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2007年6月23日 (土)

南野陽子「話しかけたかった」

Minamino01南野陽子/話しかけたかった
作詞.戸沢暢美/作曲.岸正之/編曲.萩田光雄
1987年04月01日/定価700円
CBSソニー/07SH1900


南野陽子
1967年6月23日・兵庫県生まれ・本日40歳になりました。
1980年代初期、アイドル産業がかなり活発になり、数多くのオーディションで鳴り物入りでデビューする人が多かったワケですが、その中、南野陽子は私立松蔭女子学院高校在学中にスカウトされ芸能界入りをしたので、出だしはそんなに派手な冠がなかった。(一部資料ではCMオーディションにどんな人が来るのか興味本位で参加したところスカウトされたという物もある)

1984年にNTVのドラマ「名門私立女子高校」でデビューし、翌年の誕生日、1985年6月23日に「恥ずかしすぎて」で歌手デビューを果たしている。
しかし冠が無いという事で、イマイチ注目されない地味なスタートだったためなのか、デビューしばらくしてから講談社の「少年マガジン」の美少女コンテストでマガジンメイトに選出されグラビア露出展開を始める。

1987年5月「ORE」198705nanno
1986年、その効果があり、前年斉藤由貴主演で人気が出た「スケバン刑事」の続編「少女鉄仮面伝説」で主役を演じる事となって、大ブレイクを果たすことになるのだ。
斉藤由貴がミスマガジン出身だったので、スケバン刑事が先に決まっていたという可能性もあります。

ミスマガジンは「少年マガジン」主宰のコンテストで初代は伊藤麻衣子。その時コンテストとは別にもう一人選出されたのが森尾由美で、彼女はマガジンメイトの称号が与えられた。
ミスマガジンは1年間のクィーンなのに対し、マガジンメイトは雑誌の顔として複数年活動することとなる。
第4回(1985年)のミスマガジンは八木沙織で、この時に南野陽子が2代目マガジンメイトに選ばれている。

南野陽子の楽曲は当時のアイドル歌謡がユーロビートの影響で非人間的なビートを強調した楽曲になっていく時代に反発してか、あくまでもソフト路線を貫いていたワケですが、これはサウンドプロデューサー萩田光雄の作り出したコンセプト。
イメージとしては「私立のお嬢様学校に通う引っ込み思案な女子高生」。80年代中期どんどん強くなっていく女性に疲れた野郎どものハートをわしづかみにしたのだ。

1988年08月02日「週刊プレイボーイ」198808nanno1
もっともこのコンセプトも80年代末のバブルに浮かれた時代には徐々に厳しくなっていったのか(南野陽子というキャラも年齢を重ねて「今さら引っ込み思案な女子高生もないだろ」という感じなのか)1989年6月に「トラブルメーカー」という曲で突然「はじけた女の子」というイメージ展開を図ることとなる。
が、客観的に観て「無理してはしゃいでいる」という印象がぬぐえなかった。
いきなりイメージチェンジとして夜のヒットスタジオに出演した彼女は、ショートカットにして、それまでのオーソドックスなファッションから一変した。
蛍光色の服に小道具を付けて歌っていた彼女を観て「いたたた」と思ってしまったのも事実。


1988年08月「BOMB」198808nanno2
この1989年は日本の音楽界が、アイドル歌謡からバンドブームへ移行していた時代で(レコードの売り上げがCDに抜かれた年でもある)、さらにザ・ベストテンの終了もあって、南野陽子のアイドル仕事は1991年にリリースした「夏のおバカさん」という曲で終了する。
80年代末から、90年末にモーニング娘。がブレイクするまでの10年間は「アイドル冬の時代」と呼ばれる時代だったのだ。

ちなみにヒット曲「話しかけたかった」はモンキーズの「デイドリームビリーバー」によく似ていると言われていましたが、そのモンキーズの曲自体ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」に似ているでやんす。
と言いつつ、好きな曲なんですけどね。

1989年02月「ORE」198902nanno
南野陽子はマガジン別冊の「ORE」というグラビア系雑誌によく出ていたけれど、そこで後輩の小沢なつきとの対談があった時「なつきちゃんて凄くかわいいよね。私とよく似ている」と、おいおいオマエは思いっきり自分がかわいいと思っているんじゃねえかという発言をしていた。

その後、小沢なつきは1989年、17歳の時「魔法少女ちゅうかなぱいぱい」の主演最中にマネージャーと駆け落ちをして1年予定の番組が半年で終了(後番組は急遽主役に抜擢された島崎和歌子の「魔法少女ちゅうかないぱねま!」)それから10年後に離婚し芸能界にヌードグラビアで復帰、さらに2004年にAVに転身(1972年生まれなので32歳だったが、なぜか1976年生まれの28歳になっていた)

1989年07月「ORE」198907nanno
そんな波瀾万丈の後輩を横目に南野陽子は40歳になっても、まったく波風を立てずにあの時代と同じスタンスで芸能界にいる。

ちなみに南野陽子は2004年に「芸能生活20周年」という事で大々的に記念してDVD付き写真集を出版した。が、計算したらまだ19周年目だったという事があった。
というのも、年末に放送された「ザベストテン2004」で共演した吉川晃司が同じく20周年を祝っているのを見て「あら、この人がデビューしたとき私まだ素人だったわ・・・?」という疑問を持って調べてみたら真相発覚したという物。

南野陽子がアイドル時代に語っていた将来設計。1990年に結婚、1991年に長女まいこ出産、1993年に長男たつや出産。2040年に73歳で死去。

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コメント

ちょっと疑問。マガジンメイトって何?当時の名称はミスマガジンだったはず。さらに言うと南野さん、ミスマガジンにはなっていません。その辺、ちょっとややこしいのだけど。

投稿: y | 2007年7月11日 (水) 18時41分

色々、勘違いしていた部分を修正しました。

ミスマガジンが1年間なのに対して、マガジンメイトは複数年、雑誌の顔を務めるというスタンスだったみたいです。

投稿: 杉村 | 2007年7月11日 (水) 19時30分

こんばんわ。

南野さん20周年記念もすごかったのだが、まさか25周年記念が発売されることになろうとは、
あの頃想像もしていませんでした。
 マガジンメイト(私自身当時はミスマガジンと認識していた記憶しかない)本人が雑誌だったかで私は何にも(冠が)ないので、周囲がいろいろ考えてつけたものと書いてあったように思います。

投稿: koba | 2010年9月10日 (金) 01時06分

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