« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »

2006年7月31日 (月)

広末涼子浄化計画

広末涼子浄化計画という日本コカコーラ社の「からだ巡茶」のCM、なんか変な物がダラダラと広末から流れ出てくるような印象があるんですが、いかがですか?
20060731しかもそのからだ巡茶サイトに行くと、一発目に広末の声で「いっぱい出たぁ」という音声が流れるんですが、いっぱい出たんですか、そうですか。(現在放送中のCMでは涙ダラダラ流して、そう言っていますが)
広末涼子という存在は、そのデビュー時に「広末涼子、ポケベル始める」とNTTドコモのCMで、春の新入学シーズンを狙って大量露出を開始し始まった。(実際にはその前年からヨーグルトのCMや、クレアラシルのCMに出演していたけど)


ポケベルのCMの段階では「誰?広末涼子って」という状態だったんですが、ポケベルと同時に名前を売り出しいっきに有名人の仲間入りをした。(確か、当時プレステのCMにも出ていて、そこでも広末涼子という名前がコピーに入っていた)つまり、商品を宣伝するのと同時にそのCMに出演しているタレントの売り出し効果も狙ったという作戦だったのだ。
それが成功したおかげで、その後いくつかのCMでそこに出演する新人タレントの名前をいきなり「あたかも誰もが認知している名前」という感じでコピーの中に入れる物が登場したけれど、どれもこれも惨敗だったような気がする。

広末はその後は、メディアに露出する「ピュアでかわいいイメージ」と、写真週刊誌などで報道される「奇妙で奔放な行動」の落差で、あたかも「ストレス社会の象徴」のようにアンビバレンツな存在になり、叩かれ叩かれ、さらにストレスで変な行動に出て(記者会見でいきなり泣き出すとか)、最終的には出来ちゃった結婚という着地点を見つけてアイドル的には終了した。
で、2004年4月10日の出産後、徐々にドラマなどへの露出を始め、2005年7月「スローダンス」で女優復帰し、今年に入って「生きててもいい...?-ひまわりの咲く家」「愛と死をみつめて」の単発ドラマに出演し、資生堂の「TSUBAKI」のCMなどにも出演し、そこでこの「広末涼子浄化計画」なのだ。
もっともこの夏の単発ドラマ「東京タワー」に出演していたんですが、例の事件でとりあえずのお蔵入りで「やはりダーティな影が」つきまとってしまったろいう事なのだ。

とにもかくにも、今回も実像なのか虚像なのか不明ですがCMのコピーとして「広末涼子」という存在を前面に出すという作戦です。
以前は「ピュアでかわいいイメージ」だったのが、今度はいわゆる悪評を逆手にとって「色々あったけどさ、悪い物全部出しちゃってリスタート切るからさ」という感じで、なかなかしたたかなのだ。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月30日 (日)

うらしま太郎

2006073001_1

2006073002


浦島太郎の豆知泉
浦島太郎が助けた亀はたぶんメス。ウミガメは生まれてすぐ海に入ると、産卵の時以外は陸上に上がることはない。 従って、浦島太郎の助けたウミガメは、産卵直前、もしくは直後のメス。さらに産卵のために涙を流していたので思いっきりいじめられているように見えた。
ウミガメの産卵の涙は、普段海中にいるときは普通に目から分泌されている物。陸に上がっているので、涙のように見えるだけの、いたって普通の生理現象。
浦島が助けた亀はウミガメの中でも「オサガメ」。絵本などで乗った亀の後ろにヒゲのような物が描かれているが、これはオサガメに寄生する線虫の特徴。しかしオサガメは日本近郊では産卵することはない。
伝承される浦島太郎の物語の中には、亀を助けるどころか捕まえた亀に「鶴は千年、亀は万年生きるそうだが、私はここでお前を殺すことだってできるんだ。ここでお前を逃がしてやるんだから、私から受けた恩をかたときも忘れるんじゃないぞ。」と、脅迫めいた事を言って逃がしてあげるパターンも存在する。こんな奴だったら、身元不明で放り出されても文句は言えない。
浦島太郎が連れて行かれた竜宮城は宇宙にあるという説もある。高速移動をしたために相対性理論で太郎の時間経過は短く、地球上の時間が遙かに進んだと考えられる。
勘違いされるのが、玉手箱の中に老人になる煙が入っていたと考えられる事。あれは逆に、太郎の寿命を封じ込めてあり、あれを開けちゃった事によって太郎の本来の年齢に戻ってしまったという物。開けなければ本当に永遠の魂を手に入れていた。
玉手箱は三段重ね。1段目には太郎の寿命を封じた煙が入っていた。2段目が鶴の羽根、3段目に鏡が入っていた。

| | コメント (0)

2006年7月29日 (土)

ビデオ→DVDの日々

2006072901_1

2006072902

てなわけで、数年前から時々「なんだか全然減らない」とウンザリして休止しつつ、ビデオをDVD化している。現在でやっと300枚ほどがDVDになったワケですが、どうやらそれの5倍ぐらい残りがあるらしい。


1982年に最初のビデオデッキを購入してから、とにかく目につく音楽番組をガンガン録画していた。
最初は好きな曲だけを録画して自分なりのベスト音楽ビデオを製作したんですが、途中から仕事も忙しくなり「とりあえず留守番録画」という状態になった。
そのお陰で、毎週「トップテン」「ベストテン」「夜のヒットスタジオ」だけで週に2時間ビデオ2本ペースになり、途中から「ミュージックステーション」も始まり、さらに90年代に入りバンドブームでそっち系の番組も増え...、という状況なのだ。

今でも毎週「HEY HEY HEY」「ミュージックステーション」「僕らの音楽2」などなどで週に数枚のDVDが増え続けている。
いったい何をしたいのだオレは!状態でもあります。

なんか急速にビデオが過去の話になりつつあり、あと数年後には「ビデオ?何ソレ、オレ見たことないや」という世代も出てきそうな勢いなので、今のうちにビデオの雑学を。

ビデオの豆知泉

ビデオテープと言う名称は元々アメリカのアンベック社の商品名で、登録商標されていた。(今はフリーになった)

家庭用ビデオ創世記に普及率に大きく貢献したと噂される裏ビデオに「洗濯屋ケンちゃん」と言う作品があった。あの作品中で、雑草の中で組んずほぐれつするシーンを撮影した場所には現在、東京ディズニーランドがある。

現在バラエティ番組の大半を占める形式の、スタジオでビデオを見て出演者があれこれコメントする番組は、久米宏が「ニュースステーション」の前にやっていた「TVスクランブル」が元祖。

かつてビデオは上にテープ出し入れ口があったが、それを横から取り出すフロントローディング方式にしたのはシャープのアイディア

ビデオテープの基本的な長さは2時間だが、それを倍の4時間録画出来るようにしたのは「アメフトを録画するのに2時間じゃ足りない」と言う声が多かったため。(アメリカでの話です)

| | コメント (1)

2006年7月28日 (金)

正露丸パッケージ裁判はまだ続く

臭い臭い整腸胃薬「正露丸」で裁判があった。


Seirogan01ラッパのマークの「正露丸」で有名な大幸薬品が起こした裁判で、和泉薬品工業が発売している「イヅミ正露丸」を訴えた物で、こちらはほとんどパッケージが同じでマークが「ひょうたん」になっている。
あまりにもパッケージが似ているということで、大幸薬品が「不正競争防止法に違反するんじゃい!」と起こし、製造販売の差し止めなどを求めた訴訟の判決が27日にあった。
確かに、いきなり腹が痛くなって「あぁぁぁこれは正露丸じゃないと直らないのだ」と薬局に入って、脂汗を流しながら手にとった場合、その違いは付かないかも知れない。色といい、デザインといい、もしかしたら同じデザイナーが仕事を使い回ししたか?と思ってしまうレベルのソックリ具合なのだ。

Seirogan02
ところが裁判の結論は「ほかに10社以上が同様のデザインであり、ラッパとひょうたんの図柄も似ていない」とのことで、請求を棄却した。

正露丸というのは、もともと日清戦争の時に不衛生な環境から胃腸病(チフス菌)が蔓延した事から開発が始まった物で、1902年に中島佐一がチフス菌対策にクレオソート剤が効果のあるとして開発した物(他の説あり)。
その後、日露戦争でロシアを攻め入った時に、極寒の不衛生な土地でも効果を発揮する整腸薬として、陸軍が指定薬として使ったことで、最初は「露西亜を征する薬」として「征露丸」と命名されたのが歴史の始まり。

Seirogan03
この時、陸軍の軍医をしていた森林太郎は脚気が蔓延していた事から「脚気は伝染病だ、クレオソートが効く」として大プッシュしたという背景もある。もっとも脚気は栄養失調から来る物なので全然効果がなく、陸軍兵の1/3の25万人が脚気になり、27800人が脚気が悪化で死んでいった。この軍医・森林太郎は後に森鴎外という名前で小説家になっている。(海軍の軍医は脚気は栄養失調からだと考えたために、そちらでは死者はほとんど無かった)

Seirogan04
日露戦争の勝利により「あの薬は効く」として軍用薬としてだけでなく、多くの業者が「正露丸」を作るようになったもので、べつに大幸薬品だけが発売している薬ではない。
ちなみに「征露丸」という名前は、第二次世界大戦後に「征露」は好ましくないということで、現在の「正露丸」に改められている。(といっても法的な拘束力はないので日本医薬品製造株式会社のみが未だに征露丸で発売)

パッケージに関しては1955年頃から、どのメーカーもダイダイ色の地色に縦書き赤文字で「正露丸」、そして黒い縁取りを使用している。現時点では「どこが最初にこのパッケージを考案したのか?」は不明になっている。
裁判では「原告が独占しているデザインではなく、原告製品が他社製と識別可能なのは、ラッパの図柄と社名だけ」として、逆にテレビCMなどで「ラッパのマークの大幸薬品の正露丸」と強調している事から「両社の製品が誤認・混同される恐れはない」と判決を出した。

パッケージを見ると解るのが、大幸薬品の正露丸には「登録商標」という文字が入っている。普通、「正露丸」という商品名を商標登録していたら他のメーカーが使えないのでは? と思ってしまうんですが、実は大幸薬品は他のメーカーも横並びで「正露丸」を発売している中で、1954(昭和29)年に商標登録したのだ。(正露丸・SEIROGAN ・正露・セイロ・せいろ・SEIRO)
その時に、他社が「あれはすでに一般名詞だ」と取り消しを求め、最高裁で「あれは一般名称なのでどこが使用しても差し支えない」となっている。

確かに、大幸薬品は最初に開発したとされる中島佐一の「忠勇征露丸」製造販売権を継承する会社で、正統といえばそうなんですが、なんか必死に「正露丸の名前はワシの会社の物だぁぁぁぁ!」とか「正露丸のパッケージデザインはワシの会社の物だぁぁぁぁ!」と裁判を起こすたびに「へぇ他の会社も正露丸出しているんだ」という宣伝なっているような気もします。

大幸薬品株式会社
トップページに「「正露丸」商標登録 第545984号」と記載されていて、今回の裁判に関する判決などが書かれ「この判決を不服として控訴する予定です」と戦いが続く事を宣言しております。

和泉薬品工業株式会社
いきなりトップページに「正露丸一筋に70余年」「正露丸の製造に努力を傾けてまいりました」とあり、サイト内には「正露丸の由来」と称して「でも、ある事によりこの名前を使えなくなりそうになった事がありました」と裁判に関する事も記載してあります。

| | コメント (0)

2006年7月27日 (木)

文庫栞マニア(No.3)1988年10月

198810_11988(昭和63)年10月:角川文庫
角川文庫:銀色夏生「君のそばで会おう」¥460


1988年10月4日「二重体児・ベトちゃんドクちゃんの分離手術に成功」
1988年10月19日「阪急ブレーブスがオリエントリース社に譲渡→オリックス・ブルーウェーブ誕生」
1988年10月27日「マガジンハウスの『平凡パンチ』が休刊」
という辺りが、印象的な出来事だったと思うんですが、昭和天皇の容態が一進一退状態で日本中がなんか重い空気に覆われていた時代。テレビも自粛的になって馬鹿騒ぎするのはどうよ?って感じも漂っていた。NHKなどは真夜中には延々と皇居の二重橋などの定点カメラ映像が映し出されており、いつ何が起こってもすぐ対応できる状態になっていた。

昭和天皇は年が明けて1989年1月7日に崩御したワケですが、その時は7日8日はどの局も昭和天皇特集を1日がかりで放送していた。
もちろん、今日亡くなって「じゃ特別番組放送しようぜ」といきなり1日それだけを放送する事は出来ないワケで、この容態急変した秋口から「いつ崩御してもいいように」とテレビ局はそのXデーのために特集番組の編集体制に入っていったワケです。
その手の事は他の場合も往々にしてある物で、元某局人気アナが癌告知を発表した際も、世間的には「癌に負けるな!」という状態だったんですが、テレビ局的には緊急特番のための編集を始めたとの事(編集会社の知人談)。たぶん、何度も入退院を繰り返している大御所俳優の森○久○氏など辺りもすでに編集済みなんじゃないかなぁと思うのだ。(下手したら2004年度版追悼ビデオ、2005年度版追悼ビデオとか毎年作られているのではないか)

栞の方に話を移すと「RISOプリントゴッコ:PG-10」っすけど、これは個人向けコピー機の元祖的な商品として、最初の単純なガリ版刷りの発展系から、徐々に写真をそのまま印刷できるようにまで変化していった、ある種画期的な商品でした。
今や年賀状印刷なんてのは家庭に当たり前のようにあるパソコン&プリンターでも出来るので、役割を終えたよなぁと思ってちょい調べて見ると、今でも進化し続けて発売中なんすね。RISO PRINT GOCCO WORLD
もちろん「ハガキが印刷出来る!」ってのはウリ文句にはならないワケで、個人的には「Tシャツ印刷が出来る!」っていういわゆるシルクスクリーン印刷って事で「おぉ欲しい」とか思っちゃったワケです。インクを見ると「白」もあるので、黒Tシャツに印刷も出来るって事ですよね。
ま、消耗品が結構高いので気合いを入れている人専用って感じもしますが。

で、所ジョージってこんな悪質そうな胡散臭い顔していたっけ?という印象でやんす。

| | コメント (0)

2006年7月26日 (水)

情けは人のためならず

とある雑学系の本を読んでいた。


Dscn3170そこで「情けは人のためならず」という言葉の解説があったんだけど、いわゆるコレは「確信犯」という言葉と同じように「間違って使われる言葉」という話題の超定番。
誤用としては「アイツが苦しいのは解っているけれど、ここで変な情けを掛けて手助けしては、ヤツのためにならない」という場面で使われるという物で「情けを掛けてしまっては、その相手のために良くない」という使われかた。

で、本当の意味は「人助けをしてやるのは相手のためではなく、巡り廻って自分のもとに戻ってくるんだよ、だからどんどん人助けをしましょう」という事で「情けは他人のためじゃなく自分のためになる」という意味。
なんか本来の意味って「なんだよ、人助けとか言っておきながら自分への見返り求めてんのかよ、なんかせこいな」という印象もあるかもしれませんが、もともとは仏教思想の『因果応報』が元になっているワケです。
つまり見返りって事じゃなく、他人に接する際には自分の事と同じように接しましょう。という事なのだ。

Dscn3171で、今回読んだ本には「この言葉の意味を聞いた時に、どう応えるかでその人の年齢が解る」みたいな事が描かれていた。
なんでも本来の「人助けすべし」という意味が「人助けするな」に変わったのが、ここ10〜15年の間なので古い意味で応えた人はおそらく40歳以上です。みたいな書き方をしていた。
おいおい、「間違った解釈」って事じゃなく、すでに「意味が差し変わった」のか?

Dscn3172ま、雑学バカを続けていまして、本やサイトなんかで「色々な場面で雑学を言って場を和ませたり、賢い人と言われたりしますよ」みたいな煽り文句も書いた事が確かにあります。
が、実際の事を言えば、雑学を言って盛り上がる場面というシチュエーションはかなり難しい。雑学というのはヘタをすれば学術的だったり説明的だったりして、その場のテンションを下げたり、流れを中断してしまうかもしれないからなのだ。

Dscn3173もちろん、どんな場面でも自慢げに知識を披露したがる人間というのは存在している。でも、それって基本的にはウザがられるんだよなぁ
かの東京ローカル「虎ノ門」で開催されていた『うんちく王』、あれだって元々のコンセプトは「酒場なんかでうんちくを自慢げに垂れるのはカッコ悪いけど、ここでは思う存分うんちくを垂れまくろう」という趣旨だったはず。

自分はずっと昔から雑学大好きな雑学野郎で、小学校の頃から学年誌や当時の月刊誌なんかの欄外にある「ビックリ世界記録」とか「本当にあった嘘みたいな話」とかがとにかく好きだった。
しかし、ネット活動をするまでは、あんまりそんな事は表に出さないようにしていたのだ。
それもここ数年は杉村ってヤツは雑学野郎、という認識が高まってきているワケで、その辺が難しい事になっているのだ。

Dscn3174先日のクレイドルズ(Cradles)のライブ打ち上げでも「電気ブラン」という酒の話題になった際に「で、電気ブランってどういう意味?」と振られたんだけど、そもそも「電気ブラン」という物自体「どっかで聞いた事あるよなぁ」「漫画のBERレモンハートで読んだ事あるかも知れない」レベルだったので「知らないっす」としか答えようが無かった。
もっとも自分はアルコールを受け付けない体質なので、ソッチ方面の雑学は弱いのだ。あとスポーツ関係も。だから、そっちをなんとかしなくちゃいけないという課題も出来たのでやんす。

Dscn3175でも「雑学野郎」という事でいきなり「じゃ、雑学言って」とか言われる場合も時々あるんですが、あまりにも漠然としていて何を言ったらいいのやらという事もある。逆にいきなり「じゃ、旭川動物園の雑学言って」とか思いっきりなピンポイントなテーマ設定をされて「え?」という事もある。
少なくとも「動物園に関する雑学」みたいに範囲を広げさせてください。
でも、飲み会の席で難しい雑学とか細かい雑学言ってもテンション下げそうだし...と、悩んでしまう自分がいるのであった。
雑学って使う場所が難しいっす。


【電気ブラン】
フランスから日本へワインの製造技術を初めて導入したと言われる、大正時代の実業家・神谷殿兵衛氏(1856-1922)が明治15年というかなり早い時代に作ったカクテル。
ブランデーがベースで、ジン・ドライベルモット・ホワイトキュラソー・ワイン、さらに薬草をカクテルした物で、実際の製法は秘密になっていて、カクテルと言ってもその場でシェイクする物ではなく、完成品が瓶に入った状態で売られています。(合同酒清株式会社が醸造・販売/アルコール度数30度と、40度の2種類/40度はオールドと呼ぶ)
そのカクテルは神谷氏が浅草で創業した「神谷バー」で出されたのが最初で、明治時代当時にハイカラという意味で「電気」と名前に付けた物で、製造過程で電気が使われてるワケでも、飲んだ時に電気が流れるようなショックがあるという意味ではありません。
当時はアルコール度数45度で今よりちょっとキツめで、明治43年には1杯7銭で売られていました。(昭和24年50円、平成9年には260円)
神谷バーでは黒ビールをチェイサー(交互に飲む)にして飲むのが通の飲み方らしいです。

三浦哲郎の小説『忍ぶ川(1960年.芥川賞)』には神谷バーと電気ブランが登場する。
あがた森魚のアルバム『乙女の儚夢(1972)』に「電気ブラン」という曲がありそこでは神谷バーと電気ブランが歌われている。
須藤真澄の漫画l『電氣ブラン(1985/東京三世社)』がある。
同内容の文章を知誕Wiki『電気ブラン』に書きました。

| | コメント (0)

2006年7月25日 (火)

チェリッシュ「なのにあなたは京都へ行くの」

Cher01_2チェリッシュ/なのにあなたは京都へ行くの
作詞.脇田なおみ/作曲.森田哲朗/編曲.馬飼野俊一
1972年
ビクターレコード SF-8/¥400


自分もほとんどリアルタイムでは記憶がない曲なんですが、とりあえずジャケ写真がすばらしい。
とても曲に歌われているような悲しい恋愛とか、さわやかな曲とかのイメージを微塵も感じさせない、時代的にいったら「どこかの安アパートの4畳半で爆弾とか火炎瓶を製造している学生運動の人たち」という感じにしか見えない。
しかも「なぜこんな場所で撮影?」というワケ解らない草むらで、この撮影現場を目撃した人がいたら絶対、警察に通報しているハズなのだ。
ラジオでこの曲を聴いて「あぁいい曲だなぁ」と買いに出かけたレコード店でこのジャケットを見た時はすごい衝撃だったのではないかと思います。
とりあえず、ここの所80年代アイドルの曲が多かったので、バランスを取るために70年代に戻ります。しかも萌え要素が無い方向で。

Cher02チェリッシュというのはデビュー当時は5人組バンドだったんですが、この曲がスマッシュヒットしたために2枚のシングルは思いっきり「二匹目のドジョウ」狙いなのか『だからわたしは北国へ』という、何もそこまで...という曲になっています。
で次のシングルはそれまでを反省したのかイラストジャケット。
イラストは和田誠氏が書いているんですが、たぶんこのイラストを依頼した時は5人バンドだったんだと思うんですが、実はこの曲からチェリッシュはデュオになっています。

Cher04チェリッシュは1971年6月6日に行われた「バイタリス・フォークビレッジ」というコンテスト(日比谷大音楽堂)に中部地方代表として出場し、4位を獲得し、それがキッカケでデビューしている。
メンバーは松井悦子(Vo)、松崎好孝(G.Vo)、奥山敬造(G)、桑原宏司(D)、藤田哲朗(B)だそうで、その後メンバーチェンジもしたらしいんですが、結局いつしかデュオグループになってしまった。
この学生運動風の中から抜け出したのは、前列二人だったのだが(前列にいたって事は最初からこの二人がメインだったんだろうけど)、その後は男女デュオのおきまりで結婚をしている。
1972年デビューなので、時代的には学生運動の流れは終わっていた時代ですけどね。
奥山敬造、桑原宏司の二人は脱退後に、かの「つぼイノリオ」と『欲求不満フォークソング・ボーイズ』というグループを結成したとのこと。

Cher07昔から多くいる男女デュオってのは、どんな爽やかな曲を歌っていても「その裏でドロドロしたものあるんじゃないの?」なんて下世話な感じで見られる事もあるわけでやんす。
四六時中一緒にいて、ついついって事もあるかも知れないんですが、逆にいうとキツイだろうなぁとは思います。
とりあえずチェリッシュといったら「てんとう虫のサンバ」が有名ですが、あれって未だに結婚式でイマイチ派手じゃない女友達3人組とかが歌っているんでしょうか?
たぶんもう過去形かと思いますが、あの曲ってのはカラオケ以前の結婚式定番曲で、無伴奏あるいはエレクトーンで「♪照れてるあなたに虫たちが 口づけせよと囃し立て」の「口づけせよと」の部分を何度も繰り返し、新郎新婦がキスをするまで延々繰り返すというのが昔懐かしい昭和の定番でした。

Cher03この結婚式の定番という曲は過去に何曲もあるんですが、それを歌っている歌手がその後離婚しちゃっているというパターンが多い。
吉田拓郎「結婚しようよ」最初の奥さんとの結婚時の曲、その後離婚→浅田美代子と結婚→離婚→森下愛子と再婚
長渕剛「乾杯」石野真子との結婚が近い頃の曲、その後離婚→志保美悦子と再婚
安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」ドラマ「バージンロード(フジ)」の主題歌だったんですが、本人はその後結婚→離婚、ドラマの主役だった和久井映見も。
そんなワケで70年代結婚式の定番曲を歌っていたチェリッシュにはがんばり続けて欲しいものでやんす。

Cher05別に深く知っているワケでもないので、ディープな話題は出来ませんが、とりあえずジャケットを紹介したいという目的の文章でやんす。
ちなみに、デビュー曲「なのにあなたは京都へいくの」のシングルの穴は、このタイプの穴でした。


チェリッシュのディスコグラフィ
チェリッシュ・ファンサイト

| | コメント (2)

2006年7月24日 (月)

大きな桃の物語

2006072401_4

2006072402

昔話の暮らしをしているおじいさん、おばあさんの近くに、思いっきり現代的な物があるってのは、どういう物ですかねぇと思いますが、中国なんてまさにそれですね。
中国の奥地には「自分が中国という国に所属している」なんてほとんど知らない、もう100年前と変わらないような人も住んでいる。当然電気やガスなんかも関係ないエコな生活。
でもそんな人にも関係なく地球規模の汚染が降り注いでくるワケで。
ふと思ったのが、日本は幕末に大きな転機をむかえ、そこで世界に門戸を開き、いわゆる文明開化という状態になったんですが、もしあそこで幕府の力が強くて、鎖国状態を続けてサムライの時代が続いていたらどうだったんでしょうかね?
それから50年ぐらい経って、いきなり見知らぬ国の飛行物体が上空を勝手に飛び交い、勝手に世界規模で戦争が始まって、文明の遅れた蛮国として勝手に植民地にされ....、ほんとうにあのタイミングで国を開いてよかったんじゃないかと思うわけで。

2006072403


桃太郎の豆知泉

桃太郎で、おばあさんが洗濯していて桃を拾った川は木曽川らしい。愛知県犬山市の「桃太郎神社」によるとおばあさんの足跡が残っている岩があるとの事。

宝塚少女歌劇は元々「宝塚新温泉遊園地」を作った箕面有馬電気軌道(現阪急電鉄)が観光客を呼び寄せる為に企画した。第1回公演は桃太郎が原作の「ドンブラコ」で、プールを改造した劇場で披露した。

海外の真似を何でも試した明治初期に「仮面舞踏会:マスカレード」を開催したのだが、伊藤博文は「仮装」だと勘違いして、桃太郎の扮装で会場に到着して赤っ恥をかいた事がある。

花咲爺さんの飼っている犬。江戸時代に書かれた書物では「ある日お婆さんが川に洗濯をしに行くと上流から犬が流れてきた」という出だしで書かれている物が複数ある。

| | コメント (0)

2006年7月23日 (日)

クレイドルズ(Cradles)ライブ

こんにちわ、Mr.Childrenの桜井さんに似ていると酔っぱらいベーシストに言われた杉村です。本当に似ていたら自分の人生の苦労の半分は無かったと思います。


そんなこんなでエルローザ杉山バラ園内にあるホールでSBS(静岡放送)アナウンサー國本良博氏が率いるバンド「クレイドルズ(Cradles)」のライブがあった。
6時30分始まりで間に二回ほどの休憩を挟み(あくまでも三部構成と言い張っていましたが)三時間38曲のライブとなった。

とりあえず國本氏はネット上のプロフィールなどでは誕生年不詳って事になっているんですが、ライブ中に「やはり●歳になると、長時間のライブはきつい」などと発言していましたが、3時間のライブは若くてもキツイと思うので、そのパワーはとにかく凄いっす。
静岡の人以外には誰?状態ですが、自分なんかは一番ラジオを聞いていた中学・高校生時代に國本氏は20代の新人アナウンサーでポップスのリクエスト番組などを担当していて、さらに当時も「ケッタウェイズ」というバンドをスタッフと結成してコンサート活動をしていたので、自分たち世代にとってはいわゆる兄貴的な立場でありました。
ま、お互いに順調に年を重ね、共にオッサンになっていますが。

ケッタウェイズは当時SBSアナだった荻島正巳氏(後にTBSへ出向、そしてフリーになった)と、ディレクター2名と組んだバンドで、基本的にオリジナル曲が多かったと思うんですが、上手いとかかっこいいという以前に「ほのぼの」風味が多く、田舎の中学生が聞いても決して上手とは言えない歌などが味でした。
その後、自分は東京へ行ったり、戻ってきた時は自分で音楽やったりして、ラジオを聞く機会も減った事でその後の活動は不明なんですが、数年前に「クレイドルズ(Cradles)」として活動を再開したとの事です。

基本的に國本氏がベンチャーズ世代って事でその手のインスト曲がメインでした。自分はどっちかというとその辺の曲はナツメロとしてかすかに聞いていた程度だったんですが、単純に楽しかった。
演奏テクもかなり難しい事をサラッとやったりして、アマチュアバンドの粋を軽く飛び越してる感じで、客もノリノリでした。

第3部のラストは誰もが知っているような歌物「お嫁においで」「君といつまでも」「想い出の渚」みたいな曲で盛り上げて、会場総立ちで大喝采でライブは終了した。実際の事を言えば、インスト物の方が凄くて最後までそれで突っ走って欲しい気もあったんですが、やはりこっちの方が受けるよなぁと言うことで。
ラストの「想い出の渚」はラスト部で演奏をブレイクさせ、客に「あ〜の夏の日〜」を合唱させる趣向だったんですが「あの箇所って客が乗っていなかったら寂しいので、ドキドキしながらやるんだけど、あそこまで大合唱になるとは思わなくてビックリした」と後に國本氏が語ったほど、歌声喫茶レベルの凄い事になって終わった。

その後の打ち上げにも参加したんですが、渋くファンキーなベースを弾いていた堀氏が酔っぱらって大暴走し(これが通常らしいですが)駄洒落連発、意味不明な行動連発で、いやはや楽しかった。
國本氏より10歳以上年下の自分なんですが、あそこまでのパワーはないよなぁと痛感しつつ、自分ももっと頑張っていかなくちゃいかんよなぁと背中をぐいぐい押されたワケでやんす。

:クレイドルズHP

| | コメント (3)

2006年7月22日 (土)

欽ちゃん球団解散→第二期始動

欽ちゃん球団、無しよ(By.スター誕生)は無しよ♪


極楽とんぼの山本圭一(圭壱から本名の圭一に芸名を変えたばかり)が未成年に対して飲酒を勧め淫行に及んだということで、以前からの事件や行いを含めた形で吉本興業を即刻解除。
その後、所属していた萩本欽一率いる「茨木ゴールデンゴールズ」がその遠征先での事件、飲酒の時に選手も関わっていたという事もあって、萩本欽一が囲みインタビューの際に「球団は解散します」と宣言して、事件がさらに大事になってしまった。(でも3日後に、ファンなどの後押しで宣言撤回)

この件に関しては、ニュースでも連日報道されているし、色々なブログや掲示板で書き尽くされていると思うので、あんまし内容をどうこう書く必要はないと思うんですが、インタビューを見て一つ思ったのは「欽ちゃん老けたなぁ」という事。
自分なんかは、欽ちゃんの黄金期をリアルタイムで見てきた世代(コント55号を含め)で、その後の急速にメディアから遠ざかった「もう時代は終わったな」といわれた時代も見てきた。

いわゆるお笑い好きと自称する人々が「萩本欽一の笑いは温いよな」という事で批判的な意見をいう場合も多いかもしれないし、自分も成長するに従って「健全すぎる笑い」と言う部分に物足りなさを感じつつあったけれど、「ファミリー向け」とか「毒ではない笑い」という部分をブレずにキープし続けている姿は芸人だよなぁという感じで思っていた。

欽ちゃんで有名なのに「下ネタはいっさいやらない」ということで、欽ちゃんファミリー出身の芸人がTVで下ネタで笑いを取った時に激怒したという逸話もあるんだけど、今回の山本のリアルな下ネタはキツイだろうなぁと思う。
欽ちゃん&下ネタがらみでは今から23年も昔、当時人気絶頂で放送されていた「欽ちゃんのどこまでやるの」に三人姉妹という事で出演していた長女役・高部知子がベッドで喫煙している写真が写真週刊誌に掲載された物がある。

布団で隠されてはいたけれど上半身裸っぽい写真で、彼氏が撮影したということで、番組からいきなり姿を消した(芸能活動自粛、堀越学園高校を無期停学)という事件。
確か彼女が主演した「積木くずし 親と子の200日戦争(1983.2.15〜3.29)最終回の視聴率45.3%」の中でエキストラとして出演していた少年と知り合い、そういうことになったらしい。その写真が掲載されたのが1983年4月。高部知子はしばらく謹慎後に復帰する予定だったが、写真を出版社に売ったという彼氏がことの重大さに驚き、自殺をするという最悪な結末を迎え、高部知子の番組降板→芸能活動休止とさらに事件が大きくなった。

この事件により「エッチをする」→わらべが当時歌ってヒットしていた「めだかの兄妹」の中に出てくる歌詞から「ニャンニャンする」という言葉が生まれた。(おニャン子クラブの出演していた「夕やけニャンニャン」が始まったのは1985年4月)
その時は、あんまり番組をシッカリ見ていたワケじゃないけど、たぶん欽ちゃんからの正式報告はなく、ある日突然「最初からいなかった」という設定で番組が続いていたと思う。確かに今回は訴えられた犯罪、前回は犯罪ではないという大きな違いはあるので、そうなったのはしょうがないと思うけど。

しかし、自分も萩本欽一が社会人球団を立ち上げた時に「無理じゃないの?」的に批判気味だったんですけど、最近の報道なんかで「常に満席」「交流試合の申し込み殺到」「完全に黒字経営」など聞いて凄いなぁと思っていた。確かに社会人球団の中ではどでかい広告塔があるってのは強みなんだろうけど(事件を起こした山本もデカイ広告塔になっていたけど)。

でも今回の球団のあり方を見ていると、萩本欽一は現場の人なんだなぁと痛感する。戦後の浅草軽演劇的な世界から出発して、番組はスタジオで収録していても常に舞台・小屋のイメージを漂わせる演出の中で行ってきた。いわゆる、今のバラエティにあるスタジオで収録してそれにスタッフの笑い声などを重ね臨場感を持たせようとする演出とは全然違う。
TVから撤退した後はちゃん劇団を旗揚げして日光江戸村内で舞台活動などを行って(当時はTVから都落ちみたいな感じで書かれていたけれど)、今回も球団で常に生の観客の前でパフォーマンスを行い続けるという、常に現場主義を貫いている姿勢は凄いと思う。

「常に客のため」という事なんだと思うけれど、球団に関しても現状の野球ってのが普通に生活する人とはかけ離れた存在になりつつあるのを「野球って楽しい物」という物に引き戻したのも現場主義のたまものなんだろうなぁ
とりあえず自分はスポーツ関係にはほとんど興味が無いけど、欽ちゃん球団を含めて社会人球団がんばれ!

P.S.(改名)
極楽とんぼ山本圭一はデビューからずっと表記漢字を「山本圭壱」という芸名にしていた。で、つい先月の6月に芸名を本名の「山本圭一」に改名したばかりだった。
芸能人の改名ってのは、大きく名前を変える場合は事務所の移籍だったり、ゼロからのリスタートって事なんだろうけれど、ちょいとした改名は「より良くするため」という側面があるハズなのに...。

同じような例では、去年の本田美奈子も「名前の画数がよくないと指摘され、末尾に(.)を付けると最高の画数になる」として「本田美奈子.」として数ヶ月後に、癌が発見され、その後死去となってしまった。
他には保坂尚輝→保坂尚希の改名直後の離婚(これは離婚の機に改名?)、岸辺四郎→岸辺シローの自己破産とか、改名ってのはどうなんすかね?
成功例では阿藤海→阿藤快とかもあるけれど。

あと、ある人によって改名させられた「ハッピハッピー」「丁半コロコロ」とかはどうなりましたか?結果が確認出来ないほど見ていないので何とも言えませんが。「モンキッキー」も最近あんまり見かけない。
とりあえずウッチャンは「ばかるでぃー→さまぁ〜ず」「海砂利水魚→くりーむしちゅー」と改名に関しては現時点で100%の功績があります。

| | コメント (0)

2006年7月21日 (金)

トラックバック

なんだかこのブログも色々容認されているらしい。


それは悪い意味で、とにかくトラックバックにスパム広告が日々山盛りで届けられるということ。酷い時には同じ内容のトラックバックが最新のブログ30個ぐらいへ一気にどどーんと貼り付けられたりする。
トラックバックが貼られた際に、同内容の物がメールとして届けられるのでメールの方もとんでもない事になっている。
普通のスパムメールも日々山盛りで届けられるので、以前に増して凄い事になっているのだ。
そもそも自分の場合、他のブログなどにトラックバックしていないので、ここからトラックバック無しって事で行こうと思っています。

それとは別の意味で「おお!」と思った事もある。
アクセス解析で「どの文章にアクセスした人がどれくらいいるか?」という項目が解るんですが、最近多いのがどの項目って事ではなく「●月の文章」という項目で読み込む人が多いということ。
つまり任意のページにアクセス多いってのは、たまたま何かのキーワードが引っかかったって事で、いわゆる一見のお客さんって事なんだろうけれど、上記のパターンはそうじゃなく過去の文章を一気に読み返すという行為だと思うのだ。

なんかのキッカケでこのブログに訪れて、文章を読んで「面白いじゃん」と思ってくれて、過去の文章を遡って読んでくれているって事なんかじゃないかと、勝手に思いこんでいます。
なかなか反応がないので、実際受けているのかそうじゃないのか不安なので、そんな事で勝手に「良し!」と自分の背中を押して今日もむりやり前向きで行くのだ。

この所、色々と忙しくて文章を書く時間もあんまり取れなくなったり、気力がそっちに奪われたりして、内容がない文章が続いていますが、その内密度が濃い文章が書けるようになると思いますので、長〜ぁい目でヨロシクおねがいしまつ(by.小松政夫)

| | コメント (2)

2006年7月20日 (木)

ドリンク剤でヘロヘロ

071801
071802
ドリンク剤の豆知泉


ドリンク剤にはたいてい0.2%程度のエチルアルコールが入っている。かつて、トラック運転手が大量に呑んで運転して飲酒事故を起こしたことがある。

同じような例では、アルコールを全く受けつけない人がざるそばを食べてぶっ倒れた例がある。そばつゆに使っていたみりんのアルコールで。

「リポビタンD」の名前の由来は脂肪分解酵素のリポクラシスとビタミンの合成語。最後のDはデリシャスと言う意味もあるが、正しくはダイナミックと言う意味。

アリナミンVは試験品段階では甘く口当たりがよい美味しいものだったが、上司の「まずく飲みにくいほうが薬っぽくて効いたような感じがして売れる!」の一言でまずいものになり本当にヒットした。

あの薬臭いドリンク剤が昔から飲まれているのは日本を中心とした台湾・香港・東南アジア圏だけ。そのために、数年前に発売された「レッドブル」という飲料は「まったく新しい味」と欧米圏でヒットした。現在日本でも発売されているが、ほとんどドリンク剤と同じなので、さほどヒットしていない。

「ユンケル皇帝液」のCMを10数年に渡ってタモリがやっていたのは、70年代、まだ有名ではなかったユンケルをオールナイトニッポンの中で毎週「これを飲めば疲れが一気に抜ける」と話題にした事がキッカケで、毎週のように佐藤製薬が差し入れをし、そのつきあいから始まった。(当時タモリは「シニカルヒステリーツアー」という全国ツアーを行っていた)

とある水族館では夏ばてしたペンギンに 2倍希釈した「ユンケル」を処方する。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2006年7月19日 (水)

書き直し

このままじゃいかんよな!と先日からイラストを描くことを復活させたワケですが、いかがでしょうかね?


実は翌日に掲載している「ドリンク剤でヘロヘロ」の漫画は書き直し版です。
実は「よし!しっかり漫画を書いて掲載するのだ」と決意して、いわゆる雑誌サイズの用紙に漫画をしっかり書いたんですが、それをブログに張り込もうと考えた所、表示画面が縮小されて線や文字が小さくなりすぎて画面上でそのまま読むことが出来ない事が判明。
画面をクリックして大きな画面を表示すれば問題はないんですが、そのまんま読めないってのはダメじゃん、という事で書き直しをしたのだ。

ついでにこんな感じの漫画を書くって事で、画材店でトレーシングペーパーを購入した。画面上では普通に読んで貰っているのですが、実際には絵は普通の用紙、手書き文章はトレペに書いて、パソ上でそれを合成して作成している。
こうすれば文章を書き間違っても描き直しが楽なのだ。

そんなこんなで、いつもより文章が少ない状態で今日は失礼するでやんす。

| | コメント (0)

2006年7月18日 (火)

三つ子の魂百まで

幼児教育関係の本を編集していたんだけど、その中に「子供はそれまで出来なかった事が出来た時に、周囲の大人から褒められるとそれが嬉しくて、次のハードルに挑戦するようになる」という趣旨の事が書かれていた。


ふと自分の事を振り返ってみると、自分は早生まれだったので自ずと周囲の子より体が小さくて(それが小学校6年まで続いた)とにかく運動関係はどう転んでも周囲に勝つことが出来なかった。
その教育書にも確かに「運動への好き嫌いは幼稚園時代に決まってしまう事が多く、そこで課されたマット運動や鉄棒遊びが出来ない事によって、すべての運動が嫌いになる」という事も書かれている。もしかしたら、それがまさに自分なのかも知れない。

中学ぐらいから身長が伸びて、高校の頃には後ろの方になっていて、マラソン水泳なんかは普通の記録を出せるようになっていたんだけど、運動に関しては全然興味を引かれなかった。やはり幼児期に原点があったのかも知れない。

それとは逆に、幼稚園時、近所で絵画教室を開いている先生がいて、勝手に遊びに行ってそこでお絵描きをしていた事がある。たぶん、ちゃんと生徒として授業料を払っているような状況ではなかったとおもう。
そこでみんなが絵を描いている横で、一心不乱にワシワシと真似して絵を描いていて、なんかのキッカケで「巧い!」とみんなに褒められたような記憶がある。
たぶんそこで「俺って絵が上手なんだぜ」という自負が生まれたり、絵を描くと周囲の人が喜んでくれるって事が自分が「絵を描く」という部分の出発点だったような気がする。

ま、それから思春期に「好きな女子の前で格好良くギター弾いて歌いたい」と言うことで音楽にのめり込んだり、同人誌(漫画じゃなく文章の)を作るという事で巻き込まれ、気が付いたら自分がその中心にいてワシワシ文章を書いて、さらに写植をガシガシ打って文章や編集をする喜びに目覚めたりして、今のような感じになっているワケですが、とにかく自分にとって「絵を描く」というのはとにかく原点なのだ。

子供ってのはやはり単純なので「褒められる」って事はその資質を伸ばすために必要な事なんだなぁと自分のことで痛感するのでやんす。

| | コメント (0)

2006年7月17日 (月)

7月17日の出来事(知泉)

漫画の日
東京の日
☆制憲節の日
安全の日   [毎月17日]
7月17日の歴史的出来事
7月17日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

赤塚先生の奥さんお疲れさまでした

いきなり赤塚不二夫先生の奥さん眞知子さんが亡くなったという訃報。


Photo_17赤塚先生の二人目の奥さんで、19年前の1987年の時点で、すでにアル中でボロボロだった赤塚先生と結婚した眞知子さんですが、結婚の時に前妻が赤塚先生には誰かが必要なのでとその再婚をバックアップしたというのが話題になりました。
その時、赤塚先生は52歳(1935年生まれ・現在70歳)で眞知子さんは37歳で15歳の差という事も話題になったワケですが。


0000bakabon1_1先日、集英社から「ゆでたまご先生セレクション」と「秋本治先生セレクション」というコンビニ廉価コミックで赤塚不二夫ベスト本が出たのですが、それがコンビニに並んでいたのを見た時「まさか!」とか思ってしまったワケですが、まさか奥さんが先に逝くとは...。

その赤塚眞知子さんが今年の4月26日から書いていたブログ「これでいいのだ:http://www.koredeiinoda.net/machiko-blog/」は6月26日の書き込みがラストになっている。(現在は不二夫プロの方の書き込みがラストになっています)
その内容も「実は自分が病気になっちゃって、手術しちゃいました。今集中治療室です」みたいな物。
結局、ブログをスタートして2ヶ月でこうなってしまったワケですが、リアルタイムで日常の事を書き連ねるブログってのは、飽きて辞める場合以外はそんな結末なんでしょうかね?
なんか切なすぎます。
そのブログの中から直リンは失礼かもしれませんが「この写真」なんかも、じわっと来ちゃいます。


Bakabon2_1赤塚先生は2002年に脳内出血で入院し、2004年頃から数度の危篤時期を乗り越え、現在はうっすら意識がある状態で寝たきりとの事で、現代医学に生き長らえさせられている状態。
それが良い事なのか悪い事なのか、その当事者ではないので断言出来る問題じゃないんですが、ちょいツライ状態ではあります。

やはり自分は子供の頃から「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」「天才バカボン」をアニメで見て、小学生時代に学年誌に連載していた「たまねぎ玉ちゃん」を初めとして上記アニメ原作や「風のからっぺ」「レッツラゴン」などなど、書き連ねたらどこまでも続くほどその作品を愛読してきたので、赤塚先生は自分にとって教科書のような物なのかもしれない。
もちろん同時代の手塚治虫・藤子不二雄・石森章太郎(石ノ森ではなく)・横山光輝なども自分の身に血になっているけれど、他人を笑わせるという部分に関してはかなり影響を受けました。(藤子A以外は全て故人というのも寂しいですが)


Bakabon3_1ちょうど雑誌連載の漫画などを読み出したのが中学生時代。友達が購入していたマガジンとかサンデーだったんだけど、その当時の赤塚先生はギャグに関してはかなりトンがっていたみたいで、天才バカボンも実験漫画に突入していました。
リアルサイズ漫画とか、コマ割り一切無し漫画とか、絵を一切描かない漫画とか、いわゆるゲームブック状態で次に進むコマを選んで話が展開するとか(結末は全部同じでした)、いかに予定調和を壊していくかという部分にかなり感銘を受けたワケです。誰も気が付かない重箱の隅に笑いを発見するというのは、そこが原典かも知れません。
それと同時に過去の作品を読み出し、実は根底に叙情性があるという事も知った。

90年代のある時、確か番組は「トゥナイト」だと思うけど、シェー展みたいな企画があり、とある写真家が世界各地でそこの人々にイヤミのキメポーズ「シェー」をやって貰った物を撮影し、ずらっと展示するというのを紹介した。まだ元気だった(でもアル中)赤塚不二夫先生が登場し、「でもみんな違うんだよなぁポーズが」といって「いいかシェーっていうのは」と片脚を上げ手をあのポーズをとりながら「シェー!」と叫んだ。で、そのポーズのままバランスを崩してゆっくりと横に倒れていった赤塚先生がTVで見た最後だったかも知れない。
でも、子供の頃から憧れの気持ちを持って見ていた赤塚先生が、アル中になろうとも、それが意図しない物だろうと人を笑わせてくれる姿勢に「あぁやっぱりこの人は」と尊敬しちゃったのだ。

意識がうっすらとあり、タモリが病室を訪れた時も嬉しそうな表情をしていたらしいので、奥さんが病室から姿を消した事もそのうち理解出来ちゃうんじゃないかと思う。
赤塚先生がこの先もこの状態でいる事が、良いのか悪いのか解りませんが、みんなゆっくりと幸せな結末を迎えて欲しいと願うだけです。
眞知子さん、長い間お疲れ様です。きっと赤塚先生も幸せだったと思います。
ご冥福をお祈りいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月16日 (日)

7月16日の出来事(知泉)

駅弁記念日
外国人力士の日
藪入り(1月16日と7月16日)
7月16日の歴史的出来事
7月16日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

原田知世「悲しいくらいほんとの話」

000_10原田知世/悲しいくらいほんとの話
作詞.来生えつこ/作曲.来生たかお/編曲.星勝
1982年7月
キャニオン 7A0203/定価700円


別に深い意味はありませんが、今回は「セーラー服」シングル。
原田知世のデビュー曲で、薬師丸ひろ子でヒットした赤川次郎原作の「セーラー服と機関銃」のTV版主題歌。

薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」
000_11原田知世はこの後、これも薬師丸映画「ねらわれた学園」のTV版を演じていて、薬師丸の妹分な印象がありましたが、その後映画「時をかける少女」で独り立ちをしたわけです。なにはともあれこの作品でデビューした当時の原田知世はぎこちない演技の少女でした。
ちなみに「セーラー服と機関銃」は今年の10月から長澤まさみ主演でリメイクされるみたいです(TBS系)。

西村知美「想い出の冬休み」
000_14赤川次郎の原作は1978年に発表されていて、それまで普通に暮らしていた女子高生がひょんな事からヤクザの4代目を継ぐことになり、ラストシーンで機関銃を乱射する(と言っても人的被害無し)シーンが印象的で薬師丸版のシングルにはそのシーンがそのまま使われている。
ちなみにそこで使用されている機関銃は自動車で有名なGM社が戦時中に開発したM3A1という型式の物で、通称グリースガン(グリス注入器のような形状だったので誰とも無しに言い始めて通称になった)。

伊藤つかさ「少女人形」
000_15実は本来、映画では作曲者・来生たかおが歌う「夢の途中」が使用される予定だった。
しかし角川春樹が出来上がって来た曲を聴き「これ薬師丸ひろ子に歌わせたらどうだ?」と提案をし、主演女優が歌う主題歌として差し替えられ、さらに曲タイトルも映画のタイトルと同じになった。
来生たかおとしては「約束違う」ということで抗議をしたのだが、そこは勢いのある角川映画に押し切られてしまったのだ。もっとも薬師丸ひろ子の曲が売れたのと相乗効果で「夢の途中に」もヒットし、その後、薬師丸ひろ子や原田知世の作曲をはじめ、作曲家としてもかなり売れたので、その約束破棄はチャラって事ですかね?

ソフトクリーム「クラスメイト失踪事件」
0000softclassちなみに薬師丸ひろ子の「セーラー服と...」と原田知世の「悲しいくらい...」は編曲も同じ星勝で、メロディは違うのですがイントロのフレーズはほぼ同じ物になり共通性を持たせています。
しかし映画主題歌って事をまったく知らない状態で薬師丸ひろ子の「セーラー服と機関銃」を聴くと、歌詞の中に「セーラー服」も「機関銃」も出てこないので、激しく「????」な曲ではあります。

浅香唯「STAR」
000starセーラー服の少女が戦うという意味ではこの小説は1976年から「花とゆめ」で連載が始まった和田慎二の漫画「スケバン刑事(デカ)」が元ネタかも知れません。時代的にはジャストなタイミングですし。
という事で、初代麻宮サキ・斉藤由貴、二代目麻宮サキ・南野陽子は主題歌シングルではセーラー服を着ていないのですが、3代目麻宮サキ・浅香唯はちゃんとセーラー服でシングルを飾っています。

この時点で浅香唯は売れない3年目のアイドルだったんですが、この人気シリーズは大抜擢で起死回生の一発だったワケです。
主題歌は全42話の間に5回も変わり、このシングルは2番目の物。そして5番目の主題歌として浅香唯と共に中村由真大西結花が「風間三姉妹」としてリリースした「Remember」が使用されていました。

風間三姉妹「Remember」
000_12実はTVドラマ化に当たって原作の和田慎二は「漫画とドラマは別物なのでストーリーの変更などは自由に」というスタンスでノータッチだったのですが、斉藤由貴・南野陽子版はそれなりに戦うヒロインの孤独などが描かれていたけれど、浅香唯版は三姉妹だし、学生刑事である必然性が無いし、と言うことで激怒したと言う。そのために、それ以降は、今年になって決定した松浦亜弥の映画Ver.まで実写化の許可が無くなったという。

五十嵐いづみ「エスケイプ!」
000_13そこで、それまで「スケバン刑事」を放送していた木曜19時30分の枠で、オリジナルで「戦うセーラー服ヒロイン物」を作りあげたのです。
それが五十嵐いづみ主演の「少女コマンドーIZUMI」
浅香版スケバン刑事のコミカルな部分を反省したのか、ひたすらシリアスにヘビーな内容でした。
機関銃を乱射するヤクザの後継者とか、ヨーヨーで戦う学生刑事なんてのを突き抜けて、バズーカ砲とかロケットランチャーをぶっ放してトラック炎上させる、バイオの力で超人的な能力を身につけた少女という設定。
とりあえず警察の影組織からの依頼で秘密組織への潜入調査を命令されて、逮捕とかではなく壊滅させる話。とにかく、どの回を見ても暗い印象しか残らなかったんですが、お陰で半年ほどで番組終了。
その時間帯の戦うセーラー服ドラマは終了しました。

由美かおる「レッツゴー!高校レモン娘」
0000yumikao_1ぐるっと時代はめぐり「スケバン刑事」「セーラー服と機関銃」がリメイクされるって事なので、どっかがどさくさに紛れて「少女コマンドーIZUMI」をリメイクしてくれないかなぁ

| | コメント (1)

2006年7月15日 (土)

7月15日の出来事(知泉)

盂蘭盆
中元の日
ファミコンの日
大阪港開港記念日
☆ひよ子の日  [毎月14・15日]
お菓子の日  [毎月15日]
中華の日   [毎月15日]
いちごの日  [毎月15日]
7月15日の歴史的出来事
7月15日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

漢字が読めない

土曜休日なのに朝早く起きてしまい、テレビの早朝ニュースを見ていた。


そこで「漢字が読めない」というニュースをやっていた。最近の小学生はメールやパソコンの影響で漢字が書けない、読めないということが新聞記事になっているという事らしい。
ま、小学生って事だけじゃなく自分を含めて漢字を書けと言われても書けない事が多いっす。読むのはそれなりに出来るとは思うんですが、書くとなったら本当に簡単な漢字でさえ、書いている最中に「あれ?この字ってこんなバランスだっけ?なんか違うかも知れない」と不安になって調べてしまう事がある。

もっとも調べるといっても昔のように辞書を引く面倒臭い状況はなくて、パソコンのキーボードを打てばすぐに「あ、この漢字でいいのか!」と判明してしまうので、昔みたいに調べる大変さがなくなったせいか「調べた事によって覚える」ってのも少なくなってしまったかもしれない。

しかし、この「漢字が読めなくなった」というニュースを紹介していた若い男性アナウンサーが「最近は若年層に」という箇所で
「最近わかねん層に...あ、じゃくねん層に」
と言い直したのは、にが笑いですな。
これは明らかに「わかねん層」と読んでいたのを指摘されて「じゃくねん層」だと教えこまれたっぽいです。元々読みを知っていたらあんまり読み間違えるような部分じゃないと思うけど。

漢字の豆知泉

「亜」という字は「亜美」など日本では人名に使われるが、中国ではよくない意味の字なので何故そんな悪い名前をつけるのか?と考えられている。
「亜」はその下に「心」を入れて『悪』となる事からも分かるし、亜流・亜熱帯などの様に「二番目」とか「偽物」と言う意味もあるらしい。

「おこなう」を漢字で書くときの送りがなは《行なう》ではなく《行う》が正解。昔はどっちでも良かったのだが、昭和34年の『新送り仮名の付け方』で制定され《行う》が正解になった。
しかし本の編集をしていると「行う」ではなく「行なう」と指定してくる編集者が圧倒的に多い。しかしワープロでは基本的に「行なう」という変換をしないので、結構面倒くさい。(単語登録すると、必要ない時に「行なう」になるので、したくないし・・・)

「世論調査」の「世論」は、本来「よろん」と読むのが正しく「せろん」は誤読だった。もともと「輿論:よろん」と書いていたもので、「輿」の字が常用漢字表にないための当て字で「世」を当てた物。

「老舗」を「ろうほ」と読んで笑われた人もいると思う。実は漢字検定試験では「しにせ」と読んでも「ろうほ」と読んでもどちらも正解。

『独壇場』はドクダンジョウと読まれることが多いが、本来はドクセンジョウと言う。(最近はドクダンジョウもOKになっていますが)

花木のサザンカは『山茶花』と書くが、元々は山茶花と書いて「サンザカ」とよむ物だった。

直筆は「じきひつ」と読むのが一般的だが「ちょくひつ」と読む場合もある。それは毛筆の用筆法の一つで、筆管をまっすぐに持って書くことを言う。

体力を消耗するの「消耗」は本来は「ショウコウ」と読む。

自動車の「車幅」は本来は「シャフク」と読む。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月14日 (金)

7月14日の出来事(知泉)

パリ祭/フランス革命記念
気象衛星・ひまわりの日
ペリー上陸記念日
廃藩置県の日
求人広告の日
7月14日の歴史的出来事
7月14日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

忌野清志郎が喉頭癌

忌野清志郎が喉頭ガンでこの夏の仕事をすべてキャンセルし入院療養体制に入ったと、自サイトで発表したとの事。


00000_20歌手にとって喉にからむ病気は致命的だし、特に清志郎はあの喉から絞り出すようなシャウトが特徴的なので、かなり心配なニュースなのだ。それ以前にがんというのが。
忌野清志郎といえば、解散(休止?)してから10年以上経過するけれど、自分的にはいまだに「RCサクセションの忌野清志郎」ではある。
RCと言っても、80年代以降のロックのRCではなく、70年代のフォークのRCサクセションをギリギリ知っている。

000_9たしか中学だったか土曜から日曜に架けての深夜、鶴光のオールナイトニッポンをよく聴いていた。3時ぐらいからイントロ当てクイズなどがあり、その後は比較的しっとりしたコーナーとなり、いつもその辺で自然と寝込んでしまうというのがパターンだった。
そのウトウトしていた時に「RCサクセション:スローバラード」が流れていた。
なんだか今まで聴いた事の無いタイプの歌声と、そこで歌われる二人の切ない様子がガキながらにジ〜ンと来てしまった。と言っても、曲が掛かる前の曲紹介は記憶になく、それからずっとアーティスト名も曲名も不明のまま、延々とあのピアノの音色と絞り出すような歌声だけが頭の中でループしていく事になったのだ。
それから約3年ほどの時間が経過した。

000rc_11979年、7月か8月の月曜夜8時台にNTVで「紅白歌のベストテン」(後にトップテンとか放送する時間帯)を見ていた時、このファミリー向けの音楽番組に異様なバンドが登場してきた。
この番組は毎回渋谷公会堂あたりからの中継で、客層は中高生とか家族がほとんど。司会は男性は堺正章、女性は当時は大場久美子か榊原郁恵。いわゆる「歌謡曲なんてかったるくて聴いてられねえぜ」という層はまったく無視するような歌手しかでないような番組だったのだが、そのバンドは、ビリビリに破れたシャツやズボンで(当時は穴あきジーンズもファッションとして認知されていなかった)、髪の毛をツンツン立て、しかも派手なメイクをしていた。
他の歌手のような司会者とのトークもなく、いきなり紹介され歌い始めた。
バンド名は「RCサクセション」曲名は「ステップ」

0000たしか客席はかなりざわついていたと思うが、そのバンドが曲を歌い終わるとそのままCMに入り、その後はまったく出てこなかった。
その曲調は全然違っていたけれど、その声が3年ほど前に深夜1度聴いたあの曲と同じだった。そこで紹介された「RCサクセション」というバンド名から、当時愛読していた音楽雑誌『新譜ジャーナル』の過去の号をひっくり返して、あの時流れていたのが「スローバラード」という曲だというのが判明した。

00000kiyosanしかし悲しいかな、田舎のレコード店を何軒も回っても「RCサクセション」というバンドのレコードは1枚も発見する事が出来ずに終わってしまった。
その後、進学で東京に住むようになり、そこで知り合ったキヨハラ氏がバリバリのRCファンで色々な事を教えてもらい、どっぷり浸るようになったわけでやんす。
ちなみにこのイラストはその当時にキヨハラ氏がカセットレーベル用に書いてくれたRCのイラストでやんす。

RCサクセション関係雑学

0000blue俳優・三浦友和はアマチュア時代のRCサクセションにパーカッションで参加していた。忌野清志郎とは同じ国立市出身で日野高校の同級生(中退と卒業ですが)、その関係もあり三浦友和・山口百恵の結婚式にも招待された。

RCに参加していた時の三浦友和は、初めての一人暮らしだったが、ボンボン育ちだったので洋服はすべてクリーニングに出していた。(他のメンバーはクリーニング以前に洗濯もしなかったが)ジーパンもクリーニングに出していたので、ジーパンにもきちんとアイロンがかかっていた。

友和の父親は元警官だが、警察を辞めたのは「国際興業」の社主でロッキード事件で有名になった小佐野賢治にスカウトされた事による。

0000pleaseRCサクセションの名前の由来は『ある日作成しよう』と思って結成したことから。

というのはグループ名の由来を聞かれたときに面倒くさかった忌野清志郎氏が適当に答えたジョーク。
本当は、忌野清志郎が中学時代に組んでいたグループが「クローバーズ(Clovers)」、高校進学と同時にメンバーがバラバラになって解散したのを再結成して作ったのが「リメインド・オブ・クローバーズ」(Remainder:残り者)。
後に高校中退してメンバーを新たに集めて再結成した時に(Succession:サクセスとセッションの合成語)をプラスして「Remainder of Clover Succession」。略して「RC Succession」となった。

000beatかつて角川から「GATTA! 忌野清志郎」という文庫が出た(タイトル名は微妙に違うかも)。
しかし、それはインタビューや取材をまとめた物だったが、何気なく喋った家庭の話や本名なども書かれ、清志郎が「そこまで書くのは話が違う」と廃版にした。
その後改訂版として再発行。
※その初版持っていますが、詳しい内容は秘密。

0000babyRCサクセションのデビューは1970年頃、30数年前だが「デビュー50周年記念」の本が出ている。この本、デビュー25年目に出版されたもので「デビュー50周年記念出版:上巻」、下巻は25年後に出る予定となっている。


※忌野清志郎さんは2009年5月2日永眠なされました。RCサクセション『ステップ!』:忌野清志郎追悼

| | コメント (0)

2006年7月13日 (木)

7月13日の出来事(知泉)

優生保護法の日
生命尊重の日
オカルト記念日
◇NTVドラマ『太陽にほえろ!』マカロニ刑事殉職の日
7月13日の歴史的出来事
7月13日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高級婦人とデート

未だに「裕福な素敵な女性と交際できます」みたいなスパムメールが延々と送られてきている。


たぶんその数は普通の人よりは多いんじゃないかと思う。これは自サイトを開いて、そこでメルアドなどを公開している間は止まらないとは思うので、もう諦めている。
しかし、それらスパムの内容は「絶対ありえない笑ってしまうほどオイシイ話」ばかりなので、こんなのにひっかる奴いねえだろと笑えるネタとして見ていた。

が、静岡県の会社員男性(49)など3名がネット上で「リッチな女性を紹介します」という広告を出し、女性の紹介料名目とて現金をだまし取っていたということで逮捕され、その被害者が約1万人で、被害額が4億円に登るという事が判明した。

まず登録した段階でリッチな高級婦人(変な名称)を紹介する紹介料約3万8000円を収める。そして先方からリクエストに沿った形でプロフィルが送られている(デタラメ&雑誌モデルなどの適当な写真)。その紹介する女性はどの人も、金も暇も持て余しているセレブ(すでに陳腐な言葉ですが)で、彼女とデートすればデート代が支払われるという、いわゆる出張ホストみたいな事らしい。
が、結局なんだかんだ言ってデートにこぎ着けた人はいない(当然だけど)。中にはそれでも諦めきれず何度も何度も紹介料を払い、最終的には100万近く払い込んだ人もいたらしい。

紹介料が少額なのと、こんなのに引っかかった事が判明すると恥ずかしいという事で被害者がこれまでほとんど届けでなかった事から、こんな凄い被害額になっちゃったとされているけれど、日本国内で1万人もいますか、この手のに「マジっすか?」と飛び乗って金払っちゃう人が。
登録されたいた男性は約1万人で、そのうち被害届は10件ほど。

犯人は詐欺罪ではなく、これだけ大量の被害者が存在するということから組織犯罪処罰法違反罪ということで起訴されているんだけど、この犯罪は、どー考えても被害者のほうも自衛能力無さ過ぎ。
世の中にそんなに旨い話がぽろんと転がっていると思っているんだろうかね?

日々大量に送られてくる明らかにデタラメなスパムメール。毎回「こんなの必死に送ってるけど、ご苦労なこった」とずっと思っていたんだけど、その1社(社というのか?)だけで1万人も引っかかる人がいるって事は、この先もその手のスパムは消滅しないって事なのだな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月12日 (水)

7月12日の出来事(知泉)

ラジオ本放送の日
人間ドックの日
ローリング・ストーンズ記念日
ひかわ銅剣の日
日本標準時刻記念日
パンの日 [毎月12日]
豆腐の日 [毎月12日]
7月12日の歴史的出来事
7月12日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

甲斐智枝美「スタア」

Kaitistar01前回、7月8日(土)に書いた「小泉今日子/素敵なラブリーボーイ」の時に、スター誕生出身の先輩、しかもイマイチ売れなかった先輩として甲斐智枝美の名前を出した。


そんなタイミングで、11日(火)に「10日早朝甲斐智枝美さんが死去した」と訃報が届けられたワケです。
別段、彼女に関して書き連ねるほど多くを知っていないけれど、なんか80年代のアイドル達もしっかりと年齢を重ね、それぞれが生活を築き上げて生きているのだなぁと思ったりもする。
とりあえず、元スクエアのドラム長谷部徹と結婚したってのは知っていたので、いつの間にか名前を聞かなくなった消息不明アイドルとはチト違うので「平凡に母親でもやっているんだろうな」ぐらいに思っていた。
長谷部徹はスクエア以前にはジャニーズ事務所に所属して「アンク」というバンドをやっていたので(1979デビュー1981解散なので16〜18歳)、その関係か今でもジャニーズ絡みのドラマの音楽を時々担当していて名前をチラっと見かける事もあった。

で、最初は心不全によりという事だったのが、どうやら自殺だったのではないか?という話になっている。
実は先日は「水着写真ジャケット」という括りで文章を書いて、「次はどんなネタで書こうか」という話を友人とした時に「自殺した歌手特集」みたいな話もあった。そりゃ悪趣味だよなという事で却下だったんですが、そんな話をした翌日の出来事。

しかしワイドショーの中では芸能レポーターと称する人が適当な事を語っている。
「彼女はスター誕生出身で、1980年にデビューしポスト山口百恵とまでいわれた。同期に松田聖子さんや三原順子さん河合奈保子さんもいますが、まだ人気のあった1990年に結婚と同時に芸能界を引退し...」
そもそも、1980年に山口百恵が引退表明した段階からその年にデビューした女性アイドルは全員「ポスト山口百恵」なんて呼ばれてました。で、1990年に人気があったかは知りませんが、結婚と同時に引退というより、その翌年に出産してそこで引退だったはず。

デビュー曲「スタア」はそこそこ売れたと思うけど、それ以降はあんまり印象に残らず、どちらかというと前回書いたように「徐々に着衣の少なくなる仕事」がメインだった様な気がする。
それもあって、今回調べて初めて知ったんですが、5枚目のシングル「Si! Si! C」という曲のジャケット写真はばっちりビキニ姿らしいです。まさに前回書いたとおりのルート。(アイドルシングルマニアの自分でもそんなジャケットの存在を今まで知らなかったわけですが)
その後仕事は女優業へとシフトしたみたいで、しかも主人公を虐める敵役みたいなのが多かったような気がする。

ついでにTVでは「彼女はチェミィと呼ばれて」と言っていたんですが、そのニックネームで呼ばれていたのはデビュー2年目まで。
実は1982年に同じホリプロから堀ちえみがデビューした際に、同じちえみなので、そっちにそのニックネームがシフトされちゃったという過去があります。ホリプロ的には「スター誕生」経由アイドルより、「ホリプロスカウトキャラバン」経由アイドルの方が王道なので、待遇の違いはしょうがないのかも知れないっす。(正しくは堀ちえみはチェイミィだったかも知れないけれど、ほとんど定着しなかった)

000honda0712しかし、ワイドショー的に中途半端に持ち上げようとしているけど無理があって、逆に痛々しい。
去年の本田美奈子死去の時も「生前そんな事誰も言っていなかっただろ」的に『天使の歌声』とか言っていた。
本田美奈子の場合は少なくとも全盛期もあったし、ヒット曲もあるので、なんとなく納得出来るんだけど、甲斐智枝美の場合、同時代を生きていた人がうっすらと「そう言えばそんな人が」という感じなので、無理して持ち上げればもち上げるほど痛々しい。

000hide0712かつてX-JapanのHideが亡くなった時も、明らかにレポーターもコメンテーターもそのスタジオに居る人が誰一人として「生前知らなかっただろ?」状態なのに、「若きカリスマと呼ばれ」とか「本当にこういう才能がある人が早逝するのは悔しいですね」などと語っていたのよりは、ややマシかな?レベル。
自分はHideに関して生前から知っていましたが「若きカリスマ」なんて呼ばれていた事は知りませんでした。たぶんバリバリにファンだった人ですら「カリスマだったのぉ?」状態だと思います。

そんなこんなで便乗とも思えるような文章を書いているワケですが、ここ数年自分と同年代の芸能人の訃報を年に数回聞くようになり、なんだか切ない気持ちになってしまいます。
平均寿命が80を越えている今、志半ばでこの世を去っていくのは病気だろうと自らだろうと、その無念さがじわりと身に感じます。自分も余命というものを考えた時に「今のままでいい?」とか「何かをまとめる作業に入らなくてはいけないのでは?」と焦燥感に襲われることがあります。まだ何も成していないというのに。
死因は他人がとやかく言えるものではないと思います、ただひたすらご冥福をお祈り致します。

P.S.
実は訃報が報じられた翌日にサイト知泉ではちょいと異常が起こっていました。
彼女のデータもある「知誕Wiki」へのアクセスが通常1日10000ぐらいだったのが一気に20000を超えました。そして甲斐智枝美の項目には1日で3000アクセス(と言うことは他のページにもアクセス多かったという事になりますが)。
さらに異常は、ブログでも起こっていました。このブログへのアクセスは通常多くても500程度なのに、一気に1300超え(ま、それでも少ないと言う人はいるんでしょうが)。しかも午前10時台までは通常どおりで、11時を超えた瞬間から異常にアクセスが急上昇し ....それが真夜中の12時まで続き、なぜか1時にぴたりと止まったまま、翌日からは通常営業状態。
何んだったんですかね?

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月11日 (火)

7月11日の出来事(知泉)

世界人口デー
真珠の日
YS-11の日
めんの日[毎月11日]
7月11日の歴史的出来事
7月11日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

くまぇりの連続不審火日記

日々、ブログなんか書いていても、普通の一般人の生活にはそんな出会いも事件も起こらない。
一番ネタとして面白いのは自分に起こった不幸な出来事、トホホな出来事を、自嘲気味に書くって事なんだろうけど、時々何かの事件に遭遇すると不謹慎ながら「ラッキー!」と心の中で小躍りする嫌な自分もいる。
あまりにも悲惨な事故の場合などは、書いたりはしませんが。


ということで、10日に長野県警諏訪署に飲食店手伝いの20歳女性が建造物等以外放火容疑で送検された。でもって現代的なのが、火事が起こった時の話をブログに書いて、さらには火事の写真まで掲載していたと言う事なのだ。
とりあえず現時点では5月26日に起こった自動車修理販売店の乗用車に放火したって事で、「火事があったよ!乗用車2台を焼く火事だって」と書いていて、そっちに関しては容疑を認めているんだけど、今年4月から周辺地域では20件の不審火が発生しているので、余罪がかなりあるのではないか?と考えられている。
とりあえず、その内の8件に関してブログに書いていて、彼女の出身中学の体育館なども不審火によって全焼している。

その地域で放火容疑として別に男性も逮捕されているということで、全部が彼女の犯行ではないとは思うけれど、例えば何かで火事に遭遇してその事をブログに書いたとする。それに対して、大きな事件だったので今まで以上にコメントがあったりして反響が大きいと「そうか!これか!」という事で、次は便乗して放火して… というケースも考えられる。

しかし、その女性はブログで「熊田曜子の日本一のそっくりさん」と自称し、さらにネット上での愛称を「熊ぇり」としていたってのが、イタタではあります。(熊は熊田から、ぇりは本名から、しかも「え」は小さい「ぇ」って辺りが、いかにも今に毒されている感じ。本文でも「ぁぃぅぇぉゃゅょ」などは全部小文字)
で、タレント志望で色々なコンテストとか事務所オーディションに参加していて、その度に売り文句が「熊田曜子の日本一のそっくりさん」だったらしい。

しかしそれって逆効果じゃないのかなぁ。とりあえず熊田曜子は二人も必要ないし、芸能事務所としても「は?ここはそっくりタレント事務所じゃないっすよ」てな感じだと思うんだけど。
確かに、長州力→長州小力、石原裕次郎→ゆうたろう、長嶋茂雄→プリティ長嶋などを初めとして、矢沢永吉・長渕剛・カールスモーキー石井、松田聖子をメインしている物まね芸人は多数いる。けれどそのターゲットが熊田曜子じゃ仕事の展開はほとんど無いでしょうね。
女性芸能人のそっくりさんて事で需要はAV方面にはあるとは思うけど。
なにはともあれ「目立つのが好き」というレベルの芸能人志望だったんだろうなぁ。

自分で起こした事件を記録するという物では、去年、静岡某所で母親に薬物を日々投与して徐々に弱っていく様子をブログに記録していた女子高生の事件もあったけれど、それ以前では「ありさの虐待日記」という、自分の子供を虐待する様子を克明に綴った物が騒ぎになった事がある。
警察まで動いて、その日記作者が特定されたんだけど結局それは全部架空の話だった。

前にも書いたけれど、最近は事件が起こったのと同時に、その被害者・加害者が運営していたブログというのがすぐにニュースソースになり、人格を含めた分析が起こってしまうのは、怖い時代だよなぁ。
しかし、火事で人が大勢右往左往している様子を「まるでお祭りみたい」と書いちゃう神経はちょい解らない。

この「知泉的雑記」は、ブログ以前に約10年間ネット日記として文章を綴り続けているんですが、今から5年ほど前、確かシドニー五輪の頃、近所で連続放火事件が起こっていた事を何度か書いている。
もちろん自分が日記を盛り上げるために起こした事件じゃないんですが、ネタとしてそれなりに熱くなって分析しつつ書いていた。不謹慎だけど事件が再発すると「お!」と思い、近所に流布している噂に聞き耳を立てたりしていた。

で、ある時、自分の部屋の窓からハッキリ見える位置にある家が全焼した事がある。真夜中に起こった火災で、慌ててデジカメでその現場を撮影した。崩れ落ちようとしている家、その家の前方で消火にあたっている消防団員や野次馬などのシルエットもハッキリ見て取れるような写真。
でも、その時自分は報道カメラマンにはなれないなぁと実感したのが、翌日その写真を見なおして「なんか嫌な物撮影しちゃったなぁ」という自己嫌悪感ドップリになってしまったのだ。人の不幸をなんか喜んでいる自分の浅ましさを感じてしまい....。

最近は火事や交通事故が起こった際に、その場に居合わせた人が現場を写真やビデオに撮影して、その日の内にTVで放送してってのが当たり前化していますが、どうやら自分にはそんな神経の太さがないのが解ったっす。
カメラ付き携帯の普及がこの状態を作り上げたんだと思うけど、一般人撮影のビデオとか動画携帯の画像がニュースに使われるけれど、当然そこにはお金が絡んでいるよね。なんか撮影している瞬間に「これ金になる!」って思っているみたいで...。

5年ほど前に近所で何度も起こった不審火に関していえば、ほぼ毎回雑記に記録した事から後で読み直すと、だいたいが翌日休み(日曜.祭日)だったり、夏休み・春休み的な時期だったので、学生の仕業ではないかと考えた。
約2年程解っているだけで7回ほど続いた不審火も、犯人が捕まったという話もなく、とある1月の不審火を境にパッタリと停まり今に至っている。
たぶん高校生辺りが犯人で、卒業して大学に行ったか、就職でもして悪癖が止まったかのどちらではないか? と踏んでいる。

消防車が出ない火事未満もいくつかあったみたいで、どっかの店の裏手に焦げた雑誌が転がっていて壁が少し焦げていたとかの話もあった。
実は、我が家もその不審火野郎に狙われていたらしく、庭先に40年以上前に祖父(すでに他界)が始めたお稲荷さんの祠があったんだけど、その放火が頻発していた年の暮れ、掃除をしようとそこを開けた所、その中に焦げた雑誌が転がっていて、祠の内壁が少し焼けこげていた。
雑誌はその年の9月頃発売の中古車情報誌。明らかに一連の事件の1つで、雑誌の種類からしても若いあんちゃんでは?という感じなのだ。とりあえず警察を呼んで現場検証とかしたので、いきなり慌ただしい年末になってしまった。

などと書いてますが、別にこんな話でブログが盛り上がっても意味ねえじゃんとか思っちゃうのだ。
なにはともあれ、住居に絡む火災がないって事だと罪状としてはそんなに重くなく短期間で出てくるとは思うんですが、AV関係の事務所が動いて「熊ぇりのハートに火をつけて」とか、そんな安易な作品を作りそうな気がする。
それまで本家の熊田曜子が売れていればの話ですが。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月10日 (月)

7月10日の出来事(知泉)

納豆の日
ウルトラマンの日
国土建設記念日/建設省(現在の国土交通省)開庁記念日
LPガス消費者保安デー[毎月10日]
植物油の日      [毎月10日]
7月10日の歴史的出来事
7月10日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

ピストルズがやってくるヤァヤァヤァ

かつて歌手の岡村靖幸が「本当に格好いいってのは、裸が格好いいって事なんだよ」と歌って(語って)いたけれど(ってほとんど知られていない曲ですが)、とりあえず自分の場合、人前に出すような肉体美は持ち合わせていないので、「やっぱ格好いいのはTシャツが似合うって事だよな」止まりで考えています。


そんなこんなで、気が付くとクローゼットの中には大量のTシャツがあるワケですが、購入しただけで1度も着たことがないTシャツも含め100着ぐらいはあるんじゃないかと思われる。
何着かロック系のデザインTシャツもあるんだけど、自分の場合、ロックは好きだけど人間的にロックじゃないので、似合わない気がして着ていない。ストーンズのマークが前面にど〜んなんてのを何も考えずに着ることが出来る人間になりたいっす。
でもって、大量にあっても普段頻繁に着るのは数着って感じでそれをローテーションしております。
一時期はポップで派手なデザインの物も着ていたんですが、最近はちと地味傾向に走っている。寄る年波には勝てないって事ですな。

そんなこんなで(ムリヤリな場面転換)先日、ぼーっと車を走らせていたわけですが、前方から犬を連れた年の頃なら70歳後半という感じの老婆が歩いてくるのが視界に入ってきたのです。
いたって普通の老婆だったんですが「!」と思ってしまったのは、その老婆が着ていたTシャツが、どーみてもセックスピストルズの「God Save The Queen」のジャケットをデザインしたもの。
なんじゃそりゃぁぁぁと思いながらも、その老婆の横を車はすり抜けていくのであった。
絶対見間違いじゃないよなぁと思いつつ、どうして彼女がそれを着ることになったのかが気になってしょうがないのだ。

そもそもセックスピストルズは70年代末に活動したイギリスのパンクバンド(実質活動期間1年2ヶ月ほど/途中2度ほどブザマな再結成あり)。つまりすでに30年近く前のバンドという事になるので、あの老婆が70歳だったとして、30年前の40歳の頃にハマり、現在に至るまで彼女はファンで有り続けているという可能性がある。
たとえば彼女の息子、たぶん現在40代半ばで、20歳前後にピストルズにはまっていてその際に購入したビンテージTシャツを何かのキッカケで母親が着るようになったものという可能性もある。
たとえば彼女の孫、たぶん現在中学生〜20歳ぐらいが、敬老の日のプレゼントとして渡した物という可能性もある。
なんかどの答えもしっくり来ない。まさか最近、そのぐらいの年齢の人々に流行っているって事はないよね? 巣鴨当たりの店にピストルズやラモーンズなどのTシャツが並んでいるなんて想像できないけど。

でも、老人がポップなTシャツとか着ていると可愛い感じがしちゃうので、孫あたりから「おばあちゃん、もっと明るい色の服を着ろよ」とプレゼントされた、なんて感じだったら「ちょっといい話」なのだ。
でも、そのTシャツにはパンクの合い言葉「ノーフューチャー:未来が無い」が込められているなんてブラックなオチはないよね。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月 9日 (日)

7月9日の出来事(知泉)

ジェットコースターの日
クジラの日[毎月9日]
鴎外忌
☆アルゼンチン:独立記念日(Independence Day)
7月9日の歴史的出来事
7月9日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

バファリンの半分は迂闊に出来ている。

07101てなワケで、バファリンという名前。
バファリンの名前の由来は「緩和させる:buffer」+「アスピリン:Aspirin」の合成語。
ついでに薬の名前の語源。


ノーシン:脳がシーンとするように。

ナロン:「早くよくなろう」の「なろう」が変化。

セデス:英語「鎮静剤・鎮める:sedative」+「S(シオノギ製薬)」。さらに左右対称の「SEDES」にした。

バイアグラ:「精力:バイタル」+「ナイアガラ」、とりあえずナイアガラに精力絶倫的イメージを読み取っているらしい。

ポポンS:幼児語でお腹を意味する「ポンポン」+シオノギの「S」、ちなみにシオノギは創業者・塩野義三郎氏から取られている。

カコナール:漢方薬の葛根湯が主成分なので「葛根湯で治る」のもじり。

ジキニン:「じきに治る」のもじり。

コルゲンコーワ:「風邪:commoncold(コモンコールド)」+「抗体:allergen(アレルゲン)」+発売元「興和」=「コルゲンコーワ」

プレコール:「前:pre」+「風邪:cold」。風邪はひきはじめの対処が大事という意味。

パブロン:ギリシア語の「すべての:pan」+英語「気管支炎:bronchitis」の合成語。

ルル:英語の「痛みをやわらげる:lull」から。lullから発生した言葉に「子守り歌・ララバイ:lullaby」がある。

パンシロン:社長がスイス旅行でレマン湖の「シロン城」の美しさに感激し是非名前に使いたいと考えていた。それに開発当初の主成分・パントテン酸の「パン」をプラス。

キャベジン:キャベツから十二指腸潰瘍などの防止に有効なビタミンUが抽出された事から。

スルーラック:スルっと楽になる。

コーラック:後が楽になる。

殺虫剤バルサンは、当時売れていた外国産の殺虫剤「バルカサン」から「カ:蚊」を取るという意味で命名された。(中外製薬)

他にもたくさんあるけど、それはまたの機会に(出し惜しみ)

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月 8日 (土)

7月8日の出来事(知泉)

質屋の日
ナンパの日
那覇の日
外務省開庁記念
大蔵省開庁記念日
屋根の日 [毎月8日]
果物の日 [毎月8日]
米の日  [毎月8日・18日・28日]
歯の日  [毎月8日・18日・28日]
7月8日の歴史的出来事
7月8日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

小泉今日子「素敵なラブリーボーイ」

00000lovely小泉今日子/素敵なラブリーボーイ
作詩.千家 和也/作曲.穂口 雅右
1982年7月5日
ビクター SV-7225/定価700円


夏って事で小泉さんの水着写真が使用されているいかにも夏っぽいシングルでやんす。
小泉今日子は1982年デビューなんですが、この年は前にも書いたように異常なほど女性アイドルの当たり年で前年の秋にデビューした松本伊代を初めとして、堀ちえみ早見優石川秀美中森明菜など、それ以降数年間は逆に新人女性アイドルが売れるチャンスが少なくなるほど長く売れ続ける人がデビューした。

小泉今日子デビュー曲「私の16才」
000016sai01そんな中に彼女もいたわけですが、どうも小泉今日子はデビュー当時事務所がそんなに力を入れていなかったんじゃないか?と思われるフシがある。
というのも、デビュー曲「私の16才」、そして2曲目の「素敵なラブリーボーイ」と続けてオリジナル曲ではなくカバー曲なのだ。
普通、デビュー曲は作曲家・作詞家が「いかにそのアイドルにジャストフィットする曲を用意するか?」という部分が大事だと思うんですが、いきなりカバー2連発(田原俊彦もデビューはカバー曲でしたが)

オリジナル「森まどか:ねえ ねえ ねえ」
00000morimadoka「私の16才」のオリジナルは森まどかという殆ど知られていないアイドルが歌っていた「ねえ・ねえ・ねえ」という曲。元曲が売れなかったしタイトル変更もあって、カバーという事が知られていないんですが、このタイトル変更に関しても当時、曲の中に年齢を入れるのが流行っていたため(伊代はまだ16だから〜♪がキッカケ)急遽タイトルだけを変えたと言われている。

小泉今日子は「スター誕生」出身なんですが、80年代のスタ誕ってのはもうテンション下がっていてあんまりステイタスとはなっていなくて(中森明菜も同年デビューのスタ誕出身)、前年(1981年)デビュー組で売れた歌手はなく、その前1980年は柏原よしえ甲斐智枝美(現.元スクェア長谷部徹夫人)、1979年は井上望(現.エド山口夫人)、という地味な感じ。(柏原よしえが売れたのは1983年の「春なのに」辺りから)

おとなしめVer.ジャケット
00000sutekina2でもって小泉今日子の2曲目「素敵なラブリーボーイ」は、かの林寛子が歌っていた曲のカバー。林寛子Ver.もそんなに売れたワケじゃなく、知る人ぞ知る名曲でした。オリジナル曲は1975年発売ということでギターのディストーションがあの時代に流行っていたタイプの音色なので、ほぼリアレンジしていない小泉Ver.は1982年の段階ではかなり古くさい感じになっている。(編曲はどちらも矢野立美)
で、このシングル最初はややおとなしめの水着写真で発売されたんですが、思った以上に売れなかったのか途中から冒頭のビキニ写真に差し替えた物になった。

オリジナル「林寛子:素敵なラブリーボーイ」
0000hayasihiroといいつつ、それでも売れず、ベストテンなんかに小泉さんが初登場するのは3曲目の「ひとり街角」。
この曲からオリジナルになったんですが、アイドルの曲としてはあんまり無い発売1ヶ月後にやっとチャート登場という感じでしたが(9月21日発売、ベストテン10月21日初登場)、10位に1週登場しただけで終わり。
その日の順位は(1位)一風堂[すみれ September Love](2位)あみん[待つわ](3位)近藤真彦[ホレたぜ!乾杯](4位)中森明菜[少女A](5位)沢田研二[6番目のユ・ウ・ウ・ツ](6位)河合奈保子[けんかをやめて](7位)高樹澪[ダンスはうまく踊れない](8位)渡辺徹[約束](9位)中島みゆき[横恋慕](10位)小泉今日子[ひとり街角]

4曲目の「春風の誘惑」はベストテンには入らず、5曲目の「まっ赤な女の子」が6週・最高位7位、6曲目「半分少女」が6週・最高位4位、7曲目「艶姿ナミダ娘」が11週・最高位2位とベストテン常連になっていく。

夏木マリ姐さん「夏のせいかしら」
000000natuki水着写真を使ったジャケットというのは、売れている歌手の場合はほとんど無くて、どっちかというときわもの扱いな場合が多いので、小泉さんもこの時点では「セクシー路線で売ったろうか?」みたいな算段だったんじゃないかと推測しちゃうのだ。
アイドルの水着仕事ってのは古くから行われていましたが、やはり新人時代の売り込みの一環、あるいは売れなくなったためにしょうがなく、と言う状態が多かったんじゃないかと。

浅野ゆう子「サマーチャンピオン」
0000summercha今や大女優となっている浅野ゆう子も70年代後半から80年代初期は「売れないアイドル」の王道として「段々着衣が少なくなる」という仕事をメインとしていて、週刊プレイボーイなんかでも登場するたびに「今まで見せたことがないギリギリ」記録を更新していました。なんとかラストスパートを掛ける直前に女優として売れたので土俵際で踏みとどまったワケですが。
しかし水着ジャケの「サマーチャンピオン」という楽曲は1979年のカネボウ夏のCM曲で、出せば売れるというポジションだったんですが見事に売れませんでした。

何かを吹っ切ったらしい辺見マリ「太陽に走る女」
000000henmiカネボウキャンペーンソングは「Mr.サマータイム/サーカス(1978)」「くちびるよ熱く君を語れ/渡辺真知子(1980)」「春咲小紅/矢野顕子(1981)」「夢・恋・人。/藤村美樹(1982)」「君に胸キュン。/YMO(1983)」などなど。

そういう意味で、小泉さんの「素敵なラブリーボーイ」は2種類の水着を拝見できる貴重なシングルなのであります。


小泉今日子の豆知泉

小泉今日子はデビュー当時、顔が丸かったが、ある時から急激にシャープになったのは、寝る直前のコーラのがぶ飲みを辞めたため。デビュー当時は中毒的に炭酸飲料を飲み続けていたらしいが、プロ意識が出てそれを辞めたら、顔がスッキリしたとの事。その当時のスタッフに言わせると「朝起きてきた時のむくみはシャレにならない」との事。

セクシー路線だったっけ?ケンケンこと見城美枝子「さよならの夏」
00000kenken80年代サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」が突然ベストセラーになったが、これは小泉今日子がラジオで「最近サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』が愛読書です」と発言したことがキッカケ。80年代中期の小泉今日子はトンがっている人達のカリスマ的存在で発言の影響力も高かった。しかし、それは放送作家が書いた物でラジオ台本にあっただけで、小泉今日子は読んでいなかった。
ベストセラーになった後で、それに関するインタビューが来るようになった為に、あわてて読んだらしい。

元祖グラビア限定アイドル故.堀江しのぶ「ビキニ・バケーション」
00000horieドラえもんの長編映画『魔界大冒険』のエンディングは小泉今日子の「風のマジカル」が使われていたが、現在発売されているDVDなどでは版権の関係で別の曲に差し替えられている。
199年に発売されたドラえもんのTV映画主題歌集CD「ドラ・ザ・ベスト」では、インスト曲で収録されていている。

マイブームという言葉の考案者はみうらじゅん。彼が80年代当時カルチャー系雑誌だった「宝島」などで言っていた物。

そのマイブームと言う言葉を有名にしたのが小泉今日子。笑っていいともに出演した時に発言し、タモリが「マイブームって?」と聞き、それに解説をした事により一般的に浸透した。小泉今日子のテレフォンショッキング出演は1985年10月24日・1988年12月1日・1992年1月27日・2001年1月29日の4回。時代的に見てマイブーム発言は1988年12月だと思われる。

| | コメント (0)

2006年7月 7日 (金)

7月7日の出来事(知泉)

七夕/七夕の節句
ゆかたの日
竹の日
たけのこの日
乾めんの日
カルピスの日
冷やし中華の日
ギフトの日
香りの日
川の日
ラブ・スターズ・デー
サマーラバーズデー
サマーバレンタインデー
スリーセブンデー
ポニーテールの日
支那事変勃発記念日
7月7日の歴史的出来事
7月7日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 6日 (木)

7月6日の出来事(知泉)

サラダ記念日
公認会計士の日
ゼロ戦の日
ピアノの日
7月6日の歴史的出来事
7月6日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

7発のミサイル

5日の午前3時30分に始まり5時過ぎまでに北朝鮮が3発のミサイルを発射したと言うことで、朝から騒ぎになっている。


金ちゃん1(再録)
0011朝、そんなニュースを見ながら「マジに何を考えているか解らない国だなぁ」と思いつつ、でも北には戦争を仕掛けるほどの武力はないだろうなぁといつも通りに会社に出かけた。
その後、7時台から8時台にかけてさらに3発のミサイルを発射し、オマケのように夕方もう1発発射したらしい。

1発目:午前3時32分に発射
2発目:午前4時04分に発射
3発目:午前4時59分に発射(たぶんテポドン2号
4発目:午前7時10分頃発射
5発目:午前7時30分頃発射
6発目:午前8時20分頃発射
7発目:午後5時22分に発射

金ちゃん2(再録)
0012その日は何もなかったかのように振る舞い、翌日になって国営放送で「ミサイル実験は大成功した」と報道。
しかし、通常では考えられない真夜中すぎの3時発射って、どう考えてもアメリカのスペースシャトル発射に合わせた、しかもアメリカの独立記念日を狙ったとされている。

確か今までも、韓国が何かの記念日に何か軍事的な動きがあったり、ピンポイント狙ったろうか作戦を繰り返している。ま、それがそんなに効力あるとは思えないけど。
例えば「どんな日に攻撃されたら一番精神的ダメージ受けると思う?」「そりゃやっぱ国家的式典のある日だよな」「例えば北朝鮮の将軍さまの誕生日に攻撃されたら嫌じゃん」「そんな大事な日に事件起こすなんてあり得ない!」「じゃ、同じように相手国の大事な日に攻撃したら効果的っすよね」と言う事なんすかね? 相手も同じようなダメージだと思っているんだろうか?

金ちゃん3(新作)
070601しかし、これまで最後の切り札だったハズのテポドンを打ってしまうってのはどういう意図なんでしょうかね? なんか噂では、アメリカを脅すために燃料を注入して「嘘じゃねえぞ」という態度を示していたんですが、どうやら燃料を入れた後、長期間そのままにしておくと燃料が使い物にならなくなるとの事で、発射させるしか方法が無かったという見方もあるらしい。

でも「ミサイル打って欲しくないなら、経済援助しろ」とか「交渉しろ」って、ほとんど「学校に爆弾を仕掛けられたくなかったら運動会中止にしろ」とか言い出すアホな小学生レベル。
ま、これまでの言動を見ているとまともな思考能力は持ち合わせていないので、誰もその意図とかは読み取れないのかも知れませんが。

違う話題だけど、欽ちゃんブラック
070602しかし、そもそもの基本的な話だけど「なぜ北は日本人を拉致した?」というのが、なんか話が進むにしたがって意味がぼやけているような気がする。
最初の頃の話では「日本人を拉致してスパイ教育の講師にする」みたいなのがあって、それに「そうなのかぁ」と思ったんだけど、いつの間にか「韓国の人も大量に拉致されているらしいよ」というのが出てきて、拉致の理由「ネイティブな講師」が意味不明になってしまった様な気がする。

それ以前に、日本に当たり前のように韓国国籍の人も入ってきて、別段問題もなく普通に生活しているんだから、日本人を拉致して北で日本人そっくりのスパイを作り上げて潜入させるってのも、何か意味不明。北から留学生として入ってきて勉強してても何の不都合も無いような気がする。

拉致の方法としては海岸などから強制的だったり、ヨーロッパ旅行者を騙してだったり、なぜそこまで必死に拉致して北に連れ込むのかが全く持って意味不明。
同じ民族の韓国人を拉致するのが最も意味不明っす。

関係ない話題だけど、勢いで
070603TVでも新聞でも、そしてネットでも北の意図する所とかをマジメに論じているけれど、なんだか論じれば論じるほど本当の理由から遠ざかっていくような気もする。
もしかしたら、北のコレまで行ってきた数々の行動の理由は「将軍様のその場その場の思いつきで別段深い理由は存在しない」って事だけかも知れない。

そう考えると、午前中に6発ミサイルを撃ったのはスペースシャトルに対抗してなんだけど、その独立記念日恒例行事のホットドッグの早食い競争でかのフードファイター小林尊が6連覇したって事で「6連覇がなんじゃい!こっちは7連発だ」と7発目を打ったのではないかと。北なのでそんな事もありえなくもなくはないのだ。天才バカボンのパパも及ばないほどの天才ぶりなのだ。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月 5日 (水)

7月5日の出来事(知泉)

ビキニスタイルの日
農林水産省発足記念日
ベネズエラ独立調印記念日
7月5日の歴史的出来事
7月5日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

絵を描く

ここのところ、色々あって何かブログへのパワーが拡散して激しく適当な文章を書いているような気がする。


半年も表紙にあった冬の絵
000001_2いかんなぁと思いつつ、それでもサラリーマンが生活基盤なのでそっちをおろそかには出来ねえなって事でなかなか大変っすよ。
もっとも、自分にとって、地球の中心にあるのは「何か物を作る事」っていうのは、ガキの頃から一貫して曲げられないのだ。というか、ゴハンを食べるのと同列にあるのかも知れない。

そんなこんなを言いつつ、最近は絵を描いていないよなぁと思っている。絵といってもそんな大仰な物ではなく、イラズラ書きレベルの物なんですが、それでもそれは自分のアイデンティティの一部なのだ。
実はゴールデンウィーク前からサイト知泉のトップページのイラストが問題になっておりました。

2006年7月7日Ver.
0707去年の暮れあたりに、マフラーをしてが降っている状態のイラストを描いてトップに貼ったのですが、4月末時点で「もう雪もねえだろ」と言うことで、春Ver.の表紙を描かなくちゃ!という話になっていた。
が、なんか絵を描く状態にまで気力ゲージを上げる事ができずに「そのうち」と後回しにしてしまったのだ。
たかが落書きという状態ではあるんですが、下書きをしても「なんか思った線が書けない」と、お前は習字の大家かよ!てな感じの言い訳をしてダラダラと先延ばしをしていたわけだったのです。

2006年7月8日Ver.
07072そんなこんなで「春Ver.」もとうに過ぎて「じゃ、梅雨Ver.だよな」とか言っていたんですが、いつしか7月突入で「梅雨もそろそろ終わりじゃない?」みたいな状態。
もー出来不出来かんけーねー!と、真夜中2時ぐらいにいきなり目が覚めてしまったので描き始めた。
よぉし!この季節なら七夕Ver.だよな!と後先考えずにどーんと描いてアップしたのだ。
マジに後先考えてませんでした。

この表紙の賞味期限は今週の金曜日の7月7日っす。冬Ver.がどーこーじゃなく、次の表紙を描かなくちゃいけないのだ。

0705_2
しかし、ちょいとイラストを描き始めると、いきなりスイッチが入ってしまったらしく、色々とイラストを描き始めたりする、ちょっと両極端な自分であった。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006年7月 4日 (火)

7月4日の出来事(知泉)

梨の日
☆アメリカ:独立記念日(Independence Day)
フィリピン独立記念日
7月4日の歴史的出来事
7月4日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『Digi@SPA!:デジスパ』デジタルとは何ぞや

「週刊SPA!」の扶桑社からデジタル系のあれやこれやを扱う『Digi@SPA!:デジスパ』と言う雑誌が臨時増刊された。
発行:扶桑社(http://spa.fusosha.co.jp/digispa/
定価:¥650
発行日:2006年7月30日(実際には6月30日)


Digispa色々事情があって雑誌レビューをする事になったわけなんですが、実際の事言って2006年現在「デジタル」というジャンルはもうジャンルでは無くなっているような気がする。(いきなり雑誌コンセプトの否定ですかい)
前世紀末にはデジタル関連やインターネット関連は大きなジャンルになっていたけれど、あの時点では確かにまだ普通の生活における「デジタルとは?」という特殊な意味があったり、ちょい「俺って最新なんだぜ」的な選民意識もどっかにあったかと思う。
それがたった5・6年で、急激にデジタル野郎が世間に幅を利かせはじめ、逆にいまやデジタルって日常的すぎて、あえて「デジタルとはなんぞや?」なんて考える時代は過ぎちゃったんじゃないかとも思う。

Honda MONKEY CB750Fスペンサーカラーモデル
Dscn3105『デジタルを否定しても無駄さ、だって地球はみんなデジタルなんだもん♪』
「俺はデジタル嫌い、なんつーかぬくもりとか暖かみとか、人間性が感じられないしさ」という人はいると思うし、「やっぱアコースティックな音はいいねぇ」なんて言っている人もいると思うけれど、CD音楽を聴いている限り、デジタル化された記号を再生しているワケで、それ以前に録音の段階でデジタル録音だったり、さらに突っ込んでいけば「アコースティックギター」と思って聴いている音がデジタルで作られた音の可能性もある。そこまで技術革新は進んでいるんだよね。

Honda MONKEY 2000年新春スペシャルモデル
Dscn3107映画だって、昭和30年代を扱った作品『3丁目の夕日』でもアナログ時代を再現するために、現代のデジタル技術が不可欠だったわけで。もう80年代初期にあった「CGで作りました!」と声高に宣伝していた『トロン』なんて時代はすでにカンブリア紀並の過去になっている。(もっともあの映画、予算などの関係で「CG」と言っていた部分が、クロマキーというアナログ撮影技術で手書きの「CG風」風景の中で演技していたり、似非CGだった事が後にバラされたけど)

Honda MONKEY 2000年新春スペシャルモデル
Dscn3106『やっと雑誌レビュー』
そんな中、増刊号として発行された『Digi@SPA!:デジスパ』をパラパラめくって見る。
いきなり写真ページで「エアギター」が4ページに渡って紹介されていますが(楽器を持たずに音楽に合わせて演奏しているパフォーマンスをする物)これを写真だけで見せるって無理があるんじゃないかと思うわけなんですが...。
様々な記事がこれでもか!という感じで並んでいる。あきらかに「デジタル」という切り口が多用すぎてコアが無い状態ではある。もしかしたら、もっともっと混沌としたら80年代初期の勢いがあった時代のサブカル雑誌『宝島』レベルの特殊な世界を呼び起こせるかも知れないという予兆も含んでいるワケですが。

Honda MONKEY 02スペシャルカラーモデル
Dscn3108『インターネットTV宣言2006』
ネットでのTV画像配信という事で、GyaOを運営しているUSEN社長・宇野康秀氏が登場したり、その辺りの現在見る事が出来るネット配信TV一覧が解りやすく解説されていて結構実用的かも知れないっす。
(個人的には「ワシMacなのでGyaO見られないけどな」と思いつつ)

ダットサンスポーツ DC-3(1952)
Dscn3167『You Tubeは確かに面白いけれど...』その続きで今、色々と話題になっている「You Tube(ユーチューブ)」に関しても袋とじで記事がある。
You Tubeとは利用者が動画を勝手に登録して共有するシステムで、そこに登録されているのは、オリジナルビデオもあるけど、大半がテレビや市販映像作品の無許可コピー。激しく違法なのだ。
キーワード検索で色々な映像に遭遇する事が出来、伝説となっている初期「笑っていいとも」での観客が勝手に椅子に座る事件とかもある。こんな20年程前のビデオを後生大事に「俺お宝映像持っているんだけど」という人もいるのだなぁ。

フェアレディZ S30(1969)
Dscn3168これらに関して、各メディアは削除依頼を出していて、それにシステム側もかなり真面目に対応しているんだけど、消えたと思っても再びアップされるので、イタチごっことなっているとも記事に書いてある(アップに関しては制限なし/エロ系は削除依頼なくても即時消去らしい)。
なんか、片方で正規の配信メディアを社長インタビューまでして取り上げて、その横で違法状態でも楽しめますよと取り上げるってのは、なんか変な感じ。(You Tubeに関して袋とじになっているのは良心の部分なんすかね)

実はYou Tubeに関して以前ブログに書こうと思った事があるけれど、建前的な「著作権に関する部分どうよ」と、個人的に「見たかった映像が見られてラッキー」の相反する部分を自分の中で納得出来る答えが出せずに、断念した事がある。

フェアレディZ 300ZX Z32(1989)
Dscn3169その関連で漫画家もりいくすお氏が大昔のビデオを編集した物をアップするレポ漫画を書いているんですが、録画してあった番組の間に入っていた当時は注目していなかったCMの事も書いてあって、そっちには色々と共感する部分が多く面白かった。
自分も80年代からの録画物(99%が音楽番組)が何100本もビデオテープに残されていて、数年前からジワジワとDVDに録画保存しなおしているので「あぁこんなお宝映像をみんなに見せたい!」という部分がある。
まだYou Tubeにアップするか?という部分には踏み切れないけど。

モビリオ郵便集配車(チョロQ)
Dscn3161『著作権と個人の勝手』
デジタル(インターネット)の功罪として、不特定多数によるデータの共有というものがある。それが大きく騒ぎになったのはWinny などの「ファイル交換ソフト」の登場なんだけど、それだけじゃなく「ネットを調べればほとんどの情報が手に入る」という部分はまさにそれ。
かつて、1980年代からバブル期に隆盛を極めたアルバイト情報雑誌なんかはすでに「ネットでの情報の方が即日性がある」という事でかなり出版的には厳しくなっていると言う。確かに情報は早いほど良いという状態なので、週に1回より、その日の内に!にはとうてい敵わない。
今、出版界は「雑誌が売れない」「本が売れない」という事で喘いでいるんだけど、それはしょうがないとは思うのだ。

TOYOTA Ractis (チョロQ)
Dscn3162もちろん、自分のその状態に加担している事は自覚している。
こんなブログやサイトで雑学を垂れ流しているってのは、雑学を求めている人にとっては「ワザワザ金出して本を買わなくてもいいじゃん」という流れを作っているのだろうし、時々ある評価で「知泉の雑学は出版されている雑学本なんかより、解りやすく密度も濃い」という褒め言葉は凄く嬉しいとは思うけど、紙媒体より利便性があるという部分で「なんか出版という好きなジャンルを否定している」ような気がしちゃって複雑。

MOVE
Dscn3164『マスなメディアとミニマムなメディア』
雑誌レビューって事なんですけど、考えれば考えるほど雑誌の現状は厳しいなぁと思ってしまう。
情報を発信するという行為、「マス(大量)」の「メディア(媒体)」は存在が難しくなって来ているとは思うわけです。
もちろんテレビという存在は1%の視聴率でも何十万人が見ている計算になるので、充分にマスメディアなんですが、利用者が「情報を能動的に得たい」と考えて行動する物に関しては、一般的に手に入る情報ではなく、いかにマニアックであるか?が要求されるんじゃないかと思うのだ。

PAJERO
Dscn3163昔から「こんな一点狙いの雑誌売れるの?」みたいな「月刊へらぶな釣り」とか「月刊きのこ」とか「月刊削岩機」とかがある。
業界誌ではなく、そっち方面のマニアが熱く語る雑誌なんですが(削岩機はすでに無いかもしれない)、そこの投稿欄はとにかく熱い。たぶん熱いんだと思う。というのも、読んでも何について書いてあるのかすら不明状態のマニアな熱さなのだ。

結局それに近い物が、現在ネット上で展開されている一般人の運営するブログなのかも知れない。
そこで扱っているネタ自体がマニアックな物じゃなくて、例えばニュースに関する物だとしても、それはそれでマニア傾向が強くなる。
そりゃ、グローバルな視点を持たない1個人が「ニュースを斬る!」とか言っても、所詮そのニュース素材はTVやネットで見つけた物で、メディアとして名乗るのはおこがましいレベルの物なんだけど、逆にグローバルな視点を持たないという事が実はネット内ではこれまでになかったメディアに成りうるのだ。
例えば、とある地方都市にいる中学少年Aがネット内で見つけた面白いサイトや文章を紹介するブログを始めたとする。そこで紹介している内容は実に偏っていて幅が狭い。ずっと見ていると「またその手のサイト?」みたいな物を延々と紹介し続ける。

MAZDA EUNOS ROADSTER NA6(1989)
Dscn3165たぶん出版社が「中学生が面白がるサイト特集」なんてのを組んだ場合、大人の視点から幅広く「こんなの面白がるに違いない」と選び出してバランス良く紹介するんだろうけど、それは無難で平均的で偏りが無いハズ。
それに比べ中学少年Aの偏りは、同時代を生きている他のリアル中学生BにもCにもとって「今一番自分の感性にジャストフィットする凄いメディア」になる可能性を秘めている。
つまり情報を欲しがる人と同じ感性の人が作っているメディア。

NISSAN CEFIRO A31 (1988)
Dscn3166『雑誌とネットの共存における二律背反』
雑誌の中では「デジタルが!」「ネットが!」と書かれていて、それぞれのコラムなどのラストにそれに関するアドレスなんかが記入されているんだけど、面白そうなサイトが紹介されていたのでアドレスを入力。なんか久々にアドレスを手動入力したなぁという気分。
実際の事を言えば、この程度の行為でも面倒臭く感じてしまうほどネットは「楽チン」が基本になっている。
例えば、雑誌のサイトにアクセスしてそこから記事ごとのアドレスに飛ぶ方式なんか出来ないかなぁと思いつつ、「でもサイト上で面白いサイトへジャンプするアドレスがあるんじゃ、雑誌買う必要ないじゃん」という、二律背反な事実に直面してしまうのだ。

雑誌がサービスとして行っている物で「?」と思ってしまう物で一番変なのがTVガイド雑誌が行っている「ネット番組表」ってのがある。TVガイド雑誌って、その基本的な部分は番組表じゃないかと思うんだけど。それゆえに雑誌の方は、読み物やアイドル雑誌化(ジャニーズ強し)を強化しているんだとは思うけど。
難しいなぁ。

なにはともあれ、『Digi@SPA!:デジスパ』という雑誌、混沌とするデジタルを取り巻く現状の中で、未来はどーなる?という事で、是非お手にとってみてくださいませ。
たぶん自分がこの手の雑誌を出すとなったら「どうしたらいい?」という部分で頭を抱えてしまうとは思うんですが、その難し現状を頑張ってまとめた混沌具合や、なんか迷走したり、模索している感が、なんか今を切り取っているなぁとは思ったワケですが。(って全然、雑誌レビューになってないや、ゴメンね)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 3日 (月)

7月3日の出来事(知泉)

波乗りの日/サーファーデー
ソフトクリームの日
通天閣開業記念日
国際協同組合』の日です
7月3日の歴史的出来事
7月3日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

文庫栞マニア(No.2)1989年11月

1989111989(平成元)年11月:角川文庫
角川文庫:銀色夏生「Balance」¥470


1989年11月04日:オウム真理教対策をしていた坂本弁護士一家が自宅から姿を消す
1989年11月06日:俳優・松田優作が39才で死去
1989年11月07日:ニューヨークにアメリカ初の黒人市長誕生
1989年11月09日:ベルリンの壁の取り壊し作業始まる
1989年11月27日:宝くじの1等賞金が1億円に
なんか、時代が平成に入ったのとシンクロニシティで世界的に色々な物が変化していったような感じ。
第二次世界大戦後に出来たドイツの二分化がなし崩し的に終わり、ベルリンの壁が崩壊した年。ソ連もこの頃から経済的な解れがありアメリカと平和交渉(戦略兵器削減交渉条約)などが始まり1991年にソ連が解体する。
オウム真理教が凶悪な面を表面化してきたり、名優・松田優作が死去したりと大きな話はあるんですが、やはり世界的には「ベルリンの壁崩壊」ですかね?

000_8ベルリンの壁は、東西ドイツを隔てる国境ではなかった。
これに関しては昔自分も勘違いしていました。
東西ドイツは基本的には、ドイツの真ん中で分断されていたのですが、その東ドイツの中にベルリンがあって、そのベルリンを半分に分断してそれぞれの東西ドイツが使っていました。つまり西ベルリンは東ドイツの中に飛び地として存在していたのです。東の人は亡命として、ベルリンの壁を超えて中に入り、その中で生活したり、飛行機を使って西ドイツへ渡る事ができたのです。
実際の国境は鉄条網などで分断されていました。

ベルリンの壁は、いくつもの勘違いが重なって、なし崩し的に壊された。
1989年、東から西へ亡命する人が多く、その対策として「手続きを取れば比較的簡単に海外旅行が出来る」と言う法案が考えられた。その法案を東ベルリン第一書記長が記者団に「すでに決まりました」と勘違いで発表し、さらにTVニュースで「東ドイツが国境を開放」と勘違いした事を報道したため、国境に数千人が壁に集まってしまった。そのニュースを知らなかった国境警備隊が暴動が起こったとさらに勘違いをして危険回避のために国境のゲートを勝手に開けてしまったのです。
その結果、一晩の間に何万人もが国境を越えてしまった為に東西の分断が無くなり、その悪しき象徴ベルリンの壁が市民によって取り壊されることになったのです。

ベルリンの壁は、崩壊後、おみやげ物として売られていた。
ベルリンの壁が市民によって壊された後、その壁の材料は道路建設などに再利用されたそうですが、オークションで歴史資料として販売された物もあります。当然のようにそれでビジネスを始める人も多く「欠片を記念に売ります」と一大産業となった。と言っても実際に売られている物が本物なのか解らず、香港産・台湾産のベルリンの壁も多く出回ったと言われています。中には証明書を付けて販売している業者もいますが、証明書に何の効力があるか不明。
とりあえずベルリンの壁には建設当時は有害だとは思われていなかったアスベストが含有されているそうで、欠片の成分を調べると本物かどうかがある程度は判明出来るそうです。

ベルリンの壁が崩壊した直後、平和慰問団として日本から大相撲興業が現地へ赴いたが、貴花田がベルリンの壁前で「壊れたこのベルリンの壁を見てどう思いますか?」と聞かれ「ベルリンの壁って何んすか?」と答えた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006年7月 2日 (日)

7月2日の出来事(知泉)

うどんの日
たわしの日
ユネスコ加盟記念日
救世軍創立記念日
7月2日の歴史的出来事
7月2日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

橋本龍太郎元総理大臣死去

昨日、2006年7月1日に元総理大臣の橋本龍太郎氏が多臓器不全、敗血症性ショックで、68歳で亡くなった。


Hashimoto現総理大臣の「政治家にも定年制があるべき」という提案で、色々揉めたり、癒着的な話題も色々あって、去年9月の選挙に出馬しない形で政治家を引退して1年も経たない状態での死去。
政治家を辞めたために張りが無くなったためなのか、その辺はよく解らないけれど現在は次男の橋本岳が衆議院員になっているので、その地位はちゃんと引き継がれたって事なんすね。

橋本龍太郎氏は総理大臣になった時に「はじめて見た目で外国の元首と張り合える日本の首相」なんて事が言われて、政治的手腕より見た目なんて皮肉を言われた事もありました。たしかオバチャン人気もそこそこ高く、地方に出向いた際はオバチャン達の黄色い声が掛かっていたりもしました。
ほとんど小泉純一郎に似た感じの人気があったワケです。

そういえば小泉純一郎が総理大臣になった当初、自民党本部などに小泉純一郎プリクラ(イメージキャラ・シシロープリクラも)が設置されて話題になったが、実はそれを一番最初にやったのは橋本龍太郎。自民党本部に「龍ちゃんプリクラ」が設置されていた。
てなワケで、あんまり橋本龍太郎氏には思い入れはないんですが、橋龍豆知泉ってことで。

橋本龍太郎の豆知泉

橋本龍太郎と麻布中学の時に同級生だったのは、ヤクザの用心棒経由、塀の中の懲りない面々の作家・安倍穣二。クラスメイトでけっこう仲が良かったらしい。

橋本龍太郎は1963年4月から11月までの間、西村栄一の秘書をしていた。西村栄一は吉田茂にバカヤローと言われた人物で、息子は弁護士法違反などで辞職を迫られている西村眞悟。~
秘書になったのは約半年間だけで、11月に父親が急死したために出馬し26歳で初当選している。

国会への初登院の際に義母を連れていったために、新聞などに「国会議員も母親同伴のマザコンが増えて来た」などと批判された事がある。

1996年、ペルーで起こった日本大使館公邸占拠事件の歳に外務省対策本部になぜか大量のあんパン(木村屋)を差し入れした。そのために「あんパン総理」と呼ばれていた。

橋本龍太郎というと「ポマードでばっちり決めた髪型」というのが一般的に有名ですが、実際に髪型を整えているのはポマードではなくヘアスプレー。
愛用していたのは資生堂のアウスレーゼ。(一時期、水性ジェルを使用していた時もある)

橋本龍太郎は元内閣総理大臣ということは有名だが、「元エベレスト登山隊・名誉総隊長」というのはあまり知られていない。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2006年7月 1日 (土)

7月1日の出来事(知泉)

海開き・山開きの日
童謡の日
☆国民安全の日
更生保護制度施行記念日
建築士の日
クレジットの日
琵琶湖の日
弁理士の日
☆こころの看護の日
銀行の日
東京都政施行の日
東海道本線全通記念日
山形新幹線開業記念日
名神高速道路全通記念日
函館港開港記念日
自治省発足記念日
ウォークマンの日
鉄スクラップの日
省エネルギーの日[毎月1日]
★安全衛生総点検日[毎月1日]
★家庭塗料の日  [毎月1日]
7月1日の歴史的出来事
7月1日生まれの著名人

| | コメント (0) | トラックバック (0)

スイカ

いやぁアツはナツいでんなあ


というワケで7月突入です。ブログを初めてから半年経過して、当初の「ブログなので密度の濃い、有意義な物を書かなくちゃいかん」という基本理念を遙か彼方に置き忘れて、すっかりアホヅラ晒しているような、馬鹿っぷり自慢のブログに成り下がっています。
ま、自分の身の丈考えろって事なんですけどね。

ということで、夏と言えばスイカなんですが(唐突に本題へと話題を切り替えるという、もっとも下手な文章展開の実例)、我が家は元々農家だったんでいくつか畑を所有しているんですが、現在はそれを近隣の農家の方にほとんど税金分程度の謝礼金で貸し出している。
で、オマケとしてそこで採れた収穫物を時々貰っているんですが、毎年恒例のスイカがやって来ました。
といいつつ、実は地元でのスイカの収穫時期がすでにラストスパートに入っていて、もう市場に出してもかなり安く叩かれるので、というタイミングで貰ったりするワケです。

自分の住んでいる静岡では、大昔の子供の頃は「スイカは梅雨明けぐらいからが本格的に収穫出来て、8月のお盆の頃に終わる」という状態だったんですが、年々収穫期が早まって、現在では「ゴールデンウィーク終わった頃から収穫が始まり、7月に入った頃には終わっている」という状態。
つまりスイカは真夏の食べ物じゃなく、初夏の食べ物って事になっているのだ。
これは技術的な革新(ビニールハウス栽培が当たり前になった)と、品種改良が大きいんだけど、それはそもそも「なるべく早く収穫して市場に出したほうが値段が高い」という農家側の事情が優先されている。各農家がなるべく早く!を合い言葉に現在の状態になっているのだ。

小学校の頃、夏休み・8月中旬に収穫が終わるスイカ畑で市場に出されずに処分されるようなちょっと小振りのスイカを貰ってきて、それを丸のまんま冷やし、房部分をくりぬき、そこからスプーンで中をシャクシャクとほじり出しながら食べたってのが記憶として鮮明に残ってるんですが、今ではそれは夏休み前の想い出になっちゃうワケでやんす。

ということでスイカの雑学なんですが、実は数年前、日本テレビで「すいか」というドラマが放送されていました。ともさかりえ小林聡美が主演でほのぼのとしたいい番組(大塚愛のデビュー曲が主題歌)だったんですが、実はそのドラマと知泉は微妙な関係がありました。
ドラマ直接の話ではなく、放送中にネット上で日本テレビが「すいか」のサイトを立ち上げていたんですが、そこに「スイカ一口雑学」というコーナーがあり、そこに知泉で紹介していたすいかに関する雑学が羅列されていました。

といっても、雑学提供依頼があったワケじゃなく、知泉の中「スイカ」の項目をコピペして掲載してあった。
「雑学なんてさ、事実の羅列だから、同じ物があっても自分の処からのコピーだなんて思うってちょっとそれ電波じゃねえの?」とか思われそうなんですが、それが「あ、知泉からだ」と判明したのは、その雑学の最後に『雑学大作戦・知泉より』と書かれていたから。
そうかそうか、よく単行本の最後に『参考文献一覧』と称して本のタイトルが書かれているけれど、あれと同じように出展を明記すれば良しか!と、承諾も無くて出展書いてあるだけってのがちょい腑に落ちない感じもありましたが、別段それでどーこーもないのでそのまんまでした。
という事で、そこにも書いて無かったネタを含めてスイカの雑学を。

スイカの豆知泉

スイカの漢字表記西から来たと言う意味だが、日本から見た西、中国の事ではなく中国から見て西という意味。
本来はアフリカ南部カラハリ砂漠(ボツワナ共和国)が原産地。

エジプトでは4000年前から栽培され中国には12世紀に到着した。日本には16世紀、1579(天正7)年に、ポルトガル人がカボチャと同時に種子を長崎に伝えた。
※寛永年間(1624-1643)渡来説、慶安年間(1648-1652)に隠元禅師が中国から携えてきた説もある。

もっとも古い記録では僧義堂(室町時代の五山僧 1388年没)「空華集」の中にスイカと思われる記述があり、さらに鳥羽僧正(1053-1140)の「鳥獣戲画」でウサギがスイカそっくりの果物を持っている。

江戸にスイカが入ったのが江戸時代1662年だが、スイカの中身が赤いことから「生首を想像させる」という事で、当初はあまり好まれていなかったらしい。それから数10年後には庶民が食べ始め、大名なども食べ始めるようになったので、書物には「西瓜、大立身なり」と書かれている。

スイカが当初嫌われたのは江戸に入った年の前年1661年に由井正雪の乱が起こったことから「スイカが血のように赤いのは自殺した由井正雪のたたりだ!」と言う説が出回った事も関係している。

スイカが今のように甘くなったのは明治時代以降、日本の農業関係者が品種改良で作りあげた物。中国では甘さが少ない事からスイカに砂糖を掛けて食べる事が多い(トマトにも)。日本では逆にをかけて甘さを引き出す手法が生み出された。

スイカに砂糖をかける作法は戦国時代末に中国より伝えられており、飛喜百翁という人物が千利休を招いた折にスイカに砂糖を掛けたという記録が残されている。しかし、利休は砂糖のかかっていない部分だけを食べ「百翁はおもてなしというものをしらない。スイカにはスイカのうまみがあるのに、茶人らしからぬふるまいだ」と語ったと言う逸話が残されている。

西瓜は漢音では「セイガ」、呉音では「サイカ」と呼ぶ。ついでにペルシャ語では「ヘンダワネ」と呼ぶ。

ローマ五輪、東京五輪とオリンピックのマラソンを二連覇した裸足のランナー、アベベ。 彼が給水所に置いていたスペシャルドリンクの中身は、スイカジュース。

スイカの切り売りを考案したのは、1975年大坂羽曳野市の出荷組合。

1991年にスイカの消費新興のために「日本すいか割り協会:JAWA」が設立され、スポーツとしてルールを決めた。競技者とスイカの距離は9.15m、棒の長さは1.2m以内など。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年6月 | トップページ | 2006年8月 »