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2006年7月 8日 (土)

小泉今日子「素敵なラブリーボーイ」

00000lovely小泉今日子/素敵なラブリーボーイ
作詩.千家 和也/作曲.穂口 雅右
1982年7月5日
ビクター SV-7225/定価700円


夏って事で小泉さんの水着写真が使用されているいかにも夏っぽいシングルでやんす。
小泉今日子は1982年デビューなんですが、この年は前にも書いたように異常なほど女性アイドルの当たり年で前年の秋にデビューした松本伊代を初めとして、堀ちえみ早見優石川秀美中森明菜など、それ以降数年間は逆に新人女性アイドルが売れるチャンスが少なくなるほど長く売れ続ける人がデビューした。

小泉今日子デビュー曲「私の16才」
000016sai01そんな中に彼女もいたわけですが、どうも小泉今日子はデビュー当時事務所がそんなに力を入れていなかったんじゃないか?と思われるフシがある。
というのも、デビュー曲「私の16才」、そして2曲目の「素敵なラブリーボーイ」と続けてオリジナル曲ではなくカバー曲なのだ。
普通、デビュー曲は作曲家・作詞家が「いかにそのアイドルにジャストフィットする曲を用意するか?」という部分が大事だと思うんですが、いきなりカバー2連発(田原俊彦もデビューはカバー曲でしたが)

オリジナル「森まどか:ねえ ねえ ねえ」
00000morimadoka「私の16才」のオリジナルは森まどかという殆ど知られていないアイドルが歌っていた「ねえ・ねえ・ねえ」という曲。元曲が売れなかったしタイトル変更もあって、カバーという事が知られていないんですが、このタイトル変更に関しても当時、曲の中に年齢を入れるのが流行っていたため(伊代はまだ16だから〜♪がキッカケ)急遽タイトルだけを変えたと言われている。

小泉今日子は「スター誕生」出身なんですが、80年代のスタ誕ってのはもうテンション下がっていてあんまりステイタスとはなっていなくて(中森明菜も同年デビューのスタ誕出身)、前年(1981年)デビュー組で売れた歌手はなく、その前1980年は柏原よしえ甲斐智枝美(現.元スクェア長谷部徹夫人)、1979年は井上望(現.エド山口夫人)、という地味な感じ。(柏原よしえが売れたのは1983年の「春なのに」辺りから)

おとなしめVer.ジャケット
00000sutekina2でもって小泉今日子の2曲目「素敵なラブリーボーイ」は、かの林寛子が歌っていた曲のカバー。林寛子Ver.もそんなに売れたワケじゃなく、知る人ぞ知る名曲でした。オリジナル曲は1975年発売ということでギターのディストーションがあの時代に流行っていたタイプの音色なので、ほぼリアレンジしていない小泉Ver.は1982年の段階ではかなり古くさい感じになっている。(編曲はどちらも矢野立美)
で、このシングル最初はややおとなしめの水着写真で発売されたんですが、思った以上に売れなかったのか途中から冒頭のビキニ写真に差し替えた物になった。

オリジナル「林寛子:素敵なラブリーボーイ」
0000hayasihiroといいつつ、それでも売れず、ベストテンなんかに小泉さんが初登場するのは3曲目の「ひとり街角」。
この曲からオリジナルになったんですが、アイドルの曲としてはあんまり無い発売1ヶ月後にやっとチャート登場という感じでしたが(9月21日発売、ベストテン10月21日初登場)、10位に1週登場しただけで終わり。
その日の順位は(1位)一風堂[すみれ September Love](2位)あみん[待つわ](3位)近藤真彦[ホレたぜ!乾杯](4位)中森明菜[少女A](5位)沢田研二[6番目のユ・ウ・ウ・ツ](6位)河合奈保子[けんかをやめて](7位)高樹澪[ダンスはうまく踊れない](8位)渡辺徹[約束](9位)中島みゆき[横恋慕](10位)小泉今日子[ひとり街角]

4曲目の「春風の誘惑」はベストテンには入らず、5曲目の「まっ赤な女の子」が6週・最高位7位、6曲目「半分少女」が6週・最高位4位、7曲目「艶姿ナミダ娘」が11週・最高位2位とベストテン常連になっていく。

夏木マリ姐さん「夏のせいかしら」
000000natuki水着写真を使ったジャケットというのは、売れている歌手の場合はほとんど無くて、どっちかというときわもの扱いな場合が多いので、小泉さんもこの時点では「セクシー路線で売ったろうか?」みたいな算段だったんじゃないかと推測しちゃうのだ。
アイドルの水着仕事ってのは古くから行われていましたが、やはり新人時代の売り込みの一環、あるいは売れなくなったためにしょうがなく、と言う状態が多かったんじゃないかと。

浅野ゆう子「サマーチャンピオン」
0000summercha今や大女優となっている浅野ゆう子も70年代後半から80年代初期は「売れないアイドル」の王道として「段々着衣が少なくなる」という仕事をメインとしていて、週刊プレイボーイなんかでも登場するたびに「今まで見せたことがないギリギリ」記録を更新していました。なんとかラストスパートを掛ける直前に女優として売れたので土俵際で踏みとどまったワケですが。
しかし水着ジャケの「サマーチャンピオン」という楽曲は1979年のカネボウ夏のCM曲で、出せば売れるというポジションだったんですが見事に売れませんでした。

何かを吹っ切ったらしい辺見マリ「太陽に走る女」
000000henmiカネボウキャンペーンソングは「Mr.サマータイム/サーカス(1978)」「くちびるよ熱く君を語れ/渡辺真知子(1980)」「春咲小紅/矢野顕子(1981)」「夢・恋・人。/藤村美樹(1982)」「君に胸キュン。/YMO(1983)」などなど。

そういう意味で、小泉さんの「素敵なラブリーボーイ」は2種類の水着を拝見できる貴重なシングルなのであります。


小泉今日子の豆知泉

小泉今日子はデビュー当時、顔が丸かったが、ある時から急激にシャープになったのは、寝る直前のコーラのがぶ飲みを辞めたため。デビュー当時は中毒的に炭酸飲料を飲み続けていたらしいが、プロ意識が出てそれを辞めたら、顔がスッキリしたとの事。その当時のスタッフに言わせると「朝起きてきた時のむくみはシャレにならない」との事。

セクシー路線だったっけ?ケンケンこと見城美枝子「さよならの夏」
00000kenken80年代サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」が突然ベストセラーになったが、これは小泉今日子がラジオで「最近サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が愛読書です」と発言したことがキッカケ。80年代中期の小泉今日子はトンがっている人達のカリスマ的存在で発言の影響力も高かった。しかし、それは放送作家が書いた物でラジオ台本にあっただけで、小泉今日子は読んでいなかった。
ベストセラーになった後で、それに関するインタビューが来るようになった為に、あわてて読んだらしい。

元祖グラビア限定アイドル故.堀江しのぶ「ビキニ・バケーション」
00000horieドラえもんの長編映画『魔界大冒険』のエンディングは小泉今日子の「風のマジカル」が使われていたが、現在発売されているDVDなどでは版権の関係で別の曲に差し替えられている。
199年に発売されたドラえもんのTV映画主題歌集CD「ドラ・ザ・ベスト」では、インスト曲で収録されていている。

マイブームという言葉の考案者はみうらじゅん。彼が80年代当時カルチャー系雑誌だった「宝島」などで言っていた物。

そのマイブームと言う言葉を有名にしたのが小泉今日子。笑っていいともに出演した時に発言し、タモリが「マイブームって?」と聞き、それに解説をした事により一般的に浸透した。小泉今日子のテレフォンショッキング出演は1985年10月24日・1988年12月1日・1992年1月27日・2001年1月29日の4回。時代的に見てマイブーム発言は1988年12月だと思われる。

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