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2006年10月 5日 (木)

国語教育からやり直そう:イジメ問題

去年9月に小学校6年生の女児が7通の遺書を残して自殺した事件、イジメが起こる環境ってダメだと思うけど、なんか教育者の事件後の考え方を見ていると「イジメが起こる環境」ってこういう事なんだろうなぁと思ってしまった。


3日前の段階で「現時点ではいじめがあったとは把握しておりません」とか言っていたわけで、こんな教育者達じゃ、「学校でイジメがあったとは把握出来ませんでした」とか言っている以前に「どんなイジメがあっても気づく事が出来ないだろ」って感じ。
7通もの遺書があったのに「イジメという単語が書かれていないので、イジメではない」って、おまえら日本語の読解能力無いのか?状態ですな。
マジにこんな人たちに仕切られている日本語教育は大丈夫なんですかね?

日本語には微妙な機微ってものが多く、英語より繊細なモノだと、自分的には世界に誇れる文化だと思っているんですが、この方々のアホさ加減に「日本語は終わりました」って感じてしまいますな。

それ以前に、自殺を図った直後に遺書があったと提示した際に「見たくない」と拒否したって話もあるし、それを読んだ後も、つい先日の1日の段階でも「あれは遺書ではなく手紙です、私たちは最初から手紙と呼んでいましたので、あれは遺書ではなく手紙です」と言い張っていて「お役所仕事ってのはそういうモノなんだなあ」と、恥ずかしくなってしまいました。

少女は、クラスで無視されていた事が自殺の要因で、それを周囲に告発する意味もあって自殺したハズなのに、その上にいる教育者がその事実を隠蔽し「イジメなんか無い」と無視と同じような状態になっている。
無視というのは一番簡単に出来て、一番効果的なイジメで、実はやっている方はほとんど罪悪感を感じない。確かに自分だって嫌いな相手とワザワザ接点を持ったり話しかけたりしたいと思わない。

この教育者たちも自分たちが今やっている事がイジメと同じ構図だなって気づいていない状態で「だって自分の保身のためにしょうがないじゃん」とまっとうな防衛策だと思っているんじゃないかと。
その後、態度がガラッと態度が変わった。

謝罪と称してその墓前に出向いた際、自殺した少女の名前は一切出さずに「お子さん」としか言わなかった(テレビの中では少なくとも)というのも、引っかかる。
教育委員会が向き合っているのは、謝罪すべき親や少女ではなく、抗議をしてきた約2000件以上の電話やメール、あるいはマスコミとかの社会的なモノだけなんだろうなぁ、って感じがしちゃうのだ。
イジメの図式は単純なハズなのに、結局その根がひたすら深い部分にまであるってのを痛感しちゃうのだ。

無視をするというイジメ。もしかしたら自分だってそれに荷担しちゃう可能性は否定できない。もしかしたら、すでに荷担していた事もあったかも知れない。
色々考えてしまう部分があるのだ。

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