1980年の基礎的知識:ザ・ベストテン4月
1980年の基礎的知識
1980年4月「ザ・ベストテン(TBS)」
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TBSの「ザ・ベストテン」は1978年1月19日に始まり1989年9月28日に終了した音楽番組で、良くも悪くも1980年代の音楽を牽引した。
1980年1月は久保田早紀「異邦人」の1位で始まった。
この4月は、終わったばかりの「3年B組金八先生」の主題歌「贈る言葉」がずっと1位を走っていた。
庄野真代は「Hey Lady優しくなれるかい」で4月10日に出演した直後、2年間に渡る世界旅行に出発した。
竹内まりやはまだ事務所的に「アイドル寄りのアーティスト」というスタンスだった時代でちゃんと出演をしていた。
この頃はまだ「初登場1位」みたいな物は少なく、初めて「初登場1位」を記録したのが1981年8月13日「松田聖子/白いパラソル」だった。
それが1984年頃から多くなっていく、というのもファンクラブ主導で「新曲がこの日に出るので、そこから1週間集中的にリクエストを!」という形に組織力がチャートを左右するようになってしまったのだ。
当時のアイドルのシングルなどを見ると、歌詞カードにも「ベストテン・トップテンにリクエストハガキを出そう!」と宛先が書いてあったりした。そのために、新人アイドルなどもリリース1週目にチャートにかろうじて入り、翌週は20位以下に消えていくというパターンも目にするようになった。
1989年、ベストテンは「ロック系の曲が増え、1時間番組の中で10曲を紹介出来なくなった」という事を言いつつ終了したが、もうひとつ「チャート史上主義が蔓延してしまった」という事も大きな理由だったんだろうなぁと思ってしまう。
ネットなどを見ても、オリコンチャートや枚数や視聴率だけで物事の優劣を付けたがるケースを目にするけれど、音楽や芸能なんて本来数字で順位がつくものじゃ無いのだ。
と言いつつ「ザ・ベストテン」は本当に面白かった。
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