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2006年1月17日 (火)

腰痛とマリー・アントワネット

2006011603去年のクリスマス直前に激痛が襲い、ベッドから起きあがるのがやっとになって、早3週間。
未だに腰の痛みはズキンズキンしているんですが、今やその痛みにも慣れてしまったようなあまり良くない状態。
去年の夏頃から痛かったのを、ヘビーな仕事に追われ、年末にそのツケが一気に来た状態なのだが、年が明けて「だから楽な仕事出来るわけじゃない」って事で、相変わらず一日中座りッ放しで仕事をしている。
もう3週間、コルセットを外せない状態で、動きも色々制限されている。マリー・アントワネット時代の女性の気持ちが少し理解できたのだ(半分嘘)。


マリー・アントワネットの首飾りマリー・アントワネットの首飾り/発売日:2004/01/21


と言うことで無理矢理にマリー・アントワネットの話ですが(腰痛の話はただの前振り?)、フランス革命の時、民衆の反感を買いギロチンの露に消えたという事で悪人扱いする部分もあります。
その時の有名な「パンが無ければケーキ(お菓子)を食べればいいのに」という一言は、実はフランス王室を悪者にするため捏造されたプロパガンダだと考えられています。
この言葉が最初に書かれたのはジャン・ジャック・ルソーの「告白録」。
が、そこにはマリー・アントワネット発言とは書かれず「とある女王は「パンが無ければブリオッシュ(高級なパン)を食べればいいのに」と配慮に欠ける発言をした」と書かれている。
しかも、この本が出版されたのはアントワネットがフランスに嫁ぐのよりずっと前の少女時代。

2006011602さらに、ルソーがこの逸話を聞いたのは出版のずっと前、1740年頃で、アントワネットが生まれるより15年も前のこと。
で、たぶんルソーが聞きかじった話の原典は紀元3世紀の晋(中国)の話。
晋の恵帝は暗君で妃も悪女だった。重臣を次々に殺し天下は乱れ、さらに騎馬民族の侵入、大飢饉が重なり人民は貧困に喘いだ。この時の恵帝の言葉。「が無ければを食べればよい」
これが中国の古い書物にも書き残されている。
つまり、フランス革命時に王族を悪者にするために、ルソーの著書の言葉をマリー・アントワネットの言葉として流布したと考えられている。(貧窮する市民を後目に贅沢をしていたのは嘘じゃないけど)

ベルサイユのばら「薔薇は美しく散る」
この様に捏造された言葉なので、同時に別のバリエーションも生みだしている。
ルイ15世の妹がパンを食べる事が出来ない民衆の話を聞いた時「気の毒だけど、がまんしてパイの皮を食べれば良いのに」と言ったとされている。彼女はパイを食べるとき、表面の皮は全部捨てて中身だけを食べていたので。
さらに文献によっては「当時の法律には『食糧難の際には、パンとブリオッシュを同じ値段で売りなさい』と書かれていた」というのもあり、ちょっと混乱もします。

アマデウス
豆知泉
☆マリー・アントワネットは少女時代から美人だったらしく、7歳の時に稀代の女たらしモーツァルトにプロポーズされている。ちなみにその時モーツァルトは6歳。
☆旦那のルイ16世は政治的に無能だが自己顕示欲が強く、コインに自分の肖像画を刻印させていた。そのため、フランス革命時に変装して逃げ出したが、とある田舎町であっさりと捕まった。

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