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2006年8月31日 (木)

太田裕美「九月の雨」

000_18太田裕美/九月の雨
作詞.松本隆/作曲.編曲.筒美京平
1977年/¥600
CBSソニー/06SH-205


明日から9月ということで(とか書いてますが、更新するのは週末になるんですが)、太田裕美の「九月の雨」。
太田裕美に関しては個人的には「あまりにも歌謡曲界における評価が低すぎるのではないか?」と思っているので、小出しに色々書いていこうと思います。
前に、松田聖子に関して「時代とリンクした」みたいな事を書いたんですが、実際には松田聖子の楽曲が登場する裏には太田裕美の功績があるんじゃないかと。

太田裕美「木綿のハンカチーフ」
000_20彼女はデビュー時から、ピアノ弾き語りだったり、自作詞曲を作っていたり、TVにも出ていたけれど年間100本以上のコンサートを行っていたり、さらに「学園祭の女王」的な事を言われた元祖だったり、歌謡曲とニューミュージック的な物の中間で活動を続けていた。
以前「一発屋」を特集した雑誌の中に「木綿のハンカチーフを歌っていた太田裕美」という文章を見て、マジに生まれて初めての投書をしたろかい、われッ!と思った事もあったほどです。

ポールモーリア「オリーブの首飾り」
000_21と、テンションを勝手に上げてますが、その太田裕美の「九月の雨」をこうして取り上げたワケですが、自分は「太田裕美の曲の中で一番苦手」な曲であります。
というのも、この曲は作曲者の筒美京平が意図的に「ポールモーリア」を引用しているという部分。自分がポールモーリア的なイージーリスニングが苦手というのが一番大きな理由なんですが、メロディは「シバの女王」、アレンジ的には「オリーブの首飾り」をモチーフにしているようで、それまでのウエストコーストを意識した太田裕美=筒美京平サウンドの中では異質な感じがするわけです。

庄野真代「飛んでイスタンブール」
000_19この曲は筒美京平の狙い通りにヒットしたわけですが、その後の太田裕美の楽曲の中にはポールモーリアの影響はあまり無い。この曲が収録されたアルバム「こけてぃっしゅ」は名盤なんですが、この曲だけがどうしても浮いている印象がする。
確かに、ボーカリストとしての太田裕美は歌詞の中にある切ない恋愛をやや無理したファルセットで切々と歌っていて、単独で聴くと名曲だとは思うんですが。

ジュディ・オング「魅せられて」
0000_22筒美京平は「ポールモーリア的」をこの曲でモノにして、その翌年(1978年)岩崎宏美「さよならの挽歌」、庄野真代「飛んでイスタンブール」、そして1979年の大ヒット曲、ジュディ・オング「魅せられて」へと展開させて結実させていくのだ。

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2006年8月30日 (水)

無趣味

履歴書なんかに「趣味」なんかの項目って今でもあるんでしょうか?


そんなの聞いてどうすんだ?個人情報というか、プライベートは関係ねえだろ!んなろぉ!という意見はないんでしょうか?
で、自分の場合、かつて履歴書を書く時にこの部分で頭を抱えてしまった。
別に趣味がないワケじゃないんですが。

このブログなんか読んでいても「道楽者」ということで、色々なことにクビ突っ込んでいるので趣味無いなんて事はないんですが、その中でも胸を張って趣味と言えるような物といったら「読書」と「音楽鑑賞」って事になっちまうワケでやんす。
でもその二つって明らかに「趣味がないので適当に履歴書を埋めるために書く」という回答例なのだ。

読書ってのはとりあえずウケがいい。「昨今の若者は本を読まなくなった」などと嘆く先生達にとって「おお、読書か」と。でも、本当に本を読むことが趣味じゃない人の場合は、「で、どんな本を読んでいる?」と聞かれて答えに詰まってしまうと言う危険性をはらんでいる。
そこで「音楽鑑賞」なのだ。別段そこでクラシックとか高尚な答えが出てこなくても、さほど問題はないとは思うし、さほど興味はなくても音楽ぐらいは聴いているので、なんとでも答えられる。
だから履歴書の欄に「読書」「音楽鑑賞」なんて書くのが一番恥ずかしい事なのだ。

そんなワケなんですが、マジに本読むし、マジに音楽聞いているので、そう書くしかない。
かつて高校入試の時にもそんな事を書いたんですが、試験官も「読書とか適当なこと書きやがって」という感じか、いきなり「読書って書いてあるけどどんな本を?」とか聞いてきたのだ。
実際、自分は小学校・中学校の図書館の本貸し出し順位の常に上位にいたし、帰り道の本屋で文庫本を立ち読みで何冊も読破していた程度に本は読んでいた。
そこで「たぶん試験官のオッサン先生が理解出来ない本」ということで、ハヤカワSF文庫の作品の話を始めた。
何を話したのかはイマイチ覚えていないけど、あの時代だとアーサーCクラークの「幼年期の終わり」だったか、アイザックアシモフの「ファウンデーションの誕生」だったか、その辺の話をしたんじゃないかと思う。当然、その話に対しての突っ込んだ話題は出ずに終わった。

もう一つの趣味「音楽鑑賞」だって、あの時代からとにかく雑食で流行歌からアングラ系から、耳に流れ込む音楽はとにかくチェックしまくっていたワケで。
でも「どんな音楽聞いてる?」という話題も難しい。なんせ「色々聴いている」というお茶を濁すような返事しかできないので、質問をしてきた人には「ははぁ、こいつそんなに良く知らないぞ」的な印象を与えてしまうのだ。
実際に、かつて音楽系パソ通でのオフ会に参加した際「好きなのは音楽全般」と言っていた某氏と話をした際「チャートに上がっている曲ならひとまず聴いている」というレベルの「音楽全般」で「話合わない....」と思ってしまった事があるので。

そんなこんなで、人様に「へぇそれ凄いね」と言わせるような趣味を持たなくちゃいけないなぁと思う今日この頃なのだ。

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2006年8月29日 (火)

機動戦士ガンダム「親父が熱中するわけだ!」

初代ガンダムがDVD-BOXとして発売されるということで、テレビCMが放送されている。


000gan01自分的にはアニメはあんまり興味なくて、この初代もその後のガンダムもほとんどは見ていないんですが、そのCMの中でラストに主人公アムロ・レイ(古谷徹)が「親父が熱中するわけだ!」とつぶやく所で終わっている。
ちょいと調べると、このセリフはアニメの中でアムロがコロニーが攻撃を受けている最中に、自分の父親が設計したガンダムの操作マニュアルを発見し、それを読みながらその機能の凄さに思わずつぶやいたセリフらしい
「すごい....親父が熱中するわけだ!」

000gan002しかし、何も知らないでこのCMのセリフを耳にした自分は、未だにガンダムに熱中する当時の子供達(当然現在は40代中期〜30代のいい大人)が多い事から、現在の子供世代が「なるほど!このガンダムの素晴らしさは納得できる、これじゃ親父たち世代が未だに熱中しているのもうなずける!」とつぶやいているように聞こえてしまったのだ。(CMはそれを狙ってこのセリフをわざと引用したんですかね?)

000gan03自分は当時、番組のサブタイトルだけ聞いて、その部分のセンスには感心していた。
「光る宇宙」とかハヤカワのSF文庫っぽいセンスのタイトルに。
もっとも、その引用趣味が後々に「エヴァンゲリオン」でハヤカワSF文庫の『世界の中心で愛を叫んだ獣』を引用し、その元々書籍のタイトルと知らない編集者にさらに引用され、他の書籍のタイトルになるような事件が起こるとは、その時は思いもしなかったのだ。

ガンダムの豆知泉

「機動戦士ガンダム」企画段階のタイトルは「ガンボーイ」だったが、資生堂に「ガンボイ」が商標登録されていたため「ガンダム」になった。

企画段階でのタイトル『フリーダムファイター ガンボーイ』のダム&ガンで「ガンダム」。
しかし「FREEDOM」と「GUNBOY」から採った場合、スペルが「GUNDAM」ではなく「GUNDOM」なので英語的にはおかしい。富野氏は海外の講演会などでは「銃-ガン-を止める-水を溜めるダム-の略」と説明したとの事。

000gan04ガンダムには「エルメス」と言う名前のモビルアーマーが出てくるが、プラモデルとして商品化する際には登録商標の関係から「ララァ・スン専用モビルアーマー」という名称で発売される。

機動戦士ガンダムの元ネタになったのは、ハインラインが書いたSF『宇宙の戦士』と言われている。

ガンダムの設定で、アムロレイやカイシデンは日系と思われるが名前がカタカナ表記なのは漢字が使われていない社会であることを表している。(アムロは最初台本では「アムロ・嶺」と書かれていたらしい)

しかし、登場人物を考える時はそういう設定だったハズなのに、モビルスーツを考えている時にはそんな設定を忘れて、「百式」とか「龍飛」とか思いっきり漢字の名前を付けている。

今では「ガンプラ」などと言ってガンダム関連のプラモデル&フィギュアなどはひとつのジャンルになっているが、初代放送当初は人気がなく、スポンサーだったおもちゃ会社「クローバー」は売り上げ不振で倒産している(倒産時期はガンダム終了後)

国鉄の踏切事故防止ポスターで「踏切戦士シャダーン」というのがあったが、あまりにもガンダムにそっくりだったために裁判沙汰になった。

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2006年8月28日 (月)

漢字は難しい。

書籍の編集をしていて作家が書いてきた文章の中に間違いを見つけてしまうことがある。


漢字の間違いだったり、慣用句の間違いだったりするんですが、作家によっては一介の編集人などに意見されるのが嫌いな人もいるらしく、以前、某編集スタジオで「この原稿に書かれている○◎はこれが正しいのではないでしょうか?」と訂正を書いた所、その某有名作家先生が激怒したという事もあったらしい。
そんな人は極々一部で特殊な人なんだろうけれど、そんな話を聞いてから極端な物以外は「どうしようかなぁ」と悩みつつ、そのままスルーしてしまう事がある。

最近だけでも2つ、こんなのがあった。(文章は思いっきりオリジナルで、こんな用法だったという例)
※〆切に切羽詰まってついにホテルに缶詰にされてしまった。
※そのジャングルにいた鳥には南国特有の美しい羽根が生えていた。
さて、どこが間違っているでしょうか?(配点.各5点)

ということで答えなんですが、作家が忙しくてホテルや旅館なんかに軟禁される状態は「缶詰」ではなく「館詰」。これは字を見ればそのまんまですが、結構作家でも間違えている。
2問目は、鳥に生えているのは「羽」、抜けてしまった物は「羽根」という書き分けがあるんでやんす。

面倒くさい私でごめんなさいなのだ。

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2006年8月27日 (日)

水谷麻里「バカンスの嵐」

00_15水谷麻里/バカンスの嵐
作詞.尾関昌也/作曲.井上ヨシマサ/編曲.戸塚修
ビクター/SV-9261
1987年07月16日/¥700


夏も後半って事で、いまさら夏の曲を。
去年の夏、SMAPがBang Bang バカンスという曲で「バカンスって言葉の半分は♪バカッバカッバカ〜」と歌っていた時に、いきなり思い出したのがこの曲。
実はこの曲の出だしが「バカバカバカンス♪」となっている。別にそれ以外は似ていないのでパクリとかどーこー言うレベルじゃないんですが(世の中には歌詞のフレーズが僅かに似ているだけでもパクリだ!と大騒ぎしてネットに書き込む面倒臭い人がいますけど)

1st「21世紀まで愛して」
0021で、この水谷麻里さんを知っている人はあんまりいないんじゃないかと思います。
とりあえずデビュー曲『21世紀まで愛して』は資生堂ヘアコロンシャンプーのCM曲で、当時はサビ部分が頻繁にTVで流れていたり、2曲目『地上に降りた天使』は映画「子象物語」のテーマ曲として、これも頻繁に流れていたので、メロディを聴くとなんとなく覚えている人もいるんじゃないかと思います。

2nd「地上に降りた天使」
00_16しかし彼女の事を説明する場合に一番分かりやすいのは「漫画家、江口寿史の奥さん」って事かも知れないっす。
70年代末から80年代にかけて「すすめパイレーツ」「ストップひばり君」でヒットを飛ばし、あとは連載が始まるとすぐに穴を開けて打ち切りを繰り返して、それが話題になり続けている、あの漫画家・江口寿史の奥さん。

江口のLPサイズの画集・大きく重く凄くジャマ
0001水谷麻里というデビュー時にかなりバックアップされていた歌手が大成しなかった理由のひとつに江口寿史が関係している。
彼女のデビュー時に「!」と思ってしまった江口寿史は雑誌『投稿写真』に自ら「対談」の企画を持ち込む。当時、すでにオシャレでポップな漫画家として漫画だけじゃなくイラストとして若い世代に人気があった江口だったので、雑誌としても「あの江口が出てくれる」というのは大乗り気な企画になったのだ。(他の雑誌だったという説もあり)

その画集の中にあるレコードの片面
00_17で、その企画で江口は水谷麻里と知り合いになり、まんまと恋愛関係に持ち込んでしまったのだ。(水谷麻里も江口漫画のファンだった)
もともと芸能関係にそんなに思い入れの無かった彼女は恋愛の方が重要になって、いつしか仕事のやる気を失い、引退、そして結婚という事になった。
なんつーか、夫婦揃って仕事やる気無しかよ!状態ではあるんですが、その水谷麻里が引退結婚したのがなんと18歳、やるなぁ江口。

1st Album「なかよし」
0000_19デビューのキッカケは資生堂開催の「ミスヘアコロン」でのグランプリで、デビュー曲「21世紀まで愛して」はそのCM曲。
このコンテストの特別賞「雑誌BOMB賞」を受賞してデビューしたのが酒井法子。つまり水谷麻里の方が上だったハズなのに、どこでどう間違ってしまったのか。(水谷麻里も酒井法子も、ビクター&サンミュージック)

2nd Album「ほがらか」
0000_20実際の事を言うと、デビュー当時は「あんまし上手くない」という印象だったんですが、2年目に入った時から路線変更で「変な曲」を歌い始めて、いきなり歌唱力がアップしたような印象(曲がポップで秀逸なのも理由なんですが)がある。
前回の榊原郁恵はオリコン11位止まりだったんですが、実はこの今ではほとんど知られていない水谷麻里は8枚出したシングルの4枚が10位以内に入っている。もっとも、80年代中期はCD時代に突入していてシングルが売れなくなった時代で、売り上げは1〜6万枚程度なのだ。

3rd Album「あしたの黄色をつかみたい」
0000_21江口寿史の漫画を読んでいると、そのエッセイ的漫画の中にアホな事をして仕事をろくにしない江口の横に奥さんが出てきて呆れていたりする図がときたまある。
それを見て「あぁこれが水谷麻里なのだなぁ」と思ったりするのだ。(かつて写真週刊誌の「あのアイドルは今!」で主婦姿が隠し撮りされた事もある)江口、ちゃんと奥さんと子供を喰わせる程度には仕事しろよ。

1971年07月18日 愛知県津島市に生まれる

14歳
1986年03月21日 1st Single「21世紀まで愛して」
1986年07月01日 2nd Single「地上に降りた天使」

15歳
1986年08月21日 1st Album『なかよし』
1986年09月25日 3rd Single「乙女日和」オリコン9位
1987年01月01日 4th Single「春が来た」オリコン9位
1987年02月05日 2nd Album『ほがらか』
1987年04月08日 5th Single「ポキチ・ペキチ・パキチ」
1987年07月16日 6th Single「バカンスの嵐」

16歳
1987年08月21日 3rd Album『あしたの黄色をつかみたい』
1987年10月21日 7th Single「メビウス天国」
1987年秋 江口寿史(31)と雑誌で対談→お付き合い始まる
1988年03月02日 8th Single「春休み」ラスト
1988年03月25日 引退→地元愛知へ一旦帰る

18歳
1990年 江口寿史と結婚(18歳)

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2006年8月26日 (土)

榊原郁恵「夏のお嬢さん」

0000_13榊原郁恵/夏のお嬢さん
作詞.笠間ジュン/作曲.佐々木勉
コロムビア/PK-118
1978年07月01日/600


夏も後半って事で、いまさら夏の曲を。
榊原郁恵は「ポッチャリ系」という単語を拡大解釈したアイドルとして、1976年に「第1回ホリプロ・タレント・スカウト・キャラバン」で優勝してデビュー。
このホリプロの趣味というのがイマイチ自分には合っていないらしく、歴代優勝者を見るとシャッキリ洗練されたのとは対局にあるような、モッサリとイモっぽい印象がずっとしている。(自分的は渡辺プロ派なのかもしれない)
アイドルにしても女優にしても、デビュー時には垢抜けて無くても、いつしか洗練されて...という道を歩むハズなんですが、どうもホリプロはそれを拒んでいるような感じがしてならないわけです。

1st「私の先生」
000001_3それはまさに初代キャラバン優勝者・榊原郁恵にも当てはまる。
当時はまだ「巨乳」なんて言葉は無く「ボインちゃん」て感じでしたが、夏恒例の大磯ロングビーチで開催される水泳大会(司会はおりも政夫)では、なにもそこまでというビキニを着て出演し、オッパイ星人の方々を喜ばせておりました。色気のないキャラとそれのギャップが良かったのかもしれませんが、自分的にはボインちゃんはあんまり興味なかったので「あれはグラマーじゃなくデ×なんじゃないの?」と思っていたワケです。

2nd「バス通学」
0000_14屈託無く明るいキャラとして人気はあり、曲もそこそこ売れていたと思われがきなんですが、実際のオリコンなどの資料では「夏のお嬢さん」がもっとも売れた曲で最高位11位。つまり、あの時代を生きた人なら「榊原郁恵って売れていたよね」という印象があるんですが、オリコン10位以内に入った曲がない。
もっとも11位どまりだった「夏のお嬢さん」は20.1万枚を売り上げている。今20万枚なんていったら大ヒット曲の部類で、1位を記録した曲でも10万枚を越えない曲は山ほどある。

3rd「わがまま金曜日」
0000_15キャッチコピー「一億円のシンデレラ」というのは、キャラバンとかに掛かった費用が関係しているワケですが、デビュー曲は1977年元日「私の先生」でオリコン最高位55位2.8万枚。1977年04月01日「バス通学」、1977年07月01日「わがまま金曜日」、そして1977年10月01日「アル・バシーノ+アラン・ドロン<あなた」というギミック詩を書かせたら随一の森雪之丞が手がけた曲が話題性もあり22位、11.5万枚のヒット。

4th「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」
0000_16新人賞を経て、1978年01月01日「いとしのロビン・フッドさま」18位・15.3万枚→1978年04月01日「めざめのカーニバル」16位・12.4万枚、そして1978年07月01日「夏のお嬢さん」となった。
この年はバラエティ番組「UFOセブン大冒険」→「マジカル7大冒険」、ドラマ「ナッキーはつむじ風」とホリプロ一押しだったので売れてくれなくちゃ困る状態だったワケですが。

5th「いとしのロビンフッドさま」
0000_17しかし、この「夏のお嬢さん」という曲、当時田舎の何も知らないような自分ですら「これってスージークアトロの『The Wild One』そのまんまな曲じゃん」と思ってしまうほどの何のギミックもないような引用曲でした。
そのうち、ソックリ曲に関して色々書こうと思いますが、子供心にそれに気づいてしまったわけで、自分にとってソックリ探しのルーツの曲です。

6th「めざめのカーニバル」
0000_18ホリプロの稼ぎ頭・山口百恵が引退した後、彼女の「赤いシリーズ」を引き継ぐかのようなドラマ『青い絶唱』の主演もしたんですがシリーズ化はならずに終わってます。(同じキャラバン出身の能瀬慶子の「赤い嵐」も不発で終わってますが)。

徐々に活動の場をドラマ方面へ移していったワケですが、とりあえず1987年に渡辺徹と結婚する直前までシングルを発売していた。

8th「Do It Bang Bang」
0000doitもっとも1980年の「ROBOT」辺りがギリギリ一般的に知られている曲かなぁという感じ。
紅白歌合戦には1978年に「夏のお嬢さん」で初出場して、それ以降1982年まで連続出場していますが、5枚シングル出したけどイマイチだった1982年はなぜか「なごり雪」を歌っております。
(この年、持ち歌じゃない曲を歌ってもいいというルールが出来たためなんですが、榊原郁恵の「なごり雪」以上に「桜田淳子の歌うセーラー服と機関銃」というワケの解らなさが話題になった)

17th「ROBOT」
0000robotアイドルとしてデビューしたけど、イマイチ売れず歌を唄わなくなり、それでもまだTVに出続けているのを見るにつけ「ホリプロって財力あるなぁ」と思うワケでやんす。
ま、ホリプロの大御所・和田アキ子の「曲の売れ無さっぷり」には遥か及びませんが。

ホリプロ・タレント・スカウト・キャラバン
1976年:榊原郁恵
1977年:西村まゆ子
1978年:能瀬慶子
1979年:比企理恵
1980年:林紀恵   地方予選落選で松本伊代
1981年:堀ちえみ
1982年:大沢逸美
1983年:田中久美
1984年:井森美幸
1985年:山瀬まみ
1986年:伊藤美紀
1987年:坂井順子
1988年:山口裕子
1989年:田中陽子
1990年:戸田菜穂  地方予選落選で古谷仁美(hitomi)
1991年:北地大良(男性限定大会)
1992年:菊池あゆみ・馬渕英里何
1993年:木下奈緒子
1994年:上原さくら 地方予選落選で椎名林檎
1995年:佐藤仁美 (特別賞.新山千春)
1996年:深田恭子 (特別賞.酒井彩名)
1997年:古川小百合
1998年:平山あや
1999年:西端さおり
2000年:藤本綾
2001年:浜口順子
2002年:石原さとみ
2003年:大竹佑季
2004年:佐藤千亜妃
2005年:緑友利恵
あと、堀ちえみが優勝の1981年大会には星井七瀬(3代目なっちゃん)の母親が出場していたとの事。
しかし、この中の数人が「素行不良」で事務所をクビになった(公式発表はありませんが)ってのは凄いことだよなぁ

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2006年8月25日 (金)

「ハンカチ王子」なんて名称、嫌だろうな。

ハンカチ王子って...。そんな部分に無理矢理キャッチーさを見出し、必死に話題にして製造メーカーを探したり、ファンと称したおっかけが「私も同じようなハンカチをこうして...」と嬉々としてカメラに見せつけたりするのにげんなり。


それ以前に「ハンカチ王子」ってネーミングってどうよ? って、なんか変な感じしていたんですが、この「ハンカチ王子」って言い方、去年は「監禁王子」で使われていた語感と似ているのでなんか変な感じだったんですね。
でも、あれ、ハンカチじゃなくハンドタオルですから!残念!無理矢理爽やかさを強調するのはうんざり斬り!!!!! と、いまさらギター侍で文章をしめてみましたが(多分今年になってから1度も見ていないので逆に新鮮)

しかし、某傍若無人な例の人との比較でか「今の日本にこんなに清々しい真面目な若者がいたのかと!」とか言っているけど、これも無理矢理っぽいっすね。
でも、優勝した翌日に試合前に撮ってあった「兄と二人で生活していて、兄が弟の健康管理をしてあげ料理を作っている」という映像が流れ、その中で色々語っていたけれど、そこまでプライベートにまで踏み込んだ映像を撮られてあるってのが、なんか爽やかじゃないっすね。

別に、爽やかであろうとどうであろうといいんですが、なんか昨今のワイドショー的ニュースの傾向が「みんな一斉に話題に飛びついて、盛り上げるだけ盛り上げて、次に興味を惹くような物があったら、一斉にそっちへ移動していく」という感じがちょっと怖いっすね。

春先に持ち上げられるだけ持ち上げられた荒川静香なんかは、ひとまず本来のアイスショーなんかもやっているみたいですが、舞い上がってしまったのか、CMに出たおして、あげくの果てはドラマで重要な役をこなしたり(でも棒読み)ワケの解らない状態になっていました。
最近も雪見だいふくのCMで小倉ゆうこりんと共演しているけど、なんか今さら感がひしひしと(まだ1年も経っていないんですね状態ですが)。スケート以外にはなんら才能が見えないってのが、無理な底上げって感じ。

ハンカチ王子、こと斉藤投手に関しては、ワイドショーでは「CMの話が!」とか「メジャーのスカウトマンが!」とか騒いでいましたが、メジャーに関しては番組側が無理矢理メジャーのスカウトマンに「彼はどうですか?」と聞いた上の答えだったみたいだった。
変な状態で流されない事を祈るだけでやんす。

江川卓みたいに「みなさん、冷静にしてくださいよ」と言える人間でありますように。

はんかちの豆知泉

ハンカチは以前は色々な形があり、1700年頃は貴婦人の間では円形とかハート型とか色々な形で美しさを競っていた。それを「ハンカチは四角形であるべき」と決めたのはルイ16世。奥さんのマリー・アントワネットの指示だったらしい。その四角に決めた理由は現在でも不明。

そもそもハンカチはヨーロッパで帽子の代わりに女性が頭に巻いていた布。つまりバンダナを頭に巻くのは正統派の使い方。
それに刺繍などをして美を競い合いはじめ、手に持って装飾品となったのがハンカチのはじまり。その後、華美合戦が激化したすえに「四角にしなさい」という法案が出来た。

頭に巻いていた布の名前が「カチーフ」、それを手で持つようになって「ハンド・カチーフ」

帽子からハンカチに移行する途中に、布を手首に巻いたり、ベルトに付けたり、首に巻いたりするブームがあったり、それらを身につけるのは貴族以外はダメという法令も出来たりした。

1913年にアメリカのマリー・ジャコブ女史がハンカチ2枚をつないでブラジャーを発明し特許を取った。

タモリだったらきっと「ハンケチ王子」と言っているよね。

ハンカチを漢字で書くと「洟布」

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2006年8月24日 (木)

さよなら冥王星

鉄腕アトムの『地上最大のロボット』、そして現在連載中の浦沢直樹『プルートウ』に出てくるロボット「プルート」はアトム・ウラン・コバルトなどと同じように元素のプルトニウムから名前を取られている。
実はそのプルトニウムは冥王星(Pluto:プルート)から名前が付けられている。
その冥王星がこのたび「惑星じゃねえよ」と三行半を突きつけられてしまった。


惑星の名→元素というのは結構多く、地球のテラもテルル(元素番号52)に名前を使われている。
天王星(ウラヌス)から名前を付けたウランを研究している際に発見された新しい元素の名前を、天王星の外を通る海王星(ネプチューン)からネプツニウムと名付けた。それとほぼ同時に発見された元素がさらに外側の冥王星(プルート)からプルトニウムと名付けられた。

今回の「冥王星は惑星ではない!」というのは結構昔から言われていることで、海王星の外側に800個以上の小惑星帯カイパーベルトがあるんですが、それの中の1つではないか?と言われていたワケっす。
今回それがついに「惑星じゃない!」と結論づけられてしまったワケで、昔ながらの語呂合わせ「水金地火木土天海冥」がなんか間が抜けた状態になってしまったのだ。

と言いつつ、太陽から数える惑星の順番は1979年1月22日から1999年3月15日まで冥王星が海王星の内側を廻っていたので「水金地火木土天冥海」だったんですけどね。
その極端な楕円軌道っていうのも「冥王星は惑星ではない」という説の一つだったワケですが。

あと大きさもムチャ小さいんですが、なんと地球なんてちっぽけな惑星の周囲を回っている衛星「月」が直径3,476kmなのに対して、冥王星が2,274kmだから小さすぎ。

ちなみに惑星の名前自体は神話から取られている。
    ギリシア神話  ローマ神話   英語
水星……ヘルメス…………メルクリウス……マーキュリー(Mercury)
金星……アフロディテ……ウェヌス…………ヴィーナス(Venus)
地球……ガイア……………テルス……………アース(Earth)
火星……アレス……………マルス……………マース(Mars)
木星……ゼウス……………ユピテル…………ジュピター(Jupiter)
土星……クロノス…………サトゥルヌス……サターン(Saturn)
天王星…ウラノス…………ウラヌス…………ウラヌス(Uranus)
海王星…ポセイドン………ネプトゥヌス……ネプチューン(Neptune)
冥王星…ハデス……………プルト……………プルート(Pluto)

日本でリズムで順番を覚えるワケですが、英語圏でも頭文字を覚える方法があって水星からを並べると「M.V.E.M.J.S.U.N.P」これに意味のある単語を当てはめて覚える(英語式の暗記はこれが多い)
『My Very Educaled Mother Just Served Us Nice Pizzas』で「私のとても知的な母親は美味しいピザを出してくれた」という意味。覚えやすいのかどうかは不明っす。

「惑星」は惑(まど)う星と漢字で書くが、これは地動説がハッキリ解っていなかった時代に規則的であるが不思議な動きをする水星・金星・火星などを差して「惑っているように見える」とした事からギリシア語で「さまよう人」と言う意味でプラネテス→「Planets:プラネット」となった。それを日本語訳した時に、意味を漢字で書いて「惑星」となった。中国語では「行星」

ホルストの組曲『惑星』は、地球以外の惑星に1曲ずつ当てて書かれているが、「冥王星」がないのは、作曲当時この星がまだ発見されていなかったから。(作曲は1914〜1916年、発見は1930年)
実は近年「冥王星—再生の神」と言う曲が追加された。イギリスの作曲家コリン・マシューズという人物による女声合唱付きの曲。
勝手に新曲を加えられてしまったホルストさんの惑星ですが、実はホルストの遺言では「この惑星という曲は編曲もすべて完璧なので編曲しなおしちゃダメ、それどころか演奏時の楽器の配置を変えることもダメ!」とされている。
てぇ事は勝手にジュピターに日本語詩を付けて歌っちゃうってのも....。

小惑星がナンバリングされて研究分析されているが、その小惑星ナンバーが10000を越える時に「No.10000を冥王星にしよう」という運動があった。

かの宇宙戦艦ヤマトのアニメ放送時、月刊「冒険王」で松本零士が漫画化連載を開始したが、月刊誌だった為に冥王星付近の話を書いている頃にアニメが終わってしまい、最終回は「すったもんだあったけど地球に戻ってきたよ」という無茶な終わり方をしたらしい。その後、単行本化の際にかなり書き下ろして形を整えたとの事。

てなワケで、冥王星が惑星から外れるって事で、それ関連のことを思いつくままに書いてみました。

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2006年8月23日 (水)

我々は猟犬「HOUND DOG ひとりぼっち」

000_17HOUND DOG/嵐の金曜日
作詞.作曲:八島順一
1980年3月21日/¥600
CBC SONY/06SH 726


去年、HOUND DOGのボーカル大友康平が個人事務所を設立した事をキッカケにベース鮫島、キーボード蓑輪がバンドを脱退して、どうすんの?って話になっていた。

今年の7月になって大友康平が「HOUND DOGは一人で活動する」と宣言し、それによって残っていたメンバー橋本、西山、八島がいきなりバンド解雇という事になってしまった。
いきなり解雇された3人は「HOUND DOG(猟犬)」ではなく「HANBUN DOG(半分犬)」として活動をしていたらしいんですが、名前を「HOUND DOG」にして活動を再開すると宣言した。
つまり「ひとりHOUND DOG」と「解雇組HOUND DOG」が共にHOUND DOGとなっている。
現在公式サイトは「リニューアル中」ということになっているけれど、そこで「重要なお知らせ」として大友康平の声明文とスタッフ側の声明文が掲載されている。なんか意見がちょい食い違っている気もする。

かつて「YES」というバンドが解散後に、メンバーがそれぞれ「YES」と名乗って活動していたために、複数の「YES」が存在していた時を思い出しました。
たしか「ベイシティローラーズ」も一時期、バンドが2つあったハズ。

000ffこの解雇組HOUND DOGは「先に脱退した鮫島、蓑輪も加わってもらい、最終的に大友に「ひとりHOUND DOG」を解散してもらい、こっちに参加してもらいたいと考えているらしい。
もっとも八島は8月1日に自宅前で倒れ外傷性くも膜下出血で入院中との事。

なんつーか、HOUND DOGって男臭いバンドの代表格という印象があるので、この手のゴチャゴチャした話って似合わない気もする。
もっとも、客観的に見るとデビュー時から大友康平のワンマンバンドという印象があるので(ファンは違うと言うでしょうが)、四半世紀に渡って時々聞いている自分もボーカルの大友康平と、元ツイストの鮫島秀樹ぐらいしか名前と顔が一致しない。
いくら結束が硬いバンドでも最終的にはボーカルぐらいしか残らないというのは悲しい事実で、頻繁にテレビに出ていて全員がそれなりに名前が知られていたチェッカーズなんかにしても、結局表舞台に残っているのはボーカルの藤井フミヤぐらいになってしまった。

今回、色々なメンバー間の確執や事務所とかのゴタゴタが表沙汰になってしまったワケですが、HOUND DOGはデビュー時から色々な物を抱えていたバンドでもあるのだ。
「嵐の金曜日」でデビューしたのが1980年、四半世紀前なんですが、もともと大友康平が初代ギター高橋良秀と東北学院大学時代に結成したバンドで、デビュー当時は雑誌なんかでも「東北をロックの聖地にする」みたいな事が書かれていた。その時は仙台にある事務所に所属して、メジャーデビュー後も東北を中心にした活動を目指していた。

しかし大友が「全国展開したい」と言うことで東京にある事務所に移籍する事を提案し、「仙台を拠点に活動したい」という他メンバーの意見を押し切って、無理矢理1983年に東京を活動拠点にする。武道館ライブをするまで売れたが、大学の同好会サークル的だったバンドの演奏能力に常に不満を漏らしていた大友とメンバーがぶつかり、八島・蓑輪以外の3人が脱退。
その時にツイストが解散したばかりだった鮫島を加え、さらにオーディションで橋本・西山を加えて新生HOUND DOGとなった。
そこから20年間、不動のメンバーとなったのですが、デビュー当時にすでに今のゴタゴタを彷彿とさせる事があったワケです。

しかし個人的な見解では、デビュー当時「胡散臭い芸能臭のある商業ロックバンド」という感じがして好きじゃなかった。
というのも大友康平氏がデビュー時にラジオに出て、何度も「ロックが、ロックが」と口にした割に、デビュー曲からいきなりバラードかよ!という部分。
さらに1982年に発売したカネボウのCM曲が、ストレイキャッツの「ROCK THIS TOWN」そのまんまのパクリだったり(これは作詞曲NOBODYですが)、テレビに出た時の態度が「おれたちゃロックバンドだぜ」という偽悪者っぽい感じで(安岡力也のパロディ的な感じ)「なんか違う」という印象だったので。

現在、いきなりの解雇に関しての訴訟や、活動できなくなったために予定されていたツアーが中止になった事への訴訟や、色々面倒くさい状態が山盛りになっていて、さらに音楽やってる場合じゃねえだろとなっている。

しかし、去年の個人事務所設立後、時々バラエティに出るようになった大友康平だけど、なんか昔の印象と違って貧相なジジイになってしまった感がある。
それでもバラエティの他の出演者が、「あの大友さんが!」と一生懸命持ち上げようとしていたりいるんだけど、扱いが難しい出演者って感じになっちゃっていて、見ている分にはかなりツライ。
個人事務所を設立したのは、こんなバラエティに出るためだったのか?

2000年に放送された「FLY 航空学園グラフィティ」というドラマで大友康平は主演していたんですが、そこに鮫島の息子で役者の鮫島巧が出演していたのは、セット販売だったんでしょうか?

関係ない話で思い出したのは、今から10年以上前の地元のアマチュアバンドのイベント、数組が出て3曲ほど演奏するという状態だったんですが、あるバンドのボーカルがステージに出てくるなり「うぃぃぃぃあぁぁぁあぁぁぁ○◎○ぅぅぅぅ!」と大友康平がバンド紹介をする時のような雄叫びを上げた。声も、巻き舌っぽい発音もそのままで。
会場は全然温まっていない状態だし、それ以前に客席ガラガラ(自分は知り合いにチケット貰ったので暇つぶしに見に行った)。
その雄叫びは人が少ないのでやたらと残響音の響く会場にこだましていた。
とりあえず準備してあったキメセリフなのかそのボーカルは
「よぉぉぉく来てくれたなぁぁ俺等のぉぉぉライブにぃぃぃぃ!」と叫ぶ。
いや、複数がでるイベントですから
「今日のためにぃぃ新曲をぉぉぉお持ってきたぁぁぜぅぇぃぇぇえl」と叫ぶ。
いや、新曲もなにも、どの曲も初めての曲ですので
「いいかぁてめえら盛り上がっていこうぜぇぇぇぇぇえ!」
初対面のあなたにてめえ呼ばわりされる道理はありませんが
「よぉぉぉぉし、いくぜえぇぇぇぇぇぇ!」
とそのボーカルが叫び終わった後、本来なら演奏がジャ〜ンッと始まる予定だったんだろうけど、演奏のキッカケをつかめず....、雄叫びの残響音がむなしく響いていた。
その後始まった演奏は....曲は....ボーカルは.....、すでに記憶から消し去ってしまったほど素晴らしかった物でした。
気分はHOUND DOGだったんでしょうけど、聞かされる方は辛かったです。

大友康平は大学時代に音楽サークルと同時にお笑い系サークルにも入っていたらしいんですが、バラエティには合っていないと思う。さらに役者としてもなんかぎこちなさしか見えないので、やっぱり音楽を、ちゃんとした状態で続けて欲しいっすね。

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2006年8月22日 (火)

隣のインド人

ユーミンが朝の番組で平原綾香に自分の曲を歌ってもらうとかって話をしていて、そこで「彼女は近所に住んでいて、用賀って場所なんですけど、あ、その用賀って大正時代にインド人が住んでいてヨガをやっていたから用賀って名前になったんですよ、へーへーってあの番組に送ろうかと思ったぐらいで」と話していた。
うーむ、微妙に違う。


この場所にある真言宗の真福寺の山号が「瑜伽山(ゆがさん)」で、この瑜伽がサンスクリットのヨガ(Yoga)の漢訳語だったことから「用賀」となったというのが本当の話。
ヨガ=用賀というのは事実ですが、直接の語源ではないって事でやんす。インド人が大正時代に住んでいたワケでもないし。

地名の雑学ってのはけっこうあるんですが「という説もある」というのが実は多い。
自然派生的に名前がついてしまったケースが多くて特定が出来ないって状態らしい。

一時期「アイヌ語源説」というのがブームになった事があり、たとえば富士山ですら「フチ=火山」のことなので。という事が言われたり、東日本の地名のほとんどがアイヌ語で説明できるという事を書いた本もありました。
でも、その中で「これもアイヌ語だ!」と書いてあった地名の中に、あきらかに明治時代以降に考案された地名も混じっていたので、信憑性薄いんですが。

語源は、ほとんどの物が「へぇそうなんだ」レベルの笑えない物が多いので、時々遭遇するトンデモ説に惹かれてしまいます。
日暮里の語源はナポリ、というのもいい感じのガセっぽさを漂わせています。

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2006年8月21日 (月)

マギー・ミネンコ「涙の河」

01_5マギー・ミネンコ/涙の河
作詞.橋本淳/作曲.中村泰士/編曲.あかのたちお
1974年/¥500
キングレコード/BS-1850


芸能界には常に「オカマ枠」「デブ枠」「外人枠」と言う物が何席か設けてあるらしい。
昔に比べてタレントの総数が増えているので、その席数も増えているけど、外人枠というのも現在では結構微妙な感じになっている。

マギー・ミネンコ「燃えるブンブン」
01maggy01日本は敗戦国と言うのもあってか、戦後すぐの頃は外人に対して劣等感を持っていたような気がする。あるいは憧れを持って迎えていたんじゃないかと。
そこで活躍したのは、E.H.エリックと岡田真澄兄弟とか、イーデスハンソンとか、ジョン・シェパードとか、西川ヘレンとかで、彼たちは「外人だけど気さくないい人」というのが売りで、さらに関西弁を駆使してフレンドリーな外人として活躍していた。(ハーフも多いですが)

ゴールデンハーフ「太陽の彼方」4人時代
000golden70年代に入って、大阪万博を経験した日本にはドッと外人(西洋人)が入ってきて、徐々に珍しいとか、恐怖心を煽るとかの存在ではなくなっていった。
アイドルとしてゴールデンハーフとか、香港からアグネス・チャンとか、ハワイからアグネス・ラムだとか、ベトナムからルーフィン・チャウだとか(微妙に扱いが違うしデビューは1982年ですが)がやってくるようになり、外人枠は飽和状態を迎えた。
ハーフって事を言えば、辺見マリもスペイン系ハーフだったり、けっこう多い。

ベッツィ&クリス「白い色は恋人の色」ハワイの女子大生
000_80年代に入るとデイブ・スペクター、ケント・デリカット、オスマン・サンコン、ダニエル・カールなどの「格好悪い外人」が主流になっていく。
さらに、ハリウッドスターもCMに出て「カッコいんてぐら」とか駄洒落を言わされるような、カッコいいだけじゃ場が持たないという風潮になっていく。

エミー・ジャクソン「涙の太陽」
000__1そして今や、ボビー・オロゴンや、ハーフですがウエンツ瑛士やベッキーみたいに「芸人以上にウケを気にする外人」が、日常的にTVに出まくっている。
そもそも外人という段階で他との差別化が出来ているんだから、それ以上に頑張られちゃ日本人は困っちゃうワケでやんす。
80年代からデイブ・スペクターが生き残っているというのは、これらのウケを気にする外人の先駆者だからですかね? デイブに関して「寒いギャグを言う寒い外人」という見方をしている人も多いですが、あれはワザと寒いギャグを言うキャラを作っている。日本人で海外に行ってそこの国の言葉でダジャレ言ったり、寒いギャグを平然と言える人はそう居ないと思うのだ。

チャダ「面影の女」インド代表
000_16それらの「芸人並外人」のルーツとも言えるのが、このマギー・ミネンコ。
NTV系の金曜夜10時台に放送していた『うわさのチャンネル』の中で、つんつるてんの着物を着て、走り回って、ボケまくって、あげくの果ての決めぜりふが「乳もめーッ!」という、当時の吉本新喜劇でもここまで過激な芸人はいなかったんじゃないかという状態の人でした。(マギーの代わりに途中で入ったシェリーは「ケツ出せーッ!」と叫んでいたが二番煎じっぽかった)

ベッキー「さらら」英国系ハーフ
00_14この『うわさのチャンネル』は、和田アキ子の「芸能界のご意見番・ゴッド姐ちゃん」という悪しきイメージを作り上げてしまった番組でもあるんですが、他の出演者は、デストロイヤー・あのねのね・せんだみつお・湯原正章・木の葉のこなどで始まり、さらにタモリのメジャーな番組初レギュラー(東京12chのモンティパイソンはメジャーではないので....)、さらに所ジョージなどもここからメジャーになっていった。結構、凄い番組だったのだ。
あと、まだ30代で中堅のスポーツ中継アナだった徳光和夫がデストロイヤーに4の字固めをかけられながら自分の実況をするというのもパターンのひとつとしてありました。(技を掛けられながらカメラに向かって「お父さんはこうやって頑張っているんだ」と中継したり...)

WaT
000watそんなマギー・ミネンコは歌手としては「燃えるブンブン」というポップでパンチの効いたホットロッドソング(車やバイク曲の意味)をリリースしてスマッシュヒットを飛ばしたんですが、その後に出した「涙の河」はしっとりとした名曲として、一部では人気が高い。

作曲が中村泰士。「心のこり」や「北酒場」で有名な作曲家なんですが、ここでは秀逸なスローロッカバラードを書いている。
意外な印象を持ってしまうんですが、前述の「心のこり」だって演歌という枠組みをハズして聞き直すとこの曲もロッカバラード、「北酒場」なんかはソウルフルな印象すらある。
実は中村泰士は、作曲家になる前は内田裕也のバンドに所属していた時期もあり、その後「美川鯛二」という名前でロカビリー歌手でデビューしている、バリバリのロック寄りの人だったのだ。そう考えると、このロッカバラードで、しかも日本人の琴線に触れるメロディというのも理解出来るのだ。

マギー・ミネンコはロシア系ハーフ(父ロシア.母日本だと思った)。サザンがかつてレギュラー出演していた「あッ!うんこついてる!」という番組で「マギ〜マギ〜マギー・ミネンコ〜〜〜〜ぉ」とアドリブで歌っておりましたが、現在は日系人と結婚しており、子供3人のおかあさんになっているらしいです。

1974年7月26日号「TVガイド」
00019740726外人はTVの中で見かける物という印象の強かった1970年、大阪万博で初めて生の外人を見た!という子供は多かったと言う。
その時、流行っていたギャグにドリフの荒井注が唐突に「デイスイズアペン!」と叫ぶのがあった(当時を知らない人にはワケ分からないギャグですな)。
怖い物知らずのアホな小学生は外人を見ると、いきなり「ディスイズアペン!」と叫ぶという暴挙に出る事が多かったと言われるが、外人にしてみたら、いきなり極東の小汚い子供達が「これはペンです」と口々に言いながらニヤニヤしてこっちを見ているという姿はどう映ったんだろう。しかも手にペンを持っているワケでもない。
海外に行ったときに、その地の子供達がいきなりニヤニヤ笑いながら「コレ ハ マンネンヒツ デス」と言いながら近寄ってきたら、どういう態度を取ればいいのだろうか? 考えるだけでも恐ろしいので、私は海外旅行はしないのだ。

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2006年8月20日 (日)

雑学でも喰らえ!

相変わらずの雑学バカ、そんなこんなで「雑学」という文字が目に入った瞬間に脳内レーダーがピコンピコンと音を立てるので、そっちをチェックしないワケにはいかないのだ。


ある日、いつも通りに会社帰りにコーヒーでも買おうとコンビニに立ち寄った際、いきなり脳内でピコンピコンと何かが反応を始めた。そのピコン具合が通常ではなく「なんか大変な事が起こっている」という状態だったのだ。
ふと、気が付くとコンビニの袋を持って立っていた。

0000pl002その袋の中には、コーヒーと、買う予定は無かったプリングルスのポテトチップスが入っていたのだ。プリングルスってのは、いわゆる一般的なポテトを薄く薄くスライスして揚げた物ではなく、ポテトを細かくしたものをチップス状に形成し直した物で、あんまり好きではないので自らが購入する事はあまりないのだが....。

そのプリングルスには「雑学入り」と書かれている。最初は、パッケージに本のイラストがあるので「雑学入り豆本」みたいな物が入っているのかと思ったんですが、どうも違う。
よく見ると、ポテト自体に雑学が印刷されているという事なのだ。形を人工的に作り上げるプリングルスだからこそできる技術。

といいつつ、文字数の関係もあってそこに書かれている雑学ってのは凄く短く、ポテトチップスさながらに内容も薄い。
なんせ「牛は胃袋を4つ持っている」とか「人間の身長は朝が一番高い」とか、雑学なのかなぁ他の人は知らないのかなぁという状態の内容が多い。

0000pl001さらに「●○●○は青森県では▲△▲△という」という方言ネタもやたらと多く、あんまり面白くない...という印象なのだ。
ついでに言うと「なんか知泉で発表した物が、文章同じで....」と思ったけれど(友人もそう思ったらしい)、文章を短くするとみんな同じようになってしまうので、許容範囲っすね。
プリングルスサイト

ポテトチップスの豆知泉

プリングルスの販売元は家庭用洗剤でお馴染みのP&G。

米国生まれのポテチ「プリングルス」のキャラクター・プリングルスおじさんは2002年にデザインチェンジされ、現在のモノで7代目。

ポテトチップスは1867年、ニューヨーク州サラトガ・スプリングホテルで誕生。フライドポテトが厚すぎると文句を云われたコックが、嫌がらせで極薄に切った。

ということで、ポテトチップスはアメリカ生まれだが、嫌がらせをしたコックはインディアン出身のジョージ・クラム。

それから60年間はホテルなどで出される料理の一種だったが、1925年、ニューヨーク州のオールバニで大量生産できる工場が出来て、スナック菓子になった。

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2006年8月19日 (土)

これでいいのだ

とりあえず言っておく「がんばれ、俺」


2006081901と言うことで、色々と心が折れ曲がっている昨今ですが、ぼけーっと「人間!これでいいのだ」という番組を見ていた。
別段見るつもりでもなかったんですが、他の局が野球だったりバレーだったり細木だったり、まったくもって興味がない世界を展開しているので、消極的理由で見ていた。(見たこと無い番組だったんですが、どうやら今日始まった番組らしい)

2006081902番組タイトルにもある「これでいいのだ」の部分、ジングルとして何度もバカボンパパの絵が出てきて、アニメの声優さんが一言二言しゃべる。
あぁこれで少しは赤塚不二夫の入院費の足しになるのだろうなぁと思いつつ、雑誌なんかをパラパラめくりながら流して見ていた。
ちらっと見ても「なんかメインの企画がよく解らない、とりあえず時間を埋める小ネタを散らばらせて、その中から視聴者が食いついてきた話題があったら、それを広げればいいや」的な、やっつけ番組て感じだった。なんせ8月のこんな中途半端な時期に始まる番組って、そんなものでしょ。(前番組が例の「白インゲン」で中毒事件を起こして打ち切りになった『ぴーかんバディ』)

2006081903と言う所で「腰のくびれを作るのにはフラダンスが最適」という事で、東京某所にあるフラダンス教室を映し出していた。
ま、フラダンスってやっている人は楽しいんだろうけど、見ている分にはすぐ飽きちゃうんだよなぁと思いつつ、TV画面を見た。
そこでアナウンサーが「先生を紹介します。サンディーさんです」と言う部分でビックリしてしまったのだ。

2006081905番組内ではフラダンスの先生とだけしか紹介されていなかったんですが、その画面に出ているサンディー先生って....、かの「サンディー&サンセッツ」というバンドのボーカルをやっていたサンディーさんじゃないっすか。
バンド自体、1980年代初期だったと思うので、20年ぶりぐらいに見たって感じなんですが、あの濃い化粧のサンディーさん、そのまんまでした。
本当に番組内ではフラダンスの先生という状態だったんですが、そうかそうか、そんな事になっていたのか。(もしかしたら、番組スタッフもこの人がそんな過去があるなんて知らないのでは?)
なんか、パーソンズのボーカルだったジルが普通に「踊る!さんま御殿」に出演して、自己紹介以外では一言も喋らず番組が終わった時(たぶん編集で全カット)以来の衝撃でした。

2006081904などと、20年も前に思いをはせてしまうのだ「あぁあの頃は無責任で幸せだったなぁ」などと、シミジミしてしまうのは、やはり心が折れているからですか?
そんなワケで雑記も滞ってしまったり、文章もヘロヘロだったりしますが、なんとか生きている訳であります。
それでなくても毎年夏になると体力が底に落ちるワケですが、今年の落ちっぷりは尋常じゃないっす。
なんとかせにゃあかんな。

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2006年8月18日 (金)

ジョンベネ事件:ロリコンに関する話

10年ほど昔にアメリカで有名だったチビッコが殺害された事件の犯人が逮捕されたとの事で話題になっている。


「あの当時、アメリカだけではなく日本でも大騒ぎだった事件」とTVで言っていたけれど、騒いでいたのはワイドショーだけだったんじゃないかと思います。
もっとも現時点では事件について本を出した人の所へ、当事者しか知り得ない事を書いたメールを送ったという部分だけが犯人の決め手で、逆に「薬で彼女を」と発言している部分が「事件後の解剖で薬の反応は無かった」として、本当に犯人なのかどうかが解らなくなっているらしい。

この手の「犯人しか知り得ない事実」というのは、かの「TVのチカラ」でも「通報があった電話が真実かどうか?」と見極めるために、ワザと情報を発表しない部分もあるとの事。
しかし現在は「犯人しか知り得ない」ハズの事実が、それらを扱うような掲示板でいつの間にか公然の秘密になって「なぜこの事を報道しないのか?」などと書かれたりするので、それらの見極めも難しくなってきている。

でも、このロリコン犯人は学校の先生で、この事件を起こす前にも複数の学校でロリ事件を起こし学校を転々としていたらしい。さらに、この10年間同じような状態で、現在も新しい幼稚園だかの教員として勤め始める直前だったとか。
って、そんな犯罪者に関しての学校間の連絡網は出来ていなかったって事?次に同じような事件を起こす可能性がある人間を学校が雇ってしまうってのは。

先日、8月9日にも神奈川県の保育園勤務の保育士(男性27歳)が、幼児をトイレに連れて行った際に下半身の写真を撮影したとして逮捕され、余罪がゴッソリと出ている。
それ以前から同じような事を繰り返していたらしいんですが、写真を撮られた女児(5歳)が「保育園で先生から変な格好で写真を撮られた」と親に言ったことから発覚したとの事。

子供が好きだから保育園・幼稚園の先生になるというのは昔から当たり前にある動機なんだけど、その「好き」がLIKEではなくLOVEってのが困り物なのだ。
事件が発覚するまでは、そんなのよく解らないし。

ロリコンという言葉が一般的になったのは80年代の初頭だったと思う。あの時代のロリコンの象徴は「吾妻ひでお」って事かもしれないけれど、今と違っておおらかな時代だったなぁとしみじみと振り返ってしまうのだ。ってロリコンについてしみじみされてもって感じすか?

なんせ今ではアンダーグラウンドでも厳しい状態なのに、一般書店で売っている少年雑誌に普通にロリコン漫画が掲載されていたという、今の倫理観で言ったら考えられない状態だった。
当時、それまで自販機漫画で書いていたエロ漫画家がいきなり少年チャンピオンで連載を(しかも内容は自販機漫画と変わらず)始めたり、まさにあの時代の流行語「ほとんど病気」だったワケです。
しかも自称文化人的な人で「私はロリコンである」的なカミングアウトしちゃうことすら「有り」の風潮があった。

そんな中、やっぱり負けず嫌いの手塚治虫という人が「手塚流ロリコン漫画」として『プライムローズ』というSF漫画を書いています。(しかもロリコン漫画を堂々と連載していた少年チャンピオンで)
もっとも手塚という人は本質的にロリ系で、さらに詳しく言うと「妹系」「男装の令嬢系(両性具有?)」が好きな人で、それは多くの作品に見え隠れしている。男装ってのはやはり、子供時代から親しんでいた宝塚の影響だと思うけど。

自分は基本的に「若いおねえちゃん」は好きだけど、若すぎる子供にはそういう感情は全然ないっす。
なんせ20歳の頃ですら「高校生とかってガキすぎてダメ、受け付けない」とか思っていたような人っすから。
なにはともあれ、自分には理解できない範疇の事件なのだ。

ロリコンの豆知泉

ロリータコンプレックス《Lolita Complex》と称される人には本来29歳以下の人は存在しない。その定義が《9〜14歳の少女に対して性愛を感じる20歳以上年齢の離れた男性の症状》とされているため。
(つまり保育園の事件などの犯罪はロリコンではない。あれは少女愛ではなく幼女愛。愛という言葉が相応しくないような気もするけど)

ロリータコンプレックスのロリータという言葉は中年男の少女愛を書いた小説「ロリータ」からきている。ちなみに作者はナボコフ。

ロリコン作家の代名詞とされるルイス・キャロル。その著作「不思議の国のアリス」をロシア語に訳したのが、「ロリータ」作者のナボコフ。

もっとも、ナボコフの「ロリータ」は少女愛を扱っているがエロ小説ではないので、そっちを期待して読み始めると落胆する。

少年チャンピオンにロリ漫画を連載していたのは
内山亜紀。実は最初にチャンピオンから連載依頼があったときに、エロマンガ誌の連載が多忙だとして一度断っている。(どうしてもという事で、破格の原稿料で連載を引き受けた。そこまでして連載して欲しかったのか)

少女愛に対する少年愛「ショタコン」があるが、そっち系の漫画や小説などに登場する少年は一般的にありえない様な「香実瑠」「朱磨緒」などの名前が多いが、ロリコン系作品は一般的にありがちな名前が使われる事が多い。
これはショタコンがファンタジーなのに対し、ロリコンが現実の反映だからと言われている。

ちなみにショタコンの「ショタ」とは半ズボンで鉄人28号を操る少年・金田正太郎から来ている。もっとも、ここで言う正太郎くんは漫画版でも初代アニメ版でもなく、80年代にリメイクされたアニメ版から。

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2006年8月17日 (木)

たにしむすこ

日本の民話では、夫婦に子供が授かり、その子供が特殊な能力を持っていて、その結果色々あって、お金持ちになって、めでたしめでたしと言うパターンがある。
その手の話には、そんなにバリエーションは無いとは思うんだけど、今回ちょいと読んだ絵本の中に書かれていた『たにしむすこ』って話は凄い。


やはり、昔から広く知られている話ってのは、長年語り継がれている間に色々なバリエーションを産んで、軌道修正され、洗練されていくのだなぁと思ったのだ。この『たにしむすこ』はセンスもオブもワンダーも無い。読後感は「唐突」の一言に尽きるのだ。
2006081701まず物語は、お決まりのように「子供が欲しい」と願う夫婦から始まる。
で、別段神様と何か取り引きをしたとかではなく普通に子供が授かるのだが、生まれてきたのが何の前触れもなく「たにし」。田舎の川などに棲息している貝のアレ。絵本を見る限りでは「タニシから生まれたタニシ太郎」みたいな状態ではなく、タニシそのものが「生まれた」となっている。
2006081702いきなりタニシを産んだ夫婦は当たり前のようにそれを受け入れて育て始める。
普通だったらそこで(普通には生まれませんが)「なんか変な病気なんじゃないのか?」とか「おっかあ、タニシと浮気したでねえか?」「いんや、おめさが前世で悪さしたから、こったら子が出来たに違ねえ」などと一悶着ありそうなのだが、この夫婦は平然とこれを事実として受けとめて育て始める。

で、通常の民話だったら、このタニシが超人的な力を発揮し、鬼とかを征伐して、村のヒーローになってお姫様と....となるんだろうけれど、この無名の話はそんな予定調和を突き放していく。
2006081703ある日タニシが父親に「薪(マキ)を馬に積んで町で商売をしたいので、馬を買ってくれ」と言い出す。この父親はその言葉に従い馬を買ってやる。さらにタニシはタニシでしかないので薪を取ってきて馬に積み込むという過保護ぶりなのだ。
そしてタニシは町へ出かけ、どう商売をしたのかは不明だが薪を売って戻ってくる。

そこでとんでもない事を言い出すのだ。
「町で問屋の三人娘を見初めたので結婚したい。だれかひとり嫁にもらってください」と、おまえタニシという分際わきまえているのか?状態なのだ。金持ちの、しかも三人娘のどれでも良いみたいな、完璧に上から見おろした発言。
普通の民話ならば、何かを成し遂げた末に金持ちの娘と結婚するのだが、このタニシはいきなりゴール地点を要求する。

これにはさすがに父親も「しかしお前はタニシなのだから」と言い出す。そりゃそうだ、タニシなのだから。
その時タニシはいきなり「縁談の話を進めてくれないのなら、オラ囲炉裏に飛び込んで死にます」などと、アホな「運動会中止にしろ」レベルの中学生みたいな事を言い出すのだ。

父親は渋々と町へ出かけ、問屋に「うちのタニシとお宅のお嬢さんを是非結婚させたいのだが」と切り出す。
そこで何故か庄屋は「あの薪を持ってきたタニシか、よかろう」などとトンチキな事を言い出すのだ。何かが狂った世界観が展開している。
2006081704長女は「私がなぜタニシと結婚しなくてはいけないのですか?」と拒否。次女も「タニシの所へなんかいきません」と、人として当たり前の態度を示す。しかし絵本ではその二人の娘がなんか嫌な女っぽく描かれている。
そんな中、三女は「お父さんがそう言うのなら、タニシの嫁になりましょう」などと言い出し、あっさりとタニシと金持ちの娘の縁談がまとまってしまう。
当たり前に考えれば、タニシと結婚してもいいと言い出す三女って、なんか頭のネジが外れているような気がして、実際にそんな事を言い出す女がいたら怖い。

そのまま普通に夫婦生活が始まったワケですが、ある日となり村で相撲大会が開かれるのでそれを見に行く事になった。
その途中にある橋のたもとに鉄の棒をくわえた蛇がいた。
いきなりタニシは嫁に「あの鉄の棒を取ってくれ」などと、またしてもワガママを言い出す。
無理難題を渋々聞いてなんとか鉄の棒を手にいれた時、いきなりタニシが「その棒で私を叩きつぶしてくれ」と、さらに無茶な事を言い出す。
ためらう嫁に「いいから早く叩きつぶしてくれ」と催促をするタニシ。
タニシと結婚する女と、俺を叩いてくれと要求するマゾのタニシ。
2006081705嫁は「そこまで言うのなら」と鉄の棒でタニシを叩きつぶすのだ。おいおい、自殺幇助か?
そこで物語はいきなり大団円を迎える。
そのとたんにタニシは背の高い青年になりました。それから嫁と青年は仲良く暮らしましたとさ。
話の中心が見えない....。
2006081706普通の夫婦に別に何も悪いことも良い事もしていないのにタニシが生まれ、そのタニシが何故か本来は背の高い青年だったと。
悪い魔法使いに姿を変えられとかでもない、それ以前にタニシである必然性がどこにも無い。
民話って凄いっす。奥が深すぎて、何を言いたいのかよく解らないっす。


タニシの豆知泉
昔からの迷信的民間療法でタニシは重宝されてきた。 たとえば肺炎になった時は「タニシを石の上でつぶして呑む(福島県・茨城県)」「シジミやタニシの煮汁を飲む(鹿児島県)」「タニシの殻をとってつぶしたものを搾りぶどう酒を混ぜて飲む(和歌山県)」、結核になった時は「タニシとニンニクを練りつぶして飲む(愛知県)」などの方法が言われてきた。残念ながら医学的効能はほとんどない(いわゆる偽薬効果・プラシーボはあるかも知れないけれど)
食の大人・北大路魯山人は幼少のころ医者にも見離されるような大病を患ったことがある。虫の息で好物だったタニシを食べたがったので「どのみち助からないから」と家族がタニシを食べさせたら治ってしまった。 そのため、命の恩人である(と勝手に信じていた)タニシを北大路魯山人は好んでいた。が、北大路魯山人の死因は宿主のタニシからもらったカンゾウジストマによる肝硬変。
貝原益軒の『養生訓』には、食い合わせの悪い例が色々書かれているが(トンデモが多い)、豚肉とタニシをいっしょに食べると眉毛が抜けてしまうらしい。(なんじゃそりゃ)
手塚治虫が博士号を授与されたときの論文のタイトルは「異型精子細胞における膜構造の電子顕微鏡的発生機序」。解りやすく言うと「タニシの精子の研究」
ちなみに手塚治虫は医学博士号で医大を卒業して医者の免許を持っている的なことをよく言われるが、それは正しくない。 手塚が卒業したのは「大阪帝国大学医学専門部」で、「大阪医大」でも「大阪大学医学部」でもない。医学専門部というのは太平洋戦争中に軍医が不足してしまったために、医学部とは別に急遽造られた特別な学科で、手塚が卒業したのと同時に廃止になっている。卒業しても取れる資格は専門学校卒レベル。 (逆にこれが手塚のコンプレックスだったとも言われる)

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2006年8月16日 (水)

靖国問題と平和ボケの私

小泉ちゃんたら本当に頑固者なんだから。


そこまでして靖国神社に参拝しなくちゃいけない義理も道理も無いような気がする。
でも逆の見方をすれば、小泉純一郎という人が靖国神社にこだわらなかったら、そこに戦没者とA級戦犯とされる人たちが合祀されているって事に関しての議論はここまで巻き起こらなかったと思う。

それまでの首相にしても、他の政治家にしても「あんまり触れちゃいけない場所」的に、自分の任期の間はとりあえず波を立てるなよ状態だったような気もする。
小泉の前に靖国に参拝したのは、中曽根だけれど、中曽根も1回参拝した直後色々批判されたり中国との国際的な色々があるので「とりあえずもう行かねぇよ」という形になった。

ま、靖国神社といういわゆる天皇を中心にした宗教・神道の場に戦没者を祀ってしまった段階で色々あるんだと思う。
ただの戦争に関する人々の慰霊で、宗教色が一切無い場所だったら問題はもっと簡単だったんじゃないかと思うのだ。

難しい問題だけど、A級戦犯っていう判断自体が戦後アメリカが「ここからA級ね、こっちはセーフ」と線引きしただけで、その辺の判断はなんか曖昧っぽい気もする。
結局、戦争が終わった時点で生き残っていた軍部の人が裁判にかけられて、その結果東京裁判で「A級戦犯」という肩書きを付けられてしまったわけで、それら処刑された人が靖国に祭られているってどうよ?って話でしょ?
じゃ、戦争が終わる前に死んじゃって裁判にも掛けられなかった軍部のバリバリ戦争推進派だった人の事を問題にしないの? そっちの人も靖国には祀ってあるんじゃないの?
「戦争を起こした責任」という部分で揉めるのなら、そっちまで遡らなくちゃ。

自分は、あんましそれについて深く考える気が無い。戦争を知らない世代なのであんなに揉めるってのもよく解らない。(同世代やもっと下と思われる世代の人がネット内で暑くなっているのを、凄ぇなあと思って見ている)
実際の事言えば、小泉純一郎も1942年生まれなので、戦時中に生まれているけど、実際には戦争を知らない世代なんすけどね。

それ以前に、次期首相に関する論点が「靖国に行くか行かないか」ってのが大きいって段階で、この国の政治家はアホばかりですかい状態です。
イデオロギーとかじゃなくて「靖国に行かないような波風を立てない人を首相にすべき」と言っているみたいな感じ。心の中でどう思っているかは別として。

先日、休みだったので久々に見る事が出来た「太田光の私が総理大臣になったら...」で「日本・中国・韓国などで共通教科書を造ろう」みたいな提案がされていたけれど、各国の共通認識は難しいっすよ。
第二次世界大戦に関しては、まだあの時代の生き証人も山ほど生きているので、双方の意見をまとめる事は難しいって感じなんだけど、双方の生き証人がいないような、豊臣秀吉の朝鮮出兵だとか、鎌倉時代の元寇だとかですら、双方の歴史の中では全然違う見解で語られているんだから、永遠に共通認識は無理っすよね。

しかし小泉が靖国に行ったことで、あっちの国は「日本は軍事主義に逆戻りしようとしている!」と騒いでいるけど、未だに徴兵制のある国に言われてもねえとか思ってしまうのだ。(逆に平和ボケの私なんかは、それら報道を見て、そこで激昂している人々って軍国主義っぽいよなあと思ってしまうワケで)

突然思い出したけれど、「3年B組金八先生」で初代生徒の卒業後の単発ドラマで、それは...というのがあった。(1982年10月8日放送)
本編の方でも、生徒(近藤真彦など)がイベントで特攻隊の格好をしてカッコつけていたのに対し、校長の赤木春恵が戦争時代の話で諭すというのがあったけれど、その単発ドラマの中では、3B卒業生が進路として「俺、自衛隊に入ろうと思うんだ」というのに対し、金八を含めてみんなで寄ってたかって反対するエピソードがあった。

あげくの果て「自衛隊に入るって事は戦争に協力するのと同じことだ」などと言い出す始末。
よくあんな内容を放送出来たなぁという感じ、自衛隊が悪の組織そのものって感じの扱いで。逆に言うと、80年代初期の平和ボケだったからこそ、ありえた内容だったのかも知れない。

ちなみに、ドラマの中で特攻隊の服を来た近藤真彦が、ドラマとは関係なくその時に記念撮影していた写真がどっかから流出した事があった。
それを某写真週刊誌が「近藤真彦が特攻服を着てイキがっていたヤンチャ時代」とあたかも暴走族にでも入っていたかのようにスクープして笑い物になった事もありました。

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2006年8月15日 (火)

ドンッと鳴った花火と散弾銃

茨城県で花火の音がうるさい!と言うことで、いきなり散弾銃を持ち出し実弾2発を撃った67歳の男が逮捕された。


13日の午後7時30分頃に、田んぼのあぜ道で実家に帰省していた36歳の男性が家族たちと花火をしていた所、近所に住んでいた容疑者67歳が「うるさい!」と言うことで、犯行に至ったらしい。
とりあえず容疑者も「当たらないように狙いを外して撃った」と供述している事から、けが人も出ずにすんでいる。

しかし、うるさいといっても花火は夏の風物詩でもあるし、我が家の前に空き地があるって事で夜な夜な花火大会が開催される事もあって、ぴゅるるるるるるパンッ!とか笑い声叫び声などが聞こえて来ますが、そんな気持ちになった事はないなぁ。
ま、一人で鬱々としていた時に...て事だったのかもしれませんが、そもそもそんな短気な人に銃の所有を認めちゃいかんよ。

花火の豆知泉

江戸花火と言うと「鍵屋」「玉屋」が定番だが、実は「玉屋」は1843年に火事を出して江戸所払いの刑を受けて潰れた。

玉屋が幕府によって追放になったことで反権力好きの江戸の町民は玉屋がなくなった後も鍵屋の名より「たーまやー」の方を大きく叫んでいた。

「玉屋」はもともと鍵屋の手代・清吉が独立して出来た花火屋だったんですが、その一代かぎりで終わってしまった。

花火大会の元祖は静岡県。駿河城で徳川家康が行った物が元祖とされている。

隅田川での川開きの花火は享保年間に大飢饉が起こり、コレラが大発生した事で、それを慰霊するためにはじまった。立案者は暴れん坊将軍こと徳川吉宗。

江戸時代の花火は単色だった

単色の花火は「和火」と呼ばれ黒色火薬で作られ、色がある花火は明治時代になって西洋から色を付けるための添加剤が輸入された事により「洋火」と呼ばれる。

1984年、ロサンゼルスオリンピックの閉会式で花火を上げたのは新潟県長岡市の花火師。

花火を作る花火師の正式名は「煙火打ち上げ従事者」。

運動会の朝に、運動会を決行する合図として花火が使われるが、実は、あの花火は先生が打ち上げることができない。花火師、または専門の業者の人でなければ打ち上げられない。

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2006年8月14日 (月)

立派な犯罪

公金を役場ぐるみで横領して、あげくの果ては使い切れなくて燃やしたり捨てたりした事件。


朝の番組で役者で政治家で作家で木枯らし紋次郎の中村敦夫がこれに答えていたんですが「これは立派な犯罪ですからしっかり究明すべき問題で」などと答えていた。
それを聞いて、「自分の事は棚に置いて、他人の言葉尻をとる男」という面倒くさい私は「立派な犯罪って言葉の使い方はおかしい」などと思ったりするのだ。

犯罪に対して「立派」というのは変な話。ここで使うべき語彙は「歴とした犯罪」ですねなどと、こんな事を言い出すときっと嫌われるぞという事を思ったりする。
ちょいとGoogleで「立派な犯罪」を検索してみると、約94,300件がヒットする。たぶんその中には今回の雑記のように「立派な犯罪って使い方って間違っている」という文章もあるんじゃないかと思うんですが、ヒットした物をいくつか読むと、あきらかに普通に「万引きは立派な犯罪です!」とか「落書きはアートじゃない、立派な犯罪だ」とかあるわけで。
(「立派な犯罪、見事に失敗」ということで、本来は間違った用例として、強調する意味で使われている、と説明しているページもある)

言葉ってのはリズム感がある場合、何も考えずに「なんか普段耳にしている」という状態で使ってしまう事もある。
仕事の場で「あの仕事終わった?」「はい、とりあえず終わってます」などと言う返事がある。「とりあえず」って何?ちゃんと終わってなきゃダメじゃん、と思うんだけど、なんか自分も使っていそうな気がする。あと「一応」とか。
気がするってのは、あまり何も考えずリズムで会話しているからなのだ。

とりあえず「立派な犯罪」というのは、大名屋敷から金を盗み出して、それを貧乏な庶民に分けて与えたねずみ小僧のような犯罪を言うのだ。(それもチョイと違う)

ねずみ小僧の豆知泉
1832年08月19日:鼠小僧次郎吉が鈴ヶ森刑場で処刑される。

芝居などでは「義賊」となっていて、大名屋敷から金を盗んだねずみ小僧は長屋などでそれを蒔いたとされているが、実際にはほとんが女かバクチで使い果たしている。庶民には配ったという記録はない。

義賊となったのは、庶民から盗まず大名ばかりから盗んだために「いい気味だ」と思われたため、死後に芝居で脚色されたもの。

ねずみ小僧は大名屋敷専門の泥棒で、進入した屋敷は71ヶ所、被害総額は12000両。今の金額に換算すると数十億以上とされている。

両国の回向院にある鼠小僧次郎吉の墓はギャンブラーなどが御利益あるとして削りとっていく事で有名。それで何度も建て直しているため、今では、削り取り専用の墓石が据えられている。

鼠小僧の処刑より27年前の文化二(1805)年に小塚原で獄門にかけられた大泥棒・鬼坊主清吉も死後「清吉大明神」として江戸の人々に信仰された。

江戸時代、10両以上盗んだものは死罪になった。

実は、10両盗んで首が飛んだのは夜の泥棒だけ。昼間泥棒を働いて何両盗んでもタタキ放しの刑程度だった。昼間盗みに入られるのは被害者の不注意にも原因があるとされたため。

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2006年8月13日 (日)

アナログレコード野郎だぜ

そんなこんなで、東京へは美術学校時代の友人と「VIVA! アホは大人になってもアホのままなのだ大会」を開催する為に行ったわけですが、そこで学生時代ぶりの友人O氏も参加、本当に久々。なんつーか、学生時代の友人ってのは永遠っすね。


社会人になってからのつきあいって、会社が変わるとなんか疎遠になったり、元々微妙な上下関係があるので心からつきあえないと言うか。

現在自分は精神的に微妙な状態をキープしているんですが「昔を振り返って懐かしんじゃう自分が嫌だ」とか「昔の自分とクリエイティブに向き合う姿勢は変わっちゃいねえぜ」とか「あの時代の自分が今の自分見たらどう思う?」とか、もーいろんな事がゴチャゴチャしちゃっています。
もっと物事を単純にしなくちゃいかんなぁ、とは思っているんだけど、現実はチビしいや。

そんなこんなではあったんですが、前日にも書いたようにもう一つの目的は「中古レコード店めぐり」という事なのだ。
もっとも自分の場合は「希少価値でお宝」みたいな物はあんまり興味無い。純粋にあの時代の音楽とそれにまつわる物を色々収集分析して、ここで発表したいって部分が多い。

レコード棚、その一部でやんす
2006081302たぶん、自分のレコード棚をひっくり返すと「オークションに出せばン万円になるぜ」的な物もあるんだろうけど、そこには興味ないし、そもそも売る目的では収集していないのだ。
だから、買う時も「元値以上の値段になっているものは買わない」という最低限の括りがある。というか、金無いし。

しかし、やはり東京だよなあと思ったのは、ワゴンセールの中にも「今まで見たこと無い」という物があるということ。田舎の中古店は、そこそこ流行った物しか置いてないっす。
それ以前に、地元にあった中古レコード店は次々とつぶれ、リサイクル店もレコードを扱わなくなったりして、ほとんど入手する手段が無くなりつつあるので、稀少とかなんとか言っている状況ではないのだ。

シングルレコード(約2000枚)
2006081301とりあえず今回、友人T氏と「もう聞くこともないので杉村の所へレコード送るよ」などと約束をしたのだ。今までもそれ以外の友人から「入らないから」と譲り受けたりしているワケですが、なんとかそれらをブログなどで分析したり評論したりして、役に立てていけたらなぁと思ったりしているワケでやんす。
値段が高い物は買わなかったんですが、それでも今回だけで1万5千円ほど中古レコードを購入してしまった。そんな私はアホですか?

もし「レコードいらない」という奇特な方がいらっしゃいましたら是非くださいませ。三島周辺で直接取りに行けそうな距離でしたら出張いたします。
あるいは、清水町にある杉山バラ園・エルローザ「杉村宛」でお持ち下さいましたら、手厚く保護して未来永劫管理し、レコードの余生を送らせてあげたいと思っております。(それで商売しようなんて事は一切思っていないっす)

杉山バラ園・エルローザの住所とマップ

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2006年8月12日 (土)

土砂降りの雨の中

またしても嫌なコレクター趣味が疼き始めてしまったと思っている。


それでなくても「整理が付かなくてどーすんだ俺」的に思っているのだが、またしてもコレクター道に足を踏み込んでしまった。
このブログで週に1・2回のペースで『知泉的音楽夜話』として、レコードジャケットをワシワシと羅列して、身にならないような音楽話を書いていますが、その関係で「もっとレコードを発掘するもんね」と思ってしまった。

そしてワザワザ東京へと出かけ、中古レコード店巡りを開始してしまったのだ。と言っても、値段が高い希少価値レコードなんかは手が出せないので、基本的にワゴンセールばかりを狙うのだ。
20060812a
そんなこんなで、東京駅から友人キヨハラ氏に電話し「じゃ高円寺で」と落ち合う場所を決め中央線に乗った。なんかジメジメと湿度が高く梅雨が戻ってきてしまったかのような状態。
快速で中野駅まで進み、お隣の高円寺までは電車を乗り換えて進む。
20060812b_2
中野駅に到着した時、ホームから見える空は半分は灰色で、残りは開明墨汁をこぼしたかのような真っ黒な雲が空を覆っていた。
どこかで雷が落ちているのか、低い音が空に響いている。
6番ホームから1番ホームへと移動するため、1度エレベーターで下がり、再度ホームへ上がってきた時、風景は一変していた。
20060812c_2
どしゃ降りの雨が約45度の角度でホームを吹き荒れていて、屋根があるのにまったく意味を成していない状態。みんな階段の登り口やキヨスクなどの角に緊急避難をしているのだ。
さらに、今まで聞いたことがないようなドッシャンガラガラバリバリ!という雷ってこんな音だったっけ?状態の重低音が閃光と共に訪れる。
さっきまでも確かに天気は良くなかったけど、ここまで急激な変化って...。
そう言えば、去年、台風ではない時期の集中豪雨で川が氾濫して床上どころか、天井近くまで水が着いた場所って中野区だったよね。
たしか「糞尿を庭にまき散らしている迷惑男って中野に住んで居るんだよね、あそこってどうなった?」みたいな事を去年の雑記に書いた記憶もある。
中野は集中豪雨の名所なのか?
などと思いながら、ホームに出来た僅かな避難所で電車が来るのを待つのであった。
20060812d_2
なんとか高円寺にたどり着き、そこでキヨハラ氏と落ち合いm駅構内にあるコンビニで傘を購入したんだけど、それからしばらくして雨は上がってしまった。この天気の急激な変化はまさしく熱帯地方のスコールって感じなのだ。いやはや。
などと思っていた時、同じく待ち合わせをしていた友人リンジ氏は山手線が豪雨と落雷のために運行休止となっている渦の中に巻き込まれていたのだ。

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2006年8月11日 (金)

8月11日の出来事(知泉)

20060811
前畑ガンバレの日
☆スポーツ中継の日
めんの日[毎月11日]
8月11日の歴史的出来事
8月11日生まれの著名人

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椅子引き裁判

鳥取県で起こった事件。
昨年の7月、スポーツクラブにアルバイトで勤務していた30代の女性が、事務所で食べ物を受けとるために椅子から腰を浮かせ、受けとったところで座り直そうとした際、上司が椅子を引いたため、そのまま尻餅をついてしまった。
その時の打ち所が悪くて、下半身にしびれを伴った激痛が走り動けなくなってしまった。その後、治療を続けているが股関節の機能が不全となるなど運動障害が現在も残っているとの事。
なんつーか、子供時代にはありがちなイタズラなんですが、大人になってまでこんな事をやっている人がいるとは...。
って、昔勤めていた職場にやっていた人がいた様な気がする。おそらく、やっている人は「コミュニケーションの一種」だと思いこんでいる節があるんですが、周囲はただ「ウザイ」ぐらいにしか思っていなかったような気がする。
大人になっても、後ろからのヒザかっくんや、意味無く腹周辺へパンチを入れる振りをする人は現実に存在する。
その人にとってはもうコミュニケーションというか、当たり前の挨拶みたいな感じかもしれない。
でもそれって「コミュニケーションを取るのがヘタ」って感じなんですけどね。


椅子の豆知泉

イスと言う漢字は中国語起源で、実は「椅」だけでイスを意味している。
中国語では1音だけの言葉に発音しやすいように2音にして「子」を付ける事がある。例として「扇子」「帽子」なども。

ロケット工学の権威、糸川英男博士の発明品のひとつに「女性が腰掛けるだけでエクスタシーに達してしまう椅子」というのがある。低周波を利用したものらしい。

首相官邸に置かれている総理の椅子は、ドイツのヴィトラ社製「イマーゴ」と言う椅子で、54万円(2003年現在)。

雷の実験で知られるフランクリンは「揺り椅子」の発明者でもある。

映画「12モンキーズ」は公開した後で、28日間公開中止になった事がある。作中にチラッと出てくる椅子を見たあるデザイナーが「自分のデザインした椅子に似ている」と主張したため。(量産タイプなら問題無いが、デザイナー系の物は色々と面倒な事が多いらしい)

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2006年8月10日 (木)

8月10日の出来事(知泉)

20060810健康ハートの日
道の日
トイレの日
帽子の日
宿の日
ホームヘルパーの日
LPガス消費者保安デー[毎月10日]
植物油の日      [毎月10日]
エクアドル:独立記念日
8月10日の歴史的出来事
8月10日生まれの著名人

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酒井ゆきえ「ママとあそぼう!!ピンポンパン」

Sakaiyukie01酒井ゆきえ/あたふたバンバン他
作詞.山元譲久/作曲.小林亜星
コロムビア/1976年9月/¥700


最近はアナウンサーのタレント化が激しくて、ほとんどアナウンサーとしての仕事をしていないで、バラエティ番組でしか見かけないという人もいますが、もしかしたら酒井ゆきえさんはそれの元祖って事なんですかね?
とりあえず1975年に山脇学園短大英文科を20歳で卒業していて、その年の4月に新卒入社でフジテレビに入社している。肩書きはアナウンサーって事なんですが、その年から「ママとあそぼう!!ピンポンパン」の3代目おねえさんとしてキャリアをスタートさせている。

Sakaiyukie02このピンポンパンは初代おねえさん渡辺尚子さん(1966〜1971年)もフジテレビアナウンサー(旦那はTBSアナ料治直矢で、フジ退職後はTBSのお天気キャスターになった)、2代目の石毛恭子さんも、4代目大野香菜さんも、5代目井上佳子も全員フジテレビのアナウンサーという事になっている。

酒井さんはピンポンパンを1975年から1979年までつとめていたのですが、入社1年目からおねえさんを担当し、番組降板した1979年にフジテレビも退社しているので、アナウンサーという肩書きだけど「契約タレント」という扱いだったのかもしれません。(なんせ、おねえさんデビューが入社してすぐの4月7日)

トッポジージョとの共演
04_2自分的には酒井さんがピンポンパンをやっていた時代はすでにその手の番組を見る年齢は卒業していたのでほとんど記憶がないのですが、80年代に入って単行本化された大友克洋の漫画の中で描かれていたり、逆に降板後にフリーになって色々な番組に出るようになって認識をした。

ピンポンパンのレコードってのはかなりの数出ているんですが、どうも2代目の石毛恭子さんのものは頻繁に見かけるのですが、酒井さんの物はあまり見かけません。
おねえさん的にはあんまり歌が...って事なんですかね?(酒井さん時代のレコードは小学生グループ「ビッグマンモス」が歌っている曲が多い)

01_4ちなみに「ピンポンパン体操」が大ヒットしたのは1972年の事で歌っていたのは石毛恭子さん。フジテレビの番組から生まれた曲なのですが、童謡として異例の大ヒットとなったのでTBSのレコード大賞童謡賞を受賞している。(作詞.阿久悠/作曲.小林亜星)

2代目おねえさん:石毛恭子さん
2_9もっともこの曲は純粋に番組で子供達が楽しんで大ヒットしたと言うワケではなく、当時なぜかキャバレーなどの風俗店で使用されて夜の街でも大ヒットしたらしい。
ちなみに「ピンポンパン体操」はドリフターズもカバー曲を出している。(「ドリフの真っ赤な封筒」というシングルB面曲)

初代おねえさん:渡辺尚子さん
Photo_18とりあえず2代目おねえさんが石毛さんと書いていますが、実際の事を言えば渡辺直子さんの時の番組タイトルは「みんなであそぼう!ピンポンパン(1966〜1971年)」、渡辺直子さんのレコジャにも「みんなであそぼう!ピンポンパン」となっています。で、石毛さんの時からが「ママとあそぼう」です。

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2006年8月 9日 (水)

8月9日の出来事(知泉)

20060809野球の日
長崎原爆の日/長崎原爆忌
ハリ・灸の日
世界の先住民の国際デー
駐車場の日/パークの日
形状記憶合金
南アフリカの婦人闘争と国際連帯の日
クジラの日[毎月9日]
8月9日の歴史的出来事
8月9日生まれの著名人

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自信の逸品はいかがですか?

男は常に女を求めさまようジプシーなのだ。


ということで、色々な事件が叫ばれている中でも万人単位の人がネットのスパムエロ広告に引っかかっているご時世ですが、やはり常にアンテナを張り巡らせて「なんとか」と思っている人もいるんでしょうね。
20060809za今年1月から5月にかけて、西東京市の書店でブックスタンドにある女性誌の間に、自分の一物を撮影した写真とそれに「もっと見たければメールを送ってね」とアドレスを記載したビラを勝手に挟み込んでいたという事で37歳の男が「わいせつ図書陳列容疑」で逮捕された。

とりあえず現在までに判明しているエロ広告を挟んだ雑誌の数は45冊。たぶん、これよりもっと多くが挟まれていたと思われる、というのも、そんなあり得ない状態なのに連絡を入れてきた女性もいたらしいのだ。(本当に女性かは不明。雑誌を購入した女性の彼氏が犯人をとっちめる為に連絡した可能性あり)
この犯人(現在とりあえず容疑者)は犯行の動機として「女性と交際したかった」と語っている。そうか、交際するのにそんな方法があったか!

しかし、連絡して来てちょ!とアドレスを書いていたので、犯人の特定はいとも簡単に出来たのだ。そりゃそうだろって、もしかしたら何も考えずにマジに「こんな凄い手があるなんて誰も気が付かなかったのか!」と世紀の大発明のように考えていたのかも知れない。

似たような間抜けな例では、某印刷所にアルバイトで入った男が犯した事件がある。
その印刷所で刷っていた単行本に折り込む予定だった、読者プレゼントのハガキをこっそり大量に持ち帰り、せっせと応募していた男がつかまった。
なんせ、その単行本が発売される前から出版社に「面白かったです」とか適当な感想を書いたプレゼント応募ハガキが大量に送られてきたのだから、そりゃ発覚もするさ状態。
しかもご苦労なことに、そのハガキには犯人の名前・住所・電話番号までシッカリと書かれていたわけで「捕まえてね」と言わんばかりだったそうで。

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2006年8月 8日 (火)

8月8日の出来事(知泉)

20060808
フジテレビの日
ヒゲの日
そろばんの日
タコの日
パチンコ供養の日
ひょうたんの日
パパイヤの日
デブの日
笑いの日
親孝行の日
まるはちの日/尾張徳川家の日
発酵食品の日
白玉の日
プチプチの日
かわらの日
地球歌の日
屋根の日 [毎月8日]
果物の日 [毎月8日]
米の日  [毎月8日・18日・28日]
歯の日  [毎月8日・18日・28日]
8月8日の歴史的出来事
8月8日生まれの著名人

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亀田父VSやくみつる

試合から1週間、判定に関していまだに囂しい(かまびすしい)かぎりであります。
そんな中、当初から亀田陣営に関して批判意見を言い続けてきた漫画家やくみつる氏が生放送の番組で亀田父とぶつかったとの事。
20060808za_1テレビ朝日の「スーパーモーニング」に亀田父・史郎氏が「バッシングに意見する」として出演した。それにレギュラーだったやく氏が受けた形で、いつものファッションではなくアロハ系シャツを胸をはだけネックレスを見せ、サングラスをして「チョイ悪」どころではなく、ヤーさんスタイルで対した。
そして「土産があるんや。金亀印のしつけ糸や。これでカメをしばっとき」とタコ糸を突きつけた。これは当然のことながら、いつも亀田陣営が試合直前に相手選手に対して行う挑発的なデモンストレーションに対するアンサーで、やく氏もたぶん「くだらない茶番劇的な挑発だよな」と思っているんだろうけど、それをあえて行ったのだと思う。


先日の試合でも、相手選手が「ベイビー」と愛称で呼ばれるらしい事からキューピー人形を渡したが、翌日の計量で紙おむつとおしゃぶりを逆に渡され、「てめえやんのか?」と怒り心頭に発して毒づいたという事があった。ま、やるために来日しているんですけど。
今回もブチ切れて「オレは話し合いにきたんや!ケンカならいつでもやるで!表出るか!?」と切れたらしいんですが、同じ事をアナタの息子は相手選手に対して毎回繰り返しているんですけどね。

さらに「(息子に)まずは口のききかたを教えた方がいい」「安っぽいドラマを1時間半も見せないで欲しい(試合があった2時間の番組の3/4は亀田家族の家族愛を強調したドキュメントだったらしい)」などとやく氏は語り、そのたびに亀田父がブチブチ切れ「アンタはしゃべらんでええ!見たくなかったら見んでええ!アンタがやってることは子供のやること」と威圧的にけんか腰で語ったらしい。

どうも亀田父は息子があと数ヶ月で20歳になる、世間では充分大人として自覚を持たなくちゃいけない年齢だとは理解していないみたいで「性格だから。このスタイルを崩すつもりはない。青春時代なんだからいいじゃないか。悪いことをしても、世間に迷惑をかけなきゃいいじゃないか」とも語ったとの事。
もう20歳にもなろうという息子がいくらスタイルだとしても、他人に接する態度がチンピラ中学生並で「俺はボクシングが強いので、何を言っても構わない、何をやっても許される」と思っているんじゃ駄目じゃんって事だとおもう。20歳になって父親の指導もないとは思うけど、しつけが出来ていない子供が、ある時を堺に急に他人に対してまっとうに接するようになれるとは思えない。

今回のやく氏の挑発にただブチ切れるだけじゃなく、教訓として欲しいッス。とりあえず息子に教えて欲しいのは「自分がやられて嫌だなぁと思うことは他人にしちゃダメ」って事。
もっとも、今回のようにこうして普段ボクシングに全然関係ない自分が文章を書いたり、あるいは色々な場所で話題になっているという部分で、相手の思う壺「結局、注目浴びたほうが勝ちじゃい」という戦術に乗っかっているような状態ではあるんですが。

P.S.
冒頭に出てきた「囂しい(かまびすしい)」というのは「騒がしい」という意味で、漢字では「囂」と書き、口が4つで、首(頭)が1つという、確かにやかましそうな状態になっております。

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2006年8月 7日 (月)

8月7日の出来事(知泉)

20060807
鼻の日
花の日
バナナの日
8月7日の歴史的出来事
8月7日生まれの著名人

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体力不足の私。

本日は一足早い盆休みってことでゆっくりと...と思ったんですが、我が家の菩提寺が「お盆前の大清掃日(簡単に言えば草刈り)」って事でかり出された。
20060807za毎年8月7日に行われているので、普通に会社員している人は参加できないので、結局ほとんどがリタイアしたジジババたちがわさわさ集まっている。そんな中に参加してくると、私が最年少という感じになってしまうのだ。
しかし若いといっても連日のハードワークのために腰痛が出ているし、肩凝りで頭痛はあるし、挙げ句の果ては最近「40肩」という奴らしく右腕を上げようとするとズキンズキンと痛んだりしている。ついでに元々腕力もないので重い物を持ち上げるのは激しく苦手なのだ。


そんなこんななのですが、結局最初から最後まで力仕事やヘビーな仕事を続け「あぁこれが熱中症なのね」的に木陰に倒れ込んでしまうのであった。
マジに体力つけなくちゃいかんよなぁと、こんな時には思ったりもする。
結局、朝の約1時間半だけの作業だったのだけど、普段からだを全然使っていないのと、普段空調の効いた部屋で仕事をしているということで、疲労と陽熱にやられてその日一日はぐったりと横になるしかなかったのであります。

休みなので、色々動き回って、帰ってきてきたらネット上のアレとアレをやって、と計画をしていたんですが何も出来ずに翌日になってしまったのあります。
やはり夏は苦手だ。

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2006年8月 6日 (日)

8月6日の出来事(知泉)

20060806広島平和記念日/広島原爆忌
雨水の日
太陽熱発電の日
ハムの日
ハロースクエアの日
ボリビア:独立記念日
8月6日の歴史的出来事
8月6日生まれの著名人

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2006年8月 5日 (土)

8月5日の出来事(知泉)

20060805タクシーの日
ハコの日
ハンコの日
☆今日から食中毒予防週間
8月5日の歴史的出来事
8月5日生まれの著名人

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渡辺満里奈「大好きなシャツ-1990旅行作戦」

2_1渡辺満里奈/大好きなシャツ-1990旅行作戦
作詞.作曲.編曲.DOUBLE K'O' COPRATION
Epic Sony/ESFU 7204/¥1200


ここの所、知泉的音楽夜話では「チェリッシュ」や「松尾ジーナ」という、完璧にアクセスにはほとんど影響をしないようなピンポイント攻撃が続いていたので、誰でも知っているような人ということで渡辺満里奈
と言っても歌手としての活動は一部の人にしか知られていないのでは(ちびまる子ちゃんの主題歌を歌っていましたが)状態ですが。

1986年10月8日 1st「深呼吸して」
2_2現在、彼女の本名はナグラマリナという、ドラグラマグラなのかマグナカルタなのかという状態ですが、実は彼女が本格的に歌手活動をしていた時期、自分は全然興味ありませんでした。
というのも80年代中期からの「おニャン子クラブ」という存在について「俺の好きなポップスを馬鹿にすんのか!やんのかてめえ!」状態で嫌悪していたという背景もあって、その中にいた渡辺さんも「歌謡曲を堕落させる要因」として無視しておりました。

1987年1月1日 2nd「ホワイトラビットからのメッセージ」
2_3で、渡辺さんの曲をちゃんと聴いたのが『大好きなシャツ-1990旅行作戦』という曲でした。
タイトルにあるように1990年にリリースされた曲で、すでに忌まわしきおニャン子は解散していたんですが、実はこの曲を聞いたのが、アナログ版でもなく、CDでもないのです。
実は「CDV」という今は無き特別な規格のディスク(見た目はCDなんですが)で、当時は「レーザーディスクみたいにばかでかくないCDサイズディスクでも映像を見ることが出来る!」という画期的な規格として発表された物だったのです。

1987年4月8日 3rd「マリーナの夏」
2_4今ではDVDで2時間以上の画像を見る事ができますが、この画期的なCDVはなんと最大5分の映像を見る事が出来るのです。ということで、数社がシングル曲のプロモーションビデオを収録した物を発売開始したワケです。と言っても、現在誰も知らないように、この規格は見事に空振りをしまして、最初の思惑とは違ってリリース本数が増えず....。
実際に言うと、5分という短さがネックになっていて、当時はシングル5分を越すような曲、あるいはビデオの前後にドラマ部分があったりして5分では完全版を収録出来ない楽曲が多かったというのも原因みたいです。あと5分の映像で1200円という値段設定もきつかったかも知れません。
自分は新しい物好きって事で、つい手を出してしまったんですが、リリース数が少なかったので、あんまり興味がないアーティストの曲でもCDVが発売されていると購入していまして、その中にこの「渡辺満里奈/大好きなシャツ-1990旅行作戦」も入っていたワケです。

1987年7月15日 4th「夏休みだけのサイドシート」
2_5曲は実にポップで軽く楽しい曲。実はこの作詞.作曲.編曲をしているDOUBLE K'O' COPRATIONは、かのフリッパーズギターの小沢健二と小山田圭吾の変名。
この曲で見事にはまってしまいまして、この曲が収録されているアルバム「a piece of cake!」を購入した所、かなり楽曲のレベルが高かったため、過去の作品を後追いで購入するようになったんですが、やはりデビュー当時は「おニャン子の悪夢」そのまんまの音程の酷さと声質をコントロール出来ていない感じが痛々しくて...。

1987年11月11日 5th「ちいさなBreakin' my heart」
2_6渡辺満里奈という人は基本的にキーが低く、明るめの声ではないので、初期の曲調や歌い方が辛かったワケですが、途中からスタッフもそれを理解したような感じで、いわゆるその後のサブカル系大好き路線に流れていく道筋が曲調にもチラホラしておりました。

当時、音楽通の間で「オシャレじゃん」と言われていた、フェアグランドアトラクションもどきの曲とかを(渡辺満里奈とフェアグランドのファン層は重ならないので発覚しにくいとは思いますが、かなりそのまんま)歌い始め、オシャレ音楽の総本山「渋谷系」のフリッパーズギターにたどり着いたという感じなのであります。
この曲前に、彼女が出演していたドラマ「予備校ブギ」の主題歌にフリッパズギター「恋とマシンガン」が使われていたという繋がりもあったと思うんですが。
もっともこの曲で渡辺満里奈と知り合ったフリッパーズギターの二人が彼女を取り合って仲違いの末、解散してしまったワケでありますが(あくまでも、まことしやかなウワサ)。

アルバム『a piece of cake!』
Apiece2※フリッパーズギターに関しては、最初バンドデビューした直後、小山田がバイク事故で入院することとなり活動停止→解散したんですが、小山田の入院していた病院に宮沢りえの祖父が入院していると聞きつけた小沢が「もしかしたら宮沢りえに逢えるかもしれない」と何度も見舞いにいっている間に「二人で再デビュー」という事になったとされてるグループなので、その解散がそれってのもなんか象徴的でもあります。

大瀧詠一プロデュースアルバム『Ring-a-Bell』
Ring2自分が渡辺満里奈という歌手を聞き始めた時はすでに歌手活動末期だったんですが、その後「はっぴいえんどトリュビュート」に参加したり、ちびまる子ちゃん主題歌(大瀧詠一作曲)を歌ったり、さらに大瀧プロデュースでミニアルバムを出した時に大瀧の関係で佐野元春の作詞曲を歌ったり、自分的には「なんでこの人は自分の琴線に触れるような活動するのかぁぁl!」という状態で、好き嫌いとは別になんか自分が購入する曲の前に登場するような感じで、いわゆる「オシャレと言われる場所には数歩前に渡辺満里奈が立っている」という状態を体験したわけです。(あとウルフルズとか、奥田民生のプロモーションビデオとか)
その存在とかは別として、渡辺満里奈の後期作品は今でもiPodに入っております。

P.S.
現在CDVを見る事が出来ないっす。
ハード的な物も探しているんですが、なかなかお目に掛からない状態っす。
手元に20枚ほど持っているんですが.....

実はこのCDVの映像5分というのはディスクの外側に記録されていたもので、その内側は速度の関係から映像が収録出来ずに音声のみを収録出来るトラックが存在していた。
実はその後発売されたシングルCDというメディアは日本独自開発の物で、このCDVの音声トラックから発生したサイズ。

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2006年8月 4日 (金)

8月4日の出来事(知泉)

20060804箸の日
橋の日
ビアホ−ルの日
ゆかたの日
8月4日の歴史的出来事
8月4日生まれの著名人

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松尾ジーナ「月影のメロディー」

2_7松尾ジーナ/月影のメロディー
作詞.阿久悠/作曲.森田公一/編曲.川口真
東芝/TP-2664/¥400


たぶん多くの人が「松尾ジーナって誰?」状態だと思いますが、実は自分も「な〜んか名前聞いたことあるけど...」状態でした。
調べてみると1970年代初頭に活躍したモデル出身アイドルだそうで、ある時、中古レコードで出逢い、その「ザ・70'sアイドル」という感じの歌唱法に惹かれちゃったワケです。

健全なエロスとほんわかしたイケイケ具合が見事に調和している曲で、初めて聞いた瞬間に「あぁ懐かしい」と感じてしまうような曲調。
この曲は2曲目らしく、「気ままなジーナ」というNHKでは「自己宣伝になるので歌っちゃ駄目」と言われそうな曲で歌手デビューしています。曲調は歌謡曲寄りのポップなディスコソング。

ジャケット裏
2_8色々資料を探していると、ドイツとのハーフで、1970年〜1975年頃の「女学生の友(略称:ジョトモ)」とか創刊したばかりの「non.no」なんかのファッション特集で「今冬はこんなニットが!」みたいな感じでモデルをしているので、今でいったらエビちゃんとかそんな感じかも知れません。
その後はドラマ(と言っても特撮物)にもちょい役出演したり、CMに出演という感じの活動をしていたみたいです。

今でもその姿を見られる物ではDVD発売されている「シルバー仮面」の9話まで出演しており、その後は体調を崩したとの事で降板しているみたいです。(と言いつつ、別資料では「シルバー仮面(1971年)」の続編「シルバー仮面ジャイアント(1972年)」にも出演しているとなっているんですが)
ちなみに出演していたCMは武田薬品の「ハイシーA」で、武田薬品はシルバー仮面のスポンサー。色々な力関係が働いていたみたいです。

ドラマは病気降板って事になっていますが、芸能活動自体は1970年半ばにレーサーの高原敬武氏と結婚引退するまで続いていたらしい。(この高原さんって、レース界では凄い人との事)
なにはともあれ、元々知らない松尾さんですが、幸せな着地点を見つけたみたいで、よしよし、なのだ。

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2006年8月 3日 (木)

8月3日の出来事(知泉)

20060803はちみつの日
ハサミの日
ハモの日
8月3日の歴史的出来事
8月3日生まれの著名人

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島倉千代子「東京だよおっ母さん」

季節柄というか、昭和天皇の発言録の関係というか、この期にこの曲を。


01_31957(昭和32)年に発売されたこの「東京だよおっ母さん」と言う曲は、島倉千代子の代表曲といってもいい曲ですが、実は紅白歌合戦では1度も歌われていない。
その歌われていない理由が、歌詞の中にあると囁かれている。

一番の歌詞は有名で、田舎から出てきた母親を皇居へ連れて行き「ここが二重橋、記念の写真を撮りましょうね」と歌っている。
二番の歌詞では「やさしかった兄さんが」桜の下で待っているという歌詞。ここで言う桜の下というのは靖国神社を暗喩している。歌詞の中には直接「靖国神社」という固有名詞は出てこないが、母親を連れて「あれが九段坂」と歌っている。
三番の歌詞は、単純に浅草の観音様へいき「長生きしてください」とお祈りする。

02_3実は2番の歌詞が「戦争で死んだ兄に逢いに靖国神社へ参拝しにいく」という内容が、NHK的にはよろしくないとの見解らしい。
島倉千代子は現在までに紅白歌合戦には34回ほど出場しており、他のヒット曲は何度も何度も歌われているのですが、この曲だけは1度も歌った事がない。その理由は「靖国がらみ」らしいんですが、それがNHK側からの通達によってなのか、島倉千代子側からだったのかは不明。

紅白歌合戦という年の瀬の本当に押し詰まった所で「戦争を臭わせるような曲を歌うんじゃねえ」とか言うことなのかもしれないけれど、そんな事を言ったら双葉百合子が戦地から引き揚げてくる船に息子が乗っているんじゃないかとかすかな望みを託し続ける「岸壁の母」なんてのはちゃんと歌われてましたから、やはり「戦争」って事じゃなく「靖国神社」って事が大きく関係しているんじゃないかと思うわけです

03_4P.S.
島倉千代子の代表曲『東京だよおっ母さん』は、美空ひばりの『波止場だよお父つぁん』と言う曲を聴いた島倉が感動して、『波止場…』を作曲した船村徹に「同じような曲を作ってください」と頼み込んで出来た曲。
※美空ひばりの『波止場…』は目の見えなくなった船乗りの父を波止場に連れて行くという内容だが、その中に現在では差別用語と思われる歌詞があるので、放送で聞くことは出来ない。

P.S.2
かつて島倉千代子が借金で困っている時にマネージメントを買って出て借金苦から救い出したと細木数子さんは発言しているんですが、何故か島倉千代子デビュー40周年記念パーティには呼ばれず。
さらに島倉千代子が「お金に困った時に私を助けてくれたのは....歌だけです」と発言。

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2006年8月 2日 (水)

8月2日の出来事(知泉)

20060802パンツの日
学制発布記念日
ハーブの日
ホコ天記念日
博多人形の日
8月2日の歴史的出来事
8月2日生まれの著名人

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大人になりたい

子供に食事を与えず虐待を続けていたバカ親が逮捕された。食事はほとんど与えなかったり、さらにこの子の兄姉にも...。


HONDA CBR1000RR
0honda_cbr1000rr逮捕され連行される際の映像ではでっぷりと太っていて、人の二倍も三倍も喰っていそうな感じで、親とか言う前に、人間としてどうなのよ状態。
勝手な想像なんだけど、こういう人間って常に俺が世界の中心だと思っていなければ気持ちが収まらないタイプなんじゃないかなぁ。

HONDA CBR1000RRW
0honda_cbr1000rrw大昔にちょっと知り合った人間でも、常に他人をバカにしたような言動を繰り返していて(おそらく彼の中ではそれが笑える話だと思っている)、しかしちょっとでもネタにされるといきなり怒髪天で「てめぇバカにしとんのか?おら?」と凄んで見せるようなタイプがいた。完璧に地動説で自分を中心に世の中が存在しているらしい。(そういえば、世界チャンプになった人も、毎回相手を挑発する小道具を用意していたけど、自分たちが同じような事やられたら父親まで出てきて怒りまくったのは...)

KAWASAKI ZX-10R
0kawasaki_zx10r実際、世の中には「ビビったら世の中負けでしょ?」と根拠の無い優位さを振りかざしている人は存在する。
世の中、勝ち負けなんて事は本当に小さなことで、それ以外の部分に大切なことが山積みにされているんですが、そーゆータイプの人間の世界には上下の順列しか存在していなくて、とりあえず「常に自分が優位」という位置をキープしていなくちゃいけないらしい。
簡単に言えば「子供」なんですけどね。

SUZUKI GSX-R1000
0suzuki_gsxr1000それなりに人生重ねてくると「世の中、自由にならない事のほうが多い」とかが当たり前のように理解出来てくるんだけど、そんな事を学習しなかった人も時々いる。
先日、学習塾で連日宿題を忘れてきた子に対し、講師が平手打ちをして、さらに近くにあった机を勢いに任せて振り上げ床に叩きつけた所、跳ね返って子供に当たったと言う事件もあった。

RX-7 TYPE R
0rx7_type_r_子供以下の講師。この講師も20代と言うことで、「ゆとり教育」とか「子供の人権を守る」とかの中で教育を受けてきて、いわゆる体罰どころか、立たされるみたいな事も経験されずに育ってきた人なんじゃないかと思う。

異常に「子供にも人格があり、人権がある」みたいな事が教育の現場で強調され始めたのが1980年前後。お陰で、その時代から「先生が生徒に体罰振るうとPTAが怒鳴り込んできて処罰される」という事が言われ始め、その反動で生徒が「先生が俺等に手ぇ出したら即座に処罰な」と優劣が逆転して学級崩壊が日本各地で発生し、社会問題として取り上げられた。

TOYOTA 2000GT
0toyota_2000gtその壊れた学校を建て直すために、教育の現場では「荒れるのは詰め込みすぎのカリキュラムにある」と考え『ゆとり教育』なんて物を取り入れるようになった。結果として、その方向がさらに崩壊を招くようになったんですけどね。

ハッキリ言って、自分で生産もしていない子供には権利なんて最低限以上に与えちゃダメでしょ。社会の義務に参加していないんだから。
社会に貢献出来ていない子供には与えられる権利も制限されるのは当たり前だし、すべての人間が同じ自由平等の上に立っているなんて建前だけで実際にはあり得ない事を教えるべきじゃない。
自分なんかも学生時代は色々な場面で不自由さを感じていた。だからこそ、色々な物が見えて来たんだと思っている。

TOYOTA SUPRA(JZA80)
0toyota_suprajza80不自由が理解出来るからこそ、義務が発生して権利も発生する。平等じゃないから努力する。そして努力しても報われない事もあるというのも徐々に学習していく。
それが「大人」という物だと思うのだ。
だからこそ、子供に対してきちんと対面する事も出来るし、逆に他人に対するいたわりや距離感も出来てくるんだと思っている。

TOYOTA SUPRA(JZA80)
0toyota_suprajza802そんな中、埼玉県の某自治体主催の小さな夏祭りで12歳の子供がつまずいて肩がふれたということで、32歳会社員が「謝らずに逃げた」ということで殴る蹴るの暴行を加えた事件が起こった。
これなんかまさに、俺様主義の典型で、俺に触れた物は子供でも容赦しないぜ!という事なのかも知れない。
小学生は逃げたという意識はなく、ただ触れたという感じでその場を立ち去り、数分後にそこへ戻ってきている。その数分間、怒りが治まらなかったらしい32歳会社員は小学生を見つけるなり、頭をヘッドロックで締め上げ「大人をなめているだろう」と言い放ち、ヒザで頭を蹴り、さらに数度殴りつけ、全治2週間のケガを負わせたという。小学生の友達が通報し、駆けつけた警察官に逮捕された。

なんつーか「大人をなめている」って、アンタみたいな大人がいるから子供になめられるんだよ。子供と自分が同じ目線に立ちすぎ、中学生レベルの粋がっているアホと同じだよ。
もっと大人になれ!

P.S.
亀田戦は忙しかったりして試合画面を金曜日夜の段階でまだ1度も見ておりませんが、世間の反応では「あれは無いんじゃないか」って事らしいっすね。
別にボクシングに詳しくもないので、その内容にワザワザ触れる必然性もないんですが、そのジャッジに関してWBCのアメリカびいきのデーヴィッドソン審判とか、韓国とか中国での色々な審判とか、自国試合での非常に身びいきした判定に関して、日本も文句言えなくなっちゃったかなぁという状態っすね。
勝ったにしても、負けたにしても、自分的には「試合に関してテンションを上げるのは構わないけど、相手を侮辱するような態度で臨むってのはスポーツに限らずアウト」だと思っています。

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2006年8月 1日 (火)

8月1日の出来事(知泉)

20060801水の日
麻雀の日
☆観光の日
島の日
夏の省エネルギー総点検の日
スイス連邦創設記念の日
パインの日
省エネルギーの日[毎月1日]
☆安全衛生総点検日[毎月1日]
☆家庭塗料の日  [毎月1日]
8月1日の歴史的出来事
8月1日生まれの著名人

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新コンテンツ「知泉Wiki」正式始動

やっと梅雨明けで、本格的な夏到来!とか言っていますが、仕事がヘビーで日中はずっと社内に閉じこもりパソコン相手にワシワシと作業を続けている。季節なんて全然関係ないのだ。


007シリーズ-ASTON MARTIN
0007aston_martinという事なんですが、とりあえずサイト知泉が自宅(友人宅)サーバーに移行して大リニューアルとなってから早1年です。最初は「今まで1日1万人程のアクセスあるサイト移転でアドレスなんかが変わってしまうってのはどうなんすかね?」とか危惧していたんですが、今やそんな状況を遙かに上回るほどのアクセス数で、ありやとやんす。
と言いつつ、今の所年間ン万円とか設備費に掛かっていても、それが金を生み出す事が全然ないのでボランティア事業なんすけどね。

007シリーズ-LOUS ESPRIT
0007lous_espritそんなこんなで、自由に書き込みが出来る人名辞典「知誕Wiki」も1周年って事になるんですが、前々から作業を始めていた、サイト知泉の中核となる雑学事典「知泉」が「知泉Wiki」として生まれ変わりました。
現時点では今までサイトにあった部分をWiki形式に移植したってだけなんですが、徐々に自由度を上げて使いやすい、あるいはダラダラ読んでいて楽しい、あるいはなんか使える、という物にしていきたいと思っています。
とりあえずWiki形式って事では、本家Wikipediaなんてのはとてつもなく広がり続けているので、用語解説とか詳しい説明はそっちで、知泉Wikiはちょいと頭の片隅に入れておくと使える雑学を羅列するって事で、差別化を持って行きたいと思っています。

007シリーズ-Q BOAT
0007q_boatというわけで、トップページからも入れるようにしたんですが、トップからもそこそこ入っているみたいなんですが、いきなりアクセス数が(この文章は4日に書いてます)1万を超えたりしていて「おぉ!」状態でやんす。ま、自由に参加できるので「俺、この項目の雑学知っている」とか「これ、ちょいと間違っている」という場合、お気軽に書き込んでやってくださいませ。
Wikipedia よりハードルはかなり低めだと思いますので。

ついでに、去年の今頃から一般公開している人名辞典「知誕Wiki」なんですが、この1年、ほぼ90%以上を一人でやっていたような状態でしたが、なんかここ数日ぐらいから、積極的にデータを修正&追加してくれる方が増えているみたいで(時間帯の関係や、参加項目から複数人と思われます)なんか、やっとスタートしたじゃん!てな感じです。
そんなこんなで、お気軽に使えるメモ帳ってことで、これからもよろしくお願いしますです。

雑学辞典:知泉Wiki
人名辞典:知誕Wiki
  TVドラマなどのデータベースもあります

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