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2006年1月19日 (木)

おたく文化の誕生と衰退と興隆


おたく誕生
今から17〜18年前、いきなり「おたく」という言葉が世間に認知され、しかも「社会悪」としてのレッテルを貼られた。
事件から18年目に、やっと日本を震撼とさせた宮崎事件の公判が出て「死刑」となった。(まだ裁判は続く可能性ある?)
2006011802その宮崎が逮捕された時に「私の息子はそんな悪い事をするような人間ではありません」と父親がマスコミに自室を公開し、その天井まで積み上げられたビデオテープの山が報道され「おたくって…」と話題になった。
それ以前から、おたくと言う言葉はそこそこ使われていたと思うけれど、その事件の時にワイドショーでは「おたく」という言葉の解説をしていたように記憶している。
以前メルマガなどでも雑学として書いたが、おたくという言葉の始まりは1983年。

☆1983年「漫画ブリッコ」6月号でコラムニスト中森明夫が「オタク」と言う言葉を発明しその種の人々の研究を開始した。(正確に言えば6月号なので5月発売、原稿を書いたのは少なくとも4月。)
おたく前夜
2006011803いわゆる「おたく的」な人はずっとずっと昔からいたとは思うけれど、今に繋がるような「おたく」が表面化したのは、たぶん70年代中期の宇宙戦艦ヤマトあたりを起源とするアニメブーム周辺からだと思う。
この頃、アニメが商業的に「子供ターゲットではなく、中高生以上をターゲットにした方が儲かる」と展開をはじめ、日本各地でアニメサークルが派生し同人誌が生み出され始める。
さらにそれをターゲットにアニメ専門雑誌「ふぁんろーど」「アニメージュ」「ニュータイプ」などが創刊され(それ以前は「ぼくらマガジン」などのような完全に子供向けのアニメ・特撮雑誌しかなかった)、ついでに漫画研究雑誌「ぱふ」なども出現し、現在のような流れが出来、1970年代末からコミケがスタートする。
自分なんかは学生時代、必死に漫画を書いていた美術部だったので、呼び寄せなくてもその手の人が引き寄せられてきて、その辺の流れはだいたい把握できていた。
しかし実際の事言えば、自分は漫画は好きだけど、基本的にTVアニメとかは中学生の頃から全然興味ないので、仲間意識も持てず、逆に鬱陶しい状態だった。
おたく文化の二本柱は「アニメ」と「特撮」なんだろうけれど、自分の場合、アニメは手塚治虫の漫画が好きなのでそれらは少しは見たけれど、一般的な人より見ていないと思う。
たぶん小学校を卒業したと同時にほぼアニメも卒業している。特撮物も小学校で卒業している。どっちかと言うと小説や漫画を読む方が好きだった。
おたくという言葉を拡大解釈すれば、自分は音楽おたくだし、雑学おたくでもあるし、データおたくでもある。
自分のサイトにある誕生日データを構築するために10年以上に渡って収集している誕生日関係の本も何十冊かあるので「誕生日データおたく」でもあるかも知れない。(それがそのまんまサイト知泉に展開されている)
おたく衰退(はせず)
200601180480年代は、今考えると日本人が軽佻浮薄に浮かれていた時代(それが90年代初頭のバブル崩壊まで続く)で、ある意味おたくも容認されるような時代だったのかもしれない。

いまでは諸悪の根元的に言われているロリコンも吾妻ひでおの漫画を初めとしてメジャーな存在になっていった。少年チャンピオンなんかでも、それまで自販機系マンガ本でしか書いていなかったような漫画家が、そのままロリコンをテーマにしたマンガを連載していたような時代だったのだ。(今だったら一発で発売禁止、廃刊になりそうな内容)
某知人などは、さらっと「俺ってロリコンだからさ」などと、普通の会話の中で言い放っていた。
あと時代的にはホラーは、よりリアルなスプラッター系が中心になったのもこの時代。
それが一転してしまうのが、昭和から平成にかけて発生した宮崎事件。
犯人がアニメや特撮系にのめり込んでいて、特撮系の同人誌(個人誌?)を作っていたとか、ロリ系ビデオをレンタルしていたとか(ビデオ店が簡単に犯人の借りていたビデオの内容をマスコミに公表するってどうかと思ったけれど)、それらが報道され、そこで「おたく」という言葉が市民権を得る。
その為に、おたくは「社会的に迷惑な存在」的な扱いを受けるようになる。

と言っても、実際は衰退するハズもなく、自分は1992年にパソコン通信という物と関わりを持つようになり、そこでさらにディープな人々が大量にうごめいている事に愕然とする。
それまで、おたくと言う人々は「コミケ」などのハレの場に年に数回出かけ、そこで熱量を発散していたのが、パソ通などが出来、それまで知り合えるハズの無かった全国のおたくが繋がり始めたのだ。
1990年代前期に自宅にパソコンを持っていて、さらにネット通信しているような人は、かなり特殊な人で、ここでおたくな人の要素の中に「コンピュータ」という物も入ってくる。
自分の場合は、コンピュータは1980年代から使っていたけれど、ほとんどが音楽の自動演奏のシーケンサーとしての道具(YAMAHAのMSXパソでやんす)で、パソ通も音楽関係で参加していたんだけど、その初期ネットにも関わる事になり、否応なしにおたく興隆史を目の当たりにしてきたのだ。
おたく興隆
1990年代中期にコギャルという物が派生するが、おたくとは対局にあるように見えて「アイテムが異常に多い/仲間内でしか通用しない言語を開発する/仲間内でしか理解出来ない価値観で排他的/自分は特殊と思いこんでいるが部外者から見ると仲間はみんな同じベクトル」みたいな部分で共通しているなぁと感じていた。
そして90年代初期はパソ通でおたく的に使われていた顔文字が、いつの間にかコギャルを代表とする文字文化になっていた。(だから未だに自分は顔文字に抵抗感ある)

そして2000年代に入ってきて、インターネットが一般的となり、誰でも自分のサイトを開くことが可能になり、さらに(自分を含め)思いこみだけの文章をガシガシ書くことも当たり前になってきた。
2ちゃんねるという匿名で書き込みが出来る掲示板が、企業へのクレーム事件を立ち上げたり、逆に犯行予告に使われ初めネットの暗部が表面化していくと同時に、おたく文化もより密度を上げていく。
そして「電車男」のブレイクで、ある意味、社会現象として認められつつある。
良い事なのかどうかは不明ですが。
宮崎は、今思うと「おたく」的な部分にはまり込み切れなかった人なのではないか?と思ってしまう。なんとなく、世間一般のおたくとはズレているような気もする。
逮捕された当時の週刊誌などでは、おたく仲間たちからも嫌われていたみたいだし。
どちらかというと、その後頻発した子供を狙った事件なんかは、犯人がおたく的ではない。ただ単に逮捕された当初にあのビデオで造られた壁を見てしまった時、「おたく=宮崎=幼女殺し」で社会悪になってしまったんだなぁと思うのだ。

でも、何はともあれ去年はおたくが社会的認知をされたような年で、「電車男」や秋葉原エクスプレスや、秋葉原におけるメイド喫茶やそれらを取り囲むムーブメントがニュースとなった。
自分的には、あんまり関わりになると面倒くさい人種が多いってのは知っているので、積極的に関係は持たないけど、

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