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2006年10月20日 (金)

芳本美代子「白いバスケットシューズ」

Micchon001芳本美代子/白いバスケットシューズ
作詞.松本隆/作曲.編曲.井上大輔
テイチク/RE-667
1985年03月21日/¥700
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現在は昼ドラなどの主演をするような中堅女優になっている芳本美代子。愛称はミッチョンてなワケですが、一般的にはアイドル歌手としての活動はあまり話題にならなかったと思う。


Micchon002彼女は1983年、13歳の時に九州朝日放送が主催した「第5回福岡音楽祭」というアマチュアのコンテストに応募して、そこで落選した事がキッカケになってデビューしている。
そこでテイチクレコードにスカウトされ、1年のレッスン後に上京。さらに1年後の1985年3月にこの「白いバスケットシューズ」でデビューしている。
で、アイドルとしては思いっきり正統派だったんですが、売れなかった理由は色々な物が重なっているような気がする。(八重歯というのも正統派っぽい)

Micchon003前々から書いているように、1982年組と呼ばれる、松本伊代・小泉今日子・中森明菜・早見優・堀ちえみなどなどがデビュー数年経った状態でも売れ続けていて、新人が入り込むのがかなり困難な状況の上、1982年組がアイドルブームを牽引し、各事務所もアイドル育成にチカラを入れ始めていた。
同期に中山美穂・斉藤由貴・南野陽子・本田美奈子というメンバーがいて、彼女は当時ドラマ展開をしなかったというのも知名度を上げる事に失敗していた。

Micchon005さらに所属レコード会社テイチクというのが、基本的に演歌系レコード会社でアイドルを売り出すノウハウがほとんど無かったというのも敗因と思われる。なんせ、テイチク所属のアイドル歌手で1970年代1980年代でオリコン10位以内に入ったのは高田みづえと芳本美代子だけ(高田みづえは演歌系って気もするけど)。

Micchon006そしてデビューした翌月、4月から「夕やけニャンニャン」が始まっていて、そこでアイドルの求められる資質が「幻想的な正統派アイドル」から「隣にいても不思議じゃない等身大アイドル」へと変質していった。そういう意味では、タイミング的にあんまりよくないデビュー時期だったのではと思ったりもするのだ。

Micchon008楽曲的には松田聖子のプロデュースを離れた松本隆が、斉藤由貴と共に芳本美代子に詩を提供しアルバムなどでも全曲の詩を担当している。
松本隆は、松田聖子で非日常な世界へ飛びすぎた詩世界をリアルな現実の学生生活などに引き戻す作業をしていて、このデビュー曲などでも二人で海辺に行っているけれど、そこは松田聖子のようにセイシェルでもマイアミでもなく、極々近場の海という印象。きっと足元には空き缶が転がっていそうなムードではある。

Micchon009で、タイトルに「バスケットシューズ」という単語が出てきて、歌詞にも「スタジアムジャンパー」が出てくるけれど、詩の内容にスポーツは一切関係していないというのも、時代的な気がする。
それまでの歌詞ではテニスコートが出てくれば相手はテニス部の部長だったりしていたワケですが、ここではあくまでも「スポーツウェアはすでにファッションアイテムとしての記号でしかない」という時代に入っているのだ。

Micchon011ちょうど、アディダスとかがスポーツとは関係ないラッパーの制服になっていた様な時代で、街履きとしてナイキが流行し始めたのとリンクしている(スタジアムジャンパーは80年代初期にブームがあったけど)。
と言いつつ、芳本美代子自身は中学時代にバスケットをやっていたというので、その関係もある。

メロディは良くも悪くもアイドルポップスで、今改めて聞き直すと良質なメロディという感じもするんですが、あの時代には古くさかったのかも知れない。(音的には過剰なエコーが聞いているってのは大瀧詠一の影響なんすかね?)

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