投資ジャーナル・中江滋樹
いやはや懐かしい名前が出てきました。
1980年代前半、歌舞伎町の風雲児と呼ばれていた投資顧問会社「投資ジャーナル」の運営者・中江滋樹が「自宅放火未遂」ということで逮捕された。
1980年代前半7800人ほどの会員から総額584億円以上の資金を調達していたが、それが詐欺罪として逮捕された「投資ジャーナル事件」
もっとも、多くの人にとってその事件そのものより、逮捕直前の1984年に写真週刊誌にスクープされた、アイドル倉田まり子との関係写真だったと思う。オウムの教祖やひょうきん族の懺悔の神様と同列のむさい顔のオッサンと旬は過ぎていたけどアイドルのツーショットはかなりインパクトがあった。
どこぞの和風旅館の布団の上に二人で座っている写真が掲載され「愛人関係だった」と書かれていた。そんなに倉田まり子に思い入れもなかったので、事件の詳細や、その後はどうなったかなどはそんなに詳しくはしらないんですが、「700万円相当の家を贈与されていた」とか言われ(ガセだったらしいけど)、結局そこでプツリと芸能界から消えてしまった。
実はこの倉田まり子が中江と知り合うキッカケになったのが、当時所属していた事務所ニューバンブーの紹介だったらしく、あの雑誌に掲載された写真も事務所の関係者が紹介した際にただ撮影したモノだったとか、言われている。(つまり愛人関係というの自体が無かったとされている)
その後彼女は弁護士事務所で必死に勉強をして、司法試験予備校の大手の執行役員にまでなっている。
そこでは本名で活動をしていたんですが、2001年に某「匿名で書き込みが出来る巨大掲示板」に出来たなつかしいアイドルについて語るスレッドで現在の職業や名前、さらに当時の事件のあれこれ(あること無いこと、無いことが多かったらしい)書かれ、さらに現在の地位に昇り詰めた事に関しても、関係者の愛人だったからだとか。
それで、色々勤めていた予備校とも難しい関係になってしまい退職し、現在はビジネス関係の講演や講師として活動をしているらしい。
現在、彼女が本名で活動してサイトも開催しているんですが、掲載された顔写真を見ると年月の経過を感じますが、凄くシャキッとした感じもあり、強く生きているんだなぁと感じます。
で、今回事件を起こした中江滋樹ですが、こっちはそれとは対照的にダメダメ人生をひた走っているようで、1984年、発覚した直後に海外へ逃亡し、8ヶ月近くアジア諸国を転々とした後に帰国。その直後の1985年6月に詐欺罪で逮捕され、1989年に懲役6年の判決を受け服役となっている。
つまり少なくとも1995年には出所しているワケですが、その後の消息は不明(一時期は関係者に殺された説もあったらしい)。
2003(平成15)年に、突然実家のある滋賀県へ戻り生活を始めたという事らしいけれど、明らかに戻ってきた直後から変な人としての行動を開始し、犬の散歩をしていた際に糞の後始末をしなかった事を近所の人が注意した所、いきなりその糞を投げつけたとか、近所を歩いている人に突然殴り掛かったり、何かに対して被害者意識ばかりが妄想として膨らんだ状態になっていたらしい。
さらに住んでいたいた自宅(母親と同居らしい)はゴミ屋敷状態になりつつあったとの事。
今回の放火事件に関しても、最初は近所にある布団屋に出向きそこにある布団に火を付けた事がキッカケで警察が駆けつけ、中江を探していた所、ちょうど自宅に灯油をまき火を付けようとしている所に遭遇し、取り押さえ緊急逮捕になったとの事。
この布団屋はあまりにも中江の奇行が激しく危険なので、中江の母親へ「精神科のある病院へ収容してくれ」とお願いしていたという経緯がある事から、それを恨んでの犯行らしい。
その母親によると、中江は離婚歴がありその妻が子供と会わせないようにした事がキッカケでおかしくなったと言っており、かつて1ヶ月ほど入院した時期もあったという。
布団屋には「お前らのせいで地獄のような生活をすることになった!」と怒鳴り込んでくる事もあったという。
これら話を聞くだけでも、かつての歌舞伎町の風雲児も完璧に駄目な人になってしまっていたのだなぁと言う感じなのだ。
現在52歳という事なんですが、中江が投資ジャーナル社を設立したのが1978年、24歳の時ということになる。ここで投資者から金を集め、それを資金に安い株や物件を買い、高くつり上げた状態で売りさばくを繰り返していたワケで、それはすぐに暗礁へ乗り上げてしまい、100億円ほどの赤字を出しアウトになっている。
若さで言えばライブドア堀江、手法で言えば村上ファンドてな感じで、今年を象徴する事件とリンクするような人物の結末がこれなのかぁと、なんか突然今年を総括するような状態になってしまったのだ。
きっと本当は頭がいいのかも知れないけれど、そんな人物のタガが外れてしまうとこんな事になるのだなぁ。
P.S.
以下のサイトでは当時・中江関連で弁護士を務めた方が書いているブログでの「倉田まり子事件の真相」が書かれています。
その1・その2・その3
この文章は2005年1月に書かれており、その時点では「中江氏は死んだのかも知れない」「倉田さんは主婦でもやっているのかも」と書かれていますが、それほど時間が経過し、連絡の取れない状況になっていたという事なのでしょう。
現在の倉田さんの仕事のサイトなども調べればすぐ判るとは思いますが、興味本位で騒ぎ現在の仕事に影響が出るのもどうかと思いますので、リンクは貼りません。
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