
なんだか書けば書くほどまとまりがない文章になってしまう。こんなにまとまりがない文章になってしまったのも久々という感じ。
それだけでっかすぎる存在なのだなぁ と亡くなってみて再確認。
あべ静江「コーヒーショップで」

阿久悠以降の「非阿久悠的作詞」の、最初の完成形は松本隆周辺だったと思う。
歌謡界に大きく君臨していた阿久悠的作詞世界に反旗を翻し、文学的な心象風景を描き出そうとしていた作詞世界って、もしかしたら西遊記の孫悟空のように「阿久悠の手のひらの中でもがいていただけ」なのではないか? と思ってしまうほど、阿久悠の世界は懐が深いのではないかと、今さら感じているのだ。
うーむ、書けば書くほどドつぼにはまってしまいます。
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