2009年10月30日 (金)

公開放送の未公開部分

11月3日にまたラジオの公開放送があるので、それを意識して雑学を組み立てる。
去年から今年前半は公開放送が無かったのですが、8月に久々にあり、それから9月に観客動員500〜600人という大盛況公開放送を経験し、またなのだ(さらに12月にも決定しています)。


9月ららぽ〜と磐田の公開放送より2009103001
いつもはなるべく「今日は○○○の記念日なので」とか「本日は○○○さんの誕生日なので」とか、その日に合わせたテーマで雑学を組み立てていくのですが、公開放送の時は「現場で受ける」という部分が重要視されるので、いわゆる鉄板ネタでという事になっている。
しかし「絶対受けるネタ」と言われても、すでに2年半も平日ずっと続けてきて、すでに530回を超えて喋り続けているので、昔から「これ言ったら絶対受けるぜ」なんて言ういわゆる手持ち雑学は使い切っている。
そして「鉄板」というのは通用しないというのも解っている。

とりあえず通常放送の場合、リスナーを喜ばせる驚かせるというのは当然だけど、その前に電話の向こうのパーソナリティを驚かせるというのが1つの基準になっている。
だから、月火の鉄崎さんの場合はこれに食い付いてくるだろうな、水木の杉原さんの場合はこれに食い付いてくるだろうな、と若干ネタのチョイスで内容を変えている。が、思ったほど食い付かずに「ふ〜ん」で終わってしまう事もある。こっちは「これなら鉄板」と思って球を投げているのだが。
だから「誰もが受ける雑学」なんて物の存在を信じないのだ。なんせ一人に向けて投げても鉄板にならないのだから、何人が聞いているか解らないラジオで鉄板もない。

9月ららぽ〜と磐田の公開放送より:みのりん&鉄っちゃん2009103002
そして自分が好きなタイプの雑学というのも一般的な尺度で言ったら「細かすぎてあんまり受けない」というのも認識している。
ラジオのリスナー向けという事で「ゆるく」というワケではなく、より一般的なネタでよりシンプルに説明出来ないといけないのだ。そこで扱うテーマもいかに解りやすい物、いかに生活に密着しているか、という部分にこだわる。
例えばいきなり「今日は中江兆民についてです」とか言って自由民権運動でとか、三酔人経綸問答でとか、言っても、なかなか食い付いてくれないと思う。「今日はカレル・チャペックが」とか「今日はブライアン・ウィルソンが」とか言っても、なかなかラジオ的には難しいのだ。
そういう意味で雑学ネタはまだまだ大量にストックされていて、単純計算では新規に調べ物をしなくてもまだ5年は番組を続けていける程あると思うけど、その中の半分ぐらいがラジオでは難しいネタなのかもしれない。特に、平日昼間の時間帯の番組なのでリスナーの年齢も幅広いので大変なのだ。

9月ららぽ〜と磐田の公開放送より2009103003
実は、今回の公開放送に関して言えば、いつもの2時台に出演してしゃべるコーナー以外に「放送には乗らない部分で雑学を喋る」というコーナーも予定している。
番組内で録音した物を流すコーナーがあって、その間だけ会場ではラジオに流れないような状態でパーソナリティがここだけの話をしたりするのですが、今回そこで「会場に来てくれた方だけにサプライズ雑学」を喋ることになったので、その部分の原稿も用意する事になった。基本的にアドリブっぽい感じでやりたいとは思っているけど、ちゃんと原稿は準備しなくちゃなのです。

さてはて、どうしようかというワケですが、先日テレビのロケに出た時に小沼さんと色々話をしている中で「通常番組ではとうていラジオに乗せられないネタ」という事で、ちょっとシモネタ系はどうだ? と言うことになって、記憶しているそっち系をいくつか披露した所、結構受けが良かったので「よし、そっちでまとめてみるか」と考えたです。
とりあえず昼間の公開放送なのでどぎついネタや不謹慎なネタは出来ないのでその辺はバランス感覚で「クスリと笑えるシモネタ」という事でまとめて原稿を完成させた。
が、その原稿をディレクターに送った所「やはり祭日の昼間、子供連れのお客さんも多いので」という事で全面却下になってしまった。
なかなか難しいのだ。

9月ららぽ〜と磐田の公開放送より2009103004
そうなるとこの手のネタは、以前から小沼さんなどと話をしている「夜の特別版」としてどこかで特番を組んで貰ってやるしか無いのだな。
そんな事を考えながら、公開放送のラジオで放送されない部分の原稿を考えなくちゃいけない。なかなか色々な縛りがあって難しいけれど、それも勉強なのだ。

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2009年10月27日 (火)

加藤和彦「それから先のことは…」追悼

2009102701そりゃ無いでしょ、と言うしか無い。
2009年10月17日、加藤和彦が亡くなった。62歳。
今年は5月に忌野清志郎が亡くなり、かなりショックを受けたんだけど、それ以上のショックを受けている。なんだよもう。
忌野清志郎の場合は数年前からある程度覚悟をしていた事だけど、今回の訃報は未だに自分の中で受け入れる事が出来ていない。


自殺だなんて、あのダンディで飄々としている加藤和彦には一番似合わない。
友人に宛てた手紙の中には「もう音楽でやりたい事が無くなった」みたいな事を書いていたらしいけど、昨年2008年11月には小原礼・土屋昌巳・屋敷豪太、そして元桜ッ子クラブ&セーラームーンの大山アンザ(ANZA)で結成したVITAMIN-Qでバリバリにポップで格好いい音を出していたのに。
そして今年の2月に坂崎との「和幸」の2ndアルバムを発表して、いつも以上に精力的だと思っていたのに、なんだよ、まったくもう。

2009102702自分にとって加藤和彦は色々な意味で影響を受けた人だった。
もちろん最初の出会いはフォークルの「帰ってきたヨッパライ」で、あの頃はその早回しというアイディアと天国から追い出される男の話という事で、学校帰りに同級生と無邪気に「なぁおまえ〜〜」とかマネをしていた。自分はまだ小学校低学年だった。
ヒットした年の大晦日のレコード大賞で企画賞を受賞した時、メンバーは出演せずガイコツが歌うビデオが流れたのも鮮明に覚えている。今考えれば、もうこの1968年12月31日には「1年間限定のプロ活動」が終わって解散していたんですよね。当時はそんな事も知らなかったので、テレビに出ない人達だと思っていた。

ラストのお経が「A Hard Days Night」になっているのに気づくのは中学に上がってからだったけど、同時にその細かい部分の音楽的な複雑さにも気づいた。「帰ってきたヨッパライ」も基本はCだけど実際に耳コピすると何じゃこりゃの連続。ただのコミックソングじゃ無かったのだ。
テープの回転数を変えるというのはビートルズがやっていた事もあり、その手のアナログ的に音をいじるというのはすごくビートルズ的というか、あの60年代後半という感じがする。変名バンドとして「ズートルビー」という名前を使っていた事から、ビートルズに良くも悪くも影響を受けている。
そう考えると、出だしの「オラは死ンじまっただ〜♪」と繰り返されるメロディは、ラストのお経で語っている「It's been A Hard Days Night♪」とメロディが微妙に重なって聞こえる。

2009102703公式2枚目のシングル「悲しくてやりきれない」も、これもハッキリとはリアルタイム感は無いんだけどなんとなく耳に残っていた。
後に「この曲は発売中止になったイムジン河を逆から歌った物」というのを聞かされた時に、同じようなエピソードとしてビートルズの「Because」を連想した。
「Because」はジョン・レノンが作った曲だけど、ある日オノヨーコがベートーベンのピアノ曲「月光」を弾いていた時に冗談で「逆から演奏したらもっといい曲になるんじゃないか?」と楽譜をひっくりかえしたのがキッカケで、そのメロディを元に作った曲なのだ。だから「イムジン河」のエピソードを聞いた時にそれを連想した。
ところが発表年を調べると、イムジン河が1968年3月に発売予定で、急遽作った「悲しくてやりきれない」が1968年3月21日に発売となっている。それに対しビートルズの「Because」は1969年発売の「Abbey Road」が初出なのだ。うむ、2枚目のシングルですでにビートルズより先を行っていたのか。

2009102707その後、フォークルを解散してソロ活動、プロデューサー活動を始めるのですが、今改めて聞き直すと、どの曲にも加藤和彦なりのポップ感が出ていて、何度聞いてもワクワクしてしまう高揚感がある。
とりあえず今回の訃報では世間に解りやすい功績として、吉田拓郎の「結婚しようよ」泉谷しげる「春夏秋冬」の編曲&プロデュースなんてのがピックアップされていたけど、その部分も含めて、日本の音楽を根底からレベルアップさせた功績が大きいと思っている。
個人的にはアグネス・チャンの「妖精の詩」の作曲が好き。作詞の盟友・松山猛と共にあの当時のアーティストがアイドル歌謡曲を手がけるという部分の先駆だったのではないかと思う。
誰でも楽しめるポップス、しかしその裏には職人芸がしっかりとある。そこが加藤和彦って感じなのだ。

2009102709ギターを弾き始めた中学時代、すでにミカバンドは存在していたんだけど田舎の中学生でアコースティックギターを手に入れたばかりだったのと、周囲にはN.S.P的なヘナチョコフォークを聞いている人ばかりだったので、否応なくそっちの曲を聞いて、歌っていた。
中学2年の時に教育実習として女子大生がやって来て、なんかみんなで盛り上がって「休みに家に遊びに行こうぜ!」という話になった事があった。今思えば、中学生が家にやってくるなんて嫌だろうなぁ女子大生としては。

で、その教育実習先生の部屋にあったのがサディスティックミカバンドの「黒船」だった。
加藤和彦とミカが空を飛んでいるジャケット(裏には他のメンバーも)が印象的で、さらに聞かせてもらった音が衝撃的だった。ギターなんか弾き始めて「周りの未だに歌謡曲なんて聴いているヤツって幼稚だな」とリアル厨房意識を炸裂させていた自分はハンマーでガンガン殴られるような感じを受けてしまったのだ。もう歌謡曲もフォークもそんなの関係ねーじゃん!と思ってしまったのだ。
1974年の出来事だった。

2009102704まだレンタルレコードなどなかった時代で、さらにあまり裕福では無かったのでアルバムも買えず、何曲かラジオで流れたミカバンドの曲を録音して(しかもエンディングまで録音されていない)何度も何度も聞いていた。「タイムマシンにおねがい」や「サイクリングブギ」など。そう言う意味ではあんまりちゃんとしたファンでは無かったけど。
後に購入したミカバンドのアルバムの帯には『ムーグ野郎のギンガム集団、アロハのドーナツ、ロンドン帰りのサディスティック・ミカ・バンド』と書かれている。そしてライナーノーツではトノバンではなく「将軍」というニックネームで書かれている。
(ミカバンドの歴史はかつて書いたここで)
(木村カエラ参加のミカエラバンドに関してはここで)

そしてミカバンドは1975年11月に加藤和彦とミカの離婚をもって解散。残ったメンバーが「サディスティックス」として活動を続けていた。
ちなみに1976年、浅野ゆう子が歌っていたディスコ歌謡「セクシーバスストップ」のオリジナル盤はニューヨークのファンクバンド「オリエンタルエクスプレス」のインスト物という触れ込みだったけど、実際に演奏しているのは加藤和彦が抜けた後のミカバンド(&松任谷正隆)らしい。これの仕掛け人はDr.ドラゴンというアレンジャーで、作曲はジャック・ダイアモンドという人という事になっているけど、こっちは実際には筒美京平。
この頃、自分は歌謡曲もロックもフォークもなんでも聞く人になっていて、ディスコ系の曲も大好きで聞いていたんだけど、まさか知らない所で自分が好きだった筒美京平とミカバンドが融合していたとは。その当時、それも知らずにこの曲のステップをマネしていた中学生だった。

1976年1月5日から9月28日まで加藤和彦がオールナイトニッポンの月曜1部を担当していた。
中学から高校にかけてオールナイトニッポンのヘビーリスナーだったので、この番組もかなり熱心に聞き込んだ。そして自分の中で「帰ってきたヨッパライ」そして「ミカバンド」がここで繋がった。
Wikipediaにはこのオールナイトニッポンに関しての記述がないので、書庫の奥の奥にあった『オールナイトニッポン大百科』を探し出してきてその日付を見て驚いたのが、たったの9ヶ月だったのかという事。なんかもっと聞いていたような気がしていた。(タモリが1976年10月から、北山修が変名・自切俳人でやるのは1977年1月から)

2009102705この番組をしている時に加藤和彦がレコーディングしていて、後に発売したアルバムが『それから先のことは…』という作品。それまでフォークルとミカバンドの間にソロを2枚出しているけど、ミカバンド解散後の本格ソロ始動がこのアルバムなのだ。
なんとか金をやりくりしてこのアルバムを買いました。とにかくすり減るほど聞き込んだ。というかホンキですり減った。聞き込みすぎて今でもこのアルバムに関しては冷静な判断は出来ないけど、どれも名曲だと思っている。もちろんCDで買い直してもいる。
シンガポール航空のCMソングとしても使われた「シンガプーラ」はとにかく名曲。

その後のソロ活動「ガーディニア」「パパ・ヘミングウェイ」「うたかたのオペラ」「あの頃、マリー・ローランサン」「ヴェネチア」とずっと聞き続けていった。
その中で一番好きだったのが、1983年にリリースした「あの頃、マリー・ローランサン」。
個人的に加藤和彦の最高傑作と呼べるアルバムとは? と聞かれた場合、これをあげるかも知れない。
安井かずみの言葉もゾクゾクするほどドラマティックで、現実感のないくせにリアルな世界に魂を持って行かれてしまうのだ。音もこれ以上ないほどにシンプルで研ぎ澄まされている。
1983年というと、日本の音楽はテクノの洗礼を受けてネコも杓子もシモンズやリンのドラムがドカドカ言っていた時代に、このシャープさには痺れますよ。というか世間はついてこなかったのかも知れないけど。

2009102706加藤和彦は京都市生まれで、少年期は鎌倉や逗子を経由して東京で育つという「オシャレな場所ばかり」を経験しているせいなのか、とにかく格好いい。自分にとって「オシャレな人」とはこういう人という指標でもあった。
80年代、流行の音がどんどん肉厚で非人間になって行く中で、「あの頃、マリー・ローランサン」で加藤和彦が限りなくシャープでシンプルな音を作り上げたのと同じように、加藤和彦のファッションはシンプルで格好良かった。
ミカバンドの頃はロンドン帰りのギンガム野郎だったのでちょいと派手だったけど、基準はシンプルだった。身長があってスッキリしているのが格好いいの最大の理由なんだろうけど、自分にとってのオシャレが「どれだけシンプルになれるか?」という物なのは加藤和彦の影響が大きい。

「若い時代に洗礼を受けた人の曲というのは身体から離れない」と、どっかの誰かが言っていたけど、本当にそうなのだ。おそらく、加藤和彦がいなくなったこの先もずっと、自分は影響を受け続けていくんだと思う。

おそらく、今回の訃報に際して世間では「あのフォークルの」「あのミカバンドの」という感じで語られるんだろうけれど、自分にとってはそっちも大きいけれど、それから先のソロ歌手の加藤和彦とプロデューサーとしての加藤和彦がかなり大きい。
友人に当てた手紙の中に「音楽の中にやりたい物が無くなった」という主旨の事を書いていたというけれど、理解はしたくないけど、解るような部分もある。
加藤和彦をずっと追いかけてきて解るのが「常に現役でいたい」「常に新しい事をやりたい」という部分だった。その意味での、VITAMIN-Qだったんだろうし、和幸だったんだと思う。

2009102708でも今回の訃報を聞いていて感じてしまったのが、世間が求めている加藤和彦像ってのが「フォーククルセダーズの加藤和彦」「サディスティックミカバンドの加藤和彦」だという事。
9月に嬬恋で行われた南こうせつのイベントに和幸で参加していたけど、ラストに「あの素晴らしい愛をもう一度」を会場の客と共に大合唱したという。実はこの年末も静岡で森山良子なんかが参加するイベントに加藤和彦が参加するハズだった。おそらくここでも、客の大多数があの時代の加藤和彦を聞いていた人達で、あの時代の加藤和彦を求めているんだと思う。

常に現役感で仕事をしていた人としては、この現状というのはモチベーションを保つ事は難しいのかも知れない。それは致し方ない事だったとしても。
なんだか、色々な事を考えすぎて、この追悼文を書く事が上手に出来ない。まだまだ書きたい事がある。

二人目の奥さん作詞家の安井かずみさんが亡くなった時にインタビューで加藤和彦は「かずみはとても寂しがり屋だったので、ボクより先に亡くなった事が唯一の救いです、彼女を一人きりにさせる事がなくてよかった」と語っていた。
その優しさと深い愛情に加藤和彦の強さと脆さを感じてしまう。

おそらくまだ続きを書きます。

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2009年9月25日 (金)

マラソン大会中止

実は数ヶ月前から、朝晩、かなりの頻度でウォークング&軽くランニングをしている。


2年半前にドロップアウトしたサラリーマン時代の末期、体調不良があっちこっちから襲ってきて「カラダを動かす」なんて事は、日々生活するのがやっとという感じにまで落ち込んでいた。
腰痛がとにかく酷く、マジに朝起きることが出来ずにベッドから床へ転げ落ちながら会社に休みを乞う電話をした事もある。
他には腕の痺れや、異常な肩凝り(マッサージに行くとあまりの堅さに驚かれる)、それに伴う慢性的な頭痛、そして耳鳴り。他にも食欲不振、睡眠障害、味覚異常とか、もう体調不良の総合商社やぁ!という感じだった。
今思ってもよく生きていたな、という状態なのだ。
現在の仕事に就くキッカケになったのも2度目の入院が関係している。

そんなこんなで会社を辞めて2年半、体調がそんな簡単に良くなるワケではなく、徐々にそれらを改善する努力を続けてきた。勤め人の時は出来なかった食事の管理も自分でしているし(若干、栄養少なめで体をライトな飢餓状態にする)、とにかく規則正しい生活に務めている。
そんでもって、この夏から無理矢理ウォーキングを始めた。
というのも、5月から始まったテレビのロケの最中、ちょっと荷物を車に忘れたので取りに戻ろうと小走りした瞬間、本当に2・3歩軽く走った処でアキレス腱がズキッと痛くなってしまい「まったく走れない」という状態を経験してしまったからなのだ。長距離とか短距離とかスポーツ的に走るのは無理だとしても、小走りですら出来ない体になっているとは……、かなりショックだった。
それもあって「なんとかせにゃ」と思った。

朝、最初は30分ぐらいを早足で始め、最近は朝と晩、各1時間近く歩くという生活をしている。1日2時間近く歩いているのだ。ただし絶対毎日歩くというノルマでがんじがらめ状態ではなく、なるべくって感じ。先日は仕事がいっぱいいっぱいで4日ほど朝も晩も歩かない時が続いた。
そしてウォーキングに慣れてきたので、最近は時々小走りに数分走ってみる。
それでもまだ通常の人間の体力にはほど遠いと思っている。
が、1つの目標を作ってそのために体力をガンガン上げようと考えているのだ。

と、さっきまで思っていた。
ところが、たった今、その目標がシュワシュワと音を立てて消えてしまったのだ。
実は1年半後、2011年1月30日に第二東名が開通する直前に、その車を走らせていない状態の高速道路を使って富士インター〜沼津インター間マラソン大会が開催されるとい企画があった。
それを知った今年の初夏「よぉし!それを走る」と思い立ってしまったのだ。学生時代もマラソン大会が大嫌いだったハズなのに、根っからの文系で体育会系を生涯の敵と設定していたハズなのに、なんか意欲だけが前のめりになってしまった。
それまでマラソン経験が無いクセに、1年半という時間を掛けて体重も設定値まで落とし、筋肉も付け、挑戦しようと体を作る気まんまんでいたのだ。雑誌「ターザン」とか読んで、どうやったら筋肉が上手に付くかなんて研究まで始めちゃっていたのだ(そこが文系の浅ましさ)。
が、突然「第二東名マラソンはメインのスポンサーが降りてしまったので中止が決定しました」のニュースが……。そりゃないっすよ。
ま、今の御時世しょうがないと思うけどね。

とりあえず、他のマラソン大会にターゲットを変えるか不明ですが、今日もウォーキングは続けているのだ。

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2009年9月19日 (土)

勢いまかせの日々はまだ続く

ずっと作業をしている。もー毎日毎日作業をしている。


いわゆる原稿書き作業なのだが、これが小説でも論文でも、基本的に文章としてある程度の順番が決まっていて、そして自分の定めたゴールに向かってガシガシ書き進めればいいって作業ならば楽なのだが、ハッキリ言って自分が今やっている仕事は、ゴールがどこにあるのか解らない状態なので、思いっきり鬱になる。
毎日、泥をこねて泥団子を作っていて、それをだだっ広い校庭に隅っこから1つづつ並べているような状態。当然、校庭が泥団子で埋め尽くされる事はありえないので、どこかで先生がやってきて「はい良くできましたね、じゃここで終わりにしましょうね」と言ってくれるのを期待しながら、ただひたすら泥団子を作っているような感じ。その先生が来る時間が解らないので、もうただただ毎日続けるだけ。そんな感じで毎日作業を続けている。
なんか説明、下手か? 俺。

2009091901とりあえずラジオの時間があるので、それが少しのポイントにはなっているんですが、それ以外の時間はずっと作業。気が付けば数日、家から出ていない状態なのだ。慌てて、毎週購読している雑誌を買いに本屋へ出かける。
数冊の雑誌と、数冊の小説やエッセイなど、数冊の漫画単行本をゴッソリ買ってしまう。読む時間なんてなくて積ん読になるのは目に見えているのだが。
家に帰って部屋を見渡してみると、調べ物のために書庫の本棚から引き出して持ってきた本が散乱している。12畳ほどある作業部屋が取り留めもないほどの本でごった返している。ついでに繋がっている5畳ほどのクローゼットも本で溢れている。
あぁ掃除をしなくちゃ、この作業が終わったら掃除しなくちゃ、でも先生がいつ来るのか解らないんだよぉ。

2009091902そして作業が続いていくと、だんだん食という物にも興味が無くなってしまうのが自分の悪いクセなのだ。もう食事をする時も作業脳になっているので、ごはんにふりかけ、だけで何食続けても平気になってしまう。あと味付け海苔を買っちゃうと、もうひたすら味付け海苔だけで毎日食事しちゃいます。ごはん&味海苔だけ。
栄養とかについて、かつて仕事で本を作った時に凄く勉強したので知っているハズなのに、そんなチマチマしたことなんてどうでも良くなってしまう。
ふだん自分で食事を作っているので、作らないとなるとずっと作らなくなる。
自分は子供の頃から普通に食事とか作ってきたので、一通りのことは普通に出来るので、逆に「俺料理出来るんだぜ」とか自慢げに言う男子(一時期厨房男子とか話題になった時も、ケッとか思った)とかがウザくてしょうがない。ブログなんかで自慢げに食事のレシピなんか書いちまってよぉ。ざけんなよぉ、ンなもんでモテモテとか雑誌でも煽っちゃうんじゃねえよ!とか思っちゃうのだ。料理の基本は「冷蔵庫にある適当な物でいかに旨い物を作るか」だろ!とか思っちゃうのだ。いい食材がありゃ、それなりの物が作れるなんて当たり前だろ。

2009091903それが勢い「もう人間は食事なんて制度を廃止してもいいのではないか?」などと思ってしまう。ただ作業を続けていて、空腹を感じて、脳みそに糖分が行き渡っていない感じで、黙々と作業を続けているという極限状態、精神と肉体の枯渇状態がなんか充実感に繋がってしまうという、地味なM行為なのかもしれない。
そんでもって、そのストレスを「よし1時間休憩」という事で、テンション上げたままでブログ用のイラストにぶつけたりする自分がいるのだ。しかも気が付くと2時間も3時間も経過しているので、その分、睡眠時間を削って作業をするのだ。
なんか自律神経がおかしくなっている今なので、なんかワケの解らない事を言っているけれど、脳内麻薬物質がドバドバ出ているのだ。
よい子は危険だからマネしちゃいけませんよ。

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2009年9月15日 (火)

みんなクイズ好きなのか?

いきなりケータイに友人から『デザートの意味は?』というメールが来た。


2009091501んんん?
と思いつつ「食後のデザートのデザートだよなぁ」と思い、でも自分にそーゆー質問をしてきたって事は語源とかそっちだなと察して『かたづける』と一言打ってメールを返した。
ついでに「って、何?」とも送り返す。
すると「ミリオネア」という返信があった。
あ、今日ミリオネアだったか。朝からずっと作業をしていてテレビも付けていないので、すっかり忘れちゃったよ。
で、付けるともう2時間番組の半分経過って処だった。
しかし、Softbank同士なのでいくらメールのやりとりをしてもタダなのよって事だとしても、40半ばを過ぎたオッサン同士のメル友は悲しいぞ
と思いつつ、ぼーっとミリオネアを見ていた。
そうかそうか、みんなクイズ好きか。

2009091502いつの間にかこの番組も芸能人しか出演出来ない番組になって、問題のレベルもガクンと下がってしまったなぁ。
いや、どっかのクイズサークルとかがワッサワッサ賞金稼ぎに来て、なんか異常に殺伐としたツマラナイ番組にするのよりバラエティって感じでいいんだけど、現役東大生タレントが100万円の問題で
「月日は百代の過客にして」で始まる松尾芭蕉の文学作品はどれ?
という問題で、選択肢が「徒然草・平家物語・奥の細道・土佐日記」ってのは無いだろ。
東大生じゃなくても、100万円の問題とは到底思えないっす。そこまで芸能人って事でレベル落とさなくてもぉ
「月日は百代の過客にして」で始まる文学作品は?
だったらアリだと思うけど、松尾芭蕉と言った段階で世間の答えは一つになってしまうっす。
あるいは選択肢が「野ざらし紀行・奥の細道・曾良旅日記・酒のほそ道」だとか。(曾良旅日記は同行した弟子のメイキング日記、酒のほそ道はラズウェル細木)ってこれも100万円の問題じゃないや。
などと思いながら見ていた。なんか回答者側に立ってではなく、出題者側に立って色々な事を考えてしまうのだ。

2009091503そんなこんなで番組が終わって、また仕事に戻ってカシャカシャと作業を続けていく。
先日からやっている仕事は、まだちゃんとアナウンス出来ないけれど、現在細かく細かく作業を続けている。今度こそはちゃんと形になるハズ。
そうかそうか、みんなクイズ好きか。
ということで、ブログの方をちょっと開いてみてビックリしてしまった。
8時台のアクセスが異常にグンッとあがっている。なんだこりゃ?と思ってアクセスチェックの「検索ワード」を見て納得してしまったのだ。
『スパゲティ 昔の食べ方』という単語でこのブログに訪れて来た人が異常に多いのだ。
というのも、さっきのミリオネアでそういう問題が出ていたからなのだな。

そうかそうか、みんなそんなにクイズ好きか。

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2009年9月11日 (金)

テレビ生出演デビュー

(前日の日記から長く長く続いています)


テレビに関しては、今年の2月にまるでカメラテストのような形で雑学を言う人としてテレビ初出演をしている。
その時は、ラジオに出演していて「たまたまスタジオにいた」という設定で、疑問をぶつけられその場で答えるという設定だったのですが(そういうネタ晴らしはOKですよね?)、当然の事ながらそれを答えるために自分の知っている知識だけじゃなく、もう一度調べ倒して、その中で面白そうな物をピックアップして喋った。
目の前にカメラがあって、その無機質な視線に耐えながらの喋りはかなりキツかったのを覚えている。
その後、現在放送中の「ラブいぜ!しずおか」というコーナーへのレギュラー出演となった。毎回ロケで何度もNGを出して共演者の小沼さんにも多大なる迷惑を掛けているワケですが、徐々に慣れてきている。
しかし今回は「スタジオで生放送」という事なので、なんだか自分が異常に緊張しているのを感じる。
あれ?何これ?という感じで、まだ電車に乗っている段階からノドが乾いているのだ。
マズイ、非常にマズイという気持ちで「人」という文字を手のひらに書いて飲み込んでみる。でもこれは「人を呑む」という舞台でのオマジナイだよなぁ。

2009091101実際リハーサルが始まるのは3時台なのですが、それより前の1時台に局へ到着し、ラジオの方へ顔を出す。自分が出演しているのは月〜木曜日なのですが、金曜日は局アナの大御所・國本さんが出演している。
実はこの國本さんの招き入れで現在のような仕事をしているので、現状報告などのご挨拶を兼ねて顔を出したワケです。
と、いきなり「じゃスタジオに入ってよ」などと言われて、全然心の準備が出来ていない段階でラジオの生放送に出演する事となってしまった。ラジオの方も、いつも電話出演でスタジオで喋るというのもそんなに無いので緊張するワケですが、その前からのテレビ生出演の緊張と2乗になって、なんか「何言ってるんだ俺?」という感じ。
しかも、雑学的な事を聞かれるのならなんとかネタ的に拡げられるぞと思っていたのに「え〜今日の募集テーマは『怖い話』です、杉村さんは何か怖い話はあります?」などと、まったく準備していない事を聞かれてしまったのだ。
とりあえず「自分は基本的に霊感は無いのですが」と前フリをして、でも実際に経験した不可思議な話をムリヤリ記憶から絞り出して話す。ちょっと焦ってしまったのでディテールが違ってしまった事もあり、イマイチ怖くない話になってしまった。う〜む、修行が足りない……、というか自分はライターを目指しているハズなので、なんかどんどん違う方向に追い込まれているような気がするのだ。

2009091102そのラジオ生出演が終わって、ドッと疲れてしまう。今朝、3時に起きてそのまんまなので疲れが出ているのかもしれない。けれど、お陰で少しは緊張状態がほぐれた気もする。そこには國本さん感謝なのです。
その後はただのラジオ放送見学者になってぼーっと時間を過ごす。
リハの予定時間になったら、1階ロビーでスタッフと落ち合いTVスタジオに入る事になっている。
そう思い出して、また胸がドキドキしてくる。うわぁかなりマズい状態になっているというのを自分でも感じて、よけいマズイ「緊張のスパイラル」にはまっていくのだ。基本的にそんなにあがり症ではないハズで公開放送でもそんなに緊張はしないのに何故だぁ。
3時を過ぎてもう少しで……というタイミングでいきなり背後から「杉村さん」と声を掛けられビクッとする。自分がここに来ているという事は知らせてあるので、まさかスタッフが? と思ったワケですが、それはキャスタードライバーの菅原さんで「先日はどうも」という感じで声を掛けられたのでした。
相変わらずかわゆすなぁと思いつつ、別の方向でドギマギしながら会話をする。もう精神状態すべてマックスで何を喋ったのか記憶からスッポリ現在抜け落ちている。もうダメじゃん俺。いやぁトテカワトテカワ。

2009091103そして3時半に小沼さんから電話があり、リハーサルへ向かう。
TVスタジオ脇の控え室で本日の原稿と流れをチェック。本日のネタに関しての原稿は前もって渡してあるのですが、時間的な問題や後ろのモニターに色々画像を出す予定などがあって、直前までどうなるか解らない状態だったことで「えっとですね、本日はこれとこれとこれを喋るだけで時間が来ると思いますので」と予定していた原稿の半分がバッサリとカットされる。ラジオで喋る量の約半分という感じ。
それでも密度は凄く濃い。画像込みというのはやはり強みだよねぇ。
で、そこで原稿チェックを含めての読み合わせの軽いリハをして、スタジオ入り。
あぁテレビとかで見たことがあるスタジオ風景だ。天井に沢山のライトがつり下げられていて、正面のセットとは逆側には別の午前中に放送しているあの番組のセットが暗闇の中にポツネンと置かれていたり、うわぁなんか知ってる知ってる。とすっかり夏休みの放送局見学会って感じであちこちを見回す。これが出演者ってことじゃ無かったらミーハー気分炸裂させて写真とか撮りまくってしまうんだろうけど、そこは我慢。
そんなこんなでカメラリハーサル。

2009091104あ、と思ったのが隣に坐った小沼さんがいつもの小沼さんではなく、しっかりとキャスターモードに入っているという事なのだ。
基本的に女性は演技派なので信じちゃいけないぞ!と亡くなったパパに教えられているけれど(嘘)、小沼さんはある意味一番信用しちゃいけないな。本当に切り替えスイッチが凄い精度で出来ている。
という事でオープニングはクレーンカメラで。CM明けはセットに座り、小沼さんと岡村久則さん(通称、岡ちゃん)とシリスギ仙人で、静岡県に関係する雑学を展開していく。
生本番ということでトチッちゃいけないという意識で自分がピリピリしているのが解る。なんだろうこの胃がキューーーーーッと痛くなるような感じは。こんなにプレッシャーに弱かったのか俺。
でもリハが終わった処で小沼さんに「杉村さんちゃんと出来てましたよ、本番これで大丈夫ですよ」と声を掛けて貰う。いや小沼さんは信用しちゃいけないとさっき誓ったじゃないか、もっとガンバレって事なのだ。
という事で、本番直前に控え室に戻り、それだけでグッタリする。大丈夫か。

2009091105そこに天気予報士の岡村真美子ちゃんがいたので「初めまして」などと挨拶をする。真美子ちゃんはちっちゃくて(152cmだそうで)周囲の野郎共にはファンが多いのだ。なるほどなるほど、守ってあげたいってタイプなのか。そうかそうか。
「実は以前、ラジオが終わって局を出る時にちょうど5時前で、玄関脇で準備をしている処に遭遇した事があるんだよね。とりあえず自分も『イブニングeye』の出演者の一人として挨拶でもしようかな? と考えたんだけど、その時、シリスギ仙人のカッコしてなかったから誰か解らないんじゃないかとか、もしかしたらいきなり近づいてきた危ないファンと思われたらどうしようと考えて、その時は声を掛けずに帰ったンすよ」「声かけてくださいよぉ、シリスギ仙人って言ってくれればちゃんと解りましたから」などと会話を交わす。
そして真美子ちゃんは、5時から放送する局の玄関先からの天気コーナーのために部屋を出て行く。
とりあえず原稿を読んだりしている間に気が付くと、4時43分を過ぎて番組がスタートしていた。控え室のテレビに番組が映し出されていてビックリしてしまった。え?もう始まってるの?
自分が出るコーナーは5時20分前後からなので、まだ時間がある。ドキドキドキドキ。

20090911065時からの天気コーナーが始まり、真美子ちゃんが明日の天気を喋っている。それをモニターでぼーっと見ている。さっきまで話をしている人がこうやってテレビで喋っているってのも変な話だよなぁ。とか考えているその間もずっとドキドキしている。
天気コーナーが終わり真美子ちゃんが控え室に帰って来て「杉村さんって毎回静岡の雑学凄いですね、そうやって静岡の事を調べている方なんですか?」などと声を掛けてくるのだ。
「いやいや、元々は何でもありで雑学を扱っていたんですけどね、ひょんな事からSBSさんにお世話になる事が多くなって…」などと語って、毎日ラジオで語っている話になった時に、ふと「えっと、昨日はラジオでイワシについて語ったんだけどさ」などと言いだしたのだ。もうテレビ出演直前でテンションが変な状態になっている。
「イワシ雲ってあるでしょ、あれの事を英語ではマーカレルスカイって言うんだけど、「mackerel」はサバの事だから、英語ではイワシ雲はサバ雲なんだよね」(サバ雲という日本語も昔からありますが一般的にはいわし雲)という事を言い始めた処で、はたと気が付いた。今、目の前にいるのは天気のプロじゃん、なに雲の話なんて自慢げに喋ってるんだ? が、言い始めた言葉は止まらない。それに即答のように真美子ちゃんも「日本語でもサバ雲って言いますよね」と答える。
マズイマズイ、次に続けるなんか雑学は無いか? と焦っている処で「杉村さん、スタンバイお願いします」という声が掛かって、何も発言のフォロー出来ないままスタジオに招き入れられる。

2009091107スタジオでは小沼さんが中継先とやりとりを軽快にこなしている。
「杉村さんの出番まで5分ぐらいありますので、こちらにお座りになってお待ち下さい」などと椅子を差し出されるのだが、頭の中では「なんか凄く薄い雑学を自慢げにプロに向かって語ってしまった。しかも最後はなんかグズグズだったし、あぁあぁ俺は俺は俺は」といきなり本番直前なのに脳内反省会が始まってしまったのだ。
その上、本番直前のドキドキ感も全然薄れていない。
そんな、すでに本日の消費カロリーを使い果たしてしまったような状態で本番が始まった。

2009091108「おつかれさまでした」とCMに入った処で小沼さんに言われて、反射的に「どうもありがとうございました」と返事はするのだが、もう自分の中では敗戦投手のような疲労感でグズグズになってしまっていた。シリスギ仙人の被り物をスタジオセットの隅で外し、汗でぐしょぐしょになった髪の毛を整えつつ、CM明けの小沼さんと真美子ちゃんがモニターを挟んで軽快に会話をしているのをぼーっと見た。
そんな形に自分にとっての、テレビ生出演デビューは終わったのだ。
番組終了後に、ラジオ室を通過し、キャスタードライバーの女子数名とも挨拶。敗戦投手の自分にはみんなの笑顔が眩し過ぎるっす。このみんなは毎日中継で静岡県内を飛び回っていて、しかも中継先の素人様を上手にコントロールしてアドリブの連続で中継をこなしていくプロなのだ。あぁ俺ってヤツは!とマジに自分の色々なスキルの低さに打ちのめされてしまうのだ。

2009091109國本アナと再び合ってなんとか形だけは無事に終了した事を報告。
「でも、なんか自分が求めているライターって仕事と果てしなく違う方向に流されている気がするんですが」と言うと「いや、仕事が来る、それを求められるってのは普通じゃないんだから、出来る仕事を出来る時にしちゃった方がいいんじゃないかな? 自ずと色々な物を経験すれば、力も付いていくんだから」などと言われる。有り難いっす。
そして2日間のあれやこれやで精神も肉体もボロボロになって帰宅の途につく。

2009091110帰りの電車の中から小沼さんに「細かいフォローありがとうございました」とメールをし、それに対し「今日めちゃ良かったと思いますよ。番組終了後の反省会でもこれからもこのパターンもありでやって行こうって意見もありましたよ」という返信を貰う。
普段はドSプロデューサーと言われているOさんからも「タレントになんてならなくていいんですよ、杉村さんは雑学に関して誰にも負けない人って事でいればいいんですよ」と暖かいメールを頂く。
あぁ私はこうやってみんなに生かされているのだなぁ となんか人生って素晴らしいと思いながら、その日を終えるのであった。

普段が、何もなく地味に文章打ちなので、この2日は濃厚だったなぁ。

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2009年9月10日 (木)

ロケと電車事故と雑学と私

久々のロケに出かけて来た。


8月は静岡は地震が発生したり色々な特番があったりで「ラブいぜ!しずおか」のコーナーは放送は2回、そしてロケ自体は1回しか無かった。8月初旬に撮影した「ギネスブックに記録されている世界最長の木造歩行橋・蓬莱橋」の放送は8月最終週の放送となってしまった。
自分的にはロケが無くて残念でありつつ、一番暑い時期を避ける事が出来たのでそれはそれでOKなのだ。別の面で言えば「日雇い労働者」なので、おまんまの食い上げってヤツなのだが。
ロケの内容ってのは番組放送が諸事情あって、さ来週の金曜日なのでちょっとここで書くことが出来ないので、言葉を濁して「清水の方の企業に行って、その帰りに日本平に寄って」ぐらいしか言えないのだ。

そのロケが終わった後、ちょっと遅い昼食を食べた処で時間は2時。いつものラジオでの「うんちく劇場」となった。
某所にロケ車を止めて、その中でケータイ電話を使っての出演となった。
で、今回のケータイ中継は今までと違うのが「iPhone」になったという事。とりあえずiPhoneはiPod的に使う事を前提として作られているので、イヤホンを使って音を聞きながらケータイをマイクのような形にしながらの喋りとなった。
しかし、いつもと勝手が違うのと、ケータイがマイクとしてどんな感じに音を拾ってくれているのかが不明なので、なんか変な感じでずっと「今ちゃんと聞こえているのか?」という不安な気持ちで喋り続けた。
とりあえずスタジオのてつさん&玲子さんが何も言っていないので大丈夫だと思うけど。
でもロケが終了した直後という事で、自分では意識していなかったのですが「今日は杉村さん、テンション高いですね」などと言われてしまった。そうなのか、自分ではその辺コントロール出来ていないや。

その電話出演が終わった後、そのまま局へ帰り、スタジオに顔を出す。
といっても別にスタジオに寄っても、そのまま出演って事もないので、すっかり無責任なスタジオ見学者となりダラダラ。番組が終わっても家路を急ぐ事なくダラダラなのだ。
いつもはてつさんも番組が終わった後もダラダラしているのだが、今日に限っては「東京にすぐ戻って、ナレーション取りがある」と言うことで慌てて帰っていった。
てつさんは元「TETSU100%」(管野よう子さんが在籍していた事でも有名な)のボーカルで、現在も歌手活動をしている方ですが、CMなどのナレーションでも活躍中なのだ。
例えばカルピスの「健茶王」のCMでのナレーションとか、最近では高田純次と国分太一、さらに柳原可奈子が出演している「ワンダ」のCMでラストに『ワンダ、モーニングショット!』と叫んでいるのもてつさん。
という事で、自分も「明日があるので」などと言って帰宅する。本当に明日があるのだ。

新幹線と在来線を乗り継いで帰るのだが、在来線に乗って「あと数分で着くな」と思っていた処でいきなりガクンと電車が激しくはない衝撃を受け、少し行った処で急停止した。
客がザワザワしている。しばらくしてアナウンスが「只今、電車が不審な衝撃を関知しましたので、点検いたしますのでしばらくお待ち下さいませ」などと言い出す。
えっと……あの衝撃は、まさか、もしかして、いやいや、ちがうんじゃないか、まちょっと覚悟はしておけ、ませませ。なのではないか? とよくない想像をしてしまった。
で、他の用事もあったので某知人にメールを打ったのだが「メールの送信に失敗いたしました、ただいまこの携帯電話は送着信が出来ない環境にいます」みたいな表示が出る。
え? 今窓の外は真っ暗だけど、まさかここトンネル内?
と思った時、下りの電車がすれ違っていく。という事はそんな大げさな事ではなく、この電車だけの事なのか? 色々な事を考えているが、停止から15分以上経過しても電車が動く気配はない。
次第に乗客がザワついていくる。

そんな中「やっぱこうやって出歩くようになると色々な事件に遭遇するのだな」とちょっと無責任にワクワクしていた。
そういえば少し前も新幹線に乗っている時にいきなりアナウンスで「お客様にお願いがあります、お客様の中にお医者様がいらっしゃいませんでしょうか」というのを聞いたことがある。
「こ!これは」とこれまた不謹慎ながらワクワクしてしまったのだ。そのアナウンスが流れた後に新幹線内を歩いている人を見ると「あ、あの人は医者なのか?」と思ってしまう単純な自分もいたりして。
そんな事を思い出しながらぼーっとしていると、停車から20分ほど経った処でぼぅぅんと低いうなり音が聞こえて動力が戻ってきた。しばらくして「ただいま乗務員が線路に降り点検致しました処、問題点はありませんでしたので運転を再開いたします」というアナウンスが流れる。
うむ、問題点が見つからない方が問題点のような気もするけれど、とりあえずは大丈夫なのだ。
そして通常5分で通過する区間を30分掛かって到着したのだ。おそらくニュースなんかでは報道されない(その後、何かがみつからない限り)ような事件が起こったワケで、それもそれで日々のアクセントなのだ。

てな事で、ホッとしながら帰宅しても実はホッと出来ない。
以前から書いているように、今日は木曜日だが、ラジオの原稿の〆切が金曜日の午前中となっているので、明日の午前中までにストーリー的にまとめ上げなくてはいけない。
すでに昨日の段階でだいたい原稿のベースは完成しているが、それをちゃんとした文章にまとめて、最後にちゃんとオチが来るように雑学を組み立てていくのだ。あんまりキレイに収まる事は少ないかも知れないけど。
でもって、これまでも木曜日にロケに出かけ、疲れて帰って金曜日の午前中までに原稿を、という流れは何度もあった。というか、ロケがある時は基本的にそうだった。
しかし今回が大きく違うのが、今週は生まれて初めて金曜日放送の『ラブいぜ!しずおか』に生出演するって事なのだ。つまり、金曜日の早い時間に原稿を仕上げて送り、慌てて自分自身を局の方へ送らなければいけないのだ。
とりあえず自分の予定では朝10時までに仕上げ、直ぐに家を出るという事になっていた。
ということで、家に帰ってから原稿を仕上げる作業に取りかかる。しかし、ロケの疲れが出て睡魔がジワジワと体全体を包み込み精神を蝕み、気が付くとベッドに横になっていた。

ハッと目が覚めて飛び起きたのが真夜中の3時。確か、報道ステーションが始まったのは記憶しているので5時間ほど眠ってしまっていた計算になる。いつベッドに?
原稿は自分の目測では「朝7時台に起きて仕上げても10時には送ることが出来ない」という状態。こりゃマズイという事で、寝ぼけた頭をシャキッとさせるために真夜中3時だがシャワーを浴びて、完全に早朝モードにして仕事に取りかかる。
1回放送分の原稿というのは単純計算で原稿用紙4枚という処で、それを4日分。都合16枚という感じなのだ。たった16枚の原稿だが、それをチャチャっと1〜2時間で書き上げる事は出来ない。
実際には放送でしゃべる分より多くの、へタすりゃ倍以上の雑学を準備してある。まるで米を精製して、磨いて磨いて白米にしている様な感じで「磨いたカスの米ぬかにも栄養あるのに〜」と言う状態で作業をしている。
実際、用意した原稿をスタジオのパーソナリティとやりとりする部分もあり、いきなり何か関連した話を振られる事もある。そう言う時に、ボツにした知識が役に立つこともあるのだ。

平日昼間のラジオで喋るという事は意外と制約が多い。別に堅苦しい制約というワケではなく、昼間に農家のおじちゃんおばちゃんが、昼間に運転手の皆さんが、仕事の片手間に聞いていたり、休憩中に聞いていたりするという前提があるので、自ずとユーザーの好みという物があるし、ラジオという制約も出てくる。
例えば、今回送った原稿で最初から「これは無理だろうな」と思って、案の定カットされたネタにこんな物がある。(この日記は土曜日に書いているので、金曜に送った原稿がチェックされて戻った後です)
☆イタリアのメーカーにブルガリってありますよね。100年以上の歴史があり、元々は宝石関係だったのですが、近年は腕時計からバッグ・香水なども扱っています。
あのブルガリのスペルは「BVLGARI」なので、「BVL」は「ブル」とは読めないですよね。ところが、創業者の名前はUを使った「BULGARI」なのです。
1905年にローマで店を開いた時に、古臭い表記にしたいという事から、古代ギリシャ文字を使う事を考えたのです。ところが、アルファベットの原形には「U」の文字が存在せず「V」が使われていた事からそのスペルを考案したのです。

この流れでアルファベットには昔こんな文字は使われていなかったという方向に話を流しても言い訳ですが、自分にとって面白いネタでも多くのひとが「興味ない」という方向になってしまう。

それ以前に「ブルガリ」に関して興味を引くかという問題もある。例えば、若い女子がいる時に話す分には「へぇ」と思われる可能性があるけれど。
この原稿は前半は「エルメス」に関しての話があるのですが、そっちは一般的に知られているような話題に組み立てているのでOKだと思うけれど。
ちなみに、その中の一つはそのラジオ番組「らぶらじ」が始まった時の前夜祭イベントの打ち上げ宴会でキャスタードライバーという番組内でレポートをするかわいい女子数名に囲まれて、いきなり「じゃ何かファッションとかブランドの雑学教えて!」とムチャ振りされた時に喋って「そうなの?知らなかったぁ」と大絶賛の嵐、受けた受けたというネタなのです。

あと、こんなスペルがどうしたというネタはラジオをぼーっと聞いている人にはワケ解らない話になっちゃう可能性がある。
同じように漢字が絡んでくるような、文字ネタもラジオでは難しい。
☆狼狽という言葉、ココに出てくるのは架空の動物で、「狼」がオス、「狽」がメス
☆同じように伝説の生き物「麒麟」も、「麒」がオス、「麟」がメス
☆同じように伝説の生き物「鳳凰」も、「鳳」がオス、「凰」がメス
☆クジラを表す漢字には♂♀の違いがある、一般的な「鯨」はオス、「鯢」がメス
☆宝石のヒスイを表す「翡翠」という漢字は「カワセミ」を表していて、「翡」がオス、「翠」がメス
☆同じく鳥でオシドリを意味する「鴛鴦」も、「鴛」がオス、「鴦」がメス
☆カを意味する「蚊」という文字はオスの蚊を表す言葉で、メスはすでに漢字が無いが「虫武」という文字
☆空にかかるニジも「虹霓:こうげい」と呼び、「虹」がオス、「霓」がメスの事(主虹と副虹)

他にいくつかあったと思うけど、これらは必死に頑張ってラジオで語っても絶対無理。面白いネタなので、何かラジオではない講演会みたいな物があったら出来るかも知れない。フリップ芸人として。

それ故に、テレビで「ラブいぜ!しずおか」をやった時、いきなりサクラエビを扱った初回放送で
☆エビを意味する2つの漢字、「蝦」と「海老」の違い解りますか?
なんてネタを入れてしまったのだ。そういう意味でラジオというのはメディア的な限界がある。
そんなこんなで、頭をぐわんぐわんとかき回しながら原稿を書き進めていく。そしてなんとか予定通りに10時前に原稿をメールで送る。
こっちが時間的に切迫しているなんて事は先方には関係無いし、来週のラジオで放送する時はもう完璧に関係ない話になっているのだ。とにかく自分なりのベストを尽くす!尽くしたから許して!ではなく、常に一定のレベルを保った状態で「今週も相変わらず」でなくてはいけない。その辺は2年半、これをやっていて常に自分に課している。
チャッチャと書き上げて、それでも内容のレベルをキープ出来る才能があればそれに越した事はないんだけど、自分はどうやら凡人らしいという事を日々痛感する。
1回数分の番組だけど、それを調べるために図書館に通って、ある時は企業に電話したり、公共機関に電話したり、そのせいで「その話題はラジオで喋らないで下さい」とダメ出しをされて、面白かった部分が放送出来なくなったり……。
そんなこんなを考えながら、今度は自分がSBSに向かって出発する。
(もう11日金曜日の話だけど、金曜日の日記に続く)

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2009年9月 8日 (火)

明日のために 鬱べし!

雑学という物を扱っている関係上、原稿は最初から最後まで繋がっているワケではなく、とにかく細かく分割され、最終的にそれの順列などはまとまった時にどうなるか不明なのだ。
しかも、考え方によってはその細かく分割された1つ1つが独立した作品で、その作品ごとに調べ物がついて回る。


という事で、現在、ハッキリ言えないけれど凄く細かい細かい仕事をしている。
いや、普段から雑学関係の仕事は細かいんだけど。
しかも少し書いて調べて、不明なので「これは図書館で」とかメモをして保留、では次言ってみようか……、えっとコレは確か資料あったよなぁと書庫(本の吹きだまり)に行ってしばらくあれやこれやを読み、うんうんそうかと本を持ってきてそれを元に文章を組み立ててみる。と、脇机を見るとそうやって書庫から持ってきた本が山積みになっているので、ちゃんと元に戻さないと後でまた大変な事になるとそっちの整理をはじめて……。
そんな状態で原稿は遅々として進まない。
音楽ネタでも、関連レコードを持ってきて聴き始めるとそれだけで数分を費やしてしまう。
実に非効率的なのだ。

午後2時には毎日のラジオ出演(電話にて)をテンションアゲアゲでこなし、再び地味な原稿書き仕事に戻る。
いや、原稿書きは好きなので苦にはならないのだが、とにかく煮詰まってしまう部分もある。
もしかしたら底なしにデカイ仕事になる可能性を秘めた仕事なので、ずっと先を見越して準備もしているので、今大変でも徐々に楽になっていくかも知れないと、とにかく根を詰めてぐりぐりとやるしかないのだ。
大きくなるかも知れないけど、逆にゼロになるかもしれないというギャンブルみたいな部分もある。そこがサラリーマンと違ってフリーの怖さなのだ。

今だから言えるけど、去年の今頃、自分は「やったるぜぇぇぇ」と凄く盛り上がっていた。
なんせ単行本の話が同時進行で3本あがっていて「こりゃ大変なのだ」と思いつつウハウハ状態だった。かなり大変だけど、来年の夏までに(今年の夏の事です)それらが一気に出版され「プチ知泉ブーム」が訪れるのだ、ついでに過去に出した本もその余波で再び売れて……、と捕らぬ狸の皮残尿、いや皮算用をしていた。
3本同時に企画が進行しているといっても、それぞれを雑には出来ないのでとにかく心血を注ぎ込んで作業をしていた。
が、ですよ。去年秋以降の「世界同時株安」ってヤツですか、あれでなんか雲行きが怪しくなり、それでも原稿を書き続けなくてはいけないのだ、とワシワシガシガシ黙々と作業を続けていた。
結局、その3冊とも話は自然消滅状態で今に至るという事なのです。

う〜んと唸りつつ、でもその3冊を書く作業の中で新たに調べた事などは、自分の血肉になっているかもしれないし、原稿の内容がちょっと特殊なのですぐに他へ流用は出来ないけれど、確実に自分の地下水脈的な財産にはなっていると思うので、良しとするしかないのだ。
そんなこんなで、今やっている作業が本当に始動するかは不明ですが、あるいはちゃんと動いたとしてもそれがシッカリと金銭を生み出すかは不明なんですが、とにかく「今できる事」をちゃんとやっていくしか無い。

とりあえず昨日は煮詰まりながらも1日パソに向かって作業を続け、原稿用紙換算で約50枚ほど書いた計算になる。
でも、雑学的な物というのは最終的なチョイスでその半分ぐらいを保留という名前の廃棄処分にするので、実際に使える原稿は約25枚って処かぁ
でも、こんな状態でいつ終わるか解らない仕事がまだまだ続くのであった。
近いうちに「遂に完成!」という発表が出来る事を祈りつつ。

と言いつつ、まだまだお仕事募集中です。お仕事の依頼は<tisen@tisen.jp>へ!

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2009年9月 4日 (金)

ギリギリでいつも生きていたいから

何とかかんとかギリギリでぇ生きていたいからぁぁぁあぁぁぁぁ♪と、著作権を侵害しない程度にしかKAT-TUNの曲を知らないワケですが「俺ってギリギリで生きているぜ」って言うのってのはカッコいい事なのかなぁ


とふと財布の中を見ると、紙で出来たお金が1枚もなくて100と言う数字が書かれたお金が4枚、後は茶色っぽいのが2枚、アルミで出来たのが3枚しか無かった。
こーゆー事を歌っているのかなぁとぼーっと考えてみた。
あの連中、カッコつけてカメラ目線で歌っているクセにその内容は「財布の中身は423円、あぁぁ月末までどうすんだよぉぉぉ♪」とか言っているワケか。

いや違うと思うな、俺は。とりあえずまだ半世紀は生きていないが、それなりに人生経験を重ねているのでそんな423円とかを歌ってるワケではない事はなんとなく解るのだ。
もしかしたらギリギリってのは今の自分のような状態を言うのかな。
えっとですね、私は2年半前からずっと毎週平日ラジオで雑学をガンガン喋るという仕事をしているワケですが、とりあえず毎日午後2時になるとラジオで「オッホン、良いかね? キミたち庶民にこのワタクシが驚天動地の雑学を語ってあげようぞ、耳をかっぽじってお聴きなさい!オッホッホ」と高慢チキな態度で午後のまったりした時間帯に嵐を巻き起こしているのである。もう静岡では2時になるとアチコチで「マジっすか!杉村さま」と感涙でむせび泣く声が聞こえるのである。

という妄想をしながら「はい、コンチお日柄も良く、え〜このワタクシメが皆様のお耳汚しに現れたワケでございます、ま、そんなワケでお気軽にお聴き下さいませ」と、リスナー様の機嫌を損ねないように毎日毎日、そりゃ頑張って雑学を喋らさせて頂いておりますワケです。
もちろんアドリブで雑学なんて言えるワケなく、毎回毎回資料をひっくり返して、本棚ひっくり返して本棚の後ろから100円玉を見つけて合計523円になったりしながら、原稿を書いているワケです。
毎週、月〜木曜日の週4回の放送なのですが、それの〆切が金曜日の午前11時半までという事にして、ワッセワッセと書いているのです。だから、通常に月〜木曜にラジオを喋っている時でも午前中に図書館に行って来週分の原稿をひねり出していたりするワケです。

も〜ドロナワで必死になっているオイラのどこが「うんちく王」だって話なのですが、とりあえずそんなキャラ設定なので必死なワケです。
つまりそれが「来週のネタを捜して図書館で頭をかきむしる、あぁぁこのネタは去年やってしまったよぉぉぉぉ♪」という事なのだ。
ま、それぐらいならちょっとは「苦悩するライター的な感じ」でKAT-TUNが歌っていても違和感ないか、あるかもしれないが。でも、ありのような気もする。
しかし実際問題としてもっと自分が置かれているギリギリな状態ってのがある。

それは、〆切がもう直前に迫っているのにイマイチ「これだ!」と言う原稿が決まらず、ディレクターに「〆切を今日の夜まで、明日の朝までにして下さい」と泣きつこうかとその言い訳文章を考えていたハズなのに、なぜかここでこうやってKAT-TUNの曲の自己流解釈を無理に考えているという、現実逃避にもなっていない状況が現実にある。
もちろんKAT-TUNは「〆切が迫っているのに現実逃避で、意味不明の文章をひたすら書いているあぁぁぁ♪」という事は歌っていないと思うし、それを世間ではギリギリで生きているとは言わないという事だけは、混乱した自分にも解るのだ。

と、なぜかKAT-TUNの「Real Face」のサビ部分だけがグルグル繰り返す頭でそんな事を考えた。

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2009年9月 1日 (火)

折れやすい日本の私

今、なんつーか凄く「折れやすい」状態なワケです。


いわゆるナーバスというんですか? 海の向こうでは。
日々、パソに向かってカタカタカタカタ音を立てているワケですよ。といっても、ただ音を立てているワケではなく、ちゃんと日本語として意味のある文章を入力して、そのキーボードを叩く音がカタカタカタカタって事なのですよ。もう、そこまでちゃんと説明しないと皆様に理解されないんじゃないかと不安神経症が表面化しちゃっているのです。
もうね、折れやすいワケですよ。

基本的に、毎日午後2時になると電話でラジオに出演しているのです。とりあえずテンション高めで「はい、こんにちわ杉村です」とか通常の185%のパワーで元気なボクで登場するワケです。
もうね、昼の2時なので、ラジオなので、そんな感じなのです。
おそらくラジオの向こうのリスナーさんは「今日も杉村さん、面白いっすね」とニコニコしてくれていると思うわけですよ。
そしてひとしきり喋って、マイクがスタジオからディレクターへと切り替わり「いやぁ今日も面白かったッスね」と言ってくれるワケで「でも、途中の英語の部分ちょっと噛んじゃったっすけど」「あれもあれで面白かったので結果オーライっす」「そうですか!良かった良かった」「ではまた明日もよろしくお願いします」「はい、ありがとうございました、明日もよろしくお願いしま〜す」と言って電話を切る。

そこで、通話が切れたブツッという音と同時に精神のスイッチがドドンッとローに入ってしまい、あぁ今日の俺はダメだ、出だしの所で少し言い淀んでしまった……、きっとあの瞬間、ブースの向こうでディレクターが「チッ」と舌打ちをしたに違いない。
あぁ電話を切る前の「結果オーライ」だって「ま、オマエがいくら頑張ってもその程度なんだから、それ以上は期待しねえよ」って感じなんだろうなぁあぁぁダメだダメだ、俺はダメだ。
と一人反省会をして、しかもダメ出しばかり続いてしまい、しばらくベッドに横になってカーテンから漏れる残暑の光に憂鬱な気分を満喫してしまうのだ。

あぁこんな平日の昼下がりにこんな形で黄昏れている俺はいったい何者なんだ。
と、ラジオ出演のテンションの反動をモロに受けて、地面を這いずってしまう程の気分になる。
しばらく後にもそもそと起きあがり、また無言でカタカタカタカタカタカタカタカタとパソの入力作業が始まる。もうひたすらカタカタカタカタカタカタなのだ。
ヘタをしたら1日はラジオでの数分のテンション↑↑アゲアゲと、それ以外の地味な誰とも会わないロー&ロー↓↓の時間しか存在しないかもしれない。

とりあえず現在、ラジオやテレビ以外でGoサインが出た仕事が始まっていて、そっちの作業がずっと続いているのだが、なんか人に逢わないで作業をひたすら続けているので、なんか気持ちが半分折れているような折れていないような状態が続いている。
今だったら、私に恋愛アプローチを仕掛ければ直ぐに落ちると思う。おそらく。
そういう事で、女性の皆さん私に恋愛アプローチを仕掛けて下さい。
終わり。

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