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2006年2月 4日 (土)

功名が辻:山内一豊さんちの千代さん

※イラストと文章は関連性ありません。ただの過去イラストギャラリーです。


鮎川誠(2003年作)
20060203_1現在NHK大河ドラマで放送中の「功名が辻」
いわゆる「山内一豊の奥さんはへそくり上手でしたよ」というドラマなんですが、プチバブルと呼ばれている昨今、賢い奥様は少ない収入を上手にやりくりしましょうって事なんでしょうかね?それだったら、茂子の節約生活(鉄腕ダッシュ)の方がタメになる。

椎名林檎(2003年作)
20060203で、このドラマが始まって知った雑学に「山内一豊の奥さん千代はいつもボロボロの服を着ていて、色々なつぎあてをしていた。今でいうパッチワークのような状態。その色々な模様が入っている着物が逆に美しかったために、その服の柄をデザインとして採用した紙が、千代の名前をとって「千代紙」となった」というもの。
この手の雑学はずっと雑学野郎をやっていると、どっかしらで聞いた事があるようなモノが多いんですが、それは今年になって始めて聞いたもの。
実は最初にそれを知ったのが、某雑学で有名なセンセの雑誌連載にて。

スガシカオ(2002年作)
20060204「マジっすか?」と思って、とりあえず読み流していたんですが、その後、1カ月の間、テレビのクイズ番組と情報番組で2回ほど「千代紙は千代の服から来ている」というモノを聞いた。
雑誌連載は多くても10万人レベルの読者だけど、テレビは視聴率低くても100万とかが観る計算になるので(全国放送だと)、こりゃもう定番雑学になってしまったのかも知れない。
ネットで「千代紙 山内一豊」と検索すると、かなりの数がヒットして「千代紙って千代さんが作ったんだよ」などと書かれている。

山下達郎(2002年作)
20060204_1でも、一般的に千代紙というと、
もともと江戸にあった紙問屋の「いせ辰」の商品名として江戸時代後期に流行った物。このいせ辰は江戸城にも紙を卸しており、そこの大奥でカラフルな色彩が大評判となったため、その江戸城の別名『千代田城』から「千代紙」という名前を考え出した。
ってのが昔から言われている話なんですけどね。(別の説ももう1つ知っていますが。)

忌野清志郎(2002年作)
20060203_3今回の「千代の服」ってのを誰が言い出したかなんて事は不明ですが、たまたま自分は雑学センセ氏の連載で始めて知ったワケで。氏は以前、雑学の間違いに関して「雑学ってのは怪しいぐらいが面白い、正しくてもツマラない事実より、面白ければ嘘でもいい」みたいな、トンデモな事言っていたので、これもそうかなぁなんて思ってしまう部分あるわけで。

そして根本的な話なんですが、山内一豊の奥さんが「千代」っていうのは実は勘違いらしい。
実は山内一豊周辺に残されている奥さんの名前は一豊死後に出家した時の「見性院」という法号しかハッキリと解っていない。

久石譲(2003年作)
20060203_4現在定説的に思われている「千代」という名前は、土佐藩の帳簿にある物らしいんですが、これは山内忠義の生母の名前。(山内忠義は一豊の弟の子、つまり甥っ子。子供の居なかった一豊のところに養子に入り、二代藩主になった人物)
一豊の奥さんは忠義の義母なので、ここらへんは勘違いで「千代だろ」となってしまったらしい。

土佐藩の帳簿の千代さんの法号が妙玖院となっているので、別人だというのは確定している。
つまり、山内一豊の奥さんの名前が「千代」という確実な証拠は1つも無い。偶然に同じ名前という可能性だけは残されているけれど。

つまり「山内一豊の妻・千代が千代紙の創始者」という雑学は根底で否定されちゃうってワケでやんす。

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