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2007年1月 4日 (木)

テレビとはなんぞや

気が付いたら正月も終わっていて、気が付いたら去年末に購入した「TVガイド:正月特大号」を1回も開かずにいた。


正月のテレビをまったく見なかったワケじゃないけど、一生懸命番組表をチェックして「えっと、この番組とこの番組は要チェック!」と赤ペン入れるような感じは、無くなってしまったのだなぁ。
というか、色々な事に対してのガッついた物が体力と共に無くなっているのかも知れないっす。
なんか自分的にはイカンなぁと思ったりするのだ。
なんせ「元祖テレビッ子世代」としては、テレビチェックは人生最大のテーマであるハズだと勝手に思っているので。

色々な処でよく聞くセリフで「年末年始のテレビってつまらねえな」という物があります。
実際に、周囲でも、ネットでも何度かこの年末年始にそんな言葉に遭遇した。
でも実際の事をいえば「平時のテレビが異常にテンション上げて常にお祭り状態になっている」というのが理由だと思う。

ふと感じるのが、1980年代以降のテレビってのが常に異様なほどハイテンションをキープしなくちゃいけないかのような状態になっているんじゃないかと言うこと。
この数年特に顕著なのが複数人の芸人が出演して、思い思いの事を叫び突っ込み前へ前へという状態の番組が多くなっている。
70年代から80年代前半に放送されたバラエティ番組を「テレビの歴史」的番組で見ると、出演者が話を振られていない時はほとんど勝手な事を言わないで、番組進行に対して素直に従っている。ものすごく静かな印象を受けてしまうのだ。
それが今や、画面に映っていない時は、大きな声で突っ込みとかギャグを挟み込み、いかにして画面に映るか、あるいは編集されないかに必死なのだ。

これは時代的にビデオ編集に移行していった80年代中期とかなり理由が重なっているんじゃないかと勝手に思ってしまうのだ。
今やバラエティで「ここ編集されてしまう」とか「編集されないようにワザとクロストークで」とかなんて事を当たり前のように芸人が口にしているわけですが、これっていわゆる「芸人のアドリブで面白くなればいいや」という、番組制作側の無能さの現れなんじゃないかなぁ

たぶん今テレビを必死に見ている人の多くが「アドリブを言えない芸人はレベル低い」と思っているんだろうけど、その流れがただ馬鹿騒ぎしている番組をのさばらせている原因になるんだろうなぁ
その瞬間の刺激さえあればいいという感じで。

なんか、テレビのバラエティ番組を卒業しつつある自分は「あんた時代に合っていないだけだよ」と言われるだけの存在かもしれないけど。

バラエティ番組の豆知泉

テレビに出てくる字幕を「テロップ」とよぶが、これは正式には「テレビジョン・オペーク・プロジェクター(Television opaque projector)」の略。

バラエティ番組で出演者の喋っている言葉をテロップで表示するのをはじめたのは「進め!電波少年」。ほとんどが隠し撮りで構成されており、音声がハッキリしていないため。

コメントと同時にテロップが出る手法を最初に始めたのは、大阪のバラエティ番組「たかじんnoばあ〜」という説もある。

客を入れて撮影してきたVTRを一緒に見て… という番組を一番最初にやったのは久米宏&横山やすしの「テレビスクランブル」。

生放送で25年近く放送を続けている「笑っていいとも」でも初期は撮影してきたVTRを見て...というコーナーがあった。斉藤清六が各地へ出かけレポートをする内容だったが、客を入れた生放送で意味ないじゃんという事で数回で終了した。

最近の音楽番組はトーク部分の視聴率が良くても、歌部分になると下がる。歌が無く、トークばかりだと視聴率は安定して高いらしい。

個人的に「あれは音楽番組じゃないよなぁ」と思う『うたばん』は視聴率がいいらしく、『HEY HEY HEY』もゲームやトークが中心だと視聴率がいいらしい。音楽だけを守り通している「MUSIC STASION」は全体的に視聴率が低い(かつて番組内で「Just Fit 家の人々」などのコーナーがあった時、そこは視聴率が良かったとの噂)。

ウンナン&ネプチューンがやっていた『笑う犬』は作り込んだコントが売りの番組だったが、コントが多い回は視聴率が悪く、コントを作る時間がなくてアドリブ系のバラエティでごまかした回の方が視聴率が高かった。

視聴率ばかりに気を取られて番組制作していると、今以上にテレビは劣悪な物になっているんだろうなぁ

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