2007年1月14日 (日)
2007年1月13日 (土)
2007年1月12日 (金)
2007年1月11日 (木)
1月11日の出来事・誕生日
☆鏡開きの日
☆塩の日
☆厚生省発足記念日
☆蔵開きの日
(商売をする家で、新年初めて蔵を開き、商売繁盛を祈ります)
☆今日から『税を知る週間』です(〜17日)
☆めんの日 [毎月11日]
★01月11日が誕生日の著名人
★01月11日の出来事
2007年1月10日 (水)
2007年1月 9日 (火)
2007年1月 8日 (月)
1月8日の出来事・誕生日
☆勝負事の日(一(1)か八(8)かの勝負)
☆平成:元号施行の日
☆エルビスプレスリーの日/ロックの日
☆外国郵便の日
☆屋根の日 [毎月8日]
☆果物の日 [毎月8日]
☆米の日 [毎月8日.18日.28日]
☆歯の日 [毎月8日.18日.28日]
★01月08日が誕生日の著名人
★01月08日の出来事
浅野ゆう子「とびだせ初恋」
浅野ゆう子/とびだせ初恋
作詞.有馬三恵子/作.編曲.川口真
1974年/¥500
RCA/JRT-1355
【浅野ゆう子】
誕生日:1960(昭和35)年07月09日(46)
出身地:兵庫県神戸市東灘区
血液型:AB型
本 名:赤沢裕子
学 歴:堀越学園高校(1979卒)
浅野ゆう子と言うといまや大御所女優って感じですが、実際には1972年にアイドル歌手デビューして、70年代後期はディスコブームに乗った和製ソウル的な曲を歌う人になり、80年代初期はセクシーグラビア系の人だった。実に時代に合わせて苦労してきた人なのだ。
デビューした12歳の頃からスタイルが良かったワケですが、それもそのハズ、デビュー当時はモデル事務所オスカーに所属しておりました。

が、1980年代中期から2時間ドラマなどに出始め、女優として今に続いている。
アイドル歌手としては大成しなかったという印象で、ヒット曲と聞かれても数曲をなんとかうっすら覚えているレベルなので、トレンディドラマ以降で浅野ゆう子を認識した人にとっては「へぇ歌手もやっていたんだ」という感じかも知れない。
ちなみに「彼(1975)」という曲に関しては「彼という男の子と出会っていなかったら、私いけない子になっていたはず」という内容でミディアムスローな曲なんですが、なんか異常に麻丘めぐみの「芽ばえ(1972)」とそっくりな曲で「これはどうなんすかね?」という状態なのだ。

かなり有名な刑事ドラマですが、全体的に男臭い番組の中にマスコットガールとして刑事部屋にお茶くみ係がいるという「なんじゃそりゃ?」という設定があった。
浅野ゆう子は二代目マスコットガール「永山久子:愛称チャコ」として登場し、普段はお茶くみなどをしてドラマに華を添えていた。
が、この時の年齢が14才。視聴者から「刑事部屋で14歳の女の子が働いているって設定はデタラメすぎないか?」という指摘が多く、結局12話出ただけで番組から姿を消した(1974.10.18〜1975.01.10/第118話〜第130話)

女優としては24歳1985年頃から徐々に2時間ドラマの仕事が増えていって、86年87年は10本以上に出演し、1988年に元祖トレンディドラマと言われる「君の瞳をタイホする!(フジ)」に主演し、さらに「抱きしめたい!(フジ)」で浅野温子と共演してW浅野と呼ばれ大ブレイクして、今に繋がっていくことになるのだ。
ちなみに、その大ブレイクした年は連ドラを含めて20本のドラマに出演している。
浅野ゆう子を見るたびに「人に歴史あり」とか「色々挫折しても、続けていくといつか道は開けるのかもしれない」などと考えてしまうのだ。
成人の日なので「なんとか続けていれば、なんとかなる場合もあるので、適当に頑張れ」というエールを送ってみたりする。
浅野ゆう子の豆知泉
★浅野ゆう子の2時間ドラマシリーズに久本雅美と共演する「ツインズな探偵(フジ)」がある。正反対な二人が実は双子で...という設定だが、実はこの二人の生年月日が同じ1960年07月09日だった事から生まれた企画。
2007年1月 7日 (日)
舵取りをあきらめた民主党
と言うわけで、今年になって放送開始された「民主党」のイメージCM。
どれくらいの金額がかかっているか判りませんが、民主党はこの手の特撮的な物が前から好きですなぁ。
『国民の暮らしは嵐のまっただ中。明日の暮らしを切り開く、民主党!』という事で、嵐の中を航海する船で獅子奮迅する小沢一郎と鳩山由紀夫・菅直人の3人って事なんすけどね。
最期は舵を手放しちゃって途方に暮れる3人が、結局船の行方は流れに任せて嵐が治まるまでなすすべも無いって感じがしちゃってしょうがないんですが...。
ま、確かに自民党に任せてはいられない気もするけれど、民主党にも任せられないよなぁという感じなのだ。
安倍ちゃんは念頭の記者会見で「美しい日本づくり元年にしたい」と言い放ったワケで、てぇ事は去年秋に就任してからの3ヶ月間は元年以前で無かった事にするって事なんでしょうかね?
てぇ事は、去年3ヶ月間のゴタゴタは「置いといて」新年はそこの部分を精算して「再チャレンジ」が始まるって事なんすかね?
なんか、あれだけラストは不評だらけだった小泉政権が「懐かしいなぁ、あの頃は良かったなあ」とか想い出になっちゃいそうな勢いっす。
今年は、マジになんとか経済的に明るい話題が欲しいっす。
P.S.
このブログに掲載しているイラストを書く時の筆記用具は、普通にそこらで売っている水溶性のボールペンなんすけど、この手のちゃんとした絵を描こうとするのには無理があるなぁと実感。
ちゃんとしたペンを買ってこようかなぁ
2007年1月 6日 (土)
1月6日の出来事・誕生日
☆色の日
☆ケーキの日
☆良寛の日
☆ホーリースリーキングスディ
☆東京消防庁出初め式
☆イタリア:顕現日(Epiphany)
★01月06日が誕生日の著名人
★01月06日の出来事
即席ラーメンよ永遠に
日清食品の創業者。安藤百福氏が亡くなった。

でも間違った情報として「カップ入りのラーメンを発明した」という記述を見かける事があるんだけど、実際の事を言うと日清がカップヌードルを発売したのは1971年だけど、その10年前の1961年に明星食品が「叉焼麺」というカップ入りのラーメンを開発している。

ちなみに、一般的にラーメンと言えば丼で食べるものなのに、カップヌードルが縦型容器なのは安藤百福氏が海外視察で飛行機に乗った時に出てきたマカデミアナッツの容器が元になっている。その時の容器を安藤氏は持ち帰っていて、現在も日清食品には保管されている。

自分の思い出として、初めて「豚骨」という味を経験したのは、東京にいた学生時代にクラスメイトだった通称「酒場のデザイナー」おひさ嬢が実家から送ってきた九州でしか発売されていなかった即席とんこつラーメン「うまかっちゃん(ハウス食品)」でした。
友人達はその味にかなり衝撃を受けたワケですが、まだ東京では豚骨味のラーメンはほとんど知られていなかった。
で、このハウス食品が九州地区限定で「うまかっちゃん」を発売開始したのが1979年9月1日の事なんですが、実はその2ヶ月前の1979年7月1日に日清食品がカップラーメン「めんコク」のシリーズですでにとんこつを発売している。
う〜む、やるな日清。しかも最初のとんこつ味がカップだったとは。(もっとマイナーな本当に九州限定でもっと古くからあったかも知れませんが)
でも、とんこつラーメンで成功したのはハウス食品の「うまかっちゃん」で、その後ハウス食品はご当地ラーメンに力を入れて、関西ラーメン「好きやねん」、北海道ラーメン「うまいっしょ」などを売り出している。
何はともあれ、日本人だけじゃなく世界の食生活に影響を与えた安藤百福氏、ありがとうございました。
カップ麺の豆知泉
★日清カップヌードルはヌードルと言う言葉が一般的ではなかった当時に「ヌード」と読まれないように、『ド』の文字だけ小さくした。
★「カップヌードル」はかつて「こんなのは『ヌードル』ではない」とイタリアから文句を言われたことがある。
★日本で発売されているカップ麺1本の平均的長さは60cmだが、アメリカの場合は15cm。西洋人はパスタをズルズルすする習慣がないため。
★かつて明星食品から待ち時間1分という「クイックワン」が発売された事がある。しかし話題の割に2年ほどで発売中止となった。敗因は「待ち時間が短くて食に対する欲求を高める事が出来なかった」と言われているが、実際には「1分で出来る麺なので、食べている間に伸びてしまう」というのが消費者の感想(実体験)。
★メーカー的には「待ち時間が短すぎるとダメ」という理由にしているが、焼きそばなどは1分というものがある。こっちはお湯を捨てるので食べている間に伸びる心配がない。つまり待ち時間が...というのは後付の理由。
★かつて待ち時間0分というカップ麺があった。1985年に大塚食品が発売した「アルキメンデス」。CMにはアン・ルイスが出演していた。なぜ0分かというと「堅焼きそば」だから。つまり、揚げた麺に附属のレトルト具材をかけるだけで食べることが出来たため(レトルトを暖めて食べる事も可能)。もっともこれも2年ぐらいで消えた。
★ファミコンソフト「グラディウス」には、アルキメンデスの販促キャンペーンVer.が存在してる。どうやらこのソフトは中古市場ではかなりレアアイテムで高値をつけているらしい。
★島根県は、カップヌードルに入っている乾燥いりたまごみたいな物の生産日本一。
★カップヌードルに入っている肉っぽい物の正式名は『肉ボール』。
2007年1月 5日 (金)
夢を持っているかい?
渋谷で女子短大生が3浪中の兄に殺害され、自宅で切断された遺体として見つかった事件。
報道では年末二人きりになった時に妹が「お兄ちゃんは努力もしないし、だから夢も持てないんだよ」と言われた事がキッカケで殺害に及んだとか言われてますが、3浪中って状態では変に未来に対して夢なんか持てないんじゃないかなぁとは思ったりします。
とりあえず、歯科医の両親のあとを継ぐという事で医大を目指していたんだから、それが夢だったんじゃないかと思ってしまうのだ。
それに対して、将来歯科医を継ぐ必然性もない妹は芸能事務所に所属してVシネマとかに出ていたとの事(事務所はすでに辞めていたらしいけど)。
で、自分は10代から20代にかけて音楽関係に深く関わっていたわけですが、そこは「夢」を語る人満載で、良くも悪くも青臭い人々を大量に見てきました。
で、悪い部分で言うと、アマチュアながらそんな場所に関わっている人の中には「自分は他人と違う」という選民意識なのか、普通に学校を卒業して普通に就職する人を馬鹿にする傾向が見受けられた。
確かに、アーティストになるってことは一筋縄でいかない事が多く大変な事だと思うけど、他者を批判する権利はないのだ。
というか、本当のアーティストはそんな事考えないんだろうけど、中途半端な人にとって心の拠り所は「自分は崇高な理念で生きている」という部分だけなので、ついついそれを確認する意味で他者を比較対象として持ち出してしまうんじゃないか、と当時思った。
なんか昨今の傾向として「夢を持てない人はダメな人」みたいな流れがあって「努力すれば夢は必ず叶う」的な言葉を良く聞く。
でもね、実際の事を言えばどんな努力しても叶わない夢も沢山あるんだよ。
自分なんかも、そんな夢を追いかけた状態で貴重な20代をつぶしてしまった感があって、いまさらながら「あの時、あんな高い部分を目指していなかったら、もっと楽しい20代を過ごす事出来ただろうなぁ」と色々な意味での経験不足をちょいと嘆いてしまったりするのだ。
※サザンのアルバム『人気者で行こう』収録の「女のカッパ」の「何もしない人が笑える時代♪」という歌詞に頷いたいた事もあります。
ま、そのダメダメな時代を大量に過ごしたお陰で、今の雑学野郎としての自分があったりするワケで完全に無駄ではなかったとは思うけれど、夢に対しての敗北感はたぶん人一倍抱えていたりするかも知れないっす。
テレビのコメンテーターなどが、決まり文句のように「近頃の若者は夢を持っていない」みたいな事をいうけれど、そこで発言している人は、曲がりなりにもテレビ局からオファーが来るレベル程度に成功した人だからそんな言葉を言えるワケで。
実際には20年前(1980年代初頭)の若者だって夢を持たずにダラダラ生きている人の方が多かったし、さらに前の学生運動の時代(1960年代)だって周囲に流されて自分の意見ではない理想を抱えた気分になっている若者が多かっただろうし、そんなモンすよ。
色々めんどう臭い理想などを抱えまくっていた時代を経て、今の自分は「なんとかしとけば、なんとかなる」ぐらいの緩いスタンスで歩いております。
若者よ、無理しない程度に頑張れ。
むりやりサザンオールスターズの豆知泉
★サザン・オールスターズのグループ名を考案したのは、桑田佳祐の青学時代の友人宮地氏。イベントに出演する事が決定してがグループ名が決定していなかった。が、もうポスターを印刷しなくてはいけなかったので、メンバーの承諾を得ずに勝手に命名してポスターに印刷したもの。
★当時、桑田佳祐が好きだった「サザンロック」と、来日していたサルサバンド「フェニア・オールスターズ」の名前を合体させた物。それを考えたのは宮地氏が風呂に入っている時。(他にも諸説ある)
★初期は桑田佳祐と関口和之がメンバーだった「温泉あんまももひきバンド」。その後、原由子らを加え「青学ドミノス」→「脳卒中」と名前を変えていた。
★デビュー曲「勝手にシンドバッド」は、沢田研二の「勝手にしやがれ、ピンクレディの「渚のシンドバッド」を意味不明に合体したもので、歌詞の中には「勝手に」も「シンドバッド」も出てこない。
★実は偶然に、それより前にドリフターズ志村けんがネタとして、沢田研二とピンクレディの二曲をデタラメに歌う「勝手にシンドバッド」という曲があった。
★サザンオールスターズが「勝手にシンドバット」でデビューした当時、新聞で「桑田君をリーダーとしたコミックバンド」と紹介されていた。
★サザンオールスターズが「勝手にシンドバッド」でベストテンのスポットライトに出演したのは8月31日、初ランクインしたのは9月21日に9位。真夏向けの曲だが売れたのは9月以降で11月30日までランクイン。
★「チャコの海岸物語」は60年代テイストが歌詞にちりばめられていて「ミーコ」は弘田三枝子の事だが、「チャコ」は子役のチャコちゃん(四方晴美)のことではなく、「ルイジアナ・ママ」を歌っていた歌手・飯田久彦(現テイチク会長)のこと。
★レコード発売からチャート1位になるまでの最長記録は、長らく山下達郎の『クリスマス・イブ』が打ち立てた6年6ヶ月だったが、2003年にサザンオールスターズの『勝手にシンドバッド』の25年に抜かれた。
★ちなみにサザンの曲はデビュー25周年記念の再発によるもの
・「クリスマス・イブ」1986年発売→1992年1位
・「勝手にシンドバッド」1978年発売→2003年1位
2007年1月 4日 (木)
テレビとはなんぞや
気が付いたら正月も終わっていて、気が付いたら去年末に購入した「TVガイド:正月特大号」を1回も開かずにいた。
正月のテレビをまったく見なかったワケじゃないけど、一生懸命番組表をチェックして「えっと、この番組とこの番組は要チェック!」と赤ペン入れるような感じは、無くなってしまったのだなぁ。
というか、色々な事に対してのガッついた物が体力と共に無くなっているのかも知れないっす。
なんか自分的にはイカンなぁと思ったりするのだ。
なんせ「元祖テレビッ子世代」としては、テレビチェックは人生最大のテーマであるハズだと勝手に思っているので。
色々な処でよく聞くセリフで「年末年始のテレビってつまらねえな」という物があります。
実際に、周囲でも、ネットでも何度かこの年末年始にそんな言葉に遭遇した。
でも実際の事をいえば「平時のテレビが異常にテンション上げて常にお祭り状態になっている」というのが理由だと思う。
ふと感じるのが、1980年代以降のテレビってのが常に異様なほどハイテンションをキープしなくちゃいけないかのような状態になっているんじゃないかと言うこと。
この数年特に顕著なのが複数人の芸人が出演して、思い思いの事を叫び突っ込み前へ前へという状態の番組が多くなっている。
70年代から80年代前半に放送されたバラエティ番組を「テレビの歴史」的番組で見ると、出演者が話を振られていない時はほとんど勝手な事を言わないで、番組進行に対して素直に従っている。ものすごく静かな印象を受けてしまうのだ。
それが今や、画面に映っていない時は、大きな声で突っ込みとかギャグを挟み込み、いかにして画面に映るか、あるいは編集されないかに必死なのだ。
これは時代的にビデオ編集に移行していった80年代中期とかなり理由が重なっているんじゃないかと勝手に思ってしまうのだ。
今やバラエティで「ここ編集されてしまう」とか「編集されないようにワザとクロストークで」とかなんて事を当たり前のように芸人が口にしているわけですが、これっていわゆる「芸人のアドリブで面白くなればいいや」という、番組制作側の無能さの現れなんじゃないかなぁ
たぶん今テレビを必死に見ている人の多くが「アドリブを言えない芸人はレベル低い」と思っているんだろうけど、その流れがただ馬鹿騒ぎしている番組をのさばらせている原因になるんだろうなぁ
その瞬間の刺激さえあればいいという感じで。
なんか、テレビのバラエティ番組を卒業しつつある自分は「あんた時代に合っていないだけだよ」と言われるだけの存在かもしれないけど。
バラエティ番組の豆知泉
★テレビに出てくる字幕を「テロップ」とよぶが、これは正式には「テレビジョン・オペーク・プロジェクター(Television opaque projector)」の略。
★バラエティ番組で出演者の喋っている言葉をテロップで表示するのをはじめたのは「進め!電波少年」。ほとんどが隠し撮りで構成されており、音声がハッキリしていないため。
★コメントと同時にテロップが出る手法を最初に始めたのは、大阪のバラエティ番組「たかじんnoばあ〜」という説もある。
★客を入れて撮影してきたVTRを一緒に見て… という番組を一番最初にやったのは久米宏&横山やすしの「テレビスクランブル」。
★生放送で25年近く放送を続けている「笑っていいとも」でも初期は撮影してきたVTRを見て...というコーナーがあった。斉藤清六が各地へ出かけレポートをする内容だったが、客を入れた生放送で意味ないじゃんという事で数回で終了した。
★最近の音楽番組はトーク部分の視聴率が良くても、歌部分になると下がる。歌が無く、トークばかりだと視聴率は安定して高いらしい。
★個人的に「あれは音楽番組じゃないよなぁ」と思う『うたばん』は視聴率がいいらしく、『HEY HEY HEY』もゲームやトークが中心だと視聴率がいいらしい。音楽だけを守り通している「MUSIC STASION」は全体的に視聴率が低い(かつて番組内で「Just Fit 家の人々」などのコーナーがあった時、そこは視聴率が良かったとの噂)。
★ウンナン&ネプチューンがやっていた『笑う犬』は作り込んだコントが売りの番組だったが、コントが多い回は視聴率が悪く、コントを作る時間がなくてアドリブ系のバラエティでごまかした回の方が視聴率が高かった。
視聴率ばかりに気を取られて番組制作していると、今以上にテレビは劣悪な物になっているんだろうなぁ
2007年1月 3日 (水)
2007年1月 2日 (火)
1月2日の出来事・誕生日
☆皇室一般参賀の日
☆初夢の日
☆書き初めの日
☆初荷の日(初売り・農始め・山始め・初舟なども)
☆姫始め
☆月ロケットの日
☆箱根駅伝−往路(東京箱根間往復関東大学駅伝)
★01月02日が誕生日の著名人
★01月02日の出来事
2007年1月 1日 (月)
1月1日の出来事・誕生日
☆元旦です。
☆少年法施行の日
☆太陽暦施行の日
☆鉄腕アトムの日
☆神戸港記念日
☆スーダン独立記念の日
☆キューバ解放記念日
☆中華民国(台湾)設立記念の日
☆省エネルギーの日[毎月1日]
★01月01日が誕生日の著名人
★01月01日の出来事
あけましておめでとうございます
てなワケで、新年おめでとうございます。

で、こっそりと2006年12月の雑記を追加更新しているかもしれません。実は、数日分は書いていたのですが、イマイチまとまりがなかったり「ワザワザ自分がアップする必要ないじゃん」とか思う内容だったりして、保留してしまったり。
あんまり無理をするつもりは無いっすけど、なんか最近「俺はやっぱ、雑学の人なんだよなぁ」と思う事が多く、それ以外の事に関しては激しく駄目な人間と自覚しました。
もうこうなったら、どっぷりと雑学野郎となって生きていこうじゃないかと考えています。
てな、ワケで今年はゆったりと雑学三昧でいこうと考えていますので、よろしくお願いします。

たぶんこの演出に関してはNHK側も打合せを含めて「OK」だったんだと思うので、これに関して出入り禁止って事はないとは思うけど、もしOZMAが出入り禁止だとしても、氣志團は普通に出入り出来ると思うので何も問題はないのだ。
この演出は、その後に出た「カウントダウンTV」ではさらに過剰になっていて、ラストにOZMAがパンツを脱ぐとそこに作り物のチンチンがついていたワケで、とりあえずNHK用に演出を抑えたって事なのかも知れない。
ま、それが批判をうける物か、そうじゃないのかは、TVというメディア、NHKというメディアを考えた時どうなのかはよく判らないけど、個人的には「あんまり趣味がいいとは思えない」って感じっすかね?
別に裸がどーこーって事じゃなく、これまでの氣志團(あくまでも別人ですが)の時の演出も派手って感じる前に「下世話」という部分しか感じなかったので、趣味ではないなぁって感じ。
それ以前にひんしゅくを買った演出って事では、もう20年近く前にとんねるずがブリーフ1枚というのがあったけど、過激とか顰蹙を買いそうな物が格好いいとかいう考え方は逆に古く感じてしまうのだ。
ま、氣志團にしろ、DJ OZMAにしろ、自分は音楽的に全然琴線に触れないので、どうでもいいって言えばいいことなんすけどね。
顰蹙買いそうな物って事では、年が明けて元旦にフジでやっていた「爆笑ヒットパレード」で久々に見たトミーズが「ヨンさまとか言うけど、苗字はぺやぞ」とか「ぺの次がピだとか」とその国の人の苗字を馬鹿にするようなネタを延々とやっていたけれど、韓流ファンのおばちゃんじゃないけど、それは文化程度低いネタだなあと思ってしまった。
そんなこんなを思いつつ、今年はゆったりとスタートするのであった。
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