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2007年7月28日 (土)

文章ぐらい自分で書こうと肝に銘じる

本を出すって事は大変な事なのだ。


出すに至るまでの話も大変だとは思うけれど、文章を書いている最中も色々大変なのだ。
それは自分みたいなペーペーの文章書きの場合は特に出版社の要求ってヤツが色々あって「本当はこーしたいけど」という部分が、いきなりの編集方針ってヤツで「ここはこーして欲しい」という話になる事もある。
それを受け入れながら「多分それじゃ自分の持ち味は出せないなぁ」と思いつつ、読者は雑学本に別段杉村という人のキャラを求めているワケじゃないっては分かっているし、長年編集作業に従事していたプロの編集人の言葉に従うしかないのだ。

で、理不尽だなあと思ってしまう事も無いわけじゃなく、とある企業の創業前の話題で現在の感覚では「ちょいとダーク」という雑学を書いた時、こっちに断りもなく編集部側がサクッと削除した事もある。
「ここ問題ありなので削除しました」という断りもなく、再校でカンプが戻ってきた時に当たり前のように削除されていた。
1冊の中にギッシギシに雑学を詰め込んでいたので最初はそんな事に気づかなかったんだけど、ふと「あれ?余白部分がこんなにある」と気づき、元の原稿と照らし合わせてそこに元々書かれていた文章が勝手に削除されている事が発覚した。
でも基本的には本文には関係していない雑学なので、それが削除されていても読者にとっては別段問題はないのだ。

そーゆー事で、そのカンプをペラペラとチェックすると、他にも自分が知らないうちに削除された箇所を発見。そこは現在の環境問題に関してのちょっとした雑学。
おそらく編集側が「これは色々問題が起こりそうなので」と気を回して削除したに違いないのだ。
しかし企業に関する危なげな雑学ってのは、何度も雑誌などのインタビューでその会社の創業者が「そういえば起業前にこんな事をやっていてね」と自慢げに語った物で、おそらく企業側としては書かれても何も問題ない部分なのだ。
環境問題の方に関しては、現在推進されている規制に関して横槍みたいな内容だから問題あるのかも知れないけれどさ。

でも、削除するって話をしてくれたなら、こっちだって「それが掲載されないとこの本の趣旨がねじ曲がってしまうのです!」なんて高尚な部分ではないので「あぁそうっすか、じゃそこに別の関連雑学を差し替えますよ」と答えていたのに。
でも、その削除が発覚したのが校了直前だったので、バタバタした中でそのままになってしまった。そのため問題箇所は他のページと違って下の欄が空白になっている。その後も別に波風立てる必要もないしなぁとそのままにしている。
もしかしたら文章を書く人間としては、この認識というか自分の文章をいじられる事にかんして問題意識持たなくちゃいけないのかもしれないけど、面倒臭がり屋さんなのだ。

他にも色々出版者側としても地元企業との関係が深いので、面白い雑学だったとしても企業が嫌がりそうなものはパス!というスタンスを最初から言い渡されていた。地域物産などに関しても、マイナスイメージの雑学は極力パス。
それでもなんとか面白い内容に必死こいて導いて仕上げた。「静岡県の雑学」静岡新聞社から絶賛発売中!なのだ!

その作業の中で「この本に書いている文章はどこまでオリジナルなのですか?」という事も何度も確認されている。
当然雑学本というのは「既成の事実がある」という前提でしか書けない。しかも、今まで自分は「静岡県の」というこだわりではやって来ていないので、とにかく図書館や古本屋通い(BOOK OFFなんかじゃなく、ちゃんとした古書店)で郷土資料を漁りまくった。(資料買いで万円単位の本を購入しました)

でも、あくまでも文章のネタとしての情報収集で、発行した本に書いた文章や展開は自分で考えたもの。でもやはり出版者側は心配らしく「参考にした文献を奥付の所に羅列しましょう」と提案してきたのだ。
そこで参考文献として名前を羅列するって事で、少しは色々な面倒くさい事を免責できるらしい。って、そんなあからさまにこのネタはこの本!なんて事はしていないってば。

こちとら雑学なんて有り物の事実の羅列をさも自分で創造したネタかのように自慢げに「ほらオマエラこんな事知らねえだろ」と書き散らすようなチンケな商売しているけれど、ちっぽけなプライドとして「文章書いてるんだぜ」みたいな部分を持っているので、いかに自分の力量でネタを面白く展開出来るか?って事に頭を捻っているのだ。

でも、今回の本はシガラミが色々あって勉強になったなぁ。
大人の世界って大変なんだな。と子供の頃は「カギっ子世代」成長して「第一オタク世代」社会人になってから「新人類」とか言われた世代の私も、大人にならなくちゃいかんなと思う今日この頃。って遅すぎるな。

Sshizuoka01そんなワケでタイトルだけだと「静岡県なんて興味ねえよ」と思ってしまいがちなんですが、内容はとにかく編集部をダマしダマし関係ない雑学をこれでもか!てやぁッどぉだぁぁぁ!と勢い任せで投げ込んだ新書「静岡県の雑学」絶賛発売中でやんす!
静岡県の本屋でも売り切れている所があって現時点では入手困難になりつつあります(って増刷しておくれ)。ネットでの注文も出来ますので、この際勢い任せて御購入お願いします!生活掛かってます。

アマゾン:静岡県の雑学
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税込み1000円:絶賛発売中

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温泉

あぁこう暑いと海水浴ではなく温泉に行きたい!


と伊豆に住んでいながら温泉にはあまり入っていない私はぼーっと思うワケでやんす。海水浴より温泉!というのはオッサンの証拠なのかなぁ
という事で温泉に思いを馳せたりするのですが、温泉とはなんぞや!などと調べてみると、温泉としての定義がかなりトンデモないいい加減な物だと判明する。
実は1948(昭和23)年に公布された「温泉法」によって温泉として認められる条件というのが決められている。

それによると「温泉源での温度が25度以上のもの」あるいは「諸成分(別添付の成分表があるけれど割愛)物質のいずれか1つが限界値以上含まれているもの」で「地中からわき出す湯水、鉱水及び水蒸気、その他のガス(炭化水素を主成分とする天然ガスを除く)」とされている。
つまり「25度以下のガス」でも諸成分が含まれていれば温泉という事になる。
冷水でも堂々と「温泉!」と名乗っていいのだ。

現に伊豆の某温泉地なども温水が湧き出ないのでボイラーで湧かしている温泉も存在する。
水蒸気だけで温泉という部分は本来日本で行われていた湯浴みなどが、いわゆる蒸し風呂だったのでそうかもしれません。
しかし、納得できないような部分も多々ありますが。

西洋などでは温泉に浸かるという習慣は以前はありませんでしたが、病気療養と称して温泉地に湯治に出かける習慣がありました。
ではいったい何をしていたか?というと、地熱で発生する蒸気浴&薬効成分のある湯を飲むという湯治だったのです。ドイツなどでもこの「蒸気吸引湯治」は盛んだったようです。

1960年代に温泉に浸かるブームがアメリカを中心に欧米で起こります。
というのは、ニューエイジブームが起こり若者達がヒッピーと称したムーブメントを作り上げた事がキッカケになっています。
彼らは文明批判をして精神的な物を求める事が多く、日本の座禅や断食という物に多大な感心を寄せ、その際にセットとなった形で「温泉に浸かる」という物も「なんか神秘的でいいじゃん」と取り入れられたのです。
そんな形で、カリフォルニアにある温泉地スレート・スプリングスという町はヒッピー達の聖地となっています。
しかしヒッピーの精神追求にもう一つセット化されている「ドラッグ」も大量に持ち込まれ、それによる暴力事件も多発し一般人には近寄れないバイオレンスな場所になったと言われている。
その後、地元観光協会がギャング系集団と契約して治安を正常化したらしい(この辺は日本の古いヤクザ社会と同じ構造ですな)

日本では昭和初期に「放射線は健康によい」と言う説が偉い学者先生によって出されて事があって、多くの温泉地で「この温泉はラジウムやラドンを含んでいる!」と宣伝文句に書かれるようになった。
それが今でも名称として残されている「ラジウム温泉」とか言われている物で、宣伝され始めた頃はかなりの量が含まれているみたいな事を謳っていた温泉地もあったそうなんですが、どの温泉もそーんなに含まれているワケではなかった。
現代人の認識ではもちろん放射能は体には悪いという事になっているので、大量に含まれているって事を宣伝されてもなぁって感じではあります。

実際、研究者の間でもラジウムが危険な物質だとはそんなに考えられていた訳ではなく、ラジウムを1898年に発見したキュリー夫人(正しくは旦那のピエール・キュリーと妻のマリー・キュリーの共同)たちは、かなり深く研究していたハズなのですが、今のような放射能防御服なんて事は一切考えず、素手でラジウムを扱っていました(現在のような濃縮タイプではありませんが)。
そのため、キュリー夫人の死因は被曝(による白血病)だったわけで、確か娘のイレーヌ、その夫のジャンフレデリックも被曝(この2人もノーベル賞を受賞している)が原因の死だったはず。唯一キュリー夫人の旦那ピエールだけが交通事故死となっている。
1903(明治36)年にキュリー夫人がノーベル賞を受賞しているんですが、日本での影響力は昭和初期まであったワケですね。

もっともその後「放射能を一定量以上浴びるのはキケン」といわれるようになったのですが、さすがお役所仕事って事なのか、一度決めてしまった名称を撤回できずその後も延々と「ラジウム温泉」という名前が生き残ったのです。
もっとも極定量の放射能はどこにもありまして、ラジウム温泉と呼ばれている温泉が特別ラジウムを大量に含んでいるってワケじゃないんですがね。

などと考えつつ「あぁ温泉に行きたい」とぼーっと考えるのであった。

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2007年7月27日 (金)

運気上々↑↑ なのか?

今、コカコーラ社が「iTunes songs 毎日アタル!! 25,000曲」というキャンペーンをやっている。


今までこの手のネットでやっている懸賞、あるいはハガキで出す懸賞などは権利があっても面倒臭い病が発祥して「ま、気が向いた時にね」とそのままになってしまう事が多かった。
さらに、ふと精神的に楽になって「応募してみっか!」と思ったりする事もあるのだが、そーゆー時に限って「〆切翌日」だったりすることが、マーフィーの法則並に多かった(って例えが中途半端に古いや)のだ。

そんなこんなで、現在リアルタムで「応募しちゃる!」と言う気になってコカコーラ社の応募ページに飛ぶ。
何かに書かれているアドレスを全手動入力するなんて何年ぶりなんだろうか?

そういえば昔、というかもう10年前はネットでの検索もそんなに凄くなくて、基本的にYahoo!とgooぐらいしかちゃんとしたのが無く(大学の研究室で実験運用中のロボット検索エンジンなんかはいくつか存在したけれど、精度低かった)、その当時「インターネットイエローページ」という本が年2回ぐらいのペースで発売されていた。
Yahoo!は完全登録制でなかなか登録されない事が多く、gooはロボット検索式だったけれど完璧にはほど遠かったので、その黄色い表紙の「インターネットイエローページ」に掲載されるって事はある意味ステイタスだったのだ。
まだCD-ROMなんて一般的じゃなかった時代、全部普通の電話帳みたいにサイト名とアドレスがサイトの分類ごとに50音で並んでいた。
それを見ながら「そうか映画のレビューについて書いてあるのはここか…」とアドレスをチマチマと入力していたのだ。

て、話が爺の思い出話になってしまったが、そんな感じで久々にアドレスを入力してコカコーラ社のキャンペーンページに到着したのだ。
でメルアドを登録して、ペットボトルキャップに付いているシールの裏側にある数字を入力・・・・・・画面が変わる・・・・・・「当選しました!1曲無料ダウンロードの権利があります!」などと画面に出てくるのだ。

なんてこった!
これまで何をやっても駄目な俺様。それ故にいつしかこの手の応募にさっぱり興味を抱かなくなってしまったのに、いとも簡単に当たってしまうとは。
という事で早速、iTunesにアクセスして、さっきMUSIC STATIONで聞いたばかりのRIP SLYME「熱帯夜」なんてのを無料ダウンロードしてしまうのだ。

いやはや。
いや待てよ。もしかしたらこれで今年の運を全部使い切ってしまったって事はないか?俺の運の悪さは俺がよく知ってる。誰にも負けない程の弱運の持ち主だってことは周知の事実なのだ。こんな所で無料ダウンロード出来るって、危ないんじゃないか?
などと考えたりするのだ。

いやいや待てよ。もしかしたら今までの自分の人生における弱運というのは、俺の人生一生分を通しての運のバランスとして前半では出し惜しみしていたって事はないか?4月から始まったラジオが好調だってのも何か運が上昇始めた兆しって事で、ここで良運がまた出て、この先どんどん上昇するって事もないか?おぉぉし明日宝くじ買いに行っちゃうぞぉぉぉぉ!
と、ネガティブに考えるも、ポジティブに考えるのも、それは俺の、自由だぁぁぁぁぁあ!♪俺イズフリ〜ダム!!♪俺イズフリ〜ダム!!!

でもね、もしも宝くじで3億当たったら、運だけじゃなく寿命も使い切っちゃう気がするので怖いんだけどね。(捕らぬ狸の皮算用)

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2007年7月26日 (木)

それってゼロへぇ

気が付くと、雑学をメシの糧にしている自分がいる。そんなヤクザな人間だったつもりはないのに、そんな状態になっている。
以前、二見書房から「知泉」「知泉PART2」を出した当時、ブログなどの書評でこんな感じに書かれた事がある。


「この本読んだけど、俺でも知っている事が書かれている。たとえば「役所広司は俳優になる前に区役所に勤めていた」とか「千円札に使われていた夏目漱石の肖像は喪服を着ている」とか、こんなレベルで本を出せちゃうんだ...」
みたいな感じ。
ま、実際の事そうなんですが、上記の感想を書いた人は雑学的な面白さは永遠に分からないのかも知れない。だって自分が持っている知識が一般レベルと思いこんでいるから。

トリビアの泉が流行った頃、ネットのあちこちにそれ風の掲示板が乱立した事があった。そして番組を模した形で、投稿されたネタに対してみんなで点数を入れるというパターンだった。
そこでやたらと書かれていたのが「それ知っているので0へぇ」という文章。
知っているから「全然面白くない雑学」と言い切ってしまうのは、逆に経験値の低さを物語っているだけのような気がしてしまう。
「知っているけれどこれおもしろんだよな」というスタンスを持たないと、雑学なんてなりたたないのだ。

トリビアの泉では「タモリ」「荒俣宏」という趣味人で雑学人が審査していたけれど、あきらかに両人が知っているであろう雑学に対してもへぇボタンを連打していた。
点数が辛いと言われていたタモリに関してネットでは「タモリはなんでも知っているんだから点数入らない」みたいな事が言われていましたが「知っていても面白い」という物には点を入れていた。

荒俣宏に至っては「魚を針で捕獲する貝がいる(正しくは忘れた)」みたいなネタで高得点を出していた時、コメントを振られたんですが、嬉しそうに「実はこれ飼っていた事あるんですよぉ」と語った。
「知っているので0へぇ」とは全然違う観点なのだ。
もっともその時、その手の掲示板では「飼ってまでいたのならボタン押すんじゃねえよ!」みたいな書き込みがあったみたいですが。

雑学はあくまでも「面白がること」。あと「重箱の隅を突っつく事」「誰も気にしていない部分に意味を見出す事」って事かも知れない。
「当たり前じゃん」で話を終わらせてしまうと、会話も進まないし、思考も発展しない。
ニュートンの万有引力だって、ニュートンが言い出す前から誰でも物が下に落ちる事は知っていたのだ。リンゴが落ちてこなくてもそーゆー事なのだ。

たとえば、毎日通る道になにか面白い像が建っていたとする。たとえば徳川家康が歩いている姿の像だとする。
それは子供の頃から見慣れている物なので、そこにあって当たり前の像なのだ。自分的に考えれば。
ところが、その像をよそ者が見ると凄く意味が発生する場合がある。
「徳川家康が歩いている姿の像はこれが日本唯一の物である」なんて事になってしまう場合もあるのだ。
知っていたハズなのに視線をちょっと換えると実は全然知らない部分が出て来る事もある。当たり前を当たり前と思った段階で終わってしまうのだ。

で、自分は長く長く雑学に触れてきた。
本当に物心付いた頃から「本が友達」みたいな部分があって(普通の友達もいますが)、とにかく本を読み、雑学を漁ってきた人間なので、そうそう新しい雑学には接することはないけど、未だに雑学を書いた本は「雑学」という文字が背に書かれているとほぼ無条件で購入してしまう。
そして、それなりに面白く読んでしまう。たとえ100本書いてある雑学の内99本が知っている事でも、それはそれで「しょうがない」という部分と「確認」という感じで読む。
だから「知らない事柄を知る」というより「雑学」というジャンルが好きなんだろうなぁって事なのだ。

そんでもって、長くやっているとドランカーになってしまう部分も多くなるワケで、人にしゃべる時に「これは基本的に知っているので」と前置きを端折ってしまい「?」という顔をされてしまう事もある。
今、ラジオで喋っているんだけど、まずディレクターに「今日こんな雑学でどうっすか?」とメールを送るんだけど、最初の頃に言われたのが「杉村さんはインテリすぎるので、面白がるポイントがちょっと高すぎる」みたいな感じでした。
インテリなのかどうかは全然不明の部分ですが、うむ〜と思ってしまったのです。
今はそれを肝に銘じて雑学ネタを絞り込んでいる。
別にレベルを下げたというワケではなく、文章で読む雑学と、喋りだけで聞く雑学は違うんだよなぁと感じたので。

某掲示板で、ある日放送した雑学に関して「○○が○○○なんて誰でも知っていることじゃん、そんなもので商売かよ」みたいな書き込みがあった。
その手のリアクションはメルマガや単行本の時に山盛りで貰っているので痛くもないワケですが、そーゆーものなんだろうなぁと改めて思ったワケです。
そんなこんなで、ゆるい雑学があったとしてもそこは「意図的にそーしているのだ!」と思ってください。

とマジにゆるい雑学を語った時の逃げを打っておく私であります。

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2007年7月24日 (火)

ちんこきり

ブログを書くのが面倒な時は
そうだ!雑学を書こう。しかも短く。

☆江戸時代にあった職業「チンコキリ」。
仕事内容は葉タバコを刻む事、そしてその職人をそう呼んでいた。
漢字で書くと「賃粉切」。賃金を貰って粉にするという意味。

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2007年7月23日 (月)

はじめてのたばこ

ブログを書くのが面倒な時は
そうだ!雑学を書こう。しかも短く。

☆日本初の官製煙草は「敷島」「大和」「朝日」「山桜」の4種類。
実はこの煙草の名前は本居宣長の「敷島の大和ごころを人問はば朝日ににほふ山桜花」という和歌から生まれたもの。

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2007年7月20日 (金)

企業の正しい由来

ラジオで喋る雑学を編集していてふと考えてしまう事がある。
「果たしてこれはラジオ的に喋っていい範疇のネタなのか?」
そりゃ、猥褻なネタとか(特に昼間2時台の放送ですし)差別用語に関するネタは圧倒的に不可って事ぐらい世間知らずの私でも分かっています。


本当はそっち方面に面白いネタが山積みだってのも知っているんですが、それを昼間喋って自分の行動範囲を狭めるほど私はラジカルな性格ではありません。いたって波風を立てずに、誰にも気づかれないようにどっかに佇んでいるレベルに生きていこうと考えて、ずっとやり過ごしてきました。
という訳で「これはどうか?」という物に、企業がらみの雑学がある。

先日「化粧品メーカー」の雑学を喋った時にいきおいで語った雑学でこんなのがある。
「コーセー」は現在はギリシャ語で「調和・美」を意味する「コスメティコス」が由来というのが公式な物ですが、本当は創業者・小林孝三郎さんの「孝」+誠実という意味の「孝誠:こうせい」が元になっている。
とりあえず会社側の公式見解があって、でも創業時にはこんな事でしたよ。というネタ。
このコーセーに関しては、別段そんな問題もある訳じゃないんだけど、会社としてビッグになったので、「なんかカッコイイ由来にしたいじゃん」という事なんだと思う。

以前、雑記で書いた物ではサンリオの由来もある。一般的には
サンリオの社名の由来はスペイン語の「聖なる河」san rioから来ている。
って事になっているんですが、一部で「山梨王という意味でサンリオウらしいよ」と言われている。

しかし、トリビアの泉の中では「山梨王」説を一笑し、「聖なる河」でいいんですよ。と否定したわけで、世間的には「なぁんだ、面白可笑しいガセだったか」で解決してしまったのですが、実際には違う。
1978年6月8日号「週刊現代」の中で『サンリオの奇跡』という特集で「元々山梨シルクセンターという会社が、もっと大きなビジネスを始める時に「山梨」をサンリと読み替えた名前を考案し、さらに末尾にはゴロをよくするためにオとつけた」とかかれている。
さらに1980年7月号「雑誌宝石」で創業者・辻信太郎みずからが対談で「山梨シルクセンターの山梨からサンリ、それだけじゃ恰好つかないからオをつけたんですよ」と語っている。ただし「王という説、いきおいづけのオーッではない」とそこの部分は否定している。
しかし1990年代に入っていきなり「聖なる河」説を自らの出版物で語り始める事になる。
そんな訳でやんす。

他に一般的に流布されている「社名の語源」が創業時と違っている物に「モスバーガー」がある。これなんかは一般的には
モスバーガーのモス(MOS)の意味。Mountain(山)、Ocean(海)、Sun(太陽)の頭文字からきている。
という、自然派志向の現代にはかなりジャストフィットした語源になっている。でもさぁ冷静に考えて見れば「これからハンバーガーチェーン店を創業するって時にいきなり「じゃ山海太陽の頭文字でモス!」って考えつくかなぁと思ってしまう訳で。

で、実際の事を創業時の話を掘り起こしてみると
モスバーガー本来の意味は「マーチャンダイジング・オルガナイジング・システム(Merchandising Organizing System)」
モスバーガーを創業した櫻田慧氏(現社長・櫻田厚氏の叔父)は、皮革問屋の社員から脱サラして商売を始めたのですが、とりあえず「これから儲かるのは水商売か飲食」ぐらいの考えで、まだハンバーガー専門のチェーン店などは考えていなかったみたいです。
そこで設立した会社に「この先どう転んでも使える名前」的につけた社名が「マーチャンダイジング・オルガナイジング・システム」。exeite翻訳だと「結団システムを取引します」って事ですが、分かりやすく言うと「商品を、適価で適切に供給する組織」みたいな感じですかね。

で、この会社名「Merchandising Organizing System」の頭文字が「MOS」って事なのです。
ま、社名の意味を尋ねられた時、恥ずかしいって事じゃなく、説明が面倒&面白くないって事で「山海太陽」のほうがネタになりやすいので、可なんですかね?

そんなこんなで「果たして公式表明ではない企業の語源はラジオで語ってもいいのだろうか?」と考えこむ今日この頃。

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2007年7月17日 (火)

CM雑考

三菱UFJ信託銀行のCM
『セカンドライフ』という老後の保険のCMなのだが、スティービーワンダーの「STAY GOLD」が緩やかに流れる中、長嶋一茂が語り始める。
「オヤジの野球人生は三振から始まった。その経験がその後の成功の大きなバネになった。いつも前向きな親父の気持ちは、大切なこととして、いつしか僕にも受け継がれていくだろう。」
って、お前はその長嶋茂雄の気持ちを同じプロ野球選手時代には全然受け継がなかったワケで、いまさら何をいうのだ。
今やっと、長嶋茂雄のスタートラインと同じ場所に立っているつもりなのか!
って「いつしか僕にも受け継がれていくだろう」、まだ立っていないって事か。


大和証券のCM
今、一番ヒトをイラつかせるCMと言ったら、エビちゃん(蛯原友里)が出てくる大和証券のCM
どこぞのカフェで、エビちゃんが友達とお茶している時に、隣に座ったダサさ全開の太ったオッサンが「エビ..ちゃん?」とぼそぼそと声を掛けるヤツ。
これって、どう好意的にみてもその証券に興味があるんだか分からないオッサンが「みっともないヒト」にしか映らない。あぁはなりたくないよなぁという状態。

で、それ以前に大和証券という商品のCMとして、とりあえず現時点での可愛いのキーワードとなるようなエビちゃんを出すってあたりが「果たして購買層を理解している?」という感じもしちゃうのだ。
80年代によくあった「ワザとハズした」キャスティングなのか、企画を揚げたヒトが「なんだか分からないけど人気あるみたいだから」とキャスティングしたのか、分からないけど、な〜んかズレが見ていてやな感じ。で、それにからむオッサンが激しくやな感じ。

T.R.U.EのCM
T.R.U.Eというブラシなのかよく分からないCMが、ムチャ違和感がある。
そのCMの設定は、幸せそうな夫婦と小学生の子供2人というどこにでもある家族で、朝、学校に行く前の子供の髪の毛を笑顔でとかしてやる母親、さらに出かけに夫にエチケットブラシを渡す...。
まったくもって、昔ながらのホームドラマに出てくるような典型的なニューファミリー(※1980年代頃に使われていた若い夫婦だけの新しい形態の家族を意味する言葉)って感じなのだ。
でも、ちょっとだけ違っていたのは、奥さまが杉本彩さまだったのです。

常日頃の彩さまの言動や活動状況から絶対ありえないシチュエーション。なぜ、このCMに杉本彩がブッキングされたのかは謎ですが、子供と夫を送り出した後、何をするのか分かったもんじゃない、という感じなのだ。
この先、この家庭が見るも無惨に崩壊していくのではないか?という波乱の幕開けを予感させるようなCMなのだ。
でも、笑顔で手を振る杉本彩は本当に腹にどす黒いモノを抱えていそうでマジに怖い。
http://www.micmac.co.jp/handy_b/aya_sugimoto.html

リポビタンDのCM
最近CMというか、テレビを見ていると「そこでなぜジャニーズ?」という感じで、やたらと何もかもにジャニーズ事務所が絡んでいる。ドラマとかCMとかだったら人気もあるし見た目もいいしと理解出来るんだけど、先日は夜中にやっていた雑学系バラエティの司会席にV6のヒトがいたのには「?」だった。
なんせ、そのヒトの横にはアナウンサー系の司会進行がいて、さらに両サイドにお笑いコンビがいて場を盛り上げていた。
V6のヒトは、ことある毎に他の司会者に声を掛けられ、「そうですね」とニコニコ笑うだけだった。う〜む。しかし、ジャニーズ関係も昔とちがって上がトコロテン式に卒業→消滅していない状況が10年以上も続いているので、飽和状態のような気がする。

で、CMでは歴史ある「ファイト一発!」リポビタンDに、今年の春からTOKIO山口達也が登場した。このシリーズは多くが若手俳優が!という感じなんだけど、なぜに今の段階で山口達也?って感じなのだ。
でもって、このシリーズは毎回困難と思えるシチュエーションをムリヤリ実行するというモノなんだけど、最新のでは「ただ海に飛び込む」というのだった。大昔、断崖絶壁から飛び込むってのがあったけど、そんな状態ではない。

で「何それ?」と思ってしまうのが、CMの最後のほうで毎回2人でリポビタンDをぐびぐび飲むシーンがあるのだが、山口達也が登場した春のVer.から変なカメラアングルになっている。
カメラ奥で山口達也がプハァッと爽やかに飲んでいるんだけど、その手前、カメラに顔をくっつけるが如くケイン・コスギが異常なテンションでグビグビグビグビグビグビと飲んでいる。もう何かに憑かれたかのような勢いで飲んでいる。まったくもって爽やかのかけらもないほどのテンションで。
春から始まって、夏の新作でもそこは変わらず....。このケインの扱いはいったい何なのだろうか?

本来ならケインはもうそろそろこのシリーズも卒業なんだけど、もしかしてケインの変わりにジャニーズの若手が入ってくるなんて事はないよね?

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2007年7月16日 (月)

「ブッセ」

普通のコーヒー豆でアイスコーヒーを作ろうとしたけれど、どうも上手に作れない。山川直人さんの『コーヒーもう一杯3』の中にある「朝顔日記」に家で作るアイスコーヒーの話があったので、ちょっと真似してみたんだけど、やはり普通の豆ではイマイチ。いや、自分のテクがないだけかも知れないけれど、今度はちゃんとアイスコーヒー用の豆を買ってきて再チャレンジするのだ。


というワケで、この蒸し蒸しした天候の中、いまだに自宅で作ったホットコーヒーをぐびぐび飲んでいる。
朝起きて、ぼーっとしながら豆をセットして、ヴィィィィィンと大きな音と共に一日が始まり、1日に何杯コーヒーを飲むのか分からないぐらいにぐびぐび飲んでいる。

と言っても、変なこだわりはない。ただ「黒くて苦ければよい」というレベルの味音痴なので、ずっと前に買ったまま棚の奥で放置されていた豆でもOKなのだ。(旨いにこしたことはないけど)
ということで、基本的にはブラックを飲んでいるのですが、色々な作業の息継ぎでコーヒー受けのお菓子が食べたくなる。
砂糖がごく僅か入ったコーヒーでも「うげぇ」と思うクセに、甘いお菓子には目がないのだ。お菓子をほおばり、そこにコーヒーを注ぎ込み、口の中で甘いと苦いが渾然一体となる状態は「我が至福の時なり」でやんす。
客観的に見たら、コーヒーに砂糖入れても同じジャンと言う感じかもしれませんが、全然違う物なのだ。

今日、山崎製パンの「ブッセ 北海道産ミルククリーム」というのを食べた。パンケーキの表面に粉糖をまぶして焼き込んで、少しサックリした食感もあり、中のクリームも心地良い甘さを醸し出している。
という時に「で、ブッセって何なのさ?」と思ってしまった。いきなり糖分が脳に行き渡り、雑学心が目覚めてしまうのだ。
おそらく、語感からしてフランス語なのであろうとは予測出来る。シャッセとか、そーゆー流れで。
でもって、とりあえず広辞苑を引いてみた。

ブッセ【Karl Busse】ドイツの詩人「山のあなたの空遠く」で始まる詩は上田敏の訳詩集「海潮音」に収められて著名(1872-1918)
たぶん、違う。
流石に広辞苑にも最近聞くようになったケーキの名称まで網羅していない。
このブッセさんは別に習った記憶はないのですが、おそらく現在40代以上の人は断片的に知っていると思う。
かの三遊亭円歌師匠が「山のあなあなあなあなあな...」と小咄として使っていたので、自分もとりあえず知っている。もっとも本家のカール・ブッセの詩は読んだ記憶はほとんどない。

でもよく考えてみると、これが当時落語家がテレビでやる小ネタとして通用していたって事は、当然元ネタが知られていたって事っすよね? 昔の方が文化レベルが高かったという事なのかな?
でもって、80年代以降このネタをテレビで見る事がなくなったのは、飽きられたからではなく、某団体から「吃音者を馬鹿にしている内容なので」と差別的という事で封じられてしまったらしい。
なんつーか、この手の団体のやっている事は「吃音者は一般人の前に出てはいけない」とでも言っているような感じで、な〜んか嫌な感じ。

などと思いつつ、本来の「ブッセ」の語源探しに戻るのだ。
で、フランス語って事で調べていくと、どうやら「bouchee」と書くらしい。ってこれブッセではなく、ブーシェとかが正しい発音だよね? 
直訳すると「一口」とか「一口サイズ」みたいな意味で、フランス産のチョコレートなんかでもあります。

つまりブッセというのは「一口」という意味なんですな。って、この山崎製パンのブッセは直径8cmぐらいあって、とても一口では食べきれない。ギャル曽根だったら可能かもしれませんが。

と、この知泉的雑記では珍しい「日記風な文章」を書いてみる私でした。

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2007年7月15日 (日)

バグルス「ラジオスターの悲劇」の悲劇

2007071500今ラジオで仕事をしているワケですが、自分が10代の頃が深夜放送を始めとしてラジオ全盛期だったような気がします。
ヒット曲の多くがラジオから生まれた時代だったのですが、80年代になって学生が個人でテレビを持つようになり、より多くのヒット曲はテレビ経由で生まれるようになっていきました。


その傾向は西洋でもそうだったようで、1980年前後に「MTV」が音楽のメインストリートを作るようになっていった。
そんな時代を象徴するような曲が「ラジオスターの悲劇」。
原題は「Video killes the radio star」ラジオの有名人をビデオ(TV)が殺したという歌詞。

2007071504これを歌っていたのはバグルスというグループなんですが、このグループは後に名プロデューサーと呼ばれるトレヴァー・ホーンとジェフリー・ダウンズのユニット。
このバグルスはアルバムを1枚出していますが、実質的には「この1曲のみ」という印象で、世間的には「一発屋」扱いですが、翌年2人はYESに加入してアルバム「ドラマ」を作っております。

さらにYES脱退後ジェフリーさんはかの「エイジア(Aisa)」を結成したり、トレヴァーさんは名プロデューサとして活躍しフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドなどもプロデュースしておりました(もっとも近年話題になったのは、途中で帰っちゃった事で悪名高きt.A.T.u)。

2007071501で、この楽曲に関しては悲劇というか、なんか恩恵を受けなかった人もいます。
ブルース・ウーリーという曲の共作者。この人、かなりポップな曲を作るセンスがある人だと思うのですが、プロデュース能力が弱かったのか、なんか売れずに消えたという印象しかありません。

実際、自分のバンド「ザ・カメラ・クラブ」でもラジオスターの悲劇を歌っているのですが、なんか「あの名曲をこうも単純なポップソングにしてしまうかなぁ」という感じ。
ストレートなロックアレンジも悪くはないとは思うんですが、バグルスのアレンジが完璧すぎて比べてしまうと「ちょっとね」という感じになってしまいます。。

2007071503で、ブルースさんのバンド「ザ・カメラ・クラブ」はヒット曲も出せずに早々に解散しちゃうんですが、さらに悲劇というかトホホな感じなのが、このバンドでキーボードを担当していたトム・ドルビーさんが解散直後に「トーマス・ドルビー」名義でソロデビューして、大ヒット曲を何曲も生み出していくわけです。
なんか才能があると思うのに報われない人(特に関わった人がヒットメーカーになっているので)って、何が悪いんだろうか?と思ってしまうワケです。

ア〜ワア〜ワ...って加藤あいが出ている発泡酎ハイのCMに使われているのを聞く度に、ちょっと考えてしまいます。

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2007年7月14日 (土)

香坂みゆき「気分をかえて」

Kosaka001香坂みゆき「気分をかえて」
作詞.作曲:山崎ハコ/編曲.大村雅朗
1981年/¥700
polydor/7DX1103


香坂みゆき:1963年2月7日生まれ
今でも時々テレビで姿を見る事があるし、とりあえず清水圭の奥さんという肩書きもある。でもハッキリ言って香坂みゆきに関しては、その存在意義がデビュー当時から今にいたるまでよく解らない。


1977年「愛の芽ばえ」
197701ainomebaeとりあえず同世代の話題の中では「そー言えば、欽ちゃんのドンといってみようのアシスタントで欽ちゃんの横に座っていたよね」という印象は出てくる。でも「番組で何をした?」という疑問符で終わってしまう。
また「ニュアンスしましょっていう資生堂のキャンペーンソング歌っていたよね」という話題も出る時がある。でも「それ以外の曲って覚えている?」という疑問符で終わってしまう。
でもなぜか30年以上に渡って頻繁ではないにしろ香坂みゆきをテレビで見続けているのだ。(実際には3歳の時にモデルデビューしているらしい)


1977年「初恋宣言」
197702hatukoisenngenラジオで「視聴者がネタを書いてくる」というスタイルの番組を本格的に始めたのは、実は萩本欽一で、1972年4月にニッポン放送で「欽ちゃんのドンといってみよう」という番組がスタートしている。
60年代末からコント55号で大ヒットしていた萩本欽一がその活動に限界を感じていて、次の活路として見出したのがラジオだった。あの時代ラジオというのはテレビに人気を奪われていて、すでに「ラジオの時代は終わった」と囁かれていたのだ。


1977年「青春舗道」
197703seisyunihodそんなラジオに対し「テレビより身近に感じるメディア」という方向性を見つけ、お題を与えリスナーから葉書を募集するという方法論を編み出した。
それに中学生から大学生までが飛びつき、毎週のようにネタ葉書を書いてくるようになり、「ハガキ職人」という人種を生み出した。(ハガキ職人という言葉自体はビートたけしのオールナイトニッポン発祥とされる)


1978年「まわれ恋の風車」
197801mawarekoiTV版「欽ドン」で「よい子悪い子普通の子」をやった時に「あれって谷村新司がラジオでやっていた「天才秀才バカ」のマネだぜ」という声もあったが、実際にはラジオ版欽ドンの影響を受け始まった番組が谷村新司の番組だった。
笑福亭鶴光の番組でもヒット曲の一部をオチに流すコーナーがあったが、あれも欽ドンの「レコード大作戦」というコーナーの真似だった(ディレクターが同じだったとも言われる)


1979年「愛なき子」
197901ainakiラジオ版は1979年3月まで続いたが、そのラジオ版を発展させた形で1975年4月からテレビ版「欽ちゃんのドンとやってみよう」が始まっている。
この時、ラジオでも女性アシスタントがいたという事から、テレビ版アシスタントとして香坂みゆきが起用された。まだ13歳だったわけですが、ハッキリ言ってこの番組で香坂みゆきが何か喋ったとか印象が全然無い。
最初の頃は「かわいいなぁ」と思っていたワケですが、途中から子供ながらに彼女の存在意義はいったい何なのだ?と疑問視するようになった。
そして気が付いた時には画面から姿を消していた。というか気が付かないうちに姿を消していた。


1981年「気分をかえて」別ジャケVer.
198101kibunで、まいどの事ですが表題曲にやっと触れますが、この曲を聞くと「なにもここまであからさまなアレンジをしなくても...」という感じで、イントロ当てクイズにこの曲が出てきたら即座にボタンを押して「ブロンディのCall Me!」と叫んでもおかしくない状態になっております。
でも実際の事を言うと、オリジナルの山崎ハコVer.を聞くと全然違う曲なのでどーしてこーなっちゃったんだろうか? と思ってしまう


1982年「レイラ」
198202reilaつまり、これは編曲の大村雅朗のテクなんだろうなぁ って、あまりにもひねりがないアレンジなんですが、なにか会議上で「ロックっぽいアレンジでいこうよ」「じゃ女性のロックって事でブロンディなんかいいんじゃない」「じゃそれでヨロ」みたいなノリだったのかも知れない。


1983年「東京が好き」
198302tokyoあの時代は結構あからさまに「イントロを洋楽のヒット曲から引っ張って来ました」というのが多かった。今はどうか分からないけれど、アレンジに関しては著作権がなく盗作にならない」みたいな見解を聞いた事がある。
香坂みゆきのボーカルも、アレンジに合わせるために頑張ってロックっぽく歌っているんですが、どうにもこうにもミスマッチで痛々しい。


1984年「サヨナラの鐘」
198401sayonaraついでにジャケットが水着写真なんですが、なんというか「この構図でこの表情でこの逆光線の写真でOKなのか?」と心配してしまう写真が使用されている。とりあえず「協力:コンチネンタル航空」となっているので、海外で撮影しているワケですが。
ついでにこの「気分をかえて」には別ジャケットが存在しているんですが、そっちもどうなんですかね?状態。


1984年「ニュアンスしましょ」資生堂CM曲
198402nyuaしかし芸能界って、売れた人が生き残るってワケじゃないのが難しいなあと香坂みゆきがテレビに今でも出ているのを見て考え込んだりするワケです。

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2007年7月13日 (金)

段ボールは食品ではありません

さすが中国四千年の歴史。
昔から「中国では4本足は机以外なんでも食べる。飛んでいる物は飛行機以外はなんでも食べる」なんて言われてきましたが、なるほど段ボールまで食材として扱いますか。
という事で「段ボール」の歴史などを…。


段ボールの始祖
Danborl001そもそも段ボールの(原型の)発明は1856年。
イギリス人エドワード・チャールズ・ヒーレイとエドワード・ハリス・アレンの2人が波打った紙を発明した(英語ではフルート状と言われる)のが最初。実はこの紙は元々シルクハットの汗取り用として開発した物。
もっとも、ここで言われる段ボールは現在のダンボールとは形状が違っていて、ただの波打った紙。

1871年、アメリカのアルバート・L・ジェーンズがガラス製品の緩衝材として、波状になった紙を使用した。その後の改良で1906年頃に普及していく。

日本で段ボール誕生
Danborl002日本には明治時代中期にドイツから化粧品の梱包用として入ってくる。もっともこの時代まで、緩衝材・梱包材としての利用だけで、波状紙の片面に紙が接着されただけの物だった。(この時点でも波状の紙だったと書かれている文献もある)
1909(明治42)年に井上貞次郎が綿製造器を改良して紙により細かい多くの波を作る事に成功する。これを「段ボール」と命名し、東京北品川北馬場に三盛舎という会社を設立して事業展開を始める。
翌年、段ボール製造器と製法の実用新案特許が許可され「特許段ボール」という名前で売り出される。

ちなみに「段ボール」と言う言葉ですが「段」は波状の意味とは分かりやすいのですが「ボール」とは? と思ってしまいます。実はもともと箱などに使われる堅い紙を海外で「Bord」つまり板とよんでいた事から、ヒアリングミスで「ボール」になり、堅い紙の事を「ボール紙」とよんでいたのです。

現在の段ボール誕生
Danborl003その後、リーガル商会から香水の瓶を入れる梱包用箱を依頼される。
そこから、片面に紙を貼り付けた段ボールより両面の方が丈夫になるということで改良に取りかかり、現在の両面段ボールが誕生することとなる。(つまり段ボールは日本生まれって事なのです)
ちなみに、片面に紙を貼っただけの段ボールは現在でも製造されていて、「片段(かただん)」と呼ばれている。こちらは丸めて使える事が出来るので梱包業界ではまだ需要が高い。運送業界では「巻き段(まきだん)」と呼ばれている。

もっとも明治時代から大正時代、そして昭和の戦前には段ボールはさほど普及せず、戦後1951(昭和26)年の箱などの梱包材としての段ボール使用は約7%だけだった。
その後、経済成長と共に道路が整備されていき、日本国内への輸送需要が拡大していくにつれ軽くて取扱が便利な段ボールの使用料は増えていき、現在のように「箱と言ったら段ボール」という時代になってきたわけです。

その段ボールは食品として進化するなんて、さすが中国の技術革新はめざましいなぁ

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2007年7月11日 (水)

手塚治虫の雑学(3)手塚という人

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオの内容とはズレていますが、手塚治虫(3)でやんす。この手塚治虫という人は漫画以上に本人がかなり面白いエピソード山盛りなのであります。

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2007年7月 8日 (日)

手塚治虫の雑学(2)鉄腕アトムPart2

そんなワケでSBSラジオ「らぶらじ」で月〜木曜日しゃべっております。


で、そのラジオの内容とはズレていますが、手塚治虫(2)でやんす。アトムに関してその2です。

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アトムの映画化に関しては1999年にコロムビア・ピクチャーズ(ソニー傘下)が「実写版アトム」の制作発表、2003年夏に公開予定!となっていたワケですが、これは2003年に原作の中でアトムが誕生するって事になっており、日本でもTVアニメ新シリーズが放送されていたので、連動した企画だったみたいですが、その後何のアナウンスもなく無かったかの話になっておりました。


2004年にはソニーピクチャーズが実写とCG合成で映画化するという企画もあったみたいですが、これも具体的な話が動かずに終わっています。
でもって、去年2006年9月に香港のCG制作会社IMAGIがフルCGでの制作を発表したのですが、どうやら2009年公開予定って事になり、監督インタビューなども行われるようになってきました。

と言いつつ、まだ脚本段階で、具体的なキャラデザインとかは全然発表されていない段階でやんす。
http://www.imagi.com.hk/web/main.php
IMAGIが公開しているCG映画「ASTRO BOY」のイメージ画を見る事ができます(シルエットだけど)
上記サイトへ行って→OUR FILMS→ASTRO BOY

実はこのIMAGIはアトムの前、来年2008年公開予定で「科学忍者隊ガッチャマン」のCG映画も制作中だそうで、そっちはイメージボードを数枚見ることが出来ます。
それを見る限りではベルクカッツェは登場するみたいです。

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2007年7月 1日 (日)

雑学には著作権はない

「雑学には著作権はない」という事を何度も書いてますが、あくまでも事実の羅列なので同じネタを誰が使用しても全然問題はないワケでやんす。


もっとも、その事実を文章として「いかに理解しやすく要点を抜き出すか?」という部分には各人頭をひねるので、そこには文章としての著作権は存在する。
たとえば先日のメルマガで書いた文章
東京のお金持ち奥さまの代名詞「シロガネーゼ」。元になった地名は白金、ではなく白金台。しかも白金も白金台も地名としては「しろかね」と濁らない。
というものは、どこを転がしても事実の羅列なので「それ俺の方が先に言った」みたいな事は誰にも言う権利はない。(かなり特殊な、誰も気が付いていなかった事実なんて場合は色々あるんでしょうが)

でも上記の文章は自分が「いかにコンパクトに伝えるか?」という事で文章を書いている。だから別の人が同じテーマで書くと
シロガネーゼの名前の元になったのは白金じゃなく白金台。ついでに読みはシロガネダイではなくシロカネダイ。
とシンプルにまとめる人もいると思う。

あるいはもっと関連雑学を含めて1つの流れにする人もいるかも知れない。
リッチな奥様方を称する「シロガネーゼ」という単語、この言葉の元になったのは白金ではなくて白金台。しかも地名の正しい読み方はしろかねだいと濁らない。
この言葉を作ったのは雑誌「VERY」の編集長だが、彼は若いママが初めて子供を公園に連れて行って近隣の奥さまの仲間入りをする儀式「公園デビュー」という単語も考案している。
などと話を広げて連続させる手法もアリかと思うわけです。
この場合は、シロガネーゼ→公園デビューという話の流れも著作物の一つと考える事ができます。

といっても厳密な法的線引きが出来ないので難しい問題であります。
でもって簡単に「裁判だ!」などと言い出すのも面倒くさい部分で、普通の人は裁判なんか起こしても精神的・時間的に摩耗するだけなのだ。
というワケで、自分的に雑学を調べていて楽しいなぁと思うのは別々に知っていた雑学が、何かの拍子にジグソーパズルのようにピタッっと収まって関連づけられていく部分。

たとえば(って、ブログで書くといつの間にか誰もが知っている話になるので勿体ない気もするワケですが)電話を発明したベルに関する雑学。
単行本「知泉」の中で
ベルは三重苦で困っていたヘレンケラーのもとへ家庭教師サリバン先生を紹介した。
と書いたわけです。そして解説として、ベルの母親も聴覚障害を持っていて、それがキッカケで補聴器の開発をしていて、それが電話の開発に繋がった(よく勘違いされていますが、ベルは電話を発明しておらず電話の原理の発明は別の人が行っている)。
つまり「ベル→母親が聴覚障害→その手の指導員の知り合いがいた→ヘレンケラーに紹介」という流れがあったのだ。

で、別にベルの雑学として
電話で一番最初に日本語でしゃべったのは伊澤修二という25歳の文部省留学生。彼は「日本語でも会話出来るのですか?」と語り、完成したばかりの電話を使った。
というのがあったんですが、この伊澤修二という人物、もちろん文部省の仕事として電話にも興味を持ったのですが、帰国後に「東京盲唖学校」の校長になっており、ベルが来日したおりにその学校でベルが講演をしている。

つまり伊澤修二とベルは聴覚障害というキーワードで繋がっているワケで、まだ未整理で書けないネタも山積みなのですが、それから他にも色々なエピソードが絡み合ってくる。
あぁなるほど、これらは偶然じゃなく必然だったんだなと・・・。

これらが1つの書物からじゃなく、色々な文献からの細切れの知識が寄せ集まって流れを作っていくって部分が個人的には楽しいのだ。
もちろん、その辺の研究者には「そんなの当たり前の話じゃん」みたいな部分も多いとは思いますが、雑学の横連鎖ってのを探してうろうろしています。
その部分を羅列して書くってのも著作権(編集権)って物なのだ。

ちなみにヘレンケラーが世界的に有名になったのは三重苦を克服したあと、世界中を講演活動をして自ら体験談を語って広めたため。その講演活動の資金を援助したのもグラハム・ベル。

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