2009年7月 9日 (木)

スケジュールが大混乱中

以前にも書きましたが『ラブいぜ!しずおか』のロケ予定は最初に一通り季節的な物などを考慮して立て、それを基準に動いている。
秋以降はまだゆるく作ってあるのでどうなるか解らないのですが、7月8月ロケ分はもうカッチリと決めてあって、それに向かって雑学原稿やその裏取りなどをガシガシ進めている。
もうバッチリなのだ、あとはロケに行くだけなのだ! という事になっている。
当然、ロケ先には事前に了解を取ってあるのでその辺も大丈夫。


が、世の中はそんなに甘くないと言うことをこの数週間痛感しまくっているのだ。
6月10日の日記では、ロケ前日にロケ先が「えぇ?来てくれなくてもいいよぉ」的な感じになってしまい、急遽ロケ先を変更し、その日の内に別のロケ予定地にアポを取り、原稿をまとめるという無茶な事も経験したと書いている。
急遽とはいえ、そこはプロの仕事なので視聴者にはそんな舞台裏を晒さないようなガッチリしっかりの内容になっている。
で、それ以降なんですが、ちょっとスケジュールがどんどん変更になり「どうすりゃいいの?」状態になっている。

『ラブいぜ!しずおか』は基本的に、木曜日に撮影して翌週の金曜日放送となっている。つまり7月2日にロケをして放送は翌週の金曜10日。だから1つのロケをしてそれを放送する前に次のロケの収録が終わっているという事。
小沼みのりんが月曜・火曜は1時からのラジオ「らぶらじ」があるのでロケに行けず、金曜日は4時台からテレビがあるのでロケに行けず、ロケに行けるのは水曜日か木曜日となっている。
だから木曜日にロケに行けない場合は、最悪のケースとして水曜日にロケして2日後の金曜日に放送となる。そんな場合は編集も大変なのだ。
でもって、水曜にロケして金曜に放送の時は、その週の木曜には次の週の分のロケもしなくてはいけない。つまり2日連続でのロケなのだ。5月27-28日の掛川加茂花菖蒲園〜舘山寺ですでに経験済みなのだが、これは体力的にキツイ(って自分が体力無さ過ぎなのですが)

という事で、7月2日ロケ(10日放送予定)の某所に関しての原稿はほぼ決定で「あとはロケ日が雨じゃないことを祈るだけ」となっていたのですが、その前日にみのりんから電話。
「実は先方へ先週ロケの伺いを立てた時にはOKだったんですが、さっき明日はよろしくお願いしますと直前確認の電話をいれたら「今、ちょっと事情があってロケは今月末にして貰えないかな」と言われちゃったんですけど、どうしましょうか?」
というまさかの展開になってしまったのだ。という事は7月末にその予定をズラして他のものを前倒しにしなくてはいけない。
実はその翌週分というのがスケジュールを立てた時から「映像にしにくい」というのが問題になっていて実際に撮影出来るかな? と悩んでいたものだったのだ。

基本的に雑学の現場に出かけそれに関する雑学を語る番組ですが、歴史物の場合、遺跡などがあればなんとか映像になるのですが、何もない場合はセリフやイラストで処理しなくてはいけない。
以前、舘山寺でロケした時「実はここには日本一小さい県『堀江県』があった!」というネタをやったのですが、この堀江県というのは明治政府によってそれに関する物がすべて撤去され地名すら変えられてしまったので(存在を完全抹消)何も残っていないのです。
そこでとりあえず「だいたいこの場所」という映像と、静岡市にある資料室へ出かけてそれが記載されている書籍を撮影して処理をした。
そんな風に映像にしにくいネタは、ネタ的におもしろくても却下なのだ。突然の展開に「とりあえずそこは保留」となった。

という事で、今週ロケ分と来週ロケ分がいきなり白紙になってしまった。
こうなったらしょうがない「今週はロケ無しで、来週を水木2日連続ロケにしましょう」という事で、その来週2本文の原稿を書く作業が始まった。
とりあえず1つは2週間先に予定していた「浴衣」というテーマ。静岡県は浴衣反物の取扱が日本一という事で7月中旬じゃなくてもいいよね、と言うことで2週間前倒しにした。(放送予定日が7月10日、その3日前の七夕の日は「浴衣の日」でもある)
そしてもう一つは、夏って事で海に関する雑学を新たに持ってきてそれを扱う事にした。静岡県は日本一深い湾「駿河湾」を抱えているのでそれに関する雑学なのだ。
という事で、水曜7月8日→10日放送「浴衣」、木曜7月9日→17日放送「駿河湾」という事で原稿を書き進める。
ただ浴衣というテーマ。静岡県と関わりがあるのは「取扱量日本一」という部分だけでなかなか広がっていかない。確かに、浴衣というもので雑学は「由来」や「歴史」なんか話す事は色々あるんですが、静岡関係ないじゃん!となってしまう。
そこで別の日に予定していた「花火」をセットで紹介する事になった。こっちも日本国内で夏の花火大会の回数日本一というのがある(るるぶ調べ)のと、日本初の花火大会は駿府城で家康が観覧したというネタを入れ込むことにした。ネタ的には充分でしょう。

それでなんとか形になった....と思った処で、月曜日になってふたたび問題勃発。
木曜日ロケ予定だったロケ先が「先日からの天候不良でしばらく漁に出られないので、船を修理に出しちゃった」との事で今週のロケは中止。
うぬぬ!と言いつつ、今週水曜日8日に収録したものは10日に放送出来るので、浴衣が撮影できれば急場を凌ぐことは出来る。
つまり今週は水曜日ロケだけで、その翌週が水木(15-16日)2日連続ロケになったのだ。
で、翌週の木曜日は、浴衣が前にズレ込んだ事で本来は23日ロケ31日放送予定だった雑学を1週前倒しにして考えてみる。
という事で、水曜日に浴衣&花火のロケをして来た。こっちは順調にかなりスピーディに終わった。

で、ロケの翌日再びみのりんから電話があった。
「来週の水曜ロケ予定の「駿河湾」の話なんですけど、網をしかけるのが水曜の夜らしいのでロケには木曜日に来て欲しいとの事です」
うぬぬ!つまり水曜日がダメって事は本来、木曜日にロケするハズだった場所を1日前にズラすという事か!しかも駿河湾に関しては木曜日がロケ予定ですが、もし時化たりして漁に出られない場合は当然ロケ中止。そうなると翌週の水曜日にって事になる可能性もあるのだ。
そんでもって、一番最初に「今月末にして貰えないかな」と言われた処からまだ明確な返事が貰えていないらしい。
もしそれが7月いっぱいダメな場合は8月中旬に予定している別のネタをそこに持ってこなくてはいけない。

これを書いていても、どういう順番でスケジュールが変わっていったのかよく把握出来ていない。
ちゃんと説明できているのは解らない。もう何がなんやらなのだ。

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2009年6月24日 (水)

シリスギ仙人リニューアル

と言うわけで、今年の5月初旬に登場した「シリスギ仙人」というコスプレキャラなのですが、とにかく欠点が多かった。
風にも雨にも弱い。装着するのに一苦労。撮影時にちょっとでも横を向くと舞台裏がシッカリ見えてしまい悲惨なことになる。さらに常に両手を棒で支えているので何も出来ない。ついでに道行く人々に笑われる。
という事なのだが「これもひとときの辛抱、今ちゃんとしたのを制作中だから」と言われ、待つこと2ヶ月。
ついに本仕様のシリスギ仙人が登場なのだ。


こんな感じで緑色です
2009062401って、今まで基本的に「自分は裏方なのだ」という思いがあった、かつては「会社員のかたわら」という事もあって、自分を晒す事はしていなかったけれど、今は毎週テレビに出てしまっているし(毎回コスプレですが)それ以外の所でも露出があるので、いまさら顔を隠しても意味無いジャンという事で、顔出しです。
制作中から「毛がいっぱい」とかの話は聞いていた訳ですが、まさかここまで毛がいっぱいだとは思わなかった。
シリスギ仙人1号機と比べると格段に自由度が効く。それと以前の物と比べると肌に当たる部分の柔らかさが段違いなのだ。
以前のはオデコとアゴで支えるようになっていたんですが、オデコの部分は撮影が終わると真っ赤になっていたし、一度は傷が出来ていた。アゴの部分もここでお面の重さを支えていたので、クチが思うように開かないという最大の欠点があった。そのために、いつも両手でこっそりと持ち上げていた。
それに比べて今回はなんとソフティな事。
そして最大の欠点だった「横を向いてはイケナイ」という部分が解消されているのだ。これは素晴らしい。
お陰でこのシリスギ仙人での初めての撮影では、画面の横からゆっくりと登場(別にオードリー春日のマネをしているワケではない)という芸当も出来るようになったのだ。
ついでにグシャグシャになった髪の毛を見られる事もない。

自画撮りすると頭まで全部映すことが出来ない
2009062402と良いことずくめのような事を書いていますが、欠点もたくさんある。
まずスッポリとフルフェイス的にかぶってしまうため、外の音があまり聞こえない。
さらに自分の声が中でうわんと反響して、さらに外の声が聞こえなくなっている。
自分の声の大きさの加減が出来ずに、はたしてこんな声の大きさでいいのか? 状態なのだ。
これはかなりの欠点だと思うのだが、基本的に撮影はある程度決まった台本を読むという事になっているので、相手の声が聞こえなくても大体は勘で乗り切る事が出来る。
もっとも、このうわんの為なのかバッチリ頭に入っているハズのセリフを何度も失敗する。なんてこった! なのだ。
そしてもう一つの欠点。それが異常に暑いという事。
一番最初の撮影はスタジオでの収録だったのですが、撮影が進むと徐々に被り物の中が熱くなっていき、次第にボーッとしてきてセリフが解っているのに出てこなくなる。自分がしゃべっているのはOKなのか? これはかなりキツイ。
しかもこれから最大限に暑い季節がやってくるワケで、当然の事ながら8月には灼熱の太陽の下でのロケってのもあるだろう。
というか、この先の年間スケジュール暫定版はすでに提出済み(自分作成)で、その中に灼熱の太陽の下でのロケってのもあったような気がする。

どーも、杉村です。顔出しちゃいました。
2009062403でもって今回の撮影では、ある事情があって自分が単独で(カメラマンは同行)とある凄い人にインタビューをするというシーンがあった。当然、新シリスギ仙人のコスプレで。
最初の方は結構順調にインタビューが始まり、その相手も喋り慣れている方だったので思った以上に話が弾む。こりゃ良い調子だ、こんな感じで色々なエピソードを聞き出せるぞ、と思っていたのだが段々と被り物の中が熱を持ってきて「あれ? 何か考えがまとまらないぞ」と感じ始めた。
完全に、被り物で熱中症に近い状態なのだ。と、いう所でカメラマン氏に目配せをしてインタビュー終了。
気が付くとおよそ1時間が経過していた。
そうかこれが意識朦朧というヤツか。
この先、どんどん暑くなる毎日。
シリスギ仙人の運命やいかに!

今日、2時にスタジオに伺う事が出来たので、ラジオに生出演したのですが、そこで「何か前向きな事してる?」と本日のテーマを振られた事から「以前、自分は基本的に裏方の人で前に出るつもりは毛頭無かったんだけど、なんだかんだ御指名を受けてラジオやテレビに出演する事になった。そこで最近は何でも仕事を受けるという事で、基本姿勢は前向きにするようになった」という話をした。
だから、顔だって出しちゃうのだ。
そのラジオでは「以前は黒い服が好きで、常に真っ黒だったけど、今は意識的に明るい色の服を着るようにしている」という話もした。そこで着てた上着はピンクだし、靴下はイエローだった。てつさんにコーディネート的にはどーなの? と突っ込まれていたけど。
前向きな姿勢が何か別の良い事も引き寄せて来るんじゃないかって事で、別段スピリチュアルだとかそーゆー超科学的な事は一切言うつもりは無いけど、前向きな部分は自分の肉体面も精神面にも良い影響を与えてくれるんじゃいかと思っている。

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2009年6月15日 (月)

未完成アニメ1985

パラパラマンガ 未完成1985
これは今から20年以上前、1985年頃に一人でコツコツと紙に絵を描いていた未完成アニメ。
書いたままになっていた物を発見して「そう言えばアニメを作れるサイトがあったよな」という事でチャッと作ってみた。後半は絵がエンピツ描きになってしまっていますが、こんな感じです。


自分は基本的にアニメという物にはあんまり興味がないんだけど、作る方には興味があった。
自分が中学生の頃、「宇宙戦艦ヤマト」に端を発したアニメブームがあった。
もちろん物心付いた頃からアニメはあったのだが、いわゆる現在に繋がるようなアニメブームがあって同人誌やファンサークルなんかが周囲に出来はじめていた。
自分は中学に入った頃にはすでにアニメとかを卒業していてほとんど見ていなかったので、その手のブームには全然乗る予定はなかったが、同級生が「宇宙戦艦ヤマト」を「カッコイー」とか言っていた。
たしかクラスメイトのササハラとかタグチとかが言っていた記憶があるので、あれは中学3年の事。つまり1976年の事だと思う(ササハラは同じ高校に進んだが科が違っていたし、タグチは違う高校に進んだので、確実に中学時代の話)。
「宇宙戦艦ヤマト」の本放送は1974〜1975年なので、おそらく再放送。

クラスメイトが騒いでいるので、自分もチラっと見たけれど「これがSF?ただの戦記物を宇宙に持っていっただけじゃん」と感じて興味を失いその後はちゃんと見ていない(薄い見方かも知れませんが)。
その後、高校に進学してギターを引き倒す音楽を中心の生活をしていた。
が、高校2年の秋、同級生のヤマダ君が「家にコマドリが出来る8ミリカメラあるよ」なんて話をしたのだ。当時はビデオではなくフィルムの時代。
そこで「アニメを作りたい!」と思ってしまったのだ。思ってしまったのだからしょうがない。その日からアニメを作る準備を始めた。いわゆるプロ仕様のセルに絵を描いてというのは金銭的に許されないという事から「紙に描くのだ」という事になってコツコツと描き始めた。
そんなこんなから部活も軽音からいきなり美術部に移り(そのままだったら軽音の部長だったんだけど)アニメ制作を始めた。

とりあえず文化祭に作品を間に合わせる事は出来たんだけれど、なんか納得が出来なかった。
その後、東京の美術学校に進学して、そこでも学校の授業とは関係なく、夜は毎日コツコツとアニメを制作していた。それと同時に漫画も描いていたのだから、今思うとどんだけ絵だけを描く生活だよって事なのだ。
そして取りあえずの形にはしたんだけど、納得がいかないまま東京時代を終えて田舎に戻ってきた。
その後も淡々と一人で完成するか不明のままアニメを夜な夜な書き続けていたワケですが、1985年頃に仕事が忙しくなって、途中のままになってしまった。

その途中の作品がこの『未完成1985』という物。
高校時代の友人が描いていたキャラを勝手に拝借して「スーパーハンチャン」というスーパーマンのパクリ物にして、ただ飛び回り暴れるというだけの作品。今思えば、完成が目標ではなくて「ただ絵を描くのが楽しかった」のかも知れない。
このシーンは、電車をストップさせなくてはいけない場面で、思わず電車の運転席のガラスに手を当ててしまったため、そのままガラスを割って電車の中を突き進んでしまったという場面。
思った以上に大変な作業で、でも細かく描くのが好きなので淡々と毎日描いていたワケです。
もうあの頃の情熱も時間も無いので、これを完成させようとは思っていませんが、こんな事もしていたという記録です。未完成でごめんなさいです。

こういう作品を作る情熱ってのは、あんまり認めたくないけど「オタク」って事なのかなぁ?
なんか世間のオタクという言葉の意味が凄く曖昧なんだけど、自分の中でオタクというのは「金儲けとは関係ない場面で情熱を一点に捧げ続けている人」と定義している。なんかプロのオタクなんて「オタクの風上にも置けない」って感じなのだ。

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2009年6月11日 (木)

ラブいぜ!しずおか・ロケ日記7:袋井市・クラウンメロン

という事で、前日にロケ地を決定するという綱渡り状態でありますが、原稿はしっかり出来上がっているのでキッチリとプロの仕事をこなすのであります。


2009061101本日は袋井市にあるクラウンメロンの雑学。
本当はもうちょっと先、7月の中旬ぐらいのお中元シーズンに向けてと考えていたのですが、いきなりの前倒し。ところが後で「静岡温室農業協同組合 理事」の安井さんに伺うと、お中元シーズンだからといって特別にその時期に売れるという事はあまり無いみたいです。
でも、1玉ン万円とかするメロンをどんなタイミングでどんな人が買うんだろうか? などと恐ろしくて聞けないままロケが始まる。
とりあえずカメラ隊が建物の外観などを撮影している間に、応接室で基本的な質問をして台本を確実な物へと固めていく。
と、そこに早速ざっくりと大きく切ったメロンが登場してしまうのです。なんつーか、神々しいばかりに光り輝くメロン。普段自分が食べているメロンとは全然違うのだ、さすがクラウンメロン。

妥協を許さない村田カメラマン
2009061102クラウンメロンというのは基本的にはマスクメロンなのですが、その中で厳しい品質検査をパスした物に与えられるブランド銘が『クラウンメロン』という事になっている。
同じようなパターンでは、果肉が真っ赤な『夕張メロン』というのがありますが、実は果肉が真っ赤だからと言って夕張メロンでは無い。あのメロンの正式名称は「赤肉キングメロン」、その中から夕張農協による品質検査をパスした物に与えられる名前が『夕張メロン』というブランドなのです。

そんな感じに打合せの段階でメロンをいただき「ウマーッ」と心の中で叫びながらロケがスタートしたのです。てぇ事は基本的にロケ先は自分の胸先三寸、自分が決めている部分があるので、「旨い物が食べられるロケ」というのを要所要所に組み込んでいけば美味しい思いが出来るって事なのだな。
と言いつつ、初回のサクラエビに関しては食べている余裕が一切なく、買い物をしている余裕すらなく、目の前で美味しそうにサクラエビの書き上げを食べている人ばかりを見るというキツイものだった。
おかげで心の中でずっと「サクラエビ、サクラエビ」という言葉がぐるぐるしていたので、思わず帰りの静岡駅の売店で冷凍サクラエビを買っちゃいましたよ。わざわざ由比漁港に行った帰りに。

この時モニターを見たメロン生産スタッフは「ウワッ旨そう」と唸る
2009061103でも今日のロケは「こんなに美味しそうなメロン」という画像を撮るためにメロンを切って下さったりして、撮影後にそれをスタッフ一同で美味しく頂きました、という事なのだ。
今回のロケのベースになっている話は「静岡県は日本1の温室メロン(マスクメロン)栽培地」という事で、特にマスクメロンの栽培は手間暇掛かる事から設備投資の関係からそう簡単に手を出せないジャンルとなっている。
それを調べていてもう少し大きな括りでも使える雑学だと言うことも判明した。このマスクメロンというのはイギリス生まれのメロンなのですが、現在その本家イギリスではあまりにも面倒くさいという事でほとんど栽培されていなくなっているそうです。さらに世界中を探してもマスクメロンという品種は採算に合わないという事で大規模に栽培している国が日本以外にないのです。
つまりその事を合わせて考えると、静岡は世界で1番のマスクメロン生産地ではないかという事なのです。
海外からのお客様を招待した企業のパーティなどでもマスクメロンというのは「これは美味しい」と驚かれるそうですが、さらに驚くのはその値段らしい。

本日の雑学は
☆マスクとは表面の模様ではなく香りの意味。香水のムスク、つまり麝香(Musk)のような香りがする事から名付けられたもの。
という名前に関する雑学から初め、先ほどのパーティの定番に関して
☆パーティなどの定番オードブルとして「生ハムとメロン」があります。
これがあまり好きではないという人もいますが、実はこの組み合わせは理にかなった物なのです。
生ハムの塩気をメロンの甘味が中和するという理由もありますが、メロンの中に含まれるカリウムが塩分を体の外に出す働きがあります。
さらにメロンにはギャバやパントテン酸という高血圧予防やコルステロールを軽減する栄養素も含まれているので、ベストパートナーなのです。

結局、自分が出演していると自分の出演シーンは掲載できない
2009061104という話に繋ぎ、さらに日本でのマスクメロン栽培の初期段階の話として
☆日本にマスクメロンが入ってきたのは明治時代ですが、その時に大隈重信と伊藤博文の二人が始めて食べ、この甘いフルーツに「マジ旨いっす!」と感激しました。
そこで二人は「これをもっともっと食べたい、日本でも栽培したい」といきなり『マスクメロン協会』を設立したのです。ちなみに初代会長は伊藤博文です。
☆ちなみに大隈重信は自宅庭に温室を作りそこで栽培したメロンを食べ「我輩は毎日、マスクメロンを食べているから百二十五歳まで生きるのだ」と語っている。
という話を持ってくる。他にもあの網目はどうやって出来るのか?という事なども語る。

自分の仕事が終わった後、こういう写真ぐらいしか撮れないのだ
2009061105なんつーか。コーナー時間のわりに内容が濃すぎるって感じなのかもしれない。
もっと語りたい事があるのだからしょうがない。結構これでも削った状態。
しかしこれはあくまでも今日のテーマだから言える事で、以前の「花菖蒲園」の時の、手持ち雑学が薄い。そしてドロナワ的に調べた雑学も薄い。という時は、ひたすらごめんなさいごめんなさいと心の中で謝罪する感じなのだ。
だから「コーナー好評につき、次回から時間を倍増!」となってしまうと、ひたすら困ってしまう回も出てくる。
密度濃いめっすねぐらいの今がちょうどいいのかも知れない。(雑学部分ではない、お笑い要素を増やせば時間は伸ばせると思うけどね)
という事で朝は「もしかして雨?」と思っていた天気も徐々に回復を見せ、途中からうっすらと日の光も差すようになっていた。
ところがロケが終了して、2時直前「さて今日のお昼はどこでとりましょうか?(その駐車場でラジオ出演するのは前回と同じパターンで)」という時にいきなり雨が降ってきたのです。
おぉなんというタイミング。撮影終了を待った形で雨が降るなんて!

そんな感じに本日のロケは天気的にはもうバッチリでした。 と思っていたのですが、みのりんは気を抜き、日焼け止めを顔にしか塗っていなかったことから、局に戻ってテレビのメイクさんに「首から胸元にかけて真っ赤ですよ」と驚かれてしまうほど日焼けをしてしまった。そんなに日差しが強いとは思わなかったのですが。
ということで、その日の「イブニングeye」では準備していた服ではなく、急遽首までしっかり隠れる衣装を用意してそれで乗り切ったそうです。(翌日も)
これから先、日焼け止め対策もちゃんとしないとイケナイなと思うのでやんす。

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2009年6月10日 (水)

えええええ?直前にロケ先変更?

明日の木曜日というのは毎週ロケという事になっています(時には水曜日もあり)。
という事で、仕事の流れとしては4月の段階で暫定的な年間スケジュールを組んであり(季節ネタや諸事情を考慮した物で)、ロケの前々週あたりにそのロケ地に関する基本情報と雑学原稿を仕上げる。
つまり明日のロケに関しては5月末に「○○○は○年に作られた建物で、ここには日本で○○な○○○があります」というベースになる歴史や数字などをテレビ的に説明した物を書き、なるべく解りやすくテレビ的に大丈夫な雑学を複数書く。


この雑学も色々な縛りがあって、夕方のニュース&情報番組なのでどぎついネタはダメだし、その現場にロケに行くという事もあってマイナスイメージの雑学はダメとなっている。雑学好きな人の中には、その対象物の権威が失墜するようなネタが好きな人な人もいるけれど、その辺はパスなのだ。
ラジオ「らぶらじ」でやっているネタもシモネタなどに関して色々な規制があるので「これ面白いのになぁ」というのはパスしなくてはいけない。
その辺のシモネタに関してはみのりんもディレクターも「いつか『夜のうんちく劇場』という特番を夜の番組でやりたいですね」と話している。実現するかは不明ですが。

という事で基本原稿をみのりんに送り、その原稿をベースにみのりんがテレビ的な台本に仕上げ、その原稿を番組のディレクターにチェックしてもらい、OKが出た処で原稿完成!→そしてロケにいく事になるのです。
もっとも現場に行っても、その場その場で細かい修正が入っていく。
文章として読んだ時には不自然さが無かったとしても、クチに出すと「なんか違和感がある」という事でニュアンスを変えたりする。説明の中に同じ固有名詞が何度も出てくる時は、ちょっと違う言い回しにしたり、文章で見た時はいいけど喋るとなると堅すぎる表現だったり解りにくい言葉だったりする場合も単語をいくつか変えてしゃべってみる。
という事で、明日のロケに関してはもうバッチリ。自分の中でも今回の原稿のために再び調べた事例などが色々頭に入っているので、かなり自信あり!

だったのですが……。
今日の午前10時頃にみのりんから電話が掛かってきた。明日のロケのスタート時間に関しての話だろうなと思っていたのですが、いきなり衝撃的な事を言われてしまったのだ。
「明日のロケの○○○○○○なんですが、今まで何度も中継なんかが入っていてアポは簡単だと思っていたんですが、なんか今回の雑学『○○○○○○にある○○○○が使っていた○○○○は日本最古!』という物に“そんなの静岡県民なら誰でも知っているので、ワザワザそんな事取り上げてくれなくてもねぇ”という感じで全然乗り気じゃない上に、なんか迷惑そうな感じなんですが」という事だった。
う〜ん「静岡県人が誰も知っている」ってのはちょっと自意識過剰ではないか?それにこのコーナーは基本的に「静岡空港が開港した事で他県や他国から静岡を訪れてくれる人が増えるので、そこで静岡を自慢できる雑学を」という趣旨なので常識だっておさらいする必要あるし、その常識にみんなが知らない雑学を上乗せして楽しませようと考えているのだ、ふんがー!
と言うことで、みのりんもちょいと「まったくもー!」という感じで、結局「明日のロケ、別の場所で準備できますか?」という事になったのだ。

う〜む、今日書いて明日ロケっすか? あまりにも無謀。と思いつつ、準備してある年間スケジュールを見る。
スケジュールは季節ネタはその時期でしか撮れないので移動できないのですが、それ以外の季節に関係していないネタは適当に散らしてある。前の週が食べ物絡みなので翌週は工業関係とかバランスを取りながら。
その中で、本当は7月のお中元シーズンに向けて「温室メロンの生産量は静岡県が日本1」という物があったので「これって明日でも大丈夫だと思います、雑学もだいたいの流れは頭の中にありますので」という事を提案する。
みのりんも「それだったら以前もテレビのロケでお邪魔した袋井にある温室メロンのトップブランド「クラウンメロン」の方と連絡取れます」という事で即決。
では原稿は……、12時までの完成させてメールします。と電話を切ってさっそく原稿書きを始める。

と言っても、これまでメルマガや単行本などでメロンに関する雑学は何度も書いてきているので雑学部分のベースはだいたい出来上がっている。(らぶらじではまだ扱っていなかった)それを中心にして未発表の雑学メモデータベースからテレビ的な雑学に組み立てていく。その中で「日本一」という部分で意外な事実を発見してそれを書き加えていく。
ロケ先の情報はロケ先のサイトに書かれている物を基準に、あとメロンの歴史なども絡めて文章化していく。
そんなこんなで12時前にメールを送る。約2時間という短時間で仕上げた原稿だが、これまで書きためた文章がこうやって役に立つのだ。メルマガは最近発行していないけれど、約10年に渡って発行し続けてくるとそれも財産なのだなぁ。らぶらじの方は毎日分がもっと濃いのでそれをすでに450回放送しているので財産は大量にあるって事なのだ。1回分の放送は単行本1ページ程度の分量がある。
12時に送ったメールをみのりんは大急ぎでテレビ台本にまとめ上げる。しかし4時ぐらいから「イブニングeye」の打合せやメイクなどに入るので、制作時間は4時間。その後、4時前に仕上げたものをディレクターに渡して了承を取るって事なのだ。
「イブニングeye」の終了が6時45分、その後、その日の反省会(というのかな?)をして....

7時57分にみのりんから電話「遅くなりましたぁ」と台本を送ったという報告。そして明日朝は局を9時出発なのでどうしますか?などという話をする。
舞台裏ではそんなこんなのドタバタ劇が連日繰り広げられているワケですが、白鳥は優雅に泳ぎ続けているのです。って自分を白鳥に見立てるってのはどうかと。
しかし明日のロケに関して、前日にロケ現場を決める処から始めるって、ちょっとムチャな綱渡りでやんす。

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2009年6月 8日 (月)

ちょい笑かるた「らぶらじ」

現在SBSラジオ(静岡放送)で絶賛放送中の『らぶらじ』
その中の2時台「うんちく劇場」にレギュラー出演しているのですが、この番組聴取率もよく同時間帯に放送されている静岡県内のラジオ(FMも含め)でもっとも聴取率が高いそうでやんす。AMなのにこの快挙。
という事で、今年の聴取率調査週間という事で今週は色々な企画があるワケです。


その1つで、毎週月曜日にリスナーから50音順に面白川柳を募集して最終的にカルタにしようと言う「ちょい笑カルタ」という物があるのですが、まだ「や」までしか行っていないけれど、聴取率週間にぶつけて「カルタ大会」を開催することになったワケです。
という事で、絵札の方をパーソナリティの鉄ちゃんとみのりんが担当する事になったのですが、みのりんは自他共に認める「破壊力のある絵を描く人」そして現在ラジオテレビとレギュラーが多く時間があまりないという事で、5月28日の舘山寺ロケの時にいきなり「杉村さんにお願いできますか?」という事でその内の9枚を手渡された。さらにその次の週、6月4日のロケの時に「実はまだ自分が担当している9枚が終わっていないんです」というみのりんから残りの3枚を引き取り、全部で12枚を描く。

と言うことで、ただ働きですよ、頑張っちゃいました。すでに放送済みなので自分の描いた絵札を発表します。
「て」手品師の 帽子の中で 鳩爆睡
「と」飛んだよね あなたの顔に 飛んだよね
2009060801

「な」奈良漬けで 飲酒検問 ひっかかる
「に」肉離れ 本当に離れて 欲しかった
2009060802

「ぬ」ヌーブラと 言ってはんぺん つける母
「ね」願い事 そんだけ願って 10円かい!
2009060803

「の」のびやかに 桂小枝の マネをする
「は」吐いたよね? 玄関なのに 吐いたよね?
2009060804

「ひ」ひまわりが カゼをひいたヨ ゴッホ!
「へ」ベッドでも あなたやっぱり サウスポー
2009060805

「も」猛犬と 注意のシール ボクのこと
「や」ヤクルトを バケツで飲み干す 夢を見た
2009060806


番組では、詩吟を唸って30年という岳心会の泊心先生をお呼びして本格的なかるた大会を開催して、ムチャクチャ面白く「これ商品化出来ないかねぇ」という感じで番組内で盛り上がっていたワケです。 でも商品化するとなると、「は」と「や」辺りが著作権的に難しいので、修正しなくちゃイケナイかも知れないっす。 しかし、絵が見えないラジオ番組でここまで真面目にカルタ作るってどうなのよって感じでもあります。
という事で、杉村という人は雑学だけじゃなく、こんな絵も描けます。お仕事の依頼もお待ちしております。お仕事の依頼は<tisen@tisen.jp>へ!

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2009年6月 4日 (木)

ラブいぜ!しずおか・ロケ日記6:牧ノ原市・大鐘家アジサイ

静岡県の自慢できる所をロケして紹介する「イブニングeye」の人気コーナー『みのりんの、教えてシリスギ仙人 ラブいぜ!しずおか』(これが番組内で紹介される正式名称)なのですが、季節ネタというのはちゃんと抑えておかなくてはいけないワケです、
それ故に4回目も加茂花菖蒲園を紹介したのですが、やはり夕方5時台に放送されている番組ということで主婦がメインで見ているので「花」というのは魅力的なテーマなんでしょうねぇ。
花菖蒲園の時などは自分的には「イマイチ雑学が薄い」と感じていたのですが、視聴率はその時間帯にグンッと上がって好評だったらしいのです。何げにチャンネルを合わせた人が「まぁ綺麗」と見てくれたワケです。
個人的には「ゆるい雑学の時により多くの人に見られてしまって残念」なのですが。


2009060401という事で、これも季節物ということで「アジサイ」に絡んだロケです。
牧ノ原市にある大鐘家という江戸時代に庄屋として建てられた母屋、そしてそれから50年後に建てられた長屋門が現在「国の重要文化財」として保護されている場所があるのですが、その庭園には大量のアジサイが咲き誇り毎年この時期には観光客が沢山訪れるそうです。
という事で季節物植物園第2弾としてロケに行ってきたのですが、そのロケ前日にとんでもない事に気付いてしまったのです。
ロケ日「2009年6月4日」というのは、実はこのコーナーのきっかけにもなった『静岡空港の開港日』だったのです。すっかり忘れていた。

実は最初の計画では前回のロケを「静岡空港」にして、空港開港日の翌日6月5日放送になるのでタイミングいいじゃんとなっていたのですが、打合せの末「おそらくそれ前後、静岡のどのチャンネルでも(静岡には民放局が4つ、それプラスNHKもあり激戦区なのです)静岡空港の特集を組み、開港翌日はもうゲップが出る状態ではないか? 雑学も他の局でやり尽くされた状態になるんじゃないか?」という事で、静岡空港ロケは却下となった。個人的にはミーハー気分で「開港前の静岡空港でロケしたかったなぁ」という部分もあったワケですが。
ということで、頭の中からすっかり開港日が消えていた状態だったのです。
で、何が運悪いかというと、このアジサイが咲いている大鐘家は静岡空港がある場所、同じ牧ノ原だったのです。
という事で「こりゃ道がムチャ混むんじゃないか?」という恐ろしい予想の元、ちょっと早めに出発したワケです。
が、なんか拍子抜けするような感じにまったく渋滞もなく目的地の大鐘家に到着。

本日カメラを忘れて携帯のしょぼいカメラで
2009060403しかし季節物の恐い所でまだ梅雨入りもしていないこの6月初旬、アジサイは全開というワケにはいかず、色もハッキリしない状態でチョボチョボという感じでしか咲いていない。
おそらく放送される1週間後の6月12日前後だったらもっと綺麗なんだろうけど...という状態で撮影開始。
でもこういう場面でこそカメラマンの腕の見せ所という感じなのだ。ちょっと気が早いアジサイが固まって咲いている場所を何カ所か抑え、そこの前で「画面に映っていない場所も満開ですよ」という絵を取っていく。おそらくテレビを観ている人はそんな事に気付かないように映っているハズ。
以前もよく知っている某所がテレビで放送された時に「えぇ?ここの駐車場ってそんなに広くないだろ!」「そんなに園内綺麗だったかぁ?」「なんか凄く充実してみえる」とカメラマジックに驚いた事がある。

しかし今回のロケに関しては、雑学もかなりインパクトがある物だったので「見た目で引きつけて、さらに内容で引きつける」という自信があるのだ。
すでに放送済みなのでその雑学を紹介。
まずはアジサイの語源と色に関して
☆「アジサイ」という名前は集まるの古語「あづる」と藍色の小さな花「真藍(さあい)」を意味する「あづるさあい」が「あづさあい」→「あづさい」→「あじさい」と変化した物です。
日本はもともと酸性土壌が多いことから青いアジサイがメインだった事から「青い花が咲いている」という印象が多かったので「あづるさあい」だったのです。
☆ちなみにアジサイは環境によって色が変化する花としても有名ですが、地面が酸性だと青や白に、アルカリ性だと赤やピンクに変化します。これは理科の実験で使ったリトマス試験紙とは逆の反応です。

2009060404そんな感じの雑学を語りつつ園内を歩き、さらにアジサイに関する雑学を展開していく。
☆雨の季節に欠かせないのが、綺麗な花を咲かせるアジサイですよね。そしてアジサイとセットで描かれる事が多いのがカタツムリですが、実はカタツムリはアジサイを嫌っているという事をご存じでしょうか?
絵を描く時にアジサイの葉の上にカタツムリを書いてしまいますが、実際にそんな光景を見たことがある方はそんなにいないと思います。
☆アジサイの葉には「青酸配糖体」という毒素が含まれていて、カタツムリはその毒素を分解出来ないのでアジサイの葉を食べることが出来ないので、あまり近寄らないのです。
この「青酸配糖体」は自然界には多く含まれている毒素で、有名な「青梅は生のまま食べちゃダメ」「ジャガイモの芽には毒があるよ」と言われるのも同じ毒素なのです。
☆去年の梅雨時、茨城県の飲食店で料理の彩りとして添えられていたアジサイの葉を食べてしまった客8人が食中毒になった事件がありましたが、それは「青酸配糖体」が悪さをした事件です。
という雑学を語る。

2009060402ついでにテレビでは語らなかったのですが、カタツムリはこの時期どこでよく見かけるかというと、コンクリート塀やブロック塀などの濡れた場所です。これというのはカタツムリは背中にしょっている殻を作るための栄養素カルシウムを求めて、雨によって濡れたブロック塀などからカルシウムを摂取しているという事なのです。(この辺は、現場でみのりんなどに語った部分)
そんなこんなで「毎回、みんなが驚いてくれるような雑学を語っていけたらいいなぁ」と思っているワケです。
先ほども書いたように金曜日夕方5時台の放送ってことで、夕飯の買い物に出かける直前の主婦が見て居るんじゃないかという設定で、この番組で知った雑学を何気なく夕食の時に子供に語って聞かせ「え〜ママ凄い」と言われるような展開を勝手に想定しております。
雑学は語ってナンボって気もしますので。
でも、真剣にテレビを観ている人じゃなくても、サラッと見ている人にもなんとなく理解出来るように解りやすい言葉をチョイスしております。その辺の微調節が難しいですが。

と言うことで、ロケが進んでいく途中、お客さんに声を掛けられる。もちろん有名アナウンサーのみのりんの方がですが。
そのお客さん達はテレビでのみのりんも知っているが、さらに「いつもラジオ聞いてますよ」などと嬉しい事も言ってくれるのだ。こうやって「らぶらじ」リスナーさんと逢うってのは普段無いことなので。
ということでみのりんが「実はこちら、2時のうんちく劇場の杉村さんなんです」と紹介してくれる。すると口々に「まぁいつも聞いてます、本当毎回楽しみにしてます」「あの雑学どこで調べるんですか?」「毎日、毎日、よく話す事がありますねぇ」などと話しかけてくれるのだ。
あんまり人に褒められ慣れていないので「いや、毎日頑張ってます、ありがとうございます」などと言うのが精一杯で、なんか恐縮しちゃうのだ。もっとドンッと構えろって。

2009060405そんなこんなでロケが終わった所で挨拶をして帰ろうとした時、大鐘家の方が「お茶用意しておりますので」と声を掛けてくれる。園内に売店や飲食できるスペースもあって、そこに名物『大鐘餅』というアンコ餅があり、美味しくいただく。
と、そこに「小沼さんサインお願い出来ますか?」と大量のサイン色紙が出てくるのだ。全部で10枚ぐらいあったかな? ここに飾る物だけでなく従業員の方々の分もあり、大変だなぁとそれを横目で見ている。
そう言えば自分は有名人願望もないせいなのか、サインなんてものを考えた事もない。
とりあえずこれまでラジオのイベントなんかでサインをねだられる事も多々あるのですが、その際にはかなり適当に書き殴り、オマケで簡単なイラストをつけて渡している。基本的にサインを考えていないので毎回違っていると思うけど。
一番最初にサインをしたのは、2007年5月20日、浜松で一番最初ののらぶらじ公開イベントを開催した時だった。当然、そのイベントが始まった時はお客さんは自分の事を認識していなかったワケですが(ポスターにはメインパーソナリティしか映っていなかった)、「うんちく劇場」を終えた後、ぼーっと客席の後でステージを見ていた時に、ひとりのおばさんが名詞サイズのレシートのような紙をいきなり差し出し「サインお願いします」などと声を掛けて来たのだ。それが生まれて初めてのちゃんとしたサイン。
あのサインは果たして今も保存されているのだろうか。

そんな事を思いつつ、ロケを完全に終了させて大鐘家を後にする。
その帰り道でみのりんがいきなり「らぶらじ月曜日のコーナー『ちょい笑川柳』を再来週カルタにして番組でカルタ大会を開く事にしたのですが、その絵をお願いできますか?」などと、ただ働きの仕事依頼をしてくるのだ。とりあえず絵を描くのは好きなので快諾。(この話は6月8日へ続く)
このロケというのは色々時間的な縛りがあるのですが、まず基本的な部分では小沼みのりんが夕方のニュースに出演することから局に3時ぐらいまでには帰りたい(最悪ボーダーは4時)という物がある。さらに自分が毎日2時に携帯電話でラジオ出演しなくてはいけないので、その時間もキープしなければいけない。
それが毎回綱渡りのような感じでもあるのだ。

今回は2時直前に高速に乗る手前の『げんこつハンバーグの炭焼きレストランさわやか』の駐車場に車を止める。この『げんこつハンバーグ・さわやか』は静岡県磐田市出身の長澤まさみがTOKIOの「メントレG」で大好物として語り、さらに「がっちりマンデー」でも紹介したことから話題になり、その後、福山雅治がライブで静岡を訪れた際に「ここ旨かった」とラジオなどで語った事から話題になった静岡県内のチェーン店なのだ。
といいつ自分が住む静岡県東部にはまだ出店していない事から未食という事で本日はここに決定した。
みのりんを初めとしてスタッフは先に店内に入り、自分だけ車の中に残りそこから携帯電話でラジオ出演をした。
こっちの内容は静岡空港に関係した話題で、実は日本初の旅客機は静岡県で制作されたが....という話や、滑走路に付けられている数字で解るとある事....や、市街地へのアクセスが悪いと言われていた静岡空港は世界の空港とくらべてそんなに悪くない、などの話を語る。1回の放送で原稿用紙3枚以上話している計算なのだ。

という事で、ラジオ中継が終わって「さわやか」のげんこつハンバーグを食べ、局へ戻るのであった。げんこつハンバーグは確かに美味しかったっす。

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2009年6月 3日 (水)

うわー参った!雑学は水物....(ロープウェイの雑学)

2007年4月から「らぶらじ」というラジオ番組で平日毎日『2時のうんちく劇場』と称してうんちくをダラダラと喋っています。
2009年5月から「イブニングeye」というテレビ番組で毎週金曜日『ラブいぜ!しずおか』というコーナーで静岡県の雑学を語っています。


その数年前から単行本も何冊か出させて貰っているのですが、基本的に自分は「昔から雑学とか、こまかい部分の話が好きで、それらを収集している」というのを趣味としてやってきていた。パソコン通信を1992年から、そして1998年からネットで書き殴ってきた。
当然、そんな事が仕事になるとは思っていなかった。
だから、ある意味凄く気楽な気持ちで始めてしまった部分もある。今、そのパソ通で始めた当時に自分が書いた文章を読んだら「何テキトーな事書いているだ、このトンチキ野郎め」と怒り、勢いに任せてガセ検証サイトでも作っちゃうレベルだったかも知れない。

基本的には雑学なんて、先人達が書いた雑学の焼き直しが多いので、やっぱり最初は雑学本を読んで「これマジっすか?」という素直な驚きを、素直なままに「人に教えたい」と思っていた。だからパソ通で書いていた当時なんてのは、書いた文章はその元ネタの雑学本に書いてあった事から1歩も外へ踏み出さないような内容だった。
パソ通時代は読者も多くて100人とか200人(もっと多かったかな?)レベルだったワケですが、インターネットに移行してさらにメルマガを発行すると、読者数は一気に1万人を超えてしまった。ネットでもそれを読むことも出来たので読者はもっともっと多かったと思う。
そうすると、ちょっと医学系の雑学を書くとプロのお医者様から「先日のメルマガで書かれていた件ですが」と訂正や補足メールなどが届くようになってきた。事件や法律ネタの時は警察や裁判所関係の方から、芸能系では実際にタレントの方から、出版関係からでは作家の方からも。プロの方からメールを頂く事が多かったのです。(訂正ではなく、自分が知っているネタが出て嬉しかったのでというのも多かった)
そこで「こりゃ迂闊な事は書けないぞ」という事で、当時サラリーマンだった自分は日曜日に図書館などへ出かけて調べ物などをするようになっていったのです。基本的に調べ物が好きなので、それは苦にはならず逆に楽しかったのですが。

そこで、それまで大量の雑学本で読んでいた雑学ネタが「なんでそこまでしか書いてないんだろう、もう少しツッコメばもっと面白くなるネタが転がっているのに」と思うようになっていったのです。もうその時点で色々メールを下さった方々に大感謝なのです。
そんなこんなでメルマガを発行している間に、ネット内でそれなりに有名になり、ネットで読者をしていた編集者の方から「出版しませんか?」というお誘いを頂き、最初の本『知泉』、そしてかなり好評だったらしく半年も待たずに『知泉2』を発刊したのです。
その時点でも自分は普通の会社勤めをしていて、心の中では「雑学は趣味」という部分が強かった。もちろん人様に向けて発信しているし、単行本は金を払って貰うという前提なので、楽しんで貰いたいし、間違いがあっちゃいけないという心づもりはあったのですが。
それがヒョンな事から、雑学のプロとして仕事をする事になってしまった。

それでも、それまでの延長があるので「アマチュアに毛が生えた程度」という気持ちもどこかにあった。でもラジオのイベントなどで逢う人々は当然自分の事を「プロの雑学師」と思って接してくれるワケです。そう言うことで段々プロ意識を持つようになってきた。
しかし雑学というのはやればやるほど難しい。
実際には凄く複雑な話でサラッと説明出来ないような事例でも、面白い要素があるのでなんとか伝えたい!という事で文章の細かい部分を端折ってコンパクトにする事もある。が、コンパクトにしたために「それ説明不足です」という指摘も受けた事もある。うんうん、御免よ御免よと謝るしかないのだ。
あと時代によって変化してしまう雑学もある。
そんな事を今さっき経験した。

先週ロケにいった「舘山寺のロープウェイ」に関する雑学なのですが、このネタは元々2007年に発行した『静岡県の雑学』にも掲載した物で、すでにこの雑記を更新している時点では放送済みなので書いてしまいますが
☆舘山寺にある浜名湖パルパルにあるロープウェイは浜名湖の湖上を横切る「水上ロープウェイ」ですが、実は現在日本に水上ロープウェイはたった2つしかありません。そのもう一つが伊豆にある淡島に渡る海上ロープウェイなのです。つまり水上を渡る2つのロープウェイはともに静岡県にあるのです。
という事で、これに関して「他にあったらどうしよう」という事で、数週間前からこの件に関して徹底的に調べていった。過去にあった水上ロープウェイも解る限り調べていった。

もっとも古い記録が1914年に上野で開催された「大正博覧会」という展覧会で客寄せアミューズメントとして臨時に設置された「不忍池ロープウェイ」が不忍池の上をが渡った、というもの。
これは日本で2番目に設置されたロープウェイだと言われていますが、展示会終了と共に撤去されています。
日本初の正式な水上ロープウェイは戦後1956年になってやっと登場しています。それが鹿児島県にあった「さつま湖ロープウェイ」
これに関して調べていて引っかかってしまった部分が「2004年廃業」という記録。10年位前にすでに前述の雑学を知っていたので、その廃業年は本当か?と思っていたのです。色々調べて解ったのは1956年に運行開始して、14年後の1969年に運行が終了となっているです。しかし運営会社によるとそれはあくまでも休業という事で、休業から35年経過した2004年に正式に廃業となっているのです。
その次の水上ロープウェイが1958年の「豊島園ロープウェイ」。これは遊園地の遊具としてのロープウェイですが、1年ほどで終わっています。
で、次が今回ロケをした1960年運行開始の「舘山寺ロープウェイ」
その後は1962年運行開始の「奥多摩湖ロープウェイ」ですが、こちらは1966年に運行停止。
そしてもっとも新しいと思われるのが伊豆にある「あわしまマリンパーク海上ロープウェイ」。
このロープウェイの運行開始年が調べても不明だったのですが、とりあえず自分も子供の頃から記憶にあるので1970年より前からあると思います。
この何年か不明ってのを「でも他には無いって事が解ったし、いいか」と放置しておいたことが、後々面倒な事になっていくのです。

そしてかつて聞いたことがある噂話なのですが「水上ロープウェイってのが新しく出来ないのは、80年代に法律が改正されて新たに設置出来なくなったらしいよ」という物がありました。
それ故に、現在運行中の「舘山寺」と「あわしま」が日本にたった2つしかない水上ロープウェイで有り続ける事が出来るって事なのかも知れない。
ロケをする前にその辺を調べようと思っていたのですが、色々とゴチャゴチャしていた事から「ロケが終わった後で調べて、その部分はナレーションで追加しましょう」という事になっていた。
と言うことで、今週になってロープウェイなどの管轄は現在は国土交通省という事で電話をして聞いてみた。
そこで帰っていた答が「ロープウェイを水上に作ってはイケナイという法律はありません。しかし国土交通省としては、ロープウェイはなるべくそのケーブルの下には道や湖や海がない処を選んで下さいと指導をしてます」という事だった。
たとえばロープウェイは切れてゴンドラが落ちた場合、そこまで行かないとしてもストップして宙づりになった場合の救出作業の時、下に道路があったり水面だったりすると作業が困難になるし、二次的な災害も起こりかねないので、水上ロープウェイはオススメ出来ないという事。
さらに、水上ロープウェイの場合は途中に中継の鉄塔が建てられないケースが多い(実際舘山寺のロープウェイはそれなりの距離なのですが、途中に鉄塔は何もない)ので、技術的に難しい部分もあるのでオススメ出来ないという事も大きな理由だそうです。
ま、そんな無理をしてでても観光地に作りたいのなら作ってもいいけどさ。
というのが国土交通省の見解だそうです。そうかぁ。
と言うことで、そういう調べもすんで後は放送を待つだけだなと安心していた。

放送2日前の水曜日にみのりんから電話が掛かってきた。
「伊豆淡島に渡るロープウェイの資料映像があるかなと思ってSBSの映像センターをチェックしたんですが残念ながらありませんでした。そこで淡島ロープウェイに電話をして写真だけでもお借りできないかと思ったのですが、そこでとんでもない事が解ってしまいました。なんと、淡島のロープウェイは今年の2月に運行終了して鉄塔などもすでに撤去してしまったそうです!」
なんてこった!ロケ先でしっかりと「その2つは共に静岡県にあるんです!」と強調して喋ってしまったのに、もう今からじゃ取り直しなんて出来ないっす!あの片道4分しかないロープウェイの中でNGを出しちゃダメだという恐怖と戦って撮影したってのにぃぃぃ!
あぁ前に調べた時に「あわしまロープウェイの運行開始年が解らない」って時にもうちょっと突っ込んでいれば良かったのに!!! 実は去年の暮れに野暮用でこのロープウェイの場所を通った時にはちゃんと運行していたのにぃぃぃ!!!
と後悔先に立たずなのだ。とりあえず放送の方はみのりんがロケ映像が流れた処で上手に「ところが残念な事にあわしまのロープウェイは今年2月で運行が終了してしまったんです」という訂正をサラッと挿入して、何も問題なく展開していたのだ。
感謝感謝!こっちの中途半端な雑学をフォローしてくれてありがとう。

事前のチェックはやりすぎぐらいが丁度いい。これからはシリスギ仙人のヤリスギ調査でいくのだ。

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2009年6月 2日 (火)

緊急事態発生!

すでに3年目に入って3ヶ月ということで、緊張感も無くなってしまっらラジオ出演。それはいかんよなと思う。
でも最初の頃は、スタジオと電話が繋がる2時直前までに「トイレを済ませて」何故か「手を洗って」何故か「歯を磨いて」なぜか「ヒゲも剃ったり」なぜか「髪の毛も整えたり」と、自分のテンションをカチッとした方向へ持っていこうと努力をしていた。ラジオもちゃんと1時から聞いて、その日の流れに乗ろうとしていた。
ところが、最近はダラダラとして直前まで別の仕事をしたり(最近原稿書き仕事に常に追われているような感じ)、本を読んでいたり、ぼーっとしていたりする事もある。
そんな感じで、イカンイカンと思ったりもするのだ。


という事で、そんなダラけた自分に鉄槌を喰らわすような事件が起こった。
いつものように2時直前にスタジオから電話が入り「2時になります。いつものように冒頭で2本ほどお便りを読んでからコーナーが始まります」とディレクターがお決まりの事を言う。
以前は『2時のうんちく劇場』という事で2時ジャストに始まっていたのですが、この1年ぐらいは2時の時報の後、お便りや雑談を約5分ほどしゃべり「では、うんちく劇場です!」と始まるワケです。だから実際には『2時5分のうんちく劇場』なのだ。
という事で、もう3年目という事なので安定した感じで、気を抜いていたのだが、「ではしばらくスタジオの声を聞いていて下さい」とディレクターがいつものように告げた直後、とんでもない事が起こってしまったのだ。

いきなり「ブチッ、ツーツーツー……………」と電話が切れてしまった。
え?と思ったが、おそらくスタジオ側は切れている事に気付いていない。
いつも喋っている電話は家庭用の固定電話なので、慌てて携帯電話でスタジオ直通の電話をして「切れました!」と報告を…、と思ったのだが話し中で繋がらない。
ラジオでは本日のパーソナリティのてっちゃん&みのりんがお便りを読んで和気藹々しているのだが、これが終わったら「では」とコーナーが始まってしまうのだ。
おそらく「杉村さ〜ん……、あれ?杉村さん…」と言う感じで放送事故になってしまうのだ。これはマズイ!
スタジオに再びかけ直してみるが、相変わらず話し中。
えっと今日、スタジオにいるのは…と思ったが、先ほど電話を掛けてきたSさんの携帯番号は知らないので「スタジオにいてくれ」とKさんの携帯電話に掛けるが……出ない!
慌てて別のOさんの携帯電話に掛けるが……やはり出ない!

ラジオから流れてくるスタジオのトークは盛り上がっている。いつもなら「そんなに盛り上がらないで早くコーナー始めてよぉ」とか思う事もあるのだが、今日に限っては「もっとトークが盛り上がって長く長くやって欲しい」と祈るしかないのだ。
ダメ元で再びスタジオ直通の番号を…ダメだ、まだ通話中になっている。
さてどうしたらいいのだ? この間、2分ぐらいだと思うが全身が嫌な感じの汗でびっしょりとなり、頭がフラフラしていた。
こうなったら最後の手段だ!とスタジオへ「電話が切れています」とメールを打つことにした。誰かスタッフがコーナーが始まる前にメールをチェックしてくれて気が付きますように!

と、メールを送信する直前に固定電話が鳴り響いた。
「すいません!さっき切り替えたつもりで電話切ってしまいましたぁ、もう始まりますのでよろしくお願いします」と早口にSさんが事情を話し、電話はいつものような感じで切り替わり、受話器からスタジオのトークが聞こえて来た。
「それでは杉村さんです」「はい、こんにちわ杉村です」
と平常心平常心と心の中で称えながら「本日の雑学は!」などと話し始める。

もう全身びっしょりと嫌な汗をかいた状態なのだ。5月28日に「こんなスリリングな経験はなるべくならしたくない」と書いたのに、さっそく自宅でプチスリリング体験をすることになるとは。

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2009年5月28日 (木)

ラブいぜ!シズオカ・ロケ日記5:舘山寺・遊園地パルパル

連日のロケ、ハッキリ言って「規則正しい生活」なんて到底守れない状態です。
(この日記は前日から続いているので、そちらから読んで下さいませ)


20090528001そんなこんなで無事に朝8時に静岡駅で落ち合って浜名湖へ向かう。
その車中でみのりんと「ところで昨日のテレビ、メイクちょっとハッキリしすぎてませんでした?」などと話を振ると「わかりました?」などと言う返事が帰ってくる。その後はここでは書けないような話をアレコレ。
天気予報では「週末、金曜日から天気は崩れるでしょう」だったのが朝から小雨交じりで、東名を走っている時はかなりの雨脚になっていた。まだ5回しかロケしていないのに、その内2回が雨ってありえる?という話になった。
このロケは毎回スタッフが違うのですが、その前回の雨が伊豆反射炉でのロケ。実はその時のカメラさんが今回のカメラさん「あんたかい雨男は!」という感じだったのですが、目的地である浜名湖東部にある舘山寺・浜名湖パルパルという遊園地に着いた時は雨が止んでいた。

浜名湖パルパルのキャラはやなせたかし先生が書いてます
20090528002今回の雑学は、遊園地パルパルにある施設に関してと、もうひとつはこの場所に関しての2本立て。実際に1回で放送するのはもったいないネタなんですが、それを担当してくれた方に話すと「実はこの話を教えて貰うまで知らなかったんですよ」という事で、これは知っている人が少ないぞとシメシメ状態。
実は、今回のネタはかつて自分が出した本に記載してある雑学ではあるのですが、今回確実な裏付けが欲しいという事で実際に、この舘山寺に建っている旅館「堀江の庄」そして「ホテル九重」に直接電話をして聞いてみた。そこで出た答えが自分が本に書いた物と微妙に違っていたのだ。完全な間違いじゃなく、ニュアンス的な間違い。
う〜んと頭を抱えてしまう部分でもあるけれど、こうやって現物に触れるというのは凄く大事な事なんだなぁと思う。机上の雑学より現実の雑学なのだ。

20090528003まずはパルパルから浜名湖を横切って向こう岸のオルゴールミュージアムまでのロープウェイでの撮影。
片道4分という事で、乗る前に必死にセリフを暗記して挑む。とりあえず2テイクまでだったら4分内で収録できるという事なのだ。
以前から「なんでシリスギ仙人の時は喋りにくいのか」というのをずっと考えていた。
これまで「らぶらじ」の公開放送には何度も出演して、その都度、約5分間喋る分量の雑学はほぼ丸暗記をして(原稿は保険として持っているが)舞台の上ではそれなりに淀みなく喋り倒していた。
しかしシリスギ仙人の場合はなぜか暗記をしているのだが、つっかえる事が多い。別段テレビに出ているから上がっているというワケではない。今年の2月に出演した時は、それなりに長い喋りも普通にこなせていたから。という事で「もしかしたら」という部分がある。
実はシリスギ仙人はその被り物に腕が付いているのですが、それを操作する(実際にはほとんど操作出来ない)ために常に両手は手に繋がった棒を握っていなくてはいけない。手は常にふさがっているのです。
で、ラジオの時、電話で喋る時も、スタジオにいって喋る時も、自分は右手を使ってリズムのような物を取って喋っていることに気が付いた。それはリハーサルの時も。
つまり、手でリズムを取れないために暗記した物が全然出てこなくなる時があるんじゃないかと。
そんな事を思いながらロープウェイの4分間で必死にセリフを喋り倒した。
とりあえずロープウェイが到着するまでに形だけは撮影終了。2テイク撮影出来たので編集も出来ますという感じだったが、イマイチなっとくが出来ない。もう1回出来たらと、お願いをしてオルゴールミュージアムの展望台へ進む。

展望台は「恋人の聖地」という事で、笑ってますなこの二人
20090528004ここは浜名湖パルパルの全容と共に舘山寺が全て見下ろせる場所。一応360度のパノラマ展望台という事になっている。
ここで「この舘山寺は」という雑学を披露するのだが、とにかく風が吹いていてキツイ。
それでもさっきまで「雨がいつ降るか」と言っていた天気が奇跡的に日も差すようになってきて、なんか天気が味方をしてくれているような感じなのだ。
が、だんだんと風が強くなってきているので、大急ぎで撮影を終了させて、下りのロープウェイに乗る。
この下りではロープウェイから見下ろした風景などを撮影。
そして再び登りロープウェイを使ってテイク3、そしてテイク4を撮影して、なんとか納得がいく物が撮れた。様な気がする。
とりあえず舘山寺での本編撮影は終了したのですが「じゃ、まいどのオープニングはどうする?」という事になって、カメラマンさんが「ロープウェイの入口の処、あそこで…」と提案。そこで自分が「じゃ、その時シリスギ仙人がこんな形で登場するってのは?」と極々短い時間で打合せをすませて、すばやく撮影をして「舘山寺での撮影分は終了!」となった。

マジに美味しかったです。さすが浜松ウナギ
20090528006最後の撮影を終了したあと、撮影に同行して下さったパルパルの主任さんとちょっと世間話などをしていた頃から風が強く吹き始めていた「やっぱり遠州のからっ風って言葉があるようにこの辺は風が強い事が多いんですか?」「そうですねぇ風が強くなるとロープウェイも運行中止になっちゃうんですよ」と話している最中、どんどん風が強くなって「これじゃ本当に今日はロープウェイ停めなきゃダメかな?」という感じになっていった。本当にさっき撮影が終了して助かったと言う感じなのだ。
実は今日の撮影はここだけではなく、静岡市内に戻って県庁の分室での撮影が残っている。
という事で昼食を食べてから静岡に戻るという事になった。
浜名湖といったらウナギでしょ!と言うことで、『清水家のうなぎ』でムチャクチャ美味しいうな重を堪能。この仕事は色々な場所で実際に雑学の現場を見ることが出来るという恵まれた部分もあるんですが、もう一つは各地での美味しい食事ってのもあります。
なんか色々な事に感謝してしまいます、この美味しさには。

20090528005という処で、スケジュール的に問題が発生していた。
食事が終わるのがだいたい1時20分。東名に乗って静岡に戻るのに大体1時間10〜20分掛かる。
県庁に到着する予定が3時。さらに本日も6時台のテレビニュースに出演しなくてはいけないみのりんは本社にまで4時、遅くても4時15分ぐらいまでには帰らなくてはいけない。
これでスケジュール的にはギリギリ。
さらにこのスケジュールに、自分が毎日出演しているラジオ「らぶらじ」の『うんちく劇場』の中継が2時に入るのだ。
最初は、東名を走っている最中、2時前後に最寄りのサービスエリアに寄ってそこで待機し携帯電話で出演、と考えていたんですが、それをやるためにはジャストな位置にサービスエリアが無い場合はアウトだし、サービスエリアで待機するとしてもタイムロスが異常に発生する可能性が高く、それで県庁に3時に付かなかった場合は、今度はみのりんの方がアウトになってしまう。
さてどうする?という処で、今回の撮影に別働隊として参加していた広告代理店の方がミラクルな提案をしてくれた。

20090528007みのりんは撮影隊と一緒にこのまま東名に乗って、予定通りに静岡を目指す。それとは別に、杉村は広告代理店さんの車に乗って浜松駅を目指す。ちょうどここからなら浜松駅までに約30分で辿り着くので、駅前の駐車スペースに車を停め、そこから携帯電話でラジオ出演し、コーナーが終わった処で浜松駅2時19分発の新幹線に飛び乗れば静岡駅に2時45分に到着するので、そこでみのりん&撮影隊と合流して、3時から県庁分室での撮影に望める。という、少しでも失敗したらすべてアウトという感じなのだが、やってみないことには!
という事で、撮影隊の車に別れを告げ広告代理店さんの車で浜松駅に向かう。
車中からSBSのスタジオに電話を入れ事情を「いつも2時頭にスタジオでお便りなどを2枚ほど読む5分程度のコーナーがありますが、そこをとにかく短くして下さい、うんちく劇場が終わったら浜松駅19分の新幹線に乗らなくてはいけないので」と説明した。スタジオにはこっちの状況がよく解っていないかもしれないけど、なるべく時間を前倒しにしていかなくてはいけないのだ。

20090528008が、金曜日の昼下がりの浜松周辺は思った以上に車が多く思ったように進まない。視線にやっと浜松駅が見えて来た処でスタジオから携帯電話に連絡が入る。
「それではお願いします、本日は2時頭のスタジオトークは少し短めで繋ぎますのでスタンバイお願いします」
ハイと答えたが、実際にはまだ車は走行中で浜松駅までたどり着いていないのだ。
携帯電話の向こうではスタジオのてつさんとレイコさんが本日のテーマについて軽妙なトークを弾ませている。とそこで「という事で次のコーナーです!」とてつさんが叫び、いつものテーマ曲がジャララ〜ン♪と流れ始めた。
「え〜2時と言えばうんちく劇場、うんちく劇場と言えば杉村さん、杉村さ〜んもしもし〜」
とてつさんが自分を呼び出す前振りをしているタイミングで、車は浜松駅すぐ横の駐車スペースにキュルリと停車したのだ。
そんな状況を感じさせないように、平常心を保ちながら「はいこんにちわ杉村です」と語り始める。
「今日は28日、ニィハチという事でニワトリの日という事になっているのですが」
慌てているような状態を微塵も感じさせてはいけないと、平常心平常心と心で呟きながらコーナーを終える。

浜松→静岡の新幹線領収書
20090528009そこで広告代理店さんに感謝しつつ浜松駅構内を新幹線切符売り場へ走る。
実は今朝、出かける時に財布を見ると紙幣は5千円札1枚と小銭1000円ぐらいしか無かった。それで三島駅で往復新幹線切符を購入して3800円を使っていた。つまり静岡駅に降り立った時は2200円ぐらいしか無かったのだ。でも帰りに三島駅の駐車料金を払う金額はあるからなぁと思いつつ、静岡駅近くのセブンイレブンで暖かいお茶を買ったついでに2万円ほど降ろしていたのだ。これもある意味、偶然に助けられたという事かもしれない。
浜松〜静岡駅2230円の切符を購入して5番線ホームへ駆け上がる。そこでとりあえずみのりんに「19分の電車に乗れそうです」と連絡を入れたのですが、そのタイミングでその新幹線がホームに滑り込んで来て、言葉通りに本当に飛び乗った。
そして45分に静岡駅に到着し、いつもの場所に走ると「こっちもさっき着いたばかり」ということで合流に成功し、そのまま県庁の分室「歴史文化情報センター」に向かう。
予定の3時に到着し、そこで舘山寺周辺に関する歴史的資料を見せて貰い、その雑学がウソではないという証拠を撮影。少しそこでやりとりをして、みのりんとシリスギ仙人の撮影分が終了した。
カメラマンさんはまだ少し、資料などの撮影を追加するという事で、タクシーで「静岡駅経由、SBS行き」という事で乗り込み、自分は静岡駅で降ろしてもらう。

20090528010なんだか頭がクラクラするように密度の濃い一日だったワケですが、よく考えれば凄い偶然がよい方向へ重なっていた一日だったような気がする。
舘山寺に到着した途端に雨が上がり、撮影終了後にロープウェイが停まりそうな風が吹き、綱渡りだけどすべてOKだった浜松駅前での「うんちく劇場」、偶然金を降ろしていたので新幹線チケットが問題なく買え、そしてジャストなタイミングの新幹線、なにもかもが良い方向に転がっていったのだ。
こんな充実してスリリングな瞬間はそうは経験出来ないんじゃないかと思うのと同時に、なるべくなら経験したくないなと思いながら帰途につくのだ。
そう言えば、今朝は1時半に起きてそこからずっと緊張し続けたのだ。
あぁ疲れた、家に帰ったらすぐ風呂に入って寝よう。

と思った瞬間「あ、ラジオ『うんちく劇場』の来週分の原稿は明日、金曜日の午前中にディレクターに送らなくちゃいけないんだ」という事を思い出し、どんよりとした気分で家路につくのであった。

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2009年5月27日 (水)

ラブいぜ!シズオカ・ロケ日記4:掛川・加茂花菖蒲園

先週はみのりんが体調不良でロケも中止という事で、今週は今日明日と二日続けてのロケという強行スケジュールです。


20090527001本日の目的地は掛川市にある「加茂花菖蒲園」という場所。この加茂さんは花菖蒲園などを全国にいくつも作っている方で、最近では『ベストハウス1.2.3』を初めとして話題になった、恐怖を感じると異常に細くなって身を隠すアフリカオオコノハズクのポポちゃんなどでお馴染みの「加茂花鳥園」もグループの施設です。
今回お邪魔する「加茂花菖蒲園」はそのグループの出発地点となった施設で、桃山時代から掛川周辺の庄屋としてこの地を治めていたそうで、駿府城に移る前の徳川家康、つまり天下統一を果たす前で浜松城に住んでいた頃の手紙も保存されているそうで、とにかく由緒ある施設なのです。

朝、9時にSBSを出発するというのでいつもの8時24分に新幹線で静岡駅着。まだ出発までに30分はあるのでバスでSBSまで。いやぁ朝の通勤バスに乗るってのも久々。
サラリーマン時代も自動車通勤だったので通勤バスに乗ったのは…、下手すると免許を取る前の1983年以来か? とんでもない過去の話だなぁ 四半世紀前だよ。でも本当にロケなんかが無かったら経験出来ない事ばかりだけど、こんな日常的な通勤バスなんてのも経験出来る事に感謝。
そんな事を思いながらSBSに到着。ロビーでみのりんと落ち合い、そこからカメラマンさんと音声さんの4人で掛川を目指して出発。

20090527007みのりんは先週は「あわや新型インフルエンザか?」という状態で、それでも代わりがいないラジオ・テレビの仕事をなんとかこなしていた訳ですが(月曜日に医者で鼻の粘膜を採取され、普通の風邪と判明しています)、かなりヤバイ場面が何度もあったみたいです。
イブニングeyeの最中に熱が出ていて「もしかしたら途中で番組から消えてしまうかも知れない」という恐れもあったので、相方の野路アナウンサーもみのりんが読む原稿をコピーして渡して、イザという時のために供えていたそうです。そこまで悲痛な状態を脱し「もう元気です」との事。
ムチャ根性あるなぁ、ガテン系女子アナだなぁ(褒め言葉)

200905270111時間ちょっとで「加茂花菖蒲園」に到着。掛川インターを降りるとすぐ近くにコノハズクのポポちゃんのいる「加茂花鳥園」があるのですが、そこからしばらく車を走らせた場所に「加茂花菖蒲園」があった。
結構ここに来るのは大変だなぁと思うんですが、まだ9時半前の段階で団体客ではない一般客の車が駐車場に沢山あり、人気あるんだなぁと。
確かに、庄屋造りの入口を超えて園内に入るとどこまでも続く花菖蒲が壮観で、やはり朝早く来た方がいいんじゃないかと思ったのだ。開園が朝8時からで、閉園が午後5時。ここのファンは当然それを知っているので、朝早くから来ているって事か。

20090527008今回のロケは基本的に雑学薄めで、とにかく綺麗な画像をお届けしましょうという事を主眼に置いているので、園内を案内してもらって「この園でしか見られない花菖蒲」「珍しい花菖蒲」「とにかく綺麗な花菖蒲」などを教えて貰う。
色々な話を聞かせて貰うのだが、2種類の花を掛け合わせて新種を作り名前を付けるのですが、新種と言ってもその翌年に咲く花はまた微妙に変化をしていて、掛け合わせた品種はどうしても年々変化してしまうと言う話など、現場のプロの話をふむふむと聞いていく。
現在はとにかく種類が多い花菖蒲(約2000種と言われる)ですが、その元祖となった室町時代の原種花菖蒲も見せて貰う。あ、これって古い古い屏風絵なんかで見たことがある…、と改めて「現物に触れる」という事の大切さを感じるのだ。

現地での取材を元にその場で組み立て直す
20090527004撮影の方は基本的に台本は事前にカチッと作ってあるのですが、現場にいかなくては解らない事というのも多く、その場その場で臨機応変に対応していく。特に今回のように季節物は見れると思っていた物がまだだったり終わっていたりという事もあるので大変なのだ。
セリフのほうも机に向かって書いている時はOKと思っても、実際に現場で声に出してみると「何かシックリ来ない」という事でドンドン変化していく。「ここは説明口調なのでもっと軽く」とか「同じ単語が何度も出てくるので別の表現に変える」とか、とにかく細かく細かく変えていく。みのりんのこだわりと、自分のこだわりなんかもあるけれど、共に「より良くしたい」という感じで試行錯誤なのだ。
でもこれも別の仕事での「相手に伝える」という部分にも凄く役に立つ。ついつい自室でガシガシとパソ相手に原稿を書いていると独りよがりになりがちなので、勉強になるなぁと毎回思っています。

どこに行っても声を掛けられ写真撮影を頼まれるみのりん(大変だなぁ)
20090527006撮影は庄屋として使われていた建物の中からスタート。江戸時代に東海道を遠路はるばる訪ねてきた文人墨客が集ったというその落ち着いた部屋で、みのりんがシリスギ仙人が座って話をしているというシュールなコントのような場面。
ここでも原稿に何も考えず書いた「文人墨客:ぶんじんぼっかく」という表現がテレビ的にどうか?という話になった。このコーナーの放送時間が平日金曜日の午後5時台なので、基本視聴者は買い物に出かける直前の主婦みたいな感じなので「文人墨客」という言葉は耳だけで聴いて解りにくいと言う話で「当時の知識人」とか色々考えてセリフを変更する。
目で文章を読んだ時はスルッと意味が入ってくるけれど、言葉だけだと解りにくい物もあるよなぁ。それ以前に文章を書く時に、会話の中では使わないような言い回しを書きたくなってしまう事もあるけれど、別に学術書を書いているワケでもないので、より平易な言葉を使うように気を付けないといけないと肝に銘じるのだ。
その後は花菖蒲園に再び出て撮影。ここで花菖蒲に関する雑学を披露。
おそらく花菖蒲が好きでここに来ている方々には常識中の常識だと思いますが、色々誤解をしている人もいるというネタ。

カメラさんと音声さんの怪しげな関係、と噂になった写真
20090527005一通りの撮影が終わった処で毎回「さてどうしようましょうか」という好例のオープニング場面の撮影を考える。
「花菖蒲の中からヌッとシリスギ仙人が登場するのはどうだ?」とかの案が出ていた中、ふと遠くを見ると花菖蒲園の中にある沼地に橋ゲタが渡してあるのを発見!
「あそこに立っているってのはどう?」と提案する。最初はスタッフが「ちょっと被り物でアソコに立つのは危険でしょ」とかの意見が出たが、「いや、あそこに立ちます」と主張しそれで決定した。
と「番組が面白くなれば」と勢いよく言ったのはいいが、そこに渡してあるのがただの板に足を付けた物が沼地に置いてあるというだけの物(沼は非常に浅いんですが)。足を板に乗せると地味にズブッと沈み込む。板によっては上手く歩かないと左右にグラグラと揺れる。そしてシリスギ仙人のコスプレをしているためにイマイチ足許がよく見えないという状態なのだ。
立ち位置でシリスギ仙人をセットすればいいと思うかも知れませんが、ハッキリ言って簡単に装着できるシロモノではないので、あの足場が悪い場所でそんな事も出来ず、装着したまま現場行きしかないのだ。
なんとか無事に現場到着。と言うことでリハーサル。

こんな感じ
20090527002まず、岸でみのりんがアップで「今が見ごろの加茂花菖蒲園にやって来ました。仙人、今日もよろしくお願いします」と言って横に移動すると、その沼の上にある板の上に立っているシリスギ仙人が登場し「今日は花菖蒲に関する日本一です!」、番組ではここでCMに入って、CM開けから本編スタートとなるわけです。
みのりんの声もなんとか聞こえる状態なので、そこはまったく問題ないのですが、このとき時刻はすでに1時で風がそよそよしてきて、山沿いにあるこの花菖蒲園は時折やや強めの風が吹くようになって来たのです。
そしてこのシリスギ仙人の最大の弱点は「風」。ただでさえ風に弱いのに、今回は足許は不安定な板。という事で、風が収まるのを待つまでの間、かなりキツイ状態になってしまったのだ。
でもなんとかOKが出て、園内をあるいている何気ない場面を撮影して、本日の撮影は完了!

写真で見ても凄いが、現物は凄いっす
20090527003今回の撮影で「絶対ここを映さないってのはモッタイナイよなぁ」というのは、花菖蒲園と同じ敷地内にあるベゴニアの多目的温室。
広い温室の中には普通に植えられているベゴニアだけでなく、上からも大量のベゴニアが垂れ下がっていて、とにかく圧倒されるほどの迫力です。そして甘い香りが全身を包み込むように漂っていて、ここに1時間でもいたら香水でもつけているかのような状態になってしまうんじゃ無いかって感じなのだ。
でもここも撮影すると、花菖蒲のネタがぼやけてしまうので、残念ながらパス。
撤退する時に、売店のお姉さん方(みのもんた用語)にお礼を言って去ろうとすると、やっぱりSBSの看板女子アナ、みのりんに大量の声が掛かる。園内でも「記念撮影良いですか?」というお客さんが何人もいて、大変だなぁと思ったりもしつつ「自分はずっと被り物なので、面が割れるって事はないので楽」でも「ちょっと淋しい」などとも思うのだ。でも自分の場合は名前は売りたいけど、顔はそんなに売りたいとは思っていないので、今レベルがいいのかな。
という事で、本日のお仕事は終了!あとはちょっと遅い昼食を取って帰るだけなのだ!

20090527009とは行かない。
現在1時ちょい過ぎ。いつも自分が出ている「らぶらじ」の放送が始まっており、2時から自分のコーナー「うんちく劇場」生出演が待っているのだ。
という事で、掛川インターに入る直前のラーメン屋・五味八珍に入り、そこでラーメンを食べつつ時間を待つ(待つというか、ちょうど食べ終わったのが1時55分頃)。五味八珍の駐車場に停めた車の中から携帯電話での出演となった。
実は過去に一回だけ携帯電話での出演があったが、それから2年以上携帯電話は使っていなかった。そのために以前、平日に東京へ出かけた際に固定電話を確保するのに頭を悩ませた事がある。その時は、友人R氏の部屋から掛けた。
なぜ携帯電話を使わないのかというと、最初に使ったのが「らぶらじ」放送第1回目、2007年4月2日(月曜日)。自宅からだったのですが、どうも電波状況が良くなく、部分的に聞き取りにくい箇所があったので「携帯電話は危険なので固定電話で」という事になったのだ。
実は自宅はすぐ裏側に山があって、昔から電波状況はムチャ悪い場所なので、悪いのは携帯電話ではなく場所だったのだ。
と言うことで、コーナー終了後ディレクターと会話をした中で「音はまったく問題ありませんよ」という事で、この先ロケがあっても電波状態のよい場所さえ確保出来ればなんとかなる、という事が判明したので、それは収穫なのだ。

20090527010という事で、2時15分頃に東名高速に乗りSBSを目指した。みのりんは午後6時10分から毎日テレビに出演しているという事から、とりあえず3時台に局に帰り着かなくてはいけない。最悪のボーダーが4時10分という感じなので、3時30分頃に到着しそのまま局に駆け込んでいく。自分は静岡駅まで送ってもらいそこで解散となった。
本当は4時まで「らぶらじ」が放送中なので、乱入ということも考えたのですが、明日もロケという事を考えて体力温存。ついでに帰宅してからは、来週ロケにいく場所に関しての原稿を本日中に完成させてみのりんにメール送信しなくちゃいけないのだ。
なんだか、むちゃくちゃスケジュールがタイトになってきて、綱渡り状態。
しかし、まさか翌日はもっと綱渡りのタイトスケジュールになるとは、この時は誰も想像だにしていなかったのだ。

加茂花菖蒲園のロケから帰ってきて、テレビを付けるとそこにはさっきまで一緒にいたみのりんがテレビで真面目な顔をしてニュースを読んでいた。
未だに現実にあうみのりんと、テレビに出ているみのりんが同一人物的に思えないのだ。
ガッツリとメイクをしているからというワケではありませんが、その違いがプロなのだなぁ。
自分はそのテレビを観つつ、来週のロケの原稿をカシャカシャと作成する。実はそこでしゃべる雑学というのはかつてこのブログでも書いた事があるネタなのですが、あまりにも周囲の人がその雑学を知らなかったのでちょっと不安になってネット検索をしたり、ちゃんとした学術的な本なども読んで確認。
をしていたハズなのに気が付いたらベッドに寝ていた。

20090527012時間は真夜中の1時半。うがぁぁぁと思いつつ「でも明日の朝までにみのりんに原稿を送る約束をしている」と思い立ち、カシャカシャと作業を始める。ほとんど基本的な部分が出来ていたので、最終まとめと確認をしてメール送信。
そこで昨日あんだけロケで動き回ったのに、風呂に入らずに気絶するように寝てしまったので、とちょっと湧かし直して風呂に入る。
やはりロケ後だと疲れてしまうってのは基礎体力が無さ過ぎるんだろうなぁ、やっぱ体力を付けるというのが急務なのだ。などと考えつつ、今日のロケから帰ってきたら明日の朝、金曜日の午前中までに来週分のラジオ原稿も書かなくちゃなぁ…、でも今日以上に明日は疲れていると思うので果たして原稿を書く気力が残っているか…、と考えてしまう。
という事で、少しでも原稿を書き進めておかなくてはと考え、とりあえず3時までやって、そこからグッと寝てロケに望むのだ!と考えた。

実は今日のロケは浜名湖周辺にある遊園地パルパルでの撮影という事で、東名を使って1時間半でいつもより早い朝8時出発となっている。そのために静岡駅に7時53分着の新幹線。三島駅を7時27分発なのですが、この7時台の道路状況が読めないので早いと40分で到着出来るけれど…、余裕を見て60分前に家を出ることにする。つまり自宅発は6時30分なのだ。
という事で軽く原稿を書く予定だったのが、気が付いたら集中していて5時近くになっていた。今から寝て6時30分に家を出るために6時に起きる事はかなり危険だ!ということで、そのまま寝ないでロケに向かうことにした。それでなくても昨日のロケの疲れも残っているのに大丈夫か→俺。(続く)

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2009年5月16日 (土)

多摩蘭坂を登り切る手前

この2年、ずっと蔵書の整理をしているような感じ。基本的に図書館的に使えるように色々な作業をしている。
そんな中でジャストなタイミングRCサクセションの単行本が出てきた。
『遊びじゃないんだっ』というタイトルで1990年9月にマガジンハウスから発行された物で、サブタイトルが『RCサクセションの40年(上)1969〜1990』


2009051601つまり、この時点でデビュー20周年なのですがギャグとして「40周年記念出版(上巻)」、下巻は20年後に出ますよ。って事なのだ。
なんか「奇しくも」というか「不吉な」というか、その20年後というのが丁度来年。
この本が出た時はまさか20年後なんて誰も想像していなかっただろうし、下巻の2010年がRCサクセションのメンバーにとってどんな未来になっているのかなんて想像もしていなかったと思う。
自分もこの単行本を買った時に、20年後なんて想像も出来なかったし「20年後って」と笑っていたと思う。
まさかアッサリと20年が経過して、まさか忌野清志郎が20年目には地球上にいなくなっているなんて思ってもみなかった。

2009051602この単行本が発売された1990年9月にRCサクセションとしてのラストアルバム『Baby A Go Go』がリリースされている。このアルバムのレコーディング前にキーボードのGee2woが脱退していて、さらにアルバム制作中にドラムの新井田耕造が色々あって脱退して、結果としてリリースした時には忌野清志郎(Vo.G)、仲井戸麗市(G)、小林和生(B)の3人となっている(単行本の表紙もこの3人)
そしてこの年の12月に武道館で解散コンサートを開催している事から、すでにこの単行本の時はそんな話になっていたのだと思う。でも、最終的にフォークだったRCと同じような3人組になっていたのだなぁと今さらながらに思ったりする。小林和生は最初から最後までRCのベースで有り続けたワケです。リンコワッショー!(ちなみに結果として忌野清志郎ラストライブとなってしまった去年の武道館では、ギター仲井戸麗市、ドラム新井田耕造だったので、プチRC復活祭でもあったワケです/小林和生は現在音楽活動から引退し左官をしているそうです)
しかし『RCサクセションの40年(上)1969〜1990』というサブタイトルは「この先は無いんだよ」というギャグだったのか、それとも「いつか復活する」という意味合いだったのかと、勝手に深く考えを巡らせてしまうのだ。

2009051603忌野清志郎と言えば売れなかった時代に、井上陽水のアルバムに曲を書いた事がある。
それが名曲『帰れない二人』『待ちぼうけ』の2曲。忌野清志郎のロマンティストな部分が凄く出ている曲で、それが陽水のクリアな歌声でキンと張りつめた世界観を構築している。もしかしたら自分が「忌野清志郎」という名前を一番最初に知ったのはこのアルバムかもしれない。そしておそらくその時はちゃんと名前を読めなかったんじゃないかと。
その曲が収録されたアルバム『氷の世界』が日本初の100万枚突破アルバムとなった事で、しばらくその印税で細々と生活が出来た、という雑学は結構有名だと思う。
それに関係した雑学
井上陽水『氷の世界』のジャケット写真は楽屋らしき場所でギターを弾いている井上陽水。ここで陽水が弾いているギターはギブソン(ちょっと小さめの珍しいモデル)なのだが、実はこれ忌野清志郎の所有物。

2009051604と言うことで、ずっと忌野清志郎ショックが続いているワケですが、この週末、国立市で行われた友人キヨハラアラタ氏の個展へ行ってきた。
自分のように、絵を描いたり、音楽やったり、文章書いたり、ラジオで喋ってみたり、そしてテレビに出たりと首尾一貫していないでフラフラしている人から見ると、ずっとイラスト、アートの世界を追及し続けているというのは凄いなぁと、ちょっと感動すら覚える。
自分はすぐ煮詰まってしまうタイプなので、その時の緊急避難場所として音楽だったり、文章だったりを用意してしまうのが卑怯なんだよなぁ。一時期、仕事が忙しすぎて何をやってもダメだった時は、毎日自宅にいる短い時間、毎晩毎晩ずっとプラモデルを作っていた事もある。本当に常に逃げ腰体質なのだ。
キヨハラさんだって煮詰まる事もあると思うけど、ずっと絵で表現するという事にこだわり続けている。その潔さにも拍手なのだ。

2009051605そして国立市ということで、RCサクセションの曲で歌われている「多摩蘭坂」へ。
凄くミーハーだなぁと思う部分もあるけれど、とりあえず今だからと行ってきた。
歌では「多摩蘭坂を登り切る手前の、坂の途中の家を借りて住んでる♪」と歌われているが、その坂自体はそんな観光名所になるような場所ではなく極々普通の東京郊外にある普通の坂道なのだ。
「たまらん坂」と書かれた碑のある場所には、多くの花束とメッセージが残されていた。
この近所に住んでいてキヨシローの事をあんまり知らないというオジサンが「最初ここに花束がこんなにあったので、近くで交通事故でもあったのか?って思っていたんだよねえ、こんな坂を歌った曲があるなんて知らなかった」と語っていた。
そりゃそうだよなぁ、あの名曲を知らない人にとっては「なんじゃそりゃ」なのかも知れない。
だけども、忌野清志郎という人は「愛しあってるかい!」と叫び続け、その結果、こんな形で多くの人に愛を捧げられているんだなぁと改めて感じた。

2009051606この日は最終的に美術学校時代の仲間が(いつものメンバーですが)ハシモトさんちに集まって、「シリスギ仙人」の大活躍を笑った後、忌野清志郎が去年行った復活祭のDVDをみんなで観賞。
実はキヨハラさんはこのライブに行くためにチケットを取っていたのですが、当日になってお母さんが倒れてしまい行けなかったという事で、悔やんでも悔やみきれないという話だった。
やはりライブ冒頭の闘病生活の連続写真がかなり衝撃的だった。病室にいる、異常に老けてしまったキヨシロー。抗ガン剤治療の副作用で頭髪が抜け落ちてしまった事から、残りの毛も全て剃ってしまった顔が会場のスクリーン一杯に映し出される。そこから毎日毎日撮影したキヨシローの顔のアップがコマ撮りのようにカシャカシャと表示されていく。

2009051607最初の写真ではすっかり病人の顔で、覇気もなく「これがあの精力的なキヨシロー?」という感じで正視に耐えない感もあるのだが、そのカシャカシャが続くと徐々に髪の毛も生えてきて、次第に目に力が出てくる。
髪の毛がある程度まで伸びた処で、いきなりその髪の毛がツン!と上を向き(会場からうぉーっと歓声)、目力が強くなった処でメイクもしはじめ、徐々に自分たちの知っているKING OF ROCK忌野清志郎が完成していく。
そしてベッドから立ち上がり、病院の自動ドアを抜け街中を歩き始めるキヨシロー。ここまでの映像はすべてモノクロなのですが、その歩き始めた足許にはアニメ映画「イエローサブマリン」のようなサイケな色彩の花が咲き、映像に合わせて音もズシンズシンしはじめる。そして画面が一気に総天然色に変わり、忌野清志郎がステージに登場する。
すでに忌野清志郎はこの地球上にはいないけど、その1年前の映像だけど、やはり全盛期と比べると体力的にキツそうだけど「復活してくれたキヨシロー」にはちょっと涙がチョチョ切れそうな気持ちになる。

でもキヨシローには湿った気分は似合わないなぁ。
どんなキツイ現実にだって、月光仮面が来ないリアルな現実にだって、「さあ笑ってごらんよ、AHAHAHA♪」と言ってくれるハズさ。

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2009年5月15日 (金)

ラブいぜ!シズオカ・ロケ日記3(静岡駅)

ということで「続きは放送後に書きます」と書いておきながら、その日記さえアップしないで早幾日。
現在、5月31日です。と言うことで2週間前の日記を思い出しながら書いていきます。
もうすでに放送済みなのでいくら書いてもかまわないのだ。


その日のロケ先は、静岡駅とそんなに離れてはいない東海軒という静岡県人なら誰でも知っている弁当屋さん。
実は静岡駅に8時30分に集合し、そのまま9時には東海軒(駿河区登呂)に伺うという事になっていたので、流石に取材先に遅れていくわけにはいかないという事で、撮影隊とみのりんは予定通りに東海軒へ。自分は別スタッフの車が時間をズラして出発してくれるというので8時26分発の新幹線で8時54分に静岡駅へ到着する。
そして「スイマセンスイマセン」と100遍言いながら東海軒へと辿り着くのだ。
応接室に通されると、すでにみのりんと撮影隊が色々な話を聞いて打合せをしている。
スイマセンスイマセン。

その後、簡単な打合せを交わし社長室で撮影を開始する。東海軒の課長代理さんにインタビューをするというシーンなのだが、応接セットに課長代理さん、シリスギ仙人、みのりんの順で座っている場面なのだが、ここではシリスギ仙人はただ二人のやりとりを聞いているだけ。
ハッキリ言ってここから見た人は、極々普通のインタビューなのに間に変なコスプレをした人がぼーっと座っているだけにしか見えない。ある意味シュールなコントとなってしまっていたかもしれない。
ここで東海軒さんが、駅弁を売り始めた当初の豪華な駅弁をこのロケのために再現してくれて感謝です。
その後、玄関先でちゃんとセリフ入りのシーンを撮影。

さらに順番は逆になってしまうけれど、シリスギ仙人がみのりんに引っ張られて東海軒に入っていく(連れ込まれる?)場面を撮影。この辺の動きがあるシーンで一番問題になってしまうのが、現時点ではまだ仮のシリスギ仙人パネル仕様なので後ろ姿を見せることが出来ないので、みのりんに引っ張られて行くシーンはシリスギ仙人はカメラ方向を見たまま、しかもシリスギ仙人は足許が見えないというハンディもあるのだ。
で、そんな事を知ってか知らずか、みのりんが思いっきり腕をつかんでズンズンと歩いていくのだ。激しくアタフタした状態でバタバタと歩いていく。(実際に放送された画面ではなんかニヤけていて、ダメじゃんって感じだったのですが)
でも撮影の現場では「それイケル」「いいじゃん」との声あり。なるほど、こうやって芸人を乗せて煽てて行くのだな。
その場面で東海軒の撮影は終了。今度は静岡駅へと移動する。

さて、今度は初の街中ロケ。平日の昼間だがやはり駅は人間が多い。
静岡駅での撮影許可を取ってあるのですが、撮影には常に広報の方も立ち会うことになっている。
これこれこういう趣旨の番組で、こんな撮影をします。という説明をして先方にも理解して貰っているハズだが、新幹線ホームで「じゃスタンバイしてください」の声で自分がシリスギ仙人に変身すると、広報の女性がちょっとあっけにとられた表情をし、その直後クスッと笑った。
これにこの先も耐えて行かなくてはいけないのだ。
漫画「ドラえもん」では最初の頃は、異世界の物体である猫型ロボットに遭遇した人々は驚いていたけれど、いつの間にか連載が続くと初めて逢った人も猫型ロボットの存在を当たり前のように受け入れて、その存在が当たり前のようになっていったけれど(あれはもしもボックスとか使ったのか?)、この先、シリスギ仙人のコスプレで街を歩いていても誰も反応しなくなる時が来るのだろうか?(来ないと思う)

新幹線ホームでは冒頭の東海軒へいくキッカケのシーンを撮影する。そこでアドリブ的アイディアとして「みのりんがそれじゃ東海軒へ行きましょう!とシリスギ仙人の腕を掴み画面から消える」というカットも撮影する。結局そこは放送では削られましたが。
その後「やっぱり駅弁と言えばセットでお茶ですよね」というインタビューを撮影。ここはシリスギ仙人は絡まずみのりん単独で。
ちょうど駅弁を購入したオバサンを発見し早速インタビュー。ここでアナウンサー力というのを見せつけられる。「やっぱりお茶」という流れがあるので、上手に上手に話をそっちへ持っていく。いや、別にヤラセとかではありませんよ。まっとうなインタビューですよ、誘導尋問じゃないっすよ。
という事で「一人じゃなくてもう一人ほど…」と話をしていると、その視線の先に「いた!」
今日のテーマ「駅弁とお茶」にピッタリなオジさんがホームのベンチで弁当を食べていたのです。しかもそのかたわらにはお茶もセットされている。至り尽くせりの人物なのだ。
そこで早速インタビューをして「駅弁を食べる時はやっぱりお茶です」という意見を引き出す。
撮影後「なんか出来すぎじゃない?」「まさか仕込み?」「でもテレビを観ている人は絶対にヤラセだと思うよね、あんなホームで駅弁を食べている人なんている?」「普通、駅弁を買って食べるってのは新幹線とかに乗ってからだよね」「もしかしたら、あのオジサンは妖精なのかも知れない」という話になった。
妖精ありがとう。

その後、まとめシーンを撮影する事になったのだが、タイミング悪く「5番線に東京行き新幹線こだま号が入ります」のアナウンス。乗降客のジャマになるといけないという事でカメラさん達は少し離れた処に待機。その時自分はというと、シリスギ仙人のコスプレのまま駅のベンチに座って待機。気が付くとみのりんも絶妙な距離を置いて「私は関係ありません」とベンチに座っている。
新幹線から降りてきた人々は、ベンチに座っている異形の物体を「なんじゃありゃ?」という表情をしたり、見なかった事にしていたりと様々な反応をしながら通り過ぎていく。実際の自分の姿が自分では見えないという事もあるけれど、少しその人々の反応が楽しくなってきた感じもある。
それはある意味人間としてはマズイ心情の変化なのかも知れないけれど、寓話「王様と乞食」における変身願望とか姿によって人間の態度が変化するとかの貴重な体験なのだ。良くも悪くもテレビの撮影じゃなくちゃこんな経験は出来ない。(と前向きな気持ちになる事にした)

そして、やはり話は前後するが「駅弁にはお茶です」と駅売りのお茶に関する雑学を語るシーンを撮影し、ホームでの撮影は終了となった。
その後、静岡駅の全景が見える場所に移動して、そこで「本日のまとめ」を撮影する。
とりあえずこれで本編部分の撮影は終了....なのですが、もう一つ。毎回頭を悩ませるシーンの撮影。
番組で毎回、本編が始まるCM直前のカットがあり、そこではみのりんが「シリスギ仙人、今日のラブいぜは?」と聞き、自分が「今日は○○○のラブいぜです」と答える場面があるんですが、なるべく毎回パターンを変えるという、スタッフのお遊び部分になっている。
第1回目の由比漁港での「サクラエビ」は、由比漁港名物のサクラエビのかき揚げを食べるための行列の中にぼーっと並んでいるという登場。
第2回目の伊豆韮山の「反射炉」は、反射炉にやってきたみのりんが「それじゃ入場券を」とチケット売り場に行くと、販売所ブースにシリスギ仙人が座っている。
という事で第3回目は場所柄、人も多いのであんまり変わった事も出来ないという事で静岡駅を少し見下ろすような場所での撮影となった。今回は最初からシリスギ仙人がいるという、さほど笑える登場ではなかったのが残念。
と言うことで、撮影の順番と編集後の順番はけっこう入れ替えているのだ。

1時30分頃に撮影が終わって、SBS本社に戻り2時から「らぶらじ」に生出演をして、それが終わった後、本社17階のスカイラウンジでこの先の「ラブいぜ!シズオカ」の打合せ。
基本的に、このコーナーの企画が立ち上がったのが放送直前ということで、とりあえず半年ほどの撮影スケジュールは立ててはいるが、あくまでも雑学ネタを書く自分の独断によるスケジュールなので「実際に放送出来るか?」という会議もしていない状態なのだ。どんだけ切羽詰まってスタートしたか解るでしょ。
たとえば、文章で書いて「へぇ面白い!」「それ知らなかった」と驚いて貰える雑学だとしても、例えば歴史絡みのテーマだと「その現物がないよね」とか「現物あったとしても、それで5分を保たせることは出来ないよね」となってしまうのだ。
例えば、本日撮影した雑学の一つ「駅弁とセットでお茶を販売したのは静岡駅が元祖」という物なんですが、その元祖は「汽車土瓶」という物にお茶を注いで販売、その後、飲み終わると駅ごとにお茶をついでくれるというシステムが誕生した、という話なんですが「汽車土瓶」は実際にあったとしても、それを見せるだけじゃ時間が保たない。昔の場面の再現はちょっと難しい。解説だけで番組を構成するのは面白くない。などなどの理由で、今回のように静岡駅の駅弁雑学とセットでの紹介となってしまった。
テレビって難しい。
いや、ずっとメルマガや単行本で雑学を書いていた時はすごく自由度が高かったんだけど、ラジオを始めた時も縛りが幾つもあって「難しい」と感じていた。それも次第にコツを掴んで来たので、テレビもその内にコツを掴んでいくのかもしれない。
というかコツを掴めるほど長く続いてくれればいいなぁ。と思うのであった。

ただのロケ日記なので、これといったオチが無くて御免。

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2009年5月14日 (木)

遅刻する人

「イブニングeye」の『ラブいぜ!シズオカ』のコーナー。3度目のロケですが、この日とんでもない事をしてしまいました。


待ち合わせが静岡駅8時30分という事で第1回目と同じだったので「じゃ、家をこの時間に出れば大丈夫」と思ったワケですよ。
前回、その出発で三島駅には新幹線の時間の10分以上前に到着したので。
ところが今回何故か三島駅までの道が異常なほどの混雑をしていて、まったく車が動かない。なんじゃこりゃ、と思いつつ、どんなに焦っても車は動かず刻一刻と時間だけが過ぎていく。
三島駅7時59分発の新幹線に乗らなくてはいけない。その時間に新幹線に乗るって事は遅くても55分までに駅に辿り着かなくては、と言うことは駐車場には50分には辿り着かなくては、と逆算をしているのだが、その時点で時計は7時45分。どー考えたって50分に駐車場には着かない。
いや待て、何かの奇蹟が起こっていきなり道が空いてしかも赤信号にもまったく引っかからずに…、と脇にじんわり汗をかいているのを感じながら、動かない車の中で無駄な計算と祈りを続けていた。

結局、駅に着いた時は自分が乗るハズだった新幹線から降りてきた人々がザワザワと改札を出てくる処で、やっちまったな!状態。ロケ3回目にして早くも遅刻という事なのだ。
本来自分は「遅刻」ってのが大嫌いなので、8時集合だと30分前にその近くに到着してウロウロしているってパターンが多いのだ。だから今回の遅刻はかなり精神的ダメージが大きい。もう「時間を守れないなんて最低、社会人失格です、もうロケに来なくていいです」とみのりんに蔑まれても仕方がないのだ。
駅のホームからみのりんに電話をして「あの…新幹線に乗り遅れちゃったんですが」と説明。
と言うことで、みのりんとカメラスタッフは某社に先に行っているという事で、自分は別スタッフの車で追いかけるという話になった。
でも、今回の撮影場所が静岡市内で良かった。
という事で3回目から散々なスタートだったのだ。

(この後、撮影が色々あったのですが細かい裏話を放送前に書いてしまうと「今回のネタはあれだな」と解ってしまうので、続きは放送後に書きます)
なぜ、今回あんなに道が渋滞していたのか?という事なんですが、別に事故があったワケじゃなく、道路工事をしていたワケでもない。
という事で考えて見ると、前回は4月29日で前日が「昭和の日」で会社によってはすでにゴールデンウィークに入っている処もある。そして今回はもうゴールデンウィークもすっかり終わった5月14日なので、通常営業で朝のラッシュがあったのではないか?という考えに至ったのだ。あくまでも想像だけど。
てぇ事は次回からは、家を出る時間をあと10分以上早くしなくちゃいけないって事なのだな。
そうやって学習をしていく私であった。

スタッフの皆様、ごめんなさい。本当の私はそんな子じゃありません。もっとちゃんとしている子です。

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2009年5月13日 (水)

木之内みどり『あした悪魔になあれ』

木之内みどり『あした悪魔になあれ』
作詞.阿久悠/作曲.三木たかし/編曲.三木たかし
1974年09月10日/¥600
NAVレコード/NA-9


2009051301作曲家・三木たかしさん追悼という事で、編曲まで担当しているこの曲を取り上げます。
他に編曲までしている曲で思いつくのは岩崎宏美「思秋期」あべ静江「みずいろの手紙」伊藤咲子「木枯らしの二人」「乙女のワルツ」石川さゆり「津軽海峡・冬景色」など。
アレンジャーとしてはストリングスを多用したドラマティックな物が印象的でした。

木之内みどりに関してはデビュー曲の「めざめ」に続いて2曲目で、この曲はブラスやギターのカッティングも耳に残るのですが、それ以上に耳に残るのは女性コーラス。出だしにサビを持ってくるというパターンなのですが「今日はっ可愛いッキミでッ」と始まる箇所にバックコーラスが木之内みどりの声をかき消すように入ってくる。
というか完全にかき消しています。やはり1曲の「めざめ」の反省からこうなったんじゃないかと思うわけです。声が細く声量がないことから、とりあえずサビだけでも盛り上がっているように聞かせるためのアイディアかと。
最初聞いた時は完全に女性コーラスだけで始まる曲かと思っていたんだけど、その女性コーラスの中に沈んだようにか細い声で木之内みどりが歌っているのを発見して、そりゃないだろと思った事もある。
1曲目「めざめ」のサビ「虐めちゃイヤイヤァ♪急いじゃイヤイヤァ♪怒っちゃイヤ、イヤイヤァン♪」も嫌いじゃないっすけどね。

2009051303三木たかし追悼番組ではやはり石川さゆり・テレサテンあたりに書いた曲が大きく取り上げられていましたが、個人的には三木たかしベスト3は、木之内みどり「あした悪魔になあれ」、キャンディーズ「哀愁のシンフォニー」、吉田真梨「もどり橋」って感じで、番外編でザ・バーズ「ふり向くな君は美しい」です。
「ふり向くな君は美しい」は高校サッカーの大会歌として1976年から使われている曲なんですが、シズオカに育った私は好むと好まざるを得ず「サッカー大国シズオカ」という事で毎日テレビでこの曲がヘビーローテーションされていた事から、このメロディを聴くと高校時代に記憶が戻ってしまうのだ。
個人的にはあざとい作曲をする筒美京平が大好きだったので、あまりにもスルッと聞けてしまう曲を作る三木たかしは昔はあまり注目していませんでした。
が、曲を作ったり、分析するようになって「!」と思ってしまった。こいつは凄いや、と。

三木たかしという作曲家の凄さは、技巧を感じさせない技巧。楽譜で見ると特殊な事をやっているのに普通に聞いた時にその特殊さを感じさせずに、スルッと耳に馴染ませてしまうという技巧。
例えば『津軽海峡・冬景色』を聞くと普通にメロディの綺麗な演歌として聞けてしまうのですが、実際の事を言えば出だしの「上野発の夜行列車降りた時から♪」は楽譜上ではすべて三連符で書かれている。つまり1小節の中に12音が均等に並んでいるのだ。それに続く「青森駅は雪の中♪」になると三連だけど4分音符と8部音符の繰り返し。
演歌として考えないとロカビリーとスィング的な曲なのだ。
それを普通にカラオケ好きなおばちゃん達にすんなりと歌わせてしまう。もっともこの三連があるために「なんか歌いこなすのが大変なんだよねぇ」となるんだけれど、それでも三連の曲なんて事を意識させない曲作りになっているのだ。
この曲がロカビリーなのはサビ「凍えそうなカモメ見つめ泣いていました♪」の部分。ここのメロディはアレンジを変えれば思いっきりロカビリーですよ。
でも三木たかしの技巧と石川さゆりの演歌魂によって細かい事は考えさせない曲に仕上がっている。
三連ではなく日本ではあまりヒット曲がない三拍子の曲も、伊藤咲子「乙女のワルツ」、わらべ「めだかの兄妹」とヒットさせているっても技巧派ならでは。

凄いことをいかにも「凄いことやっていますよ」と見せてしまうのは誰にでも出来るけど、こうサラッとやってしまう職業作家としてのスキルの高さはちょっとマネが出来ないっす。
素敵な曲をありがとうございます、感謝します。

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2009年5月12日 (火)

『関町物語』外伝

ハッと気が付けば、「関町物語」という漫画シリーズを最後に描いたのが去年の10月、つまり7ヶ月も前の話になっていた。いやぁ時の経つのは早いねぇ。
それだけ、この半年間は色々あったという事なのかも知れません。
しかし、最近色々な処から「続きはいつなのだ」と言われるようになってきました。
てなワケで、そろそろ続きを描かなくちゃイケナイと思っています。なんせスタートしたのが2007年の4月。現在まで14回描いているのですが、話の中はまだ2ヶ月も経過していない1980年の5月なのだ。
いくらなんでも1年で1ヶ月ってのは進まな過ぎだよなぁと反省はしています。
という事で、再開の前にちょっと「外伝」という事で、お口汚しでございます。



2009051201


2009051202


とりあえず「関町物語」は自分の仲間をモデルにしていますが、あくまでもモデルって事でその人そのものじゃないワケので、そこはご了承下さいませ。

関町物語バックナンバー

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2009年5月10日 (日)

キヨハラアラタ イラストレーション展

2009051001_2
『キヨハラ アラタ イラストレーション展』
作 家:キヨハラアラタ
会 期:2009年5月15日(金)〜19日(火)
時 間:11:00-18:30(最終日17:00まで)
会 場:ギャラリーカフェ亀福

音楽雑誌や書籍、演劇の世界に、パンクでロックなイラスト・コラージュ作品を数多く提供しているキヨハラアラタによるイラストレーション展。
今回はDM作品“いつか見た空”に代表される、爽やかで広がりのある“空色”の作品のシリーズを中心とした展示です。

GALLERY CAFE 亀福http://kamefuku.info/
〒186-0002 東京都国立市東 1-14-21

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2009年5月 8日 (金)

『イブニングeye』シリスギ仙人デビュー!

今から2年ほど前、いきなり「ラジオでのレギュラー」という考えもしなかった仕事をスタートしてしまったワケですが、2年掛けてなんとか客観的に「ここはこうした方が」「こんな感じで」とか「原稿を読んでいるって感じではなく」とか、毎日放送後に脳内ミーティングを開催し細かく細かく修正してきた。
そのためか、少し前にディレクターからも「喋りが上手になった」とか褒められて「やるじゃん俺」と思っていました。
が、今日からまた一つステージを上げて努力しなくちゃなりません。


なんとラジオ以上にこれまで考えていなかった「テレビのレギュラー」が始まります。
レギュラーといっても、実質5分のコーナーなのですが、もう自分の中ではあり得ない展開です。
しかも悪い大人に騙されて、あり得ないコスチュームでの出演です。
平日の夕方4時45分から6時45分までSBS静岡放送で絶賛放送中の『イブニングeye』なのですが、自分が出演するのは毎週金曜日、だいたい5時20分ぐらいからのコーナー『ラブいぜ!しずおか』で、6月に静岡空港が開港するって事で県外、国外から静岡にやって来る方々に「ここが静岡で自慢できる場所」を教えるような雑学コーナーを担当しているのだ。

という事で昨日は第二回目放送用分って事で伊豆韮山・反射炉へロケへ行ってきたワケですが、その前の週に由比漁港で撮影した第1回放送が今日なのです。
ミノリンの教えてシリスギ仙人という事でシリスギ仙人に扮しての出演なのですが、実際のことを言うと現場でそのコスチュームを身につけた自分の姿はあまりにも恐ろしくてちゃんとチェックしていないのだ。
だから、今日の放送でどんな感じになっているのか?というのを初めて見ることとなる。
ということで放送をチェック
(中略)
え〜、なんと申しましょうか。自分ってあんな感じ?というのが正直な感想。
いや、違うんだあれは自分であって自分ではないのだ。とりあえず汚れ芸人としてワザとあんな感じでやっているのだ。と思わず一人で自己弁護をしてしまいそうな感じ。

う〜んと頭を抱えながら、テレビのスイッチを切って異常な喉の渇きを癒すために1階にある冷蔵庫へ...。とそこに母親が現れて一言「シリスギ仙人」と笑いながらいうのだ。
なぬー!とりあえずオマイさんは自分の息子は自分で付けた名前で呼びやがれ!

その後、テレビを観た友人の感想も「面白い」という事で、そうなのか…。
さらに、みのりんからの電話でも「局内でも、それ以外でも評判いいよ」との事。
僅かな希望として「あのコスチュームで雑学言っても意味ないから」というのを期待したのですが、どうもそんな声は一つもない。この先も続くのか…(現在のは暫定版なので数回後にはちゃんとした物に変わるのですが)
あと真面目な事を言うと、セリフはちゃんと言えているとは思うけど、やはりテレビ的にはもうちょっと抑揚をつけて言葉を明確にって感じですかね。ちょっとトーンが落ち着きすぎですな。

とりあえず利点は、ふだん街を歩いていても被り物をしていないとシリスギ仙人だとバレないって事っすかね。
みのりんと行動をしていて「大変だなぁ」と思うのは、ちょっと食事処に立ち寄ると「あ、小沼さんですよね」とすぐ声を掛けられること。みのりんにとってはもう日常になっているんだろうけれど、あれは大変だろうなあと思う。
その内「あれ?今日は被り物していないんですね」なんて声を掛けられるようになったら面倒臭いなぁ。などと取らぬ狸の皮算用をしつつ、杉村の苦渋の道はまだ続くのだ。

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2009年5月 7日 (木)

雨のロケ(韮山・反射炉にて)

まだ1回目の放送もされていない状態で2回目のロケ。しかも朝から雨が降り続いている。


2009050701この10年ほどで髪の毛が異常なほどの天然パーマが出てしまった私は、とにかく最大の弱点が湿気なのだ。
昔はただシャンプーするだけでサラッサラで手入れが楽だったり、サラサラすぎるのでちょっとパーマでもしようかなとか思うぐらいの髪の毛だった。
それが今やシャンプーした後に必死にセットしても、いつの間にか髪の毛がグリングリンの天パになってしまうのだ。ハッキリ言って、どうまとめたらいいのか自分ではまだ判断できない状態。
そんなこんなで、雨の日に外に出るのは非常に嫌なのだ。
そんな雨のロケ。

ロケした物が1回でも放送されていれば「ここをこうすべきだった」という反省点もあるのだろうが、まだ自分がどんな事になっているのかさえ客観的に見ることが出来ていないので、2回目のロケだが反省も何もないのだ。
とりあえず、先週の5月1日金曜日に「イブニングeye」の中で「来週からこんなコーナーが始まります」ということでチラッと自分の姿が紹介されたのですが....。
とりあえず現時点のかぶり物は(仮)って事になっているのですが、その下に着ている白衣がとにかくキツイのだ。自分のサイズはLなんだけど、あの白衣はM。こんなにタイトな白衣は普通着ないだろ、という感じなのだ。

2009050702しかも言い訳をさせてもらうと、あの被り物のアゴ部分に白いヒゲと下に続く杉の木の幹があるワケですが、それを胸で受け止めないと被り物がズレてきて前が見えなくなってしまうのだ。両手は常にシリスギ仙人の手を動かす棒を握っているので、手で被り物を固定する事が出来ない。つまり、被り物の下部分をずれないように固定するため、胸を少し反ったような感じで常にポーズを取らなくてはいけなくなっている。それをするためには胸を反らせなくてはいけないのだ。
その結果、ピッチピチの白衣&胸を反らすという事からオードリー春日のような状態となっていて、なんか白衣の胸から腹にかけて詰め物をしているんじゃないか?というぐらいに盛り上がってしまったのだ。
改良の余地ありですな(ピッチピチ白衣は次回からサイズが替わるらしいですが、今回はそのまま)。

そんなワケで、シリスギ仙人を演じている時はちょっと動いてもズレたりするので、動きがかなり制限されてしまう。被り物はオデコとアゴで支えているような感じなんですが、すぐズレてくるので要注意。
そんな事に気を回しながら、表面的には何も無いかのように「え〜ここはですね」などと解説をしているのだ。そりゃ、頭も真っ白になってセリフも飛ぶって。

と色々と言い訳をしつつ、今回は伊豆の国市韮山にある反射炉。あの江戸時代末期に国防のため大砲を作った施設です。
みのりん達は本社から1時間20分ほど掛けてやってきたのですが、自分は地元という事でマイカーを走らせて現地集合。
自分は地元って事と、普通に幕末期の小説やマンガを読んでいて色々な事を知っていたのですが、世間一般では反射炉ってのはあまり知られていないんですかね?
みのりんの両親はちゃんと知っていたそうですが、お姉様は「浜岡だけじゃなく、伊豆にもあったんだけ?」と驚いていたらしいです。ってそれは『原子炉』。

という事で、反射炉での撮影スタート。こんな雨の日ですが地元の小学生が社会科見学で訪れていて、それ以外にも団体じゃないお客さんもチラホラ。へぇ意外な感じにちゃんと観光スポットなんですな。
(追記:翌日第1回目の放送があったのですが、その時次週の予告ということで反射炉を説明する際にみのりんが「地味な場所なのですが」と紹介していた。いや、確かに地味ですが、それを言っちゃ……)
被り物をしているだけでも大変なのに、今回はさらに傘を差しての収録。もう色々演じながら考える事が多すぎて大変なんスから。
台本にあったセリフもその場で「ここはこう言った方が」などと微調節をしていく。とりあえず短いカットでの喋りを撮影していくので、大変ではないのですが。カメラを向けられハイッなどと言われると、ちょっと頭が白くなりかける事もまだある。

で、撮影に関しては事前にだいたい計画が練ってあるので順調に進んでいくのですが、最後に一番問題箇所が残っていた。
というのはオープニングのカットなのだ。
最初からみのりんとシリスギ仙人が並んで登場では面白くないので、毎回シリスギ仙人の登場には懲りましょうか?という事を決めている。
そのため、第1回放送の由比漁港ではオープニングでみのりんが由比漁港を歩きながら「あれ?シリスギ仙人は?」と探すと、名物のサクラエビかき揚げの店の開店を待って並んでいる人の中に何喰わぬ顔をして被り物をしたシリスギ仙人がいるという登場だった。

本当ならこの顔出し看板が…
2009050703実は、この韮山の反射炉には入口手前に顔出し看板がいつもは置いてあるのです。観光地なんかにある奴で、ここには反射炉を作った江川太郎左衛門の顔出し看板があった。
だから、みのりんが「あ!」と顔出し看板にハマっている杉村を見つけた直後「今日は反射炉です」とシリスギ仙人の被り物をしている杉村が横から顔を出す、という事を計画していたんですが…、なんと本日は「雨天により顔出し看板は撤去」という事で予定がすっかり狂ってしまったのだ。さてどうしよう…という事で、その場で考えたさらに意外な登場をしていますので、これはテレビを観てのお楽しみです。

ロケが終わった後、来週以降の打合せという事でカメラクルーとは別行動となり、自分はみのりんを車にのせて136号にあるCOCO'Sへ移動。
この企画があまりにも急発進した物だったため(だから被り物が間に合わなかったワケですが)、来週の撮影に関してまだ原稿がカチッと出来ていない。さらに撮影場所に撮影許可を得ていないという、思いっきり綱渡り状態になっているのだ。
だから、これからを考えて、2週間前に原稿を完成させて色々なアポを取って…、という事で色々と打合せをした。

こりゃ大変だなと思ってしまったのが「テレビ的」という事、そして「ラブい静岡」をアピールするという事。
例えば「国産ピアノは100%静岡産」という雑学がありますが、それはそれで凄い事なんですが、それ以降の広がりがあるか? ピアノの雑学はあるけれど、それは静岡とはまったく関係ないので、そんな雑学を自慢げに話しても「静岡、ラブいぜ!」とオチないのでどうしたらいいのか?という事なのだ。
凄いけれどただの観光案内になってもしょうがないとか。
今まで、ラジオで喋る時は例えばそのテーマで1回分を組み立て始めたのはいいけど、イマイチまとまらないので「じゃ、没」という事で別のテーマにすることも出来たのですが、今回はテーマありきで雑学的に、しかも静岡寄りで組み立てて行かなくちゃいけないのだ。

なんというか、縛りが多すぎるっす。
まだ、様子見って事でやさしい気持ちで見て下さい。

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2009年5月 6日 (水)

とりあえず医者へ行け

もう6年ぐらい前からずっと調子が悪かった。


しかし病気だとしてもその程度は薬で治る物だと信じ、ずっと市販薬だけで病院へは行かずにいた。だが症状は一向に良く成らずに、どんどん悪化して、そのまま5年以上が経過した。
だって恥ずかしかったんだもん。
病状は「水虫」
それに気が付いたのは最初の単行本を出す少し前だったと思うけれど、なんか右足の外側が痒くなっていた。で、無意識のうちにぽりぽりと掻いていたんですが、ある日ふと見るとそこが赤く腫れて一部の皮がボロっとなっていた。あぁ水虫だ。と思った自分は、テレビのCMでやっていた効きそうな薬を買ってきてそれをヌリヌリと塗りつけた。
その説明書には「水虫というのは見えている部分より広がっている可能性があるので、症状が出ている患部より少し広めに薬を塗りましょう」という事が書かれていたので、それに従って薬を塗りつけた。なんとなく効いているような気がしていたが、その薬にはさらに「症状が治まっても数ヶ月は塗り続けて下さい」などと書いてあったので、それに従った。

2009050601しかし、イマイチ症状は完治せずに皮膚のボロボロ状態が続いていた。色々と調べると「根気強く治療を続けるしかない」とか「水虫を完治させるのは至難の業」などと書かれていたので、症状の改善がなくても淡々と薬を塗り続けるしかないのだと思っていた。
そんな一進一退を続けて、いつの間にか数年が経過していた。
その薬が効き目がないような気がして、新たな効能とか、超強力とか、根こそぎとか、奥まで浸透!とか、新たな水虫薬のCMが流れるたびにそれらを試してきた。
ところが患部は良くなるどころか、どんどんの患部が広がっていったのだ。やはり「水虫は症状が出ているのより少し広く」って事で、広めに塗らないといかんのか!と必死になっていった。
ハッキリ言ってもう人には見せることも躊躇してしまうほど患部は広がっていて「これはマズイ、かなりマズイ」という状態に追いつめられていた。
夏、友人の家に泊まりに行った時も「くつろいで」とか言われても、靴下を脱ぐことができない状態になっていたのだ。

その少し前から「病院に行かなくちゃいかん」と思っていたんだけど、心のどこかに「水虫で病院に掛かるのってどうよ」とか「恥ずかしい」という気持ち、そしてここまで悪化してしまった症状を医者にさえ見せるのを躊躇していたのだ。
しかし去年の秋に意を決したのだ。もう市販薬ではどうしようもない、プロの意見を聞かなくちゃいかん!と。症状が出てからすでに5年ほど経っていた。
そこでどんな診断が出されるのが恐かった。水虫の中でも想像も出来ないほどの悪質な物で「今頃になって来られてもねぇもう手の施しようが無い」とか言われたらどうしようかと。
病院に出かけ、そこで医者に「実は数年前から薬を塗り続けているのですが、一向に良くならず、逆にどんどん患部が広がってしまい、どうしょうもないんです」と言いながら、靴下を脱いだ。
その患部を見て医者は「うわぁ広がっているね」と驚きつつ、予想もしなかった驚愕の事実を告げたのだ。
「これ水虫じゃなくて、薬によるかぶれですね」と。

最初は水虫だったのかもしれないが、それらが完治しているのに、ただただひたすら強力な薬を塗り続けていたためにその薬によってかぶれて皮膚がボロボロになっていたというのです。
なんですとぉぉぉぉ?!
つまり水虫の薬でかぶれてボロボロになっている処へ、さらに強力な薬を延々と塗り続け、日々ボロボロになるための努力をしていたという事なのだ。なんてこった!
そして病院で処方してくれた薬を塗った処、あれだけ何をやってもダメだった皮膚が、2週間ほどであっさりと症状改善してしまったのだ。(完全には治っていないので現在も自然治癒中)

とりあえず、素人考えなんかで自分の症状を診断せずに、とにかく医者に行け!って事なのだな。

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2009年5月 5日 (火)

小路幸也『東京バンドワゴン』

忌野清志郎ショックがじんわりと続いています。


2009050501これまでの人生でこういう喪失感を味わったのは3回目、1980年のジョン・レノン、1989年の手塚治虫、そして今回の忌野清志郎。他にも1996年の遠藤周作、1997年の星新一、1998年の石森章太郎(自分の中では石ノ森ではない)等々、自分の思春期からを作り上げてくれた人々の死にはその都度衝撃を受けてきたワケですが、こうやって死を受け入れる事で徐々に悟りに近い境地に近づいていくのかなぁ、いつしか自分もそちら側へ行くための精神的な準備をしていくのかなぁ、などと思ったりするワケです。
この先、もうキヨシローの新作が作り出されないという寂しさはある(しばらくの間は未発表曲のリリースが続くんじゃないかと思うけど)。
しかし死という現実感はあまりなく、未だにどっかでニコニコと何が起こっても何処吹く風で「キミたちまだまだ愛が足りないぜbaby」と笑っているような気がします。

2009050502そんな中、キヨシローとは直接関係ないんですが一つ勝手に残念に思っている事がある。
小路幸也さんが書いている小説『東京バンドワゴン』というシリーズ物があるのですが、この世界感は70年代に放送されていた「水曜劇場」その物で、明治時代から続く古本屋「東京バンドワゴン」を営む一家の物語。
頑固な3代目店主79歳を中心に大家族が巻き起こす騒動、その中に登場するちょっと不可思議な謎、それを毎回loveが解決していく。東京下町に展開する隣近所の密接な人間関係もあるという、本当に「寺内貫太郎一家」や「時間ですよ」などの世界観そのまんま。
だから読みながらもすでにドラマ化されるとしたら、古本屋の主人堀田勘一は誰がいいかなぁ、伊東四朗あたりがいいか? いや年齢設定が79歳という事なので結構絞られてしまうぞ、とか。すでに故人となっているが心配でずっと見守っている、という設定で語り部として登場するサチさんは八千草薫かなぁとか、配役を頭の中で思い描いて読み進めたくなるほど、ドラマ的な話なのだ。

2009050503その中に堀田我南人(がなと)という人物が出てくる。
古本屋の主人堀田勘一の長男・我南人は年齢は60歳。設定が伝説のロッカーで未だに自由にフラフラしており、ふっといなくなったり、帰ってきたかと思うと突飛な発言をして事件を起こしたりというキャラクター。そしていい加減で破天荒に見えて結果としてLoveの力で事件を解決し、ほのぼのとした空気で場を包んでいく。
「家族を捨てた男もさぁ、捨てられた家族もさぁ、傷ついているんだよぉ。その傷を塞いで癒すのはさぁ、やっぱりLOVEという名の絆創膏なんだよねぇ」
と普通に考えたら臭すぎるセリフをサラッと言ってしまう、キャラクター。
最初に読んだ時から自分の中では、この我南人のセリフはキヨシローのあの声で想像しながら読んでいました。当然その姿形もキヨシローのまんま。
伝説の「水曜劇場」がもし復活して、この「東京バンドワゴン」がドラマ化されるのなら、絶対に我南人の役は忌野清志郎が演じる物だと勝手に決めていました。
それももう叶わない話ですが、もし出来ることならば3年前に他界した久世光彦さんの演出で、忌野清志郎が演じる堀田我南人を見てみたかった。
その中で忌野清志郎が歌う「ALL YOU NEED IS LOVE」を聞きたかった。

現在この『東京バンドワゴン』のシリーズは『シーラブズユー』『スタンドバイミー』、そして新刊『マイ・ブルー・ヘブン』と4冊出版されている(2冊文庫化済み)。
現在、集英社デジタル読み物サイト「レンザブロー」で5作目となる『フロム・ミー・トゥ・ユー』を連載中。

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2009年5月 3日 (日)

RCサクセション『ステップ!』:忌野清志郎追悼

RCサクセション『ステップ!』
作詞.忌野清志郎/作曲.椎名和夫/編曲.椎名和夫
1979年07月21日/¥600
KITTY・POLYDOR/DKQ-1063


200905031恐れていた日がついに来てしまいました。
2006年に喉頭癌になったと発表し、それ以降は入退院を繰り返していた忌野清志郎が2009年5月2日、午前0時51分に癌性リンパ管症により58年の生涯を閉じた。
去年11月頃に、間寛平が地球一周マラソンに出かける直前、応援曲を書いたという事でテレビでその映像が流れていたけれど、その時になんかむくんだようで年齢より老けたような感じがしていた。おそらくそれが生前最後の映像で、最後の曲になるんじゃないかと思う。

以前、喉頭癌で入院した時にも書いたけれど、中学生の頃、土曜日の笑福亭鶴光師匠のオールナイトニッポンの3時過ぎ、フトンの中でぼーっとした頭で聞いている時に流れてきた悲しげなピアノのイントロの曲「スローバラード」で衝撃を受けた。
と言っても、曲紹介の処はハッキリ聞いていなかったのでアーティスト名も曲名も解らないまま、市営グランドの駐車場で夜明けを迎える二人の切ない恋心を切なげに歌った声だけが心の中に残っていった。田舎の中学生には許容範囲外だった世界だったけれど、なんか切ない切ない気持ちになった。
ただ、その時はそのままで曲名を調べる術もなく、ただ胸に刻まれただけだった。
それから3年後、その時の絞り出すような声に再会する事となった。

2009050361979年の夏だったと思うけれど、月曜夜8時台、NTV「紅白歌のベストテン」に突然、まだ日本ではまったく認知されていなかったビリビリに破れたシャツやズボンで、髪の毛をツンツン立てた派手なメイクをしたバンドが登場したのだ。しかも他の歌手が司会者の堺正章とのトークをした後で歌い始めるのが常だった番組で、何の前触れもなく紹介されて演奏が始まった。
バンド名は「RCサクセション」曲名は「ステップ」
ブラスが中心のアレンジでパンキッシュな感じは薄かったが「♪これが流行りのステップ!」と歌う忌野清志郎はそれまで日本のテレビには存在しなかった異形の生物だった。ステージを右に左に歩きながら歌い、挑発的なポーズを取り絞り出すように「♪真夜中のDance, Dance, Dance, Dance♪」と歌うボーカルスタイルは新しい何かを予感させるモノだった。
ちなみにシングル「ステップ!」の演奏はスタジオミュージシャンによる物。作曲は元はちみつぱいのギター椎名和夫となっているが、後にライブ盤では作曲忌野清志郎となっている(誤記なのかは不明)

200905035RCサクセションは1970年に「宝くじは買わない」でデビューし、1972年の「ぼくの好きな先生」がヒットしている。
実はこの曲は中学時代に知っていたのだけど、その後に聞いた「スローバラード」とは全然結びついていなかったので、同じバンドの曲とは思っていなかった。
どちらかというと「さなえちゃん」を歌っていた「古井戸」とかあの辺のグループの曲だと思っていた(ってそれも微妙な話なんだけど)。
バンド化したRCサクセションはLiveアルバム『RHAPSODY』そしてその前に発売していたシングル「雨あがりの夜空に」がジワジワと売れ初め、10月にリリースしたシングル「トランジスタ・ラジオ」のヒット、12月にアルバム『PLEASE』と、名実共にライブバンドとして一気に上り詰めていくのだ。

200905034
1979年〜1980年頃はとにかく大学祭とかに出演したが、それまでの数年、所属していたホリプロとの色々があって仕事を干されていた過去を吹っ切るためにどんな環境でもライブをしていた。
この時にバックアップをしたのが旧友・泉谷しげるでステージ衣装などにもアイディアを出したらしい。
泉谷は仕事を干されて忌野清志郎がグダグダしている時にハッパを掛ける意味でキツイ言葉も言ったらしく、それに奮起した忌野清志郎が書いたのが「あきれて物もいえない」という曲。
当初は泉谷の言葉に本気で怒った忌野清志郎は「♪ビッコの山師が俺が死んだって言ったってさ♪」という歌っていたが、後に誤解が解け「♪どっかの山師が♪」と歌詞を直し『PLEASE』に収録した。

その1〜2年でRCは時代の寵児となる。
1983年の正月、NHKが若者向け番組「YOU」の中でRCのライブを放送したのだが、「気持ちE」を歌っている時、突然客の歓声が盛り上がり歌詞が聞き取れないほどになった事がある。実はその聞き取れなくなった歌詞は「女と寝ている時にも」という物で、やっぱりNHK的にはそこは放送出来ない、でもピーッ音でかき消しては興醒めという事でそんな措置に出たのだと思うけど、そんな事をしてもRCのライブを放送したいって感じに人気が高まっていたのだ。

200905032忌野清志郎を生放送に出演させるのは危険で、1981年に「夜のヒットスタジオ」に出演した時も事件を起こした。歌ったのは「トランジスタラジオ」。バックではセーラー服を着たダンサーが踊っていたのだが、いきなり両サイドで踊っているダンサーの頭を両脇にハサミ暴れる忌野清志郎。その後、カメラに向かってガムを吐き出すという暴挙に出た。その事で抗議電話500本超えで回線パンク。

1989年、同じくフジテレビが放送した「夜ヒットR&N」に覆面バンド『TIMERS』として出演した時には予定に無かった「FM東京」という曲を歌い始めた。その少し前にRCとしてリリースしようとした「カバーズ」が原発がらみで放送禁止にした事から「タイマーズのテーマ」に続いて(この曲も♪TIMERが大好きTIMERを持っている♪という危険な物、よく放送出来たなぁ)いきなり「♪FM東京腐ったラジオ、FM東京最低のラジオ、なんでもかんでも放送禁止さ♪」という歌詞を歌い始めた。

これに関して、実はフジテレビのスタッフもグルで最初からこれを歌う予定だったという噂もある。かなりシッカリと「FM東京」を歌いきって、さらに続けて「デイドリームビリーバー」「イモ」まで全10分歌っている。普通だったら放送事故扱いでCM突入とか処置があったハズなのに、しっかりカメラ割りまで行われている。
そして本来なら永年出入り禁止になりそうなのに、この番組の数日後に忌野清志郎はフジテレビの番組に出演している。とりあえず出入り禁止になったのは覆面バンド「TIMERS」のボーカル・ジェリー氏で、忌野清志郎とは別の人物という扱いだったらしい。

200905033生放送パターンでは、やはりTIMERSが1992年のBS-NHK年末カウントダウンイベントLIVEで、何故かいきなり「明星即席ラーメン」のCM曲を歌い始めた「パパと一緒に食べたいな♪」と。それを歌い終わった処で後でギターを弾いていたMOJO CLUB・三宅伸治(TIMERSでの芸名は忘れた)が「それNHKじゃマズイっすよ」と言いだし、ジェリーが「え、そうなの?どこがマズイんだろう」と首をかしげながらもう一度「♪明星即席ラ〜メン」と歌いだした処でバチッと放送が中断し、別会場で行われていたライブ映像に切り替わった。この時は政治的ではなかったのでお笑いネタとして終わっている。

で、かつてコテンパンに批判されたFM東京(TOKYO FMに改称していたけど)が2003年に放送したアースディコンサートに、和解したのか、それともやはりあれはTIMERSのジェリーという扱いだったのか不明ですが、ソロ歌手として忌野清志郎が出演していた。
生中継の番組だったのですが、そこでもいきなり予定にない曲を歌い始めた。
TIMERSの時に歌っていた「憧れの北朝鮮」という曲で、TIMERS時代の歌詞はちょっと笑える物だったのですが、その時の歌詞はとにかく凄い物だった。
「♪キム・ジョンイル、キム・イルソン♪キムと呼べばみんな仲良くなれるよ♪海辺にいたらタダで拉致して連れていってくれるよ♪」
流石に放送は途中でとぎれて番組パーソナリティが慌ててその場を取り繕って時間を繋いだらしいが、会場では忌野清志郎はこの曲を歌い終わった時に「え〜イラク戦争で最近は影が薄くなってしまった憧れの北朝鮮を歌ってみました」と語り、続けてロックアレンジの「君が代」を歌って締めたらしい。

200905037とまあ、過激な言動や行動を列挙すればキリがないけど、実際のところ忌野清志郎という人物が書く詩の世界はとてつもなく繊細で美しい。
昨日、死去したというニュースを知ってから手持ちの音源を延々と聞き続けているんですが、過激な部分よりも泣けてしまいそうなそれでも無理して大地を踏みしめている切なさが染みる。
1990年前後のバンドブームの時、イカ天とか見ていても忌野清志郎のエピゴーネンが大量生産されているのを感じた(あるいは甲本ヒロト)。が、そのスタイルやシャウトをいくらマネしても宴会芸にしかなっていないように見えてしまったのは、その裏にある切なさが無かったからかも知れない。
1983年に出版された忌野清志郎詩集『エリーゼのために』、1987年『十年ゴム消し』を改めて読み返すと、その言葉のチョイスが美しすぎて、しかも余韻を残すような終わり方の物が多い。実に文学的なのだ。
なんか、読んでいて泣きそうになってしまった。

200905038忌野清志郎に関しては余りにも書きたいことが多くて混乱しているけれど、本当に感謝しています。サンキューフォーユーなのだ。
いつか、ちゃんとした文章を書きたいと思っています。

※2006年7月14日「忌野清志郎が喉頭癌

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2009年5月 2日 (土)

平山三紀『ノアの箱舟』

平山三紀『ノアの箱舟』
作詞.橋本淳/作曲.筒美京平/編曲.筒美京平
1971年10月25日/¥400
コロムビア/P-142


2009050201一般的には「ノアの方舟」と表記しますが、ここでは「ノアの箱舟」って事で。
この曲は1970年に「ビューティフル・ヨコハマ」でデビューした平山三紀が二枚目の「真夏の出来事」が大ヒットした後に出た、三枚目のシングル。
一般的には「真夏の出来事」「ビューティフル・ヨコハマ」辺りまでは有名なんですが、この曲も10万枚ほどの中ヒットしている。
いわゆるソフトロック路線で「真夏の出来事」よりはアタックは弱いけれど、ブラスも軽快な曲で、マイナー調で始まりサビでメジャーに移調して気持ちよくメロディーのテンションが上がっていく感じが「これぞ筒美京平」という感じなのだ。
平山三紀が歌っているのでその歌唱法に惑わされてしまうけれど、これはそのまま尾崎紀世彦に歌わせてもいいんじゃないかという感じのメロディ。ただ、平山三紀の少しザラついてクールな歌唱法のタメに暑苦しく聞こえないのだ。
しかし歌詞を読んでいくと不思議なことに「ノアの箱舟」をイメージさせる内容ではない。なぜこの歌詞がそんなタイトルになってしまったのか。

B面も橋本×筒美コンビの「心のとびらをノックして」なんですが、こっちもムチャカッコイイ曲。
曲中、サビに至る「♪好きよ I Love you, I Love you, I Love you, I Love you,♪」の部分が南沙織の『傷つく世代』の「♪だめね、だめね、私だめね、かわいそうに♪」の雛形という感じ(悪く言えば流用なんですが)で、グググッとメロディーのスピード感が増して来ます。
一曲の中でリズムをさほどいじらずにドラマチックに展開させるのは上手いよなぁ。
もちろん平山三紀というボーカリストのクセのある歌声は冴えていて、軽く少しハスっぱに歌う感じもマネが出来ないかっこよさで「あなた次第で変わるわ」という歌詞を「あなンた次第で変わァるわン」というニュアンスで歌う感じも、最強っす。
どっちかというとA面よりB面の方が好き。(「ドーナツ盤メモリー~平山三紀」というCDにはB面も収録されている)

別段、これと言って理由はないけどレコード棚にあったこの曲が目に付いたので本日取り上げてみました。

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2009年5月 1日 (金)

岡林信康『チューリップのアップリケ』

岡林信康『チューリップのアップリケ』
作詞.岡林信康・大谷あや子/作曲.岡林信康/編曲.岡林信康
1970年/¥500
ビクター/SF-13


2009050101気持ちいい天気が続き、野山には花が咲き乱れ「あぁ春だぁ、生きてきてよかった」と思うワケです。そう言うことで春らしくチューリップをテーマにした曲を。
という事で聞き始めると「みんな貧乏が悪いんや、そやでお母ちゃん家を出て行かはった♪」と気分がどんよりとしてしまうワケです。この世界的不況の波をどう乗り越えようかと頭を抱えてしまうのだ。
フォークの神様と呼ばれた岡林信康の名曲ではあるのですが、あまりにも痛い曲です。
デビュー曲が日雇い労働者の苦痛を歌った「山谷ブルース」だった事や、高度経済成長の中、田舎から集団就職で出てきて歯車のように働かされる労働者などの問題などなど、社会の暗部を鋭く描いた曲を歌い、岡林はワーキングクラスヒーローとして祭り上げられていく。

その世間が求める「岡林信康」というイメージに最初は乗り、より過激なプロテストソングを歌うようになったが、次第にその要求に限界を感じ岡林信康は姿を隠してしまうのだ。
その後、1970年にはっぴいえんど(細野晴臣・大滝詠一・鈴木茂・松本隆)をバックに従えてロック路線を歩み出すこととなる。
って感じなんだけど、なんかボブ・ディランっすよね。フォークの神様→ロックへ転向の経緯とか。
で、ディランのバックバンド「THE BAND」に相当するのが「はっぴいえんど」なんだけど、メンバーは最初の内はあくまでも仕事の一貫として与えられたノルマを果たしたって感じだったみたいです。

2009050102でも1970年に神田共立講堂で開催されたライブでの「私たちの望むものは」なんかを聞くと、先日逮捕されちゃった鈴木茂なんて「この時もキメてんじゃないの?」って疑ってしまうほどギター炸裂しとります。
岡林の2ndアルバム『見る前に跳べ』のバックもはっぴいえんどなのですが、岡林は基本的に作家&歌手で演奏面に関してはさほど思い入れがない事から、はっぴいえんど主導でレコーディングが行われ、後にそのレコーディングの思い出として岡林は「何か言ったら殴られるかと思った」とビビっていたそうです。

この『チューリップのアップリケ』は現在はどういう扱いなのは不明ですが、一時期は放送できない曲として指定されていたそうです。
歌詞を読むと、小学生の女の子の視線から貧乏な家庭が描かれており、実直な靴職人の父と家を出て行ってしまった母。仲違いをしていたおじいちゃんはもう死んだので戻ってきて、チューリップのアップリケのついたスカートを買って来て欲しいと願う曲。
別段、放送できない理由はどこにも見あたらないけれど、一時期は何にでもフタをしようとする風潮があったので、その一貫なのでしょう。

でも現在は、Youtubeなどにもアップされているので(法的には凄く問題あるけれど)それらも聞こうと思えば聞くことが出来る。ある意味便利でいい時代なのだ。その内容に関する判断は各自に出来るという事。
B面の「私たちの望むものは」も名曲。
自分はプロテストソングのブームがすっかり終わった1975年前後、中学生で、この曲を粋がってギターをジャカジャカ弾きながら歌っていたアナクロ少年だったのだ。同級生のフォーク野郎がN.S.Pとかをカバーして、同級生女子をうっとりさせている中を。
そりゃ女子に人気出ないってのも解るよ。早く気づけ中学生時代の俺。

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2009年4月30日 (木)

ザ・ブルーベル・シンガーズ『昭和ブルース』

ザ・ブルーベル・シンガーズ『昭和ブルース』
作詞.山上路夫/作曲.佐藤勝/編曲.佐藤勝
1969年09月/¥400
日本グラモフォン/SDP-2043


2009043001昨日29日は「昭和の日」というワケの解らない祝日になっていまして、とりあえずどっかで昭和を祝ったんでしょうか?もう祝日ではなくとりあえず休み増やしちゃえって感じの日ですよね。
その前の「みどりの日」ってのもよく解らない名称だったけど、とりあえず「昭和天皇の誕生日」っす。
という事で、その昭和がタイトルに付けられた曲ってことで選んだのがこのザ・ブルーベル・シンガーズ『昭和ブルース』
いやぁ天気の良い祝日に相応しくないどんよりした曲です。
この曲は天地茂が「非常のライセンス」の主題歌として1974年にカバーしたバージョンの方が有名ですが、こっちがオリジナルバージョン。

2009043002いきなり「♪生まれた時が悪いのか、それとも俺が悪いのか♪」ですから。もうね、歌詞を読み込めば読み込むほどどんよりとしちゃいます。基本的には「何かをしなくちゃ生まれてきた意味がないんだ」と言っている歌詞なんですが、なんか結末は悲惨なモノが待っているかのような曲調で。
でも、昭和がタイトルに入った曲という事で思いついた『昭和枯れすすき』よりは前向きって事で。
このジャケットに写っているのは歌っているザ・ブルーベル・シンガーズではなく、この曲を主題歌として使った俳優座制作の映画『若者はゆく』の出演者。
左から佐藤オリエ、田中邦衛、山本圭、橋本功、松山省二の五人。
映画『若者たち』の続編として自主上映作品として1969年に作られた映画(ストーリーはここで)高度経済成長期の中でもみくちゃにされる名も無き労働者たちの苦悩を描いた作品。
なんか昨日の「昭和の日」ではなく、明日の「メーデー」に相応しい曲なのか?

2009043003しかし、この曲を今の若い人々が聞くと「演歌じゃん」と思ってしまうのかもしれないけれど、この時代は演歌的な物がジャンルとしてカッチリとしていなかったので、どの世代も普通にこういう曲を聞いていたのだ。
って、自分にとっては全然リアルタイムではないんだけど。
このザ・ブルーベル・シンガーズって、基本的にカレッジフォークのグループで元々は明治学院大学の軽音サークルが出発点で、岩崎稔・福家暢夫・関本裕司・笹島良一・林健一・井野信義という六人がオリジナルメンバーらしい。
B面の「杉の木の下で」は可もなく不可もなしの爽やかなカレッジフォーク。海が恋しちゃったり、青い海原群れ飛ぶカモメな感じの曲。それの作詞作曲が岩崎稔となっている事から、本来はこっちがやりたかった曲で、「昭和ブルース」のようなどんよりした感じの曲はお仕事として押しつけられたんだろうなぁ。

2009043004他にはヒットと呼べる曲はなく、末期に3人組になって、なぜか「月光仮面の歌」をカバーしている。
実はモップスが歌ったカバー曲「月光仮面の歌」が話題になった影響で、その後シャープファイブや寺内タケシとブルージーンズもカバーしている。その流れでのリリースなのかもしれないけれど。
そんなこんなで、この曲を聞きながら、先日まで放送されていたドラマ『銭ゲバ』のエンディング曲「さよなら」を思い出してしまった。あれが後々現在の大不況時代を思い起こさせる『平成ブルース』になるのかなぁ。

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2009年4月29日 (水)

初ロケ(由比漁港にて)

晴天!


ということで本日、4月29日が私にとっての初めてのロケとなりました。まさか自分の人生の中に『ロケ』なんて言葉が登場してくるとは思ってもいませんでした。
ロケってのはロケーション(location)の略で、本来は位置とか所在地などを意味する英語で、住宅やホテルなんかの建っている場所が風光明媚だとかを説明する際に『ロケーションも良く』などと出てくる言葉なのだ。
テレビや映画なんかのロケという言葉は、そこから派生したモノで「スタジオ外の場所に出かけその場所で撮影する」という意味合いなのだ。
コンピュータ用語でも、ディレクトリー位置なんかもロケーションと言う。
そんなこんなで、たった今辞書などで調べたドロナワ知識を「〜なのである」とあたかも以前から知っていたかのように喋る私がテレビ進出なのですよ。さて困った。

それにしても、良い天気。先日の日曜日なんかは日本各地を暴風が吹き荒れて!とか、昨日も局地的に大雨が!とか言っていたので心配していたのですが、それも杞憂に終わったのだ。
静岡駅に8時半という事で、8時24分着の新幹線で駅に降り立つと改札口でオレンジの眩しいサマーコートを着たみのりんが出迎えてくれた。SBSで一番忙しいんじゃないかという売れっ子女子アナ小沼みのりさんに迎えてもらえるとは感謝でやんす。

本日は「昭和の日」といういまいちピンと来ない祝日という事で、それなりに車も多いわけですが、それでも順調に目的地の由比漁港に辿り着く。(由比漁港といえば、話題はアレですが、とりあえず伏せる)
そして、そこで初めて「シリスギ仙人」というキャラクターの衣装を見せてもらう。
ハッキリ言って、打合せで見せて貰うのならば「ここはちょっとこうした方が」という注文やダメ出しが出来たと思うんですが、現場でいきなりなので何も言えず。与えられたモノをそのまんま。いや、もう腹は括っています、はい。
それでも、それを装着した(着るではなく)自分の姿をちょっとチェックすると「これでいいのか?」というクエスチョンマークが…。
「杉村さん、いいじゃない!」とみのりん。売れっ子女子アナだけあっておだてが上手でどこまで信用していいのか不明だが「この先はもう、自分の姿をチェックしない」と決めた。

さらに衣装として白衣を渡されたのですが、サイズがM。自分は基本的にサイズLなのでピッチピチ。なんとかボタンをとめる事は出来るのですが、身長からしたらMは無いと思うんだよなぁ
しかも、かぶり物のアゴ部分が出っ張っているのでアゴを常に上げたような状態。いわゆるオードリー春日に近い状態になってしまい、それによって胸からお腹を前に突き出したかのような姿勢に成らざるを得ないわけです。ピッチピチの白衣を着て。
とりあえず本日のシリスギ仙人は急場しのぎVer.で、現在本格的なかぶり物を発注している最中だそうで(コーナー企画がいきなり立ち上がったのがよく解るエピソードですが)、現在は観光地にある顔出しパネルのような感じ。実に動きにくい。そして本日、風が無くて良かったと思う。この先、シリスギ仙人のプロフィールには「弱点:風」となってしまうのではないかと。

ちょっと精神的にスタートからグッタリした部分もあったわけですが、まず最初に番組内で「シリスギ仙人に扮する杉村とはどんな人」という説明のためのカット撮影。シリスギ仙人ではなく、素の杉村としてこれまでに出した本なんかを手にポーズをとる。
というシーンを湾の漁船停泊地の隅っこで撮影したのですが、実は極度の高所恐怖症なので、普通の人でも別段恐くないと思われる場所でも、岸ギリギリに立つって事でもビビってしまうのだ。ちょいと引きつりながら撮影。かぶり物で恥ずかしいってのより、高所がNGなのだ。
などとここに書くと意図的に高い処での撮影を入れてきそうな気もするが、みのりんと広告代理店Gさんは船がNGという話も聞いたので「もし高い場所の撮影を無理矢理入れたら、船での撮影入れるからね」という事なのだ。(と言いつつ、高い場所での撮影予定を自分で入れているんだよなぁ…、某所の説明でしょうがなく)

その由比漁港名物のお店は10時開店なのですが9時半にはすでに長蛇の列。
さっそくそこを使って撮影開始。
静岡県外からのお客さんも多いのですが、静岡県人にはみのりんは人気者で「写真いいですか?」みたいな声がかかる。その後でポツンとわけの解らないかぶり物をした自分は佇んでいるわけです。
今までラジオだけで顔が知られていない上、今回が初ロケなのでシリスギ仙人というキャラも誰も知らない。ただの「変な人」という扱いなのかもしれない、あるいは芸人と見られたのかもしれない「でもあの芸人、面白くない」という印象だったかもしれない。まだ色々な道は険しいのだ。って芸人は目指していないっす。

実は、このコーナーではみのりんも、Web展開している『ラブいぜ!しずおか』の中に出てくる女の子ミノリンの服を着て、頭にもデッカイ花を付けて…と派手な恰好をする予定で、みのりん本人も色々アイディアを出していたのですが、番組上層部から「小沼みのりは番組の顔で、堅い真面目なニュースを読むので変な芸人臭を付けちゃダメ」とダメ出しされ、普通の服装になってしまったのです。「せめて髪の毛に花でも」というみのりんの提案も「ダメッ!」となったワケですが「その代わりにシリスギ仙人はなんでもあり」という事だそうで。
だから芸人じゃないってば。
でも、この現場に来て撮影が進んで思うのは「二人とも突拍子無い服装だったら、かなり痛いコーナーになったかも知れない」という事なのだ。痛いのは私一人で結構。

その後も撮影は階調に進み、あっちに行って撮影、こっちに行って撮影。
基本的な原稿は自分が書いているのですが、それをさらにみのりんがテレビ的にカット割りや後でナレーションを被せる事を考慮して手を加えたモノを渡され、丸暗記して喋る。
ラジオでは原稿はあるんですが、その都度、書き言葉と喋り言葉で微調節しつつ、スタジオの展開に合わせて順番を変えたりそれなりにアドリブを加えるんですが、今回の番組はコーナー時間も色々含めて5分という事なので(半日ロケで5分ってのもやはり凄いよなぁ)、台本はビシッと厳守でいくのだ。

ちなみに『ラブいぜ!しずおか』はこの先、色々な展開をしていく予定なのですが、その一貫のノベルティとして『限定うまい棒』を制作して、本日撮影に協力してくれた方々にお渡ししました。
非売品なのでかなり貴重品。で「限定品って味は静岡がらみで、ワサビかなぁ、温州ミカンかなぁ、ウナギかなぁ」とか言っていたのですが、味は残念ながらフツーの野菜サラダ味でした。パッケージを作るのはすぐ出来るんですが、味まで作るとなったら大騒ぎになるので、残念ながら。

その後、漁港近くにある大衆食堂「おふくろ亭」へ移動して最後の撮影となった。
本当はそこで二人で美味しそうに食事をしてニッコリという観光案内を含めたコーナーの終わり方の定番を撮影しようとした処で問題が発生してしまったのだ。
シリスギ仙人の恰好をした自分は、その状態では食事が出来ないという事が判明してしまった。その結果、ラストカットはみのりんが一口食べて「おいし〜い」と言いつつ、最後にカメラに向かって番組の決め言葉「ラブいぜ!」と決めるとなった。
その時シリスギ仙人は何をしているかというと、隣の席に座って意味不明にニッコリ笑いながらみのりんの話を聞いているという事になってしまった。なんか挙動不審のかぶり物男なのだ。
あとは編集作業でどんな事になっているかを祈るしかないのだ。
もしかしてCG処理で、その場にいない人になっていたらどうしよう。

その後、来週分の打合せをして、ついでにそこから2時に電話でラジオ出演をする。本日は「イブニングeye」の中で放送するコーナーの撮影という事もあったので、その番組内でも放送されている「ヤン坊マー坊天気予報」をテーマにしての話。途中「実はとなりにみのりんもいるんですよ」と言うことでチラッと出演してもらったのですが、みのりんはテレビでのニュースキャスターの時と、ラジオのパーソナリティの時とキャラをキッチリ使い分けているということで「いきなりだったのでテンションを上げきれずに、テレビ用の喋りをしてしまった」との事。
そういう意味では、杉村もテレビの時はもうちょっとハッチャケた方がいいか?などと思っているのだが、どうやらいつものキャラの方がイジリがいあるらしい。
それでいいのか?

その後、みのりんは3時までに局へ戻る(夕方6時台からの「イブニングeye」に毎日出ているので)との事だったので、自分もまだ放送している「らぶらじ」のスタジオに顔を出そうかな…、と思っていたのですが初ロケ&太陽光線にやられて、体力的にグッタリしてしまったので「静岡駅で降ろして下さい」という事で、そこで本日の仕事終了となった。
いや、マジにこれからの急務は『体力をつけるのだ』という事かもしれない。机上の青白い雑学野郎は卒業なのだ。とりあえず静岡県内だけでも「実際に行った見た触れた」という事でいくのだ。
とりあえず5月1日「SBSイブニングeye」の5時20分頃で『来週からこんなコーナー始まります』という説明があり、本日撮影分は5月8日同時刻に放送なのだ。
(本日のブログの画像は後にアップするかもしれませんが、自分はイッパイイッパイで写真撮影をほとんどしてなかったっす)

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2009年4月28日 (火)

テレビ的な雑学とは?

この2年間ラジオで雑学を語り続けて解った事は「メディアによって相応しい雑学というものがある」という事なのだ。


2009042801メルマガで10年間(その前のパソ通時代を含めると15年以上)雑学周辺をウロウロして、それなりに受けているという実感の元、多くの雑学を書き散らしてきた。
その中で、徐々に自分に合った書き方を模索して、ある程度カタチになったなぁという処で「トリビアブーム」に巻き込まれ、ほぼ同時に単行本『知泉』を2冊連続で発行し、その後色々な事や、様々な事や、悲喜交々な事が起こったり巻き込まれたりしながら、雑学者生活を続けてきた。
おそらくその時点で「自分のスタイルは完成した」と思っていたワケですよ。雑学の紹介の仕方はそれが最良だと。

しかし、その勢いでラジオの仕事を始めると、それまで積み上げてきたモノが必ずしも完璧ではないという事に気が付いた。ラジオのリスナー、しかも真っ昼間の番組という事で、ネタのジャンル制限、内容制限という壁を感じたのだ。
自分が面白いと思っていた部分が「面倒くさい話」なので使えない。さらに普通に昼間ラジオを聞いてくれている人には興味ないジャンル、たとえばビートルズの話題は大丈夫だけど、ローリングストーンズの話題はちょっと…、手塚治虫の話題は大丈夫だけど、細野不二彦はちょっとね、とか。

2009042802あとラジオは言葉だけなので漢字の話題とかも弱い。あと数字に関する雑学も凄く難しい。
やはり文字で読むような感覚と違うという事を痛感しているのだ。
ついでにラジオは片手間に聞いている部分もあるので、小難しいネタなんかはパスって事になってしまう。
しかし2年間やって来て大体の感覚は掴めたと思っている。

でもって今回のテレビの仕事なのだ。
これがまた新たな悩み山積みで、今までダメだった漢字などに関した雑学は逆に使えるようになった。画像があるってのは本当に便利なのだ「ではこの2つを見比べてみましょう」と現物を出せばそれで全てを理解させる事ができるのだ。あと「無茶苦茶デカイ!」というモノだったら、画像で提示するだけで説明はあんまりいらない。
が、今度はその画像というのがネックになってくる。つまり、何も考えずに雑学的に面白いからと適当に取り上げても「画面が地味」という部分で、ちょっとテレビ的にどうなのよ。という展開になってしまうのだ。

2009042803そういうワケで、今回の「SBSイブニングeye」の金曜日『ラブいぜ!しずおか』での取材先を自分が選ぶことになっているのですが、なかなかネタ的には「世界一なんですよ!」とか「実はこれ日本初だったんですよ!」と言葉では静岡県を大いに自慢できるネタなのに、どうしても「絵的に地味」だと困ってしまうワケですよ。どうやって画像として盛り上げようかと。
単純に「雑学」って事で、どこで発表しても同じように見えて、メディアによって切り口を変えて行かなくてはイケナイってのは難しいと、痛感している。
そんなこんなで、メディアに出ていない時に直接対面した相手に「ほほう」と思われる雑学というのも、またひと味違ってくるのかもしれない。

2009042804原稿を読むんじゃなく、暗記しているモノをサラッと言えるってだけで感心される事もある。これはちょっと雑学の本質とはズレていくかもしれないけれど、例えば子供の頃「東海道線の駅名」とか「円周率」とか「歴代天皇」とかをスラスラ言えるだけで「凄いジャン」となる。
例えば、自分がいま資料を見ずに書ける暗記物としては
「サラブレッドとよばれる血統書が付けられている馬のルーツを辿っていくと3頭の馬のどれかに辿り着く、その馬とは「ダーレーアラビアン」「ゴドルフィンアラビアン」「バイアリーターク」の3頭」
というネタで、この3頭の名前をすらっと言えるだけで「へえ」と感心してもらえる。(んじゃないかと)
ネタ的には「サラブレッドは3頭の血統に辿り着く」というのは、定番雑学なんですけどね。
あと日付なんかも付け加えると雑学の信用性が増し、こいつ出来るという印象が加わる。
でも危険なのは「その場で確認出来ないのでウソなのかどうか解らない」という部分があって、適当カマしている人もいたりするって事なのだ。

2009042805_2中には「数字を言うと信用する」とばかりに実際は覚えていないのに適当に飛ばして語っている人もいると思う。(基本となる部分も適当でって人もいるけど)
実際に適当カマしている人に遭遇した事もあるけど、そう言う時は訂正していいのかどうかを悩んでしまう。
適当カマしているって状態じゃなくても、他人が語った話題を訂正するのは勇気がいる。
先日も打合せで「ガッツポーズというのはガッツ石松が」とチラッと話題に出た時に、ついつい「実は…」という事を言い始め、その語っている最中に「ワザワザ必死にその説明しなくても」という部分が脳裏をよぎりはじめ、途中で気持ちが軽く折れてしまった事もあったりしたワケで。

2009042806そんなこんなで「雑学」という事だけで、色々と考えてしまいつつ、テレビで見て面白い雑学を探究し続けるのであった。

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2009年4月22日 (水)

ゆるキャラと、ばらちらしと、おいちゃんと私、の一番長い日

200904220213日の雑記で書いた進行中の新聞&Web、そしてテレビでの企画なんですが、本日、最終的な感じの打合せで静岡まで行ってきました。
三島駅から静岡行きの新幹線に乗る時、ちゃんと「静岡駅止まり」というのを確認してから並んだのに途中で不安になって「もう一度時刻表を確認して…」と再確認しに行ってしまった私であります。
で、本日の打合せは静岡新聞社で行うのではなく、駿府城にちょっと近い場所で。
静岡新聞社の担当さんから「本日予定の関係で伺う事が出来ませんので、杉村さんよろしくお願いします」とのメールを貰っていて「なんてこった」と思いつつひとりでトボトボと駅から歩いて伺う。


2009042211ちょっと早く付いたので、去年の夏にイベントをやった『新静岡センター』が取り壊されている現場を見学。昭和30年代の一番建造物のデザインがシャープで機能的だった頃の建物が壊され始めているのだ。ちょっとしんみり。
予定時刻の2分ほど前に到着し、打合せを…と思っていたら「もう少ししたら小沼さんも来ますので」とのお話。あ、一人じゃ無かったんだ、と一安心なのだ。考えてみれば、今日の打合せはテレビの話がメインなので、新聞社は関係なく、小沼みのりんが一番深く絡むのでメインはそっちだよなと納得。
その打合せでは「この企画の事はどのタイミングでラジオやブログなんかで発表しちゃっていいんスかね?」という話になり「あ、別にもう発表しちゃっていいっすよ」という返事をいただきました。
という事でやっと正式発表しちゃいます。

この春から始まった静岡放送の夕方の情報&報道番組『SBSイブニングeye』の中で、5時台に毎日レポートコーナーなどがあるのですが、金曜日は小沼みのりんがメインキャスターとして全編仕切るという事から「何か目玉になる企画を!」という事でアイディアを練っていたのです(本当は番組開始当初から始まらなくてはいけなかったのかもしれませんが)。で、自分の知らない処で杉村を使って「テレビ版うんちく劇場」というワケではないのですが、何か出来たら…と思っていたそうです。
と、いう話と別に3月から静岡新聞社が「静岡を知ろうキャンペーン」としてWeb連動の企画を立ち上げ、それに杉村が執筆者としてあげられていたのです。
つまり、その2つの企画、どっちも杉村が知らない処で動き始め、杉村が参加するという前提で進んでいたワケです。

2009042212忘れもしない3月13日、私の誕生日なのですがこの日に、ラジオ「らぶらじ」のディレクターがメールで『静岡新聞社が、紙面を使った広告のお仕事を杉村さんにお願いしたいとの事です』という、やけにあっさりした仕事依頼を受けたのです。
こっちも、時々新聞の下3分の1ぐらいを使った自社広告みたいなのがあるのでそんな感じのモノかな?ぐらいに思って、かなり軽く「いいっすよ」と仕事を受けたのです。それが、今に繋がるどでかい誕生日プレゼントになるとは思ってもいませんでした。
次第にそれが1回限りのモノではなく、新聞紙面とWebを連動させて、1年をかけて続ける「静岡をもっと知ろうキャンペーン、もっと自慢しちゃおうキャンペーン」というモノだと言う事が解ってきて「こりゃいい加減な気持ちじゃいかんぞ」と思ったワケです。

初めての打合せが3月23日(月曜)で、いわゆるプロの現場という緊張感を味わったのです。そしてその高揚感のまま、いつもは電話出演している「らぶらじ」に生出演する事になり、その直前の昼食で前回の雑記に書いたように、自分が「新聞社企画の打合せをしてきた」という話をし、みのりんが「イブニングeyeの企画を現在考えている最中で」という話をしたのです。
その後は、コツコツとWebに掲載する文章などを書きつつ日々を過ごしていたのですが、前回の雑記にも書きましたが、4月8日に「来週の月曜日に打合せがありますから来て下さい」とメールを貰い、そこに「小沼みのり」という名前が書かれているのを発見し「これは…」と企画がコラボしていった事を知ったのです。
スタートラインからそうですが、まったくもって杉村が知らない処でどんどん話が進んでいるワケです。
という事で、やっと本題に入れますがこれが今までの経緯。

現時点で一番大きな話として、5月から「SBSイブニングeye」の中で『ラブいぜ!しずおか』というコーナーが始まります。
6月に静岡空港が開港するという事で、県外だけではなく海外からも直接静岡にやって来るお客様を迎え入れるために「こんなに静岡は凄いんだよ、素晴らしいんだよ」という事を自慢するという事で「静岡県人も意外と知らない静岡」を紹介する趣旨のコーナーなのです。
まさか静岡空港なんていうデッカイ話題に間接的にでも自分が関わるとは思ってもいなかった。

でも「静岡の名産自慢・名所自慢」みたいなモノはこれまでテレビやラジオや新聞などでやり尽くしたので、それだけじゃ面白くない。自分じゃなくてもいいじゃん、と思うワケです。
そのために、それをちょっとズラした観点から雑学を披露するという事を考えています。ちょっとハードル上げすぎで、棒高跳びレベルのハードルがいくつも並んでいるように見えてしまうのですが、やりがいはあると思っています。
単行本『静岡県の雑学』でもやった手法なのですが、静岡テーマの雑学のように見えて、ちょっとズラしていくというのは、話の広がりを創る意味ではありだと思っています。

最初、本日の22日は直前の台本を煮詰める作業で、明日の23日に初ロケに出かけ、1週間後の金曜日5月1日からスタートとなっていたのですが、諸事情で5月1日はコーナー内で企画意図の紹介「来週から始まりますので、乞御期待!」という告知になるそうです。
初ロケは29日で、初放送は5月8日だそうです。
現場に小沼みのりんと杉村がロケに出向き、そこで「○○について教えて!」「実はね○○は…」と会話をするワケですが、その台本原稿も杉村が書くので、これも毎週の仕事として忙しくなるのだ。つまり月〜木曜はラジオ、金曜はテレビという事です。
しかし、現在どうなるのか…という最大の懸念が「杉村はシリスギ仙人というキャラに変身する」というとんでもない設定があるのだ。

2009042201一番最初の「静岡新聞とWebの連動企画」としてあったのが『なるほ道場 ラブいぜ!しずおか』というモノで、アニメで書かれた「なるほ島」にある「なるほどの塔・五名答」に納められた書物を書いた何でも知っている「一本杉のシリスギ仙人」というキャラ。
このシリスギ仙人が書いたとされる書物を書くのが自分の担当だったワケです。つまり、シリスギ仙人というペンネームで原稿を書いているような状態。
それがテレビ連動の企画となった処で変な事になって「その番組でうんちくを喋るのも当然シリスギ仙人だよね」という事から、自分がテレビに出る時には「シリスギ仙人」というキャラのコスプレをする事になってしまったのです。

2009042204で、そのコスプレの話は前回の打合せでも出ていたのですが、その時からマジっすかという状態だった。コスプレというより「ゆるキャラ」なのだ。
今日の打合せでも、まだ現物は出来ていないけど完成予想図や粘土製のミニチュアなどを見せられ、絶句……………。
その数秒、私の頭の中にはこれまでの人生の楽しかった事や苦しかった事が走馬燈のように巡り、あぁあそこでこうやればよかったという自責の念や、あんな事でも振り返ってみればささやかな幸せだったのだなぁとキュっと胸が締め付けられるような想いがグルグルと…。あぁ私はこんな事をするタメに生まれてきたのだっけかなぁ。この2年間の努力が結実する着地点はこんな処だったのかなぁ、と深く深く考え込んでしまったのだ。
そんな苦悩も「杉村さんおいしいじゃん」の一言でサラっと流されて「決定稿」となってしまったのだ。いや自分は名刺にもとりあえず刷っているように「雑学系ライター」という肩書きなんですが…。
でも、これも人生だ。もっとこの先努力して、色々有名になった時に「杉村さんもデビュー時にはこんなカッコしていたんですよね」「うわぁ辞めてくれよお」と嫌がってみせるための壮大なる前振りって事でガンバルのだ。
色々細かい打合せをして「てことは、放送までに台本をガシガシと書かなくちゃいけないのだ」という裏方的な真面目な作業をする話も出た。この台本を書く作業と、演者としての仕事が同時進行ってのも大変なのだ。

2009042203打合せ後に吉野寿司という店で昼食となったのですが、そこの「ばらちらし寿司」が絶品!普段、食に関して淡泊な自分ですが「あぁこういう食べ物は本気で幸せな気分になるなぁ」と思いつつ「でも毎日食べていたら人間としてダメになるかも知れない」などとも思ってしまったのだ。基本的にストイックが信条なので。
と言いつつ、この先『ラブいぜ!しずおか』のロケ先などは基本的に自分が決める事になるので「やっぱ、旬の美味しいモノを食べるロケがいいよなぁ」などと考えたりもしているワケです。
奥の座敷席に座った処でお店の方が小沼さんを見るなり「あらっ!まぁぁぁぁ」と驚きつつ、パァァと顔の表情がほころび「いつもテレビで見てます」と感激の声を上げる。あぁこれが有名人を見た時の反応ってやつかぁ「えっと第一テレビですよね」「いえSBS静岡放送です」という会話がありつつ「あらごめんなさい、野路さんと一緒に出てらっしゃる」「はいSBS静岡放送です」という応対が続く。やはりテレビに出るって事は色々と顔がばれてしまうって事で大変なのだなぁと思うのだ。
でもって、昼食終了後、みのりんが1時40分までにSBSに戻ってニュース読みのスタンバイがあるという事で一緒に局へ。

2009042213自分がラジオのスタジオに向かった時、すでに番組は始まっていたのですが、なんかいつもとスタジオの雰囲気が違っていて、番組に関係ない人がまばらにいて、ザワザワしている。いつもはスタジオの外に人がいても2人程度なのに、今日は10数人が無意味に立ち話をしていた。
実はこの日「らぶらじ」にはゲストが2組来るという事になっていて、まず1組目が映画『BABY BABY BABY!』のプロモーションとして観月ありささん&山本ひかるさん。そして2人組目として9月に行うイベント「秋なのにサマーピクニック」のプロモーションで南こうせつさんが来るという事になっていて、スタジオ周辺に直接番組に関係ない人が物見遊山でザワザワと集結していたのだ。

2009042205_2観月さん一行は1時40分頃からのコーナーに出演ということで、自分がスタジオ入りした直後にやってきたのですが、テレビで見ても「スタイルいいなぁ」とか思っていたけれど、実物はもう形容しようがないほど「人類として別ジャンル」という感じですな。
スタイルとか、顔の小ささとか、ハッキリと「芸能人オーラ」というモノを感じましたよ。
と、スタジオに入ってトークを始めた時、ふと後を振り返ると「こんなにここ人間が入れるんだ」と思うほど更に人が溢れ、スタジオの外は人だかりになっていました。全部で60人以上はいたかな?
テレビ局、ラジオ局、新聞社が1つになっている建物で「オマイら、とりあえずマスコミ側の人間だろ、そんなにがっつくな!」とか思ったけれど、実際に観月ありさという人物を見ると「いや、眼福眼福」という感じでした。
おそらく事務系の仕事をしていると思われるような若いお姉ちゃん達が大挙してやって来ていた。
ついでに「日本一絡みずらいアナウンサー」とSMAP中居君に命名された牧野克彦アナもいた「いやぁ見学者の数、凄いっすねぇ」アンタもその要因ですがな。

2009042206で、そのごった返している最中にもう一人のゲスト、南こうせつオイチャンがスタジオ登場。自分の世代だと南こうせつさんはオールナイトニッポン木曜日パーソナリティで愛称「オイチャン」でやんす。
おそらくオイチャンはスタジオに到着した時にビックリしたと思う。
なんせ自動ドアが開いた時、そのフロアには明らかに出演者じゃない普通のスタッフがひしめき合っていたワケで(当然オイチャンはその時点では観月ありさ目当てだと知らない)。しかもその人々がオイチャンが入ってきた瞬間「アッ南こうせつ!」と驚き、モーゼの十戒のごとくザザザッと左右に分かれて奥にある控え室までの道を開いたのだ。さらに何故か拍手がわき起こり、なんだかよく解らないけど「いやどーもどーも」と大歓迎の中を通り抜ける事となったのだ。
オイチャンもビックリしただろうなぁ

2009042207観月ありささん&山本ひかるさんはもの凄いオーラ&もの凄いスタッフのガードもあって、近寄る事も出来ませんでしたが(とりあえず3m程度の距離まで)そのプロモーションが終わりスタジオ出てきた。
そこに丁度打合せを終えて出てきたオイチャンとバッタリ遭遇。観月さんがオイチャンを発見して「あっ」と手を振って近寄っていった。
ちらと聞こえたのは、オイチャンが「もう8年ぶりぐらいかなぁ」という事で、なんかよく解らないけど観月さんと握手をして、しばらくその手を離さないまま喋っていたという事。オイチャン…。
オイチャンは普通にしていてもそんなに大きくない人なんだけど、観月さんと向かい合っちゃうとその対比が凄いっす。というか、オイチャンと観月さんが立ち話をしている現場って凄いなぁ。
ニュースを挟んだ次のコーナーで自分が出演する「うんちく劇場」という事で、慌ててスタジオ入り。
で、さっきまで観月さんが座っていた椅子に座るという栄誉を頂きまして(って別に意図的に座ったワケではなく、毎回そこに座るんですが)、なんとなく残り香を感じながら2時からのコーナーをスタートさせたワケです。

2009042208コーナー冒頭のアドリブで会話をする処で観月さんのオーラについて語った後で「でも自分の世代では南こうせつさん、オイチャンはオールナイトニッポン木曜日っすよね。あの放送が確か1975年ぐらいからで中学生の自分は頑張ってラジオ聞いていましたよ。自分がラジオに生まれて初めてハガキを書いたのがこうせつさんの番組でしたから。かぐや姫解散後、初のソロシングルを出したのは忘れもしない1976年2月10日、その日に買いに行きましたよ「今日は雨」を」などとちょっと熱く語ってしまいました。
この辺はウソ偽りなく、当時は水曜がイルカさん、木曜が南こうせつさん、って感じで。(その後水曜日にタモリさんが登場するワケですが)ついでに当時、南こうせつさんのオールナイトニッポンには見習い小坊主みたいなデビュー直前の青年が出演していて、毎週生ギター一本で歌う「裸一貫ギターで勝負」というコーナーを担当していた。そのコーナーの間はこうせつさんはトイレタイムとか言っていましたが、その青年が長渕剛だったワケです。
実は、アドリブでこうせつさんの事を語っている時、ふと顔を上げるとブースの向こうで南こうせつさんがその話を聞いていたのだ。うひー!
そんなこんなでその後は「弘法大師」というテーマでいつものように語りコーナーを終了させた。

2009042209その直後、南こうせつさんがスタジオ入りして、今年の9月20日に嬬恋で開催するイベントの話題で「サマーピクニックって以前やっていたイベントを復活させるんだけど、もう自分もファンも若くないので本当にサマーに開催するとバタバタと倒れる恐れがあるので、サマーピクニックという名前なのに9月にやります」という話をしていた。
が、冒頭で「さっきのうんちくのコーナー面白いねぇ」ということから「あのファーストシングル『今日は雨』ってのは、へそ曲がりなので絶対売れないような曲ってことで重い曲にしたんだよねぇ、でも発売日に買ってくれたなんで嬉しいねぇ」などと、自分が振った話を展開してくれていた。なんつーか感激っす。

さらにてつさんが「奥さんに、今日ゲストでこうせつさんが来るって話をしたら『かぐや姫foever』というアルバムが大好きで、中学の頃、将来南こうせつさんと結婚するんだって思っていた」なんて話をしていました」なんて事で異常に盛り上がり、その勢いで「じゃ1曲」という事でかぐや姫の名曲「加茂の流れに」を歌い始めたのだ。うひーッ生加茂だ。ハッキリいって鳥肌がぞぞぞぞーっと立ってしまいました。自分の世代だと、本当に中学時代、ギターを弾き始めた時の憧れの人っすからね。

2009042210もちろん「加茂の流れに」も練習した曲で、あのイントロをいかに一人で再現するかという事に必死になってました。
でもって、途中の「あれは…初めての恋…」の処でてつさんがハモりを入れたのだ。内心、チェっ羨ましいぜ!と思った瞬間、特等席でスタジオ内を見ていた自分の背後から「あれは…初めての…恋…」というハモりの大合唱が。
ビックリして振り返ると、さきほどの観月さんを見るために集まった人々とは明らかに年齢層が違う50〜40代の人々がギッシリと観覧していたのだ。やはりかぐや姫世代は根強いのだと実感。でもって「加茂の流れ」を聞く時は当然のようにあのハモり部分は参加するというのが礼儀なのだなぁ。
オイチャンの出演コーナーが終わり、スタジオから出てきた処を思わず出迎えてしまい「感激しました」とどうしようもない程ド素人になって、他に上手く何を喋ればいいのか解らない状態で、さっきスタジオでも言った「オールナイトニッポンの頃から聞いていました」などとリピートしてしまうのだ。
そしてたまたま持っていた過去の「うんちく劇場」をまとめた小冊子を2種類渡して「これ読んで下さい」などと渡すのだ。まじにアホな田舎の中学生に戻ってしまった感じなのだ。痛い痛い。
しかし、こうせつオイチャンは「いやあさっきの弘法大師のうんちくオモシロかったよぉ」などとあのハイトーンボイスで言ってくれるのだ。うひー!

でもって「記念に写真でも撮ろうか」という事を言い出してくれて、スタッフ一同で記念写真を撮ってくれたり、ラジオなどのキャラどおりに気さくなオッチャンという感じで、いやあ「今日、来てよかったぁぁぁ」なのだ。
番組スタッフも「今まで来てくれたゲストの中でも最高にいい人だよね」という事で「あんまり南こうせつさんって知らなかったけどファンになったぁ」と言う方もいたほど。
そんなこんなで午前中の「よっしゃ頑張ってゆるキャラになるぞ」「テレビ台本を頑張って書くぞ」という一大決意と同時に、午後の「南こうせつオイチャンに褒められちゃったよぉぉ」という、異常なテンションのまま新幹線にも乗り間違えず帰宅したワケですが、予定外に気力を使い切ってしまい、何も出来ずに意識を失うように眠り込んでしまったのだ。

思わず長文を書いてしまいましたが、マジに長い一日だったっす。
おっと、忘れちゃいけない。Web展開を始めた『ラブいぜ!しずおか』のサイトでやんす。

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2009年4月13日 (月)

チコとビーグルス「帰り道は遠かった」

チコとビーグルス「帰り道は遠かった」
作詞.藤本義一/作曲.奥村英夫/編曲.寺岡真三
1968年12月/¥370
ビクターレコード/SV-785


200904131物語には「巻き込まれ型」という形式が存在する。
主人公は至極真っ当な人物で何も間違った事はしていない(スケベだったり、山っ気があったりする場合もあるけど)、それまでごく普通の生活を送ってきた。そこにある日、ひょんな事から事件に巻き込まれ、意図しているワケでも無い方向へと押し流されていくというパターン。
例えば藤子不二雄のテレビシリーズになるような漫画はこのパターンが多い。さえない少年の所に万能だけど抜けている所もある未来のロボットが送り込まれてくる「ドラえもん」、他にも「怪物くん」「オバケのQ太郎」「ウメ星デンカ」などなどがそう。
もちろん、現実問題としてそんな異形の物体が実際に出現するワケではないけれど、その手の事件はよくある。
有名な所ではゴミだと思って拾ったら1億円だった大貫さんの事件とか、もう本人の意志とは関係無しにドラマの中に巻き込まれていってしまうのだ。
そんなこんなを実感しつつある。

まだ明確な事は言えないのですが、先月の中旬にいきなり静岡新聞社の年間を通しての企画に参加する事になり打合せをしたのですが(その話も自分が関知していない処ですでに進んでいて、断る事が出来ない状態でのスタート)、それとは別の話として打合せに出たついでに静岡放送(SBS)のラジオ「らぶらじ」に生出演することとなった。
午後1時に番組がスタートするのですが、その直前の昼食時に、SBSの社員食堂でアナウンサー小沼みのりんからいきなり「4月から始まる夕方のテレビ番組イブニングeyeの金曜日のコーナーを考えているんだけど」と杉村出演の企画を持ちかけられてしまったのだ。
持ちかけられてしまったという感じではなく「もうほぼ決定でそっちの方向で動いてるから出てよね、っつーか出ろ」という強制参加という感じで。
なんですとぉ!と思ったのですが、最近自分は「腹をくくる」というのを肝に銘じて日々を過ごしているので「お願いします」と了承したのだ。

それから約1ヶ月、その間も静岡新聞で始まる企画に関して原稿を書いたりしつつ、それなりに忙しく日々を過ごしていた。
やっと「原稿書き」というライターっぽい仕事が出来るようになった!と、別にラジオで毎日しゃべる事に不満があるワケではないのですが、子供の頃から文章が好きだった人間としては感無量だったワケです。やっとライター仕事がスタートしたのだ。この仕事を成功させて、ステップアップするための足がかりを作るのだ!
そんな中、先週の水曜日に静岡新聞社の担当さんからメールが送られてきた。そこには「月曜日にSBSで打合せがありますので、お越し下さいませ」と書かれていたのですが、出席者の名前の中に「小沼みのり」という名前もあって、文面を読み返してみると「SBSテレビでの展開も」という文字があったのだ。
うぬぬぬぬ、という事でなんとなく「マジっすか」と思いながら月曜日にSBSに出かける事となった。

「らぶらじ」の打合せ時間に到着し、打合せ終了後に小沼さんに話を聞くと「新聞の企画とテレビの企画がコラボして、その中心キャラとして杉村さんをフューチャーする事になりました」という衝撃的な事を言われたのだ。
なんですとぉ!自分はこれまで信条として『出来る限り目立たず波風立たないようにひっそりと』という事を標榜して生きてきた人間なのだ。さて困った。でもどうやら「YES,NO」の選択権は自分にはなく、すでに企画は90%組上がっており、しかもテレビの収録も切羽詰まっている状態らしい。
え〜い腹をくくれ→俺。

ラジオが終了したのは4時、その後ダラダラしつつ解散したのですが、打合せは夜の7時半から。小沼さんが月〜金曜日の帯で出演していている「イブニングeye」が終了するのが6時近くなので、その後テレビの打合せなどを終了させた後での、こっちの打合せ会議という事なのだ。
時間があるので、歩いていける距離だというので時間つぶしとして竪穴式住居が発掘&展示されている「登呂遺跡」を見学。
まだ時間が余っているので、ショッピングセンターAPITAでウロウロ。と、電気店のディスプレイTVで「イブニングeye」が放送されていて、たった今まで話をしていた小沼さんがキャスターとしてまったく別人のようなキャラで出演している。なんか変な感じなのだ。
と感じると同時に、この番組に近々出演する事になるのか、テレビの中の人になるのか……と全然想像出来ない事に巻き込まれている自分をリアルに考えられずに立ちつくしてしまったのだ。

7時半、SBSのスタジオで静岡新聞社の方と小沼さん、そして広告代理店の方が集い、番組の方向性や企画意図などを煮詰めていった。
自分はテレビ制作の現場なんてのは今までまったく知らない人間のですが、そこではいきなりこの先とりあえず1年間の取材スケジュール(どんなテーマでどこへ行く)などを自分が決めて、そこで語る話題も自分が原稿を書いて、自分で喋る。という事を託されてしまった。いいのか、こんな業界素人の人間がどんどん決めても(当然ダメ出しもあるだろうけど)。

で、最重要事項としては出演に際して自分の衣装という物がすでに決まっていたのですが…、それはまだここでは書けないトップシークレットなのですが「マジッスか」という物。おそらく自分の地味なキャラとは対局に位置するような衣装かもしれない。というか「衣装」と呼んでいいのか? という状態なのだ。
この2年間、ラジオを通して築き上げてきた「うんちくの人・杉村」というイメージを粉砕してしまいかねない衣装なのだ。自分もそんなカッコはした事がない。
え〜い腹をくくれ→俺。

内容自体は、ラジオの「うんちく劇場」のテレビ版みたいな感じにはなると思うんですが、その淡々とした内容を打ち消すようなビジュアルが展開される事となるのだ。
ということで、これから毎週木曜日に収録として静岡県内を飛び回る事になります。と言っても、その取材日記を書き残したいと思うけれど、放送の関係もあって(木曜収録で放送は翌週の金曜)色々とタイムラグが発生すると思います。
でも、見事なほどの「巻き込まれ型」の人生だなあ。

打合せは9時半頃までかかり、その後、アナウンス室にいた國本さんに挨拶&報告。現在の自分があるのは國本さんのお陰なので感謝しきれないほど感謝しております。そういう意味でも、今回の話は成功させなくてはいけないのだ。
ということで、静岡駅まで送ってもらい帰途についた。
と言う所で本日の話が終わるハズだったのだが、どうしようもない自分は変な形で物語を展開させてしまうのだ。

朝、三島駅近くの駐車場に車を停め、新幹線で静岡駅に来ていたのですが、その駐車場は夜の11時50分までの営業となっていた。とりあえず時計を見ると時間は10時をちょっと回った処で、三島まで約20分なので充分余裕あるなと気が楽になり、本日のデッカイ話に「ついに来ましたか、俺様の時代が」などとちょっぴり慢心してみたりもするのだ。
ふと見ると「東京行き、22時10分発」という表示板が目に付いたので、おぉジャストタイミング、やっぱ上手く行っている時は何もかも上手く行くんだな、待ち時間無しジャン!と階段をトトトットと駆け上がり、ちょうどホームに滑り込んできた新幹線に颯爽と飛び乗ったのだ。
しかも2人掛けの席がちょうど空いている。
何もかも順調、こりゃ幸先いいねえ、と座り込んで行きの時に読みかけていた文庫本を読み始めた。
高田崇史著『試験に出るパズル』という推理小説なのだ。『QEDシリーズ』の作者による連作理数系推理小説なのだ。(NHKでドラマ化された『Q.E.D. 証明終了』の原作だと思っていたのですが、そちらの作者は加藤元浩さんだとコメントで教えて貰いました。ありがとうございます)
思わずぐぐぐーっとのめり込んで読んでいたのだが、ふっと気が付くと時計の針が10時40分を指していた。え?静岡から三島駅って20分ぐらいのハズだったのに…。

という処で瞬時に自分が置かれている状況を把握して、ザーッと顔面蒼白、血の気が引いていくのを感じた。もう、顔から血が引いていく音が太ゴシック60級で背後に描かれているのを感じ取ってしまったのだ。
つまり今自分が乗っている新幹線は三島に止まらないで東京駅まで直行って事?
で、今ここはどこら辺を走っているんだ? と思って窓の外を見ても真っ暗闇にどこなのか解らない街灯り。時折、どこかの駅を通過するのだが、駅名を確認できないスピードで通り過ぎる。
このまま東京駅までノンストップだったら、おそらく東京駅には11時10分前後に到着する計算になる。そこで丁度折り返しの下り新幹線が存在していたとしても、三島駅の駐車場が閉まってしまう11時50分までにたどり着けるのだろうか。それ以前に、この新幹線が最終で東京駅から下りの新幹線が無い場合は東京駅で野宿をしなければいけないという事なのか。あるいは運良く三島駅に辿り付いたとしても、駐車場が閉まっていた場合は翌朝の営業再開まで三島駅周辺で野宿なのか。いや三島駅まで辿り付けば、金がかかるけれどタクシーで帰るという選択肢もある。そうだ、東京駅まで辿り付ければ、新橋に住んでいる友達の処に転がり込むという手もあるじゃないか、と思ったけれど運悪く、新橋に住んでいる友達はつい先日引っ越しをしてしまいハッキリ住所を把握していないのだ、さてどうしよう。
などと改行する余裕もなく、脇汗をジットリとかきながら脳みそをフル回転させていた。

もっとも、どう考えようとも現状を脱出する手段はないのだ。大昔どっかの代議士がいきなり地元に立ち寄りたいという事から新幹線を途中で止めたという事件があったけれど、そんな事は到底できないのだ。
と思っていた処で10時50分頃、新幹線が減速を始めた。そして車内アナウンスが「新横浜、新横浜に停車いたします。この先、当車両は品川、東京駅に停車いたします。次は新横浜」と言いだした。
新横浜か!えっと、現在が10時50分。静岡駅からここまでが40分。ということは、静岡〜三島間が約20分なので、新横浜から三島までが少なくとも20〜30分という事になる。てぇ事は11時50分までに三島駅に到着するためには11時20分までに下り新幹線があればなんとかなる!
とむりやり楽観的な計算をして、まだ減速中だが席を立ちあがりスタンバイし、ドアが開くと同時に下りホームへと猛ダッシュをしたのだ。

新横浜と言えども11時間近の新幹線ホームは閑散としていた。今日は昼間ちょっと暑いなぁと思っていたけれど、それなりに厚着をしていて良かった。
ふと頭上の掲示板を見上げるとそこには、神が降りてきたかの如く、祈りが通じたかのような文字『23時06分発、三島行き』と書かれていた。
おぉ神よ、こんな無信仰者の私にも救いの手をさしのべてくれるのですね。あぁ感謝します。アーメンソーメン冷ソーメン。もしこの場に宗教勧誘者が出現したら思わず入信してしまいそうな勢いで安堵したのだ。
詳しい時刻表をチェックするとその23時06分の新幹線が本日の最終新幹線で、三島着が23時39分となっていた。という処で「そりゃそうだよな」と思う結論に行き着いた。
三島駅の駐車場が閉まる時間ってのは当然のことながら電車の時間とリンクしているのだから、最終電車が到着して数分後って事なんだろうな。
いやぁ勉強になった。

その新横浜駅で最終新幹線三島駅行きを待ちながら思わず心の中でチコとビーグルスが歌っていた「帰り道は遠かった」を口ずさんでしまうのだ。
帰り道は遠かった、来た時よりも遠かった♪
あぁそう言えばこの曲、幼少の頃に聞いてからずっと頭の中に残っていたんだけどピンキーとキラーズの曲だと記憶違いしていたんだよなぁ。ピンキラのベスト盤を聞いてもこの曲が入っていなかったので何故なんだろうと思っていたっす。
帰り道は遠かった、来た時よりも遠かった♪
好事魔多し、慢心せずに慎重に精進せよ→俺

YouTube「帰り道は遠かった

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2009年4月12日 (日)

『鴨川ホルモー』のスポットCMは間違いでは?

2009041201映画「鴨川ホルモー」のTVスポットとして売出し中のコンビ「はんにゃ」が出ているんだけど、なんか納得いかない。
いきなり「ホルモーやろうぜ」と言いだし、大声で『ホルモーッ』と叫ぶのだ、それって違うだろ。もしかしたら映画の中では原作とは違う設定になっているのかもしれないけれど、原作から考えたらあの楽しそうにポーズをとって「ホルモーッ」と叫ぶのはあり得ない。
もっと切羽詰まって鬼気迫る表情をしながら天を仰ぎノドから絞り出したような声で「ホルモーォォォッ!」と叫ぶのだ。


ということで、映画本編から編集されたスポットも流れはじめたんだけど、決めの言葉は「ゲロンチョリーッ」らしい。うーむ、確かに原作通りに「ぎああいっぎうえぇ」ではちょっと映画的に無理があるか。
原作は純粋に馬鹿馬鹿しくも清々しく、小説のジャンルとしては青春物から何かがはみ出しているし、ウォーターボーイズやスィングガールのような1つの目的に向かって仲間達と突き進むって話としてもはみ出しているし、単純に説明出来ないけれど、とにかく荒唐無稽でありつつリアルな大学生の青春物語になっている。

2009041202個人的には「早良さんそりゃないっすよ」って感じなんですが、青春という役立たずの痛い部分を呼び起こさせながら、ラストへ向かっての盛り上がりは危機一髪と一発逆転と予想外の結末と、ムチャ熱い。
映画も面白そうではあるんだけど(はんにゃのスポットには違うだろって感じがしますが)、やっぱ小説で発表された物はマズ最初に小説として楽しんで欲しいと思う。最初からホルモーの全体像を映画で知った後で読むとかなり印象が変わってしまいそうな気がする(そう言う意味では先に小説を読んでいると映画でのサスペンス風味が無くなってしまうかもしれないけど)

しかし映画で楠木(凡ちゃん)を栗山千明が演じているみたいなんだけど、これはちょっとイメージ違っているなぁ。

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