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2006年10月31日 (火)

豊臣秀吉〜天下を獲った男・秀吉

テレビ朝日で「豊臣秀吉〜天下を獲った男・秀吉」というドラマが始まった。


02006110101今まで時代劇とか殆ど見ていなかったんですが、最近自分の中で「そういえば歴史の中で戦国時代と幕末って登場人物多すぎて、全体の流れはなんとなく判るけど、内容的な物はまったく判らないよなぁ」と痛感し、関係書籍をパラパラ読んでいる。
そこで、ちょい興味を引かれてこの番組の初回分を留守録画した(番組開始が7時からなので帰宅できないので)。

ま、この時間帯にやる時代劇なので、いわゆる水戸黄門などと同じようなお年寄り向きの活劇的な時代劇なんだろうなぁとは思っていたんですが、歴史に詳しくない自分が見ても「やはり活劇的な内容だ」と思ったワケです。

主人公の豊臣秀吉(現在は羽柴藤吉郎)を演じるのが中村橋之助って段階で「十分二枚目じゃん」という感じでもあるので、史実は二の次なんすかね?(劇中で織田信長に「ほんにオマエはサルみたいじゃの」と言われても、ピンとこないっす)
織田信長を演じるのは村上弘明なのでさほど違和感は無いんですが、まだちょい役ででしか出てこない徳川家康(現在は松平元康)を演じていたのが内藤剛志だったので「え?」と思ってしまったのだ。なんか年齢設定がと詳しくない自分でも「?」と思ってしまった。

0200611012誕生日を調べてみると
織田信長は1534年生まれ(村上弘明:49)
豊臣秀吉は1537年生まれ(中村橋之助:41)
徳川家康は1542年生まれ(内藤剛志:51)
で、現在物語は秀吉が織田信長に仕え始めた所で、斎藤道三が討たれたという話題が出たので1556年という事になるのだ。つまり織田信長(22)、豊臣秀吉(19)、徳川家康(14)という年齢のハズ、それなのに徳川家康はいきなり登場と同時に「人生とは重き荷を背負いて...」などという有名な格言を言い出しちゃうし、どうみても内藤剛志51歳そのもので14歳には見えない。
ドラマっすからね、という事は判っているんですが、やはり気軽な活劇物として見た方がいいんすね。

秀吉のエピソードで定番の「懐に草履を入れて暖めていた」という,後世に考えられた講談物の定番も出てくるので、その方向って事で(それが悪いってワケじゃなく)。
後、千利休(現在は千宗易)も出てくるのですが、演じてるのが藤田まこと(特別出演)なんですが、「千利休=老人」というイメージなのか、1556年の段階なのにかなりのご老体。実際には織田信長より12歳年上の1522年生まれで34歳のハズ。
う〜むという感じなのだ。

今、個人的に「戦国時代フェア開催中」なのでDVD録画でチェックをしようと思っているのだ。自分の中で漠然としていた、武将たちの年齢なんかを頭に入れつつ「この人が何歳の時にこの人が何歳」というのを意識しているので、こんな部分が異常に気になってしまうのだ。

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2006年10月30日 (月)

校長先生が自殺

イジメで生徒が自殺するってのが連日報道されていますが、今度は「必修授業を受けていなかった」という問題で校長先生が自殺してしまった。


朝のワイドショーでは「真面目な人だった」とか「責任感があった」とか「生徒の事を考えていた」とか色々と語っていて、コメンテーターもなんか「このような真面目な先生が追いつめられてしまう状態が」みたいな感じの論調だった。
自殺した人を悪くは言いたくないけど、この場合は「あまりにも無責任」と思ってしまう。

なんせ、学校側は受けていない必修授業をどうクリアしたらいい?という大問題を抱えていたのに、さらに校長が自殺してしまったと言うことでクリアしなくちゃいけない問題が倍増しちゃっているワケだし、授業どうしたらいい?と戸惑っている生徒達を必要以上に動揺させてしまったワケだし、保護者なんかはこの件がキッカケで自殺したって事なので「どうしてくれるんですか?」という怒りの矛先が学校に向けにくくなってしまったワケだし、何もかも話が難しくなってしまっている。

自殺って、確かに本人は追いつめられてしまったのかも知れないけれど、「残された人々がどんな思いをするか?」っていう部分を想像する能力が欠如しているんじゃないかと思ってしまうのだ。
ただ自分が苦しいからその場から逃げてしまうってダケって気がするのだ。(相手に精神的ダメージを与えるという効力はあると思うけれど、先日のイジメで自殺した子の葬儀ではイジメた生徒達は笑いながら棺桶を覗き込んでいたらしいし、その自殺後は別の子をいじめていたらしいので、効果はあんまり無いぞ)
自殺してしまったと言う事は悲しいことで、そこに至るまでの苦痛は想像に難くはないけど、自殺はどんな理由だろうともダメだよ。

でも、未履修が発覚してからまだ4日しか経っていないんだから、なにも解決策を練っていないような気もするので、結論出すの早すぎ。精神的に弱すぎ。
しかも、生徒に対して模範とならなくちゃいけない立場の人でしょ?
なんか「自殺」が軽くなりすぎているような気がする。

自殺関連の豆知泉

自殺の名所として「富士の樹海(青木ヶ原)」というのは有名だが、よく「中に入ると磁石が仕えなくなり方向が判らなくなる」「木が多く太陽の光がささないのでそれで方向をみることも出来ない」「自殺を思いとどまって戻ろうと思って戻れなくなってしまう」などと言われるが、溶岩石のために方位磁石が使えなくなる場所は極一部、太陽光も多く差し込み、樹海を通り抜ける遊歩道も完備されていて、かなり奥に入り込んでも外に出る事は簡単、奥深く入ろうとして樹海を横断してしまう事もある。(ついでに携帯電話はどの地点でも受信可能)

富士の樹海が自殺の名所と言われ始めたのは30年ほど前のことで、松本清張が書いた「波の塔」が1973年にNHKでドラマ化された事による。

「知泉Wikiの自殺の豆知泉項目

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2006年10月29日 (日)

そろそろ動かないとマズイです

去年の今頃、仕事が立て込んで徹夜なんかが何度か続いた事もあり、体調不良、精神的低迷などが始まり、昨年暮れクリスマス直前に腰痛でベッドから起きれなくなった事があって、今年は最初から自分の体調などとの戦いでした。
いわゆる「鬱」という状態なんだろうなぁと思いつつ、それでも生活の為に仕事をしないワケにもいかず、何とか日々をやりくりしていました。


精神的に落ち込んでしまった事を「なんとかせにゃあかん!」という事で、リハビリの意味もあって、それまでネット内雑記として書いていた物を元旦からブログ形式にしたワケです。
もちろん仕事はそれでも相変わらずだったんですが、こうしてブログを書いてアクセス数などを見ていると「なんとか精神のバランスが取れそうな気がする」てな感じで、乗り切って来ました。

体調は相変わらず良くはなかったが、それでもなんとか夏頃まで乗り切ってきた。が、結局、体調が落ち込み9月に入院てな事になってしまったのです。その後なんとか回復し、仕事に復帰。
そんな中、7年以上に渡って続けてきたメルマガ「知泉」が5月の連休明け直前に停止したままになって半年経過してしまったでやんす。
とりあえず連休明け号としてサブタイトルに「五月病熱烈進行中!」とかってのを考えて中身も編集してあったんですが、連休のしわ寄せで仕事が山盛りになり、なんとなくパワーが充填できずにそのまま放置。気が付いたら発行しないままで半年って状態になってしまいました。
そろそろ動かないとマズイっす。

近々色々「リハビリ計画」として動き始めるんじゃないかって状態ではありますが、後は精神力なんだろうなぁ
体力的にもヘビーな状態は続いているんですが、それと同時進行で鬱状態ってのも何とかしないととは思っている。

なんか今、色々な場所で「鬱病」というのを聞くわけで、それらを見ててへそ曲がりな自分は「今の段階でウツってのを言い出すのって格好悪い」なんて感じてしまい、自分の中にしまい込んで極力他人にはばれないような方向でやり過ごして来た。
それでも自分のコントロール出来ない部分でその症状が出てしまう事もあるみたいで、何かを選択しなければいけない場で思考能力が停止して、ふと気づくと数分経過なんて事があったり、休日に買い物に出かけたのはいいけど店に入ってた途端に購買意欲が失せて何を見るわけでもなく店内を一周して帰ってきたり、ある日は車でそこまで出かけたのにそのまま素通りして家に戻ってきたり。

ダメじゃん俺、とは思うし「だってウツなんだもん」と自覚するの嫌なので、ちょい葛藤はあります。
その手の本を読むと「無理しちゃダメ」だとか「頑張れとか応援されるのもダメ」とか色々書かれていますが、自分の場合はまだまだ軽症なのでなんとか乗り切っております。
でも他人には理解されにくい病気だよなぁという部分は感じている。

ウツの豆知泉

WHOの統計によると、鬱病がもっとも多い国はインド。

鬱病は紀元前から病気として認識されていてギリシャのヒポクラテスは「胆汁が過剰になるとおこる」という説をとなえていた。

ウツになると閉じこもりがちになってしまうが、実は運動不足だと脳内のセロトニンが不足して鬱病になりやすくなる

鬱病患者の精神安定に最も効果的な色は黄色だとされている。それ故に鬱病患者の精神安定剤でもっとも効果的なのは、その成分ではなく、錠剤の色が黄色だと言うことらしい。

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2006年10月28日 (土)

萌え〜教師

なんつーか、現在学校関係のニュースが連日ニュースで取り上げられておりますなぁ


教師のレベル低下が言われ始めてから四半世紀以上経っているのでそりゃしょうがないし、生徒側が学校で理由もなく無秩序に暴れ始め「学級崩壊」なんて事が言われてからも四半世紀経っている。さらにその無秩序とか言われ始めた80年代の中高生が親の世代になっているんだからそりゃ家庭側だってどーしょもないってのはしょーがない。
お互い、それぞれに何求めてんだか知らないけど、基本的には「自分の事は自分で守って、他人に左右されるな」って事を教えておくしかないでしょ。

自分が子供の頃は、小学生は大人にあったら誰にでも「おはようございます」とか言うような教育されていたけど、それだって「知らない人には声かけない」どころか「道を聞かれたら、近くの家に逃げ込め」的な教育をせざるを得ない状況になっている。
近所にある巨大卸売りセンターに買い物に行った時なんか、幼稚園ぐらいの子がフラフラと自分の足元に来て何かを喋ろうとした瞬間、近くにいた母親がその子の手をつかんで「知らない人に声かけちゃダメって言ったでしょ」とこっちをにらみ付けるかのような状態で去っていった事もある。何もしてなくても犯罪者扱いかぁと思ったなり。

確かに70年代にも「人を見たら泥棒と思え」という標語が警察官の間で語られている見たいな事は聞いていたけど、まさにその通りになりましたな。

そんな中、あんまり報道されていないみたいなんですが、凄いヤツが登場しました。
千葉県の中学校に勤務する38際の男性教諭。今年の4月に赴任してきたという事なのだが、当初から赤シャツ&赤ジャージがトレードマークで微妙におかしな感じだったというが、2学期9月になってからネジが数本外れたらしく問題行動を始めたという。

まずかわいい女生徒に向かって「萌え〜」「萌え〜」を連発し、いきなり「オマエは俺の物だ!」と何度も発言していたという。なんじゃそりゃ、教師以前に秋葉原にもどこにもそんなヤツはマジに存在しないよ(たぶん)。

さらに、生活指導で髪の毛を短くしてこない男生徒に対しては、他の生徒に「アイツを無視するように」と強要。
野球部の顧問をしていたが、彼女がいる部員に対しては「付き合っているヤツは別れた方がいい」と言っていたという。
遅刻も多く、教科書を忘れる事も多く、教科書を持たずに教室に現れて時間いっぱい世間話をして終わる事もあったという。

中学では携帯電話の使用は生徒だけでなく先生も禁止されていて玄関にもでっかく張り紙されているが、この男は授業中に携帯の着信(バイブ)があると、いきなり廊下に出て通話を始めていたという。

なんつーか、ここまでの話を総合しても「ありえない」話で、ダメ教師を描く再現ドラマを作ったとしても、それらを実演した所で視聴者から「ありえない」と苦情電話を貰ってしまいそうな状態。
とりあえず現在は、教頭の管理下で生徒指導のノウハウを学習する事になっているらしいけど、こんな状態でもクビにならないって、教育現場はゆるいっすね。
でも38歳教師なんでしょ?これまではどこで何をしていたのか?ってのも凄く気になる。

※「萌え」って言葉が去年「2005年の流行語大賞」にノミネートされていたけれど、この言葉って自分の記憶している限りでは1993年には存在していた。
といっても、当時始めたパソコン通信の世界の中で初めて知った専門用語で、まだアニメ系オタクの聖地にはなりきっていない秋葉原の話題や恋愛シミュレーションゲーム的な話題で出ていたモノだと思う。

オタクの豆知泉

1983年「漫画ブリッコ」6月号でコラムニスト中森明夫が「オタク」と言う言葉を発明しその種の人々の研究を開始した。
※正確に言えば6月号なので5月発売、原稿を書いたのは少なくとも4月。

一部では「オタクの語源は初期コミケが大田区民会館で行われた事があり、大田区が語源」というデマもあった。(雑誌「OUT」による説)古参のマニアが自慢げに「そういえば大田区でやっていた頃にさ」と語る事からとの説。

おたくと呼ばれる人たちが、コミケなどで初対面の相手に名前を聞かずに「お宅はどちらから?」などと話しかけるのが定番だった為に、オタクと呼ぶようになったと言うのが定説。

彼らが二人称で「お宅」を使った理由は、その当時流行っていたアニメ『超時空要塞マクロス』の登場人物がそのように喋っていたからだとされている。

今は世間で認知され普通名詞となっている「オタク」が『イミダス』に掲載されたのは、かの幼女連続殺人事件犯人・宮崎某が逮捕された年。

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2006年10月27日 (金)

映画「DEATH NOTE」前編:テレビ放映

映画「DEATH NOTE」の前編がテレビ放映された。


映画公開からたった4ヶ月でのテレビ放映なんですが、後編が公開されるってことでその後編へ客を引き寄せるための策なわけですが、前編を映画館で見た人にとっては「なんじゃそりゃ?」だったんじゃないですかね?
もちろん、その前編公開時には後編公開直前にテレビで放送するなんて事はアナウンスされていなかったわけで、もちろんそれが判っていたら映画館に出かける必要もなくなる(人より早く見たいとか、劇場のスクリーンで見ないと意味無いとかって人は別として)。
映画館に客を引っ張る手法としては、DVD発売ぐらいのほうが良かったんじゃないかと思うんだけど。

かつて、1992年のバブル期にフジテレビが仕掛けた「パ★テ★オ」という作品があったけれど、これなんかは第1話、第2話を2時間ドラマ枠で放送し、完結編は映画として劇場公開するという「映画館へ客を引っ張る手法」として考案されたもので、最終的に映画は9億円のヒットとなった。(と言いつつ、映画公開終了直後の早い段階でビデオ発売された)

中にはフジテレビの「if-もしも-」で1993年に放送された「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」は監督が岩井俊二で、TVでは初の「1993年度日本映画監督協会新人賞受賞」を受賞し、そのまま映画館で再上演されている(こっちの収益は不明、なぜかパ★テ★オもこっちも奥菜惠が主演している)。

あと、80年代初期には角川書店が映画を大量に作っていたけれど、当時の売りが「映画公開と同時にビデオ発売」という物があった。
まだビデオデッキ自体が一般的とは言い難い時代で、セルビデオも映画1本で1万円以上していた時代(物価を考えると2万3万ぐらいの感覚ですか?)。それでもかなり売れていたみたいで、角川書店的には「映画館に客が入ろうが入るまいが、利益が上がってるのでいいじゃん」というスタンスだった見たいですが、映画業界から「映画館をつぶす気か」とつるし上げられ、同時ビデオ発売は取りやめとなった。

なんせ、ビデオ発売はCDなんかと同じように発売日の前日に発売されるみたいな流れもあって「映画公開前に見ることが出来る」となって、さらにまだ法の整備が進んでいなかったレンタルビデオショップに公開前日からビデオが並ぶ始末。しかもコピー物が大量に(多かったんですよ、レンタルショップにコピービデオがある店って)。
ともかく、映画公開から4ヶ月後にテレビ放送ってのは制作側が映画の価値を認めていないような行為っすね。

で、肝心の映画の内容なんですが、漫画単行本をリアルタイムで読んでいた時のドキドキ感はあんまりなくて「あぁあのシーンを実写にするとこうなるのね」的な感じだった。2時間という枠(後編含め4時間)の中で話を盛り込むためには、あそこをこうして、ここをこうするか、という感じで、思ったより緊迫感を感じなかった。
が、ラスト近くでオリジナルエピソードになった時だけが予想もしなかった展開だったために、そうかそうくるか!とスピード感が増していった。

確かに、後編を見たいかなぁという気もしてきたけれど、前編をテレビで見てしまったために「テレビサイズ」という気がしてしまい、後編はDVDレンタルでいいかなぁと思ってしまったのだ。

そういえば、9月6日、原作漫画を書いていた小畑健氏が銃刀法違反で逮捕された事件はどうなったんですかね?(銃刀法違反といっても「アーミーナイフ所持」レベルの物なんですけどね)

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2006年10月26日 (木)

就職するのなら奈良市役所

奈良市役所のごみ収集・処理をする係にいた42際の男性職員は、5年間、何度も何度も「病気による休職」ということでたった8日しか出勤していなかったが、給料は満額支払われていたという事件。


年間約500万、5年間で計2700万円が休職中に支払われていたと言う。8日出勤で2700万って事は(1日8時間勤務したと計算して)2700万円÷64時間=42万1875円、時給42万円ですか。1日8時間出勤しただけで336万円貰える職場っていいなぁ。(その出勤も病欠届けを出すための出勤ではないかと思ったりするし、数ヶ月ぶりに出勤してきても仕事なんか出来ないだろうし)

病気休暇は1回出すと90日間取れるらしいんだけど、他にも同じような職員がいて5人で450回の病気休暇が出されていたという。
マジに凄いっす。普通の会社なら1週間の病気休暇でさえ「医者の診断書だせ」とか、色々文句言われて居づらくさえなるってのに。
さらに一般の会社では療養を開始して3年以上を経過しても病状がよくならない場合は、労働基準法による打ち切り補償を行って退職とすると明記されていたりする。
つまり「仕事が出来ないほどに体調が悪く、改善の見込みがない物は労働に適していない」と見なされ、退職って事になるのだ。
って、普通の場合は病気だとしても本人が会社に居づらくなってしまう物だと思うのだ。

しかし、この5年間の休職を続けている職員はその5年の間に、「部落開放同盟支部長」として、さらに妻が代表を務める建築会社の社員として、何度も市役所にその仕事の関係で訪れているという。
仕事が出来ない程に体調が悪いのに仕事熱心なので、愛車はポルシェだったりするワケですな。

奈良市役所は「職員は懲戒免職として、5年間の給与の返還を要求する」とか言っているんですが、これは「詐欺」でしょ?どう考えても。
それとも、市役所自体は知っていて野放しにしていた、ダマされているって知っていたので、詐欺罪は立件できないって事なんですかね?

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卒業出来ない

高校での必修科目を受けていないカリキュラムが発覚した時、最初は「学校側のうっかりミスで必修を落としてしまった」と思っていた。


なんて迂闊な間抜けな高校だな、生徒が可哀想すぎると、色々な部分で同情をしていたんだけど、翌日そのニュースは別の県にも飛び火し、さらに翌日は「日本各地で同じような高校があった」というニュースになった。
ここまでくると、うっかりとか偶然ではなく「そういう事が慣例化していた」って事なんすね。

この件で、ちょっと文章を書いて1日寝かしている間に事態はさらに大きくなって、自分が書いた想定の文章は全然役にたたなくなって書き直しになってしまう。
それを連日繰り返しているような状態だわんですが、結局「必修を意図的に受けていなかった」という感じっすね、確かに全国一斉に偶然「うっかり」がありえるハズないんだけど。
地元の高校でも発覚してしまったんですが、意図的に落としたとか、大学には受けたと申請していたとかボロボロと出てきてしまい、今年の受験生はどーすんだ?とか、これまでそんなウソの報告をしてきた高校に対して大学側はどう対処するとか、どう転がっていくか判らないほどの大事件になっている。

問題は、結局「高校の勉強ってのは大学に入るための効率だけを考えて、勉強するという本来の部分を置き去りにしている」って事なんでしょうね。
世界史を知っていたからどうって事もないけど、「進学率を良くする」という単純明確な命題に対しての解答が「受験に関係しない勉強はパス」って事だったわけっすね。

確かに、大学へ進むという事が親から生徒から要求されてる結果だというのは判るし、それを無視する事は出来ない。
学校側の問題としてしまうのは凄く簡単だけど、今回の事件は受験をめぐる全ての人が関係している問題だし、本来の「知識を覚える事の楽しさ」ってのは学校には無くなってしまっているのだなぁと痛感する問題だと思うのだ。
実際、自分も学生時代は勉強の面白さは見いだせない上、学校を見下しているような嫌なヤツで「勉強しなくてもそれなりの点数は取れる」とギターと絵を描くことだけに生活を絞っていた。(自分の通っていた学校がそんなレベル高くないってのも要因なんすけど)

今みたいに、色々本を読みあさって「あぁなるほど、これとこれはここで繋がってくるのかぁ」と知識を覚えていくことの楽しみを知ったのは、卒業してからの事なのだ。
そう考えると「高校生の本分は勉強」ではなく「高校生の本文は受験知識の詰め込み、勉強なんてのは卒業してからいくらでも出来るから、高校時代は受験知識を詰め込むべし」って感じなんしょうね。
「学歴社会は崩壊した」と10年以上前に聞いたけど、実際の事を言うと世の中はまだ学歴が一番判りやすいステイタスだし、学歴がそこそこ良くないと進むべき方向の選択肢は少なくなる。学歴の選択という部分で手を抜くと、一生の生活が変わってしまうというのも事実。
「受験勉強のための勉強」ってのは、良い悪いの問題ではなく、現在の価値観が全部壊れない限り停まることはないと思う。
高校生諸君、本当に勉強したい事は卒業後まで取っておけ。

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2006年10月25日 (水)

ネット犯罪の被害者・加害者

小学6年生の女の子が21日に駅前で父親と別れた以降、行方不明になったという事で、親が24日に実名と顔写真を公開した直後、25日の未明に本人から警察に連絡が入った事件


一緒にいた31歳の男性(無職だが親が不動産関係の仕事をしていて金持ちらしく箱根の別荘にいた)そのニュースをテレビで見て「こんなに騒ぎになっているとは思わず、驚いて連れてきた」と話している。
結局その真相は女の子がネットのメル友募集に書き込んだ物に対して31歳男が手を出しちゃったという事だったという、現代ではありがちな話なのかなぁ状態。

実名・顔写真まで出しちゃった後に事の真相が判ってしまってアタタなんすけど、どうやら公開捜査になって真相が判明するまでの半日ほどの間、ネット内ではすでにその真相が色々な場所に書かれていたらしい(ま、某掲示板がメインの場所らしいんですが)。
いわゆる、出会い系サイトで常習的に彼氏募集をしていたらしき事実がボロボロ出ているそうで、今回の直接のキッカケになった掲示板でも、原則として「メル友募集掲示板」で彼氏を募集するのは禁止事項で「彼氏・かれし・カレシ」などの単語はNGワードとして書き込みが出来ないようになっていたのを、「カ レシ 募集」と文字間にスペースを入れてすり抜けている辺りが、明らかに慣れているなぁって感じなのだ。

もちろん、31歳のオッサンがそれに「ウヒヒ」と手を出すのは犯罪行為で、双方同意だったとしても未成年を連れ回していたという事で「未成年者誘拐容疑」って事で逮捕状を請求されている。(とりあえず募集要項には「募集する年齢→小6 から 20歳 まで」となっていたワケですが)
この事件に関しては、今判る範囲での感想は「どっちもどっち」って感じ。とりあえず傷害事件とかではないので、後は勝手にやってくれ状態っす(でも小6女児は名前も顔も公開されてしまったので後が大変だろうけど)。

ネット社会が当たり前の時代になってきた昨今、年齢は関係なく犯罪に巻き込まれる。あるいは自らが犯罪を引き起こしてしまう可能性が出てきた。
少し前はダイヤルQ2などを舞台にした犯罪が「誰でも犯罪に巻き込まれる可能性が」という事を言われていましたが、今はそれ以上に当たり前になってきた。なんせ、自分の処にも毎日のように「出会い系」メールが送り届けられている。
そのメールを読むと、明らかにアホな内容でどう転んでも詐欺でしょ?という物が多いんだけど、中には引っかかってしまう人もいる。先日も、明らかにチープな手口のメールでの犯罪が発覚した時、被害者がかなりの数だったののを見て「あぁだからこの手の犯罪は減らないんだな」と思ったのだ。

携帯電話に関しても未だに毎日大量のスパムが届く。
それは当然、未成年だとか成人だとか男だとか女だとかは区別しないで無作為に送ってくる物で、小学生女子の処にも
>さきほど2人のvip奥様があなたの性&生活を改善したいとの連絡が
>あったことをお知らせいたします。
>会って満足いただけたら、希望で100万円まででしたら都合できます。
>体だけの関係ですが、金銭的にお困りでしたら返事下さい。
とか、ワケ判らない内容のメールが届けられたりするワケで(しかしvipとかセレブって言葉が好きだねえ)、逆に言うと、そんなIQ低そうな文章を書く人と、そんなのに引っかかる人物の精神構造には興味があるので、潜入捜査したいとか思ってしまう部分もあるんですが。

小学6年生女子の早熟さと、31歳男性の未熟さ。そんな本来は接点を持つことが無かった人たちが気軽に知り合ってしまう世界の怖さをどうクリアしていくかが、この先の時代を生きていくための知識なのかもしれない。

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2006年10月24日 (火)

サディスティック・ミカ・バンド「NARKISSOS:ナルキッソス」

サディスティック・ミカ・バンドのニューアルバム「NARKISSOS:ナルキッソス」が発表された。


000micaba今年の春先に「木村カエラがボーカルで復活!」とブログでもネタにして、そこでミカバンドの歴史なども書いたワケですが、さらに歴史に1ページが加わりました。
キリン・ラガーのCMでは春から代表曲「タイムマシーンにお願い」が流れていたんですが、そこでの加藤和彦の声で「時代は変わる、ラガーは変わるな」とキャッチコピーを言うのも「あぁぁぁぁぁ」と自分的には毎回ゾクゾク来ていたワケっす。

加藤和彦がCMでこんなふうのキャッチコピーを言うのは、1970年代初期のモービル石油のCM。藤竜也と鈴木ヒロミツがエンストした車を手で押している物で、マイク真木が歌う「♪の〜んびり行こうよ俺たちは」のメロディーの最後に「車はガソリンで動くのです」とあの独特の口調で語るもので、これが少年期に刷り込まれているので、今でも加藤和彦の声を聞いているだけで幸せな気分になるでやんす。

加藤和彦とCMというと、1970年の富士ゼロックスのCMで加藤和彦が手に「BEAUTIFUL」と書いた紙と花を持ち、ただただ街を歩いている物があった。音楽も加藤和彦がこちらもただ「ビューティフル、ビューティフル」と繰り返すだけの物で、何のCMか全然判らない状態で延々と続き、ラストに「モーレツからビューティフルへ、XEROX」という文字が出る。というだけのものがあった。
ハッキリ言って、まだ小学生の低学年の時に見たCMなので印象には残っているけれど、一体何のCMなのかは不明だった。(というか、この文章を書くためにネット検索して初めて富士ゼロックスだと知った)
当時、加藤和彦は「フォーククルセダーズ」と「ミカバンド」の間の時代で、世間ではヒッピームーブメントやフラワーチルドレンなんて言葉の中心にいたハズです。

で、今回の木村カエラ版ミカバンドのアルバムなんですが、一言でいって「時代を超えちゃってますな」という感じ。初代ミカバンド自体が時代なんかとは関係ない場所にいたんですが、まさにそのミカバンドの「新作」という感じでもあるし、「前作の続き」って感じでもある。
新曲は加藤和彦作曲が3曲、小原礼作曲が3曲、高橋幸宏作曲が2曲、高中正義作曲が2曲で、それぞれの持ち味がバリバリに前面に出ていて、クレジットを見なくても誰が作曲したか判ってしまうんですが、それでも「ミカバンド」という音になっている。
CMでも使われ、先行発売(ネットのみ?)されていた「タイムマシーンにお願い」の音造りを聞くと今の時代っぽいミキシングを感じるけれど、その骨になる部分は70年代と変わっていないような気がする。

高橋幸宏の軽くて重いドラム。ややツッコミ気味だけど、ロールを多用するけれど、なんでこんなに自己主張がなくて存在感があるんだろうか、と、改めてその特殊性に感心する。
高中正義のクールで押しつけがましくないテクニック満載のギターフレーズ。
小原礼のドッシリと屋台骨を支えるベース。その裏でこっそりと縦横無尽に音を走らせて色を加えている。
加藤和彦はソロで弾くと味があるギターを抑えめにしてサイドに徹していますが、作曲とボーカルはどこに行っても加藤和彦。さすがトノバンなのだ。(トノバン=加藤和彦の70年代の愛称で、イギリスの60年代ヒッピームーブメントの代表歌手ドノヴァンが好きだった事からのネーミング)

で、木村カエラのボーカルがソロの時より格段に良い。メインボーカルとして歌っている時ではなく、高橋幸宏がメインで歌っている時に絡むコーラス的な歌い方とか、抑える歌い方も良い。
桐島カレン版のミカバンドは、良くも悪くも「桐島カレンという素材でミカバンドを作ってみました」という感じだったのに比べ、今回のミカバンドは完成度が高いと思うのだ。

売れる売れないを別にして自分的には2006年の名盤となりました。
ちなみにバンド名は「サディスティックミカバンド」ですが、ジャケットには「Sadistic Mikaela Band」となっている。(初代がMIka、二代目はMIca、三代目はMIikaelaですか)
※7曲目「Tumbleweed」の2分25秒の所で一瞬、音が震える状態になるんですが、最初iTunesに取り込んだ物を聞いたのでそのせいかと思ったんですが、CDもそんな感じ。これって意図的なアレンジなんですかね?

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2006年10月23日 (月)

ポータビリティ

10月24日から携帯電話の機種を変えても番号をそのまま引き継ぐ事が出来る「ポータビリティ/MNP:Mobile Number Portability」という制度が開始される。


ということで、シェア3位のソフトバンク(元ボーダフォン、元々Jフォン)の孫正義社長がいきなり施行前日に「通話料ゼロ円」という、まさに「予想外」な事を言い出した。
その説明の中で「インターネットは基本料金だけで、あとは使い放題なのに、携帯電話でそうじゃないのはおかしい」という事らしいんだけど、マジっすか?状態でやんす。
といいつつ、自分はあんまり携帯電話を使わない生活をしているので、ほとんど恩恵を受けないワケですが。

機種を変えても番号の変化無しって事でなんですが、メールのアドレスは引き継げずに変更した機種で新たなメールアドレスって事になるのが、ちょい整備不足って感じですな。中にはそっちのほうが頻繁に使う人が多いので。

でも、テレビのニュースではポータビリティ初日のショップの模様をレポートしていたんですが「思ったより騒ぎにはならず、皆静観の模様です」などと言っていた。というか「先着何名様」とかではないし、平日だし、そんなに慌てて機種変更する必然性もないので、何かの発売日みたいに行列作るって事はないだろ。

番号ポータビリティって事で言えば、自動車のナンバーのポータビリティは出来ないっすかねぇ。
実は自分の住んでいる地域のナンバーは「沼津ナンバー」なんすけど、この2006年10月10日から自分の住んでいる地域は新たに出来た「伊豆ナンバー」になってしまったのだ。

今まで「沼津」はダサイと思っていたんですが、ハッキリ言って「伊豆」の方が恥ずかしい。別に伊豆に誇りを持っていないワケではないんですが、伊豆って...。
でも、他地域からは「伊豆はいいイメージ、沼津は知名度低い」という事らしい。う〜む、住んでいる人に取ってみると「伊豆」って、何もない山奥ってイメージっす。
ま、それ以前に新ナンバー候補として出ていたと噂される「富士山」より良いけど。

こうなったら、今乗っている車がダメになるまで無理して走り続けるしかないズラ。そうだら。

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2006年10月22日 (日)

ドブさらいの日

Yotu01

Yoyu02

Yotu03


腰痛の豆知泉

日本の男子バレエダンサーには腰痛持ちが多いと言われている。
というのも、日本では女子バレエダンサーの体型に関するチェックが緩やかで、かなりたくましい方も多い上、男子バレエダンサーの絶対数が欧米に比べ少ないために、多くの舞台に出演しなければならないため。

腰痛関係の本では「腰痛によい座り方」として「あぐら派」「正座派」に分かれるが、それぞれの本の監修者に問いただすと、ほとんどが「名前を貸しただけで根拠がない」と答えるとの事。

マリリン・モンローのモンロー・ウォークという歩き方は、左右のヒールの高さを微妙にずらす事で自然に見える。しかし、そのせいでモンローは腰痛持ちだった。

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2006年10月21日 (土)

Let's Try Again 細野豪志

9月29日発売の「フライデー」で不倫路上キス写真がどーんと公開されて、さあ大変となった細野豪志と山本モナですが、結局、山本モナは「NEWS 23」降板ということになってしまった。


ハッキリは判らないけど、細野豪志と山本モナの接点は細野豪志が最近よく出ていた「たけしのTVタックル」あたりかなぁと思ったりする。
山本モナは関西の朝日放送のアナウンサーだったのを辞職してフリーアナウンサーになったばっかりで、今回の「NEWS 23」へのレギュラーは大抜擢だったんですが、そのバックにはたけしが役員を務めている「オフィス北野」へ移籍したという理由がある。
その関連で、オフィス北野がらみの「たけしのTVタックル」に出演する事が多い細野豪志が何らかのパーティとかで知り合って...とか、勝手に妄想してみた。

で、細野豪志の地元有権者の私なのですが、その地元で毎週金曜日の夕方放送しているコミュニティFM局「Voice Que」の番組『宝島大作戦』は民主党がスポンサーで細野豪志がメインパーソナリティを務めていた。
国会で忙しい時は、スタッフが色々な話をして途中に電話で細野豪志が参加というパターンで、ここ数年続いていた(途中で番組名や構成が変わったけど)。

で、不倫が発覚した週の金曜日(9月29日)の放送は、何も説明もなくその時間はイージーリスニング的な曲が延々と流れるだけの放送になった。
翌週10月6日の放送は、冒頭に細野豪志が一人で事情説明を3分ぐらいして、そこから先は先週と同じ状態。そして、その後の13日、20日と番組は毎週当たり前のような状態でイージーリスニングな音楽が流れるだけになっている。(追記、27日も同様)

有権者の家を一件一件廻って謝罪しているらしいんだけど、なんか謝罪の仕方間違っているよなぁと感じつつある。
取り返しの付かない事をしたのは事実なんだから、それを丁寧に謝罪したって何も変わる事はない。やるべき事は気持ちを新たにして本来やるべき仕事に精進する事じゃないのかい?
謝罪している間も国会議員として給与が払われ、時間も過ぎているんだから。
直接謝罪に来られたって面倒クサイだけ。

有権者に気持ちが向いているという姿勢は立派だけど、有権者はそんな謝罪を求めているワケじゃないと思うのだ。

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2006年10月20日 (金)

芳本美代子「白いバスケットシューズ」

Micchon001芳本美代子/白いバスケットシューズ
作詞.松本隆/作曲.編曲.井上大輔
テイチク/RE-667
1985年03月21日/¥700
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現在は昼ドラなどの主演をするような中堅女優になっている芳本美代子。愛称はミッチョンてなワケですが、一般的にはアイドル歌手としての活動はあまり話題にならなかったと思う。


Micchon002彼女は1983年、13歳の時に九州朝日放送が主催した「第5回福岡音楽祭」というアマチュアのコンテストに応募して、そこで落選した事がキッカケになってデビューしている。
そこでテイチクレコードにスカウトされ、1年のレッスン後に上京。さらに1年後の1985年3月にこの「白いバスケットシューズ」でデビューしている。
で、アイドルとしては思いっきり正統派だったんですが、売れなかった理由は色々な物が重なっているような気がする。(八重歯というのも正統派っぽい)

Micchon003前々から書いているように、1982年組と呼ばれる、松本伊代・小泉今日子・中森明菜・早見優・堀ちえみなどなどがデビュー数年経った状態でも売れ続けていて、新人が入り込むのがかなり困難な状況の上、1982年組がアイドルブームを牽引し、各事務所もアイドル育成にチカラを入れ始めていた。
同期に中山美穂・斉藤由貴・南野陽子・本田美奈子というメンバーがいて、彼女は当時ドラマ展開をしなかったというのも知名度を上げる事に失敗していた。

Micchon005さらに所属レコード会社テイチクというのが、基本的に演歌系レコード会社でアイドルを売り出すノウハウがほとんど無かったというのも敗因と思われる。なんせ、テイチク所属のアイドル歌手で1970年代1980年代でオリコン10位以内に入ったのは高田みづえと芳本美代子だけ(高田みづえは演歌系って気もするけど)。

Micchon006そしてデビューした翌月、4月から「夕やけニャンニャン」が始まっていて、そこでアイドルの求められる資質が「幻想的な正統派アイドル」から「隣にいても不思議じゃない等身大アイドル」へと変質していった。そういう意味では、タイミング的にあんまりよくないデビュー時期だったのではと思ったりもするのだ。

Micchon008楽曲的には松田聖子のプロデュースを離れた松本隆が、斉藤由貴と共に芳本美代子に詩を提供しアルバムなどでも全曲の詩を担当している。
松本隆は、松田聖子で非日常な世界へ飛びすぎた詩世界をリアルな現実の学生生活などに引き戻す作業をしていて、このデビュー曲などでも二人で海辺に行っているけれど、そこは松田聖子のようにセイシェルでもマイアミでもなく、極々近場の海という印象。きっと足元には空き缶が転がっていそうなムードではある。

Micchon009で、タイトルに「バスケットシューズ」という単語が出てきて、歌詞にも「スタジアムジャンパー」が出てくるけれど、詩の内容にスポーツは一切関係していないというのも、時代的な気がする。
それまでの歌詞ではテニスコートが出てくれば相手はテニス部の部長だったりしていたワケですが、ここではあくまでも「スポーツウェアはすでにファッションアイテムとしての記号でしかない」という時代に入っているのだ。

Micchon011ちょうど、アディダスとかがスポーツとは関係ないラッパーの制服になっていた様な時代で、街履きとしてナイキが流行し始めたのとリンクしている(スタジアムジャンパーは80年代初期にブームがあったけど)。
と言いつつ、芳本美代子自身は中学時代にバスケットをやっていたというので、その関係もある。

メロディは良くも悪くもアイドルポップスで、今改めて聞き直すと良質なメロディという感じもするんですが、あの時代には古くさかったのかも知れない。(音的には過剰なエコーが聞いているってのは大瀧詠一の影響なんすかね?)

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2006年10月19日 (木)

槇原敬之と松本零士のパクリ問題:3

ブログの順番でこっちが上になってしまってますが、槇原敬之と松本零士のパクリ問題:3


歌詞のパクリだったら、もっと凄いのは山ほどいる。
例えば五木ひろし「よこはまたそがれ(作詞.山口洋子)」辺りはフランスの古い詩の翻訳みたいな流用だったり、松本隆もディランとかの詩を翻訳してまんま使ってます。

思いっきり判りやすい物では中原中也「在りし日の歌」に収録された「頑是ない歌」を、どっかで国語教師をしているあの人がマルッとコピペして作詞に自分の名前をクレジットしてます。(この曲の歌詞カードに元ネタとかの明記あるんでしょうか?)
自分はずっとこの曲、中原中也の詩を元に曲として組み立て直した物だと思い続けていたんですが、10年ほど前のインタビューを読んでびっくりしてしまいました。
なんせ「実はこの詩を書いた時、自分はまだ20代だったんですが、今思うとよくこんな深い意味の詩を書けた物だと、自分の事ながら感心しています」と答えていたわけで。
60年代からのフォークムーブメントの中で、古典的な詩に勝手にメロディを付けて歌うという流れもあったけれど、それの一種なのかなぁ。
それとも「元ネタは有名なのであえて引用と説明しなくてもいい」という感じなんすかね?

曲の方の詩は著作権の問題で掲載できませんが(今回、槇原の関係で検索して歌詞のコピペが山盛りになっていてビックリ)、中原中也の方は著作権保護期間が過ぎていますのでコピペ。

「頑是ない歌」中原中也
思へば遠く来たもんだ/十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた/汽車の湯気は今いづこ

雲の間に月はいて/それな汽笛を耳にすると
しょう然として身をすくめ/月はその時空にいた
それから何年経つたことか/汽笛の湯気を茫然と
眼で追ひかなしくなつていた/あの頃の俺はいまいづこ

今では女房子供持ち/思へば遠く来たもんだ
此の先まだまだ何時(いつ)までか/生きてゆくのであらうけど
生きてゆくのであらうけど/遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆては/なんだか自信が持てないよ

さりとて生きてゆく限り/結局我ン張る僕の性質(さが)
と思へばなんだか我ながら/いたはしいよなものですよ
考へてみればそれはまあ/結局我ン張るのだとして
昔恋しい時もあり そして/どうにかやつてはゆくのでせう

考えてみれば簡単だ/畢竟(ひっきょう)意志の問題だ
なんとかやるより仕方ない/やりさえすればよいのだと
思うけれどもそれもそれ/十二の冬のあの夕べ
港の空に鳴り響いた/汽車の湯気は今いづこ

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2006年10月18日 (水)

槇原敬之と松本零士のパクリ問題:2

ブログの順番でこっちが上になってしまってますが、槇原敬之と松本零士のパクリ問題:2


槇原側が「もしかしたらどっかで聞きかじったフレーズが出てきたかも知れない」と答えたそうですが、その後、松本零士が「じゃ、引用したって事で表明して貰えますか?」と言いだし、それに関しては槇原敬之は「それは出来ません」と答えたことから、さらに問題はこじれているという。
創作物ってのはゼロから出発する物ではなく、その人が過去に見聞きした物が濾過されて出てくるような部分もある。「絶対に影響を受けていない」という否定は実は難しい。その辺も松本零士は判らないのかなぁ。

実は同じようなことが自分にもあった。
自分のサイトの初期は「雑学」と同時に「現代用語の基礎的ではない知識」という、お笑い系辞書というものを二本柱にしていた。
それだけのメルマガも発行していた。
その中でとあるネタを書いた処、突然、デーモン木暮を気取っているかのような文章で「貴殿は余の書いた文章をパクったな」とメールが届けられた。
その内容は、そこに書いてあるネタがその人物がやっている同傾向のサイトに掲示しているネタと似ているという物だった。その人物のサイトにいってそこを見ると確かに似たネタがあった。
でも、そのメルマガに乗せたネタはずっと昔、パソコン通信時代に書いたネタを再掲載した物だったので、パクリって事じゃないのは明かなのだ。

で、相手の要求は「メルマガに掲載したネタはパクった物だ」と、自分が発行しているメルマガに謝罪文を載せて、その人物のメルマガとサイトの宣伝を掲載せよという物だった。その人物もメルマガを出していたとその時知ったんだけど、その時点で相手のメルマガの発行部数は自分のメルマガの半分以下(もっと少なかったかも知れない)。
そこで「最初に発表したパソコン通信のネットはまだ健在なので、そこでチェック出来る」と言ったワケですが、普通の人はパソコン通信に繋ぐことが出来るモデムなどを持っているハズなく、さらに自分さえももうモデムはしまい込んでいて何処に行ったか不明状態だったので、再確認できなかった。(相手はそれ以前に、そんなの確認する必要はないとハナから言い放っていたけど)
その後、色々面倒な事があって(掲示板荒しとか)自分の中でその辞書作成の意欲がダウンして、結局そっちは終わってしまった。(まだ掲載しているので、完全に終わったワケじゃないっす)

世の中には偶然という物は存在する。だって、最初の創作物だって人間が考え出した物なんだから、それを同じような事を別の人間が考え出したって不思議じゃない。
松本零士も物を作る人間としてそこへの柔軟さは無かったのかなぁ
「物を作る人間としてこの様な事はあり得ない」と言っていたんですが、そんなメジャー作品からのパクリだったら恥ずかしくてとか怖くて出来ないと思うんですが、オリジナルだと思っているから発表出来たんだと思うんだけど。

たぶん今頃、某巨大掲示板の方ではそんな話題の好きな方々が無条件で槇原を叩いたりしているんだろうなぁ。以前も某歌手の事で書いているのを読んだけれど、そこでは極々一般的な言葉が数個他の歌手の曲と同じだっただけで大騒ぎしていたので。

ま、最終的には双方が結局付けてもらう事なので、他者がどうこう言う話じゃないっすけどね。
(続く)

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2006年10月17日 (火)

槇原敬之と松本零士のパクリ問題:1

槇原敬之がCHEMISTRYに書いた「約束の場所」という曲の歌詞が、松本零士の「銀河鉄道999」に出てくるフレーズにそっくりという事で、松本零士がパクリだ!と語っている。(実際に報道されたのは木曜からですが)


「約束の場所」♪夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない
「銀河鉄道999」時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない

Maki061025aという事なんですが、最初ニュースで「槇原敬之、盗作!」という事でタイトルだけ聞いた時はどんなトンでもないパクリかと思ったワケですが、そうですか、そんな感じですか。
そのワイドショーでも「松本さんがそう言って怒っています」という事は報道しているけれど、論調としては「ま、パクリとかウンヌンってのは難しい問題だからねえ」という感じなのか、ほとんど触れずに他のニュースに移動している(北とかイジメとか大きなニュースがある時期ですからね)。

確かに同じフレーズの羅列で繰り返しなので同一性を感じます。
でも盗作ってのは難しい部分があって、自分の場合、ずっとずっと昔、作詞作曲なんかやって某コンテストなんかに出たり色々やっていた時、自分が作って友人にしか聞かせていない曲とサビ部分がそっくりの曲がラジオから流れてきてビックリした事がある。
それ以外にもメロディだけじゃなく、歌詞に関しても「このワンセンテンス丸々同じじゃん」と、自分が考えた物と同じような作品が後から出て来るというのを経験した。

Maki061025もちろん、松本零士の作品は1977年(来年30周年)に発表して、アニメにもなって大ヒットして、そりゃ大量の人に見聞きされているので、パクろうと思えばいくらでも出来る。槇原側が「あの漫画は読んでいない」と言っても「どうだかね」という感じでもある。
逆に言うと、999ファンには有名なフレーズらしいので、そんな有名だったらバレバレのことはしないと思うけど。
でも、自分は「銀河鉄道999」を思い入れもなく読んだことあるけど、そのフレーズは記憶に残っていなかった。

松本零士はこのフレーズを気に入って何度も使っていたというけど、だとすると30年間の間に「松本零士の作品」ではなく、多くの人が使う「出展を知らないけど漂っている言葉」にまで進化していたんじゃないかと思ったりするのだ。漫画を読んでなくても、誰かが使っていたとか、どっかで読んだとか。(槇原のラジオなんかのリスナーがハガキにポツリと書いてあったフレーズでなんとなく記憶していたとか)
松本零士の漫画もそこそこ読んでいて、槇原敬之の曲もそこそこ聞いている自分なんですが、なんか松本ぉそんな事で騒ぐなよと思う部分もあるし、槇原ぁオマエの周囲にはそれを指摘する人いなかったのかよと思う部分もある。

Maki061025cでも、松本零士がパクリパクリというけど、そもそも「銀河鉄道999」って、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」が元ネタなんじゃないの? そこはどうなのさ。
ついでに主人公「星野鉄郎」の名前の元ネタ作詞家の星野哲郎はどうなのさって感じなのだ。
ちなみに蒸気機関車が宇宙空間を飛ぶという作品の映像化作品だと、1904年のフランス映画「とんでもない航海」のほうが先。(宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」は1924年頃から書き始められ、完成は死の直前1933年)

Maki061025dちなみに松本零士は2002年に「宇宙戦艦ヤマト」の著作権に関して、プロデューサーの西崎義展と裁判で戦い、「著作権は西崎にある」と敗訴している。(ヤマトの企画自体、西崎がアニメ用に立ち上げた物で、そのキャラクター設定などで松本が関わり同時に漫画化もしたので、あくまでも作者は西崎ということらしい)その後、2003年に和解し共同著作となっている。

パクリか、パクリじゃないかは、双方が決着付ける問題だと思うけど、個人的には「なんか松本零士がちっちゃい男に見えた」って感じ。常日頃語っている男のロマンとかとは全然別次元の人だなぁ
もっと腹を据えて「マッキーの曲のフレーズが999に出ていたフレーズが酷似しているんですが」と聞かれた際に「言葉は語られ、伝えられていく物です。自分が考えたフレーズでも発表した後は、それを読んだ各人の言葉になるのです」ぐらいに言って欲しかったなぁ
(続く)

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2006年10月16日 (月)

非核三原則

日曜日の報道番組で中川昭一政調会長が「非核三原則を見直す議論があってもいい」という趣旨の発言をしたとして、波紋を呼んでいる。
非核三原則を改訂するってワケじゃなくて、そこの部分をさらに見つめて、どのような意味があるのかとか、を再確認するのは悪いことじゃないとは思う。


で、この発言に早速中国が反応して「日本が核を保有することは許し難い」などと言っていたらしいんだけど、以前の「日本が軍国主義になる事に危機感を」とかの発言と共に「軍隊もって、徴兵制あって、核を保有している国が何いってんの?説得力ナッシング」と思っちゃうのだ。

たぶん今回、北朝鮮が核実験を行った背景に関しては「核は戦争と平和のバランスを取ることが出来る武器」という部分が大きいとは思う(ま、北の将軍様の行動力はそんな常識を飛び越す時も多いですが)。

そもそも、世界で最初の核兵器をアメリカが持った背景にも「だんなだんな、敵国のナチスドイツが核爆弾の開発の最終段階に入ったらしいですぜ、こいつぁこっちがそれに先んじて原爆作んなきゃマズイとちゃいまっか?」という科学者からの提案で始まったワケで(マンハッタン計画)、その「核が戦争への抑止力になる」みたいな考えは最初のアメリカから始まっているから、いまさらあーだこーだ言われても、説得力ないよなぁという部分はある。
実際には、その科学者(アインシュタインとか)たちからの提言がされていた段階で、ナチスドイツは核兵器の開発を(技術的&資金的問題で)諦めていたといわれている。

その後、ナチスドイツは崩壊してしまったワケで、最後に残った最大の敵国・日本に原爆を二発落として世界中に飛び火した戦火を鎮める事が出来たという事になっている。
アメリカ的言い分では「日本に原爆を落とした事に関して反省はしていない、あの原爆が無ければ戦争は終わらなかった、あの原爆は平和のシンボルなのだ」という事らしい。

確かに、国際的な流れは大きく変わってきているけれど、北朝鮮が「国を守る為に核を持つのだ」と主張するのは、かつてのアメリカがやった事と大差ないと思う。
ついでに、中国やインドも核を持つようになってから世界的に認められたような部分があるので、その流れに乗りたいんだろうなぁという部分も見て取れる。

でも、その指導者が将軍様だからなぁ。

ちなみに「非核三原則」を「持たない・作らない・持ち込ませない」と書くのが一般的なんですが、多くの人が最後を「持ち込まない」という受動態が能動態になっている。
でも実際の事を言うと正解は「持たない・作らない・持ち込ませず」でやんす。

以前、横須賀の米軍基地に原子力空母が入港した時に「原子力空母は核ではないか?」という事で大騒ぎになったワケですが、さらに「空母に核が積み込まれているのでは?」なんつー話もあったりして、未だに横須賀などの基地内はアメリカですからOKなんすかね?
持ち込ませずなので「潮に乗って流れてきた」はOKですか?

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2006年10月15日 (日)

イジメは続くよどこまでも

なんか連日、報道番組は、北朝鮮の核実験と、学校でのイジメ問題がメインになっています。


イジメ問題に関して、色々な識者がテレビであーだこーだ話していますが、ハッキリ言って地球上から人類が滅亡するまでイジメは無くなりませんよ。
人間はもともと平等じゃないんだし(経済的だけではなく、才能的にも、氏素性的にも、容姿的にも、その他諸々)、色々な人間が集まるような場所では無意識の中でも順位付けが存在し、その結果軋轢を生み出すのは当然。
その差異で他人を見下したり、恨んだりする。それで劣等感を持つ人は、上位の人が何気なく喋った事ですら「馬鹿にした」と感じてしまう事もある。
演劇やコントをする場合、登場人物が三人いれば派閥が出来て、一人があぶれてあたふたするので物語が誕生するという。

でも意図的にイジメるヤツは基本的にダメなヤツだとは思う。結局他者を見下してイジメるってのは自分に自信がなかったりするんだろうなとは思ってしまう。

今度発覚したイジメでの自殺した事件は、イジメは先生の言動がキッカケで始まったという事で大騒ぎになっている。
自殺した子の家に行き謝罪をしたワケですが、当然両親は大激怒。
そのことが発覚する前はたぶん両親は先生を味方だと思って色々話をしていたんじゃないかと思う。その先生がイジメの元凶だとは。

13日の会見では「イジメは無かった」と学校側が答えていたが(遺書に「イジメ」という文字があったのに)、翌日の会見では自殺した前日、数人の生徒がトイレで少年のパンツを下げて下半身を露出させていたなどがあったと発表している。
その事から慌てて学校側がイジメの実態を調べるために生徒にアンケートをしたのだが、何故かそのアンケートが記名方式。この手のアンケートは無記名じゃなきゃ書きたい事もかけないと思うんだけど...。
学校は単純に「生徒がどんなイジメをしていたか」を調べるつもりだったのかも知れないけど、そこで発覚したのが「イジメの元凶は先生」という事だったのだ。

イジメのキッカケのヒトツに生徒が体調不良で早退した時に家でインターネットを見ていたという事を親が話した事から「ネットでエロサイトを見ていた」的な事を教室で話したのがあるらしい。
確かに自分の時代にも、生徒の失敗をネタに笑いを取る先生がいなかった訳じゃないけど、人によっては他人をネタにしないと笑いが取れないと思っている人もいるけど、話していい事と悪い事って境界線はある。
中学生が人前で(クラスに女子もいるわけで)自分のエロ部分を先生によって公開されるのって、かなりダメージきついと思う。
で、それがキッカケで同級生にそのネタであだ名を付けられからかわれる事になったという。

さらに、この先生は生徒をイチゴの品質になぞらえて、最低ランクの生徒を「ジャムにも出来ないイチゴ」と称していたとか、体育で骨折の疑いがあるとして病院へ行った少年の事を実際には骨折していなかったと言うことで朝礼で「この子はウソをつく」と言い放ったり。

先生によるイジメが判明した後、生徒の家に行って謝罪した際に、怒り心頭の親に対してイジメの元凶になった先生は「一生償っていきたいと思います」などと涙ながらに答えていた。
でも「一生償って」と腹をくくったような事を言っていた割に、記者会見には一切姿を見せずにその後は校長任せ。で「体調を崩し入院」という事で表舞台から消えてしまった。(謝罪に出向いた際のTV報道では先生はモザイクの彼方)
学校側の煮えきれない態度もどーかと思うけど、事件の現場にいなかった校長が聞きかじったような話で謝罪してもねえって感じ。

その事件に関してGoogle検索すると、その先生の実名どころか住所まで書かれている掲示板がある(その真偽は不明ですが)。イジメのキッカケになる事を起こしてしまった軽率さもアホだが、その後の自己保身の行為がさらに事件をダメな方向に導いているんだろうなぁ。(ネットの暴力を認めているワケじゃないですが)
なんか、日々この手のイジメ問題が新たに取り上げられ、その報道の中で学校側の発表なども日々変化していくので、なんかもうついて行けない状態になっている。

P.S.
この文章を書いて、しばらく公開しないでいる間にどんどんイジメ問題は別の方向へいったり、新たな物が出てきたり、収拾つかなくなっています。

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2006年10月14日 (土)

ブログの書籍化

最近やたらと「ブログが書籍化!」とか「ブログがドラマ化!」とかを耳にしますが、なんか段々と「ブログから」というのは売りとしては、なんつーか「また?」という印象があって弱くなりつつあるような気がしている。


自分なんかもブログじゃないけど「ネットから」という事で2冊ほど本を出しているんですが、自分の場合は偶然に「何か出版企画を出さなくちゃ」という若手出版関係者がネットで見つけてくれて、それを「これって出版したら面白いんじゃないか?」と企画会議に上げた所「いいじゃん」となってGOサインが出たというパターン。
5月ぐらいから自分が知らない所で企画が持ち上がっていて、7月に企画会議でOKが出た所で自分の処へ「出版しませんか?」と連絡が来て話が進んでいったワケですが(すでに3年前の2003年7月の話)
これなんかは本当に偶然なんですが、ブログの書籍化に関しては色々な話を聞いている。

ブログってのはいわゆる素人が好き勝手に書く日記や雑感などって事になっているんですが、これまで多く出版されている「ブログ経由本」の何点かが、元々出版に関わりがあった人が始めたブログって事らしい。
つまり、書き下ろしでドンッと出版するより、ブログで人気を集めた方が集客力がある。あるいは「ブログの書籍化」という売りが今注目されやすいという事らしい。
だから、ネット経由で作家になったあの人も元々編集経験者だとか、ブログで発表したモノがドラマ化されたあの作者も実は夫が出版関係者だとか。もうそんな話は枚挙にいとまない程でやんす。

ネット経由じゃなくても、雑誌なんかで「なんでこんなイラストで仕事できんの?」とか言うケースでは「友人や先輩が編集部にいた」なんてパターンはよく聞く。
だから、本を出したい!イラストレーターになりたい!という人は腕を磨いたり、作品を書くのも大切だが、それ以上に「出版関係の知人を作るべし!」という事が最大重要点なのかもしれないのだ。

ということで、出版関係の方、友達になりませんか?


ネット発の書籍データベース(…知泉、載ってないや...)

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2006年10月13日 (金)

ノーベル文学賞に村上春樹...残念

ノーベル文学賞の最有力候補に「村上春樹」と言われていたんですが、蓋を開けてみるとトルコの作家が受賞。


似てるかは微妙な村上春樹
Murakami01もっとも、ノーベル文学賞ってのは基本的に「英訳された小説」が規準になってるので、日本人文学者の作品の場合、判断基準は間に入った翻訳者の力量もかなり影響するんじゃないかと思ってしまうワケでやんす。
村上春樹の場合、自分で英訳している可能性もあるけど、やはり自国語ではない言語で書くのは難しい。
てなワケで、それ以外にこれといって書くことがないので、関連雑学を。

村上春樹の豆知泉

Murakami02村上春樹は原稿の締切を常に守るので有名。2年間の連載中、原稿を締切前に郵送するために一度も担当編集者と顔を合わせないこともある。

村上春樹がデビューした時、村上龍と角川春樹を足して2で割ったようなふざけた名前だと文句を言われた。本名なのに。

「限りなく透明に近いブルー」は村上龍の著書だが、著者名に村上春樹とミスプリントされた「限りなく透明に近いブルー」が書店に出回ったことがあるらしい。でも現実的に言ったらそこまでアホなミスはあり得ないと思うんですが、これはデマなのかなぁ。

村上春樹のデビュー作「風の歌を聴け」のあとがきに、村上春樹が自分に多大な影響を与えた作家として「デレク・ハートフィールド」(代表作:火星の井戸)の名前を挙げ、あとがきに代える形で、彼と自分に纏わるエピソードを綴っている。
実はこのデレク氏、村上春樹によって設定された架空の人物。

さらに、これに付き合って、友人の翻訳家・青山南が著作「ピーターとペーターの狭間で」でデレク・ハートフィールドを紹介している。

そのせいで、多くの村上春樹ファンはそのデレク・ハートフィールドの著書を図書館などで探し回る羽目に陥ったという(まだネットのない時代の話)。

ついでにノーベル賞と日本人って事で

000kitaza医学者の北里柴三郎は第1回ノーベル賞の最有力候補と言われていたが、結局受賞できなかった。その理由は「黄色人種だから」。その事はノーベル財団の資料にもちゃんと明記されている。(北里の研究に関しては共同研究者のエミール・ベーリングは受賞している)

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2006年10月12日 (木)

北の核

あぁぁやっちゃったよ、北の将軍


Kitamatu今までは「核実験しちゃうよぉ、されたくなかったら支援しちゃってよ」とか「ミサイル撃たれたく無かったら交渉しようぜ」と、カードをチラチラさせていたんだけど、マジに核実験やっちゃったかぁ。
なんつーか、どうにもこうにも空気が読めない人というか、前頭葉が発達していないので「これをこうしたらこうなる」という未来予想が出来ない人って感じ。

今から20年ほど前、東大生が選ぶアイドルとして1位を獲得した武田久美子という人がいたんですが、この人「演技→×」「歌→×」という感じで、徐々にきわどい水着を着るのが職業になっていった。その頂点が貝殻だけの水着という奴で、これは結構話題になった。
そしてその後、もうこれ以上ギリギリの過激は出来ないという事でヌードになったんですが、その途端に話題性が無くなってそれ以降の活動はほとんど記憶に残らない状態となり、いつしかフェイドアウトしていった。
その「ギリギリ」までが勝負処であって、その一線を越えるとダメだって事、解らないかなぁ。
と、北の将軍に関してのたとえ話として、これは間違っていますか? そうですか、間違ってましたか。

結局「我が偉大なる将軍様の国は原爆をも作る事が出来る凄い国なのだぞ」と自慢したいんだろうけど、現在の世界情勢を理解してなさすぎ。
お陰で、それまで「ダメな子だけど、親戚なので面倒みてますよ」という態度だった中国も、「見栄っ張りで借金抱えているけど、元同僚なので何かと手を貸してます」というロシアも、もう面倒見きれないという態度に変わりつつある。

韓国なんかもそれまで大統領が「元々同じ民族なんだしさ、話せば解るってば」と受け入れる態勢を取っていたけど、さすがに陸続きの隣国が原爆持っているってのはアウトって事になってしまった。
だって、その原爆をミサイルに搭載してアメリカや日本に向けて発射しても、北の技術力では間違って韓国へドカンって事も充分考えられるし、アメリカが北に戦争を仕掛けてきたら巻き込まれるのは確実。

これによって日本は船舶の入港禁止・輸入輸出の全面的禁止措置をとったのは当然の事なんだけど、それでマツタケやアサリが値上がりしちゃうってのが報道されている。
報道はされないけど、さらに裏社会でも覚醒剤が値上がりちゃったりしてるんですかね?

関連豆知泉

英語のことわざに「豚に真珠」と同義の「将軍にキャビア」と言うのがある。もちろんここで言う将軍は北の人ではなく純粋に「偉い軍人(general)」という意味。

韓国民謡の「アリラン」の歌詞は3番までだが、北朝鮮では4番まである。付け足された4番目の歌詞は金日成や金正日を讃える内容。

金日成には北の将軍様という代名詞が付けられているが、実は北朝鮮には将軍は3000人以上いる。階級を上げるご褒美を繰り返してきた結果。

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2006年10月11日 (水)

ありがとう

すでに先々週の土曜からの話。


母方の最長寿になる親戚のおばあさんが入院したと言うことで、土曜日にお見舞いへ言った。
これまで何度か体調を崩して入院をしたけれど、その都度元気を取り戻して自宅へ戻ってきていた。しかし今回はいつもとは違って、病室で酸素マスクをして、うっすらと眠っているような状態だった。
もう意識が朦朧としているのか、母の問いかけに少し反応を示したような感じもあるが、それ以外は時折、寝言なのか言葉にならない声を発する程度だった。

母曰く、昔はふくよかな人だったんだけど、本当に痩せて小さくなっちゃったとの事。自分が知っているのはすでにお婆さんとなってからなので、小さく痩せているという印象は元々だったが、それでも確かに小さくなってしまった感があった。
病室では親戚が何人か集まり、ぼそぼそと想い出話や、当たり障りのない近況報告などをして時間を過ごした。

お婆さんはその翌日の明け方に息を引き取ったのだが、自分たちがお見舞いをした日の夕方、一瞬意識を取り戻したとの事。
その時、何度も何度もかすれた声で「ありがとう、ありがとう」と繰り返していたという。

明治時代末に誕生し、第二次世界大戦中は台湾に移住し、終戦の混乱の中すべての財産を捨てて帰国し、なんとか生活が安定した昭和33(1958)年、伊豆を襲った狩野川台風で家もろとも財産を全て流され、波乱の前半生を送ったという。
語り尽くせないほど色々な苦労があったとは思うけれど、98年に渡る人生の最後に「ありがとう」と言って去ることが出来るって、本当に素晴らしい事なんじゃないかと思う。

長い間ご苦労様でした。そして、ありがとう。

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2006年10月10日 (火)

雑学とは

2006101001

2006101002
てなワケで「もずく」の雑学をついでに


『おもいっきりテレビ』で取り上げた健康食品は大ブームになるのだが、「もずく」を取り上げようと業者に連絡をした処「在庫が少ないので取り上げないで欲しい」と断られたことがある。

モズクは、他の海草について繁殖するから「藻付く」という意味。

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更新しなくっちゃだわ

いやはやビックリしました。
気が付いたら、更新しないまま3週間以上経過しておりました。
と言いつつ、ブログ以前は4ヶ月近く何も更新しない時もあったので、昔からよく知っている人は「まだまだ」と思っているでしょう。
と言いつつ、その4ヶ月近く更新しない時もそうだったんですが、今回も、とりあえず毎日文章書いているので、後でまとまってどーんと更新します。
もっとも「今、こういう事件が起こっている」みたいなネタはすっかり時代遅れになっちゃっていたりしますが。
で、今回3週間以上経過してビックリした事は「ほぼ毎日更新している時も、ずっと更新しない時も、アクセス数がほとんど変わらない」という事なのだ。
なんか複雑な気分なり。
そんなこんなで、近々過去3週間分の文章をゴッソリと更新いたしやす。

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2006年10月 8日 (日)

バンバン「「いちご白書」をもう一度」

0001_3バンバン/「いちご白書」をもう一度
作詞.作曲:荒井由実/編曲.瀬尾一三
CBSソニー/1975年8月


NTVの「ものまねバトル」をぼけーっと見ていた。
とりあえず対戦形式だけど「ものまねが似ている」より「笑える」が勝ったり、客席審査員が若いって事で「昔の曲で凄く似ている」より「今の曲をさほど似ていないけど歌っている」ほうが勝ったり、まそんなもんすね状態でやんした。
この手の番組の勝ち負けを気にする人はそういないので構わないのだ。

映画「いちご白書」サントラ
0000_23しかし、ちょい引っかかったのは「ばんばん/「いちご白書」をもう一度」が流れた時のナレーション「学生運動が盛んだったあの頃、誰もがこの曲に心を振るわせていました」というのが、あまりにもデタラメで「ナレーション原稿を書いた作家、呼んでこ〜い!」状態でした。
とりあえず、この曲では確かに60年代末にあった学生運動に関係した事が歌われているんだけど、それは学生運動が華やかだった時代に流行った「いちご白書」という映画を見たという事が前提にあって、それを一緒に見た当時の彼女を思い出している歌。
当然、学生運動があった時代の曲ではなく、いわゆる政治の季節が過ぎ去った後の虚無的な空気を歌っている曲なのだ。

0002_4映画「いちご白書」は1970年にアメリカで公開された映画なんだけど、日本での公開は1971年の5月。日本における学生運動のピークは1968年7月からの安田講堂のストが1969年1月に排除された時に終わったような状態。1972年2月の浅間山荘事件の時は「学生運動の超末期」でどうにもならなくなった学生運動の過激派が追いつめられた事件という事になる。
その時に二人で見た映画の事を「キミもこの映画が再びリバイバルで掛かっていたら見るんだろうか?」と歌っている。
しかもこの曲は1975年にリリースされていて、学生運動が盛んだった60年代末は遥か彼方の話になっていた。いわゆる「しらけ世代」とか言われ始めた頃の曲。
「学生運動が盛んだったあの頃、誰もがこの曲に心を振るわせていました」って何?

0003_3この曲はバンバンというグループが歌っていて、バンバンのグループ名はボーカルの「ばんばひろふみ:馬場弘文」の名前から来ている。
1971年に3人組(馬場弘文・高山巌・今井ひろし)としてデビューし、後に4人になり、この曲の時、1976年には2人となっていた。
途中で抜けたメンバーに、1993年に突然「心凍らせて」という曲をヒットさせ紅白歌合戦に出場した演歌歌手・高山巌がいる。バンバンを抜けた1975年7月にシングル「忘れません」でデビューをしている。(表題の曲はその翌月8月リリース)

0004_2この曲は「もう次の曲が売れなかったらレコード会社との契約も切れるので、これが最後の勝負」という所まで追いつめれた状態でリリースされた曲と言われている。
作詞作曲は荒井由実(ユーミン・現在は松任谷由実)で、彼女は1972年デビューなんですが最初は売れなかったが、徐々に注目を集め始めていた頃で、ばんばが「この人は凄い曲を書く」と自ら出向き曲を依頼したと言われている。そして、曲をリリースした途端にヒットしオリコンチャート1位になってしまった。

実は、ユーミンにとっての初めてのオリコン1位曲がこの曲で、その後の1975年10月にリリースした「あの日にかえりたい」で歌手として初めての1位を記録している。
その次の曲もユーミンの曲で「霧雨の朝突然に・・・(1976年2月)」、さらに次はさだまさしの「縁切寺(1976年8月)」、そしてばんばひろぶみのオリジナル作詞作曲「青春のラストページ(1977年6月)」が最後のシングルとして、バンバンは解散をしている。

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2006年10月 7日 (土)

においフェチ

飲酒運転をする警察官とか、淫行をする学校教師とか、公務員の犯罪は事が極端にでかくなくてもその立場もあって報道されてしまう。
普通のサラリーマンが飲酒運転で検問にひっかっても、淫行で検挙されても「その他大勢」として処分されて、ワザワザ報道される事は少ないと思う。
で、今回の警察官の犯罪は...、なんと申しましょうか。


10月5月に大阪府警に「窃盗と建造物侵入の疑い」で逮捕されたのは大阪府警に勤務する巡査。
侵入した建造物は運動会の行われていた小学校で、そこにあった生徒の私物を盗んでいる。
と聞くと「ロリコンで、女子小学生の体操着でも盗んだのか?」とか思ってしまうが、盗んだのは「男子小学生の上履き」
その巡査はインターネットを使って「今日運動会が行われている小学校は...」と調べた上で出かけていって、午後1時、運動会で盛り上がっているグランドを避け、下駄箱から小学生の上履きを盗んだという。

変な人がいると通報されて取り押さえられた時「友人と待ち合わせをしている時にこの上履きを拾ったので届けようと思って小学校に来た」と話しているが、取り調べの末「以前も小学校から上履きを盗んだ事があった」と自白している。
で、その理由が「クツの匂いをかぐと精神的に安定する」「中学校時代からクツの匂いに興味があった」「今年2月に大阪府警に採用され、7月に今の部署に配属されたばかりなので、仕事でストレスが貯まっていた」と供述している。

さらに「女子の上履きは匂いが薄い。男の子の上履きじゃないとダメ」とも述べているという。
しかし「上履き盗んで逮捕」ってなんか、普通に下着ドロなんかよりダメージが大きいような気がするなぁ。
昔からコントなどのネタで、靴下をビニール袋に入れてスーハースーハーして「利くねえ」というのはあったけど(コント赤信号だっけ?)、まさかリアルにいるとは。
下着ドロってのもダメ人間だけど、エロベクトルとしては正常に近いと思う。その点「小学生男子のクツの匂い好き」って、なんかキツイなぁ

P.S.
9月12日、今度は愛知県で小学生女子児童の上履き180足も盗んだ男が逮捕された。
こっちも「クツの臭いをかぐとストレス解消できる」という理由らしいが、こっちも上記の巡査と同様に「中学の頃からクツの臭いが好きだった」と語っているとの事。こっちは女子児童専門だったらしいので、病状は少しは軽度なのかな。
もしかしたら今「小学生のクツの臭いがブーム」なのか?

しかしクサイ物は「臭い:ニオイ」と書くんだけど、この場合はそのニオイは犯人にとって香しい物って事で「匂い:ニオイ」と書くのが正しいのか、判断に苦しむ処なのだ。

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2006年10月 6日 (金)

安倍晋三 vs 田中真紀子

昔から田中真紀子の「言葉だけは多いがその内容の薄っぺらさ」に辟易していましたが、ここまで悪化しているとは思わなかった。


小泉内閣からはじき出された直後から、延々と小泉批判をしてきた田中真紀子だけど、今度はことごとく安倍晋三を批判するだけの人になった。
ま、「とりあえず何でも批判しとけ」みたいなのは政治的には昔からどの政党もやっていて、それの頭の悪さのレベルはどっこいどっこいなんですが、田中真紀子に関しては「自民党」どっぷりだった時代と現在の立ち位置が変わった瞬間に批判する方向が「ただの私怨」みたいになっているのにウンザリ。

もし、小泉内閣で問題を起こさずに今でも自民党所属だったら「郵政民営化バンザイ」から「安倍内閣はやはり血統書付きだ」みたいな、持ち上げ方をし続けていたんじゃないかっていう、政治理念の無い批判が見え隠れしている。

今回、安倍内閣になってから初めて国会で対決したワケですが「で、結局この人は政治的に何をどうしたいの?」ってのがよく判らない。とりあえず「庶民派」とか「主婦の目線」でみたいな事を以前語っていたけれど、生まれながらにして田中角栄の下で人生を歩んでいる人に、ギリギリの生活でひーひー言っている庶民の感覚はとうてい無いと思う。
自分は外交の専門家とか考えているようだけど、それは1点「父親・田中角栄が中国との国交正常化を推進した」部分の利子で食いつないでいるだけのような気がする。

安倍晋三が関わってきた北朝鮮問題で2002年9月の訪朝の関して「完全な金正日ペースで腰砕け」「なぜ『他の被害者も帰せ』とひざ詰め談判しなかった。小泉前首相と連帯責任だ」と批判したけど、あの件に関して確かにそこを批判する人も多々いるけど、じゃ、小泉以前の政治家は何してきたの?って感じがしちゃうのだ。
それ以前の政治家は「北朝鮮問題は面倒くさいので何か触れるの危険だよな」的に後回しにして来たわけで、小泉に関して「拉致問題の解決が遅々として進まない」と批判する以前のダメさ加減なのだ。小泉・安倍がいなかったら今でも拉致問題の解決の糸口さえ見えていなかったんじゃないかと思っちゃうのだ。(現在の北朝鮮が追いつめられて崩壊の一歩手前になっている状況って、小泉政権時の余波もかなりあると思う)
さらに言うと土井たか子時代の社会党なんか、北朝鮮に集団で出かけ「北朝鮮は良い国ですよ」と観光気分で接待されて帰ってきた事がある。しかもサイトには「北朝鮮の拉致は無い」という趣旨の文章をずっと掲載していたのだ。

で、今回の国会で安倍晋三に対して北朝鮮への外交批判をした田中真紀子は逆に「金正日委員長のご子息が日本に入り、直ちに送り返したのは当時の外相の判断だ」と反論されれてしまった。
2001年5月、ディズニーランドに行くために不法な方法(ドミニカの偽造パスポートを持っていた)で入国した金長男を取り調べもせず「下手に拘束でもしたら外交問題になるから、とっとと返しちゃおうぜ」と当時の外務大臣・田中真紀子の失態を持ち出してきた。ま、あれは「何故すぐに返しちゃったの?」と誰もが思ったけれど(金正男は2002年12月にもフランスのユーロディズニーランドへ行こうとしたがフランス政府から拒否されている)

他にも外務大臣としての失態で大きいのは、911テロの時にアメリカ大統領ブッシュJr.がテロを恐れ極秘の場所へ避難していた時、テレビのカメラの前で田中真紀子は「今、ブッシュ大統領は○○○へ避難して無事ですが」と、バッチリと場所を発表しちゃったり...、もうダメっぷりが凄かった。
どうも、この人が考える外交とは中国との外交だけみたいな感じ。

個人的にはそれ以前に、田中真紀子という人の言葉のチョイスに品格を感じないので、政治家以前に苦手な人だなぁという印象ではある。(下品な言葉遣いを庶民的と勘違いしているのかも知れないけど)

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2006年10月 5日 (木)

国語教育からやり直そう:イジメ問題

去年9月に小学校6年生の女児が7通の遺書を残して自殺した事件、イジメが起こる環境ってダメだと思うけど、なんか教育者の事件後の考え方を見ていると「イジメが起こる環境」ってこういう事なんだろうなぁと思ってしまった。


3日前の段階で「現時点ではいじめがあったとは把握しておりません」とか言っていたわけで、こんな教育者達じゃ、「学校でイジメがあったとは把握出来ませんでした」とか言っている以前に「どんなイジメがあっても気づく事が出来ないだろ」って感じ。
7通もの遺書があったのに「イジメという単語が書かれていないので、イジメではない」って、おまえら日本語の読解能力無いのか?状態ですな。
マジにこんな人たちに仕切られている日本語教育は大丈夫なんですかね?

日本語には微妙な機微ってものが多く、英語より繊細なモノだと、自分的には世界に誇れる文化だと思っているんですが、この方々のアホさ加減に「日本語は終わりました」って感じてしまいますな。

それ以前に、自殺を図った直後に遺書があったと提示した際に「見たくない」と拒否したって話もあるし、それを読んだ後も、つい先日の1日の段階でも「あれは遺書ではなく手紙です、私たちは最初から手紙と呼んでいましたので、あれは遺書ではなく手紙です」と言い張っていて「お役所仕事ってのはそういうモノなんだなあ」と、恥ずかしくなってしまいました。

少女は、クラスで無視されていた事が自殺の要因で、それを周囲に告発する意味もあって自殺したハズなのに、その上にいる教育者がその事実を隠蔽し「イジメなんか無い」と無視と同じような状態になっている。
無視というのは一番簡単に出来て、一番効果的なイジメで、実はやっている方はほとんど罪悪感を感じない。確かに自分だって嫌いな相手とワザワザ接点を持ったり話しかけたりしたいと思わない。

この教育者たちも自分たちが今やっている事がイジメと同じ構図だなって気づいていない状態で「だって自分の保身のためにしょうがないじゃん」とまっとうな防衛策だと思っているんじゃないかと。
その後、態度がガラッと態度が変わった。

謝罪と称してその墓前に出向いた際、自殺した少女の名前は一切出さずに「お子さん」としか言わなかった(テレビの中では少なくとも)というのも、引っかかる。
教育委員会が向き合っているのは、謝罪すべき親や少女ではなく、抗議をしてきた約2000件以上の電話やメール、あるいはマスコミとかの社会的なモノだけなんだろうなぁ、って感じがしちゃうのだ。
イジメの図式は単純なハズなのに、結局その根がひたすら深い部分にまであるってのを痛感しちゃうのだ。

無視をするというイジメ。もしかしたら自分だってそれに荷担しちゃう可能性は否定できない。もしかしたら、すでに荷担していた事もあったかも知れない。
色々考えてしまう部分があるのだ。

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2006年10月 4日 (水)

景気は回復している?

先日、ニュースで「某企業は新卒入社の人員が前年比125%」ということで、景気が上向いているという事を強調した話を展開していた。


他の企業も同じで、とくに大企業はその傾向が顕著で..と。
でも、それって単純に「多くの団塊の世代が退職するから」って事じゃないの?
単純な統計的なトリックで「景気が上向いている!」と煽ろうとしているとしか思えないっす。
ま、確かに底から上昇傾向にあるらしいんだけど、自分の実感としてはそんな景気の回復は感じてはいない。
統計でも景気は回復傾向にあり、前月比での連続上昇記録はバブル期を超えるほどになったとかも言われているんですが、スタート地点が低すぎるし、上昇スピードが緩やかなので連続記録は達成するでしょ?てな気もする。

そのニュースとは別の方向では「生活保護を受けている世帯は過去最多の104万世帯になった」という、最悪なモノもある。
100万世帯を超えたのは初めてらしい。
記録では1992年がもっとも少なく58万5972世帯だったとなっている。いわゆるバブルがはじける直前がもっとも少なかったらしいんだけど、あの日本中が躁状態で浮かれていた時代にも58万世帯の生活保護家庭がいたというのがちょっとビックリ。

もっとも、生活保護とかその辺の部分に関しては、ワザと申請を操作して保護が受けられるような状態にするというパターンも多いらしいので、一概に「100万世帯を超えたので」という部分で世相を考えるのも難しい。

よくアメリカなんかの統計で「アメリカのシングルマザーは○◎万人で、1/4がシングルマザーである」とかがあるけれど、実際のことを言えばあれもトリックがある数字。
アメリカではシングルマザーには多くの保護項目があって、シングルマザーと認証されると多くの特典があるという事から、旦那と一緒に暮らしていても籍を入れずに役所へシングルマザーとして届けるケースが多いと言う。そして、その政府からの補助金で夫婦が生活しているのだ。
それ故にシングルマザーが多いという統計になってしまうのだという(離婚率が多いという統計も鵜呑みに出来ないワケで)。

先日、役所関係の保険関係の書物を読んだ時に「遺族年金」やら「母子家庭年金」やらの項目で「補助金として○万円が」という数字の低さに「これじゃ生活保護にならないよ」と思ったんですが、この金額を多くしてしまうと、当然それ目当ての不正受給者が増えてしまうんだろうな、と痛し痒しに思ったワケでやんす。

とりあえず「景気は回復している!」というニュースに釣られて、本当に回復して欲しいと願う今日この頃なのであります。

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2006年10月 3日 (火)

市川良枝

誕生日データ「知誕Wiki」は著名人の名前と同時に古今東西のドラマのデータベースを兼ねています。


その中で、1983年に放送されたとある単発ドラマの主演女優が「市川良枝」となっていた。
ありゃ? これ「市毛良枝」の間違いだよなぁ と思いつつ、もしかして偶然に似たような名前の女優がいた可能性も...(でも1980年代に単発ドラマでも主演をしたような女優で名前を知らない女優はいないと思うわけですが)

そこで、知泉の中にある誕生日データベースで検索すると「該当者無し」。
でも「もしかしたら」とGoogleで検索してみると52件がヒットした。現実に存在していて、1度でも主演を張った女優としては少ない数字なんですが、その検索した内容を見てみた。
とあるモノは、オリジナル小説の登場人物として「市川良枝」という名前を使っていたり、どっかの剣道の試合に参加している学生の名前だったり、テニスの参加者だったり、あと大坂を中心に活動するジャズ歌手にもいるらしいんですが、ちょっと異常な事態になっている事にも気が付いた。

とあるサイトにある『今日は何の日?』という、いわゆる誕生日などを羅列しているページの中に「市川良枝」という女優の名前が登場している「1950年生まれ」ということで。
その表記は『永井豪(漫画家1945) 市川良枝(女優1950) 朝加真由美(女優1955)』といった感じの、9月6日生まれの著名人を並べた中に入っている。
ちなみに自分も把握している女優の「市毛良枝」の誕生年も1950年。おそらく、入力ミスなのだ。

で、この程度ならば、ただのタイプミスとして終わるんですが、その『市川良枝(女優1950)』とタイプミスをしている同じような誕生日羅列サイトが16個もある。
つまり、どっかにあった誕生日サイトがまずタイプミスをしたのを、ノーチェックでまるっとコピペしちゃったのだなぁ。名前知らない人物だけど、とりあえずコピペでそのまんま掲載しちゃえ!って感じなのかも知れない。

さらにラジオ日経の「朝イチ投資大学」というブログの中ではコピペではないけど、資料としてそれらを使ったらしく『番組ADの誕生日が9月6日。その他にも谷亮子、黒岩彰、永井豪、星新一、市川良枝などが新宮さまと同じ誕生日だそうだが、』などと書いてもいる。

どれが元ネタなのかは不明になっていますが、とりあえず判明できるのは「街の灯」というメルマガとして発表したものらしき「過去配信記事ログ」の「1999年09月06日」の中に「永井豪、市川良枝、朝加真由美、」という職種も誕生年も書かれていない物が存在している。
それに職種と誕生年を後から加えたとは考えにくいので、これはオリジナルタイプミスから人名のみを抽出したモノだと考えられる。

つまり、ネット内には1999年以前から7年以上にも渡り、市川良枝という存在が認められない架空の女優が存在していると言うことなのだ。
やはり「ネットの情報はまず疑ってかかれ!」という事なのだな。

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2006年10月 2日 (月)

のだめカンタービレ(上野樹里)

「上野樹里が奇行娘に挑戦」とネットのニュースサイトの芸能欄に書いてあった。


フジテレビで16日に始まるドラマ「のだめカンタービレ」の役に関しての記載なんですが、そうですか「のだめ=奇行娘」ですか。
原作を前々から愛読していたので、ドラマ化には嬉しい反面、ちょいと不安な部分もあるんだけど、主役が上野樹里って事で「普通っぷりを演じる事が出来る女優」と認識しているので、演技的には安心して見る事が出来ると思う。

実は去年の秋の段階で「上野樹里主演」でドラマが決まり掛かっていたけれど、原作者との色々な問題で放送が一年伸びたという経緯がある。
あとは漫画的表現をどれだけドラマとして表現出来るか?って事と、漫画には無いエピソードを上手に絡ませる事が出来るか?って事に掛かっていると思うのだ。
さらに天才的スケベ指揮者シュトレーゼマンを竹中直人が演じるって事でもかなり期待。
この上野・竹中って言うと「スウィングガールズ」でも師弟関係(というのか?)だったので、さらに期待は膨らむワケであります。

でも記者会見で千秋真一役の玉木宏が「格好いいんですけど、実は飛行機が怖いんで、腕があっても海外は行けません」と発言した事に関して、ニュースの記事では「と発言して会場を笑わせた」と締めているんですが、それは玉木のことではなく、ドラマ内での千秋のキャラクター設定の事なのだよ。
天才的と言われているのに留学をせずに大学に留まっている理由として、ちゃんと設定されているのだ。
なんつーか、「あ、この記事書いた人、原作は読んでないなぁ」という感じなのだ。

でも、ドラマ的にはフランス留学直前までで終わるのかなぁ。
とりあえず、ドラマの中でアニメ「プリごろ太」が見たいっす(さらに言うとフランス語版「プリごろ太」でフランス語を勉強したい)。

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アーミッシュ

アメリカ・ペンシルバニア州にあるアーミッシュの学校で拳銃などを振りかざして男性が乱入し、「20年前に起こった事の復讐をする」として女子児童らを5人射殺した事件が起こった。


アーミッシュというのは18世紀ころの生活様式のままで現在も生活をしている宗教。
男性はあごひげとサスペンダー付きの服を着て、馬車を使い、電気やガスなどを一切使用しないという教義のもとで生活していることで有名。
元々16世紀頃にスイスで誕生したキリスト教の一派で、幼児洗礼を行わずに、成人後に自らの意志で洗礼をする事から「キリスト教再洗礼派:アナバプティスト」と呼ばれる。
教義の特殊性からキリスト教からも迫害をされ、ヨーロッパを転々と移動し、1693年代にヤコブ・アマンという人物がそのリーダーとなった。そこから「アマン派:アーミッシュ」と呼ばれるようになった。ルイ14世に追放されたアマン派は宗教の自由を求めてアメリカ、ペンシルバニア州へと移住をしたという。

ハリソン・フォードが主演した映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」の舞台ともなっている(実際にそのアーミッシュの中でロケを敢行したために、文明の利器を持ち込むロケ隊と色々問題が起こったという。

本来はアーミッシュの共同体の中では「カメラを使った撮影自体禁止」だったんだけど、ここ数年はそうも言ってられず、その辺は妥協しているらしい。(今回の事件では、上空からの空撮まで使われていた)
かつてタレントの仲野かすみが写真集の撮影でアーミッシュの村へ言った時は、中根曰く「盗撮してきた」との事(いいのか?)。

で、映画「刑事ジョン・ブック 目撃者」がヒットしてしまったために観光客がどっと押し寄せることとなって、その生活様式の中で出される食事も「エコロジカルでヘルシー」と好評を博し、食事目的で訪れる人も多くなったらしい。
しかし、アーミッシュの生活様式の中での「電気・ガスを使わない」や、それらの道具、さらにはアメリカで決められている食品管理法がネックになって、観光客を裁ききれなくなって、大混乱に陥った事もあるという。

このアーミッシュは、それとは関係ない人々の間でギャグのネタとして使われる事も多々あると言われている。
テレビでタレントがコントにそれを使ったとしても、基本的にアーミッシュはテレビも見ないのでクレームを付けないということで多用されるとも言われている「だって、ギャグに使われたと言う事でのクレームはテレビを見てなきゃできないじゃん、クレーム付けたって事は戒律に反してテレビ見ているってことじゃん」という事らしい。

その文明を拒否しているアーミッシュもインターネット上にサイトを持っている
http://www.amish.net/
http://www.800padutch.com/index.html
アーミッシュ自身が運営しているのかは不明ですが。

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2006年10月 1日 (日)

生ハンカチ

昨日、兵庫県で行われた国体の硬式高校野球の開会式でとんでもない騒ぎが起こった。


かのハンカチ王子こと斉藤投手を見たいがために、朝早くからファンが球場に詰めかけた。そこで入場整理券を配布するというので我先にという感じなのだが、列がさらに長くなる事を懸念した係員が「もう少し詰めて並んで下さい」とアナウンスしたために、客がバランスを崩し、何人かが将棋倒しになったという。
もっとも、そこそこの怪我をした人も、治療のために列を離れるのは出来ないと「病院へはいかない」と拒否をしたというのだ。

で、ビックリしちゃうのが、人が沢山集まってしまった為に事件が起きた時間が「明け方の4時10分頃」。なんつーか、そこまでして生を見たいか!!!!と思ってしまうのだ。
本来、国体には入場整理券の配布なんかは行わないんだけど、国体の事務局に「斉藤は出るのか?開会式には出るのか?試合はいつだ?」という熱い問い合わせが異常なほど逢ったことから「混乱予防」の為に考えだした結果だったんだけど、それでも混乱が起こってしまったのだ。
実は、その列の最前列に並んでいた人物は9月28日の夜から並んでいたという。

10月1日が初戦なんですが、通常の国体の試合が警備員9人体制なんですが、今回に関しては51人も配置したという。
なんつーか、そこまで斉藤みたいか?

P.S.
3日(火)に静岡商業との対戦だったので、静岡びいきとして「ここらで一発負けてくんないかなぁ」とか思ったり、逆に「静岡商業はほとんど味方の応援のない試合ってキツイだろうなぁ」とか思ったのだが、結局、早稲田実業の勝ちという絵に描いたとようなストーリーになってしまった。

しかし、ラストの一番盛り上がっている所で、ハンカチを取り出して汗をぬぐった瞬間、観客席からでっかい歓声が沸き上がった。そのハンカチを後ろポケットに戻しながら斉藤投手がニヤリと笑ったのだ。
実は、1日の試合の際にはハンカチは持っていなかったのだが、トレードマークのハンカチを出さないという事が、色々不評だったために、今回は試合前に売店で購入したという。

「ちゃんと受けるために出す瞬間は心得ている」って感じの演出に、なんか「汚れちゃったね」という印象を受けてしまったのだ。どうやら直前のブルペンで次の試合の為に球場に来ていた苫小牧の田中投手とも「そろそろ出すの?」みたいな話をしていたらしい。
「演出」として出すのってちょっと興ざめではありますな。(それでも客席は大喜びってのが、安易な見せ物になっている感あり)

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