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2006年11月23日 (木)

40年ぶりに氷点?

なんやら「氷点が40年ぶりに帰ってきた」とか言っています。


確かに1966年に氷点が放送され大ヒットしたワケですが、少なくとも「氷点2001」という番組があったわけで。
そんでもって「それって今回の放送がテレ朝だから、テレ朝で40年ぶりって事じゃない?」とか好意的に思ってみたわけですが、調べてみると「氷点2001」もテレ朝での放送だったワケで「盛んに言っている40年ぶりって何?」状態ではあります。

で、たしかその「氷点2001」が放送された時も「あの名作が長年の沈黙を破り復活」みたいな事が言われていたワケですが、さらに調べてみると1989年にもテレビ朝日で「氷点」が放送されている。しかも「テレビ朝日開局30周年記念」と大々的に銘打っています。
う〜む。

で、調べた結果、氷点はこれまで
1966年01月23日〜1966年04月17日:13回(NET.現テレ朝)
1971年01月04日〜1971年03月12日:50回(昼の帯番組.TBS)
1971年10月25日〜1972年01月24日:14回(続編.NET.現テレ朝)
1981年03月30日〜1981年06月26日:65回(昼の帯番組.TBS)
1981年04月09日:単発(NTV)
1989年04月06日〜1989年04月07日:2夜連続(テレビ朝日開局30周年)
2001年07月12日〜2001年09月20日:10回(テレビ朝日)
2006年11月25日〜2006年11月26日:2夜連続(テレビ朝日)
と、続編を含めて8回もドラマ化されております(映画は1966年に1本のみ)
過去を含めた氷点出演者

とりあえずテレビ朝日にあるページでは、プロデューサーが「40年ぶりによみがえる」とか書いていますが「ここのページ
なんか「40年ぶりに!」というのが売りなのかなぁとか思っちゃうと「2001は不発だったから無かった事に」という事なのかぁとか思ってしまうワケで。

ちなみに現在もNTVで放送している「笑点」は1965年3月12日に始まった「金曜夜席」が、1966年5月15日にリニューアルされる際に、流行っていた「氷点」の名前をパロディにして付けた物。(その時点でドラマは終了していた)
実は番組が始まるのより前に、雑誌で「笑点」というタイトルのひとこま漫画が連載されていて、そこに断りを入れて命名したとも言われている。

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2006年11月22日 (水)

原田真二「てぃーんず ぶるーす」

Photo_19原田真二/てぃーんず ぶるーす
作詞.松本隆/作曲.原田真二/編曲.鈴木茂&瀬尾一三
フォーライフレコード/FLS-1010
1977年10月25日/¥600


「てぃーんずぶるーす」は原田真二のデビュー曲で、この曲に続いて3ヶ月連続シングルリリースという売り出し方をした(最近ではよくあるけど当時はすごく特殊だった)。
第2弾「キャンディ(11月25日)」、第3弾「シャドーボクサー(12月20日)」はそれぞれヒットして、オリコン10位以内となった。

Photo_20実は「デビュー3曲同時チャートイン」というのは史上初の快挙だった(ま、3枚を短期間連続リリース自体が無かったので当たり前かもしれませんが)
さらに1st アルバムも初登場1位という史上初の記録を作り上げている。

このレコード会社大プッシュデビューの裏に実は、所属レコード会社のフォーライフレコードの運営危機という切羽詰まった物があったらしい。
フォーライフレコードは1975年に井上陽水泉谷しげる吉田拓郎小室等というフォーク界の癖のある大御所4人が「自分たちが理想とする曲を理想とした環境で作りたい」という理念で結成した、日本初のアーティスト志向のレコード会社。

Photo_21結成当初はかなり話題になったが、売り上げが思うようにいかず、1976年11月10日に満を持して4人共同で製作したクリスマスアルバムなども「それぞれ4人のファンが買ってくれる」との思惑で、当時としては多い初回30万枚プレスで発表した処、まったく売れずに返品の山となって、さらに財政を圧迫してしまったという。

「フォーライフで独自の新人を育てなくてはいけない」とオーディションを行ったのだが、そこに高校2年生だった原田真二がいた。実はテープ選考の際に不合格になっていたが、吉田拓郎が興味を持ち原田が青山学院大学に合格して上京してきた処でコンタクトをとり、その年の10月に吉田拓郎プロデュースでデビューとなった。
曲自体ポップで覚えやすいというものヒットの理由だが、それと同時にアイドル的な容姿が女性ファンをつかむことになった。

Photo_22実はデビュー当初、原田真二は「テレビに出るのは嫌だ」と言っていた。これに関しては吉田拓郎などもテレビに出ないことを基本にしていたので強くテレビに出て顔を売れとは言えない状態だったのだ。
で、そこに登場するのが同年(1977年)吉田拓郎と結婚したばかりの浅田美代子で「やはり今の時代テレビに出ないとダメ」と原田を諭して渋々テレビ出演を承諾させたという。意外としっかりしてるじゃんミヨちゃん。

Photo_23その「テレビ出るのOK」を受け、いきなりデビューと同時(1977年暮れ〜)に東京12チャンネル(現.テレビ東京)で「歌おう!原田真二と(水:16:30〜17:00)」という原田がホストを務める音楽トーク番組まで始めちゃっている。当時の12チャンネルは超低予算でも番組作れたとは言うけど、激しくプッシュしていたのだなぁと思うのだ。
そんな社全体でのバックアップもあって3曲大ヒット、4曲目の「タイムトラベル」もヒットとなって、会社がかなり盛り返したという。

デビュー直後の1978年1月にTBSで「ザ・ベストテン」が始まっており、第3週の2月2日に「キャンディ」が初登場9位になっている。(デビュー曲のてぃーんずぶるーすはチャートインせず)
フォーライフがさらに盛り返すのが1981年の「ザ・ぼんち/恋のぼんちシート」。

Photo_24原田真二の2曲目「キャンディ」は当初から「ビートルズのミッシェルにそっくりじゃん」と言われてまして、それに関して自分も「否定出来ないよな派」であります。
実は原田と同時期に売り出してきた「世良公則&ツイスト」「チャー(Cher)」を雑誌なんかが勝手に「ロック御三家」なんて恥ずかしい名前でひとまとめにしてワケですが、その3組はちょいとビートルズ繋がりではないかと思っている。
原田真二「キャンディ」→「Michelle」
ツイスト「あんたのバラード」→「Don't Let Me Down」
チャー「気絶するほど悩ましい」→「While My Guitar Gently Weeps」
という図式で。

Photo_25もっとも自分は音楽の類似に関しては「音楽なんて基本的に伝承されていくものだし、前人にインスパイヤされなきゃ曲は作れるハズなので、似ている事に関しては全然問題にしないもんね」と考えているので、どっちの曲も好きなんですけどね。(筒美京平が好きって段階で、そんなの突き抜けて考えております)

しかし、原田真二は元々アーティスト志向が強かったために段々と歌謡曲的ポップから遠ざかり、チャートからも遠ざかっていくこととなる。(でも個人的にはアルバム『モダンビジョン』とかシングル「雨のハイウェイ」とは好きだった。
で、世間的にその後話題になったのは松田聖子との不倫疑惑だったわけですが。(松田聖子に関しては、原田真二は初期アルバムでも「パイナップルアイランド」とか「ピンクのスクーター」などの名曲を書いている。)

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2006年11月21日 (火)

荒らげる

テレビで「今でも止まらない飲酒運転」という特集をやっていたんだけど、その中で「酒を飲んだ男性が記者に対して声を荒げた」と言っていた。


う〜むと思ったんだけど、それから数時間後、テレビは別の番組になっていた。そこでも報道っぽい内容で「電車内の痴漢」を特集していて「捜査官が声を荒げた」とナレーションがあった。
う〜む、今はついにアナウンサーも「荒げる」という表現が正しいって事になってしまったんでしょうかね?

確かに「声をあらげる」という言い方は一般的だけど、正しくは「声をあららげる」。これは漢字表記した時に「荒らげる」というのがあって、これを「荒(あ)らげる」と読んだのが最初だと言われている。実際には「荒(あら)らげる」。

こうして日本語は微妙に変わっていくのかも知れない。でもって、その事を指摘すると「今はこっちが正しいんだよ」とか逆ギレされちゃうケースもあると思うのだ。
日本語は常に変化していく言語だと思うので、それもしょーがないかなぁと思ってしまう。

いわゆる「私は識者」と思いこんでいる人が「最近の言葉は乱れている」とか嘆いたりもするワケですが、実際の事を言えばその人たちの言葉だって明治時代の人からしてみたら「その言葉遣いはなんだ!」と怒られてしまうような変な言い回しが多いと思うし、明治時代だって夏目漱石はとにかく造語大好きだったり、江戸時代の言葉とは全然違っているし、外来語を大喜びで取り入れている。
さらに江戸時代だって、その場その場で流行った言葉が平気で普通の言い回しになっていっている。

有名な処では「しだらない→だらしない」などの逆さ言葉とか。
最近では「それって全然いいね」という「全然」の使い方の変化があった。たしか1990年頃に「全然いいじゃん」という言い回しが若者言葉のように出てきた。その際にある程度の大人は「その言葉遣いは何だ?全然には否定形の言葉が続くんだ」とか言っていたような気がする。
たとえば「全然よくない」という感じに。
でも実際の事を言えば、明治時代の文献(夏目漱石とか)などを読むと普通に「全然よい」という否定形ではない言い回しが出てくる。
実は昭和になって「全然」が否定の時に使う言葉に変化してしまい、それが何故か平成になってから意図的ではない状態で明治時代の言い回しに戻ったのだ。

言葉は変化していくから面白い。
でも、時々違和感を感じてしまうってのはオッサンになった証拠なのかなぁ。

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2006年11月15日 (水)

佐良直美「二十一世紀音頭」

000021seiki佐良直美/二十一世紀音頭
作詞:山上路夫/作曲:いずみ・たく
1970年/¥500
ビクターレコード/MV-578-S


この寒い時期に盆踊り用の曲の話題でしつれいします。(前回、前々回がかなりマイナーだったので、どメジャーな曲をやろうと思ったのですが)

三波春夫「世界の国からこんにちは」一番有名なVer.
000sekai01実は、30年以上に及ぶ「これ何だ?」が解明されたので、この曲を。
って、そんな大袈裟な話じゃないんだけど、ずっとずっと前の雑記にも書いた「子供の頃、地域の盆踊りで毎年毎年使われていた曲が耳に残って...」という話題。

小学校時代に盆踊りの曲として「♪これから〜31年経ったら、この世は21世紀ぃぃ♪この世はどうなっているかしら?」という歌詞の音頭ものがあったのです・
子供心になんか「凄く完成度の高い音頭」と感じていて、その歌詞はほとんど暗記していて、バックの演奏のフレーズも記憶しているほどでした。

坂本九「世界の国からこんにちは」紅白で歌われたVer.
000sekai02歌詞の内容から察する処、多分1970年に作られた曲らしいんですが、そのタイトルも歌手名も判らない状態で、友人に話しても「そんな曲知らない」とのことで自分にとって幻のヒット曲になっておりました。(多分自分が踊っていたのは、1970年にリリースされてから数年後)
たぶん、高校時代にもそんな話題を周囲に対してして「知らない」と言われていたので、もう四半世紀に渡る疑問だったのです。(高校時代にその盆踊りを主催した青年部の建家に入る機会があって、レコードないかと探したが発見できず)

吉永小百合「世界の国からこんにちは」万博タイムカプセルVer.
000sekai03で、それが「インターネットって便利だなぁ」を実感する状態であるのですが、先日ふと「そういえば!」とその記憶している歌詞を入力して検索してみると、瞬時に「佐良直美/二十一世紀音頭」だという事が判明したのであります。

そうか、佐良直美だったのか。作詞:山上路夫/作曲:いずみ・たく、という作った人々も大御所なので、この完成度は納得なのだ。

倍賞美津子「世界の国からこんにちは」
000sekai04時代としては1970年は、大阪で万国博覧会が開催されていて、未来がまだ眩しく明るい物であって、文明の進歩が人類にとって望むべき未来だった。
学生運動なども一段落していたハズだし、高度経済成長もピークを迎えていた事から、この先に控えているのはまったく曇りのない幸せあふれる世界だったハズなのだ。

山本リンダ「世界の国からこんにちは」
000sekai05歌詞の中で「♪火星や金星、遠くの星に旅行に出かけているかしら」とも歌っているのですが、1970年の前年1969年にアポロ11号で初の月面着陸をしたという事もあって、宇宙開発は当然進んでいて、21世紀を迎える頃には宇宙ステーションが出来ていて、その中で多くの人が地球上と変わらない生活をしているというのが「当然来るべき未来」として描かれていたのだと思う。
その辺は残念だったし、地球上もそんなに素晴らしい未来を迎えてはいなかった。

西郷輝彦「世界の国からこんにちは」
000sekai061960年代中期に始まったベトナム戦争は1973年に終結したが、それから30年経っても人類は戦争をし続けている。馬鹿な国が核兵器をさらに生産して軍事的脅威で自国を守ろうと躍起になっている。
子供の頃の自分は、すなおに未来図を描きながらこの曲を聴きながら盆踊りで踊っていましたが、この世はあんまし良くない方に転がっていますよ。

きっと「未来に夢がもてない時代」というのが、色々な部分にさらなる歪みを作っていくんだろうなぁ
しゃんらららしゃんらら〜21世紀の夜明けは近い♪

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2006年11月14日 (火)

11月14日の出来事&誕生日

20061114パチンコの日
埼玉県民の日
大分県民の日
いい石の日
ウーマンリブの日
武者小路実篤「新しき村」開村の日
11月14日が誕生日の著名人
11月14日の出来事

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自殺しても生まれ変わるから大丈夫

先日放送されたイジメに関する特別番組の中で、小学生たちにイジメ問題などを自由に討論させるという趣旨のコーナーがあった。


そこでは「イジメが良い悪い」とか「イジメられる方にも問題がある」とか、ハッキリ言って社会問題化されていなかった自分が小学生時代のホームルームでも出ていたような意見が繰り返されているような感じではあった(昔よりドライですが)。
もっとも、自殺という言葉に関して「自殺したいと思った」という部分に挙手したのが半数以上というのは、「自殺」という単語自体に重さが無くなってしまったのかなぁという気もした。

軽いギャグ的言い回しとして「鬱だ死のう(宇津田氏脳などの表記)」というのがネット経由であるけれど、あのレベルかも知れない。「ちょっと嫌になった」というのを「ちょっと死んでしまおうと思った」まで軽く飛躍する状態で。

で、イジメによる自殺の話の中「でもイジメられてこの世が嫌になったら、死んで生まれ変わってくればいいじゃん」という意見が出た。その瞬間、その場にいた10数人の小学生達が一斉に「死んでも生まれ変わってくる」という話を口々に「死んでもさ、生き返るんだから」「1週間以内なら生き返るんだよね」「死んだ時はデビルパウダーをかければいいんだよ!」とかテンションを上げて話しはじめた。

しかし、そこでの生き返りという意味は「輪廻転生」とかではなく、テレビゲーム的だったり漫画的なニュアンスの「設定をチャラにして、もう一度最初から」みたいな感じだったのにちょい怖さを感じた。
仏教的に言われる輪廻転生は「現世においての行いが来世に影響するので、現世で功徳を積むことによって、生まれ変わった時に素晴らしい人生を歩むことが出来る」という、ある意味、信心深くさせるための嘘も方便という感じの部分なのだ。あと、死ぬ事への恐怖を和らげるための教えでもあるはず。
決して「生まれ変わるから今死んでも構わない」では無いのだ。

確かに、ドラゴンボールを初めとして多くのバトル系漫画では、主人公やその仲間が死んでも何んらかの方法で再生してくる。物語的には重要なキャラクターが死ぬってのは大いに盛り上がるので使いたくなる方法だと思うけど、安易だよなぁとしか思わない。
なんか近年の事件に関して「TVゲームの影響が」というアホなコメンテーターの意見は大ッ嫌いだけど「生まれ変わるので死んでもいいじゃん」という趣旨の発言には薄ら怖さを感じますな。

ところで、かつて涙ながらに「生まれ変わったら一緒になろうね」と言っていたあの人たちは、今でも生まれ変わったら再び巡り会うつもりでいるんでしょうか?

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2006年11月13日 (月)

11月13日の出来事&誕生日

20061113うるしの日
茨城県民の日
11月13日が誕生日の著名人
11月13日の出来事

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見た目で判断するな

かつて学校の先生をやっていて、現在は不登校児童たちを集めてカウンセリングや集団生活をしている教育指導者の人がテレビに出て色々話をしていた。


論調としては「今の教育はダメだ」という趣旨で至極真っ当なうなずける内容だったんだけど、ちょいと引っかかる部分があった。
教師や大人などは子ども達が髪の毛を染めて来たとか派手な格好をしているとか、見た目で判断して、その子本来の姿を見ていない。その子の個性というものを無視して画一的な型にはめようとしている。画一的な工業生産品の方が管理しやすいから。
という事も話をしていた。

確かに、学校教育の中で個性なんてあんまり伸びないとは思う。自分だって、中学時代に音楽にのめり込んで、さらに絵を書くことにのめり込んで来たのは学校教育とは違う部分だし、精神的な部分だって教科書じゃなく、それ以外の本や経験が大半だと思う。
でも学校教育にそれを求めるのもどうかと思う。
で、上記の話の中で変だよなぁと感じたのが「見た目で判断する」という部分を悪として見なしている事。

確かに大昔から「人を見た目で判断してはいけない」というのは仏教系の説話でも出てくる物。でもそこで言われている見た目というのは「貧しい格好」だったり「障害を持っている」だったりするっていう事。

今回の学校問題で言われている見た目は、茶髪・派手な格好やアクセサリー・化粧などなどの事でしょ? それって本人が望んで積極的にやっているスタイルなんだから、それは全然別次元の話。そう判断して欲しくてその格好しているんでしょ?
どこにもルールってのは存在していて、学校ではそれらをダメと言っているんだから、ダメな事をしてきたら指導されるのは当たり前の話で、それを「大人は見た目で判断する」と言われてもなぁって感じ。

派手な格好していて誰に迷惑かけましたか?という意見が化粧容認派のPTAからもあるらしいんだけど「それがその学校のルール」なんだからしょうがない。
事故おこしてないんだから飲酒運転のどこが悪い?と同じレベルだと思うのだ。

それに、髪の毛や服装程度で「これが個性」って言うのもどうかと思う。「キャラが無いのでとりあえずメガネ架けておけ」っていう芸人と同じレベルなのだ。

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2006年11月12日 (日)

11月12日の出来事&誕生日

20061112洋服記念日
皮膚の日
パンの日[毎月12日]
豆腐の日[毎月12日]
11月12日が誕生日の著名人
11月12日の出来事

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誕生日の季節

またしても「誕生日の季節」がやってきました。


といっても自分の誕生日ではなく、TVガイドが毎年発行している「スター名鑑」が発売される季節ってことです。
このサイトにある「誕生日データ:知誕」のデータを補完するために毎年購入し続けているワケですが、ハッキリ言ってそう毎年顔ぶれが変わる訳でもないんだけど、新しく登場してきた人のチェックって事で必要な作業なのだ。

で、1993年から発売され続けているTVガイド社の「スター名鑑」が独走状態だったんですが、この3年程前からJUNON別冊「スター名鑑」が発売されるようになった。
こっちは後発という事もあって、掲載人数をより多くしているのでチェックしないワケには行かないのだ(勝手に強迫観念で作業してますが)。

てなワケで、本屋に行くとその2冊がどんっと平積みされていた。
うぬぬぬ!と思ってしまったのが、今までこの2冊は発売日が同じになるって事がなかったワケで、それぞれを見つけた時にそれぞれを購入していたのですが、こうして2冊がどんと置いてある状況で「2冊同時購入」というのはなんか恥ずかしいのだ。
かなり分厚い2冊のスター名鑑を同時に購入する奴って店からしても、「何奴?」という感じで、レジでもなんか目立ってしまうような気がするのだ。

ということで、その店で1冊購入し、わざわざ別の本屋でもう1冊を購入した。
こんな私でも「変な奴」と思われたくないのだ。一般人としてこそこそ生きていきたいのだ。
という事を友人に話した処「いや、そもそも普通の人はこんなスター名鑑なんて買わないから」と斬り捨てられてしまったなり。

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2006年11月11日 (土)

11月11日の出来事&誕生日

20061111宝石の日
ピーナッツの日
☆世界平和記念日
電池の日
鮭の日
箸の日
おりがみの日
チーズの日
西陣の日
恋人たちの日
靴下の日
下駄の日
煙突の日
サッカーの日
もやしの日
きりたんぽの日
磁気の日
ポッキー&プリッツの日
ライターの日
☆カリントウの日
めんの日[毎月11日]
◇アメリカ:退役軍人記念日(Veteran’s Day)
11月11日が誕生日の著名人
11月11日の出来事

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2006年11月10日 (金)

11月10日の出来事&誕生日

20061110トイレの日
技能の日
エレベーターの日
ハンドクリームの日

☆LPガス消費者保安デー[毎月10日]
☆植物油の日      [毎月10日]
11月10日が誕生日の著名人
11月10日の出来事

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2006年11月 9日 (木)

11月09日の出来事&誕生日

20061109太陽暦採用記念日
119の日
換気の日
いいパックの日
カンボジア独立記念日
ベルリンの壁崩壊の日
果物の日 [毎月9日]
クジラの日[毎月9日]
11月09日が誕生日の著名人
11月09日の出来事

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ビデオ編集者

ジャニーズ事務所所属の「KAT-TUN」「NEWS」などのライブ盗み撮り画像を譲り受け、それをDVDに焼いて販売していたという事で女子大生が11月9日に逮捕された。
5月から9月の6ヶ月間、1枚1000円から2000円で延べ250人に販売し、約150万円の収入だったという。(あんまり儲かる商売じゃないなぁ)


ほぼ時を同じくして11月8日に矢沢永吉の市販のビデオを編集した「EIKICHI YAZAWA HISTORY」というベストビデオ(DVDではないらしい)をネットオークションで販売していた男(42)が逮捕されている。こっちの方は約50人に70本ほど販売したとの事で、1本4650円。
このビデオは約5年もかけて編集した力作で、購入した人によると「市販ビデオのベストより内容が充実している」との事で、逮捕された男は「独自のベスト映像作品を作りたかった」と言っており、あまりの出来映えに販売してたそうで、それで矢沢グッズを購入していたとの事。

実は自分も20代の頃に、ヒマをもてあましていた&ビデオデッキ2台目を購入したということで、当時熱狂的に好きだった佐野元春の曲を使って、オリジナルのプロモーションビデオを作った事がある。
もちろん曲は無断使用だし、そこで使われている画像もディズニーのシリーシンフォニーシリーズだったり色々と「発表出来ないじゃん」的な作品。
数人に見せただけで、今はどっかに紛れ込んで行方不明ですが(しかもβ)、もしあの時代にネットが今のようになっていたら、どこぞで著作権無視で発表していなかったとも言えないのだ。やっぱ作ったら多くの人に見てもらいたいので(流石に販売はしませんが)

YouTubeには多くのテレビ放映されたまんまの動画、市販されている動画、がアップされているけれど、あれをオリジナル作品発表の場と考えたら色々な事が出来そうな気がするのだ。
マジに誰もが感心する作品だったら、それこそマーケットは世界に広がっているわけで。

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2006年11月 8日 (水)

11月08日の出来事&誕生日

20061108いい歯の日
世界都市計画の日
レントゲンの日

いいパックの日
刃物の日
八ヶ岳の日
ボイラーデー
屋根の日 [毎月8日]
果物の日 [毎月8日]
米の日  [毎月8日・18日・28日]
歯の日  [毎月8日・18日・28日]
11月08日が誕生日の著名人
11月08日の出来事

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2006年11月 6日 (月)

女子中学生情報コレクター

女子中学生の自宅に「あなたは検査の結果、性病の疑いがあります。もう一度検査をしたいので公民館まで来てください」と電話をし、公民館で女子中学生と落ち合った後、車に乗せて、どこぞに出かけて乱暴をしていた男が逮捕された。


その犯行は狭い地域だけではなく日本中に散らばって行われた。
犯人が女子中学生の情報を入手した方法は、図書館へ出かけ12〜3年前の地方紙の「誕生覧」をチェックするという手口、つまり12年前の赤ちゃん、今は中学生という事なのだ。
そこに書かれている親の名前と女の赤ちゃんの名前をノートに書き写し、電話を掛け呼び出すという事を繰り返していたらしい。(地方紙ではそういう事が今でもあったりするらしい)

その段階で「うぬぬ」と思ってしまうが、その男の自宅を家宅捜索した処、5000人の女子中学生の名前・住所・親の名前が書き込まれた10册のノートが発見されたという。
よく大量の下着を盗んだ犯人が捕まった時に体育館みたいな処にずらっと下着を並べたシーンがニュースで流れるけど、こっちは絵的には地味だけど、なんか壮絶だなぁと思ってしまうわけであります。
5000人分を全部手書きでノートに記入していったとなると、かのデスノート並みの凄さなのかも知れない。

自分はこのサイト上で古今東西の著名人の誕生日データなんて物を約6万人分、収集・整理して発表しているけれど、誕生日データを集めはじめたのはデジタル以前のことで、それをデジタルデータとして入力し始めたのが1980年代中期だったので、すでに20年以上って感じなのだ。それでやっと60000人。
この男がどれくらいの期間でデータをノートに書き込んだのかは知らないけれど、「現在、中学生」というくくりで収集したってことは、この1年間ぐらいではないかと思うのだ。

なんつーか、すごい集中力というか、その労力をもっと別方向にいかすことができないのか? 電話帳の編集とか(壮絶な作業だという噂)。
でも、実際に犯行に踏み切るには数人の情報があればいいわけで、ここまで凄いデータ量になってしまった裏には、エロ目的ではなく「コレクター」としての血があったのではないかと感じてしまうのだ。
本来の目的から逸脱して集める事に人知れぬ快感を得てしまうという状態。自分がそーゆー部分を持っているので、そこだけは共感出来るのだ。

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2006年11月 5日 (日)

キララとウララ「センチ・メタル・ボーイ」

000kiraura01キララとウララ/センチ・メタル・ボーイ
作詞.売野雅勇/作曲.編曲.井上大輔
1984年08月01日/¥700
ビクター/SV-7408


というわけで、70年代のピンクレディフォロワーついでに、1984年にデビューした「80年代のピンクレディ」などと言われていた歌って踊れるデュオ「キララとウララ」です。(またマイナーでごめんなさい)
ピンクレディ時代には出来なかった、インカム(マイク付きヘッドフォン)をつけてより自由に歌い踊る二人組です。

1985年03月05日:2nd Single「多感期のフラミンゴ」
000kiraura02といっても、ほとんど売れなかったので現在、話のネタとして出てくる場合は「キララとウララという二人組のキララ(大谷香奈子:1stシングルのジャケ写右)って小室哲哉の元妻なんだぜ」という程度だと思いますが。
実は「80年代のピンクレディ」って部分には色々深い意味があって、この1984年にピンクレディが再結成しているんですが、元々ビクター専属だったピンクレディが解散後に事務所的なトラブルがあって(確かミーが事務所に役員として残り借金を背負うハメになったとか、そのためにヌード写真集を出したとか、なんか大人の事情)その再結成の際にはビクターではなくVAPからの再デビューとなっている。(言ってもシングル「不思議LOVE」1枚だけ)

1985年09月21日:3rd Single「ラブ・アドベンチャー」
000kiraura03そのタイミングでビクターから「キララとウララ」がピンクレディのようなダンス&歌でデビューってのは「色々あったのかも知れない」と勝手に勘ぐってしまうのだ。
明らかにビジュアル先行で、ダンスを見せるグループのハズなんですが、自分は歌番組で見たのは1回だけ(他に歌う天気予報でPV、2曲目はCM曲で本人達出演)という状態なので、事務所はチカラ入れてなかったのか?とか思ってしまうワケですが。

1985年12月05日:4th Single「パックンたまご!〜空からたまごが降ってきた」
000kiraura04で、そのデビュー曲「センチメタルボーイ」ですが、実は8月に冥王星が惑星からハズされたという話題の時(さよなら冥王星:2006.8.24記)に取り上げようと思ったんですが、色々冥王星に関する文章を書いているうちに長くなってしまいパスしてしまいました。
実はこの曲の冒頭に「♪水金地火木土天海冥」というフレーズが何度も繰り返されるのだ。つまり今となっちゃ「最期の冥って何?」状態であるのですが、さらにこの曲が歌われていた1984年当時は冥王星は海王星の内側を廻っていたので(1979年1月22日から1999年3月15日まで)、その当時でさえ歌詞が間違っていたワケで....。(それとも未来志向のグループだったので1999年以降にも歌えるような配慮。って事はないか)
曲の方は井上大輔が頑張って井上大輔っぽくないテクノ系アレンジをしています。

1986年04月21日:5th Single「ブインブインブイン」
000kiraura052曲目は飲料「Kilala」の本人出演のCM曲でベストテンのスポンサーとして流れていたが、スポットライトにも出演せず、オリコンの100位以内にも入らず。

4曲目はテレ朝の子供番組「パックンたまご!」のテーマソングなんですが本人達の出演なし。この番組はシティーボーイズ(大竹まこときたろう・斉木しげる)&中村ゆうじが出演し、深夜番組「グッドモーニング」の流れをそのまま朝に持ってきたような物(さすがにオナッターズの出演はなし)で、宇宙人のゆう君(中村ゆうじ)とテレ朝アナウンサー川瀬真由美が宇宙船で旅をしてお馬鹿な事件に遭遇する前半と子供をスタジオに呼んで体操などをする後半の二部構成(間にコントがあったような気もする)。しかし子供を率いてお遊戯をするお兄さんが大竹まことってのは今思うと凄い番組で、確か言うことを聞かない子供を激しく怒鳴りつけていたりしました。

解散後:天野歩美「愛しちゃったのよ」1992年
000kiraura065曲目「ブインブインブイン」がラストシングルでこれはアニメビデオ「るーみっくわーるど ザ・超女」のテーマ曲。2年間の間に色々な事があったんでしょうか、最初の可愛いアイドル風の二人組が同じ人とは思えないほどケバいお姉ちゃんになっております。(4曲目は子供番組の曲の為なのかデビュー当時の写真を使っています)
時代的にもバブル上昇中で眉毛が太く、化粧が濃くなり、誰も彼も肩パットが入った服を着ていた悪趣味な時代だったのでしょうがないとは思いますが。

解散はキララが小室哲哉と結婚したからなのか、仕事がなく自然消滅かは不明ですが、キララは小室哲哉と離婚後、ライターなどをして、その後犬の雑貨店「デザインエフ」経営。(HPhttp://www.designf.co.jp/
残ったウララは1990年に天野歩美として再デビューし1992年頃までにシングル3枚アルバム2枚ほど出していますが、結局その後の消息は不明。

ちなみに「90年代のピンクレディ」として事務所公認で1996年に「ピンクレディX」という二人組がデビューしたということもあります。

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2006年11月 4日 (土)

キャッツ★アイ「導火線」

0000cat03キャッツ★アイ/導火線
作詞.麻生香太郎/作曲.編曲.馬飼野康二
1978年01月25日/¥600
ユニオンレコード/UC-55


なんか、だんだんマイナーに突入して、誰も付いて来ていないって気もしますが、1977年に「アバンチュール」でデビューしたキャッツ★アイ。
踊って歌えるデュオ...って、誰がどう考えても「ピンクレディの二番煎じ」でやんす。
音造りもピンクレディを後を追いかけるかのようなパンチの効いたナウいダンサブルな感じで、聞いているだけで腰が疼いてしまいます。歌詞も本家「カルメン'77」の『♪〜でっす』『♪〜まっす』という語尾の踏みかたまでマネしております。

1977.05.25:1st「アバンチュール」
0000cat01が、ピンクレディと違うのは、本家はデビュー当時はちょいとエロスの香りを臭わす曲が多かったのが、チビッコにも人気があるという事でエロスを抑えていったのに対し、「じゃ、エロス方面は全部引き受けた」と徐々にエスカレートしちゃっていったみたいです。
で、この「導火線」という曲は1978年の映画「多羅尾伴内」(石森章太郎が少年マガジンで漫画連載していた)に出演しての劇中歌として本人自ら歌っています。

☆1977.09.25:2nd「めっきり冷たくなりました」
0000cat02すでにエロスも放送コードギリギリだったみたいで、完奏の時に小道具としてロープを取り出し、ふにゃっとしたロープを手でスクラッチすると徐々に元気になり...という手品的演出があったと思います。ちょいと正視に耐えずにあんまり記憶はしてなかったんですが。(たぶん「導火線」の時の振り付けだったと思うんですが、そう頻繁にテレビで見かけるグループではなかったので、記憶はあいまい)

1978.05.25:1st Album『キャッツ★アイ』
0000cat05で、さらにB面の「大地震」って曲も凄い。歌詞はイマイチ抽象的なんですが、要約すると「大地震が来てグラグラ揺れているけど、二人の動きも止まらない」という、おまえら逃げ遅れるぞ!という、エロの事しか考えていないかのような内容です。

まったく売れなかったワケではなく、デビュー曲はオリコン100位以内に入ったとか、当時「全国13大学が選ぶ、今年最も良かったアイドルNo.1(1977年)」に選出された事もあったという。
あと「スターどっきり丸秘報告」での新人アイドル定番「寝起きどっきり」では、かなりヤラセ臭いエロスサービスシーンもあったという。

1978.05.25:4th「ジャンヌ・ダルク」
0000cat04デビューちょうど1年目に4枚目のシングル「ジャンヌ・ダルク」が出た時にメンバーのノンさん(左の方:大谷親江)が失踪して自然消滅となったとの事。失踪直後はスケジュールをこなすために残った一人・ナナさん(山中奈奈)が頑張っていたそうですが。
そのいきなりの解散により所属事務所が、後釜として双子デュオ「キューピット」をデビューさせている。
「ピンクレディの二番煎じ」ではなく「キャッツ★アイの二番煎じ」という、よく判らない状態になっている。
(しかしユニオンレコードって、レコードNo.見ると1年間で20枚ぐらいしか出していない処なんですかね?)

ここまで来ると「ピンクレディのコスプレ」
0000cc01で、実はこのキューピットを生で見た事がある。
というのも、キューピットの出身が自分にとっても地元の静岡県三島市で、今は亡き三島ヤオハンデパートで「三島市出身アイドル誕生!」としてデビュー記念イベントみたいなのをやっていたのを偶然見かけたワケでやんす。(ピンクレディも静岡出身なんですけどね)
が、数秒聞いて「今さらピンクレディもないだろ」と興味を失ってその場から立ち去ってしまったので、実際に見たと言えるかどうか状態ではあります。
そして、そのキューピットは1度もテレビで見る事もなく今に至っている。

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2006年11月 3日 (金)

ちあきなおみ「四つのお願い」

0000tiaki001ちあきなおみ/四つのお願い
作詞.白鳥朝詠/作曲.鈴木淳/編曲.小谷充
1970年04月/¥370
日本コロムビア/SAS-1399


この曲は1970年のヒット曲で、ちあきなおみはこの2年後に発売した「喝采」でレコード大賞を受賞している。
歌詞の内容はさもない恋人どうしの「勝手にやってろ」という状態のいちゃいちゃソング。
4つのお願いを聞いてくれたら、私はあなたの事好きになっちゃうわと歌っているのだが、その4つのお願い自体が「やさしく愛して」「わがまま言わせて」「さみしくさせないで」「誰にも秘密にしてね」という物。

0000tiaki002決して「ビトンのバッグに、ティファニーの...」などとは言い出さないのだ。
この曲が流行っていた当時自分は小学校低学年だったので、その恋愛ソング的な部分なんて全然理解出来ずに「4つのお願い出来るのなら、まず漫画本をドッサリ」などとほざいていたんじゃないかと思うのだ。

で、こんな問題にすべき部分が全然ない曲を、1980年代中期から始まった「過剰反応の言葉狩り」に目を付けられて、一部では「放送禁止曲」に指定されたと言われている。

0000tiaki003なぜ?というのはこのタイトルの「四つ」が一部ではダメな言葉なので...らしい(その言葉がダメな理由は各自で調べてね)。まったく、そんな差別意図はないのにねえ
と言いつつ、このシングルはそのまんまでは再発する事が出来ないのは事実なのだ。なんせB面のタイトルがそのまんま...。

もっとも、差別用語とか言われている単語は放送局が「なんかクレーム付いたら面倒クサイので前もってNGワードとして規制しちゃおうぜ」という物で、法的に縛られる物じゃないので別に何も問題はないのだ。意図的に特定の人を貶める理由以外の場合は。

放送禁止の豆知泉

0000tiaki004政所を鎌倉時代は「まんどころ」と読んでいたが、どうやら北条政子の名前も当時の発音では「まさこ」ではなく「ま○こ」だったらしい。

藤子不二雄の「ジャングル黒べえ」は、未開地の人々が沢山出てくるために人権的な理由で発売禁止になっていると言われるが、実は出版社側の自主規制なので、藤子プロと出版社の折り合いが付けば発売は可能。
※政治的な歌は時代によって大きく変化する。60年代末期のフォークソング「自衛隊に入ろう」と言う曲は、逆説的に皮肉った曲で60年代末に放送禁止に指定された曲だったが、最近その曲を知った自衛隊の上部の人が「いい曲だね。これを自営官募集のCMソングに使えないか?」と言ったとか。

堀口大学の「黒ン坊」という詩。「黒ン坊の赤ン坊/赤ン坊の黒ン坊/黒ン坊の赤ン坊は赤ン坊でも黒ン坊」今ではとてもじゃないけど発表できない。

先頃、再版可能になった「ちびくろサンボ」は本来チベット民話。サンボとはチベット語で「優れた」という意味の名前。偶然に黒人芸人の蔑称として使われている言葉だったので、イギリス人作家が勝手に主人公を黒人の子供にしてしまった。とりあえずアフリカに虎はいませんから。

NHKの時代劇では片手落ちではなく、片落ちと言う。しかし、それでは一般的には「1世代前の機械」などの事を意味する。

あくまでも局の自主規制のガイドラインで放送出来ない言葉となっている場合があり、厳密な意味の放送禁止用語は存在しない。とりあえず「八百屋」「床屋」「板前」「レントゲン技師」「エディター」「サラ金」「色盲」「しなちく」「片親」「出稼ぎ」「パーマ屋」「町医者」「やぶ医者」「老婆」などが要注意らしい。

慣用句として人々が集うと言う意味で『○○のメッカ』と言う言葉があるが、これをTVなどで使用すると、必ずイスラム教の方から「メッカで無い場所をメッカと呼んではいけない」とクレームが入る。2年ほど前の野球シーズン終わり間際「道頓堀川のえびす橋はVダイブのメッカ」と発言した事に対し直後に訂正があった。

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2006年11月 2日 (木)

沢田研二「時の過ぎゆくままに」

Sawa009_3沢田研二/時の過ぎゆくままに
作詞.阿久悠/作曲.編曲.大野克夫
ポリドール/DR 1965
1975年08月21日/¥500



1967年にグループサウンズ(GS)のタイガースでデビューした沢田研二
ジュリーという愛称と共にGSを代表するアイドルになっていたが、そのGS人気も1970年代に入るといきなり下火になって1970年12月07日にタイガース解散(ソロアルバムはその前年の1969年12月01日にリリースしている)。

00sawa001その後、1971年にテンプターズの萩原健一(Vo.ショーケン)・大口広司(D)、スパイダースの井上尭之(G)・大野克夫(KEY)・タイガースの岸部おさみ(B.岸部修三→現在の岸部一徳)というメンツで、新時代のバンド「PYG」を結成。しかし、その後、大きなヒットもなく1972年に自然消滅をしている。

Sawa002PYGの活動と並行してシングル「君をのせて」でソロ歌手として活動も始め、2枚目の「許されない愛(1972/03/11)」が大ヒットし、レコード大賞の歌唱賞などを受賞し、ソロ歌手としての活動がメインになっていく。
そして表題の「時の過ぎゆくままに」は1975年8月に発売された曲だが、この時代はアイドル的な要素も強く、前年1974年に放送されたドラマ「寺内貫太郎一家」の中で悠木千帆(現.樹木希林)が壁のポスターに向かって「ジュ....ジュリ〜〜〜〜」と叫んでいた事に象徴されるような時代だったのだ。

Sawa003しかし、そのアイドルとして絶頂期の1975年7月に沢田研二はザ・ピーナッツの伊藤エミと結婚している。その結婚後第1弾シングルがこの「時の過ぎゆくままに」だった。
さらに、それまで沢田研二はドラマのゲストや単発ドラマなどの出演があったが、初の連続ドラマ主役として話題になった「悪魔のようなあいつ」というドラマの主題歌でもあった。
その話題性も十分あったとは思うけれど、この曲は盟友・大野克夫の珠玉の名曲で、出だしのギターフレーズから哀愁路線どっぷりで、さらにジュリーのボーカルがGS時代より格段に色気をましてしっとりと抑え気味に歌うという物。大野克夫が沢田研二という稀代のボーカリストの声質をいかに生かせるかという研究の末に作られた曲という雰囲気なのだ。

Sawa004この曲は90万枚を超える大ヒットとなって、結婚なんて物は人気には全然影響ないじゃんという状態ではあったのだ。
が、好事魔が多いということで、1976年に新幹線の中で暴言を吐かれ、それで暴行事件を起こし、しばらく謹慎となったワケです。
もっとも、復帰後は「アイドル沢田研二」ではなく「エンターテナー沢田研二」として1980年代までどんどんエスカレートして突っ走っていく事になるわけでやんす。

Sawa005とにかくこの曲は名曲中の名曲だと思っております。
ちなみに演奏は「井上堯之バンド」で、PYGの井上堯之・大野克夫・岸部修三(岸部一徳)が参加している。今は俳優だけのイメージの岸部一徳は、この「悪魔のようなあいつ」に俳優としても出演していますが、70年代までは同時にベーシストとしても活動していたのであります。

Sawa006で、ドラマ「悪魔のようなあいつ」という作品は、1968年12月10日に東京府中市で起こった「東芝府中工場のボーナス強奪事件」いわゆる「3億円事件」を題材にした物で、1975年6月6日〜9月26日に放送された。
主題歌はヒットしたんですが、実は視聴率的には思ったほどいかなかったらしく、本当は年末まで放送して、窃盗事件の時効7年の1975年12月10日前後にクライマックスを持ってくる予定だったらしいが、その前に打ち切りになったという。

Sawa007そしてこのドラマの脚本を書いていたのが映画監督としても有名な長谷川和彦。ここでジュリーの演技に惚れ込んで、原爆を安アパートの中で作り上げ政府を脅迫する男を描いた「太陽を盗んだ男(1979)」の主役に起用することになる。
東海村の原子力発電所からプルトニウムを盗み出し、自宅で原爆を作ったけれど、目的が見あたらない犯人が「とりあえず今見ているナイター中継を最期まで放送しろ」と政府を脅迫したり「ローリングストーンズを来日させろ」と要求したりという、これも名作でやんす。

三億円事件の豆知泉

Sawa0083億円事件。結局は7年かかっても犯人が見つからず時効となったのだが、それに費やした捜査費用はおよそ3億3,000万円。

1968年に起こった「三億円事件」で盗まれた正確な金額は294,371,510円。あの犯人は562万8490円分のぬれぎぬを着せられたことになる。

奪われた金額を語呂合わせで読むと「にくしみのない強盗」

給料を銀行振り込み型にした第1号は1941年の大蔵省。貯蓄額倍増計画の一環としてだったが民間会社はほとんど実施しなかった。振り込み型が一般的になるのは1968年に三億円事件で給料輸送車が狙われたのがキッカケ。

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2006年11月 1日 (水)

北条早雲(1)

てなワケで、前日の雑記で「最近自分の中で戦国時代フェア開催中」と書いたワケですが、そんなこんなで初代戦国大名ってことで、複数の本に書いてある北条早雲の部分だけをまとめて読んでみた。


自分の本部屋には「いつか読むんじゃないか?」ということで色々なジャンルの役に立ちそうな本を「いつの日か」の為に買って保存してある。
やっとそれらが役に立つ日が来たのだ。
てなワケで、それを読みはじめたんですが、戦国時代はとにかく登場人物が多くてこんがらがってしまう事があるので、勝手にビジュアル化をして読み進めた。

昔から海外のミステリーなんかでも登場人物が多いとかってにキャラクターの顔を作り上げて読み進めていたワケで。
そんなこんなをしていたんですが、気が付くと北条早雲に関した「学習漫画」を書いていた。何も考えずに鉛筆書きしたのでほとんどアングルは同じような物で、かなり短時間でどっぉぉおと書いたので、かなり適当なんですが、とりあえず「こんな感じ」って事で発表。

素人が好き勝手出来る無責任なメディア「Blog」ならではですな。下書きだけでペン入れする気無いし(下書きは短時間だけど、ペン入れは時間かかる)。ついでにほとんどビジュアル系の資料を見ていないので、顔とか適当だし、服装や武器も適当でやんす。
2〜3ページ分ぐらいのつもりで始めたんですが、なんか乗ってきて長編になってしまった。しかも前半って感じ。


Souun00101
そもそも北条早雲って人は歴史の舞台に出てきたのが40歳過ぎで、それ以前のことはハッキリと記録されていない。
とりあえず最近の研究では、備中(現.岡山県の西部)に生まれて、縁故を頼って京都で申次衆(もうしつぎしゅう)になった伊勢新九郎という人物が後の早雲では無いか?とは言われている。(以下、便宜上「早雲」と書きます)
※早雲の生まれ故郷は「備中国後月郡荏原郷」という事が有力視されており、岡山県伊原市には「早雲の里 荏原駅(えばらえき)」がある。(伊原鉄道伊原線)
Souun00102その人物が後の早雲だと想定して話を進めると、室町8代将軍の足利義政(よしまさ)の弟・足利義視(よしみ)に仕えていた。しかし義政の後継者・8代将軍の座をめぐって、その息子・義尚(よしひさ)と義視が争いを起こした(応仁の乱の一因)。

Souun00103結局、1467(応仁1)年、義視は破れ伊勢に逃げることとなって、早雲もそれに従った。
その2年後、状況が回復したと知った義視は、焼け野原になった京都に戻る事となったが、早雲は京都に戻らなかった。


Souun00104未だに荒れ果て敵味方も争っている京都は、盗賊なども横行しており、とても治安を回復できる場所とは考えられず、妹・北川殿が嫁いでいる駿河(現在の静岡県静岡市)に向かった。 この時、早雲は38歳。

Souun00105妹の旦那は、駿河の守護大名・今川義忠(よしただ)で、今川家は足利家・吉良家に次いで将軍に付ける可能性のある由緒ある家系だった。
失業者となって都落ちしてきた早雲を雇い入れた裏には足利家の権威が地まで落ちた現状では、第3位の今川家でも可能性があるとして、京の事情に詳しい早雲の情報が欲しかったのでは?とも考えられている。
もっとも、当時は年俸制なのだが早雲だけは「月棒」だったと、記録されている事から、今川家としては短期雇用のアルバイター的な感じだったのかも知れない。

Souun00201しかし状況は一変する。(早雲47歳)
1476(文明8)年当主の今川義忠が戦死をしてしまうのだ。そこで後継者を巡って争いが起こった。
早雲の妹には跡継ぎとして龍王丸(たつおうまる)という子がいたが、まだ6歳だった。
そのために「まだ幼すぎる」として義忠のイトコ・小鹿範満(おじかのりみつ)が候補として名を挙げ、今川家の中で騒動になってしまったのだ。

Souun00202どちらかというと、小鹿勢のほうが優勢だったが、早雲はその時、跡継ぎ問題にからんで古賀公方や関東管領・上杉などが動き始めているのを察知した。
悪くすれば、跡継ぎ問題だけではすまずに御家取りつぶしなども十分考えられる状態だったのだ。

Souun00203そこで早雲は都にいた時の経験を生かし、人脈を生かし、外交交渉にあたり、今川家の御家騒動には手出しをしないと確約を取り付けた。
そして、龍王丸が元服するまで小鹿範満が家督を代行するという事で和解させたのだ。

Souun00204その件が一段落した所で、早雲は期する処があったのか再び都に戻っている。
京の都で、早雲は幕府に仕えたとも、大徳寺で修行したともされている。

Souun003011481(文明13)年、この年、京の都で一休禅師が死去している。享年88。
後に語られる「トンチ小坊主の一休さん」というのは、創作上の姿だが、後小松天皇のご落胤(らくいん:皇族などの非公式な子孫の意味)と言われ、乱世を冷ややかに見つめていた。
当時50歳になった早雲も京の都にいたというので、ふたりに接点がまったく無かったとも言い切れない。

Souun00302ちなみに一休禅師の最期の言葉は「死にたくない...」という物だったという。
建前だけの世界をあざ笑った一休の死。
そして早雲も建前だけではすまない、戦国という実力の世界に進み始めるのであった。


Souun00303_11487(長享1)年、早雲は56歳になっていた。当時の平均寿命が(戦死を除いた統計で)50歳と言われているので、隠居をしてもおかしくない年齢になっていたのだが、そんな折りに駿河の今川家では龍王丸が元服するまでの約束で家督を代行していたハズだった小鹿範満がその地位を譲らないという御家騒動が起こっていた。

Souun00304早雲は駿河へと急いだ。
ちなみに龍王丸は17歳になっており、元服した後は今川氏親(うじちか)と名乗ることになっていた。

Souun00305駿河に入った早雲は、信頼できる家臣を使い、小鹿範満に関する情報収集を開始した。そして、小鹿が今の地位を降りる気が全くなく、今川家を乗っ取ろうとしていることが確認できた。

Souun00401そうと判ると、早雲は早急に龍王丸派の兵を集め小鹿範満が居住していた今川館を急襲し、その首を取った。
ただ事を急ぐだけではなく、まず情報収集するという部分が後にも北条早雲の作戦となる。

Souun00402この事が認められた早雲は、元服し今川氏親(うじちか)より、興国寺城(こうこくじじょう:現在の沼津)と、富士下12か郷を与えられた。
56歳で城の主となった早雲だった。

Souun00403この興国寺城は駿河の東端に建っており、そのすぐ近くには伊豆、さらに箱根を超えた処には小田原を含む鎌倉という関東の要所が控えており、警護の重要地点でもあったのだ。
伊豆の韮山は、8代将軍だった足利義政の弟・足利政知(まさとも)が堀越公方としていた。最初に早雲が仕えていた足利義視は政知の異母兄だった。(と言いつつ、色々複雑で兄である義政・義視よりも年上)

Souun00404てなわけで、物語的にはこの後、伊豆へ、小田原へ、さらに上杉とも争い、戦国時代のトップを走っていく事になるワケで、ある程度の処まで漫画(の下書き)は書き進んでいるんですが、思った以上に長くなってしまって「こりゃブログという物で公開するのは難しいかな」と思ったりしているわけでやんす。
それ以前に、ブログを読んでいる人にとっちゃ「そんな物、望んでいないのでジャマ」という感じかも知れないッス。
とりあえず、第1話だけを掲載って事で、「続きはいらない」とか「続きは別の処で」とか、感想がありましたらコメントに是非お願いしますです。
あと、基本的に自分は「歴史が全然理解出来ていない」と自覚しているので、あくまでも「歴史オンチが読んでも理解できる話としてメモ漫画を書いている」というスタンスでやんす。

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