2012年2月 8日 (水)

「ビジネス書」は猿でも書ける

昔から興味がなかったジャンルの本に「ビジネス書」という物がある。


20120208
松下幸之助がどうしたこうしたと言うのから、昔だったら鈴木健二「気くばりのすすめ」とか、確かになんかタメになるような事を書いてある気がするんだけど、心の中で「こんな本を必死に読んで、それを真似しているヤツって仕事出来ないだろ」という感じがしちゃって避けてきた。
以前勤めていた会社なんかでも朝礼に何かを喋らなくてはいけないという当番があった時、明らかに「それお前の言葉じゃねえよな」とか「まず、今お前が喋っている事、お前が実行出来てないから」みたいなのを山ほど聞いてきた。
恐らくそこでは間違った事は書かれていないけれど、なんかその言葉の向こうには答えが無いような気がしていた。まず、松下幸之助が成功した事をこの先真似したってダメでしょ。時代が違うんだから。とひねて聞いていた。

だから自分的には強制的に読まなければいけない仕事以外では読まないと思っていた。
ところがフリーの雑学ライターとしてデビューして、まず最初の大きな仕事として『雑学収集能力をいかにビジネスに活かすか』みたいなテーマの本を書くはめになってしまった。
え〜〜〜〜!! なにしろ「雑学扱っていて生きていく上で意味ある物なんて思ったこと無いもん」と言うのが現実なので頭を抱えてしまったのだ。
これが今から4年近く前、確か2007年の終わり頃。
フリーとして仕事を始めたのが2007年の4月からなので、本当に何も実績を残していない状態の時。その時点で『知泉1』『知泉2』を出し、フリー直前に書いていた『静岡県の雑学』という本がフリーデビューとほぼ同時期に発売されていたけれど、雑学人として腹を括ってから初めて書く事になった単行本がそんな『雑学を活かしてビジネス大成功!』みたいな本だった。
おそらく自分だったらそんな本は手に取らない。

純粋に雑学本を何冊も出してそれで評価が上がっていって、その後に「雑学活用法」みたいなビジネス本にいくのなら理解出来るけど、いきなりそれってのはどうなのよと思った。
「私は雑学を活用する事によりビジネスの世界で大成功を納めたのである」みたいな物言いをする気なんて無い、というか社会人失格なのでフリーライターになったというのに。
でも、お知り合いになった編集プロデューサー氏は「まずビジネス本でガツンと!」という事を言い、そのあとで雑学本を続けざまに出しましょうと提案してきた。しかもこちらが提案したジャンルの違う2つの雑学本アイディアを「いいねそれ」と受け入れてくれた。
その事もあって、そのビジネス本を書き始めるのと同時に、雑学本2冊を同時進行で準備しはじめた。
今考えると、「雑学本出してやるよ」というニンジンを目の前にぶら下げられた馬のように無理して「ビジネス本」を書き始めた感じだった。

それでも何とか自分的に面白い方向に持っていきたいと頭をひねり、まず50個ほどの見出しを考え、1冊の流れを作っていった。

※あなたの知識は、自慢なのか、受け狙いなのか、そこが重要なのだ
※重箱の隅に向かってツッコミを入れる!、それも雑学となる
※専門バカには見えてこないからこそ万人受けする物になる
※雑学の種がいっぱい転がっているのに、何故スルーするのか?
※「当然」という言葉の落とし穴、自問自答してみると…
※よく解らない という事も実は重要な雑学の場合もある
※「こうだったら面白い」がガセ知識を生み出す出発点になる

こんな形の見出しをガーーっと書いていって、途中に色々なエピソードや、ガセ雑学はどうして生まれるのか、どんなガセは受け入れられ易いのか、などを書いて最終的に

※相手に雑学を伝える時の構成力が一番大切なのかも知れない
※組み立て方によっては無限に繋がっていく雑学
※知らない事は知らないとアッケラカンと言えるか?
※物事を俯瞰してチェックする視線が必要になってくる。
※知識の前提をどこに置くかを相手によって微調節してみる
※空気の読み方、時代の読み方、そしてネタのチョイス
※他人と1歩違うスタンスで文章を構築する
※雑学のポイントはプレゼン能力だ

という主旨の方向に展開して、なんとかビジネス書としての体裁になるように考えていった。


もちろん、文章の中に用例として雑学をいくつも挟み込み、雑学本としても面白く読めるような計算をしていった。
ビジネス書としては、同じ事例を取り上げても人によって文章が違っていく、その時にどこをチョイスしたらよいか。相手に正確に伝えるのを重視するか、それともまず驚かせる事を重視するのかで、文章の書き方は全然違ってくる。などと言う事などを書き連ねる方向で、見出しを羅列していき、同時に本文も箇条書きでガンガン書き連ねていった。

その間も何度も「こうしたらいい」「こうじゃないとダメ」という部分が先方編集者から出て、方向を違う方に引っ張られ修正したり、修正したり、修正したり.....。気の遠くなるほどのメールのやりとりが繰り返された。
どうもその編集の方とは雑学という物の捕らえ方が違うみたいだと思いつつ、しかもやけに啓蒙書というか、読者をいかに洗脳するかみたいな感じがしていたので「なんか違うなあ」と思いつつ「でもその先には雑学本を出してもらえるってご褒美があるから」と原稿をひねり続けた。
そんなこんなで数ヶ月。同時進行の雑学本の原稿もガシガシ書きながら、そしてラジオも淡々とこなしていった。もちろんその間は収入はラジオのみという状態。
が、その作業が突然、ブツッと終わる瞬間がやって来た。

2008年9月、世界的な金融危機、いわゆるリーマンショックによって色々な物が「おしまい」となった。
ペーペーだった無名の雑学ライターの書いたビジネス書なんてどこも出版しないよという感じで、そのフリー編集者(プロデューサー)さんとの連絡もプツッと切れた。
当然、その後に続く2冊の雑学本の話もそのままどこかに消えてしまった。

でも今となっては(負け惜しみ半分で)「あぁビジネス書なんて出さなくてよかった」って感じなのだ。
どうやらビジネス書ってのは出版社の編集会議でも通りやすく、書店でもそれなりに売れちゃう商品らしい。書籍ではなく商品だけど。で、実績がさほど無い人でも適当なプロフィールを書いておけば、それなりに売れちゃう物らしい。
でもビジネス書なんて出したくなかったんだからね!

今は5年間、雑学をどっぷり考えて来たのでその時より色々なノウハウが自分の中にあると思うけれど、とりあえずビジネス書を出すほどに落ちぶれたくないと思っている。
純粋に「雑学本を出したい」って気持ちは変わっていない。

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2012年2月 7日 (火)

1時間を短く喋り倒す

4月中旬、某所で講演会を開くことになった。


20120207
某団体から「いつもラジオのうんちく劇場を聞いています」という事での依頼での講演。
しかも「ラジオのようにテーマは何でもかまいません」という事だったワケですが、いつもラジオの原稿を書くときに苦労するのが「今日のテーマは何にしようか」と言う事なのです。
ハッキリ言って5年目ももう終わろうとしているラジオ番組。もう「今日は◎◎◎の日です!」というのも5周回目になるとテーマのネタ切れが近づいている。
中には2回3回とやれるようなテーマもあるんですが、流石に1000回近くやっているとテーマが見つけにくい。

で、講演会も「テーマは自由に」という事なのだ。
実際の事を言えば、最初からテーマはコレ!と決まっている場合はそこを足がかりにどんな話題にでも展開させる事は可能。
今、2ヶ月後の講演の核となる物を何にしようかと悩んでいる最中。
しかもその講演時間が1時間。1時間も人前で何を話せばいいというのだ?
おそらく1テーマではキツイので、途中で上手にテーマを展開させていかなければいけない。
ハッキリ言って自分は「喋りは短く簡潔に!」とずっと考えてきた人なので、学校でも、会社でも、結婚披露宴でも、何かのイベントでも長くダラダラ喋るって人を嫌ってきた。長く喋る人ほど内容がないどーでもいい話をダラダラとするというのはこれまでの経験で実証済みなのだ。

自分の雑学の基本はメルマガやサイトで展開している「ごく短い文章でカチッと雑学を言い切る!」という物で、それが持ち味だと思っているし、それが求められてるんだと思っている。
だからラジオでも5〜10分という時間を与えられても、その中で「いかに短い雑学を箇条書きで連発するか」という事をずっと頭に入れてきた。
だから箇条書きで言ったら、この5年間、どんだけの本数の雑学を語ってきたんだ? という事なのだ。以前、出版関係の人と話した時に「もっと1回の雑学を膨らませて長い文章で書けば、楽じゃないの」という話をされたワケですが「でも、それやったら他の雑学本と同じじゃん」という事で拒否した。

だけど、1時間連続で箇条書きの雑学を喋るのって、こっちも疲れちゃうけれど、聞く方も全然頭にネタが残らないと思うので、どうしたらいいか、と悩んでいる最中。
あと2ヶ月後、どうなる事やら。

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2012年1月12日 (木)

辰年の人

正月もすでに2週間経過って事でいまさら「辰年」に関してのお話。
20120112


本当はこういうのは前年の11月頃に思いついて、12月後半に「来年は辰年ですが」と書く物だと思いますが、いまさらです。
自分は『知誕』という古今東西の著名人の誕生日データベースというのを構築しているんですが、その中で「辰年生まれの著名人の中に辰・竜・龍の漢字が付けられている人はどのぐらいいる?」という「で?」というモノを調べてみた。
もっとも近い辰年は2000年(平成12)。
シドニー五輪のあった年でこの年生まれは今年12歳になる。
ゆえに誕生日データの中にあるのは子役ぐらいって事で、該当者は一人
2000/11/15:高村竜馬(11)俳優
次の辰年は1988年(昭和63)、ソウル五輪のあった年。
つーか干支は12年で一回りなので辰年は必ずオリンピックのある年なのですが。
で、この年生まれは今年24歳になる。該当者は6人。
1988/02/07:佐々木竜太(23)サッカー [O]
1988/02/15:森岡龍(23)俳優 [O]
1988/05/03:増渕竜義(23)野球 [A] 
1988/05/27:高橋竜大(23)俳優
1988/06/23:伊藤竜翼(23)俳優 [O] 
1988/10/03:坂本龍一(23)俳優 [B] 

ミュージシャンの坂本龍一教授と同姓同名の坂本龍一クンがいますが、たまたま坂本姓で辰年って事でその名前なのですね。


次の辰年は1976年(昭和51)。モントリオール五輪があった年。
この年に生まれた人は今年36歳になる。この年生まれの著名人はなんと41人。
このぐらいの年齢になると俳優だけでなく、色々なジャンルの人が登録され始めるので一気に人数が増えてくる。
1976/01/04:林田竜次(36)ヒットマン/お笑い
1976/01/07:金開山龍(36)相撲:本名.松山龍水
1976/01/12:川田龍平(36)東京HIV訴訟原告/政治家.参議院
1976/01/21:西岡竜一朗(35)俳優 [O]
1976/02/09:富平辰文(35)極真会館→SQUARE格闘家/K-1 [O]
1976/02/13:石山竜市(35)ラスティア(Lastier)/歌
1976/02/24:阿川竜一(35)俳優 [O]
1976/02/29:板垣辰治(35)俳優
1976/03/02:岩木山竜太(35)相撲:本名.對馬竜太
1976/03/11:田畑竜介(35)アナウンサー 
1976/03/13:磯崎竜一(35)俳優:本名.見目竜一
1976/04/08:伊東竜二(35)プロレス [B]
1976/04/08:山田能龍(35)俳優
1976/04/17:遠藤竜志(35)野球 [B]
1976/04/17:上山龍紀(35)総合格闘家 [AB]
1976/04/21:福山龍太郎(35)野球 [A]
1976/04/29:千代大海龍二(35)相撲:本名.廣嶋龍二
1976/05/05:伊藤竜也(35)俳優
1976/05/05:川村龍俊(35)マンブルゴッチ/お笑い [O] 
1976/05/06:櫻田龍太良(35)俳優 
1976/05/12:樋口龍美(35)野球 
1976/06/08:辻竜太郎(35)野球
1976/06/11:横山竜二(35)野球 [B] 
1976/06/18:久保竜彦(35)サッカー [A] 
1976/07/24:小関竜也(35)野球 [A] 
1976/07/27:金城龍彦(35)野球 [A] 
1976/07/31:佐藤龍文(35)アナウンサー
1976/08/02:春ノ山竜尚(35)相撲:本名.春山竜尚
1976/08/11:加藤竜人(35)野球/投手 
1976/08/13:広田龍馬(35)馬術
1976/09/04:後藤龍治(35)キックボクシング [O]
1976/09/11:中村竜(35)俳優・歌手 [A] 
1976/09/12:木幡竜(35)俳優
1976/10/19:今田竜二(35)ゴルフ
1976/10/29:若薩摩(35)相撲:本名.春山龍二
1976/11/04:松本龍(35)アナウンサー
1976/11/05:宿輪竜一(35)Rマニア/タレント [B] 
1976/11/10:河端龍(35)野球/投手 [O]
1976/11/23:濱錦竜郎(35)相撲:本名.高濱竜郎
1976/11/23:小林竜一(35)ボブスレー
1976/12/12:平山竜太郎(35)格闘家/極真会館



そして次の辰年は1964年(昭和39)。かの東京五輪のあった年。
この年に生まれた人は今年48歳になる。そして登録されているのは27人。
1964/01/06:飯野竜彦(48)フライングキッズ/KEY
1964/01/08:村上竜司(48)空手
1964/01/09:田中龍也(48)レプリカ(REPLICA)/G
1964/01/16:鐘下辰男(47)演劇企画集団THEガジラ/演出家 
1964/01/21:杉辰也(47)ボクシング/スーパーフライ
1964/01/21:塩井辰男(47)プレナス/社長
1964/01/27:宮下竜広(47)がんくつ王/お笑い
1964/02/05:鏡田辰也(47)アナウンサー
1964/02/28:西田竜一(47)アクション/ドラム 
1964/03/24:石原辰義(47)スピードスケート
1964/04/11:千葉龍平(47)アクシヴ/社長
1964/05/01:久留龍子/RIN(47)チャイルズ/タレント [B] 
1964/06/09:河野龍太郎(47)BNPPパリパ証券/経済調査部長
1964/06/16:岡竜也(47)俳優
1964/07/02:立花龍司(47)野球 [A] 
1964/07/06:佐東龍一(47)俳優  佐藤竜一
1964/07/07:佐藤竜雄(47)アニメ演出家
1964/07/10:松谷竜二郎(47)野球
1964/07/15:下神竜哉(47)トランペット/米米club
1964/07/22:石末龍治(47)サッカー [O] 
1964/07/28:西脇辰弥(47)作曲家
1964/08/28:風間竜一(47)俳優:本名.井田竜一
1964/10/25:奥野竜三(47)馬術
1964/11/29:吉村龍(47)俳優  吉村龍
1964/12/18:東海辰弥(47)アメフト
1964/12/26:水上竜士(47)俳優 [A]
1964/12/29:鶴見辰吾(47)俳優 [A]



次の辰年は1952年(昭和27)。ヘルシンキ五輪があった年。
今年60歳の還暦を迎える方々で、登録は14人。
1952/00/00:小野新二(*42, 1995)漫画家:本名.吉村竜正
1952/01/03:早野龍五(60)物理学者
1952/01/17:坂本龍一(59)YMO/KEY [B] 
1952/01/25:藤原辰雄(59)競馬調教士
1952/02/02:水野龍司(59)俳優 
1952/02/19:村上龍(59)作家
1952/04/09:稲増龍夫(59)社会学者 [AB] 
1952/04/14:泉龍彦(59)クラリオン/社長
1952/05/18:大友龍三郎(59)声優
1952/05/20:林家ぎん平(59)落語家:本名.菊地辰夫
1952/07/09:村田辰美(59)野球
1952/07/14:山田辰美(59)富士常葉学園大学環境防災学部教授 [B] 
1952/09/17:小泉龍司(59)政治・衆議院・無所属→自民党/埼玉11区
1952/12/16:蔵間龍也(*42, 1995/01/26)相撲・関脇

先ほど俳優の坂本龍一クンがいましたが、同姓同名のと言うか世間的に有名な坂本龍一サンも辰年生まれ。さらに作家の村上龍サンも辰年生まれでした。
ちなみに「竜」が名前に入る有名人では俳優で海老名美どりのダンナ峰竜太サンも、歌手で俳優の白竜サンもこの年生まれなんですが、残念な事に峰竜太サンの本名は下嶋清志、白竜サンの本名は田貞一でした。


次の辰年は1940年(昭和15)。
実はこの年のオリンピックは最初、東京で予定されていたのですが戦時中という事でゴタゴタして最終的にヘルシンキ五輪となったという曰く付きのオリンピックで、日本は不参加でした。
この年生まれの人は今年72歳、7人登録。
1940/01/21:竜雷太(71)俳優 [AB]:本名.長谷川龍男
1940/03/17:小林辰興(71)栃木銀行/頭取
1940/03/30:大沢辰美(71)政治・参議院・日本共産党
1940/04/08:森山司(71)俳優:本名.若林龍夫
1940/07/03:柴田龍彦(71)新家工業/社長
1940/08/28:本田竜彦(71)俳優 
1940/10/19:伊藤竜彦(71)野球

峰竜太サンと間違われやすい竜雷太サンはこの年生まれで本名が長谷川龍男となっています。
で、ブルース・リーもこの年生まれで「李小龍」ですが、生まれた時の名前は「李振藩」、しかし辰年生まれ、さらに辰の刻に生まれたと言う事で「李小龍」と名乗っていたみたいです。


次の辰年は1928年(昭和3)。アムステルダム五輪の年。
この年生まれの人は今年84歳、13人登録。
1928/01/21:岩淵龍太郎(83)バイオリン奏者
1928/01/30:遠藤太津朗(83)俳優:本名.遠藤辰雄
1928/03/28:野上龍夫(83)脚本家
1928/04/25:ふじやま竜(83)俳優
1928/05/08:澁澤龍彦(*59, 1987/08/05)フランス文学者
1928/06/15:金田龍之介(83)俳優 [A]
1928/06/16:中西龍(*70, 1998/10/29)アナウンサー 
1928/06/19:長谷川竜生(83)詩人
1928/07/08:西山辰夫(83)俳優
1928/09/30:泉洋辰夫(83)相撲/前頭6
1928/10/10:平川浪竜(*61, 1990/01/03)作曲家 
1928/11/23:高橋辰夫(83)政治・衆議院
1928/12/15:石栗龍雄(83)競馬調教士

俳優の金田龍之介サンもこの年生まれですが、「龍之介」というと作家の芥川龍之介も辰年生まれというなんですが、実はこの前年の1927年に芥川龍之介が亡くなっているので、そのタイミングなのかなとか思ってしまいます。


次の辰年は1916年(大正5)。ベルリン五輪、と言っても記録映画やヒトラーが指揮して聖火ランナーが登場したベルリン五輪は1936年のモノ。
しかし5回前にベルリンでやっているのに再び同じ場所で開催するって、どんだけヒトラーのごり押しがあったんだと思ってしまうワケで。
この年生まれの人は今年96歳、9人登録。
1916/01/03:横山龍雄(*81, 1997/12/08)高知市長/政治家
1916/04/13:杉本辰夫(*91, 2007/09/26)ダイワ精工/元社長
1916/06/30:西川辰美(*54, 1971/03/07)漫画家
1916/07/14:湯川龍二(95)日本電設工業社長
1916/07/23:辻辰三郎(95)検事総長
1916/07/27:宮島龍興(95)物理学者
1916/10/10:水久保澄子(95)女優:本名.荻野辰子
1916/12/01:川合辰雄(95)九州電力社長
1916/12/07:小沢辰男(95)政治・衆議院



次の辰年は1904年(明治37)。セントルイス五輪があった年。
このオリンピックを見た日本の政治家が「日本も参加しないとイカン!」と思った大会で日本人は未参加。
と言う事になっているが、この大会の公式競技とは別に「人類学の日」という学術的という名目のイベントがあり、インディアン・エスキモー・そしてアイヌなどが参加している。
「少数民族の体力測定」という学術的な目的となっているが、実際には差別的なもので、日本在住のアイヌの方々が参加している。しかし近代オリンピックを考案あしたクーベルタンがこのイベントを批判しこの回しか開催されていない。
で、この年生まれの人は今年108歳、5人登録。
1904/05/20:永井龍男(*86, 1990/10/12)作家
1906/06/02:橋本龍伍(*56, 1962/11/21)政治家
1904/09/21:黒田辰秋  工芸家
1904/12/16:竜岡晋(*78, 1983/10/15)俳優:本名.岩岡竜治
1904/12/28:堀辰雄(*48, 1953/05/28)作家



次の辰年は1892年(明治25)。
まだ近代オリンピックが開催されていない時代で、ご健在でしたら今年2周目の還暦120歳、3人が登録。
1892/02/22:天野辰夫(*81, 1974/01/20)国家主義者・弁護士
1892/03/01:芥川龍之介(*35, 1927/07/24)作家
1892/06/30:弘田龍太郎(*60, 1952/11/17)作曲家

かの有名な「辰年・辰月・辰日・辰の刻ので生まれたので龍之介と名付けられた」という芥川龍之介サンがいます。
が、実際には生まれた日は1892年(壬辰年)03月(壬寅月)01日(壬辰日)なので、どこかで話が大きくなってしまったのかも知れません。


次の辰年は1880年(明治13)。
流石にご健在の方はいないと思いますが、ご健在でしたら132歳で、2人登録。
1880/09/27:安達辰次郎()宗教家/神道神心教2代目教主
1880/11/13:布施辰治(*72, 1953/09/13)弁護士・社会運動家



てなワケで、確かに他の年の「辰・竜・龍」の漢字が付いている人よりは多かったという事が判ったワケでやんす。
今でも「龍」という漢字は勇ましいしカッコいいので今年生まれの赤ちゃんにも付けられるのではという感じ。それに反して女性には強すぎるって事で知誕の中では2人だけ。
1964年:チャイルズの久留龍子(磯野貴理子がいたグループ)
1916年:女優の水久保澄子(本名が荻野辰子)


あくまでも自分が個人で構築している誕生日データなので、他にももっといると思いますが(あるいは芸名で本名にはその文字がない可能性も)、あくまでもそんな事で。で、これだけ書いてみて「で?」という話でした。
誕生日データ→『知誕

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2012年1月10日 (火)

紅白歌合戦で「信じる」

音楽番組を片っ端から録画して、それのインデックスを作って保存して、という作業を30年続けている。


20120110

で、やっと昨年末の紅白歌合戦にまで辿り着いた。あとはジャニーズとCOUNTDOWN TVの大晦日→新年番組のチェックだ!
と言いつつ、レコード大賞も紅白歌合戦もリアルタイムで見ていたので、視聴よりインデックス作りがメイン作業。
で、紅白歌合戦に関しては「やはり全面に震災がらみだよね」というのは致し方ない。というか、NHKはやらなくちゃダメでしょとは思うけれど、それがメインでコーナー的にそういう方向ってだけじゃなく、そこで歌われる楽曲もそんなイメージだった。
そして放送中にtwitter上で映画評論家の町山智浩さんが「なんかやたらと『信じる』って言葉が出てくる曲ばっかりだな」と呟いていた。
自分もそれ以前から今年リリースされた曲は「信じる」「歩いていく」みたいなニュアンスが多いというのは感じていた。このタイミングではしょうがないって部分はあるんだけど、ちょいと作詞なんてしている側の人間として「多用される単語」というのは気になっていた。
で、インデックスを作るついでに番組で歌われた楽曲の「信じる」という歌詞をチェックしてみた。


とりあえず今回の紅白歌合戦で歌われた楽曲は50曲(メドレーは1曲としてカウント)
・浜崎あゆみ『Progress』
「信じたい心」「同じ未来信じている日本」本来の歌詞では「同じ未来信じているふたり」を変えて歌っている。紅白ならではという感じだけどね・
・FUNKY MONKEY BABYS『それも信じてる』
思いっきりタイトルから信じまくっているワケで、このグループに関しては時々「ヒネらんかい!」とい思ってしまうぐらいにメッセージが直球な事が多い。それが良いか悪いかは個人の趣味だけど。
・西野カナ『たとえ どんなに…』
「きっと届くと信じて」この人も恋愛に関しての詩はストレートで、そのストレートすぎる傾向からネットでは「日記かよ!」という批判もある。分かり易いと、稚拙の違いは難しい。
・ポルノグラフィティ『ワンモアタイム』
「One more time 僕らは信じてる」相変わらずテンション高い曲ですが、やはり信じている。
・夏川りみ×秋川雅史『あすという日が』
「しあわせを信じて」紅白対決関係ないスペシャル楽曲でも信じている
・TOKIO『見上げた流星』
「目を閉じて信じればその胸に輝いてるよ」
・嵐×出演者一同『ふるさと』
「明日を信じて歩いてる」これも紅白対決は関係ない曲
・平原綾香『おひさま〜大切なあなたへ〜』
「私だけは いつでも味方だわ 大丈夫信じて」
・長渕剛『ひとつ』
歌詞には「信じる」という言葉は無かったが、語り部分に「みんなの力を信じている」と
・和田アキ子『あの鐘を鳴らすのはあなた』
「信じたい心が戻って来る」震災とはまったく関係ない時代に作られた詩ですが
・いきものがかり『歩いていこう』
「傷ついても何度も信じたいよ」信じると共に多く使われる表現「歩いていく」を全面に出した楽曲。個人的にはこの曲より「笑ってたいんだ」の方が好きだけど。
・福山雅治『家族になろうよ』
「どれほど深く信じ合ってもわからないこともあるでしょう」信じるを否定的に使っているので、これはカウントすべきかという感じ。
・EXILE『Riging Sun』
「明けない夜はないと信じて」この曲は思いっきり復興のテーマ曲として作られていて、やはり信じています。
・SMAP『not alone 〜幸せになろうよ〜』
「だれかを信じる遺伝子でできてる」この曲は震災後に急遽みたいな感じで配信限定シングルとして5月にリリースされた曲。

50曲中14曲(福山雅治の曲を抜くと13曲)に信じるという言葉が登場する。思ったより少なかったけれど(見落としもあるかも知れない)、これは今年の特徴なのかな。他年度の曲も調査しないとハッキリとは言えないけれど、なんか方向性が見える。
信じる事は悪い事じゃないし、信じて欲しいと願う気持ちも悪い事じゃないので、この結果を批判するって事じゃなく「なるほどねえ」という感じ。
大昔、ピンク・レディーが第1回24時間テレビのテーマ曲として「2001年愛の詩」という曲で「愛することが当たり前なら 愛という字はいらない」と歌っているのですが(作詞・阿久悠)、今は「信じる」とか言わないといられない状況なんだろうな。

ちょいと作詞をするって仕事に片脚を踏み込んでいる自分は、この時代に何を言葉として著していけばいいのかと考え込んでしまうのであります。

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2012年1月 9日 (月)

怒れ若者!

「成人の日」らしい。


20120109

毎年「日本各地で暴走する新成人」みたいなニュースが流れるけれど、今年は毎年恒例の沖縄の成人式の暴走がちょっと報道されただけで、それ以外はあまりその手の報道が無かった(という事で、この雑記は当日書いているワケでは無く、翌日以降に書いているワケですが)。
実際に平和にすべてが執り行われたのか、あるいは「ああ言う連中は報道するから、よけい図に乗っちゃうんだよ」と意図的に報道しなかったのかは不明ですが。
で、その成人の日に向けて朝日新聞が社説で書いた文章がちょっと話題になった。
興味のある人は「朝日新聞 成人の日 尾崎豊」で検索して欲しい。


その文章は「キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ」という書き出しで始まっている。
当時、反抗する若者の代弁者としてメッセージを発していたカリスマで、死後も熱く支持されていたハズの尾崎豊だったが「最近はうんざり顔をされる事が多いらしい」と書かれている。
現在の若者達は尾崎のように不満な現状を打破する気持ちはなく、最近のアンケートで「20代の7割が現在の生活に満足している」という過去40年間で最高の満足度が出されていると書かれている。
20年前(のちょっと前)、尾崎豊が支持されていた80年代というのはバブル期への上昇期でみんな浮かれていた時代。それに対して現在はどん底経済からさらに何段も下に降りたような底なし沼の状況と、若者達が置かれている状況はまったく違っている。実際には今の方が不満は多いハズなのに。
朝日新聞の社説は「若者よ怒れ!」と尻を叩いて奮起させるような文章として締められている。
言いたいことはよーく判る。
でも自分は、尾崎豊が支持されていた理由が「裕福な時代の歌だから」だと思っている。

時代時代によってメッセージソングというのは生みだされ若者に支持される。でも60年代のメッセージフォークも、80年代の尾崎豊なども、実際には景気がいい時代、裕福の頂点に向かって登り調子の時代に発せられる「何やっても許される時代だけど、俺どーしたらいいのよ」的な自分探しとかの余裕ある若者の戯れ言の場合が多い。
尾崎豊が捲いたバブル期メッセージソングはバブル絶頂の90年前後にはバンドブームの中で大量に再生産され播き散らされた。「大人の決めたルールには従わないぜ」「俺は社会に染められないぜ」みたいな生活の苦労を考えなくてもいい時代の坊ちゃん達のワガママを曲に乗せたようなものが多かった。(メロディも異常なほど稚拙なモノが多く、下手くそな演奏をパンクという言葉で誤魔化しているようなのも多かった)

社説の中で、精神科医・香山リカさんが大学で尾崎豊の感想を聞いた時「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」という意見が返ってきた話を書いているけれど、もっともな話だと思う。
今の若者は現状に冷めているワケでもなく凄く冷静なんだと思う。物心付いた時から不況時代しか見ていない中、バブルを忘れられないような馬鹿な前の世代を見続けてきたから。
この社説を書いた人は尾崎豊よりちょっと年上という事なので50歳前後という事だと思うけれど、そうなると80年代中期に朝日新聞に入って、バブル期の浮かれた時代に20代を過ごし、バブル崩壊と言っても今から考えるとまだまだ浮かれていた90年代を過ごしてきた、思いっきりバブル享受世代なんだと思う。
こんな世代に「若者よ怒れ」とか若い世代は煽られたくはないんじゃないかな?

この80年代によく言われた言葉が「自分探し」という言葉で、裕福過ぎちゃって何が幸せか判らなくなったので自分を見失ってしまったのか知らないけど、やたらとそんな言葉が飛び交っていた。
お手軽自分探しとして「インドに行くと人生感が変わるよ」みたいなのもあったけど、それが自分なのかというと疑問。そもそも自分なんて年を重ねて積み上げて作り上げていく沈殿物みたいなモノなんだから、どっかに落ちているかのように探し廻るモノじゃないだろ。まるで「青い鳥」みたいな話だけど。
70年代、学生運動などの怒れる若者ブームが過ぎた時「しらけ世代」などと言われた時代があったけれど、あれはオイルショックで景気が一気に急降下した時代の話。その時も就職難がどうしたこうしたと社会情勢は重かったんだけど、あの時代もやはりメッセージソングはヒットしない支持されない時代になり、その手の音楽がギャグのように扱われた過去がある。
実は不況の時にはメッセージソングは支持されないんじゃないかと思う。完全に無くなるワケではなく、ある一定の量、その手の曲は生み出され続けているんだと思うけど。

「若者よ怒れ!」などと煽る事が出来るのは、怒ってムチャをしてもなんとか世の中が認めてくれる時代、失敗しても受け皿のある時代の話なんじゃないかと考えてしまう。
ある意味、バブル期に朝日新聞に入って、現在大不況の中で社説などを書く地位に収まっている人は「世の中を動かしている社会の一員」という自認はあるのかも知れないけれど、社会の中で必死に今にしがみついて翻弄されている人の気持ちは理解出来ないんじゃないかな。
ロンドンやニューヨークで暴動やデモを起こしている若者が正常な姿とは思えない。あの暴動が社会を動かすとは思えない。現在50歳前後の社説を書いた人は1970年頃の学生運動を勝手な憧れの目で眺めているしらけ世代だったんじゃないかと思う。
怒らなくても前向きな気持ちは持ち続ける事は出来る。

「怒れ若者!」というのは実際に怒っていないオッサンの戯れ言なので、若者よそんな事を言う大人にならないようにガンバレ。

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2012年1月 8日 (日)

いまさらレコード大賞の話

去年のレコード大賞は「AKB48:フライングゲット」


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という事で、それが決定した時にTwitter上では「レコ大オワタ」みたいな文章が乱れ飛んだ。
権威のあるハズのレコード大賞の歴史にAKB48の名前が刻まれるなんて、もう権威も何も無いじゃないかという事らしい。
でも基本的な事を言うと「ヒット曲なんていつの時代も俗っぽいモノなんだぜ」という事。なんだかんだ言っても2011年一番耳にした曲としてフライングゲットは納得出来る曲なんじゃないかと思う。
Twitterでは「あんな曲、来年は誰も覚えていないよ」みたいな意見もいくつかあったけれど、これまでの大賞曲の中にもすでにタイトルだけでは思い出せない曲がチラホラある。
例えばたった5年前の2006年レコード大賞曲「氷川きよし:一剣」って即座に歌える人ってどのぐらいいる? 自分はその時の映像を見直したんだけど、まったく記憶にない曲だった。歌える歌えない以前の問題。
他にもそんな曲がゴロゴロしている。
その点「フライングゲット」はそこそこ浸透した曲なんじゃないかな。
AKB48と同じように秋元康が手がけた「おニャン子クラブ」の代表曲「セーラー服を脱がせないで」なんて80年代を代表する曲として、今でもことある毎に流れてくる曲で、多くの人に記憶されている。
なんだかんだ言ってAKB48を嫌っている人でも「フライングゲット」をカラオケで歌えと言われたら、なんとなく歌えてしまう人も多いんじゃないかと思う。


AKB48なんてチャラチャラした歌手が……みたいな意見もあったけれど、それはもう1978年にピンク・レディーが「UFO」で受賞した時に散々言われた。それから10年後の1988年に光GENJIが「パラダイス銀河」で受賞した時ももっと大きく言われた。光GENJIはデビュー2年目での受賞だったからなおのこと。
国民的なヒット曲がないというのはもう90年代に入ってからは難しいんじゃないかと思う。
恐らく2011年のヒット曲で、全ての年代の人に「歌える曲、知っている曲」というアンケートを取ったら総合で1位を取れるのは「薫と友樹、たまにムック/マル・マル・モリ・モリ!」(鈴木福×芦田愛菜)なんじゃないかな。

とりあえずAKB48に関しては「売れた理由は、握手券や投票券が入っているなどの商法」という事で批判する人は多い。
確かにそれがヒットの要因としては淋しい気もするんだけど、それらを否定する人達の意見を見て納得いかないのが「で、楽曲に関しての批判は無いの?」という部分。音楽としての意味をハズしての批判ばかりだって事。
おそらくそんな問いかけをすると「あんなの音楽として聞く価値無い」という事を言う人もいると思うけど、楽曲としてのAKB48の曲は歌謡曲としてよく考えられて作られていると思う。最初からAKB48はダメというフィルターが掛かっている人には全てダメなんだと思うけど。
同じように韓国の歌手、いわゆるK-POP全般を否定的に「韓国のごり押しなのでアウト」みたいな事を語っている人も音楽として語るという事がほとんど無いように感じてしまう。
K-POPつっても、アーティストによって音造りみたいなモノは違うので一括りにするのってどうよと思う。KARAと少女時代では曲作りのコンセプトが違うし、他のアーティストも違っているので一括りってどうよ。政治的背景なんて曲を聞いている時にはまったく興味ない。
AKB48にしろ、K-POPにしろ、そういう音楽的ではない処で批判するのって面倒臭そう。
そう言う意味でAKB48がレコード大賞を受賞する事に憤慨している人を見て色々考えてしまった。

ちなみにAKB48のプロデューサー秋元康は作詞家としてこれまで4000曲ほど詩を書き、総売上4500万枚を超え歴代3位を記録しているけど、レコード大賞の受賞はこの「フライングゲット」が初めて。

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2012年1月 7日 (土)

「食べログ」操作

クチコミ投票による飲食店の評価サービス『食べログ』に、情報操作をする業者が出現し、集中的に契約した店の評価を上げていたという事が発覚して騒ぎになっている。


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いつの間にか「クチコミ情報はあてになる」と言うことから万全の信頼を得ているかのように広がっていった『食べログ』なんだけど、どうしてここまでみんなマルッと信じちゃうのかな。
確かにクチコミってのは「実際に行ってみた人の感想」って事で、業者の宣伝とは違う部分なので「なるほどね」という部分で引かれるのかも知れない。
でも昔からアマゾンのレビューなんかで明らかに「そのベタ褒め文章はどうなのよ」的な物があったり、不特定多数が自由に編集出来るWikipediaでも関係者が有利なような文章を改竄していたという件などが発覚していたから、それも想定内だったんじゃないかと。
よく店の開店時にサクラを並ばせて行列が出来た事でさらに行列が出来るという効果を狙うパターンがあるけど、あれと同じ原理だよね。
で、その行列に関しては並んでいる方もイベントの一環として並ぶパターンもある。中には「この行列ってサクラで盛り上げている」という噂を聞いていても、あえて並んでみるというパターンもある。


確かに『食べログ』なんてジャンルのものは「信用第一」だとは思うんだけど、いくらでもデータ操作はできると思う。
たとえば大学のサークルなど複数人の暇な連中が集まる場所で
「あそこのメシ屋、最悪にマズイよな」
「サービスも最低、俺あそこの親父に睨まれてンだよ」
「道理でいつ行っても客がいねえんだな」
という事で、批判するのではなく「逆に盛り上げてアソコの親父をてんてこ舞いさせようぜ」という事で、複数人で「最高の店」という評価を入れる遊びも簡単に出来る。さらに横の繋がりで仲間に声を掛けてどんどん評価を上げてしまうという事がいとも簡単に出来る。実際の仲間じゃなくても、例えば2ちゃんねる辺りで悪ふざけのイベントとして盛り上げる事も出来る。

それのもっとも有名な例では2001年にアメリカの雑誌『TIME』での今年の顔として田代まさしをみんなで一斉に投票するという遊び。いわゆる「田代砲」と呼ばれるヤツで、この時異常なほど投票があった事から「TIME」は一時的にシステムダウンを余儀なくされ、ちょっとした社会現象になった。(結局、田代まさしへの投票は無かった事にされた)
同じようなパターンでは2003年のプロ野球オールスターゲームへのネット投票で、当時年俸は2億円のわりにまったく活躍しなかった中日の川崎憲次郎を「晒し者にする」という意図でセリーグ先発投手部門で1位にした「川崎祭り」というのも行われている。
そんな事で、ネットでの投票なんて組織票でいくらでも操作出来るという事を、利用者も頭の片隅に置かないといけないんじゃないかと思う。最終的に『食べログ』の結果を見て店に行ったのは本人の意思なので「騙された!」とは思ってしまうかも知れないけど、単純に信じちゃダメっすよという教訓になるんじゃないかな。
そもそも、食べ物の美味しいマズイなんて人それぞれなんだし。

どのジャンルでも何か新しいモノが始まると、話題になると、それに便乗して何とか金儲けしようと考える人がいるワケで、それが『食べログ』にも登場したという話なんだと思う。
もっともテレビのニュースでコレを扱っているのを見ていて「ネットはやっぱ信用できねえよな」と優位に立とうとしている視線も感じないワケではないけど。

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2012年1月 6日 (金)

作詞家準備中

去年、11月に入った処で「よぉしブログ更新を頑張るぞ!」と思い立って何日か連続で文章を書き始めたけれど....結局、放置かよ! という事ですが、実は11月21日に某所から「作詞3本!」という依頼があり12月12日〆切で3週間ウンウンと脳みそをシャッフルさせておりました。


で、なんとかクリアして、その3曲の仮歌も「いいじゃん」という感じに仕上がってきて「もしかして俺って天才」と自分褒めをしつつ「もう12月中旬なので、今年の作詞仕事もこれで終わりだ」「1月にスタートして17曲か、いきなり始めたにしては良くやったな」と作詞仕事に関してのお片づけをして、後はラジオ原稿と読売新聞クイズ原稿を片づけて、今年はラストに向かってGO!と思っていたワケです。
しかし15日に(木)「前回の続きで4曲目の作詞を」という事で、しかも19日月曜までという事。
うーむ、16日の金曜日がラジオ〆切、17日の土曜日が読売クイズ〆切というスケジュールを立てていたので、てぇ事は余裕は土日の二日しかないじゃないか!
という事でガッと原稿に取りかかったわけです。

しかし頭の片隅に「作詞」という言葉が浮かんでは消え状態。
雑学やクイズに関しての原稿は前々から色々な資料を集めてあって、なんとなく完成の図式が見えているので集中してガーッ!とやればなんとかなりそうな感じはあるんですが、作詞に関しては先方からメロディを渡された時点では頭の中は真っ白。
曲を聞くと様々なイメージは湧いてくるけれど、それを意味のある文章としてまとめられるか全然自信がない。主人公に関してはとりあえず歌う子は17才だとかぐらいしか情報がない。オッサンの自分の中に住んでいる17才少女を呼び出して物語を紡ぎ出さなくてはいけないのだ。
自分の娘と言ってもいい年齢の、しかも女子だからなぁ。
そんな事を原稿を書きながら考える。

その作業中、先方から頂いた曲を無限ループさせながら聞き続ける。もう何度も何度も。
おそらく自分が作詞をやっている部屋にずっと付き合ってくれる人がいたとしたら、その人はノイローゼになってしまうんじゃないかというぐらいにリピートする。
雑学原稿を書いていて、ふと息抜きに作詞仕事を考えてみる。
とりあえず曲に関して1つ「こんな感じに」という注文は入っている。まだ未発表の状態なのでその条件はここで書けないけれど、以前のハイスクールシンガーでやった物では「架空のアニメ主題歌」というテーマだったり「若槻千春みたいな女の子」だったり「横浜をイメージして」とか、そんなワンポイントのテーマを与えられて世界を広げていって詩を紡ぎ出す。
が、今回のテーマはムチャ難解で主人公はどういう状況なんだ、それ以前にラブソングなのか、会話中心なのか風景中心なのか、色々広がっては縮まってみたりを繰り返し、思いついた言葉やフレーズをノートに書き込んでいくが1つも引っかかってくる単語が出てこない。

先日書いた詩の場合は同様にノートに言葉や世界観を広げていったんだけど、気が付いたらノート10ページ以上にビッシリと文章を書き綴っていて、詩というより小説みたいになっていた事もある。
そんなこんなで思いつかないので、ふたたび雑学原稿に戻りワッセワッセと作業を進める。
15日の寝る直前にはまだ1文字もハマった言葉が出ず、部屋に流れているメロディはインストのまま。
16日の金曜日、午前中の比較的早い時間にラジオ原稿が完成(朝6時台からだったので)、そのまま作詞作業を頭の片隅に起きつつ、読売新聞Webクイズの原稿書きスタート。来年1月掲載予定の問題で5週分の10問。と言っても、基本的な問題部は前倒しで書いているので(とりあえず現時点で来年3月分までは完成)それの解説文をまとめていく。

去年8月からスタートした連載ですが、その時の依頼は「クイズとその解答にちょっと解説を」という物で、問題+解説で原稿用紙1枚ぐらいという感じだった。それでも自分的には原稿用紙1枚でその金額っすか!是非是非!!という感じで引き受けた仕事。が、自分の悪い部分のサービス精神みたいな物が出て、解説文がどんどん長くなっていく。
雑誌や新聞などに掲載する場合は文字数を考えなくちゃいけないけれど、Web連載という事で、しかも原稿的にはオマケ部分なので字数制限なし。なので徐々にそこが長くなっている。
その結果、5本文の雑学クイズ原稿が原稿用紙換算で16枚になっている。予定の3倍。
そうなると原稿用紙1枚計算の原稿料は安くなってしまうのだ。別段そこまで解説文は必要ないと思うんだけど、読みに来てくれる人へのサービスなのだ。

そんなこんなで雑学系クイズ系と作詞の仕事は脳の使う部署がまったく違うので、スイッチを切り替えながら、あるいはリフレッシュさせながらやっている。
そんなワケで昨年12月に書いた作詞はこれまでやってきた「ハイスクールシンガー」とは別のメジャー発売予定の詩なので、この先、ここで大きく発表出来るんじゃないかと言う事です。
さてどうなるか、もうこの事を語っても鬼は笑わないと思うんですが。

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2012年1月 5日 (木)

夢見る頃を過ぎても

一時期、テレビゲームにドンッとハマっていた時期があった(2011年11月18日「TVゲームは怖い」)。そしてプラモデルにハマっていた時期もあった。


もうそのまま造形師になろうかという勢いで家にいる時間はずっとモデルを削ったり、くっつけたり、塗ったり、改造したりしていた。
もっともそれでプロになれるような状態ではなかったんだけど、市販のプラモデルを買ってきて、それを漫画で書かれている物と違っている場合は一生懸命削ったりして、いかに本物っぽく仕上げるか……、なんてぇ事に時間を費やしていた。
もう随分昔の頃、パトレイバー関連とかをやっていたのでその時代のお話。

でも今思うと自分の場合はそれも現状から逃げたくてしょうがなかった&ジレンマの結果なんだと思ってしまう。普通の人は純粋な趣味としてやっているのだから逃げではないと思うけれど、自分の場合はその時期ののめり込み方の異常さを思い起こしても逃げだったんだと思う。
結果としてそのマイブーム期を過ぎると元に戻って音楽を作り始めたり、文章を書き始めたりという事をしているので。
あれやこれやに手を出すってのは「今が上手く行っていない」という部分からの脱出なんだろうなぁ。
あくまでも自分の過去を振り返った場合の話だけど。

で、世の中「夢」なんて物を見ている若者は多くいると思う。それが本当に未来を構築するための堅実な夢ではなく、ある種荒唐無稽な現実的にみたらデッカイ夢。自分もそんな若者の一人だった。
勝手に「俺には才能がある」なんて根拠のない自信を抱き、そのクセ「いつの日か」なんて甘い考えで無駄な時間をやたらと過ごしていた。
ゲームやプラモデルに掛けた時間も無駄だったけど、音楽にハマったり、漫画を描いたり、文章を書いていた時間も、冷静に見ると無駄な時間なのかも知れない。
それのせいで、ごく普通の人が過ごす楽しみをほとんどせずに今に至ってしまったような気がする。なんてもったいない人生でやんす。
無駄か無駄じゃないかというのは人それぞれの価値観に基づく物なので、あくまでも自分の中でのお話だけど、そんな事をずっと思いながら会社に勤務していた。その会社にいる時も心の片隅で「こんな事をしている場合か、俺? お前はもっとクリエイティブな事を目差しているんじゃないか?」と自問自答をしていた。もちろん会社の仕事は仕事でちゃんとこなしていたけれど。

おそらく卒業するタイミングを外してしまい、その若い頃にハシカのように見る夢から目覚める事が出来なかったんだろう。現実を見ろよ、足元を見ろよ、という事。
本当に才能があるのならもう20代前半でちゃんと足がかりが出来ているハズだろ、お前30代になって40代になって何夢みてんだよ、という感じなのだ。
で、最悪な事に夢ばっかり見ていながら「会社の仕事に追われちゃってさあ」と、その夢方面に特にこれといったアプローチもせずに言い訳をしながら過ごしていた。いわゆる「やれば出来る子なんですよ」とか「今まだ俺は本気を出していないだけ」という、最悪な病気を抱えた状態の人。自分でも思ってしまうけど、格好悪い人の代表選手。そんな理想だけの言い訳聴きたくねえよ。
そんな痛い人が今、ひょんな事から作詞を仕事としつつある。ついでに現実逃避だったのかも知れないけどネットで雑学などを書いていた事が本業になっている。クイズ作成も一時期その中でやっていた物が商売になっている。

今、この時にも見果てぬ夢を見ている人が世の中にはたくさんいると思う。その夢に向かって努力している人も、努力もせずに根拠無き自信だけを膨らませている人も。
確かに今の自分だったら「諦めなければ、いつか夢は叶う」みたいな事も言えるかもしれないけれど、もっと大きな声で言いたいのは「諦める事がもっとも賢い選択肢かもしれない」という事。
「作詞家になりたい」なんて思って必死に詩を書いて、それをレコード会社のプロデューサーに毎日毎日贈り続け(しかも1年以上、500通以上続けて)なんとか仕事になったのは、それから四半世紀後なんて、誰にもお勧め出来る人生ではない。「夢が叶うのは四半世紀後だけど、そこまで待ちきれる?」という事なのだ。

諦めないというのも才能の一つになるのかもしれないけれど、諦めるという事が出来る人は凄いと思う(こっちが普通なんだけど)。選択肢は無限にある。何がベストなのかは死ぬ瞬間にさえ解らない。

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2012年1月 4日 (水)

誕生日データは増殖する

自サイトで古今東西の著名人(あまり著名でない人も)の誕生日データをデータベース化した『知誕:ちたん』という物を構築しつづけている。


それを入力する時に参照するのは書籍がメインになっている。そのために我が家には大量の人名辞書・ナントカ名鑑という物がある。70年代の書籍からずっと。
で、雑誌などでデビューしたばかりの歌手などが紹介された時もチェックして追加している。
その時に誕生日と名前と職種ぐらいしか書かれていない事も多い。
『知誕』のDBは誕生日・名前・職種だけでなく、出身地、出身学校、事務所、サイズ、場合によっては賞罰など、簡易的にその人物の色々な事が解るようにしてある。もっと情報がある場合はリンクを貼って『知誕Wiki』に個別のページを作る事になっている。
このデータベースはあくまでも趣味で作っている物ですが、世間的に見たら何の役にも立たないんじゃないかと思いつつ、自分的にはラジオの原稿を書くときの「今日はなんの日」的なテーマを探す時に使っている。
例えば11月30日は、作家ジョナサン・スウィフトの誕生日なので、ラジオのテーマはスウィフトの代表作『ガリバー旅行記』で行こう!とか。
その誕生日データには最低限の情報しか書かれていない人物もいる。誕生日・名前・職業だけ。それはメモした時にその程度の情報しか無かったパターンや、初期はその程度の情報しか掲載していなかったという事から。

という事でネット上にこの人の他の情報は無いかな? と人名検索を掛けてみる。
一番信頼出来るのはその人物の所属事務所などのページ。それがダメならばファンページ。さらにWikipedia、Yahoo!人物名鑑、コトバンクなどの辞書的サイト。
ところが場合によっては検索結果が異常な事になっている場合がある。
例えば1993年にデビューした村越ゆみという歌手を「村越ゆみ 1966」と名前&誕生年で検索してみると大量に情報が引っかかってくる。
しかし不思議な事にそれらページ全てと言って良いほどそこに書かれている情報が『1966年11月30日 村越ゆみ(むらこし・ゆみ)【歌手】〔広島県〕』という物。それ以上の情報が出てこない。
ざっと見た処、まったく同じ情報が書き込まれているページは40以上ある。が、本当にそれ以上の情報を探し出すことは出来ない。
で、その40以上あるページがどれも「古今東西の有名人の誕生日を羅列」という主旨のページ。
そしてそれらを見ると基本全部同じ。書かれている人物などのチョイスや書かれている内容などが全部同じになっている。

だから「1966年11月30日 村越ゆみ」の前に「1965年11月30日 秋篠宮文仁親王」があって、後には「1967年11月30日 あさいゆきの」がある。
著名人の誕生日データって事実の羅列でしか無いので内容が被ってもしょうがないじゃないかと思ってしまうのですが、自分の『知誕』では1966年11月30日には他にF1レーサー「ミカ・サロ」やタレント「伊東佐知子」もいる。
1965年11月30日にも秋篠宮文仁親王だけじゃなく、他に4人ほど記載されている。
そして多くの誕生日羅列サイト(ブログ)では「1967年11月30日 あさいゆきの」の処に「※旧名:麻生奈津子」と書かれている。
実は『知誕』ではそのような記述ではなく1967年11月30日に「あさいゆきの」、1965年11月30日に「麻生奈津子」と書いていて、リンク先の『知誕Wiki』で誕生日の違うこの2人が同一人物だと解るようにしてある。つまり「あさいゆきの」の誕生年は1967年ですが、その前の芸名「麻生奈津子」の時の誕生年は1965年だったワケ(事務所の移籍か改名で誕生日設定を変える芸能人が時々います)。

誕生日データは誰が調べても同じ!という事なのか、著作権(編集権)意識が無いためにコピペで済ませてしまうケースが多いのです。
これら40以上ある同じ誕生日データのオリジナルは『ストローワラの情報交差点』という2000年から運営されている誕生日サイトの老舗。
ここは1ページにその日生まれの人名をズラッと並べているので、コピペも安易に出来てしまう事からその様な結果になってしまったのかも知れません。
確かどこかに作者のストローワラさんも「データ使用は自由ですが、個人の責任で」みたいな事を書いていたような気もしますが、流石に現状のように安易に全部のデータをコピペする人がこんな大量発生するとは思わなかっただろうなあ。
それらのコピペ誕生日データには「出展:ストローワラの情報交差点」と明記してある物もありますが、冒頭に「私が調べてきた誕生日データをみんなに教えます!」とか自慢げに書いている処もある。
確かに調べてきたという意味を拡大解釈すれば「検索を掛けた処、ストローワラの情報交差点というサイトにあった情報を発見した!」という事で調べてきたという事になるんだろうけど、それは違うぞ。

その手の、毎日更新され、毎日大量の誕生日データを記載し続けているブログってのも多いんだけど、他人が長い年月掛けて構築してきたデータを安易にコピペして運営しているのって、どうなのよって感じ(アフェリ目的なのかも知れないけど)。
でも世間っていうのはコノ手の安易で動いている。
ちなみに、検索ネタで使わせて貰った村越ゆみサンのデータは、たぶん1993年に発売された「CDデータ(角川書店)」に記載されていた物で、1993年2月21日「白い夜明け」でデビュー、2ヶ月後の4月21日に「ディア」という曲もリリースして、おそらくこの2枚だけしかCDをリリースしていないみたいです。つまり世間的にはほぼ無名のまま引退してしまった方みたいです。
それなのに現在40以上のサイト・ブログで誕生日&出身地情報が提示されているという、誕生日データ界では有名人なのだ。

P.S.
あとネットで調べ物をしようかなと思うと、Wikipediaをコピペしただけのページが大量に出てきて調べ物にならない。コピペだけで構成されているページのなんと多いことか。

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2012年1月 3日 (火)

音楽道楽30年

テレビで放送される音楽番組をビデオ、DVDに記録し続けて早30年(今年10月でジャスト30年)となっています。


ビデオからDVDに移行してからすでに10年目。それ以前のビデオをDVD化する作業を時々思い出したようにやっているが、その作業は過去20年を再チェックする作業になりつつ復習にもなっているけれど、おそらく変換作業自体はまだ10年ぐらい掛かるのではと思っている。
現在、DVD化&現在も記録し続けている所有音楽番組DVDの本数はザッとみただけで2000本を越えている。
今年に入って新たに録画保存した音楽番組DVDの本数が現時点でナンバリング175になっている。12月に入って各種音楽祭などがあり、特別番組などもあって、それらはまだプレイヤーの中にあり、最終的には年間で200本ぐらいになるのかもしれない。
以前に比べてDVDで音楽番組を検索して録画予約するのが楽になったので、ほとんど見逃す事が無いのでこんな感じ。
1995年頃から一時期仕事に追われ精神的にダメになっていた時ですら1年間で80本とか記録していたので、本当にトンデモない勢いで日々増え続けている。
ビデオ時代に録画して放置していた音楽番組ビデオは約20年で3000本ほどあるけど、それらのDVD化作業は現在進行形の音楽番組チェックに追われていて、なかなか手を掛ける事が出来ない。
現時点でビデオ&DVDは音楽番組を記録保存した物だけで5000本ほどある事になる。でも、かの宮崎勤事件のビデオ部屋のようにはなっていない。我が家に来た人はそんなビデオがある事なんて判らないように、クローゼットの中に整理してしまい込んである。基本的にコレクターだけど、物を陳列する趣味はないのだ。

で、ただ録画しつづけるだけでなく、それらの1本1本がどんな内容なのかというのをすぐにチェック出来ないと意味がないという事で、データベースソフト『ファイルメーカー』で管理をしている。
まずDVDのナンバリングを、たとえば今年の物は『2011-0XX』という風に西暦年数&ナンバーという形を付ける。
そしてそれぞれの曲に日付、歌手名、曲名、番組名、メモ、作詞家、作曲家、編曲家の名前で管理。1本に大体20〜30曲が収録されるので現時点でのデーターベース上での曲数は45714曲。
これによって歌手や曲名からだけでなく編曲家から検索も出来るので「あ、この曲のアレンジかっこいい」と思った時に過去にどんな音を作っていたのかもすぐチェック出来るという体制を作っている。
今は少しずつ音楽関係の仕事を始めているので自宅ライブラリーとして徐々に意味を持ち始めているのかもしれないけれど、5年以上前はただの「音楽好きな人」だったので、そんな面倒くさいことをやっている意味はほとんどなかった。
いわゆる道楽者なのだ。

世間に言わせると「オタク」という事になるんだろうけれど、本気で音楽好きなんだもん、しょうがないだろとしか言えない。別に徒党を組むわけでないのでオタクというカテゴライズされても意味はないのだ。ただの趣味の人。
世間一般の感覚では20代の頃は音楽をバリバリに聴いていたという人でも、30代、40代となって他の事に追われるようになると徐々にリアルタイムの音楽を積極的に聴くチャンスが減っていき「最近の音楽解らない」とか言うようになってくる。
それは単純に新たに生み出されてくる音楽を聴いていないだけなのに、ついつい「最近の音楽ってどれを聴いても同じようだね」みたいな説教口調になってしまうのが難点。そして「それに比べて80年代は個性的な曲が多かったから」と自分の時代を引き合いに出してくるというパターンに堕ち込んでしまう。
でも自分が10代20代だった時代にも同じ事を上の世代が言っていた事を記憶している。
で、その時自分はその上世代に対して「今を生きている俺らからして見れば、GSの頃の連中って(60年代末)みんな同じベクトルの曲や音造りしていたよね」という事を思っていた。直接言わなかったけれど。

で、80年代のヒット曲も多種多様あるように感じるけれど、冷静に考えてみれば「80年代風」の音造りだったり、ニュアンスだったりする。当時は当時で同じような空気感のある曲が多い。
そんな事をずっと同じテンションで音楽を好き続けていると感じてしまうのだ。
そして現在、作詞なんかを生業にしようとしている身からすると、変化していないようでも歌詞も80年代と今では言葉を紡ぐための方法論が違ってきている。その辺りは上手に説明できないのと、自分の作詞の秘密をバラしてしまうような部分なので詳しくは書けないけれど。
とにかく30年に渡って音楽番組を記録し続けていると、色々な物が見えてくると言うのは確か。
オタクとか自認しているような人でも「今のはダメだね、それにくらべて昔は」と語りたがる人はやたらと多い。
でもそれって「自分が感受性の高い時代、そして時間的余裕のある時代にジックリ見た作品が好き」ってだけの話なんじゃないのかな? 本質的にそのジャンルが好きってワケじゃないような気がする。
という事で、音楽道楽は誰と競うワケでもなく、あくまでも自分が好きだから続けていくのだ。

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2012年1月 2日 (月)

仕事始め(の予定だった)

とりあえず「新年は2日の月曜日からラジオなのだ!仕事始めなのだ」と思っていたワケですが、静岡というのは高校サッカーでの名門校が多いので毎年、サッカー中継で休止となる事が多い。


2日の放送がサッカー中継で休止になるのは昨年末に決定していたので、心の準備も出来ている。
でもその後、2日(月)に勝ち残ると3日(火)もラジオ番組は休止となる。
で、そこで勝ち残ると翌日の4日(水)は試合が無く、5日(木)がラジオ休止となる。とりあえず確実に4日に仕事が始まる事は確定しているが、その5日の試合で勝ち残り、決勝戦まで進むと、次の月曜日9日もラジオはお休みとなる。
今、2日の雑記なので本来は「さてどうなるのか?」状態なのですが、実際にこの文章を書いているのが6日なので結果は分かっている。3日の試合で静岡の高校は負けてしまい、4日からラジオはスタートし5日もあった。当然9日もある。

なかなか自分の立場は難しい、仕事であるラジオが休止にならずに2日から「新年明けましておめでとうございます。いつもより多く喋っております、え〜頭脳労働であります」とヤリタイのは山々。でも静岡県人で静岡での放送の中で「だから負けて欲しい」なんて事はクチが避けても言えない。
いや、心情的には静岡の高校が勝ち進んで欲しいと思うワケですが、こっちも日銭稼ぎのフリーライターなので放送が無いとその分、賃金が……という問題も発生してくる。
だから「試合を午前中にやって欲しい」とか思うのみでやんす。

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2012年1月 1日 (日)

明けましておめでとうございます。

気が付けば新年、そして空けまして、いや明けましておめでとうございます。


こうやって元日の雑記として掲載しているワケですが、実際にはこれを書いているのは1月6日という体たらく。恐らく2012年もこんな感じ、ヤレヤレって感じで行きます。
無理スンナ、俺。
という事で、いくら頑張っても持続しなきゃ意味がないと思っている「僕の最大の能力はダラダラ続ける事だ!」と自覚している私は今年もダラダラ行きます。

昨年は12月に色々な作業が怒濤のように重なっていってアタフタして「気が付けば結局ブログ書いてねえじゃん」という事になっていました。
実際には書く予定でメモは凄く取っているんですが、ちゃんとした物にしている時間や精神的余裕がありませんでした。
という事で、今年はその昨年末のアタフタが色々な形でモノになっていくんじゃないかと思っていますので、今年もよろしくお願いします。
このブログは月に1回程度覗くだけで大丈夫だと思います。多分。

そんなワケでイヤー・オブ・ザ・ドラゴンでやんす。
今年もやらしく!

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2011年11月25日 (金)

クイズ番組の明日『WQC』

先日、11月23日水曜日に『WQC(World Quiz Crassic)頭脳の祭典!クイズ最強王者決定戦』という番組が、夜8時からの3時間スペシャルとしてTBSで放送された。
20111125


基本的に自分はクイズ好きという事もあって楽しんで見る事が出来た。
でも異常なほど番組のハードルを上げて「すべてのクイズ番組は、この大会の序章に過ぎなかったのかもしれない」とキャッチコピーを掲げて、異常なほどの高級感とアスリート感満載って所が凄く不安だった。
自分はクイズというのは気楽な遊びだと思っているんだけど、出場者はそれぞれ人生を抱えているかのような盛り上げで登場して、「そこまでクイズに入れ込まなくても」とちょいと引いてしまうような感じもあった。
クイズをやるために時間が拘束される正業に就かずフリーターを選択した人、クイズをするために毎日何紙も新聞を読み生活の中心を知識を詰め込む為に使っている人、などなど。

この番組でも、他の場所でもよく聞くのが「最近は一般視聴者が参加するクイズ番組が激減して活躍の場がない」みたいな事。確かにふと思い返しても「アタック25」ぐらいかな? 昔は「ベルトクイズQ&Q」「アップダウンクイズ」「国盗りクイズ」「クイズハンター」等々、素人参加型のクイズ番組がやたらと多かったような気がする。
自分なんかはそれを子供の頃から見て育ってきたクチで、夏休みになると「小学生大会」とかがあって「いつか出場したいなぁ」と思いつつ大人になってしまったワケです。その時代にクイズ好き、そこから雑学的な物が好きになっていったのかも知れない。

で、今回のクイズ新時代を開くという番組。結果として平均視聴率は7.9%でTBSの思わくをグンと下回ってしまったらしい。特に番組出だしが3%スタートだったとか。
これに関しては番組編成の失敗だと思う。
なんせその日の裏番組がNHK『嵐の明日に架ける旅』日テレ『ザ!世界仰天ニュース』フジ『はねる×ホンマ!?×123合体』朝日『ナニコレ珍百景』とすべて7時台からの2時間以上番組ばっかり。8時にチャンネルを変える人は最初からこの番組を楽しみにしていた人ばかりという状態。そりゃ出だしが悪ければ、それは後まで響く。
そして8時台の比較的簡単な問題ではなく、途中からチャンネルを変えて来た人はいきなり後半戦の「アホじゃねえの」と思うような超難問から見始める事となるので「ワケ解らん」となってしまったのでは無いかと。

でもその中で出場者達はアスリートのように脳細胞を活性化させガンガンと闘い抜いていく。
と、いう部分が視聴者参加型クイズ番組を無くしていく原因なんだよなぁ
確かに超人的な頭脳というのは見ていて凄いんだけど、そう凄いと思う気持ちは持続しないと思う。
自分はこういう仕事をしているので最後までそこそこ付いていけたんだけど、一般的視聴者はどうなんだろ?と思ってしまう。
たとえば第二試合辺りの少しハードルが上がった難問で「もう難しすぎて全然答えられない」と思ってしまった人は、次の試合でさらに問題のハードルが上がった時、第二試合と第三試合で難易度が上がったのがあまり解らなくなる。出題している側は徐々に問題のグレードを上げているつもりなんだろうけれど、途中で「なんじゃそりゃ」と思ってしまった人にはそこから先の盛り上がり方が理解できなくなる。
例えば本当のスポーツ系アスリート番組だったら、単純に跳び箱の段数が増えた、距離が伸びたとか明確に凄さが判るんだけどクイズの場合はその差異が解りにくい。とにかく間違えずによく解らない事を即座に答えているというだけの展開。

この手のクイズ番組を作りたいと思う制作者もハードなクイズオタクだと思うので「テレビを観ている人は一般的な感覚の持ち主」という部分が抜けちゃっているんじゃないかと思うわけです。
これは自分が雑学をラジオで喋っている時に一番注意している点。
長年雑学を扱っていると雑学ドランカーになってしまい「この雑学はみんな当然知っているよな」と思ってパスしようかと思ってしまうワケですが、とりあえず流れの中で入れてみると、そこが一番「そうなんスか?」と驚かれたりする。
それを5年間ラジオで1000回近く喋ってきて肌で感じるようになり、一般的な感覚を凄く重要視するようになってきた。
でもおそらく雑学が好きな人がそのラジオを聞くと「なに誰も知っているような当たり前の雑学喋ってんだよ、あんなのなら俺でも出来る」とか思われてしまうワケです。
でも一般的な感覚が一番大切。

だから長く続いている『Qさま!』なんかでも「中学校の教科書に出てくる偉人たち」みたいな問題が出されて、答えが出ると「あ〜〜〜そんな名前だったぁ」という視聴者テレビ前参加型クイズ番組になっている。
そして今回のWQCには芸能人枠もあってジャルジャルの後藤とかカラテカ矢部とかも出場していて、ネット内では「芸能人が出てくる意味ないだろ」とか「緊迫感が薄れる」とか不評だったみたいだけど、実際には視聴率的にはその芸能人が出てリアクションする所が良かったりするんじゃないかと。
例えば『Qさま!』も出演している芸能人は不正解でもリアクションが上手で盛り上げてくれる。
リアクションが取れない局アナが不正解して落ち込んでも、それを持ち上げたりネタにして「バラエティ番組」としての体裁を作り上げてくれる。
時々「この人、芸能人なの?」みたいなクイズ番組でしか見かけない「東京大学在学中のタレント」みたいな人がいるけれど、あれなんて事務所側がクイズ番組の為にスカウトした人なんじゃないかって感じもする。そして、その手の人はリアクションも上手じゃなくいつの間にかいなくなる。
あくまでもテレビで放映されるクイズ番組は「バラエティ」なので。

今回の「WQC」の第2回が存在するかどうかは今回の視聴率を考えると微妙なんだけど、純粋にムチャ凄いクイズ王の登場を視聴者は求めていないんじゃないかと思ったりする。

てな事を言いつつ、実は自分は読売新聞Web『yorimo』で毎週2本ずつクイズを出題しています。
月曜日は「頭の体操系クイズ」、木曜日は「雑学系クイズ」です。
さらにiPhoneアプリで『知泉の雑学クイズ』というアプリを4本出していたって事まで、自分でもスッカリ忘れていた。

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2011年11月24日 (木)

『僕はビートルズ』7巻

連載当初からワクワクさせられッ放しの漫画。
20111124


その理由の最大の部分に「中学時代、音楽にどっぷりハマったキッカケがビートルズだったから」というのもあると思うけれど、それを差し引いても近過去タイムスリップ物として面白い。
ただし連載当初は同じタイムスリップ物『ジパング』の連載終了間もなかったという事もあって「またタイムスリップ?」という部分もあった。今回は原作付きだけれど。
1961年春のまだビートルズがイギリスでデビュー前、後にマネージャーとして辣腕を振るうブライアン・エプスタインとも出逢う前(出逢いは1961年11月9日)。
そんな時代にタイムスリップしてしまった現代のビートルズのコピーバンドの4人が、本家より先に曲を発表してしまうという所から物語は展開する。

すでにシングルを3枚出し1st『抱きしめたい/アンドアイラブハー』、2nd『アイソーハースタンディングゼア/イエスタデイ』、3rd『アハードデイズナイト/シーラブズユー』
そして今回の7巻で1stアルバム『THE FAB4』がリリースされた。
3枚目のシングルに関しては6巻で「第3弾シングルに予定しているシングル新曲」として『アハードデイズナイト』が演奏されているが、その後漫画の中ではシングルリリース時の話は飛ばされているのでカップリング曲は不明。
しかし1stアルバム発売時には「すでに発表したシングルの6曲」として、アルバムA面は既発売曲でB面は新曲という構成になっている。そのA面にシーラブズユーが入っている事から3枚目のカップリング曲はそれという事になる。
でも「シーラブズユー」をB面曲って……、と思ってしまうのだ。

それよりもっとビックリするのが1stアルバムに収録したB面の曲のデタラメさ。すべてはここに書けませんが、なんで1stアルバムででビートルズ解散後に出したベスト盤みたいな選曲にしちゃうかなぁと言う感じなのだ。
ビートルズより先にビートルズの曲を発表した事から、本家がいなくなってしまい「俺達が責任を持ってすべてのビートルズの曲を世に出さなくてはいけない」と宣言していたハズなのに、あれは無いよなぁ。
ビートルズはアルバム毎に進化し続けて、アルバム毎に音が変わっていく。それはテクニックや表現したい物が変化していったという部分だけじゃなく、録音技術の向上という物も存在している。
自分はビートルズが解散した後にビートルズと出会った世代なので、その変化していくワクワク感には出逢えなかったけれど、アルバム毎にちゃんと時代の空気を感じて、どのアルバムもビートルズの作品だけれど『ウィズ・ザ・ビートルズ』は1963年のビートルズ作品、『リボルバー』は1966年のビートルズ作品、『アビイ・ロード』は1969年のビートルズ作品、と時間軸を経たそれぞれのビートルズだから作り得た作品だと思っている。
実際にはどの曲も素晴らしいくて、時代背景無しで聞いても名曲ではあるけれど、そういう背景が音楽には存在しているハズだと思っている。(それはビートルズの曲に限らず)

それをこの漫画の中では1962年4月の段階でドンッと1stアルバム曲としてリリースしてしまっているのだ。
「ビートルズの素晴らしさを残さなくてはいけない」と使命感を持ったのだとしたら、単純にビートルズがリリースした213曲をリリースしても意味はないと思うんだけどなぁ
あと、アルバムの中に『SGT.ペパーズロンリーハーツクラブバンド』を入れているのが「本当にコイツらビートルズ好きなのか?」と思ってしまう部分。
あれはコンセプトアルバムという画期的な手法で作られたアルバムの中の1曲だから、シンプルに聞いた時以上に意味を持っている。自分などは今でもあのアルバムが1つの塊の曲だと思っている。だから切り取ってしまったらダメだと感じる。
オリジナルアルバムでは『SGT.ペパーズロンリーハーツクラブバンド』は次の曲『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』と曲間が無くラスト音の余韻の中で始まっている。そういう部分も含めて楽曲の記憶として残っているから、ベスト盤的な状態はダメだと思う。
ついでに実際にはメドレー曲となっている次の曲『ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ』も単独で収録されている。
本来はコンセプトアルバムとして1本の映画を聞いているかのように全曲を再現しなくちゃいけないと思う。

と、ついつい漫画なのにマジに書いてしまった。
手塚治虫先生に「漫画と現実の区別が付かないのか!」と怒られてしまいそうですが。
この漫画とビートルズは共に大好きなので「綺麗な形でまとめて欲しい」と切に願っています。
で、全曲リリースする場合『ジョンとヨーコのバラード』の歌詞はどういう言い訳するんだろうか。

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2011年11月23日 (水)

『談志が死んだ』

立川談志師匠が亡くなった。
20111123


その芸については多くの人が語っているでしょう。
自分は語るほどのめり込んで好きだったワケじゃないので、あまりそこについて語る事は出来ない。凄いなぁと思う部分と、どうも自分の肌に合わない部分も多々あった。その人を選ぶ部分っても含めて唯一無二の人だったんだとは思う。
おそらく死去した事が公表されてから現在「日本でもっとも多く語られている回文」は『談志が死んだ』だと思うけれど、これ自体、立川談志が自らネタとして言いだしたモノらしいし、2003年には『談志が死んだ 立川流はだれが継ぐ』という本も出している。
この回文をさらにバージョンアップさせたものとして『余談、談志が死んだんだよ』という作品もある。おそらくこの数日、もっとも多くネットで語られ、ブログのタイトルになる回文だと思います。
という事であえてベタに使用してみました。

で、談志が亡くなったという話題が一番最初に出たのは22日の夜、Wikipedia『立川談志』の項に「2011年11月22日死去」というのが最初なのではないかという事。(実際に亡くなったのは21日)
まだマスコミも一切報道していない状態で、何者かによって書き込まれている。
実は立川談志の死は極々近親者にしか知らされておらず、弟子である立川流一門にもこの事は知らされていなかったらしい。とりあえずこの半年かなり状態が悪く、数日前に入院したという事は知らされていて、お見舞に行った人もいるらしいけれど。

その事から、立川流のお弟子さんの所にも22日の夜「談志師匠が亡くなったらしいですが」と一報が届けられているが、たとえば立川キウイさんなどはブログで死去の話を振られたが確実な通達が無かったので「どうせまたガセでしょ」と書いている。
その時、寄席にいた立川左談次さんも知らなかったらしい。こちらも翌日23日の11時の段階でブログに「デマ・ガセ」と書いている。

そして23日の午前中にWikipediaの「2011年11月22日死去」の書き込みは消去されている。
この時点でどのマスコミもこの事に触れていなかったので、Wikipedia側も「悪質なデマ」みたいな扱いとしたのかも知れない。
それが動き出したのは午後2時を過ぎた辺り。
週刊金曜日のTwitterが「知人からの連絡によると、談志師匠が今朝亡くなられたそうです。謹んでご冥福を祈ります。師匠の噺は絶品でした(浩) 」と呟いた。この事からtwitter内では「マジ?」「ガセだろ?」が飛び交い始めるようになる。
自分はそれのRTを見て「マジっすか?」と驚いたクチ。
でも共同通信を始めとしてどこもこのニュースを取り上げていなかった。さらに調べて見ると立川流一門のお弟子さんたちが一切、談志師匠の死に触れていなかったし、キウイ氏はブログで完全否定しているし、というなんやら不穏な印象を受けた。

これまで何度もガンによる入退院を繰り返し、その都度「談志が死んだ」という自ら考案した回文がデマとして流れているので「またかよ」状態であったのは確か。
ただし今回はtwitterという情報拡散ツールが存在しているために、またたくまにこの話題はネット内を駆けめぐるようになる。
以前ならガセがどこかで発生した場合でも、まずはその周辺だけで盛り上がり、一般的に広まる時は「というガセが」と結論や色々な経過が付随しているものだけど、今はレアな状態で一気に広まっていく。
自分なんかはその時点で「昨日Wikipediaに書き込みがあって、今は消されている」などの事実も確認した上でガセだと判断して『談志師匠に関するデマが広がっている。その勢いで回文「ダンスは済んだ」「余談:談志が死んだんだよ」「わたし負けましたわ」。現時点で立川キウイさんなどは否定しているのでガセでしょう。』とtwitterに書き込んでいる。

そんなこんなで2時間ほどネット内で「マジか、ガセか」で人々が右往左往していたワケですが、午後4時直前になって共同通信社のネットニュースに『立川談志さんが死去』が書き込まれ確定となってしまった。
もっとも自分は「基本的になんでも疑っちゃう」という性質の持ち主なので「でもそのニュースには亡くなったとは書いてあるけど、亡くなった日付が書かれていないってどうなのよ?」とこの時点でも何%かの疑いを持っていた。
が、夕方5時台から始まったテレビのニュースでは「21日に亡くなっていた事が判明しました」との報。これで否定しようがない事実になったのです。
死去に関しては本当の身内だけで内々に済ませようという談志師匠の意志で、一門のお弟子さん達にも一切知らせていなかったという事だったらしい。それが最大の混乱を招いた原因。
今回、リアルタイムでこの混乱を目の当たりにし、ついでに自分も巻き込まれて「ネット社会の情報の高速化・即時性による混乱って面白い」と思ってしまった。

談志師匠の芸風や言動に対して色々な意見はあると思うけれど、昔ながらの寄席芸とテレビを始めとするメディアの関係性や、古典と現代風俗との向き合い方など、自分流を、悪く言えば我を通し続けたウルサイ人の姿勢には大いに共感する、リスペクトする部分があります。
敵を作ることを厭わない、そんな精神を自分も心のどこかに1%でも持ち続けたいと思っています。
談志師匠、お疲れ様でした。

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2011年11月22日 (火)

MOVE ON !

去年の今頃、色々なことで煮詰まっていた。
20111122


ラジオのレギュラーは4年続いていてそれなりの順調だったけれど、思ったほどそれ以外へと仕事が広がっていない焦燥感でジリジリしていた。
とりあえず去年の夏過ぎまではテレビのレギュラーもあって、その調べ物やネタ探しで日々頭を悩ませ、週に1回のロケで静岡県内をウロウロしていたので、今を考えるのが精一杯だった。
それがいきなり終了して時間的にポッカリと穴が空いたのも理由の一つだった。
「なんか4年も自分なりに頑張ってきたのにダメじゃん」と思ってしまった。

本来の職業欄に書いてある『雑学ライター』という肩書きが悲しくなるほど、書いた文章を直に発表する仕事というのを、フリーライター宣言してからわずかしかやっていなかった。
毎週4回の放送、1回分が原稿用紙3〜4枚という分量だったので日々原稿を書いていた。テレビの台本用にも実際放送分の2倍3倍の雑学文章を書いて、それを小沼さんと詰めていた。他にはラジオの某音楽系番組の原稿なども書いていた。
が、何か煮詰まりを感じていた。自分の文章が表に出ない、という部分と、仕事がすべて放送局内に留まっているという事なのだ。
そこで「これじゃイカン!」と、まず「人とコミュニケーションをとらないとイカン!」という事でツイッターを始めた。

その時点でほとんどツイッターとか興味が無く「いったい何をする物ぞ」以前の知識しか持っておらず「ナントカなう」とか自分の居場所を知らせて何が面白いの? という感想に近い、無知状態だった。実際にはそんな事を呟いている人はほとんどみかけないけれど、当時の「ツイッターとは」みたいな解説のトップには「なう」が流行語として使われていた。
実際にツイッターを始めてみると印象は全然違った。
そして次に「動かなければイカン!」と思ったのが「ずっと休眠状態だったメルマガ復活」という事。
今の自分がここにいるのはメルマガのおかげ(「のせい」とも言うけど)。メルマガを発行していた事から単行本『知泉』が誕生し、単行本『知泉』があった事から静岡放送SBSのアナウンサーだった國本さんと知り合い、その知り合った関係からラジオ番組『らぶらじ』の立ち上げからレギュラーとなり、その事もキッカケでフリーライターになった。という原点でもあるわけです。
そこで煮詰まった現状から自分本来の形に戻るためにメルマガ復活となった。
それが去年の今頃。

もっともそれをやっただけで現状が変わるワケない、自分で色々な方面にプレゼンをしなくてはいかんなあとは思っていた。そんなこんなで1ヶ月ほど経過した所で、avexからお電話で「ハイスクールシンガーという企画で詩を書かない?」というお話を貰ったワケです。
その少し前にavexエンタテイメントの飯田さんと逢っていたというキッカケもあるワケですが、いきなりの新展開。
それで今年の1月からその企画に参加するようになって詩を書き始めたわけです。現在まで完成した詩が14曲。そして現在抱えている作業中の詩が3本。年間17曲ですが動き始めている。

そんなこんなでラジオで雑学を語り倒す仕事が5年目に突入しながら、まったく違う方向性の仕事をしていたのですが、さらに5月に入って読売新聞社から「Webで雑学クイズを連載できませんか?」と意表を突いたオファー。別段プレゼンをしていたワケでもないし、クイズ作家を名乗っていたワケでもないのに、何故?
そして現在、毎週月・木曜日に読売新聞Web「yorimo」内でクイズを連載しています。やっと書いた文章が表に出る仕事(って、自分が思っている物とチョイ違うけど)。
名刺に書かれている職種『雑学ライター』とはなんかズレている気もしますが、ラジオでしゃべり、詩を書いて、クイズを出題するという「よく解らない職業の人」に1年掛けてなりました。

おそらく相関関係はまったくない偶然だとは思いますが、4年間何も仕事的な動きが無かったものが、去年の今「Move on!:動くぞぉ」と活動を始めた途端に動き始めたワケです。
おそらく5年間の静岡ローカルでのラジオ出演とも繋がらない仕事だと思うので、色々不思議な感じではあるのですが「とにかく動いてみろ、何かが一緒に動き出す!」という感じなのかも知れないのです。


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2011年11月21日 (月)

年間600人減

本日発行のメルマガの編集後記にこんな文章を書いた。
20111121


去年の今頃「心を入れ替えてみました(たぶん)」とメルマガ知泉は再開しました。
それより以前は、年に数回発行するダメなメルマガでした。それでも7000人近くの方がずっと解約もせずにいてくれたという事もあり「もう一度、頑張ってみなくちゃな」と、心機一転で「シリトリ雑学」という形で復活をしたのです。そして1年間で262回発行。1310本の雑学をまき散らしました。

発行する理由の一つに「これまで大量に書いてきた雑学の整理整頓」というものがあったので、過去をリセットした形で再録も含めてガンガン行くぜ!と来たワケです。
すでに情報が新しくなって使えなくなっている雑学も多く、その都度調べ直したりの作業があって、大変でもあり、楽しくもあり、でした。
読者のみんなに楽しんでもらえれば!と頑張って来たわけですが、実は読者数は発行するたびに減っていき、この1年の間におよそ600人が解除しております。

つまらないメルマガは解除されてしまうのはしょうがないのですが、1号発行するたびに2〜3人ほどずつコンスタントに減っていく状態が続いているので、なんとかしなくてはイカン!と思っているのですが、なかなか歯止めが掛からない。
毎回「どこがまずかったのだ?」と自問自答しますが、自分にとってこれ以上ベストな形は無いと思っているので「もしかしたら基本的に自分は時代に合っていないのではないか!」とネガティブ思考を大爆発させて、身をよじり続けています。

ずっと昔、単行本を出した時にアンケートを取った事があったのですが、その中で「いつも知泉の雑学を友達に話して雑学王だなんて言われています。だから友達にはメルマガ知泉の存在を教える事ができません」みたいな物がありました。
そうか!メルマガ知泉はクチコミで友達に広がるという事がないのか!と言う事実に愕然とした事があります。だからこの先、読者数が増えるという期待はあまり出来ないのか……
そんなこんなで悩みつつ、前を向いて歩み続けるのであります。

てな感じの文章で、もうネガティブ思考全面押し出しの泣きを入れていますが、本当に毎号発行するごとに読者登録数が順調に減っている。
とりあえず「発行部数が多くても少なくても商売でやっているワケじゃ無いんだからいいじゃん」という部分はある。多くなるってのは励みにはなりますが、そこが目的じゃない。
おそらく読者が今の半分に減ったとしても、手持ち雑学が終わらない限りは発行は続けていくと思います。年間600人が順調に減っていくと考えたらあと10年は頑張れるんじゃないかと。
減っていく理由の一つがどうやら「毎日発行で毎日量が多い」という事で脱落していく人がいるんじゃないかという事みたいです。

そんなワケで「杉村について来れるヤツだけ着いて来い!」という感じ。
そのうちなんとかなるだろう♪って事で自分を納得させるワケでやんす。

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2011年11月20日 (日)

もうすぐお前もフォースが使えるようになる

というワケで、iPhoneを4Sにバージョンアップするためにショップに行ってきた。
20111120


自分的には「まだいいかな」と思っていた。
確かに色々凄くなっているという話は聞いているんだけど、実際の事を言えばその手の進化するガジェットへの興味はあんまりない。
「スゴイなぁ」とは思う部分があったり、子供の頃は夢だった事がいとも簡単に出来るって事には20世紀から見ていた未来へのワクワク感もあるんだけど、今の自分的には「そんなのにハマったら面倒くさい事になる」という、超面倒くさがりな部分と、18日に書いた「なるべく無駄な時間を取られたくない」というキモチがあって、躊躇していた。まだ現行機種で充分不満なく使えるじゃん。
と考えていた所、友人ハーさんからパソメールが届いた。

ハーさんとはいつもiPhneのMMSを使って下らない事をやりとりしているので、パソメールを使う場合はデータを送るとか特殊な時しかない。
で「なんじゃらほい」と開いてみると『iPhone水没した……』との事。その結果、同じく「まだ旧型iPhoneでいいじゃん」という考えだったハーさんは否応なしに4S乗り換えとなってしまった、という話だった。
で「この際だから一緒に乗り換えどう?」とお誘いをされてしまったのだ。
オッサンが誘い合わせてそーゆー事をするのってどうよ?とは思いつつ、でもこのキッカケが無いとこのまま故障するまで何年も使いつづけてしまいそうな気がする。という事で、いきなりの展開になってしまったのだ。

で、勢いをつけて「4Sにします!」と飛び込んだワケですが、結局「現在1ヶ月以上お待ち頂くことになりますが…」という事で、キモチは宙ぶらりんな感じになって契約だけして帰ってきた。
ちなみにiPhineを水没させてしまい「とにかくケータイが無いと仕事にならない!」と焦っていたハーさんですが、「乾かしてみたらなんとか生きかえった」とのこと。裏面にあるカメラレンズ部分にまだ水滴が残っているのに、意外と凄いぞiPhone!
という事で、それでも年内までには私もフォース(4S)使いになれるのだ。


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2011年11月19日 (土)

音楽番組撮り撮り人生

今、自宅のDVDデッキの録画予約には「毎週録画」でいくつかの番組が登録されている。
20111119


地デジ波では『HEY! HEY! HEY!』『Coming Soon!』『1番ソングSHOW』『MUSIC STATION』『サタテン』『僕らの音楽』『ハッピーMUSIC』『MUSIC FAIR』『COUNT DOWN TV』『MUSIC JAPAN』『Music Lovers』など。
基本的にすべて音楽番組。
これらを全部録画して、全部DVDに落として、全部インデックスを作りすぐアーティスト・曲名・作詞作曲家名などで検索出来るようにして保存している。

これを始めたのが1982年10月3日で最初に録画したのは「レッツゴーヤング」。この日曜日にデッキを購入してきた夕方セッティングして録画したという流れ。
そこから気が付いたら来年で30年。今はすでに30thフェア開催中という事になる。
最初の頃はビデオテープの値段も高かったので、音楽番組をリアルタイムで見て好きな歌手が歌い始めると録画スイッチオン!という作業をしていた。その後、テープの値段も下がり、近所に量販店も出来た事から番組全部録画という方向になっていく。

本当はCMも含めて全部録画というのが時代を残すためには重要なのですが、そんな未来の事を考えていなかったので、その後もう一台ビデオデッキを買って、番組から歌部分だけを編集するという事をやっていた時期もある。
バブル以降は仕事がメチャ忙しくなり、留守録ばっかりで見るヒマがないけど、とにかく録画という事でテープがガンガン増えていった。
そんな状態で早30周年(本当は来年10月)、おそらくこの先もガンガンいくと思う。

これがいったい何になるのか不明だけど、基本的に音楽大好きだし(テレビ番組では一般のJ-POP系が中心になっちゃうけど、他のジャンルも好き)、少なくとも今自分がやっている作詞の仕事の土台にはなっていると思う。
ビデオテープからDVDに変換する作業を延々と(思い出したように)やってるけれど、全然終わっていないので、クローゼットの一画はまだビデオテープの壁が出来ている。
そんな人生。

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