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2006年11月 2日 (木)

沢田研二「時の過ぎゆくままに」

Sawa009_3沢田研二/時の過ぎゆくままに
作詞.阿久悠/作曲.編曲.大野克夫
ポリドール/DR 1965
1975年08月21日/¥500



1967年にグループサウンズ(GS)のタイガースでデビューした沢田研二
ジュリーという愛称と共にGSを代表するアイドルになっていたが、そのGS人気も1970年代に入るといきなり下火になって1970年12月07日にタイガース解散(ソロアルバムはその前年の1969年12月01日にリリースしている)。

00sawa001その後、1971年にテンプターズの萩原健一(Vo.ショーケン)・大口広司(D)、スパイダースの井上尭之(G)・大野克夫(KEY)・タイガースの岸部おさみ(B.岸部修三→現在の岸部一徳)というメンツで、新時代のバンド「PYG」を結成。しかし、その後、大きなヒットもなく1972年に自然消滅をしている。

Sawa002PYGの活動と並行してシングル「君をのせて」でソロ歌手として活動も始め、2枚目の「許されない愛(1972/03/11)」が大ヒットし、レコード大賞の歌唱賞などを受賞し、ソロ歌手としての活動がメインになっていく。
そして表題の「時の過ぎゆくままに」は1975年8月に発売された曲だが、この時代はアイドル的な要素も強く、前年1974年に放送されたドラマ「寺内貫太郎一家」の中で悠木千帆(現.樹木希林)が壁のポスターに向かって「ジュ....ジュリ〜〜〜〜」と叫んでいた事に象徴されるような時代だったのだ。

Sawa003しかし、そのアイドルとして絶頂期の1975年7月に沢田研二はザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚している。その結婚後第1弾シングルがこの「時の過ぎゆくままに」だった。
さらに、それまで沢田研二はドラマのゲストや単発ドラマなどの出演があったが、初の連続ドラマ主役として話題になった「悪魔のようなあいつ」というドラマの主題歌でもあった。
その話題性も十分あったとは思うけれど、この曲は盟友・大野克夫の珠玉の名曲で、出だしのギターフレーズから哀愁路線どっぷりで、さらにジュリーのボーカルがGS時代より格段に色気をましてしっとりと抑え気味に歌うという物。大野克夫が沢田研二という稀代のボーカリストの声質をいかに生かせるかという研究の末に作られた曲という雰囲気なのだ。

Sawa004この曲は90万枚を超える大ヒットとなって、結婚なんて物は人気には全然影響ないじゃんという状態ではあったのだ。
が、好事魔が多いということで、1976年に新幹線の中で暴言を吐かれ、それで暴行事件を起こし、しばらく謹慎となったワケです。
もっとも、復帰後は「アイドル沢田研二」ではなく「エンターテナー沢田研二」として1980年代までどんどんエスカレートして突っ走っていく事になるわけでやんす。

Sawa005とにかくこの曲は名曲中の名曲だと思っております。
ちなみに演奏は「井上堯之バンド」で、PYGの井上堯之・大野克夫・岸部修三(岸部一徳)が参加している。今は俳優だけのイメージの岸部一徳は、この「悪魔のようなあいつ」に俳優としても出演していますが、70年代までは同時にベーシストとしても活動していたのであります。

Sawa006で、ドラマ「悪魔のようなあいつ」という作品は、1968年12月10日に東京府中市で起こった「東芝府中工場のボーナス強奪事件」いわゆる「3億円事件」を題材にした物で、1975年6月6日〜9月26日に放送された。
主題歌はヒットしたんですが、実は視聴率的には思ったほどいかなかったらしく、本当は年末まで放送して、窃盗事件の時効7年の1975年12月10日前後にクライマックスを持ってくる予定だったらしいが、その前に打ち切りになったという。

Sawa007そしてこのドラマの脚本を書いていたのが映画監督としても有名な長谷川和彦。ここでジュリーの演技に惚れ込んで、原爆を安アパートの中で作り上げ政府を脅迫する男を描いた「太陽を盗んだ男(1979)」の主役に起用することになる。
東海村の原子力発電所からプルトニウムを盗み出し、自宅で原爆を作ったけれど、目的が見あたらない犯人が「とりあえず今見ているナイター中継を最期まで放送しろ」と政府を脅迫したり「ローリングストーンズを来日させろ」と要求したりという、これも名作でやんす。

三億円事件の豆知泉

Sawa0083億円事件。結局は7年かかっても犯人が見つからず時効となったのだが、それに費やした捜査費用はおよそ3億3,000万円。

1968年に起こった「三億円事件」で盗まれた正確な金額は294,371,510円。あの犯人は562万8490円分のぬれぎぬを着せられたことになる。

奪われた金額を語呂合わせで読むと「にくしみのない強盗」

給料を銀行振り込み型にした第1号は1941年の大蔵省。貯蓄額倍増計画の一環としてだったが民間会社はほとんど実施しなかった。振り込み型が一般的になるのは1968年に三億円事件で給料輸送車が狙われたのがキッカケ。

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