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2006年8月21日 (月)

マギー・ミネンコ「涙の河」

01_5マギー・ミネンコ/涙の河
作詞.橋本淳/作曲.中村泰士/編曲.あかのたちお
1974年/¥500
キングレコード/BS-1850


芸能界には常に「オカマ枠」「デブ枠」「外人枠」と言う物が何席か設けてあるらしい。
昔に比べてタレントの総数が増えているので、その席数も増えているけど、外人枠というのも現在では結構微妙な感じになっている。

マギー・ミネンコ「燃えるブンブン」
01maggy01日本は敗戦国と言うのもあってか、戦後すぐの頃は外人に対して劣等感を持っていたような気がする。あるいは憧れを持って迎えていたんじゃないかと。
そこで活躍したのは、E.H.エリックと岡田真澄兄弟とか、イーデスハンソンとか、ジョン・シェパードとか、西川ヘレンとかで、彼たちは「外人だけど気さくないい人」というのが売りで、さらに関西弁を駆使してフレンドリーな外人として活躍していた。(ハーフも多いですが)

ゴールデンハーフ「太陽の彼方」4人時代
000golden70年代に入って、大阪万博を経験した日本にはドッと外人(西洋人)が入ってきて、徐々に珍しいとか、恐怖心を煽るとかの存在ではなくなっていった。
アイドルとしてゴールデンハーフとか、香港からアグネス・チャンとか、ハワイからアグネス・ラムだとか、ベトナムからルーフィン・チャウだとか(微妙に扱いが違うしデビューは1982年ですが)がやってくるようになり、外人枠は飽和状態を迎えた。
ハーフって事を言えば、辺見マリもスペイン系ハーフだったり、けっこう多い。

ベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」ハワイの女子大生
000_80年代に入るとデイブ・スペクター、ケント・デリカット、オスマン・サンコン、ダニエル・カールなどの「格好悪い外人」が主流になっていく。
さらに、ハリウッドスターもCMに出て「カッコいんてぐら」とか駄洒落を言わされるような、カッコいいだけじゃ場が持たないという風潮になっていく。

エミー・ジャクソン「涙の太陽」
000__1そして今や、ボビー・オロゴンや、ハーフですがウエンツ瑛士やベッキーみたいに「芸人以上にウケを気にする外人」が、日常的にTVに出まくっている。
そもそも外人という段階で他との差別化が出来ているんだから、それ以上に頑張られちゃ日本人は困っちゃうワケでやんす。
80年代からデイブ・スペクターが生き残っているというのは、これらのウケを気にする外人の先駆者だからですかね? デイブに関して「寒いギャグを言う寒い外人」という見方をしている人も多いですが、あれはワザと寒いギャグを言うキャラを作っている。日本人で海外に行ってそこの国の言葉でダジャレ言ったり、寒いギャグを平然と言える人はそう居ないと思うのだ。

チャダ「面影の女」インド代表
000_16それらの「芸人並外人」のルーツとも言えるのが、このマギー・ミネンコ。
NTV系の金曜夜10時台に放送していた『うわさのチャンネル』の中で、つんつるてんの着物を着て、走り回って、ボケまくって、あげくの果ての決めぜりふが「乳もめーッ!」という、当時の吉本新喜劇でもここまで過激な芸人はいなかったんじゃないかという状態の人でした。(マギーの代わりに途中で入ったシェリーは「ケツ出せーッ!」と叫んでいたが二番煎じっぽかった)

ベッキー「さらら」英国系ハーフ
00_14この『うわさのチャンネル』は、和田アキ子の「芸能界のご意見番・ゴッド姐ちゃん」という悪しきイメージを作り上げてしまった番組でもあるんですが、他の出演者は、デストロイヤー・あのねのね・せんだみつお・湯原正章・木の葉のこなどで始まり、さらにタモリのメジャーな番組初レギュラー(東京12chのモンティパイソンはメジャーではないので....)、さらに所ジョージなどもここからメジャーになっていった。結構、凄い番組だったのだ。
あと、まだ30代で中堅のスポーツ中継アナだった徳光和夫がデストロイヤーに4の字固めをかけられながら自分の実況をするというのもパターンのひとつとしてありました。(技を掛けられながらカメラに向かって「お父さんはこうやって頑張っているんだ」と中継したり...)

WaT
000watそんなマギー・ミネンコは歌手としては「燃えるブンブン」というポップでパンチの効いたホットロッドソング(車やバイク曲の意味)をリリースしてスマッシュヒットを飛ばしたんですが、その後に出した「涙の河」はしっとりとした名曲として、一部では人気が高い。

作曲が中村泰士。「心のこり」や「北酒場」で有名な作曲家なんですが、ここでは秀逸なスローロッカバラードを書いている。
意外な印象を持ってしまうんですが、前述の「心のこり」だって演歌という枠組みをハズして聞き直すとこの曲もロッカバラード、「北酒場」なんかはソウルフルな印象すらある。
実は中村泰士は、作曲家になる前は内田裕也のバンドに所属していた時期もあり、その後「美川鯛二」という名前でロカビリー歌手でデビューしている、バリバリのロック寄りの人だったのだ。そう考えると、このロッカバラードで、しかも日本人の琴線に触れるメロディというのも理解出来るのだ。

マギー・ミネンコはロシア系ハーフ(父ロシア.母日本だと思った)。サザンがかつてレギュラー出演していた「あッ!うんこついてる!」という番組で「マギ〜マギ〜マギー・ミネンコ〜〜〜〜ぉ」とアドリブで歌っておりましたが、現在は日系人と結婚しており、子供3人のおかあさんになっているらしいです。

1974年7月26日号「TVガイド」
00019740726外人はTVの中で見かける物という印象の強かった1970年、大阪万博で初めて生の外人を見た!という子供は多かったと言う。
その時、流行っていたギャグにドリフの荒井注が唐突に「デイスイズアペン!」と叫ぶのがあった(当時を知らない人にはワケ分からないギャグですな)。
怖い物知らずのアホな小学生は外人を見ると、いきなり「ディスイズアペン!」と叫ぶという暴挙に出る事が多かったと言われるが、外人にしてみたら、いきなり極東の小汚い子供達が「これはペンです」と口々に言いながらニヤニヤしてこっちを見ているという姿はどう映ったんだろう。しかも手にペンを持っているワケでもない。
海外に行ったときに、その地の子供達がいきなりニヤニヤ笑いながら「コレ ハ マンネンヒツ デス」と言いながら近寄ってきたら、どういう態度を取ればいいのだろうか? 考えるだけでも恐ろしいので、私は海外旅行はしないのだ。

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