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2006年3月31日 (金)

浦沢直樹×手塚治虫「PLUTO(3)」

000003いやはや、もう一つの浦沢漫画「20世紀少年」もかなり最終地点に近づいていますが、こっちの「PLUTO」は3巻、まだ物語の序盤的な感じがしちゃいます。
1巻2巻のスピード感は今回はあまりなく、物語の深みへどっぷりとはまり込み始めました。浦沢漫画では「MONSTER」で見せた、各登場人物の裏側にある物語を綿密に書き込むという方法がここでもイカされていて、完璧に手塚治虫の鉄腕アトムとは違う方向にいっています。
手塚という人は良くも悪くもストーリーテイラーで、とにかく物語を先に進めたいと思っている感じがあって、キャラクターの人間的な深みは物語の進行の前にかき消されてしまうケースが多々あったような気がする。昨今のマンガと比べると手塚漫画は「あらすじ」に見えてしまう。
それだけ語るべき物語のストックがあったからこそ、20年も30年も漫画をそれこそ大量に書き続けた後に「ブラックジャック」みたいな毎週書き下ろしの短編なんて荒技ができるんだとは思うけれど。


00000bj近年、秋田書店がブラックジャックに関する出版権を持っているのをいいことに、色々な漫画家に「ブラックジャック」を書かせている。(過去の話をリメイクするのと、新作として書くのと2パターン)
でもなんか、どれもはまっていないと言うか、必死に手塚ブラックジャックにあらがってジタバタしながら書いている感じがして、読んでいてストーリー的な部分にも入り込めない感じがある。
リメイクでは永井豪の「魔神ガロン」なんて思い出したくもないようなクズ作品もありましたが。しかも永井豪は「いろんな漫画家がいるが、私が手塚作品に一番似ている。今後『ブラック・ジャック』などのリメークを描きたい」などと恐ろしい事を語ったこともある、勘弁。

00000_4浦沢直樹はもともと持っている資質が違うってのはあるにしろ、ここまで自分の物にしちゃっているとリメイクなんてのは全然気にならないレベルなのだ。
といいつつ、アトムとウランをあんな風に書くかぁとか、中村警部(本作では課長)や田鷲警部(本作では警視)やお茶の水博士があんなキャラで出てくると「まだヒゲおやじ(伴俊作)とか天馬博士が出てきてないよなぁ」とか期待してしまう部分もあるワケで。

他の部分で気になるのは、現時点で3巻、連載開始からまだ1年ちょっとという時点で「2005年度文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞」とか「第9回手塚治虫文化賞マンガ大賞」とか受賞しちゃっているのはどうっすかね。
物語って、やはり完結して、テーマを書ききった段階で善し悪しが解るものだと思うんですが。確かに昨今のマンガはどれもこれも長編で、終わる時は人気が一段落した後って気もするので、一番受けている時に賞を与えるってのは解るんですが、「PLUTO」に関しては、物語始まったばかりじゃないの?って感じもする。

そういえば浦沢の「MONSTER」が去年の春頃、ハリウッド映画化の話題が出て、当時「夏頃に正式契約」って事になっていたんですが、プロジェクトとして動いているんですよね?
果たしてあれを1本の映画に集約させる事は可能なんでしょうか? とは思うけど、インサイドストリー的な部分をこそげ落とせば軸の物語は1本に収まるかも知れない。
でも浦沢作品って本編とは別に、サイドストーリーを緻密に書くって部分が意味を持っている気もするので、どうなるんでしょうかね。
現在、浦沢作品はフランスを初めとして世界中で読まれているらしいので、当然のことながらこの「PLUTO」も権利を狙ってる処もあるとは思う。
とりあえず漫画のファンとしては簡単に終わって欲しくはないけど、意味なくダラダラ続いても嫌なので、どう転がっていくのかジッと見守るしかないのだ。
ところでハリウッドで「鉄腕アトムのフルCG映画」って話は結局流れたんでしょうか? 以前、アトム生誕の翌年辺りに… みたいな話があったけど。

オリジナル版のプルートー
00000しかし浦沢アトムを見ていると、本来手塚治虫が構想していた「火の鳥・現代編」を浦沢レベルの漫画家(あんまり思いつかないけど)に書いて欲しいと思ってしまう。
あまりに無謀な挑戦なので手を出す人がいるかどうかは不明ですが(永井豪が私が一番の適任者なんて言い出さない事を祈りつつ)、実はこの「火の鳥:完結編」は「鉄腕アトム:完結編」だったのではと思っている。
浦沢アトムでも大きなテーマになっている「人類とロボットの共存」なんですが、実際鉄腕アトムの中にはその手の重い話がいくつも出てくる。

アニメ版では輝かしい未来の物語だったんですが、漫画版では所々に手塚のダークな部分が顔を出していて、人間のエゴによって救いの無い終わり方をする話もいくつかある。人種差別をロボットの話に置き換えているような物が多々ある。そしてその間に立って苦悩するアトム。
かつて石ノ森章太郎が「人造人間キカイダー」という、不完全なロボットが完全な心を求めて闘うという「ピノキオ」をアレンジした作品を書いたけれど、アトムの中にもそれはあった。
苦労して市民権を得たロボットが最後はテロで殺害されて終わる話もあった。
手塚の構想によると、描かれなかった「火の鳥」最後の2作品は、日清戦争〜第二次世界大戦あたりを描きロックが主人公の「大地編」(地球が滅びる未来編の主人公もロックだった事を考えると深い理由がありそうな気もする)

そして未来と過去が交錯する最終話「現代編」、現代編と言いつつ、手塚は1990年代に21世紀初頭を舞台に、鉄腕アトムが主人公になった作品として構想していたと言われる(明確なメモが残されていないんですが)。
未来永劫の不死の命を求めて醜い火の鳥争奪戦をする人類と、ある意味不死の命を最初から与えられているアトムがどのように絡み、この一大歴史絵巻である火の鳥のテーマにどんな形でケリをつけるかってのは、本当に読みたかった。

もっとも、「火の鳥」って作品に関して言えば、初期作品(雑誌COM連載)のスペクタクルと密度と実験的な部分に溢れていた作品と、80年代以降(月刊マンガ少年掲載以降)の作品では微妙にトーンが違うので、書かれていないからこそ名作になっているのかなぁと思う部分もあるのだ。

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コメント

手塚の息子もブラックジャックを描いてたね。つまんなかったけど。

投稿: ディープパープル | 2006年4月 3日 (月) 17時12分

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