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2006年6月19日 (月)

視聴率を語るな

脚本家の大石静さんのエッセイ「日本のイキ」の中には、ドラマを制作しているスタッフの間で視聴率は少しは話題になるが、そんな物に構っていられる状態ではなく、とにかく放送期間は怒濤の日々が続き、一喜一憂しているような余裕はない、と言う趣旨の事が書かれている。


さらに「視聴率を一番気にしているのは、番組をネタにしている活字メディアと、自分で判断する事が出来ない野次馬である」と書いている。
もちろん視聴率が悪いとスポンサーに悪いなぁとは思うけれど、そんな事言ったって悪い物は悪いし、視聴率が良かった番組と悪かった番組の違いも作っている本人達にはあんまり解らないという事らしい。
とりあえず、打ち切りで放送回数が少なくならないだけでも、マシ。

確かに、視聴率なんて物はただの視聴者の自分たちが気にすべき問題じゃないし、ハッキリ言って視聴率が高い番組が面白いか?といったら「そうでもないんじゃない?」って感じなのだ。
逆に言うと、視聴率がいいって事は「最大公約数」って意味で、無難でまっとうで教科書的でという事のような気がする。どっかバランスが危うい感じの微妙なおもしろさって点が無い。
もちろん最初から視聴率いいと言われている番組をチョイスしていれば、間違い(激しくつまらないハズレ番組を見せられる)は少ないとは思うけど。

2ちゃんねるを初めとして現在多くの掲示板やブログでは、プチ評論家が大賑わいで、そこでも「視聴率」という物の呪縛で本質的な物を見失っているケースが多いような気がする。(ネット評論家は基本的に、褒める事はほとんどなく批判中心なんですけどね)
音楽にしたって、オリコンチャートの1位になった曲は、不特定多数に支持されているかも知れないけれど、自分というフィルターを通すときに「それって面白くないじゃん」と感じる曲が多々ある。
なんか、その手の掲示板での意見って「視聴率」という解りやすい数字で語っているだけで、結局の所、自分で善し悪しを判断してそれを他者に論理的に提示できる能力が無いので、手っ取り早く数値を提示して勝ち負けを云々言っているだけなんだと思う。(ま、ネット掲示板にそこまで求めるのは酷ですが)
なんか偏差値という数値で人物評価されてきた、影響なんですかね?

自分なんかガキの頃からひねくれていて「みんなが見ている」という番組にはあんまり興味が無かった。そりゃ見たら普通に楽しい番組なんだろうけど「確実に面白いと評価されている番組を見ても意味ないじゃん」と思っていた。実にひねくれていたのだ。「誰も気づかないツッコミ所」を見つけるのが、昔も今も好きなのかもしれない。

以前から週刊アスキーで唐沢なをき氏がマックをテーマにマンガを書いているんだけど、基本的にマイナーなマック(Winはほとんどのメーカーの共通規格で、Macはたった1社が勝手にやってる規格ですから)を賛美している。
しかしMacは時々初代i Macのようなヒットを放つときがあるんだけど、そこで唐沢氏は自虐的なネタを持ってきて「マックは潰れない程度に売れればいいのに」と書いていたこともあった。

それを「選民意識」と呼ぶ場合もあるけれど、なんかみんな同じ方向向いちゃうのって気持ち悪いじゃん、てな感じでもある。
そんなこんなで、今回もサッカーの日本戦を見ずに、明け方テレビで試合結果を知った自分がここにいる。

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